開平の旅


2011年2月1日(火)

   11:00、アパートを出発。近くのバス停からバスに乗って、街のバス・ステーションへ移動(2RMB/人)し、5分ほどで到着。省外への大旅行と違って、広東省内の、それも広州からすぐ近くとって良い距離であるため、ずいぶんと気楽だ。 二人とも同じ気持ちだったので、朝起きるのも遅く、準備も遅く、とうとうこの時間になってしまった。
 しかし、行き先が省外だろうが、省内だろうが、春節の長期休暇中のことである。バスはどの路線も大変な混みようだ。バス・ステーションに集まった大勢の人波を見て、 この時期の混雑を甘くみたことを後悔した。こうなると、予定していたメインの路線のチケットが買えないことも考慮しておかなければならない。開平までのルートは①広州経由、②中山経由、③江門経由三つだ。バスの走行距離だけみると、②、③のルートが短いが、バスの本数やバスの質を考えると、①のルートが無難だ。道路だって、広州経由のルートのほうが良く整備されている可能性が高い。しかし、それだけに、込み具合も半端ではない。①のチケットがとれなければ、②それが駄目なら、③だ。
 バス・ステーションの建物の中に入ってみると、思ったほどには混雑していない。各々の窓口に並んでいる客もせいぜい6,7人ぐらいだ。これなら、すんなりチケットを手にいれられそうだ。後ろに並んで順番が来るのを待つ。すぐ隣の列の窓口では、髪を短く刈り上げた4,50代ぐらいの男が大声を張り上げて、なにやら主張している。窓口の担当スタッフでは対応しきれずに、ベテランスタッフが代わって話をし始めた。ベテランスタッフは険しい表情をしながらも、冷静に話しを進めて、徐々に客の気を和らげていきわずかな時間で一件落着した。さすがベテラン。
 私たちの順番がやってきた。
 「広州発は何時?」とZが尋ねる。
 「時間は決まってません」と窓口のスタッフが答えた。
 「じゃあ、いつ出発するんですか」と今度は私が尋ねた。
 「だから、時間は決まっていません。席がいっぱいになったら順次出発します」
 「じゃあ、だいたいどのくらいで出発するの?」
 「20分ぐらいずつです」
 これは微妙。というか、こんなバスではいつになったら出発できるのか全く読めない。待ち状態になっている客がどれくらいいるかによって、出発できる時間が変わってくるではないか。(ここで、待ち状態になっている客の人数が聞ければだいたいの時間が読めたかもしれないが、思いつかなかった)。仕方がない。中山経由のルートに変更だ。
 「じゃあ、中山行きはいつ出発するの?」
 「1:50です」
 「1:50・・・」
 そうなると、出発までに2時間以上もある。ただでさえ、出発が遅れているのに、さらに2時間とられるのは痛い。しかし、広州経由ではいつ出発になるかわからない。どうしたものか・・・。だが、考え込んでいる余裕はない。窓口スタッフの視線が無言のプレッシャーとなって押しかかってくる。私たちの後ろに並んでいる客たちも、いらいらしながら自分の番を待っているに違いない。
 「じゃあ、中山行きを2枚」
 決めてしまった。お金を渡すと、すぐにチケットが印刷され、手渡された。1枚66RMB、合計132RMBだ。
 しかし、待てよ。1:50となると、2時間以上というよりも、3時間に近い。一旦アパートに戻ったほうが良いくらいだ。それだったら、素直に広州行きのバスを待つ行列に並んだほうが良いのではないか。
 「なぁ、やっぱり広州行きにしようよ。チケット代えてもらおう」
 かなり無理押しだなと思いながらも、言ってみた。
 「ええー、今さらそんなこと言うの~」
 「すみません、広州行きを、中山行きに代えてもらえませんか」
 Zは口を尖らせつつも、窓口スタッフに向かって告げた。
 「今頃になって何を言うんですか。もう発券してしまったんですよ」
 「わかってます。でも、代えてもらえませんか」
 「いいわ。でも、サポート・センターのほうでキャンセルしてください」
 「ここで、代えてもらえないんですか」
 「もう発券したんだから、無理です。今更何言っている・・・」
 「○×▲・・・」
 激しい応酬。
   Zも頑張ってくれているが、これ以上は無理そうだ。システム的にもそうなっているだろう。
 「わかった。サポート・センターのほうへ行こう」
 諦めて、Zに告げた。
 「○○(私の名前)、もう何で、買ってからそんなこというのよ」
 Zの怒りが私に向かってきた。ご怒り、ごもっとも。
 「1:50だと、さすがに遅すぎると気づいてね。Ctripで予約するときに、チェックインの時間を指定するところがあって、3:00以降と指定すると、最終時間が自動的に6:00になっちゃうんだよ」
 1:50発だと、4時間かかったとして到着が5:50。スムーズにいけば良いけど、春節だってこともあるし、中山での乗り換えに少し手間取ったらもうアウトだ。もちろん、Ctripに電話して調整してもらうことは可能だけれども、面倒だ。そう説明するつもりだったけれども、Zは窓口スタッフとの言い合いで頭がかっかとしている様子で、そんな説明をしても頭に入っていきそうもない。
 「とにかく、サポート・センターでチケットをキャンセルしよう」
 「できるの?」
 「できるだろ。そう言ってたんだから・・・」
 疑わしげな様子である。言い合いとなったことで、窓口スタッフに対してかなり腹を立てているようだ。
 ともあれ、キャンセルは自分でやるしかない。
 人込みを掻き分けて、サポート・センターのカウンターへとたどり着いた。
 「すいません。チケットのキャンセルをしたいんですけど」
 二人いたスタッフの若い方へ声をかけて、チケットを手渡した。スタッフはきょとんとした表情を見せた。
 (あれっ、キャンセルできないのか?)
 「チケットのキャンセルって、できるんですか?」
 そのスタッフは、隣の年上のスタッフに尋ねた。
 「できるわよ」
 答えて、チケットを奪い取った。
 「○%のキャンセル料がかかります。良いですか」
 「はい」
 年上のスタッフはチケットにハンコを押した。
 「66RMBですから、7RMBのキャンセル料となります」
 なんとか、キャンセル終了。再び人込みを掻き分けて外に出た。
 「キャンセルできたよ」
 「ほんとうに?」
 できると思っていなかったらしく、嬉しそうだ。
 「どうする。ここで広州行きのチケットを買いなおすか?」
 「嫌!」
 即答だ。私としては、さっきのは誤りは誤りだとして、ここで改めて広州行きのチケットを買いなおしたいのだけれども、そうもいかないようだ。
 「じゃあ、もう一つのバス・ステーションの方にするか」
 「うん」
 街には二つバス・ステーションがあって、もう一つの小さなほうからも広州行きのバスが出ている。時間が惜しいので、タクシーそちらまで移動することにした。普段なら、20RMBの距離だけれども、春節のため30RMB。広州までのバス代が60RMB弱だから、馬鹿馬鹿しい限りだが、移動する間にZの気持ちも落ち着くだろうから、良しとする。
 
 到着後、すぐに広州行きのチケットを購入(57RMB/人)。11:50発だ。トラブルがあった割りには順調な出発だ。しかし、11:50まで後わずかというときに構内放送があり、バスが遅れているとのこと。あらら、どんだけ遅れるの?心配していたら、12:10に広州行きのバスが入ってきた。急いでバスの前まで駆けつけたが、下車してきた運転手の説明によると、このバスは13:00発のバスだとのことだった。がっかり・・・。
 12:15、広州行きのバスがもう一台やってきた。幸いなことに、今度のバスは11:50発予定のバスだった。40分遅れの12:30に発車。 バスが遅れた割には、車内の雰囲気は穏やかで、皆にこやか表情をしている。春節の帰郷の喜びに満ちているのだろう。空は曇り空。春節の込み具合を考慮したとしても、15:00前には広州に着ける。そうであれば、開平 のホテルには18:00まで到着できるはずだ。

 13:50、広州到着。思ったより早く到着することができた。天気は曇り空のまま。バス・ステーションは、さほど込んでいない。すぐに「開平」行きのチケットを購入する(59RMB/人)。14:35発だ。

 14:35、時間通りに出発。空き席がちらほらみられる。Zの機嫌もすっかりなおったようで、明るい表情をしている。

 14:25、「開平」バス・ステーションに到着。すぐに地図(6RMB)を買って、ホテルの場所をチェックする。Ctripのホームページによると、ホテルまでは歩いていける距離のはず。地図に示された通りにてくてくと歩いて行った。

 14:50、チェックイン。一泊目が218RMB、2泊目は258RMB。二日目は春節の初日にかかっているのでやや高いが仕方がない。Ctrip経由でなければ、この値段での予約も難しかったことだろう。部屋は非常に綺麗だ。川沿いの部屋で景色も悪くない。(保証金は400RMB)。
 

 17:20、一休みして、夕食のために出発。マクドナルド、ケンタッキーなどはあるけれども、手ごろな中華レストランがなかなか見つからない。小さな食堂のような店は多いのだけれども、他の地域では朝しか出さないような腸粉や肉まんなどしか売っていない。この地域では、家族で外食を楽しむ人たちはまだまだ少なく、外で食べるのは腹を満たすためだけの人が多いということだろうか。軽食を食べさせる露店も少なくないけれども、おでんや串ものなどのありきたりのものばかりで、食欲をそそられない。

 橋を超えて、開平市の中心であると思われる商業街へ出た。人込みはすごいけれども、売られているのは衣類関係ばかりで、食事ができる店は喫茶店のようなところしかない。

 やむなく、「猪肚鶏」が食べられる香港系らしき、レストランで食事をすることにした。味はまあまあといったところ。

 20:00、ホテルに戻る。歩いた割りに、普通の料理しか食べられず、がっかりだったけれども、スケジュール通り、開平に到着できただけでも良しとしよう。就寝。
 

2011年2月2日(水)

 9:30、ホテルで提供される無料の朝食を食べに行った。ところが、春節の初日とあって、レストランも半分休業状態で、食べられるのは餃子とおかゆのみ。ローカボ・ダイエットをやっている私は両方とも食べることができない。なんとか目玉焼きを焼いてもらって、お腹を満たしたけれども、中途半端に食べたので余計に腹が減った。

 一旦、部屋に戻ってから、ホテルを出発。バス・ステーションに行く途中にあるマクドナルドで、私だけ再度朝食をとる。美味しいコーヒーも飲めてちょっぴり幸せだ。

 9:55、昨日のバス・ステーションに到着。自力村へ行くバスのチケットの窓口を探すけれども、なかなか見つからない。他のバス・ステーションなのだろうか。春節中だけ、自力村行きのバスが出ていないということもありうる。ともあれ、改札口の女性スタッフに尋ねてみることにした。
 「あっちよ」
 指差された外に、数台の中型バスが止まっている。
 「チケットはどこで買うの?」
 「乗車して買って」
 了解。道理で、いくら探しても見つからないわけだ。
 
 さっそく乗車して、チケットを購入(自力村まで6RMB)。インターネット上の情報だと、観光ルート専用のバスだったはずだけれども、私たち以外の乗客は、地元民ばかりのようだ。バス代がやや高いように思われるのは、春節のためだろうか。10:05、発車。開平では、どこへ行っても、第一声は広東語なので、疲れる。Zがいなかったら、さぞかし苦労したことだろう。広東省内の旅行ではいつものことだけれども。

 このバス。オンボロ中型車だというのに、飛ばしまくりだ。今にも横転して道路を転がっていきそうな勢いで走っていく。。反対車線にも平気で出て行く。気にしても仕方がない。そう自分を慰めながら、外の景色を眺める。ぽつんぽつんとであるが、小さな望楼(碉楼)が目に入る。自力村等の観光地以外にも、望楼(碉楼)がけっこうあるようだ。歴史的な建物だから、当然と言えば、当然だ。望楼(碉楼)は富の象徴でもあったらしいから、海外から戻ってきた華僑ばかりでなく、各々の地域での小金持ちたちも、真似をして望楼(碉楼)を建てるのが流行っていたのかもしれない。
 
 10:26、道路脇で下車。空気は非常に良い。深センから離れるとこれほど空気が違うものか。普段住んでいる街が工業地帯のど真ん中だから、余計に違いが大きく感じられる。ここが自力村の入り口か。入場口らしきものは視界にないから、望楼(碉楼)があるのはもっと先なのだろう。かなり歩くことになりそうだ。行きはそれでもよいのだけれど、帰りも同じ道を戻ってここまでやってきてバスをつかまえねばならない。今日一日であちこちをまわらなければならないから、時間が惜しいところだ。
 

 ともあれ、空気は良いし、歩くことそのものは苦にならない。道路も舗装されていて歩き易い。Zと肩を並べて、元気よく足を踏み出した。
 ふと右側をみると、インターネット上の写真でみた記憶のある塔があった。地図で確認する。「これが・・・『方氏灯楼』?」。地図がおおざっぱなので、本当にそうなのかわからない。イメージしていたのより丈が低いし、畑のなかにぽつんと建っている様子からは、特別な建築物であるように思われない。ともあれ、写真に収めておくことにしよう(後で調べたら、本当に『方氏灯楼』だったようです)。

 歩くこと30分弱、遠くに望楼(碉楼)らしきものが見え出した。近くに家鴨を飼っている小さな池があり、「ガアガア、ガアガア」と賑やかな鳴き声が聞こえる。Zによると、鵞鳥もたくさんいるようだ。私にはよくわからない。「ほら、あそこにいるのが鵞鳥よ」と教えようとするZにただ頷いてみせることしかできない。

 10:50、思ったより早く入場口まで辿り着くことができた。チケット売り場と思われる真新しい建物に近づいていくと、近くにいた警備員数人が声をかけてきた。
 「今日は開いていないよ」
 「ええっ、入れないの」
 「今日は駄目だ。明日ならやっているよ」
 「ええっ!」
 なんと、旧暦の大晦日である今日だけが休みなのだそうだ。せっかくここまで来たのに。一番肝心な自力村に入れないとは・・・。入場門そのものは閉まっていないから、入れないこともないだろうけれども、入場してはいけいないと断言する警備員たちを前にどうどうと入るわけにもいかない。諦めて退散することにした。チケット売り場のところで入場料金を確認すると自力村だけで、60RMB/RMBもするようだ。高い。世界遺産になる前に来ておけば、無料で入れた場所だというのに残念だ。休日なんてものもなかっただろうし。

 「どうしても駄目なのか?」
 もう一度警備員に聞いてみる。
 「駄目。そっちのほうにも望楼(碉楼)があるから、そこなら観られるよ」
 指差されたほうに目をやると、望楼(碉楼)があった。小さいけれども、確かに望楼(碉楼)だ。望楼が集中している地域から離れているから、有料の範囲に入れてもらえなかったのだろう。

 朽ちるがままにされているような望楼(碉楼)だけれども、雰囲気は十分だ。歴史を示した木製の説明書きも取り付けられている。有料の範囲が決まって開発が行われる前は、この望楼にも結構な見学者があったに違いない。鉄格子とブリキ板で仕切られていて、戦闘などにも耐えられる造りになっているのが感じられる。観光用の化粧がほどこされていない分、こんな望楼のほうが味わい深いとも言える。しかし、周囲が掃除されていないのは頂けない。

 

 ぐるりと回った後、自力村と逆の方向に目をやると、なにやら看板がある。読んでみると、そちらの方向にも、望楼(碉楼)があるようだ。面白そうなので、歩いていってみた。

 畑を抜けていくと、そこには結構な数の望楼(碉楼)が建っていた。なかなか見ごたえがある。さらに歩いていくと、看板に示されていた観光用の望楼(碉楼)もあった。休みではないようだが、メジャーでない割りに入場料が50RMBと高い。外から見た限りでは、いかにもリフォームしましたといわんばかりの建物ばかりだ。入るのは止めて、さらに先に歩いていくと、反対側にも、観光用ではない望楼(碉楼)が多数建っていた。

 高さはさほどないけれども、歴史の風格はたっぷりとある。望楼(碉楼)の保全や観光客の安全ということを考えると、ある地域を区切って有料にしたり、建物に化粧をほどこしたりするのもやむえないのかもしれないけれども、壁で仕切られて化粧をほどこさただけで、一方は50RMB、その外は無料というのは納得できない気持ちにさせられる。

 人数は少ないけれども、村人も住んでいて、時折姿を見かけた。魚(?)を捕らえる籠などもあったから、普通の生活が行われているようだ。狭い地域ながら、ある程度固まって暮らしているようで、そうでない区域は寂れ方が激しいように見えた。こういった場所にはどういう人が住んでいるのだろうか。若い世代に置いていかれた老人たちか、望楼(碉楼)の管理で暮らしている人たちか、あるいは、他の土地で問題を起こして逃げてきたような人たちもいるのだろうか。どんな風に毎日を過ごしているのだろう。

 自然な形の望楼(碉楼)をたくさん観られたので、自力村にこそ入れなかったが、非常に満足できた。賑やかな鵞鳥の鳴き声を聞きながら、来た道を再び戻った。

 来るときに下車した位置まで着いたら、バスがやってきた。私たちが乗ってきたのと同じ方角からのバスなので、これは利用できない。けれども、夫婦らしき中年の男女が下車した。二人とも、リュックを背負っているから、私たちと同様に自力村の望楼(碉楼)を見学に来たのだろう。
 「自力村はこっちですか?」
 私たちに気づくと、さっそく尋ねてきた。
 「そうです。こっちです。でも、自力村は今日はお休みだそうです。明日からはやってるそうですけど」
 「本当ですか。閉まってるんですか」
 「警備員がいて、入れてくれないですよ。大晦日は休みなんだそうです」
 「そうですか」
 「でも、周辺にも、小さな望楼(碉楼)がありますから、けっこう楽しめますよ」
 「そうですか」
 困った様子を見せながらも、夫婦は自力村の方向へ向かって歩き始めた。
 
 どうするんだろう、あの二人は?私とZは気が小さいから、警備員に注意されて引っ込んだけれど、押しの強い中国人だったら、隙をみて入っていってしまいそうだ。そうだとしたら、羨ましい。
 さて、人のことはともかく、次の目的地へ行くバスがいつ来るかだ。バスは往復ルートをとるのが基本だから、待ってさえ入れば、私たちをここに連れてきたのと同じルートのバスが遅かれ早かれ戻ってくるはずだ。
 じっと待つしかないか?そう思っていたら、後ろから、一台のバンがやってきて、運転手が声をかけてきた。
 「どこへ行くんだ」
 「赤坎鎮」
 次の目的地の名称を告げた。
 「30RMB」
 ちょっと考える様子をして、運転手が言った。
 「もっと安くならないの?」
 「もう十分安いよ。赤坎鎮だろ。ちょうど○○へ行く途中だから、この料金なんだよ」
 それもそうだ。
 「二人で30RMBなんだよな」
 「そうだ」
 「Z、いいだろ」
 「うん」
 一応確認をしてから、応諾をした。
 今日一日で、何箇所も回らなければならないから、時間は貴重だ。ここでバンをつかまえられたのは、ラッキーといえるだろう。しかし、こういうタイミングだと、いつもちょうど良く、車がくるけれど本当に偶然なのだろうか。地元の人間でないのがやってくると、村人たちのレーダーにひっかかって、誰かしらが小遣い稼ぎに出てくるような仕組みになっているような気がしないでもない。

 

 11:55、「赤坎鎮」に到着。なんだか古ぼけた建物が多い。見ようによっては歴史ある街とも言えるけども、小汚い街と言われても仕方ないかも。

 ここには望楼はなく、川岸に西欧風の古い建物が並んだ地域があるだけだ。
 「えっと、先に食事かな?」
 「当然でしょ。今、何時だと思ってるの?」
 「そうだね」
 中国には、何かを済ませてから、食事をするという感覚はほとんどなく、時間になったら、まずは食事である。
 「でも、この辺、綺麗なレストランとかなさそうだよ」
 「いいのよ、どこでも」
 時間に余裕のある時は、私以上に選り好みの激しいZであるが、一旦お腹が空いてくると、何でもよくなる。
 「でも、手頃な店がないけど」
 「あるわよ、あそこに」
  Zが指差した先には、立て札があり、近寄っていってみると、何時から何時まで営業中というようなことが書かれている。
 確かに食事はできそうだけれも、廃墟となったホテルに無理やり営業しているような店だ。大丈夫なのだろうか。
 
 店先に並べられたテーブルの一つを選んで席に着くと、掃除のおばちゃんのような格好をした店員が出てきた。
 「ご注文は何ですか?」
 「メニューはないの」
 「ありますよ」
 店員はすぐに店内へと戻ってメニューを取りにいった。
 観光地とか、片田舎とかはメニューがない店が多い。でも、そういったところは、店先に野菜が並べてあって、そこから食材を選ぶようになっている。テーブルを店先に並べてあるだけの場所でメニューなしにどうやって注文しろというのだろう。 「快餐一つ!(日替定食orぶっかけご飯)」とかと頼むのだろうか。不思議だ。
 メニューが出てきたので、早速注文。私が選んでも、あれは駄目、これは駄目とうるさいので、今日はZに任せた。野菜炒めを一品に、豚肉炒めを一品・・・。まだ足りないと、もう一品頼もうと選びにかかったので、「俺、今日はあまり食べられないぞ!」と釘を刺した。いろいろ食べたいからと注文するのは良いけれども、残らないようにと平らげるのは私の仕事になってしまうからだ。望楼のあるところはどこも辺鄙なところだから、トイレが手近に見つかるとは限らない。食事は抑え目にしておくのが無難だ。
 結局、下の写真の2品だけとなった。野菜(菜心)を炒めた料理と豚肉と干し大根を炒めた料理だ。
 「野菜炒めはうまいね。すごく新鮮(な材料)だね」
 「うん、そうね」
 中国に来てから、野菜の新鮮さに敏感になった。新鮮なのとそうでないのとの差が大きいからなのだろう。
 「これ何、干し大根?」
 「そうよ」
 「うまいね、意外に」
 地元の人対象の味つけなのか、やや甘口だけれども、けっこう美味しい。肉も良い肉を使っているし、一旦箸をつけたら、止められなくなり、瞬く間に食べ終わった。
 「わっ、もうお肉が一つも残ってない。○○(私の名前)、ひどい。全部食べちゃったの?」
 「はは、美味しかったからね。ほら、まだ干し大根がたくさん残ってるよ」
 恨めしげに私を見上げるZ。いつも多めに注文したがるのも無理はない。
 料理は2品で44元。地方の寂れた店にしてはやや高い。春節の割り増しがあるとかなんとか言ってたから、そのためだろう。

 お腹いっぱいになったので、出発。店員によると、目的地である「欧陸風情街」はここからすぐのところにあるらしい。
 店を出て、すぐ横の小道を奥に入っていく。

 昔の雰囲気が残っていて、いい感じだ。きちんと整備すれば、ここだけでも、立派な観光地になるだろうに、もったいない。
 築くと、Zは十数メートルも後方にいて、携帯電話を使って写真をとっていた。Zもここが気に入ったようである。

 食事をしたお店から50メートルぐらい奥に入ったら、川沿いの道路に出た。左にはガイドブックの写真に載っていたのと同じ「欧陸風情街」の光景があった。写真でイメージされるほど距離はなく、ほんの数十メートルぐらいの町並みである。周りにパラソルを広げた露店がうじゃうじゃと群がっている。
 
 注)「欧陸風情街」は、「騎楼欧陸風情街」とも言う。「騎楼」は、1階がお店と通路で、2階が住居になっている形式の建物のことを指す。1840年のアヘン戦争以降に、広州の発展とともに西欧の影響を受けながら広がったお店と住居が一体化した構造の建物とも説明されている。広州を中心に広がって、上海の広東人が住んだ地域等、あちこちに存在するらしい。実際、広東省地区では老街と呼ばれる地区には非常に多くみられるし、最近の商業街でもよく採用されている形式である。 広東省に限らず、内陸地方にもかなりあったと思うけれども、記憶が定かでない。

 右には「赤坎映視城」の文字を記した赤い垂れ幕がかかっていて、そちらの方には、2家族ぐらいのグループが入り口のそばでうろうろしていた。そう言えば、最近撮られた「譲子弾飛」も、ここでとられたのかも。自力村のところにも宣伝があったし・・・。 入り口のところで入場料を調べてみると、5RMBだった。最近の観光地にしては、ずいぶんと安い。よし、入ることにしよう!と決めたけれども、よく見たら、今日は入場不可との張り紙がしてあった。春節だからなのか、撮影中だからなのかわからないけど、諦めるしかなさそうだ。

 橋を渡って、向こう岸に出てみる。こちら側から見たほうが、雰囲気が出ていて良い。「映視城」側の建物には、映画用とあって、お化粧やら補修やらがされてあって、「風情街」側と色合いと造りが全く違う。観光地の保存としてはどちらが良いのやら、判断がつきかねる。

 

 川岸に沿って、隣の橋まで歩いて行き、そちらの橋を渡ってさきほど食事をした店のそばでバスに乗車(13:00、4RMB/人)。

 13:10、「蜆岡鎮」に到着。次の目的地であったはずの「百合鎮」を通り過ぎてしまっていた。ここは最後に来る予定だったので、順番が違ってしまったが、良しとしよう。この「蜆岡鎮」の見どころは、斜めに建ったピサの斜塔風の建物だと日本人の方が書いたホームページに紹介されていた。歩いて行くには距離がありすぎるということだったので、路上で客待ちをしていたバイタクの運転手と話をつけ、往復30RMBで行ってもらうことにした。

 辺鄙な場所だといっても、さすが広東省内である。いちおう、田んぼと畑しかない場所であっても、道路が舗装されている。何もないところを突っ走っていくだけなので、長く感じられたけれども、時間にしてみると5分で斜塔のある場所に到着した。

 本当に斜めになっている。塔というには高さがさしてないけれども、建物の形をみると、警備を目的に建てられた塔であるだろうことがなんとなく理解できる。入場料をとられるかなと思ったが、そんなことはなかった。そもそも、私たち以外の観光客がいない。

 

 ぱちり、ぱちりと写真をとる以外にやることがない。村人の姿もほとんど見られず、鵞鳥が「があ、があ」と鳴く声がやたらに響く。人間よりも鵞鳥の数のほうが多いのに違いない。

 Zが携帯を取り出して、地面に向かってパチリとやっているので、「何撮ってるの?」と尋ねると、「牛糞!すごく大きいのよ」と答えが返ってきた。きっと、メールで送って、友達に見せるつもりのようだ。中国では多くの人が農村出身だろうし、珍しいものではないだろうから、笑わせる目的で送るのだろう。せっかくなので、私もばちりとやらせてもらった。

 村の奥へ向かっていくと、鵞鳥の家族が仲良く「ガア、ガア」と鳴きながら歩いてきた。中国で旅行をしていると、よくこのような光景に出会うのだけれども、こういう鳥たちは、しつけをされて自分たちだけで出歩いて家に戻っていくのだろうか。恐らく本能を利用しているのだろうけれども、人手をかけずに勝手に餌を取りに行って家に戻ってくるなんてずいぶんと便利だ。一方で、柵に入れられて自由に行動できないのもいるということは、勝手な行動をとるのは、いうことを聞かないやつだから、仲間とは別に飼うようになっているということだろうか。詳しい人に話しを聞いてみたいものだ。インターネットで調べれば、どこかに載っているかな?

 村の奥まで行ってから、入り口のところまで戻った。見所の少なさに申し訳ないとでも思ったのか、バイタクの運転手が、こっちからのほうが良い写真がとれるぞ!などと説明をしてくれる。せっかくなので、そちらのほうへ行ってパチリ。それから、再びバイタクに乗車。

 13:45、「蜆岡鎮」の中心近くで下車。川沿いに、良い感じに古ぼけた建物が並んでいたのでぐるりと歩いてみる。川の中へと突き出て建てられている高見台のようなところもあって、わざわざこんな物を作るということは、以前はそれなりに繁栄していたこともあった場所なんだろうなと想像させられた。最近見た。ドラマで1980年代の中国を描いたものがあったけれども、あの時代は各々が地元を盛り上げるために生活していた頃だったろうから、こういった辺鄙な場所にもたくさん人がいて賑やかだったのではないだろうか。

 川の奥のほうまで歩いていき、橋を渡ってもとの通りのところまで戻った。何もないところだけれども、歴史のある洋館のような造りの建物が多いためか、歩いていて楽しかった。望楼もよいけれど、こうした街並みも、そのまま残っていくようにして欲しいものだ。

 14:05、馬降龍に向かってバイタクで出発(20RMB)。本来であれば、「百合鎮」からの出発になるはずだったけれども、地図で見る限り、「蜆岡鎮」から出発してもたいした違いはなさそうだったので、直行することにした。

   地図では遠いように感じたけれども、意外に近く5分ほどで到着した。ここまでが片道で20RMBだとすると、さきほど行った斜塔までの往復30RMBは安かったと言える。

 さて、自力村は入り口で警備員に進入を阻止されてしまったのだけれども、馬降龍はどうか?
 どうか・・・というか、普通に考えると駄目だろう。なにしろ、自力村とセットのコースになっているメインの観光地だ。自力村が駄目で、こちらだけ良いということはないはずだ。
 バイクを降りて、すぐ目の前にチケット売り場らしき小さな箱型の建物が建っていた。なにやら大勢の人が集まっている。中を見てみると、狭い部屋に大勢の男たちが集まってカードゲームに勤しんでいる。やや殺気立った雰囲気だ。
 「今日は、ここやってるの?」
 誰にともともなく、声をかけてみた。皆カードに夢中で、誰もこちらを振り向かない。
 「すみませんけど、チケットはここで売ってるのですか?」
 少し大きめの声で尋ねると、ようやく後ろの男が一人振り向いてくれた。
 「今日、ここやってるの?」
 改めて聞いた。
 「やってないよ。今日は休みだよ」
 あらら、残念・・・。
 しかし、ここは自力村と違って、警備員らしきスタッフがいない。正式な門はもっと奥のほうにあるのだろうか。
 「とりあえず、もっと奥へ入ってみようか」
 「そうね」
 Zと一緒に、道路の先へ進んでみることにした。
   「おーい、今日はやってないよ」
 奥へと進もうとする私たちに、別の男から声がかかった。
 「わかってる。ちょっと見てくるだけ!」
 自力村同様に阻止されてしまうかと思ったが、Zが軽く受け流すと、男もそれ以上話かけてこなかった。

 途中、入場門のようなものもなく、すんなりと村の中へと入ることができた。ほとんど村人たちもおらず、たまにいても、春節の初日とあってのんびりモード、私たちのことはあまり気にならない様子だった。たまに、「ねえ、今日はお休みじゃなかったけ」と観光客がいることに疑問の声を上げる村人もいて、ドキッとすることもあったが、他の村人たちがとりあわず、私たちの行く手が遮られることはなかった。

 そうは言っても、そのうち誰かが問題にして追いかけてこないとも限らない。気の小さい私は無意識のうちに早足となる。
 「Z、もうちょっと速く歩けよ」
 「ちょっと待って、友達にショートメッセージを送ってるの」
 私の焦りとは逆にZは至極お気楽な様子だ。Zのほうが度胸が据わっている。

 お休み中なので、建物の中に入れないのは残念だが、50RMB以上(/人)はするだろう入場料がゼロで済んだのは大変ありがたい。無料だと思うと、一つ一つの建物の魅力もぐっと増すというものである。そもそも、村全体を区切ってそこに入るだけで入場料をとるというのは、やや強引ではないのか?お寺や風景区と違うのだから、個々の建物の敷地に入るならともかく、村の敷地に入った時点で入場料をとるのはどうなんだろうと思わないでもない。もっとも、望楼(碉楼)自体の魅力は、その外観が半分以上を占めているから、外から無料で見られるとなれば内部まで入ろうという観光客はほとんどいないだろうことは容易に想像がつく。村の敷地で区切るぐらいしか手がないのだろう。

 15:10、望楼(碉楼)をたっぷり堪能して村を出た。建物が自然な形で残っていて、しかもあまり風化していなかったのが良かった。いずれ、誰かと一緒にもう一度来て見たいけれども、結局のところ、西洋風の建物だから、中国に来てお金を払ってまでこれらの望楼(碉楼)を見たいという日本人はあまりいないに違いない。無理に連れてきてがっかりされてもつまらないから、誘うのも難しい。もう一度来るような機会はなかなかないことだろう。

 村を出たところにある橋を歩いて渡る。旅行は2泊3日だが、望楼(碉楼)巡りに費やせてのはたった1日なので、開平のほんの一部しか見られなかったけれども、たくさんの望楼(碉楼)を見られたから、けっこう満足できた。

 15:30、バスに乗ってホテルのある市内へ戻る。

 16:00、開平バス・ステーションに到着。そのまま、街中へ出て、食事所を探す。昨日、見逃していた「美食城」という看板を見つけたので、そこで食事をすることにした。ビルの高いところにある店で、やたら豪華そうなレストランだったけれども料理はどれも大味で残念だった。3品で115RMB。 

 食事を終えると、そのまま散歩をして、最後にマクドナルドでコーヒーを買い、ホテルに戻った(17:40)。
 今日はこれで終わり。

2011年2月3日(水)

 朝9:00時ホテル発。エアコンが事実上効いていなかったことを除けば、悪くないホテルだった。
 
 マクドナルドで朝食を食べて、そのまま開平バス・ステーションへ。

 9:30、バスに乗って、広州へ(60RMB/人)。広州省バス・ステーションで乗り換えて、我が街へと戻った。