韶関市の旅


韶関市

青丸が韶関市です。

2004年12月18日
 7:30、起床。荷物は昨晩全て準備しておいたので、問題なし。
 問題は水槽の中のグッピーたち。数ヶ月前に、香港で購入しておいた「自動エサあげ器」が活躍する時が初めてやってきた。まず、空のまま電池を入れる。すると、回転式の容器がぐるりと回る。よし。一度電池を抜いて、容器にエサを入れる。そして、エサあげ器全体を水槽の枠に取り付けた。電池投入。ガガガッ、と音がし、容器が回り始める。そして、バッっとエサが水面に散った。成功だ。これで、後は12時間ごとに容器が回りエサが少しずつ落ちていくというわけだ。内モンゴルへの旅のときは、グッピーたちが飢え死にしてるんじゃないかと気が気でなかったが、今回は安心して出かけられる。

 8時になったのでZを起こす。Zよ、旅行の日ぐらい自分で起きて来い。
 だが、ベッドから抜け出した後のZは普段と違った。やる気まんまん、元気まんまんだ。いつものグータラなところが全くない。素早く服を着替えて準備万端。今日のZはちょっと違うぞ!出発寸前になって、口紅を塗り始めたのには閉口させられたが。

 8:40、出発ー。まず、アパート前でタクシーをつかまえ、バス・ステーションまで行く(10RMB)。8:50、バス・ステーション到着。

  「やっぱり、広州経由で行ったほうがいいんじゃないか」。バス・ステーション内で私はそう提案した。
 「韶関市」にたどり着く方法は二つある。最近開通したばかりの直通バスで行く方法。もう一つは、広州バス・ステーションで乗り換えて行く方法である。せっかく直通バスが開通したのだから、それを利用すればいいだろう。そう考えるのが当たり前だ。しかし、「韶関市」と言えば、広東省の一番上の端で山地帯で、もともとはバスで7時間はかかるだろう場所であった。いくら高速道路ができたところで、5時間は走らねば行き着くことは難しいだろう。
 そうなると、トイレの心配も出てくるし、何よりも身の安全が問題となる。広州経由となれば、深セン(特別区外)→広州、広州→韶関市は各々2,3時間程度となる。悪さをする時間も減るだろうし、一番危険そうな広州→韶関市の間も、広州バス・ステーションにおけるチェックでかなり安全性の向上が期待できる。
 一方、深セン(特別区外)→韶関市となると、どのルートをとるのかが見えない。特に広州周辺の高速道路の切り替え時に妙なところを通ったりしないか心配だ。そもそも、私の住んでいる街から韶関市へのバスは開通したばかりで、バスそのものも見たことがない。大型バスなのか、中型バスなのかすらわからない。広州行きのバスなら間違いなく豪華型大型バスだから、非常に安心だ。
 そう考えてZに説明し出したのだが、話を最後まで言う間もなく、「駄目。直通バスがあるんだから、それで行きましょう」と強く断言されてしまった。「だいたい広州はすごく込んでいるのよ。昨日の新聞見たでしょ」。たしかに、昨日ちらりとみた新聞では早くも春節期の大移動が始まり、広州駅前は大混雑となっていた。しかし、ある意味、広州駅周辺はいつだって込んでいる。ましや、バス・ステーション内の移動だ。そんなに問題にはならないだろう・・・と、私が口をはさむ間もなく、Zはさっさとチケット売り場のカウンターに向かってしまった。

 しばらくして、「出発は9:20、三時間ちょっとで着くそうよ」と不機嫌そうな様子で戻ってきた。「あのスタッフ、態度が悪いのよ。こっちを見ようとすらしないし・・・」とぶつくさ言っている。「91RMB(/人)だって」。もう決まったかの様子だ。うーん、もはや反対しても無駄か。確かにうまく行けば楽できるしなぁ。あきらめて、直通バスのチケットを購入した。

 まだ9時前だから、少し時間がある。「食事にしましょう!」とZが当然のように宣言した。そこで、バス・ステーションの近くにある中華ファーストフード「双種子」で朝食をすることになった。Zは米粉(ビーフン)6RMBを注文。ツルツルと面を口の中に運び込んでいく。私は朝食抜き。何時間かかるかわからないのでは、(いくら何でも3時間では着かないだろう・・・)、トイレが心配で食事ができない。豪華大型バスであればトイレ付の可能性もあるが、使えないようになっているケースも多いし、バスの中でのトイレはやはり気が引ける。Zがあまりうまそうに食っているので、じっと眺めていると、「○○(私の名前)も食べたら?ヨダレが出ているわよ」とZが突っ込んできた。(んなわけねぇーだろ!)。まぁ、スナック類はたくさん買ってあるから、様子を見ながらバスで食べればいいさ。

  食事を終えてバス・ステーションに戻る。時間がだいぶ遅くなったせいか、客も多くなってきた。皆、大きな荷物を抱えている。きっと田舎に帰るのだろう。中には、20インチテレビやタンス、鏡台まで持ってきている客もいる。日本では、なかなか見られない光景だ。デジカメにとって皆さんにお見せしたかったが、パチリとやった途端に襲い掛かってこられたら嫌なのでやめておいた。トランクルームに入れて運ぶのだろうが、ものすごい量だ。別料金はとられないのだろうか。

 9:20、時間になってもバスが来ない。中型のオンボロバスがバス・ステーションに近寄ってくるたびに、(も、もしや、これか!!)とドキドキする。まことに心臓に悪い。

 9:30、ようやく「韶関市」行きのバスがやってきた。前面のガラスの上部に「韶関⇔龍崗」と書かれている。なるほど、「龍崗」から来ているのか。直通といっても、この街が始発ではないわけだ。幸いバスは、新品の豪華大型バス。真っ黄色なのが妙だが、この際カラーは関係ない。すっ飛んで行って、乗り込む。
 ところが、バスはほとんど満席状態。一応、チケットに座席番号が書いてあるが、このケースでは役に立たないことだろう。これが広州のバス・ステーションであればチケットの番号を相手に見せればしぶしぶながらでも他の座席に移って行くのだが、ここでそれをやっても、空いている席に座れよと言われるのがオチだ。そもそも、「龍崗」からここまで何駅停まって来たかわからないが、きちんと座席番号に基づいてチケットが発行されたかどうか怪しいものだ。
 二人並んで座れる場所はどこにもなさそうに見えたが、なぜか、通路の右側の一列目と二列目だけが空いていたので、二列目を選んで腰をおろした。「そこはダメだ。運転手が寝る場所だから」と運転手が言う声が聞こえたが、とりあえず、無視。しかし、しばらくして、運転手がもう一人乗り込んできた。そして、運転席にいる
運転手と入れ替わった。入れ替わった運転手が私たちの席にやってきて、「ここで寝るので席を空けてくれ」と言う。
  つまり、一列目の一番右の席のシートを完全に後ろに倒して寝たいので、並んで座るなということなのだ。やむなく、私たちは離ればなれになり、私が一列目に、Zが二列目に座ることになった。
 (なんで、運転手が寝るために、客である私たちがどかなきゃならないんだ)とも思うが、考えようによっては運転手は、船で言えば船長に当たる。船では船長の言うことは絶対だ。でも、ちょっと違うよなー、と思考の迷路に入り込んでしまった私であった。これが、友人のKくんであれば、「ふざけるな」とばかりに一歩も動かないことだろう。しかし、私がそれをやったら、到着まで気を張っていなければならなくなるから、疲れるだけでメリットがない。強気なKくんが非常にうらやましい。

 9:35、バスが出発。隣の運転手は、早々にシートを倒してグーグー寝ている。バスが高速道路に入るのを見てから、私も一眠りすることにする。眠ってしまえば、トイレの心配もいらずにバスが先に進んでいてくれるから、気が楽というものだ。

 11:15、広州エリアを抜けて、「韶関市」へ向かう高速道路に移ったところで、バスがサービスエリアに入った。ここで10分間の休憩。荷物の安全を図るためか、乗客がバスに残ることは許されず、全員下車させられた。まぁ、安全は安全だけれど、やり方がちょっと違うよーな。
 この高速道路そのものが最近できたばかりとあって、サービスエリアも日本と変わらないぐらい綺麗だ。コンビニエンスストアも、レストランも完備していた。トイレも新しく清潔だったので非常に満足。(下の写真が私たちの乗ったバスです)。

【豪華大型バス】

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 11:30、サービスエリア発。ここで運転手交代。さきほどまで運転をしていた男が私の横に座り、寝床作りの準備に入る。シートが目いっぱい後ろに倒されていることを確認した後、「ちょっと狭いなぁ。そこにボタンがあるから、押してくれ」と言う。私がしぶしぶ座席横のボタンを押すと、なんと、座席が左に5cmほど動く。豪華バスならではのオプションか。それが終わると、私がお菓子を入れている袋の中に新聞があるのを見つけ、「それ新聞だろう。とってくれ」と言い出した。(読み終わった新聞だからいいんだけどさー)と思いつつ、新聞をやると、運転手は熱心に読みはじめる。(礼ぐらい言えよ、まったく。やっぱり一言文句を言ってやった方がいいかな。だが、たかが新聞で争うというのも大人げないし・・・)。
 しばらくすると、運転手は、「今日は面白いニュースがないよなー」と言いながら私に新聞を返した。そして、足をできる限り伸ばし、シートの上にゴロリと横になる。私は渡された新聞を再び袋に押し込みながら考えた。(世界は一つ。全ては共有。人類は皆平等。それなら、この運転手が正しいのか)。いや、そんな世界だったら、きっと私はヤラレッパナシになることだろう。今のほうがマシというものだ。

 11:40、清遠市通過。清遠市も行ってみたい都市リストの中に入っているが、今回は旅程が厳しいのでパス。数年以内に行けるといいなぁ。

 11:50、佛網というところで、乗客の一人が下車。そう言えば、この客はサービスエリアを出たばかりのとき、「佛網で下車したい」と運転手に告げていた。そのとき、運転手たちはなぜかわざわざバスを止め、トランクルームからその客の荷物を出させて席のところにおいておくように手配している。乗客も訝しがっていたが、私も疑問に思っていた。高速道路の出入り口近くでバスを止めることになるから、トランクルームを開けていたりする余裕がないということだったのか。あるいは、寝ている途中で起こされるのが嫌だったのか。いくらなんでも、前者だよね、そうに違いない。

 13:20、「韶関市」到着。下車すると、まず深センまでの戻りのバスを確認する。そんなに多くはないが、一時間に一本ぐらいは出ているようだ。ほとんど私たちが住んでいる鎮を経由するようなので、帰りの時刻はあまり考えなくていい。まず、地図(5RMB)を買って現在位置を確認。Zが「今日はどこに泊まるの?」と何度も聞いてきた。「まだ決めていない。インターネットでいくつかピックアップしてあるから安心しろ。今日は時間があるから、まず歩いて探して、それでいいのが見つからなかったらインターネットで探してあるホテルにしよう」。そう説明したのだが、地図を見ている間、繰り返し「どこに泊まるの?」と聞いてくる。なるほど、ホテル探しにむやみに歩くのが嫌なのだ。今回は荷物も少ないし、街歩きも楽しいと思うのだが、Zには理解できない感覚なのだろう。まぁ、私にとっては中国のどこでも外国だが、Zにとっては自国の見慣れた街並だから仕方がないか。そこで、とうとう「わかった。とりあえず、この『韶華ホテル』のところまで歩いて行こう。途中でいいホテルが見つかったら、そこに泊まり。見つからなかったら、『韶華ホテル』。これでいいか?」と妥協案を出した。Zはうん、うんと嬉しそうに縦に首を振る。

【韶関駅】

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 そうだ。ついでに、明日の目的地である「丹霞山」行きのバスも確認しておこう。Zに頼んで、チケット売り場で聞いてもらうと、「ここでは売ってないんだって・・・」と肩を落として戻ってきた。「どうしたんだ?」と尋ねると、「聞いても全然答えてくれないのよ」と元気がない。相当冷たくあしらわれたらしい。
  「それなら奥の方で聞いてみようよ」。連れ立って、改札の方へ向かうことにした。通路を抜けて乗客たちが集っている大きな部屋に入ると、ちょうど、入り口の脇に小さな販売店があったので尋ねてみる。すると、「駅の向こう側にあるわよ。○△・×・・・」と丁寧に教えてくれた。歩いて行けそうだ。
 さっそく、バス・ステーションを出て、そちらへ向かう。駅の前を抜けたところで、ちょうど「丹霞山」行きのバスがこちらへ出てくるのが見えた。「あっちよ」とZが元気よく歩き出す。Zの歩く方向について行くと、小さなバス・ステーションがあるのが見えた。中に入って行くと、右手のカウンターに「丹霞山」の文字が見えた。出発時刻を確認すると、早朝6時頃から15分おきに出ているようだ。料金は12RMB。ガイドブックによると1時間弱で着くらしいから、ちょうどそんなものだろう。

 あとはホテルを確保するだけだ。第一目標である「韶華ホテル」があるのは、「湞江」という川を渡った向こう側である。韶関市の中心は大きく三つの区、つまり、「武江区」、「北江区」、「湞江区」に分かれている。列車の駅とバス・ステーションがあるのが「湞江区」、ホテルや商店街が集中しているのが中央にある「北江区」、「「武江区」には今回足を踏み入れる機会がなかったのでよくわからないが、工業地帯なのではないかと推測される。

 「北江区」は「湞江」と「武江」の二つの川に挟まれていて、縦に細長い。そこを横切るようにして走っているのが「解放路」でホテル街になっていて、「韶華ホテル」が位置するのは駅側からみて一番奥のほうである。地図に縮尺等が記されていないので距離がはっきりわからないが、そんなに遠そうには見えない。とにかく歩いて橋を渡ってみるとしよう。 

【湞江】

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 橋を渡っていくと、韶関市の人々とすれちがう。なぜだかみんな隣のZを見る。どうやら、Zの服装が気になるようだ。そう言えば、すれ違う人たちの着ている服はみな驚くほど厚着だ。服で膨れてパンパンになっている人が多い。一方、Zの服は普段よりも少し多めに服を着ているとはいえ、深セン生活用の服装。確かにかなり目立つ。「今日はそんなに寒くないのに、何でここの人たちはあんなに厚着をしているんだろうね」とZが首をかしげる。「うーん。よくわからないけど、地元の人たちがああいう格好しているんだから、理由があるんだよ。朝夕の気温の変化が激しいんじゃないか?」と推測を口にしてみるが、はっきりしたことはわからなかった。 

【曲江大橋】

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 通り過ぎる人々の表情をみると、皆とても明るい。高速道路が通ったことにより、韶関市の発展が加速されることは、当分の間間違いない。そんな経済面の明るさが人々に明るさをもたらしているのだろうか。

  解放路へ突入。広東省の一番上の端に位置する都市なので、商業地区へ入っても、オフィスビルがずらり・・・、ということはない。深セン特区外にある、私が住んでいる鎮よりも発展が遅れている感じがする。ただ、私の街のような荒んだ雰囲気はない。昔楽しんだシムシティのゲームで、発展を加速させると治安が追いつかず街が荒れがちだったが、それが今の深セン特別区外だ。それに比べると、「韶関市」は長らく停滞状況に入っていた地方都市が、高速道路の開通によって穏やかな上昇を迎えたという様子で極めて健康的だ。

 なかなか良い街だ。こんなところに住むのも悪くないなと思ってみていると、大きな携帯電話販売店の前で3人でキャンペーンをやっているのが目に入った。そのうち二人は恋人同士らしく、女性のほうが男性に肩をもたせかけている。男性の手も女性の肩の上だ。「おいおい、仕事中にあれはやり過ぎだろう」とZに言うと、「中国では当たり前なのよ」とあっさり言われた。(いやいや、いくらなんでもやり過ぎだろう)と思ったが、きっと『客がきたときに一生懸命やっているからいいだろう』という固い信念が根底にあるに違いない。『そんなことはない』と言おうものなら、『寒空の下、外でキャンペーンをやってるんだ。こっちだって大変なんだぞ』とものすごい勢いで反論してくることだろう。ある意味、中国はやっぱりすごい。でも、そんな彼らの信念を覆して、先進国風に教育し直してしまう企業もいるのだから、それもまたスゴイ話だ。しかし、なにしろ13億の民だ。一人を教育できたとしても、その一人が次の一人を教育できるとは限らない。果たして最後に勝つのは誰か?

【解放路<1>】

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  「解放路」をずっと歩いていく。何軒かホテルをみかけたが、建築中のヨーロッパ風ホテルを除いては、そんなに高そうなホテルはない。結局、適当なホテルが見つからず、「韶華ホテル」まできてしまった。インターネットで見つけておいたホテルなので面白みにはかけるが、仕方がない。ここに泊まろう。そう決めて部屋の値段を尋ねると、「ツインルームは空いていません。今日はスイートルームしか残っていないので、480RMBになります」と答えが返ってきた。ご、500RMB近くもするのか、ちょっと高いなぁ。とりやめー。

 歩いてきた道を再び戻り、第二候補として目をつけていたホテルに向かう。外観はまぁまぁだったのだが、星なしホテルだったので、パスしてきたのだ。10分ほど歩いて、たどり着き、料金を聞いてみると「120RMB」。今度はずいぶんと安い。部屋の下見をした限りでは、決して悪くない。だが、他の階でリフォーム工事をやっているのが気になる。リフォーム工事では、いい思い出と悪い思い出がある。アモイでは、リフォーム工事のおかげで四つ星ホテルに格安で泊まれて得をした。一方、広東省湛江では、工事の音でうるさくてホテル変更をするはめになった。さて、今度はどちらだ。いろいろ考えたあげく、結局、ここも取りやめることにした。一人ならともかく、Zもいる。どちらかが不愉快になっただけで、旅はだいなしだ。安全と快適さをとった方がいい。はやくシャワーを浴びたいZは、ここに決めてしまいたそうだったが、押し切って、ホテルの外へ出る。

【解放路<2>】

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  「じゃー、どこにするのー?」と若干責め立てる口調になったZ。もうホテル探しで歩くのは嫌よ、といった調子だ。(ホテル探しも旅の一部なんだがなぁー。まぁ、言っても無駄か。いつかわかってくれると良いのだが、何しろ、Zにとっては国内だから仕方ないよなぁ)と考えつつ、「『小島ホテル(飯店)』にしよう」と伝えた。「小島ホテル(飯店)」は「韶華ホテル」と同様、インターネットで調べておいたホテルだ。「北江区」の中心から少し離れているので、第二滑り止めにしておいたのだが、Zの表情を見る限り、もはや残された時間はあまりない。「どこなのよ、そこ?」とすでに不満げだ。歩かされてはたまらないと思ったのだろう。「タクシーで行くから。インターネットで見つけておいたんだよ」と、とりあえず黙らせておいて、タクシーをつかまえる。

 タクシーに乗車すると、続けてZの質問。「どこに行くのよ?」。いったん文句を言い始めると、とまらないのだ。心配なのかもしれない。「だから、インターネットで見つけておいたんだよ」。内モンゴルへ旅行に行ったときにも、説明してあったし、印刷して出したホテル一覧表を見せたこともあったのに、どうも理解してもらえないようだ。まだ、何かいいたそうだったので、「すぐ着くから、心配するな」と少々きつく言って、再び黙らせる。

 ホテル到着。これで決まりね!と嬉しそうな表情のZに対して、「部屋の下見をして、良くなかったら、別のホテルに行くからな」と釘を指しておく。「わかってるわよ」とお決まりの答えが返ってくるが、(もう100パーセント決まりでしょ)と考えていることは間違いない。

 幸い、部屋もまともで、料金も270RMBとリーズナブルだったので、このホテルに泊まることになった。Zとポーターの間の会話を聞いていると、日曜日は一泊200RMBになるという話が聞こえたので、「日曜日が200RMB?じゃあ、月曜日はいくらになるんだ?」とZに聞いてみる。Zは再びポーターと会話を始める。ポーターとZの間の会話は、普通語ではなく、広東語で話されるので詳しい内容はわからない。聞き取れる単語で、残りを推測していくしかないのだ。

 部屋に入って、ポーターも去ったところで、同じ質問をにぶつけてみると、「月曜日も、火曜日も200RMBだそうよ」と回答が返ってきた。「日曜日と月曜日が同じ?そりゃずいぶん変わってるな・・・」と私が言いかけると、「違うのよ。二日連続で泊まると、二日目以降が200RMBになるのよ」と説明を付け加えた。なるほどねぇー。広東省の観光地となると、一泊で十分という場合が多いし、他にも温泉地のホテルとかがあるから連泊の客を獲得する競争は厳しい。一応三ツ星だし、あまり値引きをするとホテルの格が落ちてしまうからそれを避けるための苦肉の策というわけだ。

 考えていれば、旅を始めたばかりの頃は、よくホテル代を値切っていたが、最近はあまりやらなくなった。一つに、中国語がそれなりにしゃべれるようになったから、ホテル側が最初から割引価格を提示してくるようになったためである。でも、一番大きいのは、やはり予算に余裕が出てきたため、料金よりも部屋の住み心地が優先されるようになってきたからだろう。そういう意味では、今の旅は以前の旅よりもつまらない旅になってきているのかもしれない。まぁ、その時々の状況に合わせて、楽しみを見出すしかないわけだが、ちょっぴり寂しい気もする。

  比較的快適なバスだったとは言え、4時間もの乗車は疲れた。軽くお湯を浴びて私は一眠り。一方、Zはテレビに釘付け、どうやら面白いドラマを見つけたらしい。さっきまで、疲れた、疲れたと言っていた癖に、現金な奴だ。

 夕方4:00、元気になったところで、出発。まずは、韶関市の商業の中心である「風度南路」へタクシーで向かう。基本料金の4RMBであちこちに行けるので、大変便利だ。4RMBって言ったら、深センではバイタクに乗るのも一苦労だ。物価の違いは大きい。

 「風度南路」へは、さきほどホテル探しで歩いた「解放路」と交差する場所から入った。歩行者天国となっていて、自動車が入れないこの道は両脇に商店街を構えた韶関市最大の商店街である。と大きく出たが、建物にはあまり新しいものはなく、どちらかというと、ずっと停滞気味であった商店街が、高速道路の開通に伴って急に活気を取り戻したという感じだ。

【風度南路<1>】

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 少し古ぼけた商店街を進んでいくと、オープンテラスのあるレストランや若者向け小物店などの少しオシャレなお店も時々現れてきた。と、同時に看板を体の前に掲げて、サンドイッチマンをやっている少女たちが大勢いるのに気づいた。中には、恥ずかしがって、看板で顔を覆っている女の子もいる。そんな風にしていたほうが、かえって目立つのだが、当人たちは必死なのだろう。ちょっと可哀想な気もする。

【風度南路<2>】

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 クリスマスが近くとあって、真っ赤な帽子を並べたお店が大人気。客の出入りが止らない。看板にQQと書いてある。中国でQQというと、チャットソフトの名前として有名だが、若者の流行という意味合いでもあちこちで使われている。QQの由来って何なんだろうなって考えていると、Zが横で「ショクジ(食事)、シマショウ。ショクジ(食事)、シマショウ」と呪文のような日本語をしゃべりはじめた。おおっ、食事モードが始まったか、一旦こうなると、何かを口に放り込んでやらないととまらない。「もうちょっと歩いてから・・・」となだめて見るが、全く効果なし。「ゴハン、ゴハン、ゴハン」とさらにパワーアップ。ああ、俺は一体どうしたら、周囲を見回すと、天の助け。小さな屋台村があるのを発見。「あそこにいってみよう!」とZの関心をそちらに向ける。俺は猛獣使いか?

 屋台村は、おでん屋と数件と串焼き屋が数軒あるのみの小さなものであったが、一つ一つの串ものがきれいに並べてあって感じがいい。「ここで食べるの」とZが嬉しそうに尋ねる。「そっ、そうだね」と勢いに圧倒されて私が答える。もはや別の選択肢は存在しないようだ。それに、ここで小腹を満たさせておけば、しばらくは大人しくなることだろう。
 うきうきとした様子でおでんを選び始めたZを横に、おでんの漬かっているスープに目をやる。うん、透き通ったスープだ。これなら、ゴミでいっぱいということもないだろう。私もウズラの卵の串を注文する。実は、中国に来たばかりの頃、ごった煮おでんで豚の耳を食べて腹を壊し、ひどく苦しんだことがあり、おでんはなんとなく苦手なのだ。だいたい、路上で蓋もせずにおいてあるのだ。スープの中がほこりだらけだとしても全く不思議ではない。でも、ここのおでんは(とりあえず)大丈夫そうだ。(衛生的だよ、衛生的)と自分に語りかけながら、Zとともに席につく。

  「おいしーね」とZがご機嫌で話し掛けてくる。うん、味がいいのは確かだ。それよりも、きみが満足してくれたことのほうが重要だ。Zが瞬く間に串を二本平らげ、もっと食べようよという顔をするが、これは無言で却下。ここでお腹いっぱいまで食べられてしまっては、夕食の楽しみがなくなってしまう。さっさと席を離れて立ち上がるが、Zは去り際に、もう一本注文して、歩きながら食べ出す。打つ手なし。一刻も早くここ離れなければ・・・。

 道なりに歩いていくと、「電加熱水袋」と看板を掲げた露店が開かれているのが目に入った。テーブルの上に、小さなクッションのようなものがたくさん広げられている。「あれ何?」とZに尋ねると、「熱水袋よ」とそっけない答えが返ってきた。答えになってないだろ。うーん、ちょっと見てこよう。そばに近づこうとすると、Zが手を引っ張って私を引きとどめようとする。「どこにでもあるわよ。あれは」。「本当か?少なくとも、俺はみたことないぞ」。手を振り切って、テーブルに近づく。商品を手に取ってみると、ずっしりとした感じだ。冷蔵庫に入れて使う液体式の熱さましに似た感触だ。中央にコンセントを取り付ける場所があって、そこから電気がクッションに伝わり、熱する仕組みになっているようだ。ある程度熱を帯びたところでコンセントを抜き、冷えるまで懐や布団の中に入れておくという使い方をするみたいだ。一言で言えば、電熱ホッカイロというところだ。実に面白い。多分、もっと北方の寒いところでは、大量に普及しているのだろうが、広東省は暖かいので、これまで見かけなかったのだろう。買って帰りたかったが、荷物になるのでやめた。

 「風度南路」、「風度中路」を抜けると、人通りが少なくなり寂しげ雰囲気だ。ここで交差している「風采路」へ曲がって、まっすぐ行くと、古代風の立派な門である「風采楼」に到着。「韶関市」の地図にも掲載されている名所の一つだ。地図の解説を読むと、最初に造られたのは西暦1497年、再建されたのが、1934年という恐ろしく長い歴史をもつ門である。門の上に書かれている文字は、明時代の書道家「陳白沙(陳献章)」の手によるもので非常に稀少なものらしい。

【風采楼】

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 ここからタクシーに乗って向かうのは、「美食節」が開催されている場所。バスが「韶関市」に入った後、周囲を眺め回していたところ、道路脇の広場でにぎやかな催しをやっているのに気がつき目をつけていたのだ。10分ほどタクシーを飛ばして、到着(5RMB)。

 広場に足を踏み入れてみると、すごい数の屋台が並んでいる。どうやら、中国全土の現地屋台が集まっているという触れ込みらしい。垂れ幕を見ると、第二回目の開催とある(17:00)。

【美食節<1>】

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 ぐるりと回ってみると、同じものを売っている屋台も多く、中国全土の屋台というにはほど遠い。まだ、第二回目ということだから、今後の発展に期待したいところだ。さあ、何を食べようかとZに問い掛けたところ、「アレ、アレ」と屋台の一つを指さす。見ると、紙で包んだ鶏を売っている。うーん、確かに美味そうだ。OKを出すと、Zがお店に向かう。その間私は席とり。
 両脇に広がっている屋台の真中にずらりと膝の高さほどのテーブルが出ており、そこで大勢の客があちこちの屋台で買い入れてきたものをむしゃむしゃと食べている。幸い、空いているテーブルがあり、「げっと!」と心の中で叫んだが、そこには椅子が一つしかなかった。みんな子供連れできているから、椅子の数が全然足りないのだ。右隣の家族のテーブルに空いている椅子があったので、「これ使っていいか?」と手を伸ばすと、「だめ!人がいるのよ」とおっかない顔をしたオバサンに睨まれた。
 そんなにすごい顔をしなくてもいいだろー、と引き下がり次は、左隣のテーブルに挑戦。再び、「これいいか?」と尋ねると、母親らしき女性が箸を振り回しながら、「だめよ!」と断ってきた。それでも手を伸ばそうものなら、箸で私を突き刺しかねない勢いだ。
 うーん、これは困った。椅子一つ手に入れられないとは、中国における生活能力を疑われかねない。Zが戻ってくる前に何とかしなければ・・・、と慌てたが間に合わず、「買ってきたよー」とZの元気な声が聞こえてきた。やむなく、「椅子が足りないんだけど・・・」と説明すると、「私が取ってくる!」と探しに出かけようとした。すると、「ここにあるよ!」と言って、屋台のスタッフの一人が自分たち用の椅子を持ってきてくれた。私たちが困っているのを見かねたようだ。
 これで一安心。ちょっと余裕が出たので、さきほどから目をつけていた牡蠣の網焼きのところへいってみる。4個で10RMBとずいぶん安い。さっそく買って、席へ戻る。

【美食節<2>】

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【美食節<3>】

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 Zは「あんまり美味しくないわー」などと言いながら食べていたが、半分残してしまった。私も一口食べてみたが、それほど美味しいものではない。でも、私が買ってきた牡蠣は美味しい。4個のはずだが、なんだか10個ぐらいあるようだ。一つの牡蠣をいくつかに分けてあるのだろうか。美味しいけれど、考えてみれば、ここは海辺の街ではなく、山地だ。深センか珠海周辺の海から取ってきたのだろうが、新鮮度は大丈夫なのかなー、とかなり不安になってきた。いや、火を通してあるんだから大丈夫さ、と自分を慰める。美味いからいいよね。

【美食節<4>】

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【美食節<5>】

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 二人とも満腹したところで、広場の外へ向かう。途中、お米に文章を書いて、コビンに詰めて売るという露店が一軒あった。売られているのをみたことはあるけれど、実演販売をみたのは初めてだ。買おうかなー、と考えていると、Zが「こんなのはどこにでもあるから・・・」と私の手を強く引っ張る。(そうかなー、俺は見た記憶がないんだけど・・・)と思ったが、面倒くさくなったので、購入をあきらめた。今思うと、ちょっと惜しい。

  お腹も満足したので、再びタクシーに乗って解放路まで戻る。解放路とさきほど歩いた風度南路が交差するところで下車。今度は風度南路にではなく、対面の路へ進入していく。さきほど風度南路へ向かっていくとき、反対側にもなんだか人が集まっている場所があるぞと気になっていたのだ。十数メートルほど歩くと、それが何かわかった。「中山公園」である。「中山公園」は中国革命の父と呼ばれた孫中山を記念した公園であり、中国各地に無数の「中山公園」がある。従って、観光客にとっては興味深いものではない。私が身を翻そうとすると、Zが「せっかく来たんだから、入場料が無料だったら入ってみようよ」と誘う。それもそうかと公園に入場すると、なんと無料。中国では、無料の公園はけっこう珍しい。(乞食やゴロツキが住み着くのを防ぐためにも有料制は有効なのだそうだ)。「日本じゃ、公園は普通無料なんだぞ」と言うと、「そんなわけないでしょー」とZが言い返してくる。「いや、ホントにね・・・」。まぁ、ここで証明しようとしても無理だな。
 無料だったのはいいが、花壇があるだけのありきたりの公園。展示場とかもないようなので、入り口周辺を少しだけうろうろして、外へ出た。

 すっかり暗くなって来たし、他に行くところもないので、再び「風度南路」へ入る。ここで、どーもお腹が心配になってきた。さっきの牡蠣は大丈夫だろうか。牡蠣であたると苦しいというからなー。若い頃働いていた会社の先輩が牡蠣を絶対食べない人で、「あたったことあるんですか?」と尋ねると、「俺は当たったことないんだけどね。俺の奥さんがやられてねぇ。すっごい苦しみ方をしていたから、それ以来食べられないよ」と言っていた。それを聞いてから、牡蠣であたるとすっごく苦しい!というイメージが頭から離れず、牡蠣を口にするたびに不安になる。だからと言って食べるのをやめるわけではないが・・・(何しろ私はあたったことがない)。そんなわけで、予防のために下痢薬を手に入れることにした。やっぱり屋台の牡蠣はちょっと危ない。
 
 薬屋っていうのは探そうとするとない・・・、と思いきや、あった、あった。助かった、助かった。店内に入って、最初に目の合った店員に「下痢止めください」と告げる。店員は、後ろの棚を見ながら、これでどう?と「正露丸」を指差した。駄目、駄目、と私は手を振る。すると、隣の整腸剤を指差す。違う、違う、今度は首を振って拒否をする。店員は両手を広げて、わからないわ、と仕草で示した。
 「下痢止め」をくれと言っているのに、なんで正露丸や整腸剤なんだ。中国で下痢止めっていったら、アレでしょ、アレ。「ホラ、もっと普通のやつ、安いやつ」と伝えてみるが、店員はますますわからないといった様子だ。
 みかねたZがとうとう助け舟をだしてくれた。「○×▲でしょ」。そうそう、そんな名前だった。店員もすぐにわかったようだが、やるきなさそうに、その薬を取り出してテーブルの上に置いた。なにしろ、安い薬だから、力が入らないのだろう。
 黙って手にとろうとすると、おやっ?包装が違う。「これはちょっと形が違うなー」と私が言うと、店員は「今はこういう形になったのよ」と断言する。うーん、しかし、やたら簡素化されたな、前のは長方形でカラーもついた包装だったのに、これは小さな筒型だ。しかも、色なし。これは偽物じゃないのか。私が首をかしげていると、Zが「今は包装が変わったんだって!」と店員と同じことを言う。それでも、私が考え込んでいるのをみて、「○○!(私の名前)」を呼びながら私の肘をゆすり始めた。これでは、私がだだっこのようだ。
 でも、中国には偽薬が存在する。命取りになるようなものは、規制によってだいぶ減ったようだが、身の回りに確かに存在するのだ。私自身、筋肉痛の塗り薬で偽物を買ってしまったことがある。包装となっている紙の箱は、本物とまったく同じ。実際に薬の入っているビンの形も同じ。ただ、ビンに彫りこまれている文字だけが少しいい加減という代物だ。中身は、普段よく使っている人間なら、匂いだけでおかしいと感じるものであった。新聞等で偽薬の存在は知っていたが、まさか身近に存在するものだとは思っていなかったので、改めて別の薬屋で本物を買ってきてじっくり比較してしまったほどだ。こちらは、素人がおもいつきで商売を始めることが多いから、偽薬の業者が蔓延りやすいのだろうと思う。(偽薬を売っていた薬屋はすでに潰れている)。

 そんな私の思いを無視して、Zが肘をゆすり続ける。Zだって、少なくともテレビを通じて偽薬の存在を知っているだろうに、私の心配が理解できないのだ。人間の生活とは、社会への信頼に基づいて成り立っているのだなあー、とつくづく感心する。でも、もっと新聞を読ませることにしよう・・・。

 これ以上、ここで考えても始まらないと判断し、そのちょっと怪しげな下痢止め薬と購入。店先で口の中に放り込んだ。偽ブランドでも、効果は本物ということもあるだろうし、まぁ、大丈夫だろう。こんな安い薬(10個で2RMB)で、偽薬を作ってもコストが合わないじゃないか、と自らを慰める。そもそも、あんまり心配性な奴は中国生活に向いていないのだ。・・・やっていることは、Zと変わらない私であった。

 不安で足の動きが鈍った私をZが引っ張る。「行きましょうよ」。うん、そうだね、行こう、行こう。と、前方に目をやると、数軒先に綺麗なパン屋があるのが目に入った。店先にガラスの棚が置かれてあり、おいしそうなケーキが並べてある。歩み寄ってのぞいてみると、テラミスらしきものがある。なんだかむしょうにこのテラミスが食べたくなった。今日は危ないものをいっぱい口にしたし、もしかしたら、今日が私の人生最後の一日かもしれない。それなら、美味しいケーキを食べとくのも悪くない。多分、そんな風に思ったのだろう。「ケーキを買って帰ろう」とZに呼びかけた。

  「うん、うん」と大乗り気のZ。さっそくケーキを選び始める。Zが一つ、私が二つ買った。でも、二つとも形が違うだけで、材料は同じような気がするなー。まぁ、いいや。

 ケーキを手にして、外に出る。明日は山登りだし、そろそろ帰ろうかと思ったとき、ふと昼間口にした海老シューマイを思い出した。おでんを食べたあとに、ぶらぶら歩いていると、店先でセイロに入ったシューマイが売っていたので、ひと籠分(3個入り)買って食べてみたのだ。お腹が空いていたこともあって実にうまかった。ここから近くだし、もう一回食べよう。そう思って、そのお店に向かった。

 ちょっとだけ食べるつもりで、Zの分も合わせて、セイロ三つ分を買った。量が多いので、お店の中で食べることにし、セイロを席まで持ってきてもらう。あれっ?Zがいないぞ。振り返ると、Zがお店のカウンターのところで何か選んでいる。何かおいしいものを見つけたのか?

 戻ってきたZが手にしていたのは、ナスの炒め物定食。(おいおい、ここで定食を食うのかよ。さっき腹いっぱい食ったばかりだろう)。そう思ったが手遅れ。まぁ、機嫌よくしていてくれればそれでいいか。でも、このセイロ三つ分、どうしてくれるのだ。「○○(私の名前)は、そんなに食べられるの?」と無邪気にZが質問をしてくる。「なんとか食べるよ」と答えておく。口にしてみると、昼間はずいぶん美味しく感じたのに、今は脂っこいだけ。でも、我慢して全部食べた。我ながらすごい胃袋だ。Zは半分残してリタイア。

【まだ食べる?】

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 7:00、ホテルに戻って、休憩。Zはテレビ漬け。本当にテレビが好きだな-。私は持って帰ったケーキを食べてみる。うーん、まずい。しかも、形が違うだけで、同じ味だ。これは失敗だ。とにかく、今日はもう寝よう。

2004年12月19日
 6:00、朝だ。Zが飛び起きて、出発の準備を始める。昨日の朝といい、旅行が始まってからのZは動きがいい。Zに言わせると、「旅行のときが一番楽しい」のだそうだ。確かに、普段は週に3回の日本語学校と買い物に出かける以外は外に出る機会がない。そうそう気分転換できるときもないのだろう。

 一泊延長の保証金として200RMBを払ってから、ホテルを出る。ひどく寒い。タクシーに乗って、駅横のバス・ステーションへ向かった。駅までは5RMB。昨晩、雨が降ったのだろう。道路が濡れている。

  バスは6:50発。けっこうきれいな中型バスだ。バスはほぼ満員。観光客ではないようだ。仕事に郊外へ出かけるというのも不思議な構図だ。皆「丹霞山」で観光客相手の仕事をしているのだろうか。

  バスが動き出すと、Zがリュックサックからりんごを取り出し、美味しそうにムシャムシャとやりだす。こんなに寒いのに、よく果物を食えるなと感心する。「○○も食べる?」と尋ねるZに、慌てて首を横に振った。「いらない」と答えると、「おいしーのよ」とニコニコする。この笑顔をみれるだけでも、旅行に連れてきたかいがあったというものだ。

 道が悪いので、バスはガタゴト、ガタゴトと揺れっぱなし。靄がかかっていて前方がみえないので、少し怖い。

 7:45、「丹霞山」到着。乗客たちは、下車するとすぐに周囲へと散っていった。「丹霞山」の門へ向かったのは、私たち以外は中国人のひとグループのみ。「丹霞山」への入場料は70RMB/人+保険代3RM/人B、それと地図が1RMBで購入できる。

追記(2005年6月7日):本日の新聞によると、2005年6月1日より入場料が改定され、これまで休日70RMB、平日65RMBであった入場料が、休日120RMB、平日100RMBとなったそうだ。

 門を抜けて中に入ると、「丹霞山」のふもとまで行く無料バスがあった。ここがふもとではないのかと地図を見ると、どうやら、この門は丹霞山観光地区全体の門であって「丹霞山」のふもとではないらしい。さきに入場した中国人グループはどこへ行ったのだろうと周囲を見回してみたが、すでにいない。歩いて上っていったのだろうか?

 無料バスを覗いてみるが、運転手がいない。しばらく待っても現れないので、Zがしびれを切らして入場口へ戻っていく。「バスはいつ出発するの?運転手がいないんだけれど・・・」とチケット売りのおばさんに文句をいう。すると、「すぐそこに部屋があるでしょ。そこに運転手が二人いるはずよ」と答えが返ってきた。

 確かに部屋が二つある。だが、一つは窓から中が見えて、誰もいないことがわかっている。そうなると、もう一つだ。しかし、締め切っているドアをこんな朝にノックするのは勇気がいるものだ・・・と思っていると、Zがドアを思いっきり、ドンドンとたたき始めた。「ちょっと待て。すぐ出るから」の声がしてしばらくすると、小さなアルミのボールにインスタントラーメンを入れて箸ですすりながら、中年の男が出てきた。「バスは誰が運転するの?私たちずっと待っているのよ」とZが訴えると、「わかった、わかった。今は食事をしているから・・・」と言って、再び中へ入ってドアを閉めてしまった。

 しばらく外で待っていると、ようやく男が出てきた。「行くのか?」と尋ねると、「いや、ちょっと下に用があるから・・・」と門の方へ向かっていった。「私たち、どうしたらいいんだろーね」とうめくZ。さらに待っていると、ようやく男が戻ってきた。今度は車のキーを手にしている。ようやく出発か。顔が明るくなる私たちであった。しかし、私たちを目した運転手は「俺は車の整備をしに外に行かなきゃならないから」とにべない言葉をよこした。そして、バスに乗って、外へ出て行ってしまった。

 「頭にくるわねぇー」と怒りまくりのZ。「歩いて行こうか」と私が声をかける。「冗談でしょ。ここからどれだけあると思っているの?」とプリプリして言う。(いや、どれだけあるかキミもわからないだろ)と思ったが、火に油をそそぐ結果となりそうなので口に出すのはやめておいた。それに、実際、かなりの距離がありそうだ。

 「わたし、もう一回聞いてくる!」と言い放つとZはスタスタと門の方へ向かって行った。だが、しばらくして、両肩をおとしてがっかりした様子で戻ってきた。「もうすぐバスが来るから待っててだってー」。

 さらに、10分ほどして、やってきたのはバイタク。「乗れよ。いつまで待ったってバスなんか来やしないぞ」といやに積極的だ。私が「乗ろうか?」とZに声をかけると、「絶対にいや!もうすぐバスが来るわ」と激しく拒絶された。普段は平気で乗っているのにどうしたわけだろう。バイタクがあきらめて去ったあと、改めて尋ねてみると、「こんなに寒いし、それにすごい坂じゃない。危なくてしかたがないわ」と説明してくれた。私たちが住んでいる街で乗るのも、危険度ではそんなに変わらないと思うが、Zと私では微妙に感覚違うようだ。

 バイタクが去ってすぐに、大型バスがこっちに向かってくるのが見えた。Zは「来たわ、来たわ。来るっていったじゃない」と大喜びだ。門のところまで小走りに出て行って、チケット売りのおばさんに「あれでしょ。あれ」と確認をする。「そうよ。あれに乗ればいいわ」と答えをもらうと、「○○(私の名前)、あれだって、よかったわね。バイタクになんか乗らなくて。さあ、いきましょう」と待ちきれない様子でバスの来る方向に向かった。

  やってきた大型バスはすでに満員で席は一つも空いていなかった。乗客は観光客ではなく、「丹霞山」観光地区の中で働く従業員のようである。通路に立って出発を待っていると、(バス内の)チケット売りのおばさんがやってきて、チケットを見せろと言ってきた。「丹霞山」の入場チケットをみせると、しばらくジロジロと眺めたのし、軽くうなずいて去っていった。観光客が乗ることに慣れているようだ。無料バスの運転手によるサボリは公認ということか。田舎では、まだまだ、運転手の立場が強い。

 8:20、バス発。5分ほどで着くのかと思いきや、バスはどんどんと奥へ入っていき、8:35、ようやく「丹霞山」のふもとに到着。下車することになった。「ほら、すごく遠いでしょ。歩いていたりしたら、大変だったわよ」とZが得意げにしゃべる。「わかった、わかった」と素直に認めておく。

【丹霞山<1>】

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 登り口のところに改札があり、チケットの確認をしている。一旦中に入ると、再び出て戻るということはできないのかもしれない。すぐ横にレストランがあったので、「朝食とってなかったよな。食べていくか?それとも、登って、おりてからにするか?」とZに尋ねと、「当然、食べるわよ」と元気な声が返ってきた。「そうか・・・、山の中にトイレがあるか心配なんだけどな」と私がいうと、「○○(私の名前)は、心配しすぎなのよ。あるに決まってるでしょ」とにべない。(いや、あるかどうかが問題なんじゃなく、必要なときに必要な場所にあるかが問題なんだけどね。それにメチャクチャ汚かったら、使えないじゃん)と思ったが、「わかった、先に食べよう」と同意した。食事の時間についてZと争っても疲れるだけだからだ。登っている間中、お腹が空いた、お腹が空いたと訴えられてはかなわない。

【丹霞山<2>】

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  小汚いレストランかと想像していたが、入ってみると意外にきれいであった。客の入りもよく、朝9:00前にもかかわらず、大きなテーブルがいくつもいっぱいになっていた。私たち二人は、「刀削面」で軽く食事を済ませて、登山開始。改札を抜けて中に入ると、いきなり石の階段が始まる。まだゆるやかだが、どんどんきつくなるんだろうな。以前に江西省の「三清山」に登ったときは、最初の30分でへばってしまったことを思い出した。

【丹霞山<3>】

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 登り出してみると、意外にきつくなく、これなら無事に頂上までたどり着けそうな気がしてきた。考えてみれば、「三清山」のときは、野性味溢れるPが一緒だった。登っていくペースが全然違ったのかもしれない。

【丹霞山<4>】

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 目指すは、丹霞山で一番高い場所にあると思われる「長老峰」に設置されている「観日亭」。ここに向かってひたすら進む。実は、丹霞山には枝分かれしている道が幾つか出ていて、「観日亭」方面以外にも見所がたくさんある。枝分かれする個所には詳しい地図があって迷うこともなさそうだが、やはり体力が心配。そこで、枝道は無視して「観日亭」へまっすぐ進むことにしたのだ。

【丹霞山<5>】

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   「観日亭」が遠くに見える。本当にあんなところまで登れるのだろうか。最初は楽だった階段も徐々にきつくなってくる。山の高さは、江西省の「廬山」や「三清山」に到底及ばないのだが、階段の傾斜はこの「丹霞山」のほうが厳しい。息を切らしながら、 「観日亭」まであと一歩というところにある「別伝寺」というところに到着。(広東省のお寺の中では、異色の存在らしく、面白い歴史をもっているようだ。だが、中国語の資料しか見つからないので、紹介は後日にさせて頂きます)。
 こんな山奥で修行するなんてなんと大変なことだろうと眺めていると、お坊さんが脇にある小さな門から外へ出てきた。そして、壁際でごそごそとなにやらやっている。なんだろうとじっとみてみると、電話だ、電話をかけている。お寺の壁に公衆電話が取り付けられているのだ。世俗と関係を断つために山奥で修行をしているのではないのか?といささか疑問を抱いたが、病人が出たりすることもあるだろうし、今の時代必要なものなのかもしれない。でも、「母ちゃん、春節には帰るからさぁ」など言っていそうな気がする。そう言えば、中国における仏教って、日本と同じようにいろいろな宗派があるのだろうか。

 そして、最後のひと登り。だが、このひと登りが大変だった。階段の傾斜が恐ろしく急で、転がり落ちたら終わりである。「廬山」や「三清山」でも、こんなに急な傾斜の階段はなかった。傾斜が急なだけではない。石段の形が統一されておらず、一歩一歩踏みしめていかないと危険で仕方がない。雨の日はとても来れない場所だ。階段の両脇にある手すりに寄りかかるようにして上っていく。

 

【丹霞山<6>】

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【丹霞山<7>】

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 「観日亭」到着。靄がかかっていて、遠くの景色があまり見えない。見える景色だけで判断すると、風景としては、残念ながら「廬山」や「三清山」には遠く及ばないようだ。やはり、海抜の高度の差から来るものだろう。「丹霞山」の売りは、山や岩の形ではなく、地質にあるそうだ。たしかに、ここまで来る間に、地層が何重にも積み重なった山肌があちこちに出ていた。でも、地層の魅力って言われてもなー。

【丹霞山<8>】

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 ともあれ、「観日亭」の2階へ上がり冷たい風を浴びる。気持ちいい。Zもさすがに疲れた様子だ。だが、ひと休みして元気が出ると、「靄で、日の出がみれない!」と騒ぎ出した。「もう9:50だから、日の出はないよ」と言うと、ちょっと不満げに口を閉じる。しばらくすると、「写真をとって」とせがむので、パシャリ、パシャリととってやると、「ここは風が冷たくて気持ちがいいね」とご機嫌になった。忙しい奴だ。そして、下りに入る。

【丹霞山<9>】

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 途中、来るときに寄って来なかった「海螺(ホラガイ)岩」を覗いてみる。地層の跡がついた岩がせり出していて、ちょっと不気味。頭を高くあげるとぶつかりそうな感じだ。

【丹霞山<10>】

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 地図では、ここを抜けてグルリと回れそうに描いてあったのだが、まだ工事中らしく、お墓のような場所で行き止まり。お祈りをささげて、もとの分岐点まで戻った。

【丹霞山<11>】

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【丹霞山<12>】

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  再び、恐怖の階段。登るときも大変だったが、下りは一層危険。手すりだけが命綱だ。私も怖かったが、今こそ男の威厳。手すりをググッと握り、さっさと階段を下りる。男の威厳を見せるなら、Zの手助けをしてやれよというご意見の方もおられるだろうが、本当に危ないんですよ、この階段は。だって、下りているとき、背中のリックサックが階段にぶつかって擦れるんですから。「三清山」の「一線天」と呼ばれる階段もここまですごくはなかった。

【丹霞山<13>】

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 続けて、さらに激しい階段。Zはすでに後ろ向き状態。多くの観光客が、下段の手すりにつかまっている下の写真をご覧になると、その傾斜のすごさがわかることでしょう。

【丹霞山<14>】

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 なんとか、「別伝寺」まで無事戻ってきた。Zは「もう怖くないわよ」と胸を張ってみせる。階段を降りるとき、後ろの男性に「あまり強く握ると手すりが壊れるぞ」と言われたのが悔しいらしい。俺に威張ってみせても仕方がないと思うが・・・。
 
 時間がだいぶ経ったため、観光客も多くなった。ここから、奇形岩として有名な「陰元石」を目指して、登りとは別の経路で下る。

【丹霞山<15>】

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【丹霞山<16>】

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【丹霞山<17>】

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【丹霞山<18>】

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 崖にそって地層が走っている。それも、壮大なスケールだ。地層には興味がないが、これだけの大きさだと、歴史の重さに圧倒される。しかし、これだけの下りをまた戻ってこなけれならないのかと思うと少し憂鬱だ。

【丹霞山<19>】

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 幸いにも、下りばかりが続くのではなく、なだらかな登りや下りが繰り返し続くのみ。これなら帰りも安心だ。

【丹霞山<20>】

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【丹霞山<21>】

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 11:00、奇岩「陰元石」に到着。女性の性器の形をしている珍しい岩。ただ、こんなに苦労してくるほどのものかなという気がしないでもない。さあ、戻りだ。

【丹霞山<22>】

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 途中で、やってきた道とは別の道に分岐して、湖へ向かう。

【丹霞山<23>】

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【丹霞山<24>】

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 「翔龍湖」に到着(11:20)。ここから船に乗って、山の入り口まで戻る(10RMB/人)。船はあっと言う間に着いてしまうが、景色がすばらしいのでチケットも惜しくはない。

【丹霞山<25>】

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【丹霞山<26>】

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【丹霞山<27>】

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 岸に到着したところに、お土産屋がある。ここで蜂蜜や地元のお茶が販売されている。Zがお土産を買い終わるのを待ち、出発(11:40)。ここから2,3分歩くと、山の入り口に到着である。

 「丹霞山世界地質公園」には「丹霞山」以外に「陽元山」も含まれている。「陽元山」にある「陽元石」が次の目的地だ。「丹霞山」と「陽元山」はけっこう距離があるので、ここはタクシーを使う(15RMB)。「陽元山」のふもとで下ろしてもらって、再び改札を抜ける(私たちは「丹霞山」と「陽元山」のチケットがセットになっているものを購入したが、別々に買うことも可能である)。

【丹霞山<28>】

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 「陽元山」の入り口から、「陽元石」まではほぼ平坦な道が続く。ここまでであれば、子供連れでもくることができるだろう。さあ、「陽元石」登場。「丹霞山」の「陰元石」が女性の性器の形をしているのに対して、「陽元石」は男性の性器の形だ。もうそっくり、しかも巨大だ。信じられないかもしれないが、全て自然の造形で、人の手は一切加わってないという話だ(インターネットでもそのように紹介されている)。本当だとしたら、なんともすごい話だ。

【丹霞山<29>】

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【丹霞山<30>】

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 「陽元石」の見える場所を抜けると、舗装された道路に出る。ここを奥に入っていくと、次のコースに入る。入り口のすぐそばに、大きな岩。説明を読んでみると、どうやら、山頂から転がり落ちてきた岩らしい。

【丹霞山<31>】

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 この岩を抜けて、路を進む。「陽元石」までの道と違って、こちらは傾斜が厳しい。ぜいぜいと息を切らせながら登っていく。

【丹霞山-陽元山の通泰橋-<32>】

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 通泰橋着。巨大な丸太でできているのかと思ったら、岩だった。おっかなびっくり橋を渡る。

【丹霞山<33>】

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 橋を越えたあとは、しばらくゆるやかな路が続いた。その後、登りと降りを繰り返しながら、徐々に高いところへと導かれていく。路は石とコンクリートで固められているが、細いので歩いていて危なっかしい。ところどころ、真っ赤な落葉で埋まっている場所があり、とても綺麗だ。

【丹霞山<34>】

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【丹霞山<35>】

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 疲れてきたのだろう。登りの路になると不機嫌になるZ。でも、ここまできたからには、最後まで歩き通すしかない。地図を見た限りでは、グルリと山を抜けて反対側に出れるはずだ・・・。

【丹霞山<36>】

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 「この路って行き止まりじゃないの?」とZがボソッと言う。「えっ?そんなわけないだろ。こんなに路が整っているのに」と石段を足で踏みしめながら答える私。Zは再び黙り込んで私のあとをついてくる。しかし、階段はどんどん傾斜が厳しくなり、とうとう両手を地面について四足にならなければ登れなくなってきた。

 結局、よもやとおもっていた岩山の頂上に登りつめた。・・・が、頂上で行き止まり。呆然とする私の後ろで苦笑しているZ。もはや怒る元気もないという様子だ。或いは、もう登る必要がなくなったというので安心したのかもしれない。

【丹霞山<37>】

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 登りは体力的に大変だったが、降りは精神的に疲れる。何しろ、四足で登ってきたほどの急な階段だ。手すりを必死でつかみながら一歩、一歩降りていく。「こんな手すりまでつけといて行き止まりはひどいよなぁ」とZに訴えるが、もはや回答なし。

【丹霞山<38>】

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【丹霞山<39>】

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 来た路を黙々と戻る。この長い道のりが落とし穴だったとは・・・、ひどい。

【丹霞山<40>】

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 最後の急階段。Zはとうとう座りながら階段を降り始めた。いくらなんでも大げさなと思ったが、Zの表情をみると真剣だ。厳しい傾斜の階段が続いたので精神的に参ってきたのかもしれない。「ゆっくりでいいから!」と声をかけてやると力なく手を振り返してきた。

 午後3:00、ようやく「陽元山」のふもとに到着。改札を抜けて、ひと安心。お土産屋でしばらくぶらぶらしてから、バンの白タクに乗る。韶関駅まで15RMBと安いが、他の客と一緒の乗合だ。席がいっぱいにならず、なかなか出発しない。4:00に近づいた頃、ようやく席が埋まり出発。

 午後5:00、駅に到着。タクシーに乗り換えてホテルへ向かう(4RMB)。

  ホテルで一休みした後、6:20、再び出発。Zが「疲れた、疲れた」を連発。引きづるようにしてタクシーに乗り込む。Zはどんなに疲れていても、ホテルの部屋に入るとベッドにもぐりこみ嬉しそうにテレビに見入る。休めと言っても、全然聞かない。本当に困った奴だ。

【夜の風度南路】

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 6:50、「紅星茶」という2Fにテラスのあるお店で食事。本当はこれぞ韶関料理!というようなものを食べたくて一生懸命探していたのだが、Zがお腹が空いた、お腹が空いたとうるさいので、やむなく妥協した次第だ。

【風度南路での食事】

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 ちょっと肌寒いぐらいであったが、火鍋を食べて暖まり、ホテルへ戻った。心地よい疲れとともに眠りに入る。(Zはテレビを見ていたが・・・)。

2004年12月20日
 8:40、チェックアウト。タクシーで駅へ向かう。
 
 深センへのチケットを購入しようとしたところ、10:05発が一番近い便(97RMB/枚)。まだ9:00になったばかりだから一時間もある。もう少し早く出てきていれば早朝の便に乗れたのだが、時すでに遅し。本数が多いとたかをくくっていたのが敗因であった。

 やむなく、近くの蘭州ラーメン屋で食事をすることなった。しかし、この蘭州ラーメン屋。本当にどこにでもあるなぁ。しかも同じ看板で。チェーン店のようにもみえるし、各々が独自に店を出しているようにもみえる。民族ギルドみたいなものがあるのだろうか?解いてみたい謎の一つである。

 10:05発。順調に高速道路を飛ばし、2:00近くにわが街のそばに到着。到着したのはいいが、ビュンビュンと自動車が走っている歩道のない道路脇に下車させられ、途方にくれる私とZ。幸い正規のタクシーが通りがかり、アパートの近くまで20RMBで乗せていってくれることになった。

  アパート近くで停車。細かいお金がなかったので、50RMB札を運転手に渡す。帰ってきたのは20RMB札と10RMB札。お釣りを受けとったZはちょっとおかしいと感じたらしいが、早く降りろと急がせる運転手の言葉にしぶしぶ下車。アパートに戻って確認すると、20RMB札は偽札であることがわかった。私は偽札と本物の差があまりわからないので、普段から気にしていないがZはショックだったらしく、しばらくぶつぶつと文句を言っていた。「まぁ、一年に何度もあることじゃないから、気にするな」となぐさめる。

 今回は近場の旅行であったが、十分楽しめた。韶関は見所が多いので是非また行ってみたいが、広東省は広い。まだ行っていない場所がたくさんあるから当分先のことになりそうだなぁ。
 長らくお付き合い頂き、誠にありがとうございました。