蘭州市の旅


2009年8月17日
  この蘭州市の旅は、銀川市の旅から続いています。
 

(銀川から)蘭州に近づくに連れ、周囲の風景が変わっていった。平地よりも丘陵が多くなってきて、緑も若干増えてきた。しかし、体調は最悪である。バスに乗車している間に、好転することを期待していたが甘かった。むしろ、明らかに悪化している。早くホテルで体を休ませたい。
 体は辛いが、宿泊先の準備をしなければ。こればかりはZに任せられない。以前はZも浴槽があった方が良いと私と同意見だった。ところが、最近は考え方が変わったらしく、「ホテルなんて寝られれば良いのよ」と言うようになった 。(その割りに、決まった後には結構文句を言うのだが、・・・)。ともあれ、「寝られれば良いのよ」なんて基準で決められては、大変だ。中国では下を見ればきりがない。一泊数十元の宿泊所などに決められては、衛生面はともかく身の安全、荷物の安全が確保できないというものだ。
 そこで、最近は妥協案として、浴槽こそないものの、そこそこ綺麗で安全なチェーン店式のビジネス・ホテル(商務酒店)を選ぶようになった。このチェーン店式のビジネス・ホテル自体が中国では歴史が浅く、発展途上ということもあって、ホテルのオープン時期が最近であることが ほとんどで、内装も簡素ではあるが綺麗なことが多い。また、www.ctrip.com等のサイトで簡単に探すことができる。料金も手頃で、一泊130-200RMB程度だ。
 問題は主要な繁華街や主要な交通機関へのアクセスである。 ビジネス・ホテル(商務酒店)というぐらいだから、街の中心にあってよさそうなものだが、むしろ郊外にオープンしていることが多いのだ。インターネット上の情報ではホテル側が便利さだけをアピールしているため、そこのところがわかりにくい。インターネット上で公開されている「百度」や「グーグル」の地図でだいたいの位置はつかめるが、インターネット上の地図には繁華街が示されていないから、利便性がどうなのか把握できないのだ。交通機関の位置は把握できるが、バス・ステーションとなると大きなものから小さなものまであり、行く先も様々だから、これまたインターネット上の地図からだけでは判断をしにくい。
 もちろん、ネットでの情報を積み重ねていけば、正確な情報をつかみ出すことも可能なのだが、3,4軒はある宿泊先候補の全てについてそこまでやると馬鹿馬鹿しいぐらい時間がかかってしまう。だから、www.ctrip.com等で宿泊客の感想を参考に良さそうなホテルをリストアップしておき、現地についたら、地図を購入してそれをもとに繁華街との距離を測って宿泊ホテルを決めるのが私の最近のやり方だ。(現地で販売されている地図の大半に、主な繁華街が色で明記されている)。

 熱で頭がフラフラする中、プリントアウトしてきたホテルの資料を取り出して、見直しをする。現地の地図を手に入れたらすぐに場所を探せるようにするためだ。しかし、資料の上に目を落としても全く頭に入らない。こりゃ駄目だ。困ったなと悩んでいると、窓の外にサボテンが見えた。
 「サボテンだ・・・」と私がポツリと言うと、さっそくZが反応を示してきた。
 「あれは絶対、偽物よ」
 「そうかな・・・」
 (確かに偽物っぽい形だが、サボテンは派手な外観のものがおおいからなぁ)
 「だったら、賭けましょうよ」
 「ええっ?」
 「私、偽物に10元」と断言するZ。
 「いや、俺は賭けないよ」
 「ずるーい」
 「ずるいのは、Zだろ。だいたい俺、頭痛いんだから、かんべんしてくれよ」
 話を終わらせるために、カーテンを閉めて外界を遮断した。
 「ずるいなぁ、負けると思って」としつこいZ。
  無視。無視。

 結局、ホテルのデータの見直しができないまま、バスはバス・ステーションへと入っていった(12:35)。 とにかく身体が重い。なんとかボストンバッグを肩にかけて、下車。Zに向かって、「地図ね。地図。とりあえず、地図買っって」と呼びかけた。
 私のしつこい要求に応じて、地図は買ってくれたものの、Zはホテルの位置などそっちのけで、「どこのホテルなの」とせっついてくる。やむなく、第一候補のホテルの資料を渡すと、さっさとタクシーを止めてしまった。これではホテルの位置確認どころではない。しかし、長時間のバス移動で、私の体力は限界だ。無事、ホテルまで到着してくれることを祈るしかない。

   12:50、ホテル着。しかし、なんだかホテルがデカ過ぎる。そんなに新しくはないが、作りがごつくて、いかにも高級ホテルっぽい。私が予定していたビジネスホテルとは2ランクぐらい違いそうだ。
 「なんか高そうよー」
 「そうだな。やめるか」
 「○○(私の名前)が選んだのよ、もう全然駄目」
 「お前が、さっさとタクシーに乗っちゃうからだろ!まぁ、いいや、とりあえず、料金を聞いてみるよ」
 ふらつく足取りで、豪奢な大理石作りの受付カウンターに向かっていき、「ツインルームいくら?」と聞いてみた。
 「○○○RMB」。
 高い。五つ星クラスの料金だ。これでは値切っても知れている。Zに向かって、「○○○RMBだってさ」と伝え、そそくさと外へ出た。
 「おかしいな。ビジネスホテルのはずなんだけど」
 ふと入り口の上にあるネームプレートに目をやると、ホテルの名前がでかでかと描かれていた。
 「あれっ?」
 ホテルの名前が資料にあるのと違う。私の資料にあるのは、「○△の星ホテル」だが、このホテルは「○△大ホテル」だ。おいおい、違うホテルじゃん」
 「ほんとだ」
 「ほんとだ、じゃないだろ。だから、地図で確認しないと駄目なんだよ」
 「だって、運転手がここだって言ったんだもん」
 「資料に道の名前が書いてあるだろ」
 「知らない」
 これ以上、押し問答をしても仕方ない。体力もないし、ここでZに拗ねられたら、打つ手なしだ。道の名前を指し示して、「ここ。頼むよ」と言って、再び資料を渡した。私に責められて、いささか不愉快な様子のZだったが、しぶしぶと資料を受け取って、通りがかったタクシーを停めた。
 
 今度は、Zも慎重になり、何度も道の名前を確認し、目的の道である「張掖路」へと着いた。しかし、そこは歩行者専用の商店街で運転手もホテルの位置を知らないという。ここまで来たら自力で探すしかない。ますます重く感じられるようになったボストンバックをなんとか持ち上げ、下車した。見渡すと、大きなビルに囲まれたけっこう立派な通りだ。
 「ホテル、どっちなの?」
 「わからない」
 「ここなんでしょ」。自分の仕事は果たしたというように、私に詰め寄るZ。
 「番地はここだよ」
 Zに資料の上の住所を指し示すが、これだけ大きな商店街となると、番地が記してある場所の見当がつかない。
 「とにかく、向こうへ行ってみようよ」
 これ以上問われても答えようがないので、先へ行こうと促した。
 「本当にこっちなの」
 しかし、Zはちっとも歩き出そうとしない。頑固な奴だ。
 「だったら、誰かに聞いてみてよ」
 「どうして私が?」
 「頼むよ。俺、ふらふらなんだから」
 腰を折って座り込み、力尽きたことを精一杯アピール。Zは仕方ないわねといった様子で首を振り、近くに立っていたデパートの保安要員のところに尋ねに行った。
 しばらくの間、保安要員とZの間でやりとりが続いたが、戻ってきたZは「わからないって」と疲れたように言った。
 「とにかく行ってみるしかないね」
 「どこにあるのよ」
 「歩いているうちに見つかるよ」
 「私は嫌!」
 「わがまま言うなよ」
 「このまま歩いたってあるかどうか、わからないわ」
 テコでも動きそうもない。しかし、しばらく周囲をきょろきょろ見回した後、「あっ、あそこに『如家』があるわ!」と叫んだ。
 Zが指し示す方向に目をやると、確かに「如家酒店」の看板が出ている。「如家酒店」は私が予定していたホテルとは違うが、全国的に有名なビジネスホテルで、宿泊料金もリーズナブルなホテルだ。しかし、チェーン式のビジネスホテルと言っても、ピンキリだ。私としては、せっかくインターネットで調べてきたのだから、予定していたホテルに泊まりたいところだ。
 「さあ、行きましょう!」
 さきほどまでの疲れきった表情がうそのように消え、眼をきらきらさせている。
 「もし、途中で、資料のホテルがあったら、そっちに先に入るからな」と無駄な抵抗をしてみたが、「わかった、わかったわ」と軽くいなされた。 もう、すっかり「如家酒店」に決めてしまっているようだった。
 わずか数十メートルの距離しかないから、当然のことながら、私が求めていたホテルは見つからず、「如家酒店」の看板を掲げた建物の中に入っていくことになった。 中国で私がこれまで宿泊したことのあるホテルは、建物全体がホテルの所有物のようなものが全てだったが、ここのホテルは何層かを借り切って運営されているようだった。ここの「張掖路」という通りは、蘭州で一番大きな商業街のようだから、その中で格安のホテルを運営するための苦肉の策といったところだろう。

   エレベータでホテルのフロントがある甲斐まで上がると、すぐ左のほうにカウンターがあった。大きなリュックを背負った旅行者らしき人たちがチェックイン手続きをしている。私たちは、まず部屋の下見をさせてもらう。ビジネス・ホテルだから、どこも大差はないはずだが、念のためだ。見せてもらった部屋は、手狭だが、まずまずの清潔さ。さっそくチェックインすることにした。シングル・ルーム(大きなベッド)で、一泊179RMB(保証金は500RMB)だが、会員になって(40RMB)カードを作れば160RMBになるということだったので、さっそく会員になった。

 13:40、部屋に入って、横になる。半日以上バスに乗っていたから、風邪の身の私はもとより、Zも疲れきっている。私の方は、そのままホテルから一歩も出ずじまいとなった。Zは一眠りしたら、体力が回復したらしく、夕方になってから外へ出て行った。食料や風邪薬の調達を頼む。
 1時間ほど経ってもどってきたZは、私が頼んだパンやら飲み物やら薬やらをテーブルの上に置いた後、「ホテルの後ろ側にね、たくさん屋台があったわよ。すっごく賑やかだったわ」と嬉しそうに言った。うーん、俺も行きたいぞと思ったが、まだ全く身体に力が入らない状態だ。熱は少し下がってきたようだが、夜中になったら、また上がる可能性もある。明日までに直っているいると良いが・・・。
 就寝前に、Zに頼んで市内の観光地の場所を地図上で洗い出してもらっておく。本当なら、郊外にあるという「炳灵寺石窟」へ是非とも足を伸ばしておきたいところだが、この体調ではとても無理そうだ。蘭州は市内観光だけで我慢しておくことにしよう。

2009年8月18日
 7:40、起床。熱はだいぶん下がっている気がする。体温計で測ってみると「36.7度」だった。うん、これならなんとか動ける。だが、外はあいにくの雨だ。なんとか止んでくれないものか。そう願って待っていたが、9時半になっても止まないので、食事に行くことにした。

 外で食事をしようと思って出てきたが、二人とも傘を忘れてきてしまった。それに雨脚が速い。無理に外へ出たら、また風邪が重くなりそうだ。諦めて、ホテルの2Fにある中華ファーストフードで食事をすることにした。身体を温めるために、二人とも麺類を頼んだ。蘭州ということで、ある程度の味を期待していたが、残念なことに非常に不味かった。だが、腹は満たせたので、一旦部屋に戻り雨が止むのを待つことにした。
 

 12:00、待っていても雨は止みそうにない。今日は最低でも市内観光をしたいところだ。体力はまだ十分に回復せず、咳も止まらない状態だが、一日寝て過ごすわけにも行かない。 厚着をして傘をさして外に出ることにした。

 もうお昼なので、まず「地球の歩き方」で紹介されていた蘭州ラーメンの老舗店である「馬子禄牛肉麺館」を探すことにした。しかし、地図とにらめっこして ウロウロしてもなかなか見つからない。(それもそのはず、全く逆方向に向かっていたのだ)。西へ西へと進んでいったら、真新しい「西関清真大寺」というお寺があった。道路の真ん中にドカンと建てられている。四つの塔が中央のドーム上の建物を囲んで空高く伸びている。銀川で見たいくつかの「清真寺」と同じ形式だ。きっとイスラム教のお寺の代表的な構造なのだろう。

 Zから「このお寺、入っていくの?」と聞かれたが、首を振って否定した。ずいぶん立派なお寺だが、建物が現代的過ぎて興味が湧かない。地図を見ると、お寺に接している交差点を南の方角に下っていくと、「五泉山公園」に出ることがわかった。
 Zに向かって、「こっちへ行くと『五泉山公園』に出るらしいよ」と持ちかける。
 「どうやって行くの?」
 「歩いて」
 「嫌!」
 「何で」
 「だって、きっと遠いわよ」
 「遠くないって、すぐだよ、すぐ」
 「いつもそう言って、すごーく遠いんだから」
 「ホント、ホント。誰かのブログにも近いって書いてあったから」
 「嫌!だって私、足が痛いもの。それに○○(私の名前)だって風邪引いているんでしょ」
 「何で急に足が痛くなるんだよ」
 「知らないわよ、とにかく痛いの」
 私には言わなかったが、Zは一昨日行った『沙湖』の砂漠を歩いたときに足を少し痛めたようだった。もっとも昨日は一人で夜店を歩き回っていたわけだから、それほどひどいわけはない。それよりも、私がうっかり忘れていたのはすでに昼時を過ぎていて食事をまだしていなかったこと。ともあれ、この後、5分間、揉めに揉めて怒ったZは、反対方向に北側に歩き去ってしまった。

 (さて、弱った)
 そばにあった石造りの花壇の隅に腰をおろして考えた。ホテルの部屋に入るのに使用するキー・カードは私が持っているから、一人で行動するといったって、Zも困るはずだ。もっともZのことだから、フロントに頼み込んで部屋に入ることもありうる。部屋はZの名前でとってあるから、十分可能だろう。しかし、このままZを放っておいて「五泉山公園」に行ってしまったら、後々こじれそうだ。特に今回は風邪にかかってしまって大分面倒をかけている。どう考えても、このまま「五泉山公園」へ行ってしまうのは問題だ。仕方がない、ここは譲るとするか。
 そう考えて携帯電話を取り出したところ、歩道の彼方からZがトボトボと歩いて戻ってくるのが見えた。
 「なんだ、今電話しようとしてたのに」
 「嘘ばっかり」
 「いや、本当に」
 「いいから行くわよ」
 「歩いて行くのか」
 「そうよ、その代わり、風邪重くなっても知らないわ」
  どういうわけだか機嫌を直したらしいZは、私を後ろにさっさと歩き出した。私も後を追いかけて続いた。

 せっかく徒歩でいくことになったものの、とくに何も変わったものはなく、人気のない歩道が続くだけだった。数十分歩き続け、疲れを覚え始めたため、急に体力が心配になってきた。地図上では「五泉山公園」までバスで一つ、二つぐらいの停留所の距離だが、歩けば結構ありそうだ。諦めて、バスに乗ることにした。Zが「やっぱり無理でしょ」と声を上げる。しかし、彼女も疲れていたらしくほっとした様子だった。

 バスに乗車して、「五泉山公園」のバス停に到着。 バス停の名前は「五泉山公園」だが、地図によると、目の前に公園があるわけではなく、数十メートル先の線路を越えた向こう側にあるようだ。そちらの方へ向かって足を運んで行くと、Zが「あそこに蘭州ラーメンの店があるわ、たくさんお客さんがいるわ」と声を上げた。
 「公園行ってからにしたら?」
 「駄目!」
 「わかった、わかった」
 占国、と看板の出た店に足を向けた。外からはっきりわかるぐらい客が詰まっている。店に客が入りきらず、道端でどんぶりをすすっている客がいるほどだった。入り口のところでチケットを購入し、列の後ろに並んで順番を待つ。店の奥にあるカウンターをのぞくと、麺を打つ係り、茹でる係り、具を入れる係り、スープを入れる係りが半円を作って、分業で次々にラーメンを仕上げて客に渡していく。
 瞬く間に私たちの番が来たので、自分たちのラーメンを受け取った。店内のテーブルは満席で座る場所がなかったため、他の客に混じって、私たちも外で食べることにした。 

   「蘭州ラーメン」屋というのは、実は深センにもたくさんある。私たちが住む街にも、知っているだけで、数軒ある。バスや車で他の街に行ったときにも見かけるから、ほとんどどの街にもあるのではないかと思う。看板やメニューがほとんど同じだから、チェーン店とはいわないまでも、どこかに卸の元締めがいるのではないかと思われる。
 「ラーメン」というとやはり日本のラーメンが一番美味しいと思うが、中国で食べるラーメンの中では「蘭州ラーメン」は美味しいほうだと思う。深センの蘭州ラーメン屋は、たいがい店の前に台を広げて、小麦粉を練るところから麺を打ち上げるまで、客が見えるところでやり終える。客寄せの意味が大きいのだろうが、混ぜ物が入っていないことを明らかにしているのだろう。そういう意味では確かに安心だ。手打ちなだけに、麺に腰があるから、日本人の好みにも、比較的合う。値段も安く、物価高の現在でさえ、一杯4RMBぐらいから食べられる。

 さて、本場蘭州の蘭州ラーメンはどれだけ美味しいか。率直に言うと、驚くほど美味しいというわけではなかった。 深センの麺よりも、上等な小麦粉が使われているらしく、麺がやや美味しいのとスープもやや美味しいといったところだった。日本のラーメンと比べると、どうしてもそういう評価になる。ただし、周辺の蘭州ラーメン屋がガラガラなのに、ここだけ混み合っているから、周囲の店と比べてもこの店の蘭州ラーメンが一味上をいくのは間違いないことだろう。料金は肉を追加して6RMB。

 食事を終えて、改めて「五泉山公園」へと向かう。線路に陸橋がかかっていて、陸橋の手前にはなぜか小さな水族館があった。今にもつぶれそうなボロボロの水族館だ。一応、チケット売り場があるが、客が入るような様子はない。水族館ではなく、海鮮料理用の魚の卸元として機能しているのではないか?そんな想像をさせられた。
 

   陸橋の上には、点々と露店が店を広げていて、客がまばらに集まっていた。そこを抜けて、陸橋を降りるとすぐに「五泉山公園」の入口があった(13:50)。 入場料は1人6RMB。足が痛いから入らないと入場を渋るZを説得して、門をくぐった。

 広場を抜けて先へ進むと、二手に分かれて階段が伸びていた。どうやら、片側から上って行き、もう片側から下りてくるようになっているらしい。せっかく来たのだから上っていくのが当然なのだが、Zが再び抵抗を示す。「足が痛いから私、ここで待っている」と言い張る。そこへ来て、私もお腹の具合が悪くなってきた。トイレへ行って帰ってきた時には、体調も悪いし、上るのはやめるかという気分になってしまっていた。この五泉山から蘭州の街を眺めるのが市内観光の目玉の一つなのだが、体調が悪いのでは仕方がない。敷地内に入っただけで良しとしよう。そう決めて、外に出ることにした。上らずに済んだZはニコニコ顔だ。

   「五泉山公園」バス停まで戻り、「15路」線のバスに乗車、次の目的地である「中山橋」へ向かった(14:23)。
 「次は『中山橋』だよ」とZに告げる。
 「あっ、そう」
 「『中山橋』はね、黄河第一橋とも呼ばれていて、黄河の一番上流にかかっている橋らしいよ」
 「あっ、そっ」
 Zは全く興味がないという様子で、返事が冷たい。気持ちはわかる。だいたい市内観光で、特別面白いものがあるなんてことは滅多にない。甘粛省と言えば、一番の見所は「敦煌」であることは疑いを入れる余地がない。しかし、「敦煌」は甘粛省の外れの方にあるため、これをメインにすると他の場所を回ることが困難になる。それで今回は省都のみを中心に回ることにしたのだ。それでも、郊外に行けばそれなりの見所があるから、体調さえ良ければそれなりにZを満足させることができたと思うのだが、熱あり、咳あり、お腹の具合も悪いでは市内を出歩くのが精一杯だ。また、今回の旅行で省都の市内旅行を終えておけば、次回にチャンスがあった場合には省都を離れたところに迷わず焦点を当てることができる。そういう意味で、市内旅行を確実にこなしておくことが私には大切なのだが、それはZには 関心のないこと。理解してくれというのが無理だ。我慢して付き合ってもらうしかないところだ。

 バスに乗って20分ほどで、「中山橋」停に到着した。ここには「中山橋」を見下ろす「白塔山(公園)」があり、その山にゴンドラで登っていくことができる。 ある旅行者が書いたブログによると、このゴンドラの出発点はやや分かりにくい場所にあるとのことだった。それで心配していたのだが、バスを降りる前から目を凝らしていたこともあって、意外に簡単に見つかった。(地図にははっきり描かれているので、地図さえ手に入れていれば心配はない)。

  チケット売り場で料金を確認すると、往復チケットなら25RMB。片道だと上りは20RMB。下りは10RMBとなっていた(14:50)。微妙なバランスだ。体調が良ければ、歩いて下ってくることに決まりだが、現在は厚着で咳を止めているような状態だ。お腹の具合も心配だ。そこで、往復チケットを買うことにした。 
 

 ゴンドラは4人乗り。中年の男女ひと組と乗り合わせとなった。ゴンドラの両脇から一組ずつ乗ったため、片側に私たちが対面で座り、もう片側に一方の男女が座った。男のほうがZの隣、女の方が私の隣に席をとった。ゴンドラが動き始めると、男のほうが陽気に話しを始め、幾度も女を笑わせた。ちらっと男の様子を見ると、私よりも年上の様子で、50を越えた年齢のように見え る。話から、二人が出発時は一緒でなく、途中で合流したことがわかった。 二人は夫婦ではないのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。ただ、中国では夫婦ともに別の省へ出稼ぎにいくことが少なくない。だから、旅行先で落ち合うということも十分ありうるだろう。
 

 頂上へと到着。10分ほどの短い距離だった。ここから蘭州市内を見渡すことができる。あいにく「中山橋」は山に遮られてみることはできない。さて、肝心の「白塔」はどこか?周囲にそれらしき建物は見られない。これではゴンドラで下山するのは無理なようだ。「白塔」を探して歩いて下ることにした。
 

 階段を下って、さらに道路に沿って下っていく。途中に、建設中の学校のような建物があったかと思うと、その先には、寂れて人気のなくなったゴーストタウンのような街があった。街を囲む周囲にはショベルで切り開いた跡がはっきりと残っているから、一度は大規模な開発が行われたのだろう。せっかく開発したものの、ほとんど買い手が現れず、忘れ去られた街になったということだろうか。
 

 「白塔」に到着。想像していたよりずいぶんと小さい。登ることもできずに、周囲から眺めるだけだ。もっとも見かけはたいしたことはないが、歴史は長いらしい。「白塔」が最初に立てられたのは、元の時代のことで、その後一旦は失われ、1450-1456年の間に再建されたもののようだ。
 

 「白塔」のある寺を過ぎると、ずっと階段が続く。ここからは中山橋も見えて、下るにつれてその姿が徐々に大きくなっていった。黄河の上をせわしなく船が行き来している。あちこちの旅行先で黄河の下流を見ていると思うが、今まで特に意識したことはない。中山橋が黄河の一番最初にかかっている橋、黄河第一橋と呼ばれているということは、ここから見える黄河は相当上流のほうで、源流といっても良いだろう。そう考えると、ずいぶんと感慨が深い。
  
 階段を下りていく途中で街の景色を見ていると、Zが「あっ、私たちが泊まっているホテルが見えたわ」と指差しながら叫んだ。そう言えば、ホテルがあるのは黄河の近くだった。地図で確認すると確かにその位置にある。バスで来たから気づかなかった。
 

 16:10、「白塔山公園」を外にでる。チケット売り場があったので、料金を確認すると6RMBだった。ゴンドラの料金にはこの入場料も含まれていたということになる。
  道路を越えるとすぐに中山橋だ。橋の正面には「黄河第一橋」の文字を象ったプレートがかかっている。有名な観光地とあって大勢の客が記念写真をとっていた。橋は現在は車両の通行は禁止されていて、歩行者専用となっているようだった。青空の中、涼しい風が吹き抜ける橋の上を歩いていくのは大変気持ちが良い。
 

 山の上から見たホテルの姿を追って、歩いて戻ることにした。こういうのは近くに見えても歩くと意外に遠かったりする。だが、心配は杞憂で、10数分ほどでホテルの裏にある屋台街に到着した。昨晩、Zがこの屋台街についてずいぶんと騒いでいたので、てっきり新疆のウルムチにあった「星光五一街」のようなものでもあるのかと期待していたが、実際にはこじんまりとした屋台街でがっかりさせられた。
 

 16:40、ホテル到着。さすがに疲れた。熱も少し上がってきた模様。薬を飲んで一眠りする。
 

 20:00、薬が効いたのか熱が下がってきた。身体の調子は悪くないので食事に行くことにする。
 タクシーに乗って、インターネットで調べておいたレストラン街である和政街(・天平街)へ向かった。しかし、タクシーを降りてみると、ほとんど灯りがない。たしかに点々とレストランがあるが、どれもそれほど栄えていない。通りを抜けたところで、タクシーに乗車、もう一つのレストラン街である農民巷へ移動した。ここはレストランはそれなりにあったが、気に入ったのがなかったため、どこの店にも入らなかった。これならホテル周辺のほうがまだ良い店があるだろうということで、再びタクシーに乗ってホテルのある「張掖路」へと戻った。
 

 「張掖路」に着いたところで、Zが「○○が言っていた『馬子禄牛肉麺館』がこっちにあるよ」と言ってきた。
 「えっ、その店の場所、何で知ってるんだ?」
 「昨晩、見つけておいたのよ」
 「何で、昼間言わなかったんだ」
 「言ったわよ。でも、あなたが何だかんだと、別の方に歩いて行ったんでしょ」
 「ええっ、聞いていなかったよ」
 「あなた、いっつもそうなんだから」
 うーん、そう言えば、そんなようなことを言っていたような気もする。あの時は地図を見るのに懸命で耳に入らなかったのだ。まあ、良い。今から行くことにしよう。
 「張掖路」の脇にある大衆巷という通りを奥に奥にと進んでいくと、確かにあった「馬子禄牛肉麺館」が。しかし、すでにシャッターが下りていて、閉店していた。
 あらら、もう10時近くになっているから仕方がないか。明日の朝に来ることにしよう。バスの時間が早いから、それまでにオープンしてくれていると良いが・・・。
 

 その頃になるとどの店も閉まっており、唯一開いていたのは、ホテルのすぐ近くにある北京系水餃子のチェーン店だけだった。蘭州まで来て北京系の餃子など食べたくなかったが、他にないから仕方がない。とにかく何かお腹に詰め込まなくてはと水餃子を注文して食べた。

 10:20、ようやくホテルに戻って、就寝。明日は西寧へ移動だ。蘭州市郊外の「炳灵寺石窟」へ行きたかったけれども、今回は見送りにするしかない。いずれ敦煌に行くとき、そちらへも行ってみるとしよう。

2009年8月19日
 8:15、昨晩は咳が止まらず、ほとんど眠れなかった。だが、体はなんとか動く。まずは朝食だ。昨晩は閉まってしまっていた「馬子禄牛肉麺館」へ行くとしよう。

 チェックアウトする前に食事をしてこようと思っていたら、エレベータが故障中であることがわかった。これでは戻ってくるとき、階段を上ってこなければならない。先にチェックアウトしたほうが良さそうだ。部屋に荷物をとりに戻り、チェックアウトを済ませてしまうことにした。

 チェックアウトを済ませ、まっすぐ「馬子禄牛肉麺館」へ。着いてみて驚いた。中国人にも人気の店らしく、周囲の蘭州麺の店がガラガラで客がほとんどいないにもかかわらず、「馬子禄牛肉麺館」は大盛況。待っていないと席が空かない有様だ。Zが麺をとりにいっている間に、私が席をなんとか確保した。

 Zが麺を持ってきたので食事を開始。1人前が3.5RMB。その他トッピングの牛肉やつまみを入れて合計15RMBだったそうだ。お味のほうは・・・。昨日食べた「占国」という店のラーメンとまた違った美味しさがあった。体調が良ければ、もっと味が楽しめたと思うがぜいぜい言いながらだから、全部食べきるだけで一苦労だった。Zは「すごーく美味しい」と高い評価を与えていた。

 私たちが食事を終える9時を超えた頃になっても長い行列が続いている状態だ。すごい人気店。食後は近所の薬屋で熱さましの薬やらお腹の薬やらを買い込む。はっきり言って、相当身体がヤバイ。だが、今日のバスは3時間程度、銀川から蘭州への移動の時に比べれば楽なはずと自分を慰めた。

 9:30、タクシーに乗車して東バス・ステーションに向かった。
 到着してみてわかったが、東バス・ステーションは蘭州に到着したときのバス・ステーションと同じだった。西寧行きのチケットを購入。10:10発で、一人57RMB。

 10:00、バスに乗車。チケットに中型バスだと印刷されていたので少し心配していたが、普通の大型バスだった。ひと安心。天気はだいぶ悪い。今にも雨が降ってきそうだ。

 10:10、チケットの時刻通りに出発。すぐに強い雨が降り始めた。しかし、高速道路に乗ると徐々に雨脚が弱まり、天気も少し曇り空という程度になった。

 12:30、サービス・ステーションで小休止。