包頭市の旅


灰色の部分が内モンゴル自治区です。

【 目  次 】

<2004年8月24日>
<2004年8月25日>

2004年8月24日
6:20、起床。5:30に起きるつもりだったのだが、設定ミスで携帯電話の目覚ましが鳴らずに寝坊した。とんだ失敗だ。今日は、どれくらい遠いところにあるか予測のつかない「响沙湾」というところへ行かなければならない。出発は早ければ早いほどいいのだ。とにかくできるだけ早く出発だ。「起床!」と声を上げて友人Zの目を覚まさせる。Zも今日の早起きは覚悟ができていたらしく、反応がいい。素早くベッドから抜け出て着替えを始めた。(いつもこの調子で起きてくれれば嬉しいのだが)と思わずにはいられない。

  6:30、チェックアウト。タクシーに乗って駅横の長距離バス・ステーションに到着。昨日目を通した(中国人向け)ガイドブックによると、「响沙湾」に行くには、「東勝」方面に行き、途中下車をしなければならないとのこと。念のため、Zに頼んでチケット売り場で情報確認をしてもらう。
 Zの質問に売り場のオバサンが答えているのを聞いた限りでは、ガイドブックの情報に間違いはないようだ。少なからずの観光客がこのルートで「响沙湾」へ行っているらしい。それだけ確認して、少し下がって待っていると、両手にチケットを持ってZが戻ってきた。「東勝」までのチケットを買ってきたという。素早い決断だ。私としては別のルート等も検討してから決めたかったのだが、買ってしまったものは仕方がない。
  バスの発車時刻は7:40(40RMB/人)。まだ1時間近くある。「ご飯を食べようよ!」とさっそくZが言う。ご飯だけは欠かさない奴なのだ。お腹が満ちるまでは、3分ごとに「お腹が空いた」と訴え続ける。そこで、駅そばの食堂で食事をさせることにした。
 安食堂なので、メニューすら出してくれない。Zは一杯3RMBの牛肉ラーメンの小盛を注文し、やってきたどんぶりから麺を美味しそうにすすり始める。あんまり美味しそうに食べるので私もお腹が空いて来たが、私は今は食べられない。「响沙湾」まで何時間かかるかわからないのだ。途中でトイレに行きたくなったら困るからだ。Zに言わせると、そんなのは考えすぎで、トイレに行きたくなったら運転手に言って停車させ、待っていてもらえばいいということらしいが、自分一人のトイレのためにバスを待たせるなんてことはよほどのことがない限り言い出せるものではない。中国の人はトイレが近いということがあまりなく、かなりまとめてやることが多いことからそういう発想になるのだろうが私はそうはいかない。中国人との旅行は言語の面では助かることが多いけれども、この辺のわずかな感覚の違いで苦しめられることが少なくない。

  7:40、バスに乗車。途中下車ということなので入り口近くに座りたかったが、すでに埋まっていてやむなく後方の席に座ることになった。念のため運転手に声をかけて「响沙湾」へ行くと伝えておく。

 7:50、出発。バスは全部が少し飛び出た形の高級中型バス。席は25席ほど。シートは汚れているが、クッションがきいているので、それなりに快適だ。バスが動き出したところで、Zがあたふたし始めた。「どうしたの?」と尋ねると、「チケットが見当たらない」という。落ち着いてポケットを一つ一つ探しなよとアドバイスをするが、やはり見つからない。終いには「貴方に渡さなかったけ?」と言い出した。(受けとってねぇーよ)とちょっぴり腹を立てたが、声に出しては「切符を最初にどこにしまったかをもう一度よく思い出してみな」と促す。Zは視線を空中に浮かせて記憶を探る。そして、「そう、確か、リックサックに入れたわ」とつぶやいた。「だったら、もう一度調べてみようよ」と励ます。
 すると、「あった、あった!」と明るい声が飛び出た。なんとゴミを突っ込んでいたのと同じポケットに入れてあったのだ。仕方のない奴だと思ったが、チケットをいい加減に扱って、あとで慌てるというのは私も以前はよくやった。いつでも取り出せるようにという気持ちが働いて、ついつい手近なポケットに放りこんでしまうのだ。いつも決まった場所にしまう習慣ができればそんなこともなくなるのだが、最初からそうはいかない。旅は今回だけではない。少しずつ覚えてもらうことにしよう。

 地図上で見る限り、先日出かけた草原までの距離よりも遠い場所にある。途中下車とはいえ、少なくとも1時間半以上はかかるはずだ。そう踏んで、ひと眠り。朝が早かったので、ただ眠りたかっただけというのもある。最悪の場合、終点の「東勝」からタクシーで「响沙湾」まで戻ればいいやという考えもあったので結構気楽だ。
 
 目を覚ますと、すでに10:00近くになっていた。いつの間にか高速道路を走っている。
 「これからは、もう寝ちゃだめよ。いつ着くかわからないんだから」とZが言う。そうか、彼女はずっと起きていたのか。ありがたい、ありがたい。二人旅はこの点楽だよなぁ。
 「俺たちが『响沙湾』に行くこと、運転手は知ってるのか」
 「うん、乗るときに言っておいたから」
 「そうか、念のため、もう一回運転手に声をかけとこうよ」
 「そうね、そのほうがいいわね。あなたがやる?」と私に振ってきた。
 (げげっ。何つーこと言うんだ。外国人だぞ、俺は!そんな大声だしたら、中国人じゃないとバレてしまうだろーが)
 「おまえがやれ、おまえが」と素早く人差し指でZを指す。
 「わかったわ」と素直にうなずくが、なかなか声を出さない。
 (困った奴だなー)
 外国人だとわかってしまうのも嫌だが、乗り過ごしてしまうのはあまりに馬鹿馬鹿しい。やむなく半分腰を持ち上げて運転手に声をかけた。
 「すみませーん、响沙湾まではどのくらいでしょーか」
 勇気を出して声をかけたのに反応がない。
 「すみませーーん!响沙湾までは・・」とさらに声を大きくしたところで、ようやくZが動き出した。
 「わたしがやるわ!响沙湾までは・・」
 (今ごろ出てきても遅いわい、俺が返事をさせてみせる)
 「おーい、响沙湾までどのくらい・・」と頑張る私。
 「いいから、私がやるって。响沙湾までどのくらいかかるのー」
 急にやる気まんまんになったZ。だったら、任せるか・・・、そう考えて腰をおろしたとき、運転手ではなく、切符集めのおじさんが返事をくれた。
 「まだ当分つかないよ」
 「着いたら教えてくれよ」
 「着いたら教えてね」
と同時に訴える私たち。

 再び腰をおろした私は、(しかし、あれだよね。こいつは俺を試したんだろうかね。いやいや、考えすぎだ。Zがそこまで考えるはずがない。最初はやる気がなかっただけだ。俺が声を出し始めたので負けまいとして頑張ったのに違いない)等々と考えた。ふと横をみると、Zが(やることはやったわ)と満足げな顔をして窓の外を眺めている。うーん、考えるだけ時間の無駄か。

  しばらくすると、道の脇にあるプレート案内板に「响沙湾」の名称が出始める。だいぶ近づいてきたようだ。そして、停車。数人の客が下車した。だが、ここは「响沙湾」ではないらしい。そう言えば、別の地名も併記されていたな。
 引き続き、プレートに注目していると、「响沙湾」までの距離が2Km、1Kmと近づいてきた。周囲の風景も砂漠風になってきている。
 「もうすぐ『响沙湾』だろ?」と切符売りのおじさんに声をかけてみる。
 すると、「ちがう。ちがう。おまえたちが下車する場所はもっと先だ」と返事が返ってきた。

 そして、停車。再び数人の客が下車を始めるが、客をさばきながら切符売りのおじさんが何かを叫んでいる。
 再び、「『响沙湾』に着いたのか?」と大声で話かけてみる。さっき違うと言われたが、まぁ、念のためだ。なにしろ、プレートにははっきり「响沙湾」と書いてある。確認しておくに越したことはない。
 「ちがう。ちがう。おまえたちが下車する場所はもっと先だ」と同じ返事が返ってきた。
 「違うんだって」。私と同様立ち上がっていたZはそういって腰をおろした。
 「プレートには書いてあるんだけどな。まぁ、あのおじさんがそう言っているだから間違いないだろ。もし違っていたらタクシーで戻ってくればいいよ」とZを安心させると同時に自分を慰める。

 バスが再び発車。周囲はすっかり砂漠化しているが、バスはなかなか止まらない。このまま砂漠を通り過ぎたりしやしないだろうな。心配が頂点に達しようとしたとき、ようやく停車をした。周囲には建物らしきものもなく、どちらが目的地かわからない。ガイドブックにはタクシーがたくさんいるようなことが書いてあったと思うが、タクシーどころか人っ子一人いない。
 「『响沙湾』へはどっちのほうへいけばいいんだ?」
  「この道に沿って右へいけばいい」と切符売りのおじさん。「30分ぐらいで着くから」と親切に言い添えてくれた。(10:30)

 「タクシーもいないし、歩くしかないよ」。
  バスを降りた私は、さりげなくZにそう伝えた。私は歩くのが好きなので、少々の距離であればなんてことはない。一人旅であれば、歩くことになろうがどうなろうが、判断も結果も自分の責任。気軽なものであった。ところが、今回はZという同行者がいる。「ガイドブックにはタクシーがたくさんいるって書いてあったんだけどね。シーズンオフだとやっぱりいないんだねぇ」などと言い訳しなければならないのが辛いところだ。

 「ここでしばらく待っていようよ」と言い張るZをなだめすかして、歩き始める。(だいたい、荷物をもっているのは俺じゃないか)と思うが、口には出せない。「歩き」は本来、中国人にとっては当たり前。内陸で子供時代を過ごしてきた友人Zであれば、山の一つや二つを歩いて越えるのは日常生活だったはずだ。ところが、これは「歩くしかなかった」から許容できたことであって、歩かずにすむのなら歩きたくないという考えらしい。私にしてみれば、歩いたほうが「旅」の気分を味わえていいと思うのだが、Zにとって単なる無駄骨だということだ。

 「私はどっちでもいいのよ。あなたのことを考えて車を待とうと言っているんじゃない。荷物があるから大変だろうって!」とのたまうZ。「そうか、そこまで俺のことを考えてくれているのか。よし。じゃぁ、この荷物は頼んだぞ」とボストンバックを差し出すと、Zはヒラリと身をかわして、「あなたは男でしょ。私は女よ」と宣言した。私は「わかった、わかった」と降参の手を挙げる。
 

【响沙湾への道<1>】

 歩き初めて10分が経った。前方には鉄塔が一つ見えるだけ。『响沙湾』までどのくらいかかるのだろう。とても30分で着きそうには思えない。そもそも、周りに人の姿が見えないのが気になる。こんなところで盗賊に襲われたらひとたまりもないことだろう。

【响沙湾への道<2>】

 20分経過。『响沙湾』はまだまだ先のようだ。荷物を持っての行軍はさすがにきつい。目的地がみえないからなおさらだ。Zがそれみたことかという顔をしている。(Zちゃん。貴女がどうしても『响沙湾』へ行きたいというから、こんなに無理をしているんだよ。私一人だったら、荷物をもって歩かなきゃいけないようなスケジュールは組まないのだよ)と考えるが、口には出さない。言っても無駄だからだ。「あなたが行きたくなかったら、行かなくてもよかったのよ」とか言われるのがおちだ。「『响沙湾』に行けないのだったら、ツアーに参加した方がよっぽどよかった」と昨晩だだをこねたことなどすっかり忘れているのだ。世界は自分を中心に回っていると確信しているに違いない。(そう言えば、今日【9月20日】のYahooニュースによると、小学生の4割は天動説を信じているらしい。Zも天動説を信じているのであろうか)。

【响沙湾への道<3>】

 11:00、まだ着かない。坂を登りきったところで一休み。ぜいぜいと息をつく。さすがに疲れた。だが、Zはご機嫌である。見渡す限りの砂漠がかなりお気に入りの様子だ。「大変だったけど歩いて来てよかったね」とはしゃいでいる。(大変なのは荷物をもっている俺なんだけどね)と思ったが、黙っておいた。せっかくご機嫌なのに自ら墓穴を掘ることもないだろう。

 しばらく行くと「駐車場」の表示があり、ようやく着いたかと思ったが、そこからが意外に長く『响沙湾』に到着したのは11:45のことであった。
 まず、小規模な駐車場があり、そこに立派なトイレ用の建物が設置されている。その対面に土産物を売っている建物があり、ここを通り抜けると、砂漠への入り口だ。とりあえず、トイレに向かうと、中から日本人の話声が聞こえてきた。ツアーで来て帰るところらしい。(ああ、この人たちは日本で暮らしているんだ)。そんな感慨を覚えた。会社にいるときも、何度となく、出張者に出会うのであるが、そんな風に感じることはない。それは同じ社会に属しているためなのだろうか。

 砂漠の入り口で、50RMB/人を支払い、チケットを購入。ここから、粗末なベンチで作られたリフトに乗る。このリフトで川を越えて砂漠に入ることになる。川は浅くて「渡し自動車(?)」もあるので、それで渡ってもよいのだろうが、砂漠の重要アイテム砂避け袋(?)が手に入らず、靴の中が砂だらけになってしまうのでご注意ください。(「砂避け袋(?)」とは靴の上から履く皮製の袋です)。

  ベンチの左側からZが、右側から私が乗り込み、出発。係員から頭上にあるバーを引きおろすように言われたので、懸命に引っ張りお腹の辺りまでもってきたが、そこから下にいかない。カシャッとはまらないのだ。あれっ?このままいかなければならないのか。いくらなんでも危ないのでは・・・と思っていたら、係員が後ろで懸命に「足で踏みつけろ!」などと言っている。そう言えば、お腹のところまで引っ張ってきた水平バーのところから垂直に伸びたもう一つのバーが足元のところで折れ曲がって足置き場になっている。指示されたままにそれを踏み込むと、足元のバーが下がり、同時にお腹のところにあった水平バーも腰のところまでおりてきて締まった。水平バーをロックするのに自分の体重を使うようになっているのだ。(なるほど!そういう仕組みになっているのか)と安堵ととも感心した。

 「落ちたら一巻の終わりだね」。リフトが谷の真中まできたところで、私がつぶやくと、Zはすぐに「変なことを言わないでよ」と口を尖らせた。Zに限らず、中国人は迷信深く、不幸なことを口に出すと本当になってしまうと思うらしい。しかし、本気になられれば、なられるほど、ついつい言いたくなってしまうのが私。この頃は、この私の口の悪さが原因でよく喧嘩になった。(最近では、Zも慣れてきたのか、私に負けず口が悪くなってきた)。

 実際のリフトの高度はそれほど高くなく、意外に恐怖心は感じさせない。とはいっても、落ちたらほとんどの人はアウトだろう。そうやって、考えていくと、なんでここにはリフトが使われていて、ゴンドラではないんだろう?と疑問が生じた。ゴンドラの方がコストが高いのかなぁ。あんまり高いと下の川を渡るコースを選ぶ人が増えてしまうのかも。あるいは、砂地だから地盤が弱いのかもしれない。ゴンドラは重いから支えきれないとか。

【砂漠の谷を渡るリフト】

  5分ほどで、無事に谷の向こう側に到着。すぐそばのテントで「砂避け袋」を借りる。別に借りなくてもいいのだが、靴に砂が入るのが心配な人は借りたほうがいいだろう。それと、この袋を履いていると、歩くのが格段と楽になります。(一組10RMB)。 

【砂避け袋】

  「砂避け袋」を履いて外へ出ると、観光客の長い行列が目に入った。その先を目で追っていくと、数十匹のラクダが座り込んでいる。おっ、ここでラクダに乗れるのか。右手にチケット売り場があったので、売り子さんに料金を聞いてみる。
 「1枚いくらなの?」
 「35RMBよ」と答えが返ってきた。
 「それでどのくらいの時間乗れるんだい?」
 「30分よ」
 「えっー、それだけ。もっと長いのないの?」
 「あるわよ。1時間のが」
 「それは、いくら?」
 「60RMB」
  なるほど、1時間のほうが少しお得になっているわけか。
 「みんなが乗るのはどっちの方?」
 「35RMBのよ」
 へぇー、意外だな。せっかく来たのに、なんで30分しかのらないのだろう。
 私(たち)は、絶対に1時間だ。ほんとは2時間乗ってみたいぐらいだが、馬の例もある。お尻の皮がもたないとやばい。
 「じゃぁ、60RMBのを2枚くれよ」とお金を出す。
 1時間乗る客はよほど少ないのだろう。チケット売りの少女は意外そうな顔をしながら、60RMBのチケットを2枚差し出した。

 さあ、乗るぞー、乗るぞー、ラクダに乗るぞー。張り切って列に並ぶ。Zはそんな私を眺めて「XX(私の名前)、すっごく嬉しそう!」と笑顔満面でいう。いや、おまえのほうがもっと嬉しそうだぞ。

 30分ぐらい並ばなければだめかなと思ったが、ラクダの数は十分にあるらしく、十分ぐらいで順番が回ってきた。
 チケットのもぎりに、「俺たちは1時間のだぞ!」と力強く伝えると、「1時間の?」とちょっと困った様子をみせた。そして、少し離れたところにいる男に「この二人は1時間だってよー」と声をかけた。すると、声かけられた男がやってきて、私たちをラクダのほうへと誘導する。

  私たちがラクダの横に立つと、男は「○×▲!」と掛け声をかけ、ラクダを座らせた。どうやらお座りを躾られているらしい。最初の一匹にZが乗り、そして私の番がきた。左足を鐙にかけ、右足を振り上げ一気に跨る。馬よりも胴体が太いので、足を目一杯広げなければならず、かなり辛い姿勢だ。私たちが乗ったのを確認すると、男は再び「■?×!」と掛け声をかけ、ラクダを立ち上がらせた。そして、Zの乗ったラクダの鞍と私の乗ったラクダの轡(くつわ)をロープで結び付ける。これで準備完了だ。

 男は、Zのラクダの轡から伸びている手綱を操りながら、ラクダを広場の外へと誘導する。よく躾てあるらしく、私たちの乗ったラクダは大勢の他のラクダの間を上手にすり抜け、首尾よく外に出た。

 最初は、30分コースの人たちと同じルートを後ろから着いていく。彼らは、私たちのように少人数ではなく、十匹近くのラクダを連ねての砂漠歩きだ。砂漠を行き来する商隊のようで面白い。

【ラクダでGO!】

 しばらくして、彼らとルートが分かれる。30分コース、1時間コースともに目標とする場所が決まっていて、そことの往復が基本となっているのだ。つい数日前に行った草原もそうだったが、馬乗りなどのコースでは経験者には、けっこう好きに乗らせている。格好良く飛ばしている旅行者がいたりして、うらやましいなぁと思ったりするのだけれども、ラクダはさすがに一人で飛ばしている奴はいない。みんなでロープに連なって、先導者について歩くだけだ。砂漠の場合はそれがけっこうさまになったりするのだが・・・。

 十分もすると、お尻が痛くなってきた。草原の馬乗りで痛めた部分が治りきっていないので、思ったよりもきつい。馬と違って足を目一杯広げた状態で乗らなければならないから、体重が分散できない。こうなると拷問だ。やっぱり、30分コースにしとけばよかったかと心の半分で後悔をした。

【ラクダの足】

  そんな私の心を全く気にかけず、ラクダは砂の上をノッシ、ノッシと進んでいく。私たちであれば、砂避け袋を履かずに歩くと、足を砂に取られて思うように前には進めない。そんな砂漠をヘイチャラで走破していくラクダはどんな足をしているのだろうかと思って覗いてみると、なんと、ラクダの足はハート型をしていた。なるほど、ハート型こそが物と物を最大効率で結びつける形だったのだ!(そんなわけはない)。

 私がこのように科学上の重大な秘密に迫ろうとしている間、Zは手綱を引っ張って歩く男と楽しそうに世間話をしていた。後ろから懸命にヒアリングをしたところによると、男は四川出身とのこと。月給は200RMBらしい。深センの平均からすると、半分以下どころか3分の1ぐらいだろうが、このモンゴルならそれでも十分生きていけるのだろう。でも、四川からモンゴルって遠いなぁ。親戚を頼ってここまでやってきたのだろうか。

 さて、ラクダと言えば、最大の特徴はなんと言っても「背中に突き立った二つ(または一つ)のコブ」である。ところが、私とZを運んでいるラクダたちのコブは、なぜかフニャと倒れて起き上がらない。両手を添えてまっすぐにしてやっても駄目だ。そもそも中が空っぽのようだ。こんなのラクダじゃない!と駄々をこねるわけではないが、とりあえず、男にこの疑問を投げかけてみた。すると、「子供のときに精神的な打撃を受けたり、栄養が足りないとなる」と答えが返ってきた(*注)。ふーん、そうなのか、でもさびしいなぁ。コブが倒れていると・・・。30分コースの他のラクダのは立っているのに、何で私たちのラクダのコブは倒れているのだろう?やっぱり1時間コースは疲れるのかなぁ。

*注)帰宅後、インターネットで調べたところによると、ラクダのコブは脂肪でできていることがわかった。栄養状態が悪かったり、年をとってきたりするとコブが倒れるのだそうだ。また、一度倒れたコブが再び立つことはないらしい。

  出発して15分ほどのところで、ポロライド・カメラを抱えた少年が駆け寄ってきた。1枚15RMBだという。馬鹿高い。でも、彼女へのサービスも兼ねて1枚だけとってもらうことにした。出来上がった写真をみてZは大喜び。よかった、よかった。

 30分経ったところで、小さなオアシスへ到着。ここが折り返し地点とのことだ。せっかくなので、男に頼み、もってきたデジカメでラクダに乗った写真をとってもらうことにした。男はZに向かってパチリとシャッターを切る。Zはポーズを変えて、もう一度パチリ。上機嫌のZをみるのは楽しい。そして、私の番、パチリ。よーし、もう1枚か、そう思う間もなく、男はさっさとカメラを私に向かって返した。おいおい、男女差別だろう。それは。

【オアシス!?だ】

 さあ、あとは帰り道だ。再び手綱をとった男は機嫌よく口笛を吹きながら歩き始めた。少し進んだところで、Zの乗ったラクダから、何かがボトボトと落ち始めた。はて?と覗き込んでみると、果たして○○であった。「おい、XXX(Zの名前)、おまえのラクダが○○をしてるぞ」と一応伝えておく。

 帰還の地まで残り200メートルほどというところで、5歳ぐらいの子供が駆け寄ってきた。どうやら、手綱をひく男の子供らしい。男は手綱を子供に渡して、自分の代わりにラクダをひかせた。子供は慣れた様子で、私たちの先頭に立って歩き始める。よくみると、先ほどまで手綱をひいていた男も、この子供も、裸足である。そんなに暑い日ではないが、怪我をしたりしないのだろうか。

  手綱をひいた子供は大人気で、これから出発しようとラクダに乗って連なっている観光客が「かわいいわねぇ」と次々に声をかけた。そして、広場に到着(12:40)。驚いたことに、子供が軽く手綱をゆすって「○○!(たぶん、『お座り!』と言った)」と掛け声をかけると同時に、私とZの乗ったラクダ2匹はさっと地面に座り込んだ。これはすごい。父親より、ラクダの扱いがうまそうだ。

【ラクダたち】

  ラクダ乗りが終わると、お腹が空いたZはリフトに乗る前に買っておいた果物を取り出し、ムシャムシャと食べ始めた。砂漠の風景をみながら、かなりご機嫌そうだ(注)。
 
注)帰宅後、インターネットで調べてみると、ここ「响沙湾」は、砂漠というよりも砂丘のようだという記載があった。なるほど、私は砂漠と名のつく場所は「响沙湾」以外にいったことはないが、確かに「响沙湾」は砂漠のイメージとはちょっと異なる。ラクダはいるし、見渡す限りの砂地もあるのだが、「砂漠」のイメージにつきまとう「熾烈」な感じがないのだ。
 そこで、「砂漠」と「砂丘」の違いについて調べてみると、「砂漠」は一定の気候条件「年降雨量200ミリメートル以下」のものを指すのに対して、「砂丘」は風によって砂が堆積してできた丘を指すらしい。
 つまり、砂漠は気候との関連性が非常に強いから、より広範囲で、より熾烈な環境をもたらすことが多いわけだ。また、砂漠の中に砂丘が存在するということもあるようだ。
 それでは、結局、「响沙湾」は砂漠なのか、砂丘なのか。「响沙湾」として観光客が遊べる場所は非常に狭いのだけれども、見渡す限りの砂、バスに乗っていたときもかなり長い間砂が続いていたところをみると、やっぱり砂漠なんじゃないかと思う。ただ、熾烈な気候というほどでもないしなぁ。そもそも、中国語でも砂漠と砂丘の相違は明確な区別がなされているのだろうか。

 お腹が満ちたところで、次のアトラクションへ進む。上方にあったのはバイクをジープ化したような「バイクジープ」。席は一つなのだが、横にスタッフが添乗してくれて運転を補佐してくれる。ウィーンとうなりをあげて、砂漠の丘を駆け下り、再び駆け上る。クネクネと丘を回って、レールのないジェットコースターのようでとても刺激的だ。自分だけでハンドルを握って好きに動かしてもよいようだが、ひっくり返りそうで怖くてできない。私は、最後まで添乗員にまかせっきりであった。Zは、一人で乗るのは怖いと珍しく女の子らしいことを言って乗ろうとしなかった。

【バイクジープ】

 次は、二人乗りジープ。後ろに荷台があるので、4人一度に乗ることも可能になっている。今回はZも乗り気だ。添乗員とZが前の座席に座って、私は荷台で座り込む。運転が自分でできるようなら、自分が前に座って運転してもかまわないようだ。このジープも、バイクジープとあまり変わらないコースをいくが、ジープのほうが車体がしっかりしている分、刺激が少なくちょっとつまらなかった。(1回50RMB)。
 今回、私たちは乗らなかったが、数十人が一緒に乗れる巨大ジープもある。これはかなりの距離を飛ばすらしく面白そうだ。ツアー客に混じって乗ることもできるようなので、機会があるなら、試してみるとよいだろう。 

【ジープ】

  さて、次のアトラクションは・・・と、周囲を見回してみると、百数十メートルほど先の丘の上で巨大なビーチボールが跳ねているのがみえた。どうやら、あのビーチボールで遊ばせてくれるという企画らしい。「ほら、あっちで何かやっているよ。行ってみようよ」とZに持ちかけてみた。しかし、「いきたくないわ。面白くなさそうだし」とつれない。「いこうよ。ちょっと見るだけでもいいからさ」。「私は行かない。見てみなさいよ。客がぜんぜんいないじゃない」。うーん、それもそうだ。確かに客がいない。あそこまで行って、つまらなかったでは、大変だ。と、結局、中止。

 そうなると、残されたアトラクションは一つだけだ。「砂ソリ」である。1回10RMBという、この「响沙湾」では格安のアトラクションだけあって、ラクダ乗りの次に人気がある。木製のソリに座って砂の坂道を滑り降りるだけのことなのだが、坂がけっこう急なのでかなり怖い。ブレーキ代わりに、手を後方に向けて砂に突っ込んでいるようだが、一体どれくらい役に立つのだろうか。とにかく、列に並んで自分の順番を待つ。Zは最初、嫌がったが、「大丈夫。大丈夫!」となだめてなんとか列に並ばせた。

 そして、滑降!両手を後方に傾け、一気に滑り降りる。あまりブレーキをかけ過ぎてもつまらないだろうし、ブレーキをかけると手が痛くなるほどにスピードが上がりすぎても困る。そんな風に考えていたが、実際には両手から力を抜いてもスピードはそれほど上がらず、両手は方向安定器程度にしか使わなかった。

【砂ソリ<1>】

 下まで滑り降りて、Zがやってくるのを待つ。ずいぶん怖がっていたので、本当に降りて来れるかどうか心配であったが、なんとか無事滑り降りてきてくれた。

 さて、この砂ソリのメインの部分は、実は下りではなく、登りにある。荷物がなければ、もしくは荷物をもってソリで降りてくれば、このまま川渡しの自動車に乗って、「响沙湾」を去ることができる。しかし、荷物を入り口の砂避け袋レンタル店に預けてきた私たちは、下ってきた砂の坂を登って上まで戻っていかなければならないのだ。(砂避け袋レンタル店のおばさんは、下の事務所にある電話で連絡すれば砂の坂から荷物を転がしてあげるとか言っていたが、そんな無茶はできない)。
 
 この坂が想像以上にきつい。たった100メートルほどの高さの砂山を登るのがこんなにきついと思わなかった。途中から腹筋がパンパンに張れ始め、座り込むこと数度。座り込んでも、下は砂だからふんばりがきかず、落ち着いて休むこともできない。それでも、頑張ってなんとか頂上(もとの場所)までたどり着いた。
 ところで、私たちが乗って滑った木製のソリはどうやって、元の場所に戻るのであろうか。通常、こういった滑り降りる器具は迂回路を使ってトラックでもとの場所に運ぶものであるが、ここ「响沙湾」では違った。
 数人の男女が3台ほどのソリを背中に担いで、懸命に登るのである。私はひとりでも、死にそうな思いで登ってきたのに重いソリを担いでエンヤコラと繰り返し登っていくのだ。私が途中でおちおち休んでいられなかったのには、彼らが横をソリを担いで登っていくのを目の辺りにしたからというのもある。いくらなんでも、ソリを3台担いだオバサンには負けられなかったからだ。負けられないといっても、競争心からではなく、申し訳なくて負けられないという複雑な気持ちからではあったが。 

【砂ソリ<2>】

 砂ソリが終わると、「响沙湾」のアトラクションはほぼ全てクリア。私たちは乗らなかったけれども、砂ソリで坂を下ったところには馬乗りを楽しめる場所もある。

 13:40、リフトに乗って再び河を渡る。
 13:50、リフトを降りて、土産物屋でカップヌードルを購入し、お昼を済ませる。

 「包頭」方面へ出ることができるバスはないかと駐車場をウロウロするが、一台も見当たらない。やってきた高速道路のところまで戻れば、バスがあるのかもしれないが、もはやそこまでする気力なし。

 バン型タクシーの運ちゃんと交渉し、120RMBで「包頭」まで行くことになった。
 乗車してしばらく経ってから、運ちゃんが、「包頭に何をしにいくんだ?」と尋ねてきた。「旅行だ」と答えると、「包頭のどの辺りに行くんだ?」と重ねて質問がある。何だか怪しい雰囲気だ。「いいから、『包頭』総合駅へ行ってくれ!」ととりあえず答えておく。

 旅行しているとしばしば出くわすことだが、地区によっては、土地の名を関した中心となる駅の他に、「○○東」駅とか「○○北」駅とかの派生的な駅が存在する場合がある。通常は「○○」駅が街の中心に近くなるわけだが、土地によっては「○○東」駅や「○○北」駅周辺のほうが、発展していたりする。だから、どこで降りたほうが便利かは、事前に情報を集めていない限りわかりにくい。

 今回は、結局、「响沙湾」から一番近い「包頭東駅」で降ろされてしまった。後から判明したことだが、「包頭市」の総合バスステーションは、この包頭東駅そばにしかないようだ。だから、タクシーの運ちゃんの選択が間違っていたとは言えないが、旅行者として、やはり「包頭(総合)」駅のそばで降りたかった。しかし、下車するときはそこまで気が回らず、そこが東駅であるのを知ったのはタクシーが去ってからであった(15:30)。

  すぐそばにあった売店で地図を購入し、現在位置を確認する。地図でみる限り、包頭市には二つの中心があって、一つは「包頭」駅の方面に、もう一つは「包頭東」駅の周辺にある。東駅の繁華街は駅を中心として発展しているようだが、「包頭」駅側の繁華街は駅からかなり離れた位置にあるようだ。
 さて、ここからさらに「包頭」駅側に移動するのがいいのか、このまま東駅周辺でホテル探しをするのがいいのか。私が迷っていると、Zが「はやく行こうよ」と私をせかす。どうやら、さっさとホテルにチェックインしてシャワーを浴びたいらしい。「响沙湾」での砂遊びで、全身砂だらけだから無理もない。しかし、この辺鄙そうな街で、ホテル選びを誤るわけにいかない。夜の散歩をしても何もなく、ホテルに戻ってもわびしいだけという最悪の結果を招きかねないからだ。

 そうは言っても、「包頭」方面のほうが良さそうだという根拠もない。とりあえず、東駅側で探してみて、適当なホテルがあったらチェックインすることにしよう。それから、「包頭」方面へ出ても遅くはない。 

【包頭東駅】

 東駅からまっすぐ伸びている「南門外街」という通りを上がって行き、ホテルを数軒覗いてみる。どうも、いいホテルがない。そもそも客がろくに入ってなさそうだ。通りも埃だらけで、ここで一晩を過ごしてもいいことなさそうだ。Zはどこでもいいからはやく決めようよと私をつっつくが、どーもなー。

 結局、タクシーをつかまえて良さそうなホテルへ連れて行ってもらうことにした。あまり好きな方法じゃないが、これ以上、Zをなだめつづけるのは不可能だったからだ。

 つかまえたタクシーの運ちゃんは女性であった。一般に、女性の運転手にあくどいのはいない。これはラッキーと思い、「近場で新しいホテルへ連れて行ってくれ」と頼むと、「近くではないけれど、ちょっと郊外へいったところにあるわ」と返事が返ってきた。「OK!」と出発。

 ところが、行けども行けども着かない。「まだ?」と尋ねるたびに「もうちょっとよ」と答えが返ってくる。あんまり着かないので、「もしかして、『包頭』駅の方まで行くの?」と尋ねると、「そうよ」と明るい声で返事をされた。(こりゃ、まんまとやられたな)と思ったが、後の祭りである。今更、もとの場所に引き返せといっても仕方がない。諦めて、じわじわと回っていくメーターを見つめつづけることになった。

 「麗晶ホテル」に着いたのは30分後、タクシー代は33RMBであった。意外と安かったのでそれほど心は痛まない。それよりも、女性の運転手にしてやられたことのほうが悔しい。まぁ、そういうこともあるさ、と自分を慰めながら下車した。

 「麗晶ホテル」は三ツ星で、少し古臭いが内装はしっかりしているし、スタッフの接客態度も良い。一泊331RMBで、この辺鄙な地方にしては高い感じがしたが、まぁ、今日のところはこれでいいだろ、とチェックイン。(一応部屋の下見はした)。(16:40)。

 5:30、シャワーを浴びて砂を洗い落としてから、ホテル発。このあたりの大通りは全て舗装されている。しかし、それでもフフホトより、さらに埃っぽい。中国北方はどこもこんな調子なのかもしれない。

 ホテルを出て5分ほど経ったところで、Zの「お腹が空いた!」コールが始まった。こうなると、Zの頭には食事のことしか思い浮かばなくなる。さっさとお腹に何かを入れてやらなければ大変だ。何かないかと通りを見回すと、あった、あった、羊のしゃぶしゃぶのお店が!勢い込んで、お店に入る。
 席につくとすぐに、ウェイトレスが注文をとりにきた。ところが、「6:00にならないと鍋のスープができません」と言う。途端にZの顔が不機嫌に。時計をみると、6:00まではまだ20分もある。その間、Zをなだめておけるだろうか。これは厳しい。やむなく、いったん、店を出る。

 再び通りを歩き回るが、この辺りはどこも6:00の始まりらしく、適当なところが見つからない。もうわずか15分ぐらいのことなのだが、Zは我慢してくれない。「まだ決まらないの?これなら、さっきのお店にいたほうが良かったじゃない」とお怒り気味だ。普段はそれなりに聞き分けがいいのに、お腹が空いたモードになると何を言っても耳には入らない。口に何かを入れてやらないと収まらないのだ。「おまえが待ちきれないという顔をしていたから、出てきたんだろう」と言い返してみるが、Zの不満は高まるばかり。こういうときに何を言っても無駄なのだ。

 仕方なく、さきほどのお店に戻って、6:00になるのを待って注文を出した。ところが、5分経っても10分経っても鍋が出てこない。15分ほどした頃、鍋は出てきたが、今度は鍋に入れる具が出てこない。終いに後から来た客の方に先に料理が出て彼らが食事を始めてしまった。「何であっちのほうが先に来るのよ!」とZが私に当たる。

  「きっと、地元の常連客なんだろうよ」と再びなだめる。お肉さん、お肉さん、早く来て!祈らずにはいられない私であった。

【シャブシャブ-包頭にて-】

 6:30分、ようやく次々と具材がやってきた。Zの表情が途端にほころんだ。ふうっ、ひと安心だ。お肉と野菜を次々に鍋に入れ、食事に取り掛かった。フフホトに着いて初めての、羊のシャブシャブ鍋ということでかなり期待していたのだが、案外美味しくない。これなら、近所の四川料理屋の鍋のほうがよほど美味しいぞ。店を選び間違ったかと少々がっかり。

 食事を終えると、今度は明日のバス探しに入った。明日出かける予定のジンギスカン陵はかなり遠そうなので、今日のうちに、バスの目安をつけておきたかったのだ。地図によると、「包頭東」駅のそばにしか長距離バスはなさそうな感じであったが、辺鄙とはいえ、これだけ大きな都市だ。いくらなんでも、長距離バス・ステーションが隅っこに一つということはないだろう。そう考えて、探索を始める。ところが、2,3台のタクシーを走り回らせてさがしたが、全く見当たらない。運転手ですら、よくわからない有り様だ。諦めてホテルへ戻ることにした。

 ホテルに着いて、ポーターにも尋ねてみる。親切なポーターで、フロント・スタッフまで巻き込んで調べてくれるが、やはり回答は同じ。「よくわからない。でも、『包頭東』駅にまで行けばあるよ」とのこと。うーん、そうすると、今日「响沙湾」から「包頭東」駅まで乗せてきてくれた運転手の判断にも一理あるということか。まぁ、運転手は近いから選んだだけだろうとは思うが・・・。

 さあ、明日はジンギスカン陵である。かなり遠そうだから、きちんと着けるか不安だ。いや、着けるところまでは問題ないだろうが、当日中にフフホトまで戻りつけるだろうか。明後日の朝にはフフホトの空港から深センへと戻らなきゃならない。これに乗り遅れたら面倒だ。あれこれと心配が頭の中をかけめぐる。ガイドブックを見ながら、一生懸命ルートを検討していると、Zが「そんなにいろいろ考えてたら疲れるでしょ」と一言。(お前が考えない以上、俺が考えるしかないだろ!)とこみ上げる怒りをぐっと抑えて眠りについた。

2004年8月25日
 早朝、5:30起床。着替えを済ませて、ロビーへ降りる。フロントに人がいなかったので大声で呼び出す。すると、寝ぼけ眼の服務員が目をこすりながら出てきた。6:00、チェックアウト。「麗晶ホテル」はすこし古ぼけているが、一応ドライヤーもついているし、冷蔵庫もあった。「包頭」の地図にも写真付きで紹介されているので、包頭では良いホテルに分類されるのではないだろうか。

 タクシーに乗って、「包頭東」駅そばの長距離バス・ステーションまで行く(32RMB)。6:35、バス・ステーション着。中国人向けガイドブックによると、ジンギスカン陵に行くためには、まず「東勝」という所まで行かなければならない。チケット売り場を見渡すと、「東勝」行きのバスには2種類あることがわかった。安いのが14RMB、高いのが22RMB。前者が各停、後者が直行便のようだ。どうみても22RMBのバスのほうがまともそうだが、第一便が8:00となっていて出発が遅すぎる。やむなく、14RMBのバスで行くことにした。今日は、とにかく早くつかなければならないのだ。

  6:40発のはずであったが、実際に出発したのは6:55。その上、数メートル進むたびに車をとめて客引きをやるので、全然進まない。乗客も不満げな様子だ。Zは怒りまくり。「いくらなんでも、やりすぎよ。これじゃいつになったらつくかわからないじゃない」。だが、ここに乗っている誰もが逆の立場であったら、同じことをやるに違いない。彼らの怒りは、あくまで自分の立場からの意見の表明であって、法や道徳という観念的な客観性に基づく判断ではないからだ。と、そんなことを言っていてもはじまらないので、「いい加減にしてくれよ」とつぶやいてみる。

 何とか高速道路に入ると、さすがに客引きはやみ(何しろ客がいないから・・・)「東勝」に向かって一直線に進んだ。高速道路の両脇は、緑で溢れ、草原よりも美しいくらいだ。バスの椅子がちょっと臭いのと昨日のラクダ乗りで痛めた尻のことを除けば、まずまずの気分だ。

 9:15、「東勝」着。中国人向けガイドブックによると、ここで、ジンギスカン陵行きの直行バスが見つかるはずだ。
 
 バスを降りたところで、「どこに行くんだ?」と長身の男が声をかけてきた。もちろん、相手にしない。こんなところの客引きにロクな奴はいないからだ。さっさと、バスに向かう。
 だが、すぐ横で「ジンギスカン陵よ」と元気よく答える声がした。もちろん、Zである。おい、おい、素直に返事するんじゃねぇーよ。「ジンギスカン陵か、だったら、こっちだよ」とすかさず男が追いすがる。「○○(Zの名前)、どうせペテン師だ。相手にするな。バス・ステーションの中で聞くんだ!」とすかさず私が声をかけ、Zの手を引っ張る。Zは「わかってるわよ」と口を尖らせた。「わかってるんだったら、なんで行き先を言うんだよ。行き先を行ったら、ついてくるだろうがよ」と私は文句を言った。「行き先を言わなきゃ、客になりそうかどうか判断がつかないから、ついて来ないんだ」と続けながら、懸命に追いすがってきているであろう男を首をひねって指し示した。Zも振り返って、男を確認したのち、「わかったわよ」と少しふてくされて言った。

 バス・ステーションに入ると、ずらっとカウンターが並んでいる。「とにかくジンギスカン陵行きバスのチケット・カウンターはどれか探そう」と私が言うと、Zがひとつ目のカウンターで質問をはじめた。「ジンギスカン陵行きのチケットはどこで買うの?」。あっちよ、と売り場のおばちゃんが右を指差す。と、同時にさきほどの男が追いついてきて、「ジンギスカン行きだろ、こっちだよ」と自分のほうに手招きした。Zはこれを無視して、となりのカウンターで同じ質問をする。売り場のスタッフは、あっちよ、とこれも右を指差す。後ろで男が再び、「ジンギスカン行きだろ、こっちだってば」と手招きする。Zは慌てて、となりのカウンターに移る。「ジンギスカン陵行きのチケットはどこで買うの?」と質問を繰り返すと、またもや「あっちよ」と右を指をさされ、「いくつ向こうなの」と尋ね返すと、「一番右よ」と答えが返ってきた。Zは喜びいさんでそっちへ向かう。男もようやくあきらめたらしく、とぼとぼ引き返していった。Zにはかわいそうなことをしたが、今回で懲りたろうから、次はこんな目に会うことはない。

   ジンギスカン陵までのチケットは8.5RMB/人。チケットの料金から判断する限り、それほど遠いとは思われない。だが、ここからは都市部から離れていく一方だから、単にチケットが安くなっているだけかもしれない。果たしてどうなることやら。

 チケットを手にして、バスを目指して歩いていくと、運転手らしき男がバスを降りて(こちらへ向かってきた。「どこへ行くんだ?」と尋ねてきたので、「ジンギスカン陵だよ」と告げてチケットをひらひらさせる。「なんだ、チケットを買っちまったのか」と男は途端に険悪な表情になった。(チケット買ってどこが悪いんだよ)と思い、「なんだ。行かないのかよ」と言うと、「いくよ!」とふてくされた様子で手のひらを振って、乗車を促した。そして、自分はバス・ステーションへ向かっていく。トイレにでも行くのか、受け取った切符の精算にでも行くのか・・・よくわからないが、ちょっと不愉快だ。

 バスに乗ると、客をさばく役割らしき男が運転席の近くに座っていたので、再び尋ねてみる。「このバス、ジンギスカン陵に行くんだろ」とチケットを見せると、じっとチケットを眺めたのち、「いくよ、いくよ」と嫌そうに答えた。
 (まったく、どういうわけだ。まるで、チケットを買うのが悪いみたいじゃないか。どういうわけなんだ)と思うが、相手が行くと言っている以上、どうしようもない。とんでもないところで降ろされないよう祈るだけだ。

 客がぼちぼち乗り込んでくるなか、物売りがやってきた。パンやお菓子やソーセージを籠に入れて、客席の間を売りに回る。Zが「私、ソーセージが欲しい!」とはしゃぐ。「だめだ。あんな籠に入っているのは、どんなところで作ったかわかりゃしないんだから」とたしなめると、プクッと頬を膨らませて黙り込む。「いや、だからね。新聞にものってたよ。いいかげんな工場では、病気で死んだ豚の肉でソーセージを作ったりしているって・・・」となだめるが全く役に立たない。
 「草原行きのバスでも買ったわよ。○○(私の名前)だって、食べたでしょ」と反論してきた。「食べた、食べた。でもな。あそこは、フフホトだろ。一応、省都だよ。ここは包頭からさらに離れた東勝だぞ。全然場所が違うじゃないか」とさらに説得を試みるがすでに私の言葉は彼女の耳の中には入っていかない。これじゃ、私がいじめているみたいじゃないか。
 「わかったよ。買っていいよ」。あきらめて、同意した。この調子で「ジンギスカン陵」まで膨れっ面をされたままではかなわないからだ。Zは疑わしげに私を見る。仕方なしに、物売りを呼び寄せて、ソーセージを買ってやる。Zの顔がパッと明るくなり、嬉しそうにソーセージを手に取った。素早く包装をむいて、ぱくつき始める。2,3口食べたあと、「○○も食べなさいよ」とこちらに差し出す。「いや、いらない」と断ると、全く頑固なんだから!という表情をして、再びソーセージを食べることに専念しだした。まあ、とにかく機嫌が直ってよかった。このタイプのソーセージは、スーパーで売っているものより一回り大きく、正直、とても美味しい。でも、明らかに手作りの要素が強く、どんな工場で作っているのかを想像するとちょっと恐ろしい。それでも、不愉快な顔をしているZを横に置いたままより、ずっとましというものだ。

 バスが客でいっぱいになったころ、先ほどの男が戻ってきて、運転席についた。さあ、出発だ(9:45)。

 一体、どのくらいで着くんだろうか。そもそも、ジンギスカン陵の前まで行ってくれるのだろうか。下手なところで降ろされるぐらいなら、タクシーでここから行ったほうがいいくらいなのだ。荷物もあるし、もはや最終日、あまり無理はしたくない。でも、もう行けるところまで行くしかない・・・。

 10:15。「伊金」という場所に到着。ここでトイレ休憩か?ということは、まだまだ先だなと考えていると、客をさばく係りの男が、「お前ら、ジンギスカン陵に行くんだろ。あっちのバスへ移りな」と声をかけてきた。なんだ、乗り換えをさせられるのか、だったら、最初からそう言えよ。文句の一つでも言ってやろうと思っていると、横でZが「わたしたちのチケットはジンギスカン陵までのよ。向こうでは買わなくていいのよね」と確認を始めた。「ああ、買わなくていいよ」と返事をもらうと、ダッシュで下車し、向こうのバスへ飛び乗った。私が荷物をもってノロノロと後をついていくと、「○○(私の名前)、はやく、はやく!」と私を急かす。「ここで乗り換えをさせられるとはなぁー」と私がぶつぶつ言っていると、「お金は払わなくていいんだって」と手で乗車を促す。(そんなのは当然だ。問題は、乗り換えがあるって言わずに・・・)と思ったが、いまさらそんなことを言っていても仕方がない。ここはZが正しい。さっさと乗ろう。

 バスはすでに満員で、なんと、通路に小さな木製の丸椅子を置いて座るハメになった。こんなのは貴州以来じゃないか、と一瞬懐かしくも思ったが、考えてみれば、これから何時間乗ることになるかわからないのである。それをこの丸椅子の上で過ごすことになるのかと少し憂鬱になった。客をさばく係りの、見るからにモンゴル系のでっぷりとしたおばさんに「ジンギスカン陵までどのくらいかかるんだ?」と尋ねると、「○○×▲◇・・・・・」と答えが返ってきた。全く聞き取れない。普通語の方言のような気もするし、或いは、モンゴル語なのだろうか。もう一度ゆっくりと言い直してみるが、やはり相手の言葉が聞き取れない。だいたい、私の言葉が通じているのかも怪しい。諦めて、Zに助太刀を頼む。Zも苦戦しているようだが、なんとか30分ぐらいで着くらしいということがわかった。私が、「30分だな」と指で示すと、「うん、うん」と同意らしき動作を示す。うーん、どうもこのオバサンの中には、30分という時間の概念が存在しない感じだ。まあ、まだ午前中だ。遅くても1時や2時には着くだろう。そう腹を決めて椅子に座り込む。

 バスは、草原の中を走りつづける。非常に美しい景色が続いていて、草原ツアーなんかいくより、この辺りで下車して1日過ごすほうがよほど楽しいのではないだろうかと思わせる場所であった。うつら、うつらしていると、オバサンからジンギスカン陵は次よ、と声がかかった。もっとも、わかったのは「成陵(ジンギスカン陵の略)」の部分だけであったが。時計をみると、11:40、意外にはやく着いた。これなら、今日中にフフホトまでたどり着けそうだ。

  オバサンが指で示した方向に向かって100メートルほど歩くと、ジンギスカン陵が見えた。入り口手前に駐車場があったので、帰りのバスがないかと探してみたが見当たらない。最悪の場合、タクシーで帰るしかないなぁ。

 ジンギスカン陵のチケットは35RMB/人。チケットを入手して中へ入る。この「ジンギスカン陵」というのは、ジンギスカンその人が亡くなった場所でもなく、遺体が埋められている場所というわけでもない。モンゴル族出身で後に国家副主席にまでなった「ウランフ(烏蘭夫)」という人物が建議し、作られたジンギスカン記念碑のようなものだ。それでも、毎年大勢のモンゴル族が集まり、盛大な催しが行われるらしい。本物のジンギスカンの墓といえば、今年の半ば頃、モンゴル(国)でほぼ正確な位置が確認されたとYahooニュースに書かれていた。

【ジンギスカン陵<1>】

 入場すると、奥の方に、大きな建物が見える。想像していたよりも、こじんまりとした建物であるが、記念建築物だと思えば、そんなものか。中央にどどーんとジンギスカンの像があり、左手が展示室になっている。展示室には、ジンギスカンの時代に使用されていた様々な品が並べられている。右手には、ジンギスカンの時代を模した絵が壁いっぱいに描かれている。奥へいくと、ジンギスカンが住んだであろうパオの状況を再生した展示物が置かれていて、ここで写真をとることもできるが、代わりに何百元ものお金を寄付しなければならないようだ。

【ジンギスカン陵<2>】

 建物を出て入り口まで戻る途中、左手のほうに、石を積み上げた小さな山が見えた。なんだか、お墓のようである。(帰宅後、インターネットで調べてみたが、確かな情報がないので後日改めて紹介させて頂くことにします)。石の山の広場からは広大な草原が見える。毎年行われるという、ジンギスカンの祭典になると、この草原がモンゴル族たちでいっぱいになったりするのだろうかと想像を弾ませた。空と草原がどこまでも続き、時間の限り馬をかって地平線を追いかけてゆくことができる。そんな時代があったのだ。ジンギスカンに付き従ったモンゴル族たちは、何を想ってこの草原を眺めていたのだろうか。

【ジンギスカン陵<3>】

  午後1:00、「ジンギスカン陵」を出る。「バスはあるかなぁ。やっぱり、道路に出てつかまえるしかないんじゃないか?」という私の横で、「お昼ご飯、お昼ご飯、今日はまだお昼ご飯を食べてないよ」と騒ぐZ。「でも、ここ、汚い食堂しかないぞ」と言ってみるが、もはやZの耳に私の声は届かない。「大丈夫、大丈夫。あそこで食べよう」とZは小さな食堂へ向かって歩き出した。考えてみればすでに1:00だ。Zにしては、我慢をしたほうだろう。とりあえず、食事をするか。

 中国人の旅行者用の小さな食堂で、スタッフも、調理師とウェイトレスが一人ずついるだけ。客は私たちと、同じく観光しにきたであろう家族が一組いるだけであった。適当に注文をして、腹を満たす。

 食事を終えて、再び、駐車場でバスを探す。だが、包頭行きも、フフホト行きのバスも見当たらない。仕方がない。バスを下車した場所で探そう。朝からの強行軍がたたって、体が重い。Zもかなりだるそうである。が、とにかく帰途へつかなければならない。道路脇でバスを待つがなかなか来ない。一体、何時間に一本あるのだろうか。「タクシーにしよう。『東勝』までは、タクシーを使って、そこで、フフホト行きのバスを見つければいい」。そう私が提案すると、Zが「タクシーなら、さっきの駐車場にいたわよ。あそこまで戻ろうよ」と言う。
 「あそこで客待ちはしていないよ。していたら、俺たちに声をかけてきたはずだ」。
 「そんなことない。絶対にいる」とZはなかなか頑固だ。
 「いや、ここでつかまえようよ。もう疲れたしさ」。
 「だめ。あそこまで戻る」。
 どうしても戻る気だ。言っても聞きそうもないので、一旦、駐車場まで戻ることになった。「○○(Zの名前)は荷物がないからいいけど、俺はこのボストンバックがあるんだからなー」と文句を言ってみたが、「貴方は男だから当然でしょ」とかわされて終わり。

 駐車場に着くと、Zはさっそくタクシーの運転手に声をかけて回る。だが、しばらくして、肩を落としてこちらまで戻ってきた。「みんな送ってきた客を待っているんだってー」。(だから、言っただろ!)と私は心の中でつぶやいたが、口には出さない。「とにかく、道路脇まで戻ろう」と声をかける。

  ちょうど道路にたどり着こうとしたとき、タイミングよくタクシーが止まった。だが、前部座席に客を乗せている。運転手は、私に向かって「どこまで行くんだ?」と声をかけてきた。うーん、相乗りかー。どうしたもんかなーと悩んでいると、後ろからZが「駄目。乗ることない。別のタクシーを捜そう」と決めつける声が聞こえた。いい判断だ。相乗りなんて危ないことは避けるに越したことはない。
 「東勝までいくらだ?」と尋ねると、「一人15RMBだ」という。や、安い。心がグラッとゆらいだ。だいたい、この辺りの風景を見る限り、空のタクシーなんて当分の間やってきそうもない。嫌がるZを説得し、後部座席に乗り込む。
 「荷物は後ろのトランクに入れてくれ!」と運転手が注文をつけてきた。
  「なんで?後ろに置きたくないんだけど・・・」。
 「まだ客が乗るかもしれないから」
 「本当かよ。だったら、降りる!」と私がいうと、Zがここぞとばかりに、「降りよう。降りよう!」と唱和し、ドアを開ける。運転手は慌てて、「わかった、わかった。他の客はとらないよ」と応じた。

 13:45、出発。「東勝」まで15RMB/人で戻れるとは思っていなかったので、ずいぶんもうかった感じでうれしかった。ただ、途中、運転手がこりずにまた客をとろうとしたことがあった。Zの大反対であきらめたものの、そのときの料金がたったの5RMBだったので、地元の相場からすると私たちはむしろ払いすぎだったようだ。

 15:00、東勝着。15:30にフフホト向け直行バスに乗車。48RMB/人。テレビ・トイレ付の豪華型バス、約55シート。作りもしっかりしているので、安心して乗れる。(フフホト行きのバスは夕方の5時頃まであるようです)。東勝から、斜めに突っ切っていけばあっと言う間にフフホトに着きそうだが、そうではないようだ。いったん包頭市の方角に向け走った後、再びフフホトに向かって転進する道をバスは選んだ。距離の短いガタゴト道をいくより、遠回りでも高速道路を走ったほうが速いということか。包頭市からフフホト市への道では、左側にずっと山が続く。日本の山並みにそっくりだなぁ。しかし、さすがに疲れた。首が痛い。うつら、うつらと眠ったり起きたりを繰り返しながら、18:30、ようやくフフホトに着いた。

ここから、「呼和浩特<フフホト>探検記」へ続きます。