呼和浩特市の旅


灰色の部分が内モンゴル自治区です。

【 目 次 】

<2004年8月21日>
<2004年8月22日>
<2004年8月23日>

<2004年8月26日>
2004年8月21日
 今回の旅は友人Zとの二人旅。これまで彼女とは、広州へ短期旅行をしたことがあるのみで、遠方への旅行は初めてである。果たしてうまくやっていけることだろうか。中国人との旅行は助かることがある反面、微妙な感覚のズレから私の望む旅をできない可能性もある。ちょっと心配だ。どうなることやら。

 9:15、グッピーに最後の餌をやってアパートを出る。それから、私の部屋は家賃の支払い日が毎月23日なので、大家のところへ寄ってお金を渡した。大家は心配性で、期日に支払わないと私の携帯まで電話をかけてくるからだ。

 深セン→フフホトよりも、広州→フフホトのほうが500RMB弱安かったので、今回は広州経由で行くことになっている。そこで、まずは一番近いバス・ステーションまでタクシーで向かった(10RMB)。
 乗車したバスは9:30発。このバスは、中国でいう「豪華大型バス」、日本の観光バスのようなものだ。テレビ、トイレがついていて、シートもリクライニングするので至極快適だ。もちろん、クーラー完備である。シート数は45席ほどだ。
 Zとともに席に着いたところで、新聞の売り子がやってきた。私が好きなのは「広州日報」だが、なかったので「晶報」を1RMBで購入する。バスが発進したところで、Zが「内モンゴルは13℃-22℃」と天気予報を読み上げた。そして、「寒そうね。私、今着てるの半袖よ」と明るい声をあげる。心配しているというより、嬉しそうだ。楽しくてたまらないという様子だ。飛行機に乗るのは初めてだそうだから、興奮が抑えられないのかもしれない。
 しかし、13℃から22℃か。ずいぶんと寒いな。いつもは一人旅だから、ボストンバッグいっぱいに服を詰め込んで行くのだが、今回は二人になった分、服の量を減らした。リュックサック以外の荷物は一つに抑えたかったからだ。(厚着は一着しかもってこなかったからな)と心配になる。どうしてもということになったら現地で買うという手もある。しかし、そうなると洗濯をせずに着ることになるから衛生上心配だ。新聞によると、中国では貸衣装から皮膚関連の病気が移るということが少なくないそうだ。買った服で感染したという話は聞いたことがないが、用心に越したことはない。できれば避けたいところだ。

 出発時はわずかに雲が多い程度であったが、一眠りして目を覚ますと、空が真っ暗になっていた。今にも大雨が降りだしそうな空模様である。飛行機が遅れるかもしれないなぁと心配になる。もともと、午後3時過ぎという少し遅めの便である。さらに遅れると、到着が夜中ということもありうる。そうなると、ホテル探しが大変だ。
 今回は内モンゴルへの長距離旅行ということもあって、インターネットでホテルを予約することも考えたのだが、インターネット料金と直接交渉した場合の料金の比較がしてみたくなり、結局予約はせずにおいた。しかし、あんまり遅くなると交渉の余地がなくなるから馬鹿高い料金で宿泊しなければならなくなる可能性もある。電話で予約を入れておいたほうがいいかなぁ。

 10:50、「広園バス・ステーション」着。そうか、このバスは広園バス・ステーションにもとまるんだ。昨日調べたところでは、このバス・ステーションからも空港へのリムジンバスが出ているらしい。ここで降りるのも手だなと思ったが、そうなると初めてのルートをとることになる。ここは最初の予定通り、省バス・ステーション経由で行ったほうが無難だろう。そう考え、下車を踏みとどまった(*注)。

*注)広州駅近くの「省バス・ステーション」からリムジンバスの出る「民航チケット売り場」までは徒歩で15分はかかる。一方、「広園バス・ステーション」で乗り換えれば、歩かなくてすむ可能性が高い。だから、広園バス・ステーション経由で乗り換えた方が有利かもしれない。
 ただし、「広園バス・ステーション」乗り換えの場合、一つ心配しなければならないことがある。「広園バス・ステーション」から出るバスは、もしかしたら、省バス・ステーション発のものであるかもしれないということ。そうなると、満席で乗れなかったり、(二人以上の場合には)席が別々の場所になったりすることが起こるのではないだろうか。

  11:15、省バス・ステーション着。バス・ステーションの建物は大幅に改善され乗り降りしやすくなったが、一歩外へ出ると以前と全く同じ混雑だ。集中と繁栄の図式はどうやっても変わらないようだ。思い切って、すぐ近くにある市内バス用の「流花バス・ステーション」くっつけてしまえば、ずいぶんと改善するのではなかろうか、などと思ってみたりする。
 省バス・ステーションを出たところに、最新型公衆トイレ(有料)がある。以前に新聞で読んで知っていたので、一目見てわかった。これは試さずにいられない。Zの(理解できないわ)というあきれた顔を横目に、1元硬貨を握り締め、公衆トイレの前に立った。
  「あれ?」
 トイレの前で私は湧き上がる疑問符に包まれた。
 硬貨投入口があるべきところに、「有人」というプレートがあり、硬貨が投入できないのだ。どこに硬貨を入れたらよいのだろう。隣のトイレをみると、そこにも「有人」のプレートが出ている。このプレートの意味することはなんだろう。灯りがついていないところをみると、「空」を意味するのだろうか。うーん、困った。トイレの使い方がわからないなんて、かなり恥ずかしいぞ!
 動揺を隠しながら、必死で思考を巡らせていると、トイレ管理スタッフがやってきてボソボソと何かを言っている。
 (人が・・・、どうしたって?よくわからないぞ)
 さあ、聞きかえそうかと思っていたところで、ドアの自動ドアが開いて人が出てきた。同時に「有人」のプレートが引っ込み、硬貨投入口が現れた。
 おおっ!そういう仕組みだったのか。トイレに人がいると、硬貨が投入できないようになっているのだ。確かに、これなら間違いがない。(でも、日本だったら、こういう構造にはしないことだろう)。
 さっそく1元硬貨を投入すると、ドアがウィーンと音を立てて開いた。感動的だ。中国ではデパートでも見ることが少ない自動ドアが、このトイレに採用されているのだ。うーん、ちょっと順番が違っているような。
 中に足を踏み入れてみると、そこには当然のごとくトイレの設備があった。いわゆる和式トイレと小便用トイレの二つが狭い面積に設置されていた。洗面台までついている。設置されてからそんなに長い期間が経っているとは思われないが、すでにちょっと薄汚れた感じだ。おそらくタバコのヤニのせいだろう。和式トイレの前にはテレビが設置されており、ビデオでトイレの使い方を説明している。
 内部は少し蒸し暑い。洗面台の上には、なぜか小型の扇風機が置いてある。密室にしてあるので温度があがってしまうのだろうが、クーラーが設置できないのだったら、窓を取り付けたほうがイメージがいいように思う。自動ドアと扇風機の組み合わせはどうにもアンバランスだ。
 トイレを出るときは、すぐそばにあるボタンを押す。すると、再びドアがブーンと音を立てて開く。いやー、いい経験をさせてもらった。以前に普及しそうになった「微生物利用トイレ」といい、今度の「全自動トイレ」といい、中国はけっこうトイレ先進国なのかもしれない。次はどんなのがでてくるか非常に楽しみだ。

  11:30、駅前のマクドナルドで腹ごしらえ。さあ、何を食べようかなとカウンターの後ろにあるセットメニュー一覧を眺めてびっくり。6つあるセットメニューの内、牛肉を使ったセットはビックマックの一つしかない。あとは、鶏肉と豚と魚のメニューだ。もともと中国人は鶏肉好き。それが狂牛病やらで牛肉人気が一層衰えたというわけだろうが、鳥インフルエンザはあんまり影響がないようだ。まぁ、狂牛病の方が怖そうな名前だもんな。日本のマクドナルドのメニューはどうなっているのだろう?

  12:00、駅横にある「民航チケット売り場」に到着。新空港建設に合わせて行われたであろう改修工事も終わっており、リムジンバスも建物も見違えるように綺麗になっていた。以前のリムジンバスは、とても南方の雄「広州」のものとは思えないようなボロバスであった。その代わり料金はとてもリーズナブルで3RMB。中国に来て以来、こんなに安いリムジンバスにはのった記憶がなく、初めてのときは大変驚いたものだ。
 そのリムジンバスが新品に!まぁ、ある意味つまらなくなったとも言える。料金も跳ね上がっており、いっきに16RMBになっていた。
 「荷物は外側のトランクルームに入れてください」と声をかけてきたバスガイドの勧めを無視して、荷物とともにバスに乗り込む。最近普及してきた豪華型タイプのバスは日本と同様にトランクルームを備えており、荷物はそこに預けるように勧められることが多い。「荷物をシートに置いてはだめですよ」と釘をさされるのだ。
 しかし、トランクルームを映し出すカメラが設置されているならともかく、この中国で荷物を手もとから離すなんてリスクはとても犯せない。(実は、一度トランクルームに入れたことがあるのだが、下車するまで気が気でなかった)。飛行機に乗るぐらいお金をもっている人々は他人の荷物をとったりしないだろうか。いやいや、悪い奴はそうした心の隙に付け込んで悪事を働くのだ。そう決めつけて、ボストンバックを通路に押し上げる。運転手の迷惑そうな顔を横目にみながら、荷物とともにどんどこ進んでいくと、案の定、「荷物をシートにおかないでください」と声がかかた。「わかってるよ」と答えてバッグをシートの足元に押し込んだ。なんだか自分が野蛮人になった気分だが、それは錯覚にすぎない。そうに違いない。
 
  席に着くとすぐに、Zが「バスの表に新空港と書いていなかった。白雲空港としか書いてなかった」と言い出した。(えっ、旧白雲空港は新白雲空港のオープンと同時に閉鎖されたんじゃなかったっけ?)と思って、バスのガラスに書いてある行き先をみると、確かに白雲空港としか書いていない。変なことを言い出すなよと思ったが、疑問を感じてしまった以上、確認しないわけにはいかない。おろしたばかりの腰を再び持ち上げて、運転手のところまで確認にいった。
 「今は新空港しかないんだよね。このバスは新空港へ行くんでしょ?」
 「そうだよ」と簡単な答えが返ってくる。
 (Zの奴め、びっくりさせやがる)と思ったが、ここで非難をしては肝心なところで口をつぐんでしまうことになりかねない。黙って席に座ると、Zが「ごめんねぇ」と小声で言うので、「いや、さっきのでいいんだ。万一ってこともあるからな」と慰めておく。

 12:10発。天気がどんどん曇ってくる。この調子だと、大雨になりそうだ。もしや、あの悪夢の再現か・・・。江西省南昌空港で食らった待ちぼうけを思い出す。まぁ、今回は二人だからな。退屈しないからいいか。でも、女連れでホテル探しにウロウロするのも大変だなぁと頭の中で二人旅のメリットとデメリットが錯綜する。

 12:30、空港着。さすが新空港かなり大きい。まずはチェックインの時間を確認に行く。電光掲示板をみると、チェックインの開始は13:50からだ。まだまだ時間がある。せっかくの機会だからZに飛行機の乗り方を教えておくことにした。これから長い付き合いになるとしたら、彼女に一人で飛行機に乗ってもらう必要が出てこないとも限らないからだ。
 とは言っても、いきなり詰め込んだところでそうそう頭に入るものでもない。とりあえず、「空港建設費の購入」→「チェックイン」→「審査」→「ボディチェック」→「搭乗」までを簡単に説明した後、空港の観光をすることにした。
 インターネット上の情報によると、「広州空港は新しくなっても相変わらず管理が悪い」とのことであった。過去、私自身が旧空港を利用した印象では、たしかにゴチャゴチャしていたが、「管理が悪い」とまでは考えなかった。さあ、事実はどうなのか。自分の目でしっかりと味わうことにしよう。

 「管理が悪い」というのは恐らく事実だろう。そう思ったのはたくさんあるチェックインカウンターの前に立てられたホワイトボードによる変更のお知らせをみたときであった。チェックインカウンターのある島ごとに一つずつホワイトボードがおかれており、飛行機の発着、キャンセル等を知らせている。変更も一つや二つではない。両手では足りないぐらいの変更がホワイトボードに記されているのだ。5,6年前、北京の搭乗ゲートでホワイトボードによる変更のお知らせをみたことがあるが、それをこの新空港でも見ることになるとは思わなかった。電光掲示板は何のためにあるのだ?そう聞きたくなる。
 これでトラブルが起きないはずがない。空港巡りを始めるとすぐに、チェックインカウンターの一角で乗客とツアーコンダクターらしき人物が言い合いをしている場面に遭遇した。空港の職員が参加して何やらメモをとっている。原因は何だろうと耳を傾けるが、悲しいかな、私の中国語力では内容がはっきりとつかめない。どうやら、集団で飛行機に乗り遅れたらしいことだけはわかる。
 どうなるかなと興味津々で見つめていると、Zに「もう行こうよ」と袖を引っ張られた。私の知っている範囲ではたいがいの中国人はこうした小さな事件が大好きでへばりつくように見て離れないものだが、Zは違って、寄りつこうとしない。人が多く、注意が外にそれてしまうような場所はスリの仕事場になりやすい。だから、私も大賛成なのだが、本当に興味があるときも、嫌がるので時々困る。

 名残惜しかったがやむなくその場を離れると、「空港建設費」のチケット売り場が目に入った。ちょうどいいので、購入を済ませておく。
 ここでインターネットで手に入れた情報のことを思い出す。たしか、広州新空港では、大量の「セグウェイ(ジンジャー)」を購入したとのことだ。夢の乗り物などと呼ばれ大騒ぎされた二輪車である。私は新しいもの好きなので、この機会に是非みておきたいと思った。そうして、空港の隅々まで目を凝らしたが、どこにも「セグウェイ」らしき姿がない。代わりに、電気自動車と思われる小型の車が徘徊しているのが目に入った。見ると、車体に空港の観光「**RMB」と書いてある。なるほど、これで見学することもできるのか。でも、ちょっと恥ずかしいなぁ。

 階下に下りてみると、そこはショッピングセンター。レストランやらアパレル店やらのテナントがたくさんあるが、半分ぐらいはまだ空きのままだ。服の値段はそれほど高くなく、街中と変わらない。寒い地方へ旅する人はここで服を仕入れていくのもいいかもしれない。

 13:50、チェックイン、審査、身体検査を抜けて搭乗口へ向かう。そとはすでに豪雨だ。これでは定刻通りの出発は望めまい。

 登場口脇のベンチに座り、外の大雨を眺めるうちに、今晩の宿泊先が心配になってきた。とりあえず、料金だけでもチェックしておくことにしよう。そう思い立ち、インターネットで調べておいた「内蒙古衆信商務ホテル」に電話を
かけた。すると、ツインルームで「一泊280RMB」とのこと。インターネットで予約する場合とほとんど変わらない。
 
 搭乗時間が迫ってきたところで、案の定、電光掲示板に変更の通知が出た。15:10から15:40への遅延である。30分で済めばいいが、そうはうまくいくまいと思っていると、さらに変更の通知。今度は16:10だという。
 ここで、ZからSOSが出た。お腹が空いたのだという。我慢しろ!などという台詞はZに対しては全く無駄だ。20秒もしないうちに、またもや「お腹が空いた」と言い出すに決まっているからだ。彼女を黙らせるにはとにかく何かを食べさせてやるしかない。早速二人で、食べ物を探しに出かけた。

 最初に目に入ったのはレストラン。ここで食事ができれば、コーヒーも飲めるし言うことなし。でも、空港の食事やコーヒーは馬鹿高いのが一般的。一杯40RMBのコーヒーも珍しくない。日本でならともかく、中国でこの価格は許せない。いや、高い分、ウェイトレスの教育が行き届いているならいいのだが、サービスの水準は街のコーヒー店とたいして変わらないのだ。40RMBも払って受け皿にコーヒーをこぼしたまま、目の前に出されたりしたら腹が立って仕方がない。(ただし、深セン空港における現在のコーヒーの値段はわかりません。これは過去のデータに基づいています)。
 そこで、すぐ対面にあるジュースやら、クッキーやらを並べてある飲食物店を物色することにした。パンはないようだし、クッキーでも食べようかなと考えていたところ、カップ・ラーメンが目に入った。
 「XXX(Zの名前)、インスタント・ラーメンがあるぞ!」と冗談で言ってみた。すると、「ホントーだ、じゃ、私はこれを食べる」と手にとってカウンターに行くではないか。「お湯はどうするの?」と振り向くと、カウンターにしっかりと魔法瓶が置いてあった。Zはさっさと会計を済ませて、カップメンのフタをあけ薬味と調味料を入れ始める。(空港でカップメンかよ。ちょっと俺にはできないな)と思い、再び品定めに入るが、適当なものがない。そう言えば、雨のせいだろうか、少し肌寒いと身体を振るわせる。ふと、カウンターを眺めやると、お湯を注ぎ終わったZが待ち遠しげにカップメンを見つめている。続いて頭に浮かんだのは、美味しそうにカップ・ラーメンを食べているZの横で、肌を震わせながらボリボリとクッキーを口にしている自分の姿。
 結局、5分後にはベンチで二人仲良く、カップメンをすすることになった。
 「うまいなぁ、身体も温まったし。さすが、XXX(Zの名前)だなぁ。俺一人じゃ、とてもカップメンを食べようとか思わないよ」
 「そーでしょ。私に感謝しなさいよー」とご機嫌なZ。

 カップ・ラーメン(10RMB/個)を食べ終えて、電光掲示板に目をやると、いつの間にかゲート変更の通知が流れている。放送もなしにひどいぞ。慌てて、移動を開始。幸い、移動先のゲートは近く、1分もしないうちに移動完了。

 17:00、出発時刻の変更が繰り返されて、とうとうこの時間になってしまった。トイレに行って見ると、空気が白く曇っている。天候による飛行機の遅れがあちこちの便に影響を与えているのだろう。トイレは喫煙者によるスモーキングルームに変わってしまっていた。飛行機の遅れが多発している分、空港も強く注意できないのだろうが、それにしてもひどい。こんな妥協をするぐらいだったら、喫煙ルームを作ったほうがよほどましだと思うのだが。

 「18:10に搭乗時間変更 ゲートはXXXに変更」と電光掲示板に通知が流れる。慌てて時計をみると、すでに18:05。私たちと同様にフフホト行きの搭乗を待っていた周囲の乗客たちも、ざわつく。一体、どこのゲートなんだ。たった5分で間に合うのだろうか。

 席を立って、通路をウロウロするが、指定されたゲートは見つからない。他の乗客も同じらしく、辺りをきょろきょろと探し回っている。このままいたずらに時を過ごすわけにいかない。インフォメーションセンターでゲートの位置を尋ねることにした。
 「XXXゲートはどこにあるんですか?」
 すると、係員は「向こうですよ」と窓の外を指差すではないか。外?私の質問の仕方が悪かったのだろうか。雨が滝のように流れ落ちるガラスの壁の外を見通そうと、じっと目を凝らすうちに、ようやく気がついた。反対側のウイングへ行け、ということなのだ。数百メートルはあるよ、あそこまで。唖然としたが、とにかく行くしかない。飛行機が初めてという人もいるだろうに、こんなに何回も移動があってついてこれるのだろうか、という疑問が湧く。

 以前の広州空港は狭くてごたごたしていたけれども、ここまでひどい移動はなかった。搭乗口からバスに乗って飛行機まで行くことが多かったから、変更処理をゲート変更だけでなく、バスの行き先を変えることで対応していたからだろう。新空港になって、バス移動がなくなった分、人間が歩いて移動しなくてはならなくなったわけだ。えらい迷惑な話だ。
  ぶつぶつ文句を言いながらも、反対側のウィングへと急いだ。おいて行かれる心配はないだろうが、早めについておくにこしたことはない。

 搭乗口のそばのベンチで腰を下ろして、電光掲示板に目をやると「搭乗時刻 18:10」とメッセージが流れている。とっくに過ぎてるぞ、今は18:20だ、と掲示板に文句を言ってみるが、何の反応もない。

 18:30、搭乗開始。疲れきった乗客たちであるが、それでも嬉しげに飛行機へなだれ込む。

 さあ、離陸かと思いきや、飛行機は全く動く気配がない。アナウンスがあり、チェックインした誰かがまだ搭乗していないので出発できないと説明が行われる。まあ、あれだけ振り回されて、全員がついてこれるほうが不思議だ。そう納得し、席に深く腰を下ろして離陸を待つ。

 19:00、飛行機はまだ動く気配がない。迷子にしては長すぎるだろ!徐々に怒りが込み上げてくる。中国人の乗客の数人はすでに怒りを爆発させ、立ち上がってスチュワーデスに怒鳴り散らしている。スチュワーデスはひたすら説明に徹するのみ。この遅れは、乗客が迷っただけでは説明がつかない。何だかわからないのが残念だ。

 19:20、とうとう食事が出された。離陸前に食事が先に出されるというのは、初めての経験だ。先日、日本から出張してきた人がやはり中国でそんな経験をしたと言っていたが、まさか自分がそんな目に遭うとはね。空でいい気分になって食べるから美味しいんだけどね、飛行機の食事は。離陸してから、もう一回出してくれるのかなー。

 20:00、離陸。約5時間の遅れだ。天候のせいもあるだろうが、この遅れはひどい。荷物をどこか間違った飛行機に載せてしまって、戻ってくるのを待っていたのではなかろうか。でも、出発できて嬉しい。

 Zにとっては、初めての飛行機。意外に平静なので、面白くない。ちょっとは怖がってくれないとなぁ。大声でも出して驚かせてやりたいが、飛行機の中でそれはさすがに出来ない。もっとも、飛行機が怖いのは意外にも私の方だったりする。2年ほど前に、バイタク乗車中に転んで以来、それまであった機械に対する絶対の信頼のようなものが失われてしまった。特に離着陸のとき、イヤーな気分になるのである。だからと言って、どうしようもないが・・・。

 20:20、さすがにもう一度食事が出ることはないようだ。しかしなぁ。これじゃあ、ホテルに着くのは夜中だよ。料金交渉も何もない。高値で泊まることになったら、エアチケットの割引分は全く無意味になってしまうなぁ。そんなことをとりとめなく考えているうちに、眠りに入った。

 10:35、フフホト空港着。アナウンスによると気温は13℃だ。着てきた長袖だけではちょっと厳しいかな。

 フフホト空港はかなり小さな空港だ。荷物受けのレーンもたったの一つ。5,6年前の天津空港を思い出す。天津空港はもう、新しい空港になったのだろうか。

 23:00、リムジンバス乗車。リムジンバスというより、普通の中型バスといったほうが正しい表現だろう。空港のバスで、中型バスは寂しいなと思ったが、よく考えてみれば麗江でもそうだった。中国では中型バスを使っている空港が意外と多い、もしくは全体からみればほとんどが中型バスなのかもしれない。料金も安く、5RMBだ。

 席が埋まらずなかなか発車しなかったが、23:10、ようやく出発。

 23:45、フフホト市錫林郭勒北路着。民航のチケット売り場の前だが、すでに人通りなし。タクシーも見当たらない。下車を始めたところで、Zが「×××(私の名前)、ホテルの場所はわかってるの?」と尋ねてきた。
 「いや、わからない。でも、住所がわかっているから・・・」。
 続けて、(地図を見ながらいけばいいよ)と言おうとしたところで、
 「何ていうホテルなの?」と質問が飛んできた。
 「商務ホテルだよ(正式には『内蒙古衆信商務ホテル』)」
 私が言い終わるのも待たずにZはおりてきたばかりのバスに再び飛び乗った。運転手に向かって、「商務ホテルはどこ?」と大声で尋ねている。「すぐそこだよ。この路を・・・・・・・・」と運転手は親切に場所を教えてくれた。

 バスが去ると、Zは「こっちだって」と南の方向を指差した。「近くだってよ」と得意そうだ。(いや、地図があるんだからね。調べればわかるんだよ。だいたい、むやみに人に聞くのは危ないんだよ)と答えたいところだが、そもそも、私は外国人だし、Zは中国人だ。旅の上でのリスクの大きさが全く違う。私の基準を理解してもらうのは難しいし、その基準自体がZに当てはまらないのだからやっかいだ。まぁ、ホテルの位置が確認できたのは有り難いし、その辺のことはぼちぼち調整していくしかあるまい。

 Zは威勢良く自ら指差す方向へ歩いていき、最初の十字路で、「ここを左に曲がったところにあるんだってよ」と指をさした。だが、道路は真っ暗、ホテルらしき建物が数軒あるがどれが目的のホテルだかわからない。「あれじゃないかなぁ」と遠くの建物を指差すZを押し留め、「いや、地図で見てからにしよう」と地図を広げる。バスの中で確認した限りでは、そんなに遠いはずがないのだ。「うん、一つ目の角を曲がったところにあるはずだ」そう自分に言い聞かせ、Zとともに最初の角を覗いてみる。あった、あった。別の建物に隠れていたので、気づかなかったのだ。よくみると、建物の上におおきな看板がとりつけられているではないか。

 24:00、もはや選択の余地なしの時間だ。ぼったくられるんじゃないかと心配したが、意外にリーズナブルな286RMB(保証金400RMB)でチェックイン。下見もせずに宿泊を決めたが、まぁまぁの部屋だ。ただし、ユニットバスなしでシャワー設備のみだ。

  初日から大変な目にあったが、とにかく無事フフホトに着いた。さあ、明日は草原に行けるといいな。

2004年8月22日
 今日は草原に行く日だ。空が黒々と曇り始めているのが心配だ。窓を開けて気温を確認してみようとしたとき、窓が二重になっているのに気づいた。冬になるとよほど寒くなるのだろうな。

 Zはやる気まんまんだ。普段ののんべんだらりとした様子とは打って変わって、素早い動き。シャワーを浴びて再びベッドにもぐりこもうとした私をたたき起こし、荷物をリックに詰め始めている。「草原」行きに全てをかけているのだ。もう少しゆっくりしたかったが、珍しく気合が入って動きのいいZに水をさすのもよくない。早々に着替えて、ロビーへ降り、チェックアウトをする。ホテル代は昨晩確認した通り286RMBだったが、プラス3RMBの都市建設費とやらをとられたため、ぶつぶつと文句をいうZ。「まぁ、観光都市ではよくあることだよ」となだめながら外へでた(7:05)。

 通りを出た角で、「肉夾<食莫>」とペンキで書かれた屋台を発見。これは、フフホトの名物か!とZの手を振り切って駆け寄った。ところが、台の上においてあるのは、小麦粉を焼いた硬いパンと野菜と安っぽいソーセージ。売っているオバちゃんに尋ねると、この野菜とソーセージを硬いパンに挟んで食べるのだという。うーん、まずそうだ。おや、横のどんぶりに豚の角煮のようなものが入っている。これも挟んで食べられるのだろうか。指をさしてオバちゃんに示すとオバちゃんは首を振りながら、「火が入っていないから(駄目だよ)」と言った。
 火が入ってないから駄目なのか、或いは、地元の人間でないことをみとって、火が入ってないと食べられないことを見越されたのか。まぁ、どちらにしろ、私には食べられそうもない。まずそうだけど、とにかく野菜とソーセージのハンバーガーでも食ってみるか。Zが横で私の手を引っ張り「やめときなよ」と合図をするが、無視して注文した。
 オバさんは手早く作って、私に渡す。
 さあ、食べるぞ。パク、パク、・・・パク。
 「うーん、やっぱりまずいや。Z、食べる?」
 「いらないわよ。だから、やめときなさいっていったでしょ」
 「いや、万一うまかったら、困るだろ」
 「何わけのわからないこと言ってるのよ」
まぁ、失敗はあるさ。とにかく、こいつはゴミ箱行きだ。農村の皆さん、ごめんなさい。

【朝の風景(フフホト市)】

 駅前までの道路「錫林郭勒北路」は、片道4車線、合計8車線に自転車用通路が2車線加わって10車線となかなか広く作られている。タクシーは多いが、バイタクは稀にみかける程度だ。駅に近いところで、レンタル自転車屋を発見。観光客がけっこう借りるのかな? 

【フフホト駅】

 8:00、駅前到着。左横のバスステーションに入って情報収集を始めようとすると、胡散臭そうな男たちが次々と「草原行きか?」とうるさいぐらいに声をかけてくる。彼らを押しのけて、Zがチケット売り場へと行き、「草原行き」バスのチケット売り場はどこかと尋ねて回る。
 フフホトからいける草原にもいくつかあるのだが、今回行く予定なのは、「希垃穆仁」と呼ばれる草原だ。「地球の歩き方」にはツアー情報しかなかったので、中国人用のガイドブックを読んで公共バスで行く方法を調べた結果、「希垃穆仁」草原が一番簡単に行けそうだということで決めたのだ。この草原は設備が一番整っていて便利な反面、草原の状態はあまりよくないという評価が一般的だ。設備というのは、恐らくパオとかトイレとか土産物屋のことを指すのだろう。だが、草原の状態とは何を指すのだろう?そもそも、草原に行った事がないからわからない。とにかく行って見るしかなかろうという結論だ。

  「草原は『召河』ってところにあるんだって」と両手でチケットをひらひらさせながら、Zが戻ってきた。(えっ、買ってきちゃったの?)とびっくりしたが後の祭り。「いくら?」と尋ねると、「15RMB」と答えが返ってきた。そりゃまた、ずいぶん安いなぁ。草原じゃなくて、近くの草むらで下ろされてしまうんじゃないのかなぁ。
 「その草原って、『希垃穆仁』なのか?」
 「そうよ、だって・・・」と答えたがどうも自信がなさそうだ。どうやら、最初こそ「希垃穆仁」草原で尋ねていたが、途中から「草原」だけで済ませていた模様だ。「もう一度確認してきてくれ」と頼むとZは身体を翻し、再びチケット売り場に向かった。

 「『希垃穆仁』草原に間違いないわ」。
 戻ってきたZは自信に満ちた調子で私に告げた。
 そうか、それならとりあえず、いいか。本当は「輝騰錫勒」草原の方も確認してみたかったんだが、チケットを購入してしまったんでは仕方がない。でも、これからはZに頼むべきところと、自分でやるべきところをはっきりと自覚して決定しなければいけない、そう反省した。
 しかし、これはなかなか難しいところだろう。いくら私が中国語をしゃべれると言っても、ローカルななまりのきつい中国語を正確に聞き取るのは困難だ。そもそも、その前にどうしても「大変だよなあ」という気持ちになってしまうので、ついついZに任せるという、やすきにつきがちだ。これは、今後の旅の大きな課題になるなぁ。

 それにしても、バス代片道15RMBは安い。「地球の歩き方」によると、希垃穆仁草原への一泊二日ツアーは一人だと700RMBを越えている。バスの種類が違うにしろ、この差はどこからくるのだろうか。もしや、15RMBのバスでは草原の入り口ぐらいまでしか行ってもらえず、もう一回乗り換えということにでもなるのだろうか。でも、それでも安い。安すぎる。不安だ。

 8:25、改札を抜けると、すぐ目の前に「召河」行きのバスが停車していた。大型のまぁまぁ綺麗なバスだ。これなら安心だ。確認のために運転手にチケットをみせ、「このバスは草原に行くのか?」と尋ねると、「違う。このバスじゃないよ」と答えが返ってきた。「それじゃぁ、どのバスなんだ?」「あっち、あっち」と後ろの方を指差す。やむなく、言われたとおりの方向へ進むと、さきほどバスステーションで「草原バスツアー」の呼び込みをやっていた男が、「こっちだ。こっちだ」と手招きをしている。すぐ脇にオンボロ中型バスが停まっていて、そちらを指差して乗れ、乗れと呼びかけてくる。
 (ほんとに、このバスなのか?)と疑ってみるが、バスの前面に、確かに「召河」と書かれたプレートが置いてある。もうすでに乗客が半分ほど乗っていて、今にも出発しそうな様子だ。さきほどのバスに断られてしまった以上、乗るしかないという状況だ。一応、チケットをみせ「このチケットが、このバスのなんだよな」と念を入れるが、男はうん、うんとうなずくばかり。
 「召河」行きのバスが何で、2種類あるんだろう。いや、2種類あるのはいいんだが、なぜ私たちの乗るバスがこんな中型オンボロバスなんだ。チケット売り場では、選択の余地はなかったはずだ。たまたま、出発時間の違うバスが2台待ってたにしろ、あちらのバスだってすでに乗客がいた。おかしいじゃないか。
 そうは考えたが、どうしようもない。とりあえず乗車。バスステーションの中まで入り込んで停車しているのだ。それほどひどい詐欺ということもないだろう。

 8:30、発車。出発間際になって、さきほどの呼び込みの男が乗車してきた。何やら、人数を数えている。一体、この男はどういう存在なのだろう。

 10分ほど走ったところで、バスは一旦停車。道路脇の物売りから、運転手が朝食代わりの芋か何かを買い始めた。つられて、乗客もとうもろこしやら何かを買い込んでいる。Zもソーセージを入手し、むしゃむしゃ食べ始める。そして、再び発車。
 ところが、発車と同時に後部座席に座っていたオバサンが、「お金、お金、1.5RMBをまだ受け渡してないよ」と騒ぎ出した。だが、運転手はかまわず加速しつづける。相手にされず、怒ったオバサンは再び大声を出し、「お金、お金、停まってよ。何で停まってくれないのよ!」と怒鳴る。しまいに、周囲の乗客までとまってやれよと声を出し始め、「お釣りをもらってないんだってよ」と運転手に伝えた。
 運転手はようやく合点がいったように、頭を左右に振りながら、「なんだ、お金を払ってないだけかと思ったよ。お釣りをもらってないのか」とバスを停車させた。はやく取りにいけと、指で合図する。オバサンの息子らしき若者と呼び込みの男がすばやく飛び出し、物売りの方向へ向かって駆け出した。
 すでに数百メートルは走ってきただろう。もう、物売りはとっくに姿を消しているだろうに・・・、そう思って待っていると、数分ほどで二人が戻ってきた。どうやら、ちゃんとお金を取り返してきたらしい。ちょっと驚いた。

 10:10、「武川」というところで、トイレ休憩。地面が舗装されておらず、泥だらけ。下車する気にならず、バスの中で時間を過ごした。

 ここからは、道路の両脇に畑が続く。そして、畑が草原に変わる頃、バスは突然、舗装道路から外れ泥道の中に乗り入れた。客の一人が「どこへ行くんだ?」と尋ねると、運転手が外を指差し「○××○▲■!」と答える。指差す方向をみると、料金所が見えた。CITS(中国国際旅行社)の立派なバスが2台並んでいる。
 なるほど、料金所を避けて行こうってわけだ。しかし、面白いことをするよなぁ。これで違法にならないのか。或いは、あの料金所自体が違法だったりはしないのだろうか。
 そんなことを考えながら、ガタゴト道を進んでいくと、目の前に細い棒が現れバスの進行を止めた。よくみると、手製の遮断機である。運転手が窓から大声を出すと、近くの小屋から人が出てきた。運転手がお金を渡すと遮断機の棒が上がり、バスは再び出発。私設の料金所というわけだ。まぁ、あっちの料金所も大きいだけで、私設であることに変わりはないのかもしれないが。

 大きな料金所の先100メートルをいった辺りのところで、中型バスは再び舗装道路に戻った。こんな目と鼻の先で迂回できる料金所とは、一体どんな意義付けがあるのだろう。本当に不思議だ。こんな風にルールがすり抜けられる事例を見て育ったのでは、法律や道徳の遵守などの精神が育つはずもない。もっとも、迂回路はどろだらけの道だし、細いので大型のバスはとても通れない。しかも、手製の遮断機でわずかなりと言えども料金をとられるわけだから、法律や道徳よりも、生き残るために必要なもっと実用的な何かが身につくのかもしれない。
 
 料金所から先は、両脇が草原となる。しばらくすると、パオがあちこちに見え始めたので到着かと思いきや、まだまだ進む。一体、どこまで進むのだろうか。そもそも、この中型バスが公共バスだとしたら、道路の脇で下ろされるのだろうと思うが、パオまでどのくらいの距離を歩いていくはめになるのか?

 そんな心配をしていると、バスは意外にも、草原の中にどんどん乗り入れ、とうとうパオの手前まできて停まった。バスを降りると、いかにもモンゴル人風のまるまると太ったおばさんがニコニコしながら立っている。
 全員が下車するのを待って、呼び込みをやっていた男が説明を始めた。「一つのパオを一泊借りて50RMBです。何人で泊まるかによって、人数で料金を割ってください」。

 同じバスに乗っていた欧米人のうち二人が「絶対にこのパオに泊まらなきゃならないのか?」と質問をした。男が「いや、そんなわけじゃないけど・・・」と答えると、彼らはさっさとリュックを背負いなおして別のパオへ向かって去って行く。
 なるほど、あのバスに乗っていた全てがツアー客だったわけじゃないのだ。私たちと同じ個人客もいたわけだ。さて、私たちはどうしたものだろう。決めかねていると、Zが「はやくパオを決めようよ。みんなどんどん中に入っていくよ」と私をせかす。(イヤ、だから、このパオに泊まるかどうかを決めようとしているんだけどね)と思ったが、口に出してもしようがない。Zはただ、みんなに置いていかれるような気がして不安なだけなのだ。
 草原にあるパオはいくつかのグループに分かれていて、グループごとに十数個ずつパオがある。どれも観光用のパオで固定されているようだ。立派な大きいものから、小さなものまで様々だ。私たちのバスがとまったパオはその中でも一番貧相な部類に入るようだ。
 隣のグループのパオまで行くには、徒歩で十数分ほどの距離がある。さて、どうしたものか。そもそも、飛び込みで別のパオに行って泊めてもらえるのだろうか。うーん、わからない。私が悩んでいるそばから、Zが再び私の袖を引っ張ってせっつく。えーい、仕方がない。このパオに泊まることにしよう。

【観光用パオ】

  他の客たちは数人でパオ一つを借りているようだったが、私たちは二人で一つのパオを借りることにした。私はあまり騒がしいのが好きではないからだ。
 モンゴル人のオバサンに指し示された鉄のドアを開けて、パオの中に入る。パオの内部は玄関周辺を除いては、カラフルな布に覆われていて、床が地面より少し高い位置に据えられている。真中には大きなテーブルが置いてあり、4,5人はかるく食事ができそうだ。

 私たちが床に座るのを待って、オバサンが説明を始める。「パオ一つで50RMBです。これは一つのパオに何人泊まっても同じです。複数で泊まる場合には、皆で話し合って、私たちに50RMBを渡してもらうことになります。貴方たちは二人で泊まるんですね」。「そうだよ」。「それでも、50RMBですよ」。「わかった、わかった」。けっこうしつこい。もめることが多いのだろうか。
 「食事代は別なんだな?」
 「はい。食事はあとでメニューをもってきます。このあと、馬乗りにいきますか?」
 「もちろん。それが主目的なんだから」。
 「肉を煮込むのに時間がかかるので、馬乗りの前に注文をとりにきます」。
 「わかった。わかった」。
 「馬乗りは一人1時間30RMBです。」
  ただし、・・・とオバサンは続けた。ガイドがつきますので、このガイドの分も1時間30RMBかかります。この代金は一緒にいく皆さんで分けてお支払いください。
 説明を終えると、オバサンはいったん外へ出て、メニューととって戻ってきた。炒め物はできないらしく、野菜は漬物しかだせないという話。何しろたったの二人である。そんなに肉ばかり食べられるものではない。適当に注文をしてOKを出す。

 馬乗りの前にトイレに行く。トイレも一応パオの形をしているところが面白い。利用料金は1回5角。古いが、一応掃除をしてあるので、なんとか使えた。

 トイレからの帰り道に、遠くにあるパオを改めて眺めてみた。私たちのパオも含めて全部、観光用パオで固定式となっているが、設備には相当な差がありそうだ。中には、パオというよりも別荘みたいな家もある(でも形は円形)。もっと、いいところに泊まればよかったかな?とも考えたが、あれだけ立派な建物になると、もはやパオの域を超えている。やはり、今のところがベストだろう。

  現在、馬は客を乗せて草原へ出ているらしく、彼らが戻ってきてから出発ということになるそうだ。やむなく、パオの中でごろりと横になって待つことにした。ところが、横になってみてわかったのだが、布で覆われ綺麗に見えたパオの床が意外に汚い。私が口に出すより先に、Zが「××(私の名前)、ここ汚いよ。横にならないほうがいいよ」と忠告してくれた。
 うーん、確かに汚れているけど、考えてみればここは草原だしなー。あまり綺麗なのを期待するのも何かおかしい気がする。そもそも、草原の一部だと思えば、埃があるのも不思議じゃない。そんなことをZに言っても仕方がないので、「服を着てるから大丈夫だよ」と告げて、背中を床につけ寝転んだ。早朝からバスに乗って、けっこう疲れているのだ。Zは不満げにパオを見回しながら、腰だけおろした。

  11:20、オバサンが呼びに来た。さあ、馬乗りだ。他のパオからも中国人の若者が一人出てきた。どうやら、私とZとこの若者が一つのグループとなるようだ。オバサンが再び料金の説明を始めた。「一人1時間30RMBよ。ガイドの分も1時間30RMB。ガイドの分は、貴方たちで分けて払ってください」。
 「みんな何時間ぐらい馬に乗るんだ?」と私が尋ねる。
 「2時間です」
 うーん、2時間か・・・、まぁ、妥当なところかな。「○○(Zの名前)、2時間でいいよな?」。「うん、いいよ」。Zはこれでよし。今度は、こちらの若者だ。「きみも2時間でいいかい」。「うん、いいよ」と快諾してくれた。
 そうすると、ガイドの分が2時間で60RMBとなるから、これを3で割って20RMB。各々の分が2時間で60RMBだから、一人80RMBとなる。念のため、若者に確認。「ガイドの分も入れて2時間で一人80RMBになるけど、問題ないよね」。若者は一瞬躊躇したが、「うん、いいよ」とOKを出してくれた。
 
 ガイドは少年だ。私たちを全員馬に乗せると、一匹の馬の尻を叩いて出発の号令をかけた。残りの馬は自然とぞろぞろついていく。途中から、ガイド1人、欧米人1人の一組が追いついてきて、わたしたちのグループはガイド2人、観光客4人の総勢6人となった。

 ガイドの少年は、当然地元の人間で7才から馬に乗っていたそうだ。欧米人が「学校は行かなくていいのか?」と尋ねると、ぶっきらぼうに「行ってるよ」と答えたが、果たしてどうか。

 私たちと一緒に出発した若者はフフホト出身。昨年、大学を卒業したばかりだそうだ。こんな近くにある草原だというのに、来たのは始めてだという。馬に乗るのもはじめてだというから、少し驚いた。人好きのする、優しげな印象の若者で、絶えず皆に話し掛けて場を盛り上げている。

 肝心の馬乗りの方は期待外れだった。草原を行くのだから、青々とした草の間を突っ切っていくのだと思っていたら、そんなことはなく、馬乗りように定められた泥の道をポコポコと歩いていくだけだ。その上、季節のせいだろうか、草が非常に少なく、草原というよりも野原という感じだ。

  途中から小雨が降ってきて、それがだんだん強くなる。最初のうちは、涼しくていいねとか言っていたが、途中からすごい勢いで降り始めた。こりゃ、まいったなと思っていると、欧米人が最初にねをあげる。「もう帰っていいかな?」と小さな声で訴えた。ガイドは聞き間違えだと思ったらしく、「何だ?」と聞き返す。彼はもう一度「帰っていいかな?」とはっきり口に出した。一瞬の沈黙のあと、みんなから説得の言葉が次々と飛び出した。「もうすぐつくから!」「これぐらいの雨、気持ちいいじゃない」「ほら、あの小屋までよ」。私も調子に乗って、「そうだ。涼しくていいじゃないか」と声を出す。本当は、私自身も帰りたいぐらいだったのだが。

 全員から総攻撃をくらってさすがに参ったのだろう。欧米人は黙り込んだ。あとは雨の中を皆、黙って進む。近くに見えた小屋は意外に遠く、なかなかたどり着けない。ようやく目の前まできたと思った頃には、雨もやんでしまっていた。

 小屋のある草原は、別の人が管理しているらしく、ここで2RMB/人を払わねばならない。小屋の周りが特に綺麗になっているわけでもないので、なんだか腑に落ちないが、ここまできて2RMBで揉めてもしかたがない。大人しくあとについて入っていく。小屋には様々な衣装がおいてあって、草原を背景に写真をとれるようになっている(有料)。私は、新聞で、このような貸衣装を着て皮膚病をわずらう人が多いという記事を読んだことがあるので、絶対に着ないことにしている。Zも私の持論を知っているから、着たいとは言わない。しかし、顔に着てみたくて仕方がないという気持ちが思いっきり出ている。今日のZは、上着も長袖だし、ズボンも長ズボンだ。まぁ、大丈夫だろうと「着てみたら」とOKを出してやることにした。
 Zはやった!と満面の笑顔で衣装のところへ向かった。あれやこれやと選んで、真っ赤な衣装を着込んだ。さっそく写真撮影。ここにはなぜか、子羊がいて、これを抱っこして写真をとるとプラス3RMBが追加される。Zは草を食べるのに夢中な子羊を地面からひっぺがして、抱え込む。じたばたしている羊がちょっと哀れであった。

 小屋から数百メートルほど離れた場所で、高級ツアーらしき一団が馬の競走を楽しんでいる姿がみえた。うーん、やっぱり高級ツアーのほうが面白いのかなぁと少し自信を無くす。でも、馬の競走だって、自分が乗って走るわけじゃない。モンゴル人が馬を走らせるのをみるだけのことだ。実際に参加してみたら、きっと馬鹿馬鹿しく感じるだけのことだろう。そんな風に考えてみる。

【草原のお馬さんたち】

   草原もこの辺りまで来ると草が増えて、ずいぶんと美しくなってくる。さらに先に進めば、本当に草原らしくなってきて楽しいのだろうが、鞍に乗って痛めたお尻がすでに限界だ。今回は、ここまでで精一杯だろう。
 草原で馬を走らせると言えば、聞こえがよいが、観光客が行き来できるルートは決まっていて、そこにはほとんど草がない。もっと草地の中を走らせてくれないと、意味がないと思うのだが、なぜこんな泥だらけの場所を行かせるのか?恐らく、たくさんの馬が走ると草が傷むからではないかと推測する。そこらじゅう汚くなるより、一箇所ですませたほうがいいというわけだ。或いは、本当の生の草地では、地面の状態が安定していないから、馬がひっくり返ったりする危険があるということなのかもしれない。

 しばらく草地をうろうろした後、帰途に着く。頭の中は痛くて仕方のないお尻のことでいっぱい。馬が一歩踏み出すたびに衝撃が走る。少しでも気を紛らわそうと、連れになった若者に話しかけてみる。「今日は一泊するのか?」。「いや、しないよ」。そして、「貴方たちは?」と逆に質問された。Zが素早く「私たちもしないわ!」と言い切る。「えっ、泊まらないのか」と私がびっくり。「○○(Zの名前)、本当に泊まらずに帰るのか?」。「そーよ。ここじゃ、シャワーも浴びれないし」と口を尖らす。(なるほど、シャワーか・・・)。そこまでは考えなかった。やっぱり女性の考えることは違う。最初に言ってくれれば、もうちょっとシャワー付きのパオを探してみたのに、と一瞬考えたが、頭を振ってその考えを振り払った。そこまで設備をアップしてしまったら、草原も何もない。今の観光パオだって、パオと言えるかどうか怪しいぐらいなのだ。これ以上よくなったら、ホテル以外の何ものでもない。
 「それに・・・」とZは続けた。「ここは蚊もいっぱいいるんじゃない?」。Zは蚊が大嫌いなのだ。私と一緒にいても、蚊にさされるのはZばかり。まぁ、蚊だって、女性の血のほうが美味しいに違いない。でも、いつも窓を開けっ放しにしているのはZ自身だから、自業自得とも言える。

 パオに泊まって帰るのと、泊まらずに済ませるのとでは、大違いだ。泊まっておけば、後に、草原で一泊したなぁと懐かしく思い出せるではないか。ここは泊まっておくべきだろう。うーん、でも、夜やることないだろーしなぁ。尻は痛いし。うーん、うーん、と頭を抱える。

 数分後、よし、泊まらずに帰ろう!今回は仕方がない。また、数年先に、今度は本当に草原と呼べる場所に来ればいいじゃないかと思い定める。

 私たちの帰還地であるパオが見え始めた頃、パオの方向から馬に乗った観光客の団体が現れた。すれ違い際、なぜか、皆こちらに向かって「ハロー、ハロー」と挨拶をする。当然、私も「ハロー、ハロー」と言葉を返す。何で、ハローなんだ?不思議に思って、ずっと考えているうちにようやく思い当たった。あの「ハロー」は私に向かっているのではないのだ。一緒にいる欧米人に向かっていっているのだ。なーんだ、つまらん。だいたい、この欧米人。フランス人っぽいぞ、ハローじゃないだろ!とちょっと八つ当たり。 

【希垃穆仁草原】

【観光用パオの内側】

  1:30、パオ着。中に入ってゴロリと横になる。さすがに疲れた。横になっていると、食事が運び込まれてきた。内容は羊肉の塊を煮込んだものと簡単な漬物のみ。味は悪くなったけれども、何しろたった二人でもくもくと食べるだけなので、盛り上がりに欠けた。やはり、こういった食事は大勢で食べたほうが楽しいのかもしれない。でも、大勢の中で中国語会話を続けるのは疲れるもんなぁ。
 もう一つの問題は、野菜を炒めた料理がメニューの中に一つもなかったことである。或いは、本来、内モンゴルの人たちは野菜炒め系のものを食べないからこそ、そういったメニューが入っていないのかもしれない。しかし、我々としては漬物と肉だけではどうも寂しい。インターネットで調べたとき、大手の草原ツアーの夕食では肉料理も野菜料理も非常に豊富だった。恐らく特別に作らせているのだろうが、高い料金を払っているだけのことはあるということだ。 

【パオのモンゴル料理】

 料金といえば、私たちの食事代は二人合わせて46RMB。現地料金としては高い部類に入るのだろうが、観光客としてはかなり安いだろう。量的には十分満足のいくものであった。

 食事代を払うときに、「宿泊はしないことにした」とパオのオバサンに伝える。「泊まっても泊まらなくても、一つのパオで50RMBですよ」と確認を入れてきた以外は、無理に引き止める様子もなく、引き下がった。

 これで、この草原旅行の費用はバス代往復30RMB/人+馬乗り代80RMB/人+パオ代25RMB/人+食事代23RMB/人で、合計158RMBという計算だ。高級ツアーだと、700RMB以上するようだから、相当な格安と言える。ただし、馬の表演や民族の踊り等、ツアーなら楽しめるであろうオプションは一切なし。今回、宿泊はしなかったが、宿泊をすれば恐らくなんらかの民族的な演出を楽しめただろうと思われる節があった。ただ、これは別料金になるので、その分は余分にみておかねばならない。

 14:20、迎えのバスがやってきた。このバスは私たちを乗せただけでなく、パオ中を走り回って客をつかまえようとしていた。つまり、私たちのようにツアーに参加せず、単独でここまで来る客も少なからずいるということだ。これなら、あの「召河」行きのバスに乗れば誰でも気軽に草原を楽しめることになる。もっとも、草原自体がボロボロではがっかりすることになるかもしれないが。

 草原がボロボロと書いたけれども、全ての場所がそうだというわけではない。パオの周辺の草が少なく、草原というよりも草地のようだったということだ。馬で1時間行ったところにある小屋から先に見える草原は美しかったから、そこからさらに進んで行けば、草原らしい草原が楽しめるのではないかと思う。私の場合、馬乗りの時点で尻を痛めてしてまったので、そこから先に進めなかったのだ。だから、何らかの方法で、馬乗り2時間の距離まで進むことができれば、草原を十分楽しめることだろう。単純に一泊して、早朝から歩いて草原を突き進むというのがいいかもしれない。皆さん、いろいろ試してみてください。

 14:40、パオを出たバスは近くのお寺に到着。「百灵廟」と書いてある。小銭稼ぎ用に乱造されたお寺の一つだと考えて、私は下車しなかった。後で調べてみると、「召河」行きバスの終点がこのお寺となっていることがわかった。つまり、「召河」行きに乗って、バスと懇意なパオに連れて行かれるのではなく、このお寺で降りて自分でパオを選ぶこともできるということだ。お寺そのものも、それなりに有名なようなので、立ち寄ってみる価値があるかもしれない。

 16:40、フフホト着。昨日のホテルは今ひとつだったので、別のホテルを当たってみることにする。ところが歩き始めて数分もしないうちに、Zがだだをこね始めた。はやくシャワーを浴びてゆっくりしたいらしい。「荷物をもっているのは俺なんだから、ちょっとは我慢しろよ」と言ってみるが、まったく無駄なのはわかっている。いったん要求を出し始めたら怒鳴りつけでもしない限り、終わりはないのだ。

 そこで、今朝通りがかったときに目にしていた「巴彦塔拉飯店」というホテルをのぞいてみることにした。外見がハデなのでカラオケでうるさいのではないかと検討外のホテルとしていたのだが、もはやZを抑えておけない。まったく、二人旅というのは楽しいときはいいが、面倒なときは2倍面倒だ。

 まず部屋を見せてもらうとなかなかいい。料金はツインで280RMB。保証金は400RMBであった。冷蔵庫がないのが玉にキズであるが、昨日のホテルよりずっといい。

 シャワーを浴びて、8:00まで休憩。それから、夜のお散歩。ホテルの対面には、新華広場があって、人々が大勢集っている。どちらが繁華街かわからずしばらくウロウロした後、広場の裏の「文化宮街」という通りを下っていく。ここは夜店通りだが、明かりがほとんどないので、品物をみるのが大変。ここで、「豆皮串」という食べ物を発見し、パクつく。安いのにすごく美味しい。

【豆皮串】

 続けて下っていくと、通りのあちこちで、瓜型のスイカがトラックに山積みされて販売されているのが見えてきた。Zが「わたし一つ買って帰る」と言い出したので、「冗談だろ」と振り返ると、本人は本気のようだ。「まあ、いいけど」と言うと、さっそくトラックのそばへ寄って、一個購入してきた。(一切れではなく一個ですよ)。「どこで食べるの?」と聞くと、ホテルでナイフを借りて食べるのだという。うーむ、ついて行けない・・・。

【文化宮街の焼肉屋通り】

  さらに下ると、今度は「焼肉屋」がゾロリと並んだ。「焼肉屋」通りに出た。30軒以上はありそうだ。ただ、今日は疲れすぎていて、焼肉を食べる気分ではない。結局、通りを行き着いたところにあった店で「悠面」というものを食べることにした。小麦粉をねったものを直径2cmほどの空間をあけて巻く。それを2cmほどに切り分けたものを蒸して出来上がり。それをつけ面風に、スープにつけて食べる。すごく美味しいというほどのものではないが、初めて食べるものなので、珍しい。(帰宅後、インターネットで調べると、あちこちの地方にあることがわかった。特に内モンゴルの食べ物というものでもないようだが、フフホトではあちこちで見かけた)。

 食事を終えると、タクシー(6RMB)でホテルまで一直線。ホテルに着くと、すでに10時、もう一度シャワーを浴びて、本日は終了。

【悠面】

2004年8月23日

  8:00起床。今日を草原行きの日にすれば良かったと思うほどのいい天気だ。Zが「少し熱があるみたい」というので、額に手を触れてみるとわずかに体温が高い気がする。「大丈夫か?」と尋ねると、「大丈夫、大丈夫」と元気な答えが帰ってきた。昨日の草原行きは、けっこう強行軍だった。きっと疲れが出てきたのだろう。「今日、休んでもいいんだぞ」。「ダメ!絶対行く」。まぁ、今日は市内巡りだ。いざとなったら、タクシーを飛ばして帰ってくればいいか。

 準備を整えて出発という段になって、Zが「もっと服を着たほうがいいわよ」と私に呼びかけた。「ええっ、いい天気だぞ?」。「そう見えるけど、外は寒いわよ」。そこで、持ち上げかけた荷物を下ろし、窓を少し開けてみた。冷たい空気が中に入ってくる。確かに寒い。「なんで、わかったんだ・・・。ああ、俺がシャワー浴びている間に窓開けたのか?」。「そうよ」。
 一緒に生活していても、Zはとにかく窓を開けたがる。夏は蚊が入ってくるので迷惑な習慣だなと感じることが多いが、こういうときは役に立つなぁ。ありがたく忠告を受け入れ、もう一枚、服を着込んだ。

  部屋を出て1Fへ降りる。居心地が良かったので、このホテルに今晩も泊まることにし、保証金300RMBを追加で支払う。そのまま、ホテルのロビーを出て、同じく1Fにある麺屋で朝食。Zは豚肉刀削面の小で3RMB、私は羊肉刀削面の大で4RMB。「熱は大丈夫」と声をかけると、「大丈夫、大丈夫!」と元気だ。この様子なら、問題ないだろう。

 9:30、昨日と同じく駅前のバス・ステーションに到着。本日、最初の目的地は「昭君墓」。王昭君と呼ばれる女性のお墓である。当時、匈奴の長である呼韓邪単于(こかんやぜんう)が漢の王族のものを嫁に頂きたいとやってきたので、皇后と同姓である宮女の「王昭君」が選ばれて、嫁ぐことになったのである。
 皇帝は対象の女性を選ぶに当たって、画師に候補者の絵を描かせたのだが、どの候補者も画師に賄賂を贈り、実在よりもよく描いてもらっていた。ところが、「王昭君」だけは賄賂を贈らなかったので、一番醜く容貌を描かれてしまったのである。
 どうせ蛮族の嫁にやるのだからと、最も劣った容貌の女性の絵を選んで匈奴にやることに決め、呼韓邪単于に預けた後、最後の見送り時に王昭君を激励に行って皇帝は驚いた。絵の女性とは全く違う、絶世の美女だったのである。皇帝はこれを惜しんだが、もはや時遅し、腹いせに画師を処分してしまうことぐらいしかできなかったという故事がある。その王昭君のお墓が「昭君墓」だ。

  まずは、「昭君墓」行きのバスを探さなければならない。地図に書いてある路線表によると、「昭君墓」に行くには、44号線に乗らなければならない。しかし、44号線はどこにあるのか。バス・ステーションの中を見る限り、「昭君墓」行きのバスはないようだ。すると、外か。だが、外をウロウロしてみて、44号線はない。うーん、困ったなー。・・・と、地図売りのおじさんがやってきて、「どこへ行くんだ?」と声をかけてきた。「昭君墓!」とZがすかさず答える。まったくこいつは誰にでも簡単に行き先を教えやがって・・・、と内心怒りに震える私であったが、言ってしまったものは仕方がない。地図売りのおじさんの説明を聞いてみよう。「『昭君墓』はな、1号線に乗って、○×○▲◇・・・・」と説明し出す。最後に「全部この地図に載っているから」と買えよとばかりに地図を前に差し出した。「いや、地図はもっているから」と私は割り込み、話を中断させ、Zを連れてその場を立ち去る。
 だいたい、私はこの地図売りの人たちには、あまり良い印象をもっていない。中国に来た当初は何も知らなかったので、旅行中、駅に到着するたびに地図売りから地図を買った。駅に到着して、そうそうに地図売りから地図を手に入れ、目的地を見定めるというのを得意にしていたぐらいだ。ところが、ある時、地図売りから手に入れた地図が古いバージョンのものであることに気づき、多くの地図売りが売っている地図は、旅行者が捨てていったものやゴミからあさったものであることを知ったのである。通りでときたま、やけに汚い地図があったわけだ。それ以来、地図売りから地図を買うことは滅多になくなった。今まで頼りにしていたから、可愛さ余って、憎さ100倍というやつかもしれない。

 私が再びバス探しを始めると、Zが後ろから「こんなところであっちへ行ったりこっちへ行ったりしていたら、お昼になっちゃうわよ。バスに乗りましょうよ」と話し掛けてくる。「そんなこと言ったって、どのバスに乗ればいいんだよ」。「地図売りのおじさんが1号線って言ってたでしょう」。「1号線ねぇ」と疑わしげな私。まあ、地図で確認してみるかと広げる。「でも、1号線のラインには『昭君墓』はねぇぞ」。「『南茶坊』で乗り換えるって言ってたわよ」。「うーん」。「ほら、1号線のバスが来たわよ」。「わかった、わかった」とバスに乗り込む。まぁ、間違っていても、タクシーで行きなおせばすむ話だからな。
  バスは一元/人。私が地図とにらめっこしていると、Zが「地図なんてみなくていいわよ。『南茶坊』で降りればいいんだから」とうるさい。「今日行くのは、『昭君墓』だけじゃなくて、『席力図召』とか他にもあるんだから、通り道だったら、帰りに寄れるだろ」と説明するとようやく納得してくれた。

 ぐねぐねと何度も道を曲がってようやく、終点らしき場所に来た。ただ、道路脇のプレートには「南茶坊」ではなく、「南駅」とかかれている。これはどうしたことだ。地図の上にあるマークはバス・ステーションのようだしなー。とにかく降りてみるか。「○○(Zの名前)、降りるぞ!」と呼びかける。窓の外をボーっと見つめていたZは慌てて私について下車した。

 降りてみると、どうも様子が違う。建物に「家具市場」と書かれている。通行人をつかまえて、「ここは南茶坊ですか?」と尋ねてみると、「違う」と答えた帰ってきた。「それじゃあ、どっちですか」とたずねると、男はバスの進行方向と同じ方角を指差した。

 そうか、もう少し先だったのか。地図を広げて、じっくりみてみると、「南茶坊」とは書かれていないが、ひとつ先の十字路に、バスの乗り換え場所のようなところがある。「一駅手前で降りちゃったみたいだよ。ちょっと歩いてみよう」とZを促す。えー、と文句ありげな表情のZを「ごめん、ごめん。でも、お前だって、みてなかっただろ!」と言いくるめて、歩き出した。
 「○○(私の名前)は歩くの好きだから、わざとやったんでしょ」。「冗談だろ。わざとやる奴がいるかよ」と言い返すと、「わかってるのよ。絶対、わざとよ」。いや、いや、いくら俺でもそこまでやらないよ。
 「とにかく、もう二百メートル歩いて着かなかったら、バスに乗ろうじゃないか」、「ほら、そこに面白い店があるよ。歩かなきゃ見れなかっただろ、この店」と続けざまに励ましの言葉をかけるが、なんだか言い訳しているみたいだ。黙って歩こう。
 十字路に着いたところで、Zがバス停を発見。「でも、そっちは地図に書いてある場所と違うぞ。別のバス停じゃないのか」と抵抗するが、「駄目!絶対あそこよ」と頑固だ。騙されて歩かされると思っているらしい。疑り深いやつだ。

 Zの判断は正しく、そこから「昭君墓」行きの44号線バスが出ていた。チケットは1.5RMBとずいぶん安い。その代わり、バスがぎゅうぎゅう詰めになるまで、客引きが続いた。公共バス路線なのに、ずいぶん強引な商売だ。

 10:30、発。満員バスの中をヨタヨタしながら、無事に到着することを祈る。そんなに遠くはないはずだと自分を励ましているうちに「昭君墓」着。10:45。

【昭君墓<1>】

【昭君墓<2>】

【昭君墓<3>】

【昭君墓<4>】

 入場チケットは、35RMB/人。いくつかの石碑を眺めたのち、中央奥の小高い丘に登る。この丘の下に王昭君が眠っているというわけだ。私たちはこの丘を右手の階段から上り、左手の階段から降りていったのだが、面白いことに気づいた。鉄でできた左手の階段の取っ手がひんやりと冷たいのだ。確かに丘のこちら側は、少し影になっていて、強い日差しをさえぎっているが、この冷たさは普通ではない。どうやら、地下水が中を走っているようだ。偶然なのか、観光客を楽しませる粋な計らいなのか、理由を聞いてみたいが、尋ねられる人もいない。

【昭君墓<5>】

【昭君墓<6>】

 頂上からみた「昭君墓」の敷地は緑でいっぱいで、中国四大美人の一人に数えられる「王昭君」の墓にふさわしく、非常に美しい作りであった。しかし、馬上民族たちがこんな山みたいなお墓を作るとは思われない。きっと後世の人たちが王昭君を惜しんで、こんな美しい場所に祭ったのだろう。まぁ、それも、素敵な話ではあるか。

  「昭君墓」を出て、目の前のバス停で帰りのバスを探す。来たときと同じ44号線で戻ればよい。ささっと目を走らせると、すぐに44号と書かれたバスを発見。どこかでみたことがあるような・・・と思っていたら、客引きをやっている男が来たときと同じ。当然、運転手も同じであった。強欲そうな顔をしているから、一度見たら忘れるものではない。まぁ、毛嫌いしても、選択の余地はない。素直に乗車。

 このまま、「南茶坊」まで戻ってもよかったのだが、途中の「農業学校」というバス停で下車することにした。ここで降りれば、1号線の始発に乗ることができ、座っていけると考えたからだ。
 ところが、下車してみて、誤りに気づいた。バスがなかったわけではない。バスはあったのだが、バスに乗る小銭がなかったのである。ここら辺のバスは皆、お釣りなし方式。客があらかじめ小銭を用意しなければならないのである。Zが果敢にも、バスに突進していき、運転手に10RMBを見せ「お釣をもらえる?」と尋ねたが、首を振られてあえなく玉砕。

  「じゃあ、対面のお店で、ジュースでも買ってくるわ」と道路を渡っていくZの背中を見ながら、反省をする。こっ、小銭を確認せずに下車してしまうとは・・・、不覚~~。待っている間に周囲を見回していると、道路の一角にタクシーがたむろっているのに気づいた。それも、ただのタクシーではない。三輪車のタクシーだ。これに乗らない手はない。「小銭が手に入ったわよー」と笑顔で戻ってきたZの手を引っ張って、三輪車を指し示す。「あれに乗ろうよ」と言うと、Zも興味をもったらしく、即同意してくれた。 

【三輪車】

 激しい交渉の末、三輪車は8RMBで「五塔寺」まで行ってくれることになった。なんだか高い気もするが、相場がわからないのでどうしようもない。この三輪車はフフホト市内ではあまり見かけなかった。もしかしたら、郊外でしか客をとれないのかもしれない(12:20発)。

【五塔寺(1)】

 12:30、五塔寺着。入場料は15RMB/人。こじんまりとしたお寺だか、敷地の一部に陣取る小さな建物の上にそびえ立つ5つの塔が他のお寺との違いを際立たせている。入り口があったので、近寄ってみると、階段で上にあがれるようだ。石段を抜けて、お城の上にあがってみた。一つ一つの塔の周囲には鉄格子があって、塔には触れないようになっている。一つの塔が占める面積は3平方メートルほど。それが狭い屋上にひしめき合っている。箱庭のお城に入り込んだようで面白い。中国には、このような塔をもった寺が全部で5つあり、北京の真覚寺、登雲寺、西黄寺、そして昆明の妙玄寺が、他の4つだそうだ。これらのうち、フフホトの五塔寺は一番遅く作られたとのこと。それゆえ、もっとも美しく精巧な造形をしているらしい。

【五塔寺(2)】

 塔のある建物から降りて、ヘチマで覆われた通路にあるベンチで一休み。ヘチマって、こんなに長かったっけ?まぁ、とにかく、ここは涼しくて気持ちがいい。ずっと座っていたいが、そうもいかない。次は、席力図召だ。

  地図で見る限り、「五塔寺」と「席力図召」は非常に近い。「歩いていくぞ!」と宣言し、地図の示す方角に向かって進む。Zはかなり嫌そうだ。もっとも、Zは歩くことが苦手なわけではないようだ。歩いて、日焼けしてしまうのが嫌なのだ。女性としては、もっともな話かもしれない。でも、私と一緒に旅行する以上、その辺はあきらめてもらうしかない。「行くぞー、行くぞー、歩いて行くぞー!」と掛け声をかけながらZを導いていく。

 元気よく歩き出したのはいいが、なんだか道がだんだん細くなっていく。その上、道路脇にあるのはボロ屋ばかりだ。一人だったら、心細いところだ。もっとも、こういう機会ででもなければ、中国の庶民が暮らしている家々をみることもできない。なんでも楽しめることは、楽しむことにしよう。
 フフホトの庶民の家は、レンガ作りの煙突が上に突き出ていることが多い。寒い北方では、安価な暖房設備が欠かせないからなのだろう。私の住んでいる南方ではあまりみない光景だ。
 
 勇気をもって、道を突き進んでいくうちに、屋台が並んでいる場所に出た。見ると、餡子をカステラで包んで揚げたお菓子(?)が売っている。「いくら?」と尋ねると、なんと5個で1RMB。昨晩食べた「豆皮串」もそうであったが、フフホトの屋台食は深センと比べると、圧倒的に安い。安いとは言え、5個も甘いものを食べることはできないので、1個でいくら?ときくと0.3RMBとのこと。ちょっと割高だ。ビニール袋に包んで差し出されたお菓子をさっそく口にしてみる。うん、おいしい。頬を緩ませている私をZがうらやましそうな目で見つめる。
 「○○(Zの名前)も食べるか?」と聞くと、「いらない。私は・・・」ときょろきょろ周囲を見回した後、「私はあれ食べる」と一つの屋台に近づいた。「醸皮」とある。穀物の粉を練って面にした簡単な食べ物だ。つゆと面を一緒にビニールに入れて、こちらに渡してくれた。ところが、割り箸がない。Zが「割り箸は?」と尋ねると、「そんなのないわよ」と答えが返ってきた。どうやら、近所の住民が持ち帰って食べることしか想定されていないらしい。考えてみれば、私たちがここを通りがかったのだって、偶然に過ぎない。「箸なしでどうやって食べろっていうのよ」とZが文句を言うと、「あの辺の店でもらいなさい」とそっけなくあしらわれた。
 「運が悪かったと思ってあきらめろよ。ホテルに戻ってから食べればいいじゃん」とからかうと、Zは「駄目。悪くなっちゃうよ。絶対にここで食べる」と言い張った。そして、屋台のおばさんが指し示した餃子・ワンタン系の店に向かう。
 しかし、さすがに「割り箸ください」とは言いにくかったのだろう。入り口の前で躊躇して中をのぞきこんでいる。かわいそうになったので、「割り箸だけ売ってくれって言ってみろよ」とアドバイスをしてやる。それで元気づいたのか、意を決して、「すみませーん」と店の中に声をかけ始めた。すぐに店主と思われるおばあさんが出てきて「何?」と返事をよこす。「割り箸がほしいんだけど・・・」とZが袋に入った「醸皮」を見せると、おばあさんは一旦引っ込んで、割り箸を手にして現れた。「あげるよ」とZに渡す。Zが「いくら?」と尋ねると、「いらないよ、お金は」という。「ありがとう」と感謝を示して、Zはうれしそうにこちらに戻ってきた。「よかったね」と声をかけると、「うん」と本当にうれしそうだ。

 途中、座る場所がなかったので、「席力図召」に着いてから食べることになった。適当な場所はないかと周囲を見渡していると、Zはさっさとビニールの袋を開け、お寺の入り口にある石段に座り、むしゃむしゃとやりだした。「ちょっと待て。ここじゃまずいだろう」と言ってみたが、すでに私の声は耳に入らないようだ。いつお寺の人に叱られるか気が気でなかったが、なんとか無事食べ終わってくれた。Zは満足げな顔をして立ち上がった。結局、私の気が小さすぎるのだろうか・・・、いや、違う、違う。一瞬、精神の迷路に入り込んでしまった。

【席力図召<1>】

 「席力図召」の入場料は、10RMB/人(13:20)。門構えをみたとき、すでに予感がしていたが、驚くほど寂れている。ガイドブックの紹介では、ずいぶん立派なお寺のように書かれているのに、今や参拝客もろくに来そうにない。唯一、白い建物にカラフルな彩りの装飾がなされたチベット式仏塔だけが、このお寺の華といえるだろう。それでも、Zはさすが中国人。仏像に向かって跪き、額を地面にこすりつけるようにして三回おじぎをしていた。

【席力図召<2>】

【席力図召<3>】

 「席力図召」を出て、対面にある「大召」へ向かう。こちらは、見るからに立派。観光収入を有効に使って、模様替えをしてあるようだ。参拝客が絶えない。入場料は15RMB/人。こんな近くにある二つの有名な寺がなぜ外観にこれほどの差があるのだろう。実に不思議だ。歴史的な説明は後日、改めて追記することにしたい。

【大召<1>】

【大召<2>】

  「大召」を出て、タクシーで「内モンゴル博物館」へ向かう(8RMB)。この博物館は、説明によると、アジア最大の恐竜博物館でもあるとのこと。しかし、何をもってアジア最大と決めるのだろうか?展示物の多さかな。

 内部はモンゴル人の生活様式を示す様々な品が展示されていたり、巨大な恐竜の化石が置いてあったりと、飽きがこない。恐竜の卵って意外に小さいんだなぁ。ここでお土産用にウールのマフラーを買い込む。安いんだか、高いんだか、まったくわからない。

【内モンゴル博物館<1>】

【内モンゴル博物館<2>】

 博物館を出ると、ホテルまでは徒歩で戻った。一応、市内の観光地はほとんど回ったので、それなりに満足だ。ただ、一人のときにはいつもやっていたような、市内をグルグルと歩き回るような、街並みを楽しむ旅ができないのは少し残念。ただ、Zといることによって、普段だとタクシーで済ませてしまうようなところでも、バスで行こうと自分に意識付けできるというメリットもある。15:30、ホテル着。

 16:00、ホテルを出て、郵便局へ。日本の家族へお土産を送る。「昭君墓」で購入したモンゴル銀(もどき?)のアクセサリと内モンゴル博物館で購入したウールのマフラー等の安いものばかりだが、EMSで送ると、郵送費が相当かかる。それでも、局員の対応がはやいので、どうしてもEMSを選ぶことになる。

 夕食はホテルの隣にある焼肉屋でとる。残念ながら、特に美味しいということはなかった。なんだか、モンゴルに来てから、あまりうまいものにお目にかからないなぁ。

 ホテルに戻って、今後の計画を立てる。今回の旅行は全部で6日間だが、最初と最後の二日間は、深セン⇔フフホト間の移動なので、内モンゴルの旅に使えるのは実質たったの4日間のみ。すでに、2日間を使ってしまったので、残るはたったの2日間。しかも、最後にフフホトまで戻っていなければならない。次の日の朝早くに深セン行きの飛行機に乗らなければならないからだ。

 前半の二日間は、それなりに充実した旅をしたつもりであったが、最大の目玉であったはずの草原行きが、予定よりもショボイものになってしまったのが痛い。草原の上に仰向けに寝転がって、満天の星々を眺めるという夢が実現できなかったのだ。それならば、明日、別の草原にトライしてみるか。でも、二日間では近場の草原にしかいけない。それでは、草原の状態もあまり変わらないのではなかろうか。もし、そうだとしたら、今回の旅全体が散々だということなってしまう。
 ガイドブックをみると、フフホト市の隣の「包頭市」近くにある「响沙湾」という観光地が面白そうだ。ただ、正確な距離が読めない。
 Zに向かって、「响沙湾というところがあって、砂漠でラクダに乗れるんだけど・・・」と説明をすると、「行こう、行こう」と大いに乗り気だ。「でも、ここから行くとなるとかなり時間がかかるから、今回は無難に、包頭市の散策等にしておいたらどうかな?」という提案もしてみたが、即座に却下。「そんなんだったら、ツアーで来たほうが良かった」などとひどいことを言う。仕方がない。ツアーよりつまらないなどと言わせるわけにはいかない。「わかった。その代わり明日は早起きだぞ!絶対起きろよ」と少し脅して、ねむりに着いた。

この旅は「包頭<バオトウ>探検記」に続きます。

2004年8月25日
ここからは、「包頭<バオトウ>探検記」の続きです。

タクシーに乗って、ホテル着。先日と同じ「巴彦塔拉飯店」だ。チェックインして、部屋へ着いてみると、なぜか昨日と同じ部屋だ。道理で、聞いたことのある番号だったわけだ。私がそういうと、Zが「今頃気が付いたの?」と馬鹿にしたように言う。くっ悔しい~。私たちはツインなので、280RMB/泊だったが、シングルであれば180RMBからあるようだ。綺麗なホテルなので、けっこうお勧め。

 夜8:00、最後にフフホトの夜店探しをするぞー、とはりきって出発したが、フフホトの夜は早い。8:00にはすでに、デパート等は全て閉まっており、夜店も細々としたもの以外は見つからなかった。だが、神は我々を見捨てなかった。最後の最後に、すごくおいしい火鍋屋で食事をすることができた。台湾系の火鍋屋で、しかも美味しいかったのが、牛肉だったからフフホト旅情というわけにいかなかったが・・・。

 最後にうまいものが食べられてよかったなぁ、と二人で満足して、ホテルへの帰途に着く。結局、食べ物ですね、(二人)旅は!

2004年8月26日
 早朝6:00にタクシーに乗って、空港へ(30RMB)。道路脇に名典コーヒー店がある。こんなところにまで進出しているとは。

 6:20、空港着。行きでの苦労に比べて、帰りはスムーズ。順調に離陸。10:50、広州空港着。11:10、リムジン乗車。さすがに広州は暖かい。空港の入り口近くには、大勢の見学客が並んでいる。できたばかりの空港は、格好の暇つぶし場所なのだろう。

 12:00、広州駅着。12:20発のバスに乗車。このバスはシートとシートの間が離れていて、非常に快適だ。午後1:50、我が街に到着。グッピーたちはどーしてるかなー。おおっ、水槽の水がすっかりグリーン色に。でも、グッピーたちは元気。さっそく、水換えをしてやった。

 そんなわけで、無事、内モンゴル旅行が終わりました。皆さん、長らくお付き合い頂きましてありがとうございました。