2004年1月(day009)

2004年1月(day009)


2004年1月1日
新年明けましておめでとうございます。

年明け早々に出かけることになった。目的地は恵州市。近場なので、2泊3日の短い旅である。でも、昨年8月以来の旅なのでわくわくする。恵州市はタクシーの運転手によると、広東省で一、二を争う治安ワースト都市。同時に、温泉の名所でもあるとのこと。うーん、楽しみ。3日には戻ってくる予定なので、またお会い致しましょう。
2004年1月4日
昨日戻る予定だったが、1日延びて本日帰宅。結局、恵州市だけでなく、河源市も回って3泊4日の旅となった。河源市では、さらに奥の和平県熱水鎮(中国では県は市の下)まで入り込み、大奮戦。バイタク1時間40RMBの強行軍も果たした。全力を使い切った旅の代償として携帯電話を失うことにもなった。詳細は、「恵州の旅」・「河源の旅」に書かせて頂きます。お時間のある方はご覧になってください。
2004年1月5日
5S活動記録が月をまたがってしまったので、ここでリンクをまとめておきます。

-5S活動の巻<1>-
-5S活動の巻<2>-
-5S活動の巻<3>-
-5S活動の巻<4>-
-5S活動の巻<5>-
-5S活動の巻<6>-
-5S活動の巻<7>-
2004年1月6日
-5S活動の巻<8>-
 「5S委員をやると笑われる」。そう言い放ったE君を前にして私は困窮した。ここで「『笑われる』ことがどうした!これは仕事なんだぞ」とか『笑われて』もいいじゃないか、いい仕事ができれば」とか押し切ることができれば楽なのだが、あいにく私はそういったキャラクターではない。熱血的な言い回しは私の柄ではないのだ。

 最初に頭に浮かんだのは「笑った」Wさん(電脳部の女性スタッフ)をとっちめてやることだった。私が神経をすり減らすようにして進めている5S活動がWの「笑い」によってふっとばされようとしている。Wを懲らしめねばならない。叱り付けてやるか?駄目だ。図太い神経のWのことだ、白を切られて終わりだろう。ならばいっそ、Wに5S委員会をやらせてやろうか。否、それではみすみす5S委員になることがマイナスであるということを認めるようなものだ。

 「5S委員はE君だけじゃないだろ。他部門のスタッフだって、5S委員として活動しているじゃないか」と疑問を投げかけ時間を稼ぐ。ところが、「他部門は皆、事務員にやらせているよ。エンジニアで来ている奴なんていないんだ」と一蹴されてしまった。

 「(5S委員を)当番制にするのも一つの案だな・・・」と思わず口にすると、E君が嬉しそうに「それはいい」と同意を示した。でもね、E君。当番制にするということは、結局リーダーを私がやるということだ。それでは意味がないんだよ。

 悩みつきぬ5S活動である。 
2004年1月7日
 ここしばらく、どこへ言っても「太ったね」と言われる。「前は夏服だったからさ」とさりげなくかわそうとしても、「いや、確かに太った」ととどめを刺される始末である。しかしだね、もともと太ってたんだよ。あれ以上太るなんてありえないじゃないか。そう思ったので体重計にのってみた。がっがーん。また1キロ太っている。今までこのラインは超えたことがなかったのに。このままでは命が危ない。真剣に対策を立てよう!

 だが、何をどうすれば?毎日やっているダンベル体操はお腹のダイエットには効果がないことが判明している。朝の散歩、ボンボン、足羽つきが失敗に終わり、最後まで続いていたパンチング器具も前回の風邪を期に一気に気力が萎え中止、今ではただの飾りになってしまっている。時々遊びにくるK君のほうが余程叩いているのではなかろうか。

 だが、命の危険を前に手をこまねいている私ではない。本日、新しいダイエット器具を購入して参りました。その名も「パワーアンクル」。「なーんだ」と馬鹿にするなかれ、もう20年以上も昔のことになるが、私はこの「パワーアンクル」で脚力をつけ1500メートル走で5分8秒をマークしたのだ。クラスで2番の成績である。(スケールの小さい話で申し訳ない)。夢を再び!というわけではないが、もはや「パワーアンクル」の力を疑う物はいまい。左足分と右足分のセットで28RMB、各々0.75Kgの重さである。これを毎日つけて歩けば、みるみるうちに痩せるに違いない。フフッ、楽しみだぜ。心配なのは、重みに負けて膝が壊れたりしないかということだが、ちょっと試してみるぐらいいいだろう、多分。
-5S活動の巻<9>-
 皆が嫌がる5S委員を当番制でやらせる。一見、魅力的なアイデアであるが、これは採用できない。そんなことをしたら、会社全体の5S委員会に出席するメンバーが毎回入れ替わることになってしまう。その上、何をやるにしても私が指示をしなければならないということになり、人が育たない。おざなりでやるならともかく、本気で5S活動をやろうと思ったら、中心メンバーは固定しなければならない。

 そこで、「変則当番制」を思いついた。E君には続けて委員をやってもらい、別に副委員を設置し、これを当番制にするのだ。委員としてのE君は実際の労働的な作業から解放し、方針や計画作成、指示・管理に専念してもらう。実際の作業は副委員がやることにする。これなら、E君がWに笑われることもあるまい。
 しかし、このアイデアにも難点はある。第一に、E君が5S委員になるのを嫌がっているのは「面子」に原因がある。そうである以上、5S委員=掃除係りというイメージの連鎖を断ち切らない限り、この問題の本質的な解決には至らない。第二に、委員、副委員といっても会社の職位組織上、電脳部のスタッフは同じ地位にある。私が委員と副委員の上下関係を強力に支持したとしても、委員であるE君が副委員に様々な作業をさせるのに相当な困難を伴うことは、容易に想像できる。

 「変則当番制」をE君に伝えると、案の定、(アイデアはわかるんだけどさぁ)という顔をされた。なんと言っても、電脳部は総勢6人(2003年12月当時)。こんな小さな組織を動かすのに委員、副委員を設置し「変則当番制」で回すというのは斧でネギを切るようなもので全く相応しくない。そうなると、残る手段は唯一つだ。 
2003年1月10日
 先日、新しい携帯電話を購入した。旅の途中で失った携帯電話の代わりだ。私の携帯電話購入歴は比較的浅く、最初に購入したのが「Panasonic」、2台目が「NEC」、そして3代目が今回の「Philips」だ。「Panasonic」の携帯電話は4年ほど前に香港で購入した。当時はまだカラーもなく、本当に電話をするだけの単純な機能しかない製品ばかりであった。その中で日本メーカーであり安心感があったことから「Panasonic」を選んだ。当時で2,200HKドルほどした。購入してしばらくしてから中国ではNOKIAというヨーロッパメーカーが有力で人気があることを知ったが、やはり日本メーカーの安心感は捨てがたい。「Panasonic」を選んで後悔はなかった。機種はGD80だったと思う。

 「Panasonic」の製品は堅牢だった。携帯電話を持ち歩き慣れていない私は十数回は地面に落としたと思う。それでも全く壊れない。バッテリーも調子がよく、結局3年以上使用した。これだけ長く使用することになるのだったら、着せ替えのできる「NOKIA」のほうがよかったな、などと思い始めたほどだ。

 2台目を買うときは相当迷った。ちょうどカメラ付が4,000RMBぐらいにまで落ちてきており、ぜひとも買ってみたかった。同時に、長期間使うことになることを考えて、着せ替え可能で飽きの来ない「NOKIA」にしたかった。だが、「NOKIA」の製品は折り畳みができないためか液晶画面が小さい。カメラを覗いていても顔を写すのがやっとだった。悩んだ挙句、「NEC N8」に辿りついた。
 「NEC N8」はカラー液晶、カメラ付。私はこれを近くの百貨店で購入。くじ引きで二等賞を当て900RMBがバックされ、実質3,600RMBで手に入れることが出来た。「NEC N8」の特徴はカメラと和弦40音の音質。ただ、最初の頃こそ、一生懸命に写真をとったり音楽をダウンロードしたり遊んだが、2、3ヶ月で飽きてしまい高い買い物になってしまった。
 また、残念だったことに二個ついている液晶画面のうち小さな方に粉状の曇りが入り込みとれなくなってしまったことだ。拭いてもとれないし、修理に出して何日も戻ってこないのも困る。その点、やはり手軽に部品交換のできる「NOKIA」はいいなと後悔せざる負えなかった。

 そして、今回の「Philips」。不慮の事故によってわずか半年で「NEC N8]を失った私がとった購入基準は「使っていて楽しい」である。HP作りを趣味にしている私にとって、カメラ付は魅力的であったが、中国の携帯電話のカメラが100万画素に到達するのにはまだ1年ぐらいはかかりそうだ。逆に、100万画素のカメラ付携帯電話が出てきたら是非購入したい(「NEC N8」は10万画素程度)。それなら、繋ぎとして「使っていて楽しい」製品が一番だというわけだ。
 実は、「Philips」を買うときはほとんど迷わなかった。マーケットを見回してみても、「Philips」ほど面白そうな携帯電話はなかったからだ。音が良いし、ピカピカ光る。ゲームも昔よく遊んだ「アドバンス型ブロック崩し」が入っていた。小型で持ちやすくもあるし、デザインも気に入っていた。そして、2,000RMB台という低価格(*注)。
 難点は、「Philips」があまり強いメーカーではないということ。「NEC N8」と同じで故障が出た場合に修理が困難そうだ。また、中国移動の標準お勧め品にもはいっておらず、購入直後からインターネットへの接続にトラブルが発生した。マニュアルもわかりにくい。さらに、USBコード経由でPCとデータやりとりができず、赤外線ポート経由でやるしかない。

 でも、まぁ、今のところ気持ちよく使っている。今まで購入した携帯電話の中で一番満足度が高い。使用後の感想はいずれ詳しく書かせて頂きます。

*注)2004年1月10日現在、香港ではなんと1680HKドルであった。
(2004年1月17日)現在、Philips530への評価が急降下中。インターネットへの接続はなんとかやり遂げたものの、今度は入力方式で躓き修得まで数日を要した。PanasonicからNECへの移行のときはここまでの苦労はなかった。同じ日本メーカーだったからだろうか。入力方式の問題をクリアしたあと、今度はショートメールでトラブル発生。長い文を書いていると、途中でフリーズを起こしてしまうのだ。設定の仕方が悪いのかもしれないが、デフォルトで快適に使えるようにしておいてほしいものだ。ただし、ショートメールの着信確認ができるのは、便利。NEC N8にはなかった機能だ(Panasonicはあったらしい。使っていなかったけれども)。 

2004年1月14日
-5S活動の巻<10>-
 円滑に5S活動を進めるために残された「最後の手段」。それは「5S活動手当」だ。5S委員会をやることで毎月の給与が2,3百RMB上がるとなれば、E君も異論はあるまい。給与が上がるとなれば、他のスタッフがE君を見る眼も変わる。5S委員が「蔑視の対象」から「羨望の職位」に移る瞬間だ。会社が5S活動を重視していると口だけでいくら言っても彼らには伝わらない。そんなに重要なことならば、なぜ給与に反映されないのか?というわけである。「5S活動手当」さえ実現できれば、私がこんなに苦労する必要もない。そもそも、E君がゴネているのも私からこの条件を引き出したいがゆえではないのか。

 だが、結論から言うと、「5S活動手当」の実現するのは現時点では不可能だ。まず、「5S活動手当」なる項目を作り出すには全社的な調整が必要になる。電脳部の5S委員にだけ手当てをつけるというわけにはいかないからだ。また、会社にはISO委員やら他の委員もある。5S委員だけに手当てを出すというわけにもいくまい。そんなことをしたら、不満が噴出して大騒ぎになるのは間違いない。今後何らかの活動を追加するたびに給与を増やさなければならないという悪い前例にもなる。
 日本では長期的に社員に還元するということで理解が得られる活動が、離職率の高い中国では理解が得られない。すなわち、会社の利益につながるはずの活動をすぐに給与に反映できないという不透明なシステムが中国では通らないとも考えられるが、今の私にどうにかできる問題ではない。たとえどうにかなったとしても、「私がE君を説得できない」という、たったこれだけのことから会社の給与形態を変更するなんてありえないことだ。

 これ以上、無理強いはできない。そう決断した私は、E君との話し合いを終わらせ、新たなる手段を模索することにした。
2004年1月17日
-5S活動の巻<11>- 第一部終了
 E君との話し合いが終わってから二週間ほど悩んだ結果、5S委員は新しくきた事務員Gさんにやってもらうことにした。一度決めた決定を短期間で翻すのは、マイナス面が多い。だが、「5S委員だけは、とくにかくカンベンしてくれ」と頭を下げかねない様子のE君をみていて、これ以上、E君に固執するのは意味がないと判断したのだ。私に与えられた仕事はE君に5S委員をやらせることではなく、5S活動を成功させることであるのだから。

 E君の代わりとして、電脳部の(事務員ではない)他のスタッフを起用することも考えた。スタッフ間にも競争原理が働くから、E君ができなかったとなれば、それをやりとげて能力をアピールしようとするものが出てきてもおかしくないからだ。だが、結局、冒頭で述べた通り、新しく入社してきた事務員Gさんに5S委員をやってもらうことになった。理由は、E君が5S委員をやりたくなくなった原因がまだ完全につかめていなかったし、わかっている原因に対してもよい解決策が浮かんでこなかったからだ。再び同様な事が起こり5S委員を代えなければならなくなってしまっては打撃が大きすぎて、5S活動全体が暗礁に乗り上げてしまう。ここは一度撤退して、無難な線から取り掛かるしかない。何よりも、私自身がしっかりした理念を打ち立て、5S活動が仕事に結びつくようなプランを作り出せるようにならなければならない。この撤退は、新たなる戦いへの始まりだ。そう自分に言い聞かせて、事務員Gさんを新しい5S委員に指名した。

 事務員Gさんは、入社したばかりということもあってやる気満々。5S委員も快く引き受けてくれた。性質も素直そうでよい。会社における5S活動の重要性を説明し、試しに活動プランを作らせてみる。存外、素晴らしいアイデアをもってくるかもしれないではないか。そうなれば、あとはトントン拍子だ。もうこんなに悩まなくてもすむ。

 一週間後、Gさんはニコニコして「出来ました」と言って、プランをもってきた。中国語で書かれているので、読むには気合がいる。しばらく書類入れに置いていたが、このままにしておくわけにはいかないと、数日前に取り出して読んでみた。時間をかけて何度も検討する。だが、どうしても使えそうな部分が見当たらない。簡単に言うと、「整理と整頓」を言い換えただけの文章になってしまっていて、具体的な行動につながっていない。
 もちろん、Gさんを責める理由などなく、明らかに私の指導不足だ。こうなったら、私自身がプランを作るしかない。何でもかんでも私がプランを作っていたのでは部下が育たないから、彼ら自身が自分でプランを作れるように指導していかなければならないのだが、妙案が浮かばない。そもそも、私には部下を育てるに当たって、これと言ったノウハウがない。せいぜいが、忍耐強く、何度も教えることぐらいだ。こんなことじゃいけない。少し勉強しなければ。

 とはいうものの、部下指導ができるようになるまで5S活動を止めたままにしておくわけにもいかない。従来通りの方法で脳がないが、とっかかりの部分だけでも私が手をつけて動かしてみせ、Gさんが真似をしてやれるようになるのを期待しよう。うまくいくかなぁ。

 これにて第一部終了。 
2004年1月20日
-電話代削減への道-<1>
 電脳(コンピュータ)部の管理をやっている私であるが、実は、5S活動以上に重要な職務がある。それは「電話代の削減」だ。なぜ、電話代の削減が私の任務となったかというと、工場から歩いて40分ほどのところに分社ができたことに起因する。

 当時(2002年9月頃)、現工場の事務スタッフが約300人、分社で予定されているスタッフが約60人というわけで、現工場と分社を結ぶコンピュータ回線が必要になった。ここは当然電脳部の作業範疇であり、私が関わることに何の不思議もない。ただ、分社は完全に工場の敷地外で、社内用のLANケーブルで結ぶことは不可能であった。そうなると、電話会社に頼んでDDN回線を敷設してもらうしかない。そこで、電話会社やコンピュータネットワーク業者に相談しながら、DDN回線の敷設に向けて計画を練り始めた。(もっとも、当時の私はDDN回線が何であるかも知らなかったので、最大の相談相手は部下のS君であった)。

 DDN回線を利用する方法には二通りあって、一つが「直接電話会社Fと契約」する方法、もう一つが「ネットワーク業者経由で契約」する方法であった。(その他にJという別の電話会社と契約する方法もあったが、その当時の担当者の反応が悪かったので検討しなかった)。ここで私は後者の「ネットワーク業者経由で契約」する方法を採用した。理由はDDN回線の両端に必ずネットワーク機器を設置する必要があることがわかったからである。つまり、工場と分社をDDN回線で結ぶためには、工場⇔機器A⇔DDN回線⇔機器A⇔分社というようにDDN回線を挟むようにして機器を設置しなければならず、それらの機器は電話会社で対応できず業者から購入しなければならないことがわかったのだ。

 一つの回線上に電話会社とネットワーク業者という二者が関わることは管理者側としては好ましくない。トラブルが生じたとき、どちらの会社もまず最初にもう一方の会社に責任をなすりつけようとするからだ。そうなると、二つの会社の間で私が右往左往することになる。これは中国ではよくあることで、FAXの調子がわるいと、FAX販売会社と社内の通信業者と電話会社の間で問題が行ったり来たりして大変な目に会う。それを避けたいがゆえに、「ネットワーク業者経由で契約」する方法を選択した。そうすれば、トラブル発生時はネットワーク業者に問題を丸投げできる。

 ネットワーク業者も複数あるので、いくつかの業者と交渉を始めた。合い見積もりをとったりして、忙しくしていたところ、別の問題が耳に入ってきた。分社の外線電話敷設工事が大幅に遅れそうだというのである。
2004年1月23日
 本日は春節(旧正月)の二日目。一週間ほど前から冷え込みが進んでいたところへ今日の雨降り。さすがに寒い。

 昨年はそれほど感じなかったのだが、今年は春節に乗じた運賃の値上げが激しい。普段は10RMBで乗れているタクシーが同じ距離で15RMBが当たり前。雨が降り止まぬ今日はとうとう20RMBで乗るハメになってしまった。買い物に出る人が多く、普段は5,6台は停まっているタクシーが今日は一台しかいない。それだって、しばらくすると誰かしらが乗って出て行ってしまう。明らかに需要が供給を上回っている売り手市場だ。こんな状況でしつこく値下げ交渉をしても時間の無駄だ。下手をすれば雨の中何十分も次のタクシーを待つはめになる。適当なところで手を打つしかない。はやく春節が終わって欲しいと思うのは私だけか。休みは続いてくれていいのだけれどね。 
2004年1月26日
-5S活動への挑戦<1>- 第二部開始
 さて、電脳部スタッフの一人に任せて楽々スタートを切るはずだった5S活動が暗礁に乗り上げて終わった第一部。これを第二部でなんとか軌道に乗せたいと考えている。しかし、新しく任命した5S委員であるGさんはまだ会社に入ったばかりだ。今回ばかりは私自身が最初から最後までやる覚悟で取り組まざるをえない。もちろん、軌道に乗せた後はGさんに任せていきたいが今はそこまで予定を立てても仕方がない。

 最大の問題は、私自身が、5S活動についてほとんど知識がないことだ。5Sを構成する「整理」、「整頓」、「清掃」、「清潔」、「躾」を実施する具体的な知識がない上に、5S活動の意義すらよくわからないでいる。これでは、人を指導するのは難しい。
 そこで、情報収集に入る。私の情報収集といったら、人に聞くか、本を読むか、インターネットで調べるかだ。人に聞くというのは非常に役に立つが、元来付き合いベタの私のこと、そうそういい出会いがない。また、中国在住の今、本を手に入れるのもなかなか難しい。残るはインターネットだ。インターネットで先人の知識を頂くとしよう。そう考えて、検索をかけまくるが、なかなか良いホームページがない。人事・労務関連のホームページは多いのだが、5Sとなると、関連教材の販売やコンサルタント会社のものばかりだ。考えるに、5Sというのは、会社によって必要とされる活動が異なるため、一般化が難しいのではなかろうか。だから、個人が作った5S紹介のホームページがほとんど見当たらないのだと思う。
 それでも、なんとか情報を拾い上げた結果、「5Sのレベルがその職場の管理者のマネジメント能力を表す」という刺激的な発言を見出すことができた。実際、整理・整頓という2Sの部分だけでも、部下にやらせ続けることは難しい。5Sを実行させ続けられるだけのマネジメント能力があれば、ほとんどの指示を部内に浸透させることができるのは間違いなかろう。いや、まったくだ、まったくだ。と膝を叩いて納得したが、この格言をもって5Sの実行に結びつけることはできない。
 
 もはやインターネットで必要な情報を得ることは難しそうだ。こうなったら、別のアプローチだ。私は決意を新たにした。