2005年1月-2月(day017)

2005年1月-2月(day017)


2005年1月1日
 新年あけましておめでとうございます。
 中国では2月前後にある陰暦の春節のほうがメインとあって、「年越し」という感じはあまりないが、それでも多くの会社や企業が一斉に休むので、街には人が溢れていた。本日のメインは、数日前(2004年12月28日)に開通したばかりの深セン市内を走る地下鉄乗車である。
 11時頃、アパートを出て中型バスで深セン市内へ向かう。元旦とあって、さすがにバスもいっぱい。補助席までいっぱいになるのは、滅多に見れない光景だ。皆、地下鉄に乗りにいくのかな?
 12時過ぎに羅湖駅近くの終点に到着。いつもだったら、(列車の)駅のすぐ前にあるバス・ステーションに停まるのに、今回はその手前の道路脇で降ろされた。ヘンだなー、混雑してるからか?と思っていたが、駅前にたどりついてようやく原因がわかった。バス・ステーションのあった場所が全部取り壊されて、緑地になってしまっていたのだ。ここ数ヶ月は、東門近くの途中のバス停留所で降りていたのでこんな工事をやっていたとは知らなかった。ちょっと驚き。
 地下鉄の駅は、地下二階にあり、エスカレーターで降りていくことになる。まだ工事中の場所がところどころあるがずいぶん立派な駅になりそうだ。改札の前に自動チケット販売機があり、ここで広州の地下鉄と同じようにコイン型のICチケットを購入する。広州のコインはブラックだったが、深センのはグリーン。これを改札口で読み込ませて中に入るのだ。自動販売機を見る限り、ICカード式のチケットも販売されるようだが、どのカードが使えるのかわからない。時々バスでカード読み込み器をみかけるけど、アレかな?
 乗車料金は距離に応じて、2-5RMB。一番遠い「世界の窓」までが5RMBだ。私たちは、東門のある「老街」が目的地なので、2RMB/人。改札の形も、プラットホームも香港の地下鉄と全く同じ。ホームとレールのある場所とは、ガラスの壁と自動ドアで区切られており、ホームから落ちてしまう心配はない。
 まだ、オープンして間もないためか、列車ドア内部の上方に設置されている路線図の電灯は機能していなかった。きっとシステムとまだ統合されていないんだろう。そういうところが終わらない段階でも、オープン日を優先させるところが、中国らしいとも言えるだろう。立っている乗客のよりどころとなる、手でつかまる円形のとってもまだない。広告主がみつからなかったのだろうか。先日の新聞に何か書いてあったような気がしたが、こんなことになっていると思わなかったので読みと飛ばしてしまった。残念。
 列車が「老街」に到着。内部の乗客が降りる前に、外からの乗客が殺到。懸命に押しのけて、下車。オイオイ、勘弁してくれよ。広州ではこんなことはなかったぞ。
 出口では改札の機械にコインの放り込んで返却し、外に出る。

 東門でショッピングをした後、次はジャスコへ。さきほど下車をするときの混雑で懲りたのだろう。Zは地下鉄に乗りたがらない。それでも何とか駅の近くまで連れて行ったが、なんと入り口が駅員によって封鎖されていた。理由を聞いてみると、何か事件があって乗車をお断りしているのだという。うーん、何だろう。

 やむなくバスでジャスコまで移動。すごい混雑で、ジャスコ前で下車し損ねてしまう。やむなくひとつ向こうのバス停下車。そこから歩いて戻ってくる途中、地下鉄の「科学館」駅(ジャスコにいく場合にはここで下車してください)の前を通ると、ここも封鎖されていた。大きな事件でもあったのだろうか。明日の新聞に載るかな?

  ジャスコで雑誌と夕食の食材を仕入れて、帰りはタクシー。夕食は部屋で家庭内焼肉。最近、焼肉ばっかりだなぁ。でも、おいしいんだよね。これが。
2005年1月4日
 今日はニュースを一つご紹介させて頂く。
 2005年1月1日から、特別区に入るために必要な「辺境管理区通行証(通称《辺防証》」の発行が無料になるとのことである。ただ、これは《辺防証》が不必要になるということではなく、あくまで無料で発行するということなので注意してほしいと再三強調されていた。もともと、2元で1年間有効なものが無料になっただけなので、影響度は少ないと思われるが、最近は《辺防証》なしで通り抜けられることが多いようなので、むしろ《辺防証》はやはり必要なのだと再認識させることに、この記事は意味があるのかもしれない。また、(すでに実施されていたことだが、)旅行者等の特別区内への短期滞在者用に、別途通路を設けてあるので、こちらを通れば《辺防証》がなくても特別区内に入ることが可能であるとされていた。
 ただ、私もZに付き合ってこの通路を抜けたことがあるが、公共バスは私たちを待ってはくれない。さっさと行ってしまうので、旅行社の専用バスできたのでもない限り、この通路を利用するのは大変不便だ。(ただし、同じ会社の、同じルートのバスであれば、チケットを見せるだけで再乗車できるようだ。同じ会社の他のルートの場合にどうなるかは未確認である)。 
2005年1月9日
  現在の水槽の状況は次の通り。親グッピーが雄2匹、雌4匹。子グッピーが12,3匹。幼グッピーが6匹。子グッピーが大分成長したので、生まれたばかりのグッピーたちは、幼グッピーと呼ぶことにする。
 子グッピーは本当に大きくなった。特に大きくなった数匹は、尾びれの大きさを除いては、親の雄グッピーとほとんど変わらない。子グッピーの成長につれ、まず最初に起きた現象は、親の雄グッピーが雌の子グッピーをときどき追いまわすようになったこと。どうやら雌の子グッピーがフェロモンを出し始めたらしい。魚も女性のほうが成熟が早いということだろうか。雄の子グッピーは、まだまだ子供だなぁ、と思っていたら、数日して、雄の子グッピーも雌を追いまわすようになった。基本的には子の雌を追いまわすだけだが、たまに親の雌を追っかけることもある。あと一ヶ月もしたら、親も子も相違がなくなりそうだ。しかし、相当な大所帯になってしまった。しかも、最近は昇天してしまうグッピーがまったくいない。全員が親グッピーになってしまうと、つまらないなぁ。餌をあげると群がってくるので、それは面白いのだけれどもね。
2005年1月17日
 中国のネットサーフィンをしていて、面白いものを発見した。中国版Yahooオークション(のようなもの)である。第一が「易趣網」、第二が「淘宝網」、第三が「阿里巴巴」である。「易趣網」は1999年、「淘宝網」は2003年、「阿里巴巴」は1999年に中国で創設されたとなっている。どれも世界的規模で運営されているという話だ。「易趣網」と「淘宝網」はいわゆるオークションサイト。ユーザーが各々商品を持ち寄り、出品する。高い値をつけたものが落札する仕組みになっているようだ。現在のところまで調べた限りでは、二つのサイトの大きな違いは、支払い方式にあるようだ。「易趣網」では、落札後、支払い方式は入札者と落札者の双方で自由に取り決めすることになっているが、「淘宝網」ではこれに加えてYahooオークションのようにサイト側が仲介に入り、物品と支払いの安全性を向上させる仕組みが取り入れられているようである。まだ、ざっと見た限りなので、もしかしたら、「易趣網」の方にも同様な仕組みがあるかもしれない。
 第三の「阿里巴巴」は、オークションソフトではなく、オンライン取引システムのようなものらしい。インターネット上で物品の売買を完結するようなサイトのようだ。支払い方式は今のところ不明。「阿里巴巴」はどうやら「淘宝網」と資本関係もあるようだ。
 中国はなにしろ面積が広いから、オンライン販売というのは非常に効果が大きいだろう。過去にアメリカで爆発的に通信販売が伸びた時期があったように中国ではオンライン販売という形で、そんな日がやってくるのではないだろうか。以前に上海でクレジットカードによる物品の購入が普及し、その後、信用問題が発生し頓挫したらしいが、現在再び復活しつつあるらしい。信用を構築するシステムができあがれば、中国でもオンライン販売が当たり前になる日がきっとやってくることだろう。将来の発展が楽しみな分野である。
2005年1月19日
 今朝目を覚まして、水槽を眺めてみると、新たな子グッピーが生まれているのが発見された。十数匹はいそうである。これで、親グッピー6匹、子グッピー12,3匹、幼グッピーが6匹、極幼グッピーが十数匹ということになる。一体どこまで増えるのであろうか。
 とりあえず餌をやっておこうと、乾燥赤虫をばらまいてみたが、案の定食いつきが悪い。夜中にだいぶ極幼グッピーを餌食にしたのだろうな。まぁ、多少食べてもらわないと、ウジャウジャ状態になってしまうから、ちょうど良いのかもしれない。 
2005年1月23日
 昨日は、ひさしぶりにマカオへ出かけた。実に、昨年の9月以来のことである。本来はこんなに早く行くつもりはなく、もう半年ぐらい後の予定だったのだが、日本から来たGさんがマカオ観光をしたいというので、私に出陣要請が来てしまった。
 カジノに行く人材は事欠かないが、皆、一分でもカジノ以外では時間を使いたくないという猛者ばかり。そこで、私が案内を引き受けることになった。しかし、案の定というか、結局カジノがメインとなった。今回も私はスロットのみ。スタートは調子がよく、最初の200ドルを投入した段階で、バーが4つ並んで300枚をGET!!初の黒字である。これは行けるかと思ったが、幸運もそこまで。あとはずるずると負け続け、結局、1100ドルの赤字となってしまった。出張者のSさんは500ドルほどで撤退。相変わらず、引き際がいい。Gさんも、だいたい同じぐらい。Gさんは最後に大小で200ドルの勝負をしたが、残念ながら、勝てなかった。最初は難しそうに見えた大小も、よくみると簡単そうだ。次回は私も挑戦してみようかな。一方、前回私たちと一緒に来て以来、熱烈なマカオ愛好家になってしまったHさんは、どういうわけか勝ちまくり。このまま億万長者になってしまいそうな勢いだ。続けて見ていたかったが、このままでは観光の時間がなくなってしまう。目を引き剥がすようにして、カジノを離れた。

 観光メインという話だったが、カジノで半分近く時間を使ってしまった。そこで、「セドナ広場」と「聖ポール天主堂跡」と「マカオ博物館」を2時間ほどかけて回って観光終了。セドナ広場の噴水は舞台の台に(一時的に)改造されてしまっており、噴水はみれず・・。それにセドナ広場はやはり夜が綺麗だ。「聖ポール天主堂跡」は9月に来たときは工事中だったが、今は工事も終わり正常に運営されていた。

 観光を終わると、すでに5時半。そそくさとフェリー乗り場に戻って、中国へ向かう。さあ、次回は夏だ。今度こそはジャックポットをゲットするぞ!
2005年1月30日
 一昨日は、出張者のCさんと一緒に夕食。Zも同席することになったので、日本語で話すように言ってみた。すると、思いのほかによくしゃべる。まだ単語力が不足しているので十分な会話にならないが、あと半年もすればけっこう綺麗な日本語が使えるようになるのではないかと思わせた。
 Zは文法を意識してしゃべることができるようで、言い直しながら丁寧に話している。これは私にはできなかった芸当で、私の中国語学習の場合には、なんとなく身に付けていったことを、Zは頭で考えながら使いこなしているようだ。Zの才能か、日本語学校の先生が良かったのか、はたまた毎日のように見せている日本のドラマが役に立ったのか、いずれにせよ良い傾向だ。先が楽しみだ。

 昨日は、友人のKくんがやってきたので、広場に連れて行った。新しいアトラクションが出来ていたら、一緒に乗ろうと思っていったのだが、まだ未完成。だが、ジェットコースターに勝るとも劣らないアトラクションのようだ。「翻滾飛船」と看板がついている。日本語で言うと、「グルグル回る飛行船」というところだろうか。実に、危険そうな乗り物だ。はやく完成しないかなー。春節の賑わいに間に合わせるつもりだろうから、私たちが旅行から帰ってくる頃には、稼動しているだろうか。
 夜は、定番の焼肉大会。私が今まで(思いつきで)買ったものの中で、一番役に立っているのではなかろうか、この焼肉器は。とにかく、焼肉はうまい。楽しいし。今度はたこ焼器でも買おうかな。

 本日は、隣の鎮の回転寿司屋で昼食。いつもは、私がお寿司、Zが定食と決まっているのだが、急に「私も今日からお寿司を食べる!」と言い出した。そうか、寿司を食べるのか・・・。まぁ、Zは回転寿司屋の定食があまり好きでないようだし、寿司を好きになってくれれば、助かるには助かるが・・・。「でも、私がお寿司を好きになると○○(私の名前)が大変ね」とZがすかさず付け足す。うむ、その通り。定食は安いが、お寿司は高い。三、四皿も食べれば定食一人前分になってしまう。
 しかし、他のことならともかく、食べることで不公平はできない。「俺は寿司でお前は定食だ」では、「俺はケーキを食べるけど、お前は飴玉にしておけ」と言っているのと同じだ。「まぁ、いいよ、食べられるなら寿司でも」と力なく答えた。「大丈夫、高いのは食べないから」と私を安心させるZ。うーん、いい子だ。
 実際に食べ始めてみると、やはり慣れないらしく、そんなに数が食べられない。当面は私の懐も大丈夫そうだ。でも、本当に好物になってしまったらどうしよう・・・。

2005年2月5日
 本日、湖南省長沙へ向かって出発。行きは、深セン→長沙(730RMB/人、割引なし)。帰りは、張家界→広州(600RMB/人、2.5-3割引き)。飛行機で往復することになった。もちろんZも一緒である。本当は行きだけでも列車を利用したかったのだが、春節の帰省ラッシュでチケットを取ることができなかった。実際のところ、飛行機のチケットも日程や発着の飛行場をずらして、ようやく確保できたというところだ。
 今回は、数日前に腹痛に襲われ、体調が万全でないこと。湖南が相当寒く、雪が降っているらしいことなどが不安材料だ。そんなに寒くて観光ができるのか。特に張家界などに入れるのかが疑問だ。Zもいるし、雪の中で立ち往生するはめになったら最悪だなぁ。まぁ、なんとかなるか。 
2005年2月12日
 昨日、湖南省の旅から戻った。長沙で一泊、岳陽で二泊、再び長沙へ戻り、長沙から張家界への列車の中で一泊、張家界で二泊。結構なハードスケジュールであったが、Zも頑張ってくれて良い旅ができた。張家界についたときは、一面雪で、これは登れないかと思ったがロープウェーが動いており、無事山頂まで行くことができた。一帯が霧で覆われており、有名な奇景は一部しかみることができなかったが、代わりに美しい雪景色を楽しむことができた。
 また、今回はたくさんの美味しい湖南料理を味わうこともできた。これまで湖南料理というと、「辛さがいい!」という単純なイメージしかなかった。ところが、現地の湖南料理を食べてみて、まさしく「回味無窮(ホイウェイ・ウゥチオン-味わいが尽きない-)」な料理であることがわかった。辛いだけでなく、辛さが食材の隅々まで様々な味わいでしみわたっているのだ。たくさんの調味料の組み合わせで仕上げてあるのだろうが、実にうまかった。
 ともあれ、出かける前は「湖南なんて江西省とたいして変わりないわよ」とあまり乗り気でなかったZも、「また来たいわ。今度はいつ来るの?」とクルリと意見を変えた(大部分は湖南料理のおかげだが)ほどの満足のいく旅となり、本当に良かった。詳しくは、「湖南省の旅(長沙市探検記、岳陽市探検記、張家界市探検記)」に書きますので、ご関心のある方はご覧になって頂けるとうれしいです。「中国の屋台大集合!」のコンテンツに、湖南の屋台も数点追加致しますので是非ご覧になってください。
2005年2月13日
 昨日の朝、水槽を覗いてみると、最長老の雌グッピー4匹のうちの一匹がお亡くなりになっていた。旅行から戻った直後に様子をみたときから少し具合が悪そうだなと思っていたのだが、このグッピーに限らず他のグッピーもあまり調子がよくなさそうだったので、それほど重症だとは考えていなかったのだ。ともあれ、天上での平安を祈ろう。

 話は変わって、春節の話題へ。今年の春節は2月9日が初日であった。旅行中だったので、初日の賑わいは味わえず終いとなった。昨日は4日目で、遅ればせながら、広場にZとともにくりだした。お目当ては新アトラクション「翻滾飛船(グルグル回る飛行船」である。春節には完成しているはずであったが、果たしてどうか。期待を込めて広場に入っていくと、ありました!ちゃんと動いています。グルグル回っているよ。どのような乗り物かもよく確認せずにさっそく、チケット購入。一枚5RMBである。Zもさっそったが、心臓に悪いと断られた。

 直径10メートルほどの鉄骨の輪沿って、表裏で合計4人乗りの乗り物がグルグル回る仕組みになっている。これが合計4セットある。春節の時期とあって、次々に乗客が押し寄せているが、列ができるほどではない。ただ、観客は多く、大勢の人たちがアトラクションを取り囲んで、興味津々で眺めている。

 座席につくと、まずベルトが二つ固定される。それから、足のガードがセットされ、さらに肩にもガードがつく。ガードの部分は日本の回転ジェットコースターなどに使用されるものと同じようだ。少なくとも外観は。ただ、なぜベルトが必要なのだ?ガードが外れた(!!)ときのためのものだろうか。
 それにベルトをとめに回っているおばさんは明らかに農村から出てきたばかりという、格好をしている。だからと言って、アトラクションが危険というわけでもないだろうが、かなり不安だ。

 グウゥーと音を立てて、乗り物が動き出した。私の隣は空席だ。まず、上方まで上がっていって、頂点に達する少し前で後退。今度は反対側から頂点まで近づいていく。そして頂点の手前で再び下降。これをもう一回繰り返した後、やってきました大回転。グルゥーン、グルゥーン。と2回転。スピードはゆっくりだが、この肩と足のガードが心配だ。果たして私の体重を支えきれるのか・・・。まだ、オープンしたてだからいいが、これから雨や風に打たれて、だんだん錆びついていくだろうし、数ヵ月後はけっこうあぶないのじゃないか。

 回転が終わったあとは、振り子状態になり自然に停止。ちょっと物足りないぐらいではある。やっぱりこれは、誰かと一緒に乗ったほうが盛り上がる。次に来るときが楽しみだ。

 そうそう、一つ、不幸な出来事があった。私は香港のT銀行のカードを普段は利用している。H銀行はインターネットでの操作には便利だが、中国のATM利用に関してはT銀行のカードのほうが使用可能なATMが多く便利だからだ。
 ところが、旅行ボケした頭がパスワードを間違えてしまい、3度か4度失敗。カード失効の表示が出てしまった。慌ててアパートに戻りパスワードを確認。今度は正しいパスワードを入力したが、すでに時遅し。「カードは銀行が預かります」の表示が出て、カードを吸い込まれてしまった。大ショックである。銀行は閉まっているので、明日(すでに今日か・・・)にでも改めて取りに来ねばならない。その上、香港に行って再発行もしなければいけないのだろうなぁ。
 でも、幸いなことに、私はこの銀行のカードを2枚持っていた。吸い込まれたのは銀行口座開設のときに発行された旧カード。その後、インターネット口座運用用に新カードを発行してもらっており、本来なら旧カードは廃棄してもよかったのだが(カードが2枚あると年50RMBの手数料がかかる)、敢えて残して日常はそちらを使用していたのだ。だから、新カードを使えばよい。だが、こちらのカードはほとんど使ったことがない。果たして使用可能か?・・・・・、おっ、お金が出てきた。やった、使える。とりあえず、窮地は脱出した。でも、旧カードを放っておくわけにもいかない。そちらはそちらで処理しなければなぁ。
2005年2月16日
 2月14日は皆様もご存知の通り、バレンタインデーである。日本では女性が男性にチョコレートを渡して愛を告白する日になっていたと思う(少なくとも私が日本にいた頃はそうだった)。一方、中国では男性が女性に贈り物をする日だ(実は、私自身は中国では男女がお互いに贈り物をする日であると理解していたのだが違うらしい)。世界的にみると、中国のやり方が主流で、日本と同じように女性から男性へ贈り物がされる日となっているのは、韓国とコロンビアぐらいのもののようです。

 さて、そのバレンタインデーにZと大喧嘩を致しました。
 話は2月12日に遡ります。近所のDVD(VCD)屋でドラマのDVDを購入した帰りにZが突然、「もうすぐバレンタインデーね。何をプレゼントしてくれるの?」と尋ねてきました。(えー、プレゼント。湖南省に旅行に行ったばかりだろ。それに紅包-中国のお年玉-だって、昨日あげたじゃないか)とは思いましたが、口に出しては「うーん、それじゃあ、花をプレゼントしようか。バラはどう?」と言いました。すると、Zは「バラはいらない。バラは嫌いだから」と答えます。「じゃあ、別の花にしようか」。「花はいらない」。「わかった。それじゃあ、Tシャツ」。「駄目」。となんとなく、会話が終わりました。

 バレンタインデー当日。仕事を早めに切り上げて、帰宅しました。プレゼントはありませんが、どうしてもというなら食事の後にでも一緒に外に出かけて買えばよいと思っていたのです。
 アパートに到着し、ドアを開けると上機嫌なZが待っていました。リビングのテーブルの上にはなんと一輪のバラがコップにささって美しく花を咲かせております。(あれっ?バラは嫌いじゃなかったのか。それなら帰宅途中の花屋さんで買ってきたのに・・・)と思いましたが、敢えてZの上機嫌を壊す必要はないでしょう。その話には触れずにおきました。テーブルの上にはケーキ用の細長い蝋燭がはいった小さな袋も置かれていましたのでどうやらケーキも準備しているらしいと想像がつきました。Zはかなり気合が入っているようです。その時、すでに私の胸には不安の渦がわずかに沸き起こっていたのですが、気の迷いにすぎないと自分に言い聞かせました。

 続く・・・。
2005年2月17日
 バレンタインデー事件の続きを書きます。

 そして、食事。今日は珍しくちょっと軽めの食事でした。あとでケーキが待っているからだろうと想像がつきます。食事の最中、「今日はケーキも買ってあるの?」と尋ねると、『何で知っているの』という顔でこちらを睨みながら、「そうよ」と返事がありました。そして、「今日はどんなプレゼントをくれるの?私は食事も用意したし、バラも買ったのよ」と口を尖らせます。「いや、何も買ってないよ」と言うと、少し考え込むような目をしたあと、黙って食事を続けました。ふぅ~、何とか切り抜けられそうだなと安堵に浸る私。だか、安心するのは早すぎました。

 食事を終え、冷蔵庫から出てきたのは小さなデコレーションケーキ。部屋の電気を消して、ろうそくに火をつけます。そして、二人の息で火を消したのち、再び電気を灯し、仲良くケーキを食べ始めました。Zはひどくはしゃいでいます。
 二、三口食べた後、「このケーキどこで買ったの?」と私が質問をすると、Zは「どうしてそんな質問をするの」と突然笑顔が消え、ちょっと睨むような顔で逆に私を問い質しました。

 続く・・・。
2005年2月18日
 バレンタインデー事件は続く・・・。

 「えっ、たいしたことじゃないんだけど、ホラ、○○(場所の名前)に食中毒で潰れて名前を変えてオープンし直したパン屋があるでしょ。あそこで買ったのかなと思って、いや、別にあそこでも良いのだけれどもね・・・」と思わず声が小さくなる私でした。「違うわよ。○○○(デパートの名前)よ。今日、買い物に行って通りがかったら、ちょうどケーキを作っている最中だったので、それをそのまま買ってきたのよ」。「そっ、そうか」。うーん、危ない、危ない。なんだかダイナマイトの導火線のそばで焚き火をしているような気分だぞ。ひじょーに危険な雰囲気だ。

 仲良くケーキを食べ終えて後片付けを済ませました。私は「ケーキおいしかったねぇー」などといいながら、ソファに横になりました。Zも「そうね。おいしかったわね」と相槌を打って、すぐ隣に座ります。

 「ところで、・・・」と唐突にZが話しを切り出しました。「プレゼントはないの?」。
 「だから、ないっていっただろ」。「えっー、私はバラも用意したし、ケーキも買ってきたのに○○は何もなし~。ひっどーい」。「まぁ、いいじゃないか」。「ひっどーい」。「いや、それなら今から一緒に買いに行こうか」。「もう遅いわよ。頭にきた!」と言ってソファを蹴るようにして立ち上がり、トイレのほうに行ってしまいました。

  (そんなに怒られてもなぁ・・・)。困り果てた私が待っているとZが戻ってきました。「ごめん、ごめん。今日はちょっと忙しくてさ。はやく帰ってくるので精一杯だったんだよ」。「そんなの私に関係ない!貴方の問題でしょ」。もうカンカンです。
  しかし、私のほうもだんだんムカムカしてきました。「関係ないって。そういう言い方はないだろう」と反論すると、「関係ないったら、関係ない。まったく腹が立つ。ひどい、ひどい!」と自分の部屋に入ってしまいました。

  おいおい、こっちも腹が立ってきたぞ。でも、腹を立てても仕方がないや。疲れたし、少し寝よう。そう考えて、寝室に行き、電気を消してベッド横になりました。その間に、再び部屋から出てきたZが聞こえよがしに、「ひとつもプレゼントがないなんてひどい。バラも買ったし、ケーキも買ったし、食事も作ったのに~」とわめきながらリビングを歩き回っています。

 (もう知ったことか)。すっかり腹を立てた私は寝た振りモードに入りました。すると、これではラチがあかないと思ったのか、Zはバンッと部屋のドアを開け、ベッドの横の椅子にドカンと座りました。こちらをすごい目で睨みつけてきます。

  「もう俺は寝るから。今日は疲れているんだ」と言うと、「バレンタインデーで、私はこんなに怒っているのに、寝るですって!」と、もう怒鳴り声です。「だから、もうそんなに怒るなよ」。「あたしは、バラもケーキも買ったのに、○○(私の名前)は何で何もないのよ」。「何もないってことはないだろ。先週旅行に連れて行ったばかりだし、一昨日ぐらいに紅包もあげただろう・・・」。「あれは全然別っ」。「だって、バラとか買おうかって、一昨日言ったら、花はいらないっていったじゃないか」。「そんなこと、言ってない!」。

 「もういいっ!。俺は疲れたから寝ているんだ。(この部屋を)お前は出ていけ」
 「わかったわよ。(アパートを)出て行くわよ。もう、今すぐ、荷物をまとめてでていくわ」。(なんだか話がでかくなってきたぞ・・・)と思いましたが、ここまできたら止まりません。「勝手にしろっ!」と言い捨てて、Zを背にして横になりました。

 続く・・・。 
2005年2月20日
 バレンタインデー事件はまだ続く。

 「もう止めても無駄だからね。すぐに出て行くから!」。そういってZは凄まじい音を立ててドアを閉めました。

 (俺の知ったことか)。そうは思ったものの、こんなことでお別れというのも大人げのない話です。しばらく間を置いて、様子を見に行くと、Zは一生懸命荷物をスーツケースに詰め込んでいます。

 「ごめん、ごめん、謝るからさ。出て行くなよ」。
 「駄目。そんなんでごまかされない。絶対出て行くんだから」。
 「今出て行っても、泊まるところもないだろ。明日にしろよ」。
 「いや!ホテルにとまる」。
 
 どうにも埒があきません。仕方なく、部屋に戻ってPCをいじっていると、Zが戻ってきて、「スーツケースが小さくて荷物が入らないわ。今から買いにいくから一緒についてきて」と言います。「スーツケースを買うのはいいけどさ、明日にしろよ。もう遅いんだから」。「いやよ。今行きたいの」。

 「うーん。本当に出て行くのか?」
 「そうよ」。
 「本当に別れたいんだったら、それでもいいよ。お前はまだ若いし、美人だし、同じ文化の中国人の彼氏をみつけたほうが問題も少ないだろうしさ」。
 私が淡々と話すと、Zの気も静まってきたらしく、神妙な顔をして耳を傾けだしました。「じゃぁ、今からスーツケースを買いにいきたいんだな」。「うん」。「なら、服を着替えて準備しろ」

 とうとう、デパートに出かけることになりました。もう、9:00を過ぎていますが、デパートは歩いて3分ぐらいの場所なので、それほど苦にはなりません。(Zの奴、本当に出て行くつもりなのかな~)。今まで何度か喧嘩はしていますが、スーツケースに荷物を詰め込むようなところまできたのは初めてだから、先の予測がつきません。

 お互い無言のまま、デパートのバッグ売り場に到着。(ほら、選べよ)と目で合図をすると、Zが前に進み出て棚の方角へ向かいます。傍で見ていると、ちいさなリュックの中から選ぼうとしています。仕方ないのでZの近くまで行き、「Z、そんな小さなのじゃ、荷物が入らないだろう。こっち、こっち」と大きなバックのところまで連れてやります。「ホラ、これなんかどうだ。大きいし、タイヤ付だ」。「でも、これ高いわよ」。「いいよ、いいよ。これで最後なんだし。遠慮するなよ」と熱心に勧めてやります。すると、しばらく考えていたZが「でも、やっぱり出て行きたくない」と口にしたのです。「本当か?」。「○○(私の名前)が私を追い出したいというんじゃなければ・・・」。ふぅ~。なんとかうまくまとまりそうだ。ホッと一息を入れ、「そんなこというわけないだろ。それじゃ、今日の件はこれで終わりだな」と告げると、「うん」と返事が返ってきました。

 「じゃ、バレンタインデーのプレゼントだ。何か服を買おう」。私がそういうと、Zはニコニコ顔になって、服を選びに行きました。何だか、今日はずいぶん疲れたぞ。そう思いながら、Zの服選びを待ち、支払いを済ませると、今日最後の事件がありました。バレンタインデーということで、デパートがレシートと交換に景品クジを開催していたのですが、Zがそこで二等賞を当ててしまったのです。それも、服は80RMB弱だったのに、当たったのは、200RMB以上もする皮のお財布。店員が口々にいいわねぇ、と羨望の声をあげたこともあって、Zは大喜び。ご機嫌でアパートに戻ることになりました。

 まぁ、めでたし、めでたし、というところでしょうか。バレンタインデー事件はこれで終わりです。
2005年2月27日
 昨日は、香港へ出かけた。先日、中国のK銀行でATMに呑み込まれてしまった銀行カード(香港のT銀行)の処理のためである。K銀行では、香港の銀行で証明書を発行してもらってこない限り、返却に応じられないというので、やむなしというわけだ。
 フェリーでいくと、銀行に到着するのが11:30とずいぶん遅くなるので、久しぶりに羅湖経由でいくことにした。あまり遅くなると越境でずいぶんと並ぶはめになるので早めにでかけたつもりであったが、羅湖へついたのは結局、午前9時近くになってしまった。だが、意外に人が少なく、10分ぐらい並んだだけですんなりと越境することができた。過去は8時までに行っていなければいけないというイメージがあったが、最近はそれほど混まないのだろうか。だったら、節約のために時々羅湖経由で行くのも悪くはないかな。そう言えば、以前はなかった、ツアー用のカウンターもできていて、一般客が迷惑を被らないようになっていた。中国政府もけっこう考えてくれているなー。

 私が利用している香港のT銀行の支店は、香港島にある太古駅の近くである。10時過ぎぐらいに駅に到着。ところが、半年以上行っていなかったため、場所を忘れてしまっていた。ただ忘れてしまっただけならば聞けば済んだのだが、なんと方角を間違って覚えていてしまったのでやっかいなことになった。記憶していた場所に建物がない。(あれっ、取り壊しされてしまったのかな?)と困惑状態。近くの建物の警備員さんに尋ねてみたところ、警備員さんもよくわかならい。それはそうだ。もともと、その場所には存在しないのだから・・・。だが、そこで助け舟が。ちょうど通りかかった子供連れの奥さんが、「私が連れて行ってあげる」と親切に言ってくれたのだ。「昔ここにあったんだけれど・・・」という私のわけのわからない発言にも調子を合わせてくれて、「今は向こうにあるのよ」と丁寧に教えてくれた。

 おかげでなんとか銀行に到着。だが同時に自分の勘違いにも気づき、かなり恥ずかしい思いをした。(そうか~、こっちの方角だったけー。まさか反対側だったとは、いくら探してもみつからないわけだ)。これは老化現象だろうか。

 銀行カードの方は、担当者が普通語が苦手だったこともあって、少し手間取ったが、なんとか処理が終わった。結局、呑み込まれたカードを紛失処理をし、新規カードを発行してもらうことになった。3週間後に再度来訪しなければならないが、まぁ、仕方がない。これからは気をつけることにしよう。