2006年1月-2月(day025)

2006年1月-2月(day025)


2006年1月2日
 新年明けましておめでとうございます。今年も「華南の靴」をよろしくお願い申し上げます。昨年は不穏な事件続きだった中国、今年はどうなるか。

 昨日は、Zと一緒に東門とジャスコでショッピング。東門では、ケンタッキーの対面にある屋台風のお店で「酸辛粉」を食べた。最近はこれが習慣になっている。「酸辛粉」は辛いので腹持ちがいいし、カロリーも少なそう。満足して店を出たところで、隣の店にすごい行列ができているのに気づいた。これまで気にとめていなかったが、中国式ピザというのがオープンしていたのだ。
 値段をみると一枚3RMB。オーブンで揚げたてのピザを紙製の手提げ袋に入れて客に渡している。すごく美味しそうなので、私も買ってみることにした。真中の窓口で代金を払ってレシートをもらう。このレシートを両脇の窓口で渡すとピザを受け取れるという仕組みだ。しばらく並んでピザをゲット。なかには一人で10枚以上も購入している人もいて、ちょっとびっくり。従業員へのお土産だろうか。
 味は特に中国チックということはなく、けっこう普通のピザ。一種類しか売っていないので飽きのこない味をベースにしているようだ。中国のピザハットのピザは油がきついし、ボリュームがあるので一枚食べると満腹だが、このピザならおやつ代わりにも食べられそう。しばらくは東門では「酸辛粉」→「中国式ピザ」→「たこ焼き」というのがパターンになりそうだ。Zも気に入った服が見つかったようで、ニコニコしてショッピングから戻ってきた。
 それからジャスコに立ち寄って、お寿司を買って帰宅。最近、少しずつではあるがZがお寿司を食べるようになってきた。今のところ、生の刺身は食べられず、蒸してある海老のお寿司だけだが、以前と比べて食べる量が増えているような・・・?「私がお寿司食べられるようになったら、どうなるのかな~?」と不敵な表情で笑うZ。うーん、私の財布が・・・・。 
2006年1月4日
 1月2日のことだが、上記のホームページを書く以外にもう一仕事をした。
 私たちは、中国ではよくある飲水器を部屋に設置していて、10Lほどのミネラルウォーターのタンクを上に乗せて日常の飲み水として利用している。温水も冷水も出る優れものである。
  ところが、そのミネラルウォーターの味がここ二ヶ月ほど、どうもおかしい。Zは何ともない様子なので我慢していたが、改めて味見をしてみたところ、絶対におかしいと確信するに至った。私たちが購入しているミネラルウォーターは「益力」という深センでは有名なメーカーのもので、ブランドとしては問題がない。ただ、中国ではミネラルウォーターの品質問題が後を絶たず、毎年、毎月のように当局に検挙されつつも一向に改善しない。最近でも、深セン特区への出入口に大きな看板をかかげた有名なメーカーが不合格とされたばかりだ。
 だが、本当にメーカーものを買ってやられたなら、まだ諦めもつく。悪質なのは、中間業者がメーカーのボトルを使用して水道水や格安の蒸留水を詰め込むケースである。この方法はかなり普遍的に行われているらしく、頻繁に記事となって紙上を賑わしている。私たちが購入している「益力」は、偽物で、中に入っているのは実は水道水を沸かしたものなのではないか?というのが私の抱いた疑念である。味がどうにも塩素臭いのである。
 
 今日中にこの問題を解決してやろう。そう決意した私は、インターネットで「益力」のホームページを調べた。ホームページはすぐに見つかったが、販売店の名前が書かれていない。これは面倒だ。ネットサーフィンを繰り返し、情報集めに専心したところ、深セン地区では比較的大きな販売網をもっていると思われる会社のホームページを発見。ただし、深セン市内を主要なセールス地区としているのだろう、私のところから一番近い販売店でも車で30分はかかりそうな場所だ。とても配達など望めそうもない。だが、配達はできなくても、信頼できる取次ぎ店を紹介してくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて電話をかけた。プルルル~、プルルル~、プルルル~、あれっ?誰もでないぞ。プルルル~、プルルル~、やっぱり出ない。しつこく何度もかけたが結局誰も出ないまま。
 うーん、打つ手なし。こうなったら、業者に直接疑念をぶつけてやるか。問題の、怪しいミネラルウォーターを私に売りつけている業者に電話をかけた。「いつも『益力』を買っている、××ホテルの裏の裏にあるアパート、ほら、○○の店の二階に住んでいる者だけれど、・・・」。「あぁ」。「最近、お宅の店から買っているミネラルウォーター、おかしな味がするんだけれど。本当に『益力』のミネラルウォーターだよね」。「ええ、間違いないですよ。私が直接△△にある『益力』の給水所に行って詰めてもらってきているものだから」。・・・なるほど、朴訥な落ち着いた話し振りだし、少なくとも丸っきりの嘘をついているような声音ではない。
  
  「味がおかしいんだね。貴方が使っている飲水器はどのくらい消毒していないんだい」。消毒・・・、そう言えば、友人のKくんも同じようなことを言っていたっけな。会社で使っている飲水器の消毒に100RMBぐらいかかったとかナントカ・・・。実は、その可能性も考えなかったわけではなかった。ただ、私が「おかしな」味がするという意味は、「塩素臭い」味がするという意味だった。だから、飲水器が雑菌に侵されているという可能性は、最初の頃に排除してしまっていたのだ。だが、改めて提起されてみると、その可能性も追及せざるえない。
  「つまり、貴方は飲水器を消毒していないせいで、味がおかしくなっているのだろうと言いたいんだね。わかった。それじゃあ、ミネラルウォーターのタンクを外して、直接コップに注いで飲んでみるよ。それから、また連絡するよ」と伝え、電話を切った。

 よっこらせっと、一旦セットしたタンクを使い切る前に外したことはない。ぼとぼとと水がこぼれるのではないかと不安だったが、なんとか一滴も零さずに外せた。内蓋がうまいこと詰まってくれていたのだ。だが、タンクからコップに水を注ぐためにはせっかく口元に詰まっていた内蓋をタンクの中に落とさなければならない。ググッと押し込む。ぽとんと中に落ちた蓋を寂しく眺めた後、再びタンクを持ち上げ、コップにゴボゴボと水を注いだ。
 さあ、味見だ。ムムゥ、ソムリエになった気分で水を舌の上で転がす。どうかな~、特にうまいという感じはないが、確かに飲水器を通したときのような塩素臭い、不快な味はしない。これは業者の言い分を認めざるえないか・・・。

 思い切って新しい飲水器を購入しよう。一年半も使ったから、新しいのに変えてもいいだろう。そう考えて電器店に出かけて、飲水器の選択にかかった。だが、もともと私の買った飲水器はコンプレッサー付の高級機種で600RMB以上もした。新しいものを買ったとしても、ランクを下げるわけにはいかず、といってさらに高いランクを求めるつもりもない。そうなると、まったく同じメーカーの同じモデルのものしかない。やっぱり700RMB弱。これと買い換えるのはいくら何でも面白くない。
 結局、購入をあきらめ家に戻ることになった。

 プルル、プルルル~、「あっ、午前中に『益力』の件で電話したものなんだけど、どうもミネラルウォーターの問題ではなさそうだから、飲水器の消毒を頼みたいんだけど」。「いいですよ。すぐに従業員を行かせます」。「いくらぐらいかかるの?」。「(・・・微妙な間)飲水器の消毒は無料ですよ」。

 無料か。ありがたいけど、効果あるのかな~?疑問符がつくがとにかく待つとしよう。30分ほど経った頃、業者到着。その場で掃除を始めるのかと思ったが、オフィス(といってもその辺の店だが)にもって帰ってやるのだという。飲水器の後ろにある水抜きのキャップを取り外し、中にたまっていた水を排水する。排水が終わると、ぐっと飲水器を持ち上げ、業者はたったと帰っていった。

  一時間ほどで消毒作業は終わったらしく、インターホンが鳴る。ドアを開けてやると、飲水器をもって業者が階段を上がってきた。部屋に入って飲水器を元の位置に下ろすと、タンクを再セットし、お湯と水の口をしばらく出しっぱなしにする。空気抜きだろう。「もう使っていいですよ」。そうか、ご苦労様、気持ちだけでもと思ってチップに5RMBを渡すと少し意外そうな顔をして受け取り、部屋を去っていった。
 
 まぁ、またボチボチと味を確認するしかないなと考え、ホームページの日記に取り掛かる。それが、1月2日の日記。上の1月2日の部分まで書き終わって保存、ひと休憩。しばらく休んだ後、今日のミネラルウォーターの顛末を書こうと、再びコンピュータに向かった。そして、20行ほど書き進めたとき、そうだ、そろそろ飲水器の電気を入れておくとしよう。後でお茶を飲んで味の確認だと、席を立った。

 コンセントを差込、スイッチ・オーン。バチッ!凄まじい音を立てて、部屋中の電気が落ちた。すでに夕方になっていたので、部屋は真っ暗。これは漏電だ。昨年、水槽の中にコンセントを落とした時の現象と同じなので、すぐにわかった。入口のところにあるブレーカーを上げ、部屋の電気を取り戻す。でもなぁ、なんで漏電したんだろ。もう一回だけ試してみよう。再びスイッチ・オーン。バチッ!再び、停電。もう間違いない。この飲水器のせいだ。ブレーカーを上げて、電気をつけてから、業者に電話。「さっき飲水器の消毒をやってもらったものだけれども・・・。スイッチを入れると漏電するようなんだけれど・・・」。「えっ、従業員の奴、すぐに電気を入れては駄目だっていいませんでしたか?」。「言ってない」。「そうですか、必ず言えって教えてあるんですけどね」。「じゃあ、明日ぐらいまで、このまま待って入ればいいんだね」。「えっ、ええ(ちょっと自信なげ)」。じゃあ、明日電気を入れてみて駄目だったらまた電話するから」。「はい・・・」。

 仕方がないないぁ。まあ、いいや、とホームページ作成にとりかかろうとして気づいた。ああ~、電気がおちてるー。もしやさっきまで書いていた内容は全て?再起動。フロントページ起動。・・・やっぱりー、ミネラルウォーター編の20行が全部消えている。駄目だ。大ショック。今日はやめやめ。・・・の結果が昨日の1月2日分の日記となったわけである。

 そして、本日、飲水器のスイッチ・オーン。やった、無事だ。しばらく待ってお茶の味を確認。うーん、まぁまぁだ。少なくとも以前のような嫌な味はしない。だけれど、会社で飲んでいるのと同じメーカーのジャスミン茶パックを使っているのに、会社で飲むのほど美味しくない。会社で使っているミネラルウォータは、日系のものだから、やっぱり味がいいのだろうか。あるいは、家で使っているお茶のパックに問題があるのだろうか。よし、明日、このパックを会社に持っていって飲んでみよう。それで白黒はっきりさせるしかない。
 まだまだ続くミネラルウォーター編であった。
2006年1月9日
   昨日は、香港にてデジカメの購入。
 これまで使用していた旧デジカメに不具合が生じ、使用に不安を覚えるようになってきたからだ。旧デジカメはレンズ・カバーがスイッチの役目を果たしており、カバーを横にスライドさせると、電源が入る。ところがスライドの溝の部分が緩くなり、ポケットやバッグに入れておくと、知らないうちにカバーが開いて、スイッチオン。いつの間にか電池がなくなっているということが起き始めたいた。これでは旅行中、安心して使用できない。すでに保証期間も過ぎていたので買い換えることにした。
 今回購入したのは、カシオの「EX-Z500」。
 主にYahooショッピングのレビューを参考に購入した。値段は2,780HK$(512MBのSDカードがサービス)。薄型・高速起動・シーンメニューが多い等、購入時点では非常に満足している。また、初の日本語メニュー付。香港で購入すると、中国語と英語にしか対応していないのが当たり前だが、このカメラは日本語にも対応している。
 唯一の弱点はバッテリーに直接充電できないこと。カメラごとでないと充電できないようなのだ。レビューに「クレドールでないと充電できない」と記述があったのだが、何のことかわからないまま購入してしまった。旅行中、予備バッテリーを常に持ち歩く私としては、いちいちカメラに入れてからでないと充電できなというのはいささか不便であるが、この欠点を最初から知っていたとしても、やはり「EX-Z500」に決めていただろう。(*調べてみたら、バッテリーに対する充電器はオプションで販売されていることが判明)。
 中国に来て最初に買ったF社のデジカメは、光学ズームなし。初めてのデジカメだったので、光学ズームとデジタルズームの相違を知らずに購入してしまった。ちょっと遠距離の撮影になると、いちいち被写体のそばまで歩いていかねばならず、苦労した。二台目はこの経験を生かして、3倍光学ズーム付きを導入。かなり気に入って使用していたが、会社にもっていったところ、部下に貸してくれと言われ貸与。結果、ネジを外され(その上紛失され)がたがたになってしまった。また、上記の2台とも、少し暗い場所に入ると、液晶画面が真っ暗になってしまうという弱点があった。友人のKによると、製造時のミスで、ある個所の配線が逆になっていると生じるとのこと(真偽は不明)。
 使い勝手がよく、気に入ったメーカだったが、三台目から別のメーカに変更することにした。それがこれまで使用していたO社のデジカメ。本来、S社の薄型デジカメを購入するつもりだったが、業界初の薄型デジカメとあって香港ではほぼ売り切れ状態だった。妥協して、O社のデジカメとなった。
 O社のデジカメは、基本性能がよく、比較的満足して使用していた。以前の2台にあった暗い部屋で液晶画面が真っ暗になるということもない。また、以前のカメラは記憶メディアが遅くて、コピーするのに非常に時間がかかったが、O社のデジカメはXDカードを使用しており、コピーが非常に早くなった。このデジカメの唯一の欠点は大きいこと。旅行中もって歩くとき胸ポケットでは収まらない。面白いと感じたとき、パッと写真をとりたい私として、いちいちズボンのポケットから取り出さないとならないのはなんとも不便。4台目は胸ポケットに入る薄型にしようと決めていた。
 数々の経験を踏まえて購入に踏み切ったカシオの「EX-Z500」くん。果たして、私の期待に応えてくれるだろうか。楽しみである。
2006年1月24-27日
 先日、ようやく「広西省の旅」を書き終えました。ご関心のある方はご覧になってみてください。

 次の旅行は、湖北省に決まった。
 春節はチケットが手に入れにくいと言われながらも、毎年何とかなってしまうので、ギリギリでもなんとかなるだろうと考えていたら、甘かった。26日の午前中に湖北省省都の武漢に向けて出発する予定でいたが、座席がいっぱいでチケットが入手不可であることがわかった。一番早くても、28日の夜しか空いていないという。
 無理に湖北省にこだわることもない、今回は広東省内のまだ行っていないところにでも行ってみようか?とも考えた。しかし、Zの落胆が激しいので、再度検討してみることにした。まず、深セン発でなくて、広州発ではどうか。だが、これは座席いっぱいで駄目だった。そこで、湖北省の別の都市への便を探してもらった。結果として、「宜昌」というところなら、27日の夜に座席をとれることが判明した。1080RMB/人で割引なしとメチャメチャ高いが仕方がない。購入決定。着くのは夜の10時を超えそうな雰囲気だから、最初の一泊だけでもホテルを予約しておいた方がいいかもしれない。幸い、「宜昌」は観光地点が豊富な都市である。旅の出発点としては悪くない。「宜昌」→「襄樊」→「武漢」の三角コースか、「宜昌」→「荊州」→「武漢」の直線コースでうまくまとまりそうな感じだ。もしくは、「宜昌」→「武漢」ののんびりコースでもいい。

 さっそくインターネットで情報収集を始める。まず、観光地の探索(http://www.tour2hubei.com/)。「武漢」も「宜昌」も見所が多い。今回は、二箇所でも十分楽しめるかもしれない。観光地に関して調べていくうちに、ホテルもインターネットで予約しようかという気になってきた。以前、広州のホテル選びに利用して疑問符のつく結果となったので、その後検討しなかった。しかし、初日の到着が夜の10時頃になりそうだということで、改めて考慮してみることにした。
 私が利用しているのは、「携程旅行網(www.ctrip.com)」というカードである。ホームページに入って、このカードと提携している「宜昌」のホテルを片っ端から調べていく。全部で10軒ぐらいのホテルがある。情報量としては決して多くないが、丁寧に読んでいくと意外に時間がかかる。もっとたくさんのホテルが紹介してあればいいのにと思わないこともないが、逆にこれ以上あっても、選択に時間がかかり過ぎて困ることになるかもしれない。
 選択のポイントは、オープンして何年か?に重点を置いた。全ての情報が本当かはわからないが、だいたいのホテルの紹介にオープン19○○年、改修○○○○年としっかり書いてあるので選択が簡単だ。各ホテルに泊まったことのある人たちのレビューもあるのでそれらも参考にした。また、ホテルの外装や内装の写真があるので、ぼやっとしてきちんと取れていないものは避けることにした。
  結果として、「宜昌」では一泊300RMB強のホテルに泊まることに決定。四星級と書いてある(ホテル名は旅行から帰ってから旅行記にてご報告します)。当日の一泊だけにしようかと思ったが、春節の寒空である。Zを連れてホテル探しにウロウロすれば、不満・文句の嵐が吹き荒れるのは免れない。思い切って、三泊とも予約してしまうことにした。通常であれば、三泊もすればさらに料金が下がるものだが、この「携程旅行網」方式では連泊に対する考慮はなされないようだ。もっとも、春節でもあるし、いずれにせよ値切り交渉は困難であることが予想される。逆に、「携程旅行網」の料金が底値で予約しあった日以外は更に高くなってしまうということもあるかもしれないし、下手をすれば部屋がなくなってしまうということもありうるだろう。さあ、実際にはどうだろうか?

 「宜昌」以降のホテルに関しては、「携程旅行網」で情報を集めるだけにとどめて、予約はしないでおいた。「携程旅行網」は電話でも予約できるので、「宜昌」のホテルが良かったら、その後は電話で予約してもよい。

 いつもは、連休の初日に出発なので余裕がないが、今回は連休二日目の夜に出発なのでアレコレと考えたり準備できるのがありがたい。

 ・・・現在、出発の2時間前である。荷物の準備も終わったし、後は忘れ物に気をつけるだけ。それでは、また。 
2006年2月6日
 昨日、湖北の旅から帰って来た。成り行きで、「宜昌」→「武漢」→「武当山」→「襄樊」のハードコースになってしまった。エア・チケット代も行きが「深セン」→「宜昌」で1000RMB強、帰りが「襄樊」→「広州」で1200RMB強、双方ともに割引なしという、なんとも高額な旅になった。湖南省と同じぐらいの気持ちで準備していたのが良くなかったのかもしれない(実際には湖南省よりも遠い)。

 「宜昌」では、春節で観光地がオープンしていないという不運(?)と予定していた風景区「柴埠渓大峡谷」へのバスが出ていないという想定外の出来事に見舞われ、慌ててメインを隣の市である「当陽」に変更したが、ぱっとせず十分な穴埋めにならなかった。それで「武漢」への移動を早めた。ところが、武漢は省都であることもあって、観光地のメインは「お寺」ばかりであり、Zが「つまらない、つまらない」とこぼし始めた。
 武漢にも郊外に「木蘭山」という風景区があり、それなりに名のある場所なのだが、「柴埠渓大峡谷」と比べると見劣りする。
 やむなく、湖北省で名高い「武当山」を旅のルートに加えることにした。これにはZも大喜び。だが、当初の予定に入っていなかったため、情報が一切ない。慌てて本屋へ走り、概要をつかむが、どのくらいの時間で上れるのかまではわからない。そうなると、日程に余裕を見なければならなくなり、「武当山」の近くにある「襄樊」も観光ルートに含め、日程調整の地とすることにした。
 「襄樊」が最終地点と決まった時点でエア・チケットを購入に行ったが、春節のため、「深セン」行きは空きがない。だが、幸運にも「広州」行きをゲットすることができた(チケット売り場のスタッフも驚いていた)。
 「武当山」への旅は、想像以上に順調で、Zは至極満足。観光開発が進んでいて、どこにでも車で行ける状態であったので、私としては若干疑問符が残ったが、冬の旅とあってはこれぐらいでちょうど良かったのかもしれない。
 「襄樊」には郊外に城壁で囲まれた街があり、楽しめた。一番良かったのは、三国志で名高い「三顧の礼」が行われたという場所に行けたことだろう。管理状態がそれほどよくなかったのが残念だが、有名な「孔明」の故郷というだけでも胸がわくわくした。
 「襄樊」は(冬場に行ける)観光地がそれほど多くないので、一日あまったが、寒空の中を無理して歩いたために風邪をひいてしまい、寝込んで消化することとなった。
 
 詳細は「湖北省の旅」にて書いていきますので、ご覧になって頂ければ嬉しいです。 
2006年2月19日
 ミネラルウォーターの味がおかしい。そこから始まって、先日、飲水器の洗浄を行ってもらうまでに至った。結果、味は若干改善されたものの、やはり望むような水準に達していない。その上、洗浄の方法(もしくは後処理)が良くなかったらしく、頻繁に漏電が発生するようになった。一日1回程度だが、ブレーカーが飛んでしまうのだ。これでは危なくて仕方がない。やむなく飲水器を買い換えることにした。
 これまで使用していた飲水器はコンプレッサー付で10℃以下の冷水を作れる高級機だった。600RMB強で購入したのだが、同じクラスのものを購入しようとしたところ、このクラスの飲水器ではコンプレッサー付のものは販売されていないことがわかった。900RMB強ので5℃以下の冷水を作れる飲水器があったが、いくらなんでも贅沢過ぎる気がして、購入を思いとどまった。購入を思いとどまったのは、もう一つ理由がある。漏電問題があったので、飲水器の電気を一ヶ月ほどとめておいたのだが、その間の電気代がずいぶん安くなっているのに気づいたからだ。コンプレッサー付の飲水器というのは思いのほか電気を食うのかもしれない。そう思ったので、コンプレッサー付は諦めることにしたのだ。
 購入したのは、500RMB弱の飲水器だ。冷水が15℃以下にまでしかならないのが弱点だが、これがどのくらい生活の快適度を下げるかは夏を迎えてみなければわからない。新機能としては、光検知機能がついており、夜になると自動的に電気が落ちる仕組みになっている。もっとも、飲水器を置いてある部屋は防犯のために夜も電気をつけっぱなしにしてあるから、あまり意味がないだろう。

 飲水器を無事交換したので、ついでに水も別のところから購入することにした。飲水器の問題もあっただろうが、水そのものの味にも問題があると思われたからだ。今回は会社で使用しているのと同じ「蘇生」というブランドのものにトライしてみることにした。日本語のフリーペーパーでも紹介されていた会社なので、安心度が高いと思われたからだ。一番近い支店が隣の街なので、使用量の少ない私のアパートまで運んできてくれるかどうかが心配だったが、電話をしてみると、快く引き受けてくれた。私の住んでいる街にも取扱店があったのだ。一時間ほどでボトルが到着。さっそく設置し、味見をしてみる。・・・・、「うん、美味しい!」。会社で飲んでいるのと同じ味だ。これなら、安心して水を飲める。ここ数ヶ月に渡って悩まされてきた問題からようやく解放されることができた。
2006年2月20日
 山芋(とろろ芋)は私の大好物である。以前、貴州省に住んでいた頃には、よく市場に行っていたので、時々見つけては買って食べていた。深センに来てからは、山芋が食べたくなると、台湾料理・韓国料理・日本料理屋の三つを兼ねた安いレストランに行って食べていたが、そこで一度お腹壊してしまい、それ以来山芋を食べられる場所がなくなってしまった。
 スーパーで「淮山」という名の山芋そっくりな芋が売っていたので、中国人に聞いてみると、スープに使ったりするもので生で食べるものではないという。似ているんだけどなーと思いつつ、情報不足でずうっと買えずにいた。
 そうしたおり、出張者のTさんと一緒にスーパーに行く機会があり、「この芋は山芋に似ているんだけど、どうですかねぇ?」と尋ねてみると、「あっ、山芋ですよ」と簡単に断言された。「本当ですか?」と繰り返して尋ねてみるが、「間違いありません」との返事。ここまで言うのだから間違いあるまいとは思ったが、いきなり生で試すのは勇気がいる。その晩、私のアパートで一緒に焼肉を食べることになったので、その「淮山」を輪切りにして焼いて食べてみることになった。山芋の千切りも大好物だから、輪切りにして食べてみれば「淮山」が山芋かどうかわかるだろうと考えたのだ。ところが、Zが気を利かせすぎて、テーブルに出てきたのは輪切りにした上で油で揚げてしまってあるものだった。色が変わって紫色になってしまっていて見るからに気持ちが悪い。とても食べられたものではない。結局、ほとんど口にせずゴミ箱行きとなった。

 それから数週間が過ぎ去ったが、やはり山芋をたらふく食べてみたいという夢が捨てきれない。そこで、インターネットで「淮山」を調べてみた。すると、はっきりと山芋であると書かれた記述があちこちに出てきた。Tさんは正しかったのだ。これは朗報である。さっそく「淮山」を買いにスーパーへ走った。
 アパートに持ち帰ると、おろし器を使ってとろとろになるまですり下ろした。どんぶりに入れてラップをし、夕食の時間まで待つ。夕食の時間になり、ご飯の準備ができたので、とろろを取り出してみると、アクが出ており若干黒みがかっている。うーんと思ったが、少しダシのもとと醤油を混ぜて、ご飯にぶっかけて食べた。「うまい!」。瞬く間に茶碗2杯を平らげてしまった。
 美味いことは美味かったが、アクで黒くなっていたのが、ちょっと気に入らない。インターネットで調べると、酢水に30分つけてアク抜きをしておくとよいのだという。よし、次回はちゃんとアク抜きをしてからすり下ろすこととしよう。今から楽しみだ。
2006年2月23日
 そう言えば、今年のバレンタインデーをどう過ごしたか書くのを忘れていた。昨年は、「バレンタインデー事件」と銘打ったほどの大問題が発生し、あわや「再見!Z」となるところだった。
 今年はどうだったか?
 実は、今年は平穏無事に過ぎた。
 日記を読んでくださっている方はご存知だと思うが、Zは現在ペーパーフラワーに夢中になっている。相当上達して、いまや、(ペーパーフラワーの)先生のお店で売っているものと大して変わらない(本人弁では、すでに先生のより綺麗)レベルだ。先生によると、毎年バレンタインデーになると、東門(お店が東門にある)の繁華街で、バラのペーパーフラワーを売るのだそうだ。それを聞いたZが「私も(私たちの住んでいる街の)広場でバラを売るわ」と一月前ほどから熱心にバラ作りに励んでいたのである。バレンタインデー当日、退勤直前に、Zから電話がかかってきた。「私、もうすぐ出発するわ。(バラの花をたくさん抱えているので)ちょっと恥ずかしい」とのことである。「頑張れよ」と励ましてやる。
 帰宅すると、Zはすでに出発した後であった。電話をして、「どうだ?」と尋ねると、「今、広場の入口にいるの。でも、駄目みたい。(広場の)中で物を売ってはいけないっていうのよ。やっぱり帰るわ」とがっかりした様子だ。「そうか、残念だな。じゃあ、戻ってきたら食事に行こう」と伝え、Zの帰宅を待つ。だが、15分ほど経っても帰ってこない。まっすぐ帰ってくれば10分ぐらいの距離だ。電話をかけて様子を尋ねてみることにした。
 「・・・・おかけになった携帯電話番号は現在(お金の)チャージ不足で使用できない状態です・・・」 
 げげっ、使用不能か。そう言えば、昨晩、もうすぐチャージがなくなるっていっていたな。困ったな、これではどうなっているかわからない。事故にでも遭っていたら大変なことになる。やむなく迎えにいくことにした。

 広場までの道筋は大通りを通っていくものと細い裏道を通るものと二つある。下手をすれば行き違いになるが、アパートには固定電話があるので、Zが帰宅さえすれば、連絡はつく。とりあえず、大通り側の明るい道を通って広場まで行くことにした。
 広場までの道のりで、何度かアパートに電話をかけるが誰もでない。やはり帰宅していないのだ。広場は円形のコロセウム風になっていて、面積は運動場3、4個分ほど。出入口は広場のあちこちにあるが、私のアパート側から近いのは二つだ。まずは、メインの大きな入口の方へ行ってみる。だが、Zは見当たらない。やはり帰宅したのだろうか。アパートに電話をかけてみる。「プルプルプルー、プルプルプルー、プルプルプルー」。まだ帰宅していないようだ。

 交通事故にでもあったのだろうか?広場に沿った大通りに出て様子をうかがってみるが、事故が起きた風ではない。交通事故があれば、すぐに人だかりができるから、わかるはずだ。そこで、もう一つの入口の方へ行ってみることにした。
 もしかしたら、監視の目をうまくすり抜けて、広場に入ることができたのかもしれない。そう思って、入口を抜けて、広場の中に入ってみた。しかし、人はまばらで、Zがいる様子はない。Zの名を大声で呼んでみるが応答なし。

 ・・・続く。 
2006年2月24日
 Zは一体どこへ行ったのだろうか。広場の中を見渡してみるがどこにもいない。広場の縁に沿って歩いているうちに、メインの出入口から外へ出た。もう一度、アパートへ電話をかけてみるがやはりZは出ない。一旦アパートへ戻ろうと考えて、広場から大通りで出た(広場から大通りまでは空き地が広がっており、距離にして数十メートルある)。

 大通りまできたところで、もう一度考えた。(ここで帰宅しても、Zが部屋に居なかったら再び戻ってこなければならない。気の短いZのことだから、部屋に私がいなければ必ず電話をしてくるはずだ)。
 そこで、今度は大通りに沿って、歩いてみることにした。
 道路脇に数メートル置きにライトがあるものの、少し引っ込んだところは、暗くてみえない。バレンタインデーだけあって、散歩しているカップルが多いが、顔は全く見えない。こんなに暗くてはZがいても、よほど近くまで行かなければわからないだろう。ここにもいなかったら、どこを探したらいいのだろうか?まさか、レストランの中にまで売りに行ったとも思えないし・・・、あるいはデパートの前まで行って頑張っているのだろうか。いや、そこまでの度胸はないだろう。

 カップルが行き来する暗闇の中、十数メートルほど先に一つの人影が見えた。予想に反して、Zだということはすぐにわかった。ただ、服装が私が想像していたのと違う。花売りのするのだから、派手目のワンピースでも着ているのだろうと考えていたのだが、その人影は明らかにジーパン姿だった。万が一ということもあるので、5メートルほどのところまで近づいてから声をかける。
 「Zっ!Zっ」。あれっ?振り返らないぞ。
 「Zっ、Z!」。
 ようやく振り返ったZは、「○○(私の名前)」と私の名前を呼ぶ。
 「どうしたんだよ、帰らなかったのか?」
 「そうよ、ここで売ることにしたの」
 「広場には入れてもらえなかったのか」
 「中で売るには100RMB払わなきゃならないっていうのよ、冗談じゃないわ」とZはコンクリートの地面を蹴って怒りをぶつけた。 
 「100RMBとは高いなぁ」
 「だから、私、ここで売るの」
 「もう売れたの?」
 「10RMB分・・・」
 (っていうと、一本か。でも、売れただけでもすごい)。Zの足もとに目をやると、バラのペーパーフラワーでいっぱいになった大きな籠が置かれている。一生懸命作っただけあって、確かに綺麗なんだが、こんなに暗い場所では皆にわからないのではないだろうか。
 「じゃあ、今からずっとここで売るのか?」
 「ううん、もうすぐ帰るわ。なかなか売れないし」
 (あれっ、意外と弱気だ)。
 「じゃあ、俺はちょっと離れたところにいるよ。男が一緒にいたら、客が寄ってきにくいかもしれないし・・・」
 「そんなことないわよ・・・」とZは反論したが、ちょっと考え込む様子になった後、「わかったわ」と頭をコクリとさせた。

  ・・・続く。
2006年2月25日
 Zが花を売るのを、十メートルほど離れた車両進入防止用に設けられた高さ15センチほどの鉄柵の上に腰を下ろして眺める。
 「お花買わない?」
 「すごく綺麗よ」
 無視されることが多いが、時折、立ち止まってのぞいていくカップルもいる。
 花売りというのは、中国では、中年の女性に率いられた、学校もろくに通っていないだろう小学生ぐらいの女の子たちがやる、どちらかというと闇の商売という印象が強い。大人の女性が花を売っているのはあまり見かけたことがない。
 Zが花を売るという話を聞いたとき、「でも、酔っ払いに絡まれたりするんじゃないの?」と尋ねてみた。すると、「大丈夫よ、バレンタインデーの日はカップルがたくさん歩いているから、カップルだけに売るわ。ガールフレンドの前で他の女に手を出す男はいないわよ」と答えが返ってきた。なるほど、意外に考えているものだと感心した。
 
 「紙で作った花よ」
 「見ていきなさいよ」
 Zのセールスは続く。
 少しずつ人通りが増え始め、同時にZの花籠に目を向ける客も出てきた。暗くてよく見えないが、何人かは花を手にしてからZのもとを離れている。売れているようだ。
 近寄っていって、「どのくらい売れたの?」と尋ねると、「90RMBよ」と答えが返ってきた。「花束も売れたのよ。9本入っているの。本当は90RMBで売るものなんだけど、60RMBに値切られちゃったわ。仕方ないわね」と悔しそうだ。
 「俺はそろそろ戻るけど、まだやっていくのか」
 「うん、これを全部売ってやるわ」と足元の花籠を指差す。花束が売れたから勢いがついたようだ。待っててやりたいが、薄着で出てきたため体が冷え込む。風邪気味なので、少々辛いところだ。アパートに帰って待っていたいが、Zの携帯電話が使用できないままでは、連絡がつかず不便だ。そこで、近くにある携帯電話屋でカードのチャージをしてやってから、アパートへ戻った。

 近所の食堂で、定食弁当を作ってもらって、部屋で一人で食べる。しばらくネット・サーフィンをしてから時計を見ると、もう一時間以上経っている。電話をかけてZの様子を尋ねると、「まぁまぁよ。お客がいるから後で電話するね」と元気だ。
 お腹がいっぱいになって体も温まったので、もう一度Zのところに行ってみることにした。着いてみると、広場の前の大通りはさきほどよりも賑やかになっており、本物のバラを売る女の子たちがあちこちにいる。普段見かけるような幼い子供たちではなく、20才前後の女の子たちだ。中にはボーイフレンドと一緒になって売っているのもいる。

 さきほどの場所に着いてみると、Zの姿がない。電話をしてみると、「さっきの場所にいるわよ」とのこと。
 「でも、姿が見えないぞ?」
 「あっ、今は歩きながら売っているの。○○(私の名前)はどこにいるの?」
 「だから、さっきの場所だよ」
 「見えた、見えた。そのまま、そこにいて」
 しばらく待っていると遠くから姿を現した。見ると、花籠の花が大分減っている。
 「どのくらい売れたの?」
 「全部で140RMB」
 「けっこう売れたじゃないか」
 「さっきね。この花束を30RMBで買いたいって客がいたのよ」とバラが6本入った花束を取り上げて見せる。「でも、40RMBじゃないと売らないって言ったら、諦めて帰っちゃった。売っとけば良かったわ」と残念そうに花束を見つめた。

 「じゃあ、そろそろ帰るか?」
 「うーん、もうちょっと頑張っていくわ」
 「そうか、じゅあ、その辺で待っているよ」

  だが、時間が遅くなってきたせいか、人通りがぐっと減ってきた。稀にカップルが花籠に目をやるが、そのまま通り過ぎてしまう。Zが「こっちに来て」と手で合図をするので、近づいていくと、「もう帰るわ」と疲れきった様子で言う。「お腹が減ったんだろ」と言うと、「なんでわかるの?」と不思議そうにこちらを見た。「あーあ、この花束30RMBで売っておけば良かったなあ」と思い出したようにため息をつく。
 「まあ、140RMB分も売れたからよかったじゃないか」
 「そうね」
 「けっこう、他にも花を売っている女の子たちがいたね」
 「そうよ。彼女たち、工場で働いている子たちらしいわ。花やから一本5RMBでバラを買って、8RMBで売っているって言っていたわ」
 「でも、そんなに簡単に売れないだろ」
 「そうよ。バレンタインデーだから、簡単に売れると思ってやってるのよ」

 帰り際、Zの分の定食弁当を買って無事帰宅。
 140RMB分花の材料費は、大体20RMB。Zの労力を考えなければ儲かったとも言えるが、売れ残った花もあるので、なんとも言えない。でも、本人が満足そうなので、良しというところだろう。ともあれ、今年のバレンタインデーは平穏に過ぎていったのであった。 
2006年2月26日-28日
 先日、久しぶりにマカオへ行ってきた。昨年の11月以来だから、約4ヶ月振りである。マカオへ行くのも、これで合計8回ぐらいにはなる。いくらなんでも、そろそろ大当たりが出る頃ではないかと期待で胸を躍らせながら出かけた。(今回は同じ会社のMさんとPさんが一緒だった。二人ともマカオは常連である)。

 マカオではパタカと香港ドルが使用できるが、スロットでは一般に香港ドルが使用される(パタカが使用できる機械も一部にはある)。
 私は中国で生活しているので、普段は中国の人民元(RMB)だけを財布に入れておき、たまに香港に行くときのために香港ドルも3000ドルぐらいはアパートに置いてある。香港に行ったときに使った分だけ補充しておく習慣だ。マカオに遊びに行くときも、いつもはこの補充分から出すわけだが、今回は事情があって香港ドルが手元に300ドルしか残っていなかった。
 行きのフェリー代は人民元でも買えるので問題ないが、遊びのお金は香港ドルを用意しなければならない。そこで、正午近く、フェリーがマカオに着いて税関を抜けるとすぐに、ATMでお金を下ろすことにした。Pさんも香港ドルの持ち合わせがなかったらしく、私がATMに着いたときにはすでに出金の操作に取り掛かっていた。
 Pさんが現金を取り出し終えると、私もカードを挿入し、操作にとりかかる。横でPさんが「なんだ○×▲●か。ブツブツ・・・」とつぶやいている。見ると、500ドル札を数えている。(1000ドル札が出てこなかったから文句を言っているのかな?)とチラッと考えながら、ATMの操作を続ける。ところが、パスワードを入力したところで、「MOSしか提供できません」とメッセージが出てきた。何だろう?これはH銀行のATMだから、競争相手であるA銀行のカードだと余分な手数料がかかるということだろうか。とは言え、とにかくお金がなくては話にならない。OKを出す。ところが、またもや、手数料うんぬんの表示が出てきた。だが、これはいつもよく見るメッセージで問題はなさそうだ。すると先ほどのメッセージはなんだったのだろう。疑問に思いながらもOKを出す。いささか心配になったものの、現金が無事出てきたので、一安心。先に行ったMさんとPさんを追いかけた。

 目的地である「金沙」というカジノまではバスが出ている。しかし、バスがなかなか来ないのにしびれを切らしたMさんとPさんは徒歩で行くことになった。私だけは深爪で左足の親指を痛めてしまっているため、バスが来るのを待つことにした。カジノでは、いずれにせよ個別行動となるので、支障はない。
 
  バスで金沙に到着。カジノに入るとさっそく1Fの両替所に向かう。私のカジノ予算は1000HKドルだけなので、500ドル札で使用してはあっという間になくなってしまうからだ。500ドル札を100ドル札に替えて、少しずつ楽しむのが私の予算にふさわしい遊び方だ。
 いつも通り、500ドル札を両替所のカウンターに置いて(手渡そうとすると『カウンターに置きなさい』と怒られる)、「100ドル札に代えてくれ」と中国語で伝える。普段は、ささっと100ドル札をカウンターの内側に並べてこちらに目視確認をさせた後に素早く渡してくれるのだが、今日は対応が違った。「なぜ100ドル札に交換する必要があるのですか?」と尋ねてきたのだ。(なぜそんな事を聞くのだ?)と思ったが、私の中国語の問題かと思い、「5枚の100ドル札に交換してくれ」と言い直した。だが、スタッフは納得せず、「なんでだ?」と再三尋ねてくる。こちらも、「何ででも、とにかく5枚の100ドル札に交換してくれ」と繰り返す。スロットで使うからとはなんとなく言いにくかったからだ。終いに根負けしたスタッフはようやく、5枚の100ドル札をよこした。
 なんだか面倒だったなと不思議に思いながらも100ドル札を手にとって驚いた。これは香港ドルではない。パタカではないか。慌てて、スタッフに向かって「俺が必要なのは香港ドルだ。パタカじゃないよ」と文句を言った。
 「でも、貴方がよこしたのはパタカの500パタカよ」
 (えっ?)と私は動揺した。
 「俺のがパタカ?」
 「そうよ」
 (そんな馬鹿な)。財布を開いて残りの札を見る。・・・確かに全部パタカだ。(しまった。ATMで引き出したのは全部パタカ札だったのだ)。しつこく何度も100ドル札に交換する必要があるのかと聞いてくるわけだ。スロットマシンでパタカ札は使用できないのだから。参ったな。私は肩を落として、カウンターを離れた。

 さて、どうしたものか?パタカは一応、マカオでは流通しているのだから、最終的には何とか処理できるだろう。ぼちぼち使っていけばいい。だが、香港ドルがないと今日遊びに来た意味がない。或いは、パタカ札でも、スロットができるようになっていたりしないだろうか。
 周囲に人のあまりいないスロットマシンを選び、パタカ札を入れてみた。だが、何度やっても押し返されてくる。やはり、無理なようだ。パタカめ~!
 しかし、まだ手はある。キャッシュカードで再び引き出せばいい。5000パタカの処理を後回しにさえすれば、困ることはない。幸い、「金沙」には1Fロビーに数箇所ATMが設置されている。今度こそ、間違いなく香港ドルを引きおとすぞ。そう決心して、ATMの前に立った。

 パスワードを入力すると、出た、出てきた、香港ドルとパタカの選択が出てきた。香港ドルが左、パタカが右だ。フェリー乗り場のATMではここの表示が違ったのだ。「MOSしかありません」とか出てきやがったのだ。少し震える指先で、香港ドルの選択をする。そして、金額の入力。「3000ドル」。万が一、また間違えていたら困るから少なめにしておいた。・・・出てくるか、出てくるか、・・・出てきた!
  出てきたのは、「預金額が36Xドルしかありません」というエラーメッセージ。なぜだ!?後ろに人が並んでいたので、一旦ATMを離れて考える。確かに、今月はずいぶんお金を下ろしたし、別の銀行への移動も行った。だが、36×ドルしか残っていないはずはないのだ・・・。・・・、・・・、そうか!さっき、フェリーで5000パタカを下ろしてしまっていたのだ。くそ~、パタカめ~!どこまでも祟る気か。
 
  仕方がない。現状では36×ドルでも大切だ。とにかく、300ドルだけでも下ろそう。ダメージ続きでふらふらしてきた頭をなんとか建て直し、もう一度ATMの前に立つ。パスワードの入力。香港ドルの選択。「300」と金額を入れた。・・・、・・・、とりあえず300HKドルをゲット!・・・できなかった。「500ドル以下は取り扱うことはできません」のメッセージが無常にもモニターを流れる。疲れた、こんなに疲れる出来事が続くのは久しぶりだ。中国での旅行とは全く違う疲労の仕方である。しかも、誰のミスでもない。全て自分自身のミスから発生しているから、誰に当たりようもない。ただ、ただ、うなだれるしかなかった。

 まだ手がないわけではない。実は、もう一枚キャッシュカードがあるのだ。普段は使用しないH銀行のカードである。ただ、しばらく使用していなかったので、パスワードが何だったか自信がない。不運は続くもので、2回トライしたがいずれもATMから弾き返されてしまった。これ以上ミスったらATMに呑み込まれてしまう恐れがある。一旦ATMに呑み込まれてしまったら、平日に来ないと取り戻すことは難しいだろう。結局は、香港まで行って再発行してもらうことになるだろうと予測がつく。三度目を試すのは無謀というものだ。さらに意気消沈してATMから離れることになってしまった。

 さあ、いよいよ手詰まりだ。だが、徒手空拳というわけではない。300HKドルが財布に入っているのだ。フェリー代に200HKドルを残しておかなければならないが、100HKドルは自由に使える。とりあえず、この100HKドルでスロットをぼちぼちやりながら、この苦境から這い出る方法を考えよう。

 まず、50HKドルをスロットに差し入れる。スルスル~。さすがにパタカを違って、スムーズだ。なけなしのお金をはたいているのだから、粘らなければならない。まさに背水の陣である。台は、前回楽しんだのと同じ種類のものだ。左から三個連続でコインマークが出ると、フリーゲーム10回。4個だと15回。5個のリールに全部コインが(一個ずつ)出ると、20回のフリーゲームとなる。243ライン全部に賭けているので、目に見える位置であれば、リールのどこに出ても有効だ。
 フリーゲーム中は、通常ジョーカーの役を果たしていて、どんなマークの代わりにでもなれる「火山マーク」がさらにパワーアップして、3倍、5倍へと払い出し金を増やしてくれる。ただ、この「火山マーク」は第二リールと第四リールにしかないので、そうそう出てはくれない。マシンの種類によっては、フリーゲームに入っただけで、役さえ揃えば3倍になるものもあるので、それに比べるとずいぶんシブイ台だ。
 コインマークが第一リールに出ると、「Ready!」とマシンが叫ぶ。第二リールにもコインマーク(または「火山マーク」)が出ると、もう一度「Ready!」と叫ぶ。三つ揃うと、「○×△・・・・」とアナウンスが流れて、フリーゲームの資格が得られたことを伝え始め、残りのリールでコインマークが出るごとに「○×△・・・・」、「○×△・・・・」と一層興奮を煽ってくれる。たいていの場合は、一度目の「Ready!」だけで終わってしまうので、何度も続くと、「何が『Ready!』だ。いい加減にしろ!」と不満をこぼしてしまう。
 以前の日記にも書いたが、このマシンでは不定期に、ピエロゲーム(2005年11月8日の日記を参照してください)というのが突然画面に出てきて、それによって、ミニジャックポット、マイナージャックポット、メジャージャックポット、グランドジャックポットというのが当たる。奨金は、ミニが50~100HKドル前後、マイナーが100~1000HKドル前後、メジャーが5000HKドル前後、グランドが4万ー10万HKドルとなっているようだ。
 それ以外に全てのスロットマシン共通のミステリージャックポットというのがあり、これが出ると、一気に100万-400万ドルが出るという話だが、どんな画面が出るのかわからない。一度でいいから拝んでみたいものだ。

 さて、話がずいぶんと大きくなってしまったが、最初に挿入した50ドルは、一度もフリーゲームに入ることもなく、あっさりと失われてしまった。さあ、最後の50ドル。本当の瀬戸際だ。勇気を振り絞って、マシンに挿入する。スルスル~。うーん、やっぱり香港ドルは立派だ。パタカとは違うよ。
 二度目の50ドルは最初の50ドルと違って、根性があった。しばらく安目の役が続いた後、ピエロゲーム登場~!筒を操って、ボールを目的のホール(もちろん、メジャージャックポット)に落としこむ、落とし込もうと努力するのだが、ボールは勝手な方向に跳ね返り、プログラマーの意図したホールに落ちていってしまう。
 昨年の11月にトライした時は2度ともミニジャックポットで悔しい思いをしたが、今回はなんとマイナージャックポットに三つ並んだ。初めてなのですごく嬉しいが、金額的には500HKドルだけ。それでも、100HKドルが500HKドルに化けたのだ。これで、少なくとも、帰りのフェリーでホットドッグとコーヒーを楽しめるわけだ。

 その後もちまちまながら、中くらいの役が出たり、ピエロゲームでミニジャックポットを当てたりで、とうとう1000HKドルぐらいにまで増えた。5000パタカを抱えての逆境が私を変えたのか。このまま一気に億マン長者への道を走るのか。ちょっとわくわくしてきたぞ!と考え始めた頃、携帯電話がプルル~と鳴った。

 電話をとると、Mさんだ。
 「電話くれた~?」となんだかご機嫌だ。
 「いや、してませんよ」
 「そう?受信記録に載ってるけど・・・」
 「ああ、フェリーを下船して、税関を抜けたとき、一度電話したんですよ。その記録じゃないかな?」
 「そう・・・、どう、出てる?」
  「えっ、あぁ、出てることはちょっと出てます。1000HKドルぐらいになりました。ただ、それよりも重大な問題が発生しているんですよ」
 「何?」
 そこで、5000パタカをゲットしてしまった経緯を事細かに話した。私の話を最後まで聞き終わらないうちに、Mさんは何だ、そんな事かという調子で口をはさんだ。
 「それなら、全然問題ないよ。パタカなら、2Fの外貨交換所でHKドルに変えてもらえるから」
 「そうなんですか」
 「手数料はとられるけどね」
 「ああ、そうなんですか。助かりましたよ」
 瞬く間に一軒落着であった。本当に助かった。数ヶ月に一度しか来ないマカオでどうやって5000パタカも消費しようか悩みの種であったのだ。とんだ負債を抱えてしまった気分であったが、Mさんの一言で一気に使えるお金に早変わり。良かった、良かった。(Mさんは、しょっぱなに5000HKが出て絶好調とのことであった。道理で機嫌がいいわけだ)。

  Mさんの電話で気をよくした私は、スロットを押すボタンに一層力が入るようになった。だが、背水の陣の構えが崩れたためだろうか、さきほどまではチョコチョコと出ていた役が全くでなくなり、1000ドルが800ドル、800ドルが500ドルと瞬く間に減り始め、2時半を過ぎた頃に、全て使い果たしてしまった。
 いつもであれば、ここでゲーム終了となり、3:30のフェリーで中国へと戻るのだが、今日は5000パタカをHKドルへと戻す作業が残っている。Mさんに教えてもらった通り、2Fへ上り、外貨両替所を探す。2Fにはカウンターがたくさんあるが、幸い、各々のカウンターの上部に電光掲示板が設置されており、対応サービスが明らかにされていた。一つ一つ辿っていくうちに、一番右隅のカウンターが外貨両替所であることがわかった。場所はわかったものの、行列が他のカウンターよりも長い。外貨の両替作業とあって、一人一人の処理に時間がかかるようだ。この調子では、とても3:30のフェリーでは帰れそうもない。(次の便の)夜7:00の最終便で帰ることに腹を決めた。それに、今日はしょっぱなにパタカ問題で悩まされたから、心ゆくまでカジノ気分を楽しめなかった。まだ100ドルしか負けていないのだから、心機一転頑張るとしよう。

  予想通り、両替に時間がかかり、1Fに戻ってきたのは3時過ぎであった。さて、これからどうするか?香港ドルを取り戻して嬉しくなった私は、今までやったことのない勝負に出ることにした。500HKドルを100HKドルにバラさず、そのままスロットに差し込んだのである。しかも2倍ベットで回し続けた。最近Mさんが多ベッド方式で勝ちつづけていたので、それにあやかろうと考えたのかもしれない。だが、慣れないことはするものでない。みるみるうちに、クレジットは減っていき、3:30には全部なくなってしまった。やっぱり500HKドルでの勝負は無理だと、100HKドル勝負に切り替え、マシンを移りつつ、さらに400RMBを投入。だが、流れは変わらず、予算である1000HKドルを4:00ちょっと過ぎには使い切ってしまった。虚しい・・・。

 予算である1000HKドルを守れないようでは、カジノの魔力にはまってしまう日も近い。ここで自制心を発揮できないようでは、今後、安心してマカオに来ることができない。鉄の意志でカジノを離れよう。離れて、フェリー乗り場近くのヤオハンで適当に買い物をして過ごそう!
 そう心の中の天使が呼びかけてくれたが、「でも、5000パタカが香港ドルに変えられて良かったじゃないか。あれが、戻せなかったら、大変なことだったよな。その不運を考えたら、500ドルぐらい余分に使ったって構いやしないじゃないか・・・」と悪魔の囁きが・・・。
 気がつくと、スロットマシーンの前で100HKドル札を挿入し始めていた。スルスル~。うーん、HKドルはいい。パタカさん、さようなら。だが、調子のいいのはお札を挿入するときだけで、役は全然そろわず、フリーゲームも全く音沙汰なし。さらに100HKドルを投入。これも駄目。あ~あ、こんなことなら、予算の1000ドルを守っておけば良かったなぁと反省をしつつ、三枚目の100HKドルを挿入。ここで若干風向きが変わり始め、フリーゲーム突入。一気に400HKドルを取り戻した。だが、すでに1300HKドルを消費済みである。400HKドル程度で、席を離れるわけにはいかない。「今日はパタカ事件があったけど、終わってみたら数千香港ドルの勝利だったよ」。そんな風につぶやいてみたい夢がある。
 そんな私の願いを知ってか、知らずか、スロットの神様は私にピエロゲームを与えてくださった。だが、そのチャンスを生かすことができずに、ミニジャックポット止まり。それでも何とかクレジットが500HKドルを超えた。さらに、幾度か役をそろえ、最盛期には700HKドルにまで増えた。だが、そこからは下りへ一直線。気づくと、財布から100HKドルを取り出して、再挑戦。が、まったく意味をなさず、さらに100HKドルを投入。これで1500HKドルを使ったことになる。これがなくなったら、フェリー乗り場に向かおう。そんなことを考えながら、ボタンを押しつづける。最後の100HKドルはパワーがあったらしく、フリーゲームに何度か突入。役も今まで出たことのない多種多様なものが出た。さらにピエロゲームも2度登場(2度ともミニジャックポットだったが・・・)。結果として、ピーク時にはクレジットが800HKドルにまでなった。だが、幸運もそこまで・・・。ジワジワと減少へと転じ始める。
 このまま終わってしまっては面白くない。最後の大勝負だと、5枚ベットに挑戦!勝利あるのみ、と勢い込む。しかし、勝利の女神は微笑んでくれず、5:45にゲーム終了。ふぅ、なんだか疲れたよ。

 とぼとぼと痛む足をひきづって、フェリー乗り場へ戻るとすでにMさんはお買い物中。Mさんは、2000HKドルの勝ち。「最初にいきなり5000HKドルでちゃったのがいけなかった。勝負しているうちに減ってきちゃったから、連勝記録を止めないために4時で切り上げちゃったよ」とぼやいている。余裕だ。私も一回でいいから、5000HKドルを出してみたいものだ。後から、Pさんもやってきて負けの報告。Pさんは資金が豊富だから、どんだけ負けたのか想像もつかない。今までカジノで使ったお金を足せば、(中国でだが)マンションがいくつも買えているという話だ。ちょっと別世界・・・。

 今回も勝つことができなかったが、ピエロゲームで初めてマイナージャックポットを出すという快挙があった。次回辺りは、メジャージャックポットで5000HKドルをゲットできるのではないかという、淡い望みをつなぐことができた。次のマカオ行きは5月か6月を予定。億万長者への道は長い・・・。