2006年6月-8月(day027)


2006年6月3日
 先週の初めに、熱帯魚屋の店主から電話がかかってきた。「貴方が注文していたモスク色のグッピーが入荷されたわよ」とのこと。やった~!まさか、本当に入荷されるとは・・・。半分諦めていたので、実に嬉しい。しかし、一匹3RMBか。そんなに安いはずはないんだけどなぁ。微妙に色が違ったり、他の色が混じっていたりするんじゃないだろうか。でも、一回は断ってきたわけだから、今度は店主もそこそこ自信があってのことだろう。

 期待半分、諦め半分で、本日熱帯魚屋に行ってきた。「モスク色のグッピーを注文していた者なんだけど・・・」。「ああ、こっちよ」。店主がおらず、スタッフが対応してくれた。恐る恐る水槽を覗くと・・・。おっ、なかなか良い色出してる!すくなくともマダラということはない。前回来たときと同様、異なる色のグッピーと同じ水槽に放り込んであるのが難点だが、中国だから仕方がない・・・。入荷してから一週間も経っていないから、卸元がしっかり管理してさえしてくれたら、子供がマダラで生まれる可能性は低いだろう。卸元に期待・・・40%!

 良さそうな感じのを11匹選んで、袋に詰めてもらう。値段を聞くと、1匹5RMBだという。前回、店主は「うちのはどんなグッピーも1匹3RMBよ」と言い切っていたのにいきなり値上げかよ。さっそく店主に確認をとってもらう。終いに私自身が電話で店主と交渉。結局、1匹4RMBで手を打った。本物だったら、1匹50RMB前後はするのだが、別のグッピーと混在させるぐらいだから、基本的には雑種扱いだ。値切れるだけ値切っておくに越したことはない。

 うきうき気分で、帰宅。さっそく水槽に入れる。パーっと水槽に散るグッピーたち。水質の違いを受け入れることができるだろうか。もとからいたグッピーたちは、新しいグッピーたちの突然の訪問にずいぶんとびっくりしているようだ。これで、水槽内のグッピーは合計14匹となった(話をわかりやすくするために、しばらくの間、もとから水槽にいたグッピーを純グッピーと呼び、本日追加したグッピーを大陸グッピーと呼ぶことにしよう)。14匹の内訳は、純グッピーの雌1匹、雄2匹、大陸グッピーが雌6匹、雄5匹となっている。

 水槽に入れて数時間経った後、様子を見に行くと、PHショックを受けたのだろう。大陸グッピーたちが皆うつろな顔をしている。しかし、私が顔を近づけると慌ててバタバタと逃げ惑う。うーん、大丈夫かな。やたら動きの素早い奴もいる。本当にグッピーだろうか。まぁ、しばらく様子を見るしかない。うまく馴染んでもらって、純グッピーの血を残してもらわなくては・・・。 
2006年6月4日
 本日、早朝のこと。弱って横たわったままになっているグッピーを発見。しばらく這うように移動をしていたが、とうとう動かなくなった。しばらくして、再度様子をみたが、動いていない。どうやら、お星様になってしまったらしい。(もしや、純グッピーのメスか!?)と思い、網で出してみると、残念ながらその通りであった。PHショックを受けた大陸グッピーに異常が起きるならともかく、よもや純グッピーが先にお亡くなりになるとは・・・。突然乱入してきた大陸の荒くれグッピーたちに圧倒されたのか、新しい時代の訪れを感じて身を引いたのか。
 不幸な出来事が起こったため、若干ショックを受けてボーッと水槽を眺めていると、何やら小さなものが水槽の隅をウロチョロしているのに気づいた。食べ残しの乾燥ブラインシュリンプだろうか。いや、違う。グッピーの幼魚だ。慌てて金魚鉢を用意して、水槽から水を移す。そして、幼魚を網で移しこんだ。おおっ、久しぶりの幼魚だ。おや、もう1匹いるぞ。だが、こいつはすくい損ねてどこかへ隠れてしまった。しばらくして、さらにもう1匹発見。金魚鉢へ移動に成功。このままいくとどんどん増えそうだ。最近は、清掃に便利なように、底石等を全部取り除いて大きな置物だけにし、ベアタンク方式に近い形をとっていたが、これでは幼魚が隠れる場所がなく、親どもに食べられてしまう。そこで、バケツの中にしまっておいた石ころを取り出して水槽の底に配置した。これなら、大丈夫だろう。

 さて、この幼魚たち、どちらの子供だろうか。普通に考えると、新しくやってきた大陸グッピーの雌がPHショックで、びっくりして、出産というところだろう。或いは、純グッピーの雌が死の間際に産んだ最後の子供たちだろうか。可能性は低いが、そう考えると夢がある。まぁ、これ以上さらに幼魚が増えるようであれば、前者。そうでなければ、後者ということにしよう。大陸グッピーたちは、まだ大半がぼーっとしたまま。早く水槽に慣れてくれ。いつお星様になってしまうかと心配でならない。
2006年6月8日
 現在、水槽の中は純グッピー雄2匹、大陸グッピー雄5匹、雌4匹となっている。大陸グッピーの雌が2匹もお星様になってしまったのだ。1匹は、恐らくPHショック死、もう1匹は病死と思われる。
 朗報もある。なんと幼魚が続々と生まれ、最後に把握した限りでは、その数14匹。当初はリスク配分のため一部を分離し、金魚鉢で飼っていた。大陸グッピーたちは純グッピーよりもスピードが速いようなので、瞬く間に食べられてしまうのではないかと心配したのである。実際には、幼魚が予想以上に素早く動けることが判明したのと、水槽の中の幼魚たちのほうが、金魚鉢の中の幼魚たちより早く大きくなっているような気がして、結局全ての幼魚を水槽で飼うことにした。金魚鉢から水槽に移した時に、もしかしたら数匹食べられてしまったかもしれないが、全体としては元気にやっているようだ。何匹か白っぽい幼魚がいるのは、なぜだろうか。やはり、雑種だからかもしれない。(なお、これらの幼魚たちは、(最後の)純グッピーの雌が亡くなった後も増えつづけていたので、明らかに大陸グッピー直系の子供たちである)。
 幼魚たちの出産以外にも、良いニュースがある。大陸グッピーたちが水槽に慣れ始め、なんと求愛活動が始まったのである。雄たちが、雌を追いかけ始めた。なんとか純グッピーの雄2匹に頑張ってもらい、大陸グッピーの雌を孕ませて欲しいものだ。また、大陸グッピーたちも私に慣れ、私が水槽に近づくと慌てて逃げ回るということがなくなってきた。純グッピーの雄2匹は、私が来ると餌がもらえると学習しているので、すぐに寄ってくるが、大陸グッピーたちはまだそこまでいっていない。ただ、1匹だけ妙にエラばかり大きい雄の大陸グッピーがおり、こいつがいつも不思議そうな目でこちらをみている。実に可愛い。ただ、身体が弱いらしく、いつも水槽の底のほうでじっとしているのが心配だ。
 ともあれ、全体としては至極順調である。昨日は、置き水用のバケツを一つ増やし、二個にした。昨年末から今年の始めにかけておきたグッピーの減少は、主に水質の悪化にあるのではないかと推測したからである(直接的には漏電トラブルの問題だったが・・・)。バケツ一個で一週間分の交換となるので、これまでは、置き水を使い終わるとしばらくの間は水の交換ができなかったが、二個あれば連続して毎日水の(一部)交換ができる。しかも、一週間も置いた後なので安全度が高い(と思われる)。さあ、グッピーたちよ、安心して、繁殖しておくれ。

 さて、私生活では、最近は「骨湯弾面」というカップヌードルがマイブームである。麺は普通だが、スープがとびきり美味しい。「華龍日清」という会社が製造している。「日清」とあるからには、あの日清と現地企業の合弁なのであろうか。皆さんも、一度試してみてください。

 Zは、今週はフラワーアレンジメントはお休み。何でも、今週はイベントが多く、先生が忙しくて授業ができないそうなのである。そこで、今週は、日本語の復習に力をいれることにした。昨日までは教科書上巻の第1課-15課の暗誦。一部記憶が怪しそうな場所に関しては、2度暗誦させたので、ほぼ問題ないだろう。今日からは、第16課-24課の復習である。これが十分にできれば、しばらくは教科書上巻のことは忘れて、下巻に集中させてみようかと考えている。さあ、夏までにどこまで行けるだろうか。頑張れ、Z!
2006年6月12日
 一昨日、水槽の掃除をした。まず親グッピーたちを全て金魚鉢に移す。それから、水槽の底に置いてある石を全部取り出した。最後に、幼魚たちをもう一つの金魚鉢に移動して準備OK。ここで嬉しい驚きがあった。14匹しかいないと思っていた幼魚たちが、なんと25匹もいたのだ。きっと底石の下に隠れていたに違いない。
 魚たちを移し終えると、水槽をスポンジでゴシゴシと擦り、ゴミを落とす。大きなゴミは網ですくい取り、小さなゴミはフィルタ器に吸ってもらう。それから、タンク式フィルタの掃除。水槽に繋がっているホースを外して、タンクの蓋を開ける。中に三層のフィルタがあるので、一個ずつ取り出して水道ですすぐ(本来なら、置き水で洗うのが良いらしい)。洗い終わると、再びに戻して、ホースをつなぐ。そして、スイッチオン。手桶に置き水を入れ、少しだけ水を足す。いつもはバケツいっぱい分ぐらい一気に入れてしまうのだが、今回は幼魚もいるので慎重にいくことにしたのだ。タンク式フィルタの良いところは、水の量に関係なく、稼動することだ(上部式フィルタでは、一定の高さまで水位が上がっていないとフィルタが稼動しないので、置き水があろうがなかろうが、水を注ぎ込まなければならないのが難点だった)。
 フィルタを半日回しっぱなしにしておいたのち、まず幼魚を投入。それから、親グッピー。水をほとんど代えなかったので、PHショックはないようだ。今回はタンクを掃除したので、タンク分の水が減ってしまっているが、その分は一週間かけて少しずつ足していくとしよう。しかし、タンクの中にあれほどゴミがたまっているとは思わなかった。前回掃除をしてから一ヶ月も経っていないと思うのに、ゴミでいっぱいだった。餌をやり過ぎなのだろうか。そうそう、書くのを忘れたが、タンクの中に幼魚を2匹発見した。フィルタに吸い込まれた後、汚いタンクの中で元気に生き残っていたのだ。気のせいか、水槽にいる幼魚たちよりも、若干大きい気がする。案外居心地がいいのかもしれない。餌もどんどん入ってくるし・・・。でも、グッピーは綺麗好きで水が汚れていると駄目なはずなのだけれどもなぁ。ちゃんとバクテリアがいれば、見かけの汚れは関係ないのだろうか。不思議だ。

 Zの教科書上巻の復習は無事完了。これだけ復習しておけば、当分は忘れまい。今週はフラワーアレンジメントの教室があるだろうから、先週ほど時間を避けないだろうが、頑張って下巻を勉強してもらうことにしよう。最近、気になっているのは、実際の会話の進歩が今一歩なことである。暗誦だけしていて、自由な会話をする機会がないから、応用が利かないようだ。だが、今はこれ以上の時間をZの日本語学習に割くことは難しい。とにかく、上巻下巻を全て暗誦できるようになってもらってから、先を考えることにしよう。基礎をしっかりつけておけば、後が楽になるはずだからだ。
2006年6月18日
 親グッピーたちが続々昇天中である。水槽の中で病が流行し始めたのだ。皆、だんだん白くなり、体力を失ってお星様になっていくようだ。現在、特に重症なものたち、雌2匹、雄1匹を金魚鉢に入れて薬浴中。大きな水槽にも若干少なめであるが、同じ薬を入れてある。大きな水槽にいる親グッピーは雄2匹、雌1匹だけ。そのうち雄1匹は症状こそでていないものの、弱りきっている様子だ。つまり、親グッピーのうち、元気なのは、雄1匹、雌1匹のみ。全滅寸前である。幼魚は20匹前後が元気に泳いでいる様子だが、どうなるかわからない。うーん、厳しい。薬が効いてくれると助かるのだが・・・。

 一方、Zの日本語学習は順調である。しばらくフラワーアレンジメントの教室がお休みだったので、夕食後、毎日暗誦の特訓を続けた。結果、一気に34課まで進むことができた。48課まであとわずか!と言いたいが、今週はフラワーアレンジメントの教室で忙しいだろうから、当分は復習に専念させた方が良さそうだ。早く初級を終わらせて、中級に入りたいなぁ。
2006年6月25日
 病のせいで、大陸グッピーは全て全滅。残ったのは純グッピーの雄一匹と幼グッピー6,7匹のみである。あまりにも減ってしまったので、再び大陸グッピーを購入することも検討したが、しばらくは幼グッピーの成長を見守っていくことにし、追加購入は思いとどまった。大難を乗り切っただけあって、生き残りのグッピーたちは、元気いっぱいだ。それにずいぶん大きくなった。
 一番大きい雌の幼グッピーは、いつも純グッピー雄の周りにおり、近くに別の幼グッピーが来るとすかさず追い払う。このまま順調に育って、雄の純グッピーの子供を孕んでくれると理想的な展開なのだが、それまで数ヶ月はかかることだろう。その頃には純グッピーもかなり老いているだろうし、果たして種が残っているかどうか・・・。

 先日、お店で食べる「干鍋鶏」のと同じ鍋セットを街の調理器具屋で購入してきた。直径10cmちょっとの鍋と台、固形アルコール燃料を置く容器がセットで、31RMB。プラス固形アルコール燃料4,5回分が2RMB。値切らずにこの値段だから、ずいぶんと安い(ちなみに、耐久性のあるしっかりした製品をJUSCOで売っていたが、300RMB近くした)。
 さっそく、Zに頼んで、自宅で「干鍋鶏」を食べた。「美味い!」。これから、しょっちゅう家で作ってもらおう。「Z!また、作ってくれよ」とお願いすると、「もう夏だから暑いでしょ。鍋は冬に食べるものよ」とつれない返事が・・・。「でも、夏でもZはお店で『干鍋鶏』を食べるじゃないか!」と反論すると、言葉を失うZ。どうやら、作るのが面倒らしい。それに、湖南料理が好きなZとしては、家の「干鍋鶏」で満足されてしまっては、お店の湖南料理を食べる機会が減ってしまうので嫌なのかもしれない。ともあれ、道具を買ってしまったからには、2週間に一回ぐらいは家で「干鍋鶏」ということになりそうだ。ちょっと楽しみ。
2006年7月8日
 病の流行で、購入したばかりの大陸グッピーたちがばたばたと昇天していった。純グッピーの雄一匹と大陸グッピーの子供たちがわずかに残されたものの、何しろ、同じ水槽である。まだ病気の菌が残っていないとも限らない。病気によっては、水槽から器具まで全て熱湯消毒しなければ感染はとまらないそうだから、残されたグッピーたちもいつ病気にかかるかわからず不安な日々を送っていた。

 全部の器具を熱湯消毒して水を総入れ替えするとなると、今度はPHショックやら水質変化の問題が出てきて、別の理由で昇天するグッピーが出てきそうだ。残るは純グッピーと大陸幼グッピー8匹だけだから、リスクはどっちもどっちだ。そこで、水の総入れ替えは止めて、一部交換のみにした。ただし、タンク式フィルタ機やその他の器具は極力熱湯消毒を行った。さらに、少量ずつではあるが、水槽に薬品を欠かさず入れるようにして、感染の防止に励む。 

 水槽の水の交換の仕方も、これまでと変えてみた。これまでのように毎日少しずつ水の交換をするのをやめ、一週間か二週間に一回だけ、バケツ二杯分一度に交換することにしたのだ(バケツの水は一週間置き水にしておいたものである)。さらに、水を交換してから、まる一日は、エアポンプを強で回し放しにして、水を馴染ませることにした(この間、グッピーを水槽から金魚鉢に移動しておく)。PHショックうんぬんの前に、水が安定していないから魚が衰弱するのではないかと考えたからだ。

 結果として、病気の流行は完全に収まった(と思う)。幼グッピーのうち一匹はずいぶんと大きくなってきた。雄の純グッピーといつも一緒にいるようだし、このままいけば、子供を孕んでくれるのではないかと淡い期待を抱く。でも、年齢差がなぁ。

2006年7月17日
 Zが、5月に申請した新しい身分証を受領するために田舎に戻った。そこで、久々にマカオへ出陣(7月15日)。出張者のPさんも一緒だ。マカオ行きも、もう10回を超えようとしている。2004年の9月頃から、2,3ヶ月に一度のペースで出かけているから、心の中で、(いい加減、勝てても良い頃だ)との思いが強い。会社の中でも、初めて行って、千HKドルも使わずに、1万HKドルをゲットして帰ってきた人もいる。そろそろ私の番だろう。そう思っている次第である。

 今回は、いつも行く「金沙」ではなく、「Mocha(漢字は忘れた)」というところで勝負した。「金沙」には、Pさんも行ったことがあって、「あそこはどうも勝てる気がしない」というのである。そこで、バスでリスボアに向かったが、途中で「Mocha」の看板を発見したので、急遽下車した。フェリーでよく広告を打っているので、気になっていたのだ。

 フェリーのシートにベタベタと広告を貼っているぐらいだから、さぞ客が多いのだろうと思ったが、「金沙」に比べるとはるかに少ない。(大丈夫かな?)と思ったが、とりあえず、スロットで勝負。一番安い10セントの台で始めたが、100HKドル、また100HKドルと台を代えながら失っていき、500HKドルがあっという間に消えてしまった。5台目で、若干調子を上げてプラス100HKドルまで戻すものの、最終的には全てなくなってしまった。再び台を代えて打ち続けるが、結局、合計1300HKドルの負けとなった。

 出張者のPさんは、ちょっと勝つと現金化、ちょっと勝つと現金化という、細かい戦いを繰り返し、最終的に数百ドルのプラスで終わった。至極ご満悦の様子である。同じ船には乗ったが、別行動で「金沙」へ向かったDさんは1000HKドルの勝ちだったそうである。Dさんの場合は、これまでの投資金額が半端ではないので、同じ勝ちでもPさんのとは、意味合いが違う。ともあれ、勝ちは勝ちなので、今回のマカオ行きで負けたのは、私一人となってしまった。そろそろ勝てても良い頃だと思うのだけれど・・・。

 帰り際に、マカオで初めてポルトガル料理を食べた。チキンシチューを頼んだのだが、中国の香港式喫茶で食べたことのあるポルトガル風シチューとほとんど同じだったので、まぁ、こんなものかな?という感じだった。今度は、別の料理を頼んでみることにしよう。

2006年7月18日
 日本も、大雨が多いようだが、こちらも雨が多い。先日(7月16日)は大変な目に遭った。理髪店に出かけた帰りのこと。雨が物凄い勢いで降り始めたので、すぐ対面にある足マッサージ店に入り、雨をやり過ごすことにした。ところが、マッサージを終えて外に出ると、道路が川のようになっていた。
 それでも、水のないところを選んで、途中まで歩いた。しかし、大通りまで出て唖然。川のようではなく、川そのものになっている。勇敢なる中国の人たちの一部には、靴を脱いで、膝まで水に漬かりながら道を進んでいく者もいるが、私にはとても真似が出来ない。下に何があるかわからないし、中国の道には蓋のないマンホールがあちこちにあるから、はまったら大変なことになる。諦めて、近くの携帯電話屋の軒下で雨宿り。大勢の中国人も私と同様、軒下で雨が過ぎるのを待っている。
 だが、雨は強くなる一方で、一向に止む気配がない。このままでは何時間待ってもアパートに戻れない。なんとかタクシーをつかまえて、水が溢れ返っている道路の向こう側に出なければならない。覚悟を決めて、再び傘を広げて道路際まで出た。しかし、まったくタクシーがつかまらない。突然の豪雨で、タクシーも大繁盛なのだろう。見ると、中国人たちは、時々やってくる中型バスに乗っているようだ。しかし、普段バスを利用しない私には、どの路線のバスに乗ればアパートに辿り着けるのかがわからない。やはりタクシーを待とう。
 待つこと、2時間弱。もう靴も服もびしょ濡れだ。直ったばかりの風邪がぶり返しそうだ。こんなに困ったのは久しぶり・・・。そう思っていると、ようやく一台の車が客を探しにやってきた。助かった。もういくらでもいいから乗るぞ!と覚悟を決めて料金を聞くと、アパートのそばまでで、なんと10RMB。いくら近いとは言え、今の相場と状況を考えると、格安だ。普段の私なら大喜びだが、ずぶ濡れの雨では、乗せてもらえることだけでありがたい。傘を畳んで、そそくさと乗車。溢れ返る水の中を車が走り出す。運転手は、反対方向からきたため、水がこれほどひどいとは思わなかったらしく、いささか動揺している。「床に水出てない?」と尋ねてきたので、下を見ると、すでに浸水しているではないか。靴が水浸しだったので気づかなかった。「出てるよ」と答えると、運転手は少し困った表情をしたが、ユーターンする様子はなく、突き進む。他の車もなんとか走っているので、行けると判断しているようだ。
 数分後、無事、氾濫した水の中を乗り切りアパート到着。さすがに疲れた。でも、帰れて良かった。これからは、雨の時は気をつけないといけないなぁ。 
2006年8月3日
 日本の皆様はお元気だろうか。こちらは、台風が近づいてきているらしく、不穏な雰囲気である。昨日から雨が降り始め、今日はだいぶ風が強くなってきている。明日は無事出勤できるだろうか。私が勤めている工場は、建物があちこちに分散しているので、天候が悪いと、コンピュータ・ネットワークに異常が起こりやすい。コンピュータ部担当者としては、心配でならないところである。どうか台風がはやく過ぎ去ってくれますように。

 先週で、Zはフラワーアレンジメントの初級コースを終了。「深セン市内へ通うのは大変なので、もう行きたくない」と泣きを入れてきたので、しばらくは日本語の勉強をしてもらうことにした。フラワーアレンジメントの教室に通っていた間、ほとんど勉強らしい勉強をしていなかったので、もう一度、復習から始めることになった。
 昨日は、25課から34課までの暗誦。本日は1課から12課までの暗誦。二日連続で、一発合格である。以前になんども暗誦させてあったから、復習もはやい。明日、無事13課から24課までを暗誦することができれば、来週から35課以降に突入だ。当分は、他のものはやらせず、一気に初級テキストを走破してもらう予定である。うまくいけば、二ヶ月ぐらいで最後までいけるのではないだろうか。そんな期待を抱いている。

 疫病の危機を乗り越えたグッピーたち。純グッピー1匹と大陸幼グッピー8匹の状態で、一ヶ月近くが過ぎた。これまでのことを考えると、ほとんど奇跡である。やはり、水換えをした後、一日おいてから、グッピーを入れるようにしたのが良かったのだろうか。一ヶ月生き抜いただけあって、皆ずいぶん大きくなった。大きくなると、はっきり雄雌の区別がつくのだが、小さいうちは、どちらかわかりにくい。全部雄だったりしたら、どうしよう。いささか不安である。現在の状態から、巨大グッピー軍団を作るのに成功したら、相当満足度が高いのだがなぁ。 
2006年8月5日
 今年中に、一度、帰国しようと考えている。実は、日本に帰るのが怖い。何しろ、7年間以上も日本の土を踏んでいないからだ。日本のことは、ネット上の情報や出張者の話で知る程度だが、私が住んでいた頃からずいぶんと変わっているという話だ。
 初めて中国に来たのは10年以上も昔の話になるが、一年間中国に住んだ後、日本に帰ったときには自動車に轢かれそうになった。信号を見ずに、車を見て道路を横断する癖がついていたからだった。
 その一年後、再び中国から戻ったときには、自転車で道路を半分まで渡り、中央分離帯まで進んだところで、走る自動車のあまりの速さにびびって、十数分ほど立ち往生した。
 今度は、あの時の比ではない。7倍もの時間を中国で過ごしてしまっているのだ。どう考えてみても、何か失敗をしでかすか、予測不能な事態に遭遇しそうな気がする。
 どんなミスをするだろうか?
 まず、お金がらみで何かありそうな気がする。何しろ、長い間、日本のお金でやり取りをしていない。確か、この7年間の間に、2000円札とやらが発行されていなかったっけ?あまり流行らず、廃れてしまったのだったかな。缶ジュースはいくらだろう。もう110円じゃなかったはずだ。120円?スーパーのレジでは、どんな受け渡しをしていたのだったか。お金は手渡しだったか、あるいはレジのテーブルに置くのだったか・・・。どっちでもよかったのか。あぁ、覚えていない。
 交通機関もなぁ。今はどうやって列車の切符を買うのだろう。昔と同じか?それとも香港みたいに、プリペイドカードのようなものを買うのかな。タクシーも不安だ。自分の想像以上のスピードでメーターが上がっていったらビビルだろうなぁ。バスに乗るときや降りるときも注意しないといけない。「次で降りまーす」なんて、言ったら大恥をかくことになる。運転手がちゃんと停まってくれるよう念を押すために、運転席に向かって手を振ったり、軽く睨んだりぐらいは普通にやりそうで、恐ろしい。
 話す時の声の大きさも問題だ。もともと地声が大きかったが、中国に来てなおさら大きくなった。最後に日本に帰ったときのことを思い出す。喫茶店で友人と話しをしていて、皆の声が異常なほど小さく聞こえた。一方、私の声は部屋の隅まで届きそうな勢いだった。ああ、私の声はあれからさらにパワーアップしているに違いない。不安だ。
 食事もなぁ。もともとテーブルを汚しやすいタイプだったが、中国に来てから、一層ひどくなった。日本では、人前で食事をしたくないなぁ。憂鬱だ・・・。

 だが、楽しいこともあるはずだ。
 まず大好きな回転寿司に行ける。もちろん、中国や香港にも回転寿司はあるのだが、ネタの種類がずいぶんと違う。カツオのお寿司なんて食べられない(日本料理屋にはあるのかもしれないが)。カツオのタタキだって、4,5年前に香港のスーパーで買って食べたきりだ。マグロも中国のものはあまり美味しくない。安いので良いからステーキも食べたい。ガストがまだあるのなら、ガストでも良い。中国の固くて味のない牛肉でなく、日本の(米国産?)味わい深い牛肉が食べたい。あれっ、今は輸入禁止だっけ?とにかく、同じ米国産でも、日本で売っているものの方が絶対に美味しかった。そう言えば、先日、ネットでホワイトカレーなるものが日本で発売されたと聞いた。あれも食べてみたい。生卵ご飯もいいなぁ。でも、あまりに長期間食べていないので、逆に怖い。三年ぐらい前に日本式シャブシャブの店にあった生卵を食べたことがあるが、二回行って、二回とも中って、各々二週間近く頭痛と微熱に苦しめられた。嫌な思い出だ。きっと、日本に帰ってから、「ああ、こういう食べ物があったんだなぁ」と気づくこともあるだろう。これはちょっと楽しみだ。そう言えば、日本のマクドナルドでハンバーガー食べたいな。いや、マクドナルドより、モスバーガーのハンバーガーを食べたいぞ。日本にいた頃から、モスバーガーの方が好きだったんだ。遥か昔、上海でモスバーガーを食べた記憶があるが、今でもあるのだろうか。深センにも作って欲しいなぁ。

 本屋に行けるのも嬉しいぞ。何しろ、中国生活では、香港のソゴウ(他も似たりよったり)で購入するか、ネットで購入するしかない。日本の本をずらりと並べた大書店がないのだ。さーっと題名に目を走らせて選ぶなんて贅沢ができない。日本に住んでいたら、本来、シリーズで購入していたに違いない本を、中国生活では目にすることもできなかったことだろう。アイデア商品をみるのも楽しみだ。昔、日本にいた頃は、「王様のアイデア」とかのお店に行って新しい商品を見るのが楽しみだった。中国では、先進国の電化製品はばんばん入ってくる癖に、ああいった、面白商品が少ない。あっと驚くような製品が販売されていたら嬉しいなぁ。

 ともあれ、帰国はまだ数ヶ月先のこと。ちょっとイメージトレーニングでもしておくか(無理)。 

2006年8月11日
 可愛いグッピーたちは順調に育っている。毎週一度、バケツ2-3杯分ぐらい水を交換しているが、一匹も昇天しない。皆、元気だ。とうとう、水交換の極意をマスターできたのだろうか。どんどん成長が進み、雄雌の違いがはっきりつくようになった。全体的に雄が多いようだ。雌のうち一匹はすでにお腹が大きくなり始めているような気がする。この娘が無事出産に成功すれば、純粋な私の水槽のグッピーが誕生ということになる(現在のグッピーたちは、私の水槽で生まれたが、買ってきた時から孕んでいた幼魚である可能性がある)。その日が来るのが待ち遠しい。
 
 中国の水は、ほとんどが硬水だ。そこで、水道水は沸かして飲むのが一般的である。この辺りでは水質に問題がある場合もあるので、私はお茶等を飲むには、もっぱらミネラル・ウォーターを利用している。
 だが、いちいちお茶を作るのも面倒くさいので、ペットボトルの飲料を買ってきて飲むことが多くなる。以前は、コーラとかオレンジジュースを飲んでばかりいたが、これらは糖分が多い。40歳を超えた身体には負担が大きいだろうということで、これをダイエット・コーラに変更した。その後、これをジャスミン茶に変更。そして、現在は、「大麦香茶」という麦茶を愛飲している。日本の麦茶とは、また違った味だが、十分に美味しい。ただ、品質管理がなってなく、味が不安定。「砂糖なし」と「砂糖あり」の二種類があるのだが、「砂糖なし」でも、ずいぶんと甘かったりすることがある。それを除けば、現在、ベストな飲物だ。中国生活もどんどん便利になってくるなぁ。
2006年8月14日
 これまで、日記では写真無しでやってきたが、変化をつけるために写真も掲載することにした。今日は、夕食の写真を掲載する。Zの料理はなかなか美味い。亡くなった母親が、村で一番の料理上手だったらしく、自分も料理が上手になりたいという気持ちが強いようだ。私は料理が全然駄目なので非常に助かる。
 今日のメニューは下記の三品。「バンバンジー」は本を見て作り始めたばかりで、今晩で二回目である。前回よりも、盛り付けが綺麗になった感じだ。「挽肉・コンニャク炒め」は、私の希望に合わせて作ってくれた。本当は醤油味で作って欲しかったのだが、はっきり言っておかなかったので、唐辛子味で作られてしまった。まぁ、唐辛子味も良い。中国のコンニャクは日本のものより柔らかくて、食べやすい。最後は白菜炒め。中華料理だと白菜だけの炒め物だけでも、けっこう食べられる。
 二人で三品だとどうしても余ってしまうのでもったいない。少なめに作れば?と提案したことがあるが、少量だけ作るのは難しいと言われた。野菜はその日に使い切らなければ美味しくないからとのことだった。
 最近、料理の研究に熱心なので、毎週新しいメニューが出てきて楽しみだ。これからも、時々写真を掲載する予定。

バンバンジー

挽肉・コンニャク炒め

白菜炒め

2006年8月16日
 なかなか交配の気配を見せなかったグッピーたちだったが、今週に入ってから、雄グッピーが夢中になって雌グッピーを追いまわすようになった。時には二匹の雄が一匹の雌を追って休まないため、雌が必死になって逃げ回る姿が見られるほどだ。ようやく、ここまで来たかという感じだ。残念なのは、たった一匹の純グッピーの雄が今ひとつ乗りが悪いことだ。雌がすごく近くに来た時だけ、ちらりと追う気配を見せるが、雌が逃げてしまうと追いかけもしない。やはり年齢差があり過ぎるのだろうか。なんとか純グッピーの血筋を残したいと思うのだけれども・・・。

 Zの日本語学習は、まずまずのスピードで進んでいる。なんとかサボろうとするZをなだめすかし、叱り飛ばしながらなので、大変だ。それでも、今日で40課まで暗誦が終了した。課の数で言うと、残りはたった8課。これで、初級のテキストは完了だ。だが、復習を丹念にやらせるつもりなので、少なく見積もっても、あと2ヶ月はかかるだろう。そうしたら、中級テキストに突入だ。頑張るぞ!いや、頑張らせるぞか・・・。 
中国発5S活動記録 -第三部- <その1>
 最初に5S活動に手をつけたのが、2003年の年末だった。その時に「中国発5S活動記録<第一部>」を書いた。それから、1年半後に「中国発5S活動記録<第一部>を書いた。そして、さらに一年が過ぎ、現在2006年8月である。
 第一部の頃は、本当に手探りの状態だった。はっきり言って、手をつける場所がわからず、触れるものから触っていったと言っていい。第二部では、ようやく5S活動の面白さがわかり始めたものの、どうやって部下たちに活動をさせるかの糸口がつかめていない状態だった。そして、現在・・・。
 
 簡単に現在の電脳部の状況を説明すると次の通りになる。
 まず、電脳部のデスク周辺について。工具等の管理は、第二部で書いたままの状況。何も言わなくても、皆、棚の指定された場所に常に工具を置くようになった。ずっと、ほぼ良好な状態を維持している。デスクとデスクの上に置かれているガラスの間に、写真やら、役に立たないメモやらが入り込んでいるということもなくなった。デスクの中に関していえば、問題があるのは、私とリーダー格のC君ぐらいのものだから、全般的に合格ラインである。
 
 第二部で述べた電脳部倉庫に関しては、ゆっくりとではあるが、孤独に整理を進めていって70%ぐらいまで整理できた段階で、残りの一部を昇格したばかりのC君にやってもらい、現在80%ぐらいまで整理が進んだ。ここまでくれば、後一歩といった感じである。
 以前は、故障して使用できなくなった廃棄部品をオフィスにおきっぱなしにすることなく、電脳部倉庫まで持ってこさせるのが一苦労だったが、今は、スタッフ全員が当然のこととしてやってくれるようになった。実にありがたい。
 実は、電脳部倉庫まで移動した後、さらに廃棄処理の手続きをしなければならず、これが書類作業や他部門との調整作業も含んでいるため、複雑過ぎて、長い間、私が自分で処理しなければならなかった。しかし、処理フローの定型化を進めたのと、スタッフの5S意識の向上に伴って、この作業もスタッフ自身がこなせるようになってきた。これによって、電脳部倉庫を乱雑にさせる大きな要素が一つ減り、電脳部倉庫の5Sの維持が容易くなった。大きな進歩である。

 5S活動の日々の点検として、第二部を書き終わった辺りからサーバ室の5Sチェック(実際には2S)というのを行っていた。サーバ室の2Sを一週間交代で、スタッフが毎日チェックするのである。チェックと言っても、エアコンの状態や床のゴミを取り除く程度で、ごくごく表面的な活動しかして来なかった。
 最近、この5Sチェックをサーバ室だけでなく、電脳部倉庫に関しても行うようになった。サーバ室と異なり、物の出入りが多い倉庫は汚れが激しく、整理は進んでいても、なんとなく薄汚れた感じが抜けなかったからである。
  電脳部倉庫に関しても、5Sチェックを始めるように指示を下した時は、ちょうど工場全体で残業規制を本格的に始めたところであり、残業削減による収入減少に対する反発がスタッフの心の中にあったため、若干、雰囲気が暗くなった。だが、現在までのところ、うまくいっている。このまま順調に進んでくれるようにと祈るような気持ちだ。

 電脳部スタッフの活動場所に関しては、上記が電脳部の現在の5S状況である。これ以外に、電脳部が管理している各種設備・資産のデータの整備も進めている。私の考えでは、これも5S活動の一環であるので、次に述べたい。
2006年8月17日
中国発5S活動記録 -第三部- <その2>
  私が、この工場で勤務を始めて4年が過ぎた。4年前、電脳部を任されたばかりで工場の右も左もわからなかった頃、工場内のパソコンは多くても150台程度であったはずだ。それがこの4年間で、600台を超えるまでになった。
 
 当初は、ハードやソフトの管理どころではなくて、与えられた3人のスタッフがパソコンのトラブルを解決しに、工場のそこかしこに散っていくのを傍観する毎日だった。やがてパソコンの台数が増加し、スタッフも2倍の人数になり、トラブルの解決に効率性が求められるようになってきたが、ハードやソフトの管理にまでは頭も手も回らず、スタッフが遊んでしまわないようにするだけで精一杯だった。
 
 そのうちに、工場の上層部もパソコンの急速な増加に目を向けるようになり、しばしば工場内にあるパソコンの台数を尋ねられるようになった。ところが、これがなかなか答えられない。パソコンの購買は当然のことながら記録に残っているわけだが、その情報は購買部門にあり、電脳部にはなかった。電脳部のスタッフは要望のあった部門に赴き、ソフトをインストールすることしかしていなかったからだ。また、当時は独自運営をしている部門もあり、こちらの場合にはインストール作業にすらタッチすることもなかった。
 
 保有パソコンの台数を把握するのをさらに困難にする要因が他にいくつもあった。
 まず、パソコンの廃棄。パソコン廃棄の書類は最終的に会計部に行くことになっていた。しかし、パソコンを更新のために購入しても、廃棄手続きをせずに部門の隅にほったらかしにしてあったり、廃棄手続きを済ませたにも関わらず継続して使用していたり、他部門に譲って使用させていたりということが常態化していた。
 さらに、当時(現在はさらに拡大している)工場全体で、およそ10棟の建物があり、フロアも3階から5階に分かれ、オフィスがあちこちに分散していた。どういうわけか年に何度も引越し作業があり、パソコンがあっちに行ったりこっちに来たりということがしょっちゅうあった。その上、工場がどんどん拡張していくので、混乱に拍車がかかった。
 
 そのようなわけで、上層部からパソコンの台数を尋ねられると、毎度のように各部門に通知を出し、データを集める騒ぎになった。一応、これで格好だけはついたが、年間100台以上のペースでパソコンが増えていき、その中に純増分と更新分が含まれているのだから、集めたデータは瞬く間に役に立たなくなった。それに、総量がわかっても、どのパソコンがどの位置にあり、誰が使用しているのかがわからなければ、まともなデータとは言えない。
 「何とかしなければならない」。そういう思いは常にあったが、どうにも打つ手がなかった。まるで、すくってもすくっても水が指の間からこぼれていく感じだった。
2006年8月19日
中国発5S活動記録 -第三部- <その3>
 工場自体が拡張に次ぐ拡張を重ねていたために、パソコンは増え、コンピュータ・ネットワークが覆う面積はどんどん広がっていった。別棟の距離が何キロにも渡り、公衆回線を利用しなければならないこともあり、必要とされる技術も複雑化する一方で、半分素人の私には、いささか荷が重かった。日本のコンピュータ部門からの支援もあり、電話サポートや出張サポートもふんだんに受けられるのだが、あくまで点のサポートであり、工場内ネットワークの日常の運用に関しては中国側で独自の体制をとらねばならず、技術的なバックグラウンドの薄い私に不安の消える日はなかった。

 このような状況だったので、長期的な管理体制を整えるよりも、日常の運用が優先されがちだった。だが、そうした中でも、全く手を打たなかったわけではなく、いくつかの試みは実施した。
 最初の試みは、パソコンに番号付のラベルを貼ることだった。指示が下され、全てのデスクトップパソコンのモニタに管理番号の付いたラベルが貼られた。管理番号と一対で、部門名、使用者、IPアドレス等がExcelデータとして保管された。なんとなく、全てのパソコンが見事に管理された感じになり、達成感があった。
 しかし、パソコンは毎月のように増減・移動する。一時的に情報は集まっても、継続的な更新がなされないという本質は何も変わっていなかった。結局、電脳部スタッフが修理依頼のあったパソコンを現場で特定するのに便利になった程度で、パソコンという資産の実態をリアルタイムで把握することは全くできなかった。その上、中国製の安いラベルを使っていたために、ラベルは急速に薄汚れたりはがれたりしていった。さらに、パソコン本体が移動されても、ラベルを貼ってあるモニタはそのままの位置にあるというケースもあり、この試みは一年も経たない内に、失敗に終わった。
 
  次に試みたのが、PCクライアント管理ソフトによる情報収集だった。このソフトを使用した直接の目的は、資産管理ではなく、ホームページ閲覧の制限にあった。当時、パソコン使用者のホームページ閲覧に何の制限もなく(むしろ、職員は会社の福利厚生の一環ととらえているのではないかという疑念すらあった)、定時、残業の時間を問わず、ネットサーフィンに励む職員が多かった。これは、業務効率を下げるだけでなく、PCウィルスを社内ネットワークに持ち込む大きな原因の一つだったので、業務に関係のないホームページ閲覧に制限をかけるためにPC中国製の格安なクライアント管理ソフトを導入したのだ。
 
 これは、予想外に効果的で、ホームページの閲覧制限だけでなく、IPアドレスの変更禁止、LANカードとIPアドレスの固定等、様々な機能があった。このソフトを梃子に一気に社内パソコンの管理を進めていくのも夢ではないと思われたほどだった。
 ところが、半年ほどで、このソフトが突然使用不能になった。ソフト会社の技術員に何度も来社してもらったが、結局使用できるようにならなかった。理由は、工場のネットワークが複雑すぎるなどと言われたが、正確なところはわからなかった。
 
 このソフトには大きな期待をかけていただけに、落胆が激しかった。その後、何度か類似の製品を検討したが、どれも価格が高く、当時の電脳部が申請できるようなものではなかった。また、こういったソフトは一般にネットワーク全体や個々のパソコンに大きな負担をかけるため、ネットワーク機器や個々のパソコンの買い替えや部品強化が必須になり相当な投資をしなければならないことを知った。これも再度のソフト導入を思いとどまらせる原因となった。

 そうして、しばらくの間、設備・資産データの管理は置き去りになり、日常のトラブル解決やネットワークの拡張作業が優先された。しかし、パソコンが増えれば増えるほど、ネットワークが拡大すればするほど、設備・資産データの管理が行き届いていないということが作業効率や確実性を低下させる枷となり、電脳部の運営上の問題として大きくのしかかった。
2006年8月21日
 今晩の夕食の紹介。川エビは、私もZも大好物(私はもちろん、海のエビの方が好きだが、値段が高い)。いつもは軽く湯に通しただけのエビを味ぽんで食べるのだが、今日は料理本に載っていた「青蒜炒河蝦」というのを作ってもらった。味自体は、いつもの方が好きだが、たまには炒めたのも美味しい。
 真中はピータンと豆腐。ピータンもメーカーによって味がずいぶんと違う。美味しいのは、ものすごく美味しい。今日のは、まぁまぁ。豆腐がイマイチだった。一番右は、竹の子と酸菜(一種の漬物)の炒め物。私はあまり好きではないが、Zは大好物らしい。

青蒜炒河蝦

皮蛋豆腐

酸菜と竹の子炒め

中国発5S活動記録 -第三部- <その4>
   決して軽いとは言えず、滅多に移動する必要のないデスクトップ・コンピュータがきちんと管理できない。考えると頭が痛くなるので、考えないようにしたいほどの気持ちだった。

 数百台あったところで、一日十数台ずつ確認していけば、2ヶ月もあれば終わる。スタッフたちにやらせるのが無理ならば、私自身が毎日数時間を費やして回ってやろうか。いや、そこまで大事なことならば、スタッフに指示して、持ち回りでやらせてもいいんじゃないか。そんな風に考えることもあった。
 しかし、この方法は現実的ではない。デスクトップ・コンピュータは動かないが、使用者は席にいるとは限らないし、使用者がいなければ、たとえパスワードをしっていても勝手にいじるわけにもいかないから、IPアドレス等の設定データが確認できない。スタッフたちが、あっちに行ったり、こっちに行ったり彷徨っている姿が目に浮かぶようだ。一日二日ならともかく、ずっと続ける作業とするのは不可能だ。早晩、スタッフの反対に合うか、データがいい加減になるかして頓挫するのが落ちだろう。

 「使用者や使用場所に変更があったら、各部門が自分で連絡をしてくるようにすればいい」。スタッフたちに相談すると、毎度のようにそう言われた。「それは難しい。彼らにはそうする動機がない」と私が言うと、「強制的にそうさせればいいじゃないですか」と答えてくる。
 「(強制的にって・・・)いや、会計部の資産管理ではそこまで要求していないし、要求範囲であってもチェックがかかるのは一年に一度だけだから、現実的ではないよ」と否定すると、次は「電脳部から通知を出せばいいですよ」といとも簡単に言ってくれる。普段、私が様々な通知を出しているから、それでことが済むと考えているらしい。しかし、上層部からの指示に基づいて一時的に情報を集めるのと、電脳部が独自で指示をするのとはわけが違う。
 それを説明すると、「だったら、規則を作ってしまえばいいじゃないですか」と後が続く。息切れがしてきた。「規則を定めたからと言って、違反者に罰金を与えたりもできないだろ、だいたい上司の指示で変更が入るわけだし・・・。パソコンをネットワークに接続不可にすることはできるけど、業務に支障を与えるから結局ひっくり返されて立場がなくなるだけだ。将来的にはともかく、現在の(電脳部の)管理水準でそこまでの圧力をかけることに対して他部門からの理解が得られないだろう」。
 懸命に説明を試みるが、スタッフたちは(何だ、情けないな○○課長は・・・)という表情で私を見返すだけだった。まぁ、情けないことは情けない。グッドアイデアが出せないわけだから。
 それでも、「何か他にいい方法はないかな?」と最後の希望を託すが、「ありません」で終わり。この会話は数ヶ月に一度は繰り返され、いつも落胆と自己嫌悪を私に残した。
2006年8月23日
中国発5S活動記録 -第三部- <その5>
  打開策が全くないように思われた、設備・資産データの管理。長い間、暗闇を手探りで進むような状況だったが、最近ようやく光明が見えてきた。

 それにはいくつかの要因がある。
 第一に、電脳部は私の入社とともに設立された部門だったので、私の職位である課長職とスタッフの職位の間にいくつか空席があり、やる気のあるスタッフを引き上げやすかったことである。職位を引き上げる度に、目標を設定してやり、その中で5S全般及び、設備・資産データの管理の重要性を説きつづけたので、徐々にそれらが浸透していった。私は、強いリーダーではないので、これは大変ありがたかった。最初から、組織が出来上がっていたら、同じスピードでの意識改革は難しかったに違いない。
 
 第二に、ここ数年で、新聞やニュースで、セキュリティや情報・資産管理について騒がれることが多くなった。中国の工場ということもあって、これまでIT関連の投資に関しては後ろ向きの意見が多かったが、日本国内でこうした問題が重視されるようになったために、中国工場でも予算が組みやすくなった。
 
 第三に、これまでずっと続けてきた、作業場所に関する5S活動が、徐々に電脳部の風土を変え始めた。特に倉庫に保管してある電脳部品のドライバや各種ソフトの整理・整頓の結果を、スタッフが肌身で味わうことになったのが大きかった。
 以前は、「○○のソフトが必要なんですが・・・」と私を探しに来て、私が倉庫でごそごそとやった後、ようやくソフトが見つかるという具合であった。それが、「ソフトの入っている棚のところに、△△というラベルが貼ってある。そこにあるから・・・」で済むようになり、そのうちに、私に聞きに来ずに、リーダ格のC君の許可をとるだけで、各々が自分の必要なものを見つけられるようになった。ハードの説明書にしろ、ソフトにしろ、納品されてから一両日中にはラベル付のビニル封筒に入れて、倉庫にしまわれているということがわかったので、最早私のところまで確認に来る必要すらなくなってきたのだ。
 
  そうして、最短時間で効率よく仕事をする習慣がついた彼らは5S活動の重要性を体で感じ取ってくれたのだと思う。
 第一部、第二部でやってきた工具の整理・整頓に加えて、マニュアル・ソフトの整理・整頓のもたらす作業効率の向上は、電脳部の風土を変えた。設備・資産データの管理に本格的に手をつける素地がスタッフの心の中に徐々に育ち始めていたのである。
中国発5S活動記録 -第三部- <その6>
  上記三つの要因の上に、資産・設備データの管理をするためのツールも手に入った。

 実は、昨年一年をかけて社内のメールシステムを多言語対応のグループウェアに統一を進めた。それ以前から、日本のコンピュータ部門の指導・サポートの下、グループウェアの使用は行われていたのだが、日本語、中国語簡体字、中国語繁体字という多言語環境が障害となって、日本語グループウェア、中国語簡体字グループウェア、OutLookの三つにメールシステムが分かれていたのだ。

 これを多言語対応版が出たのを機に、一つのグループウェアに使用を統一した。また、これまで、中国側では、会議室予約や掲示板等にしかグループウェアの機能を使ってこなかったが、日本のコンピュータ部門の手ほどきを受けて、簡単な機能のものであれば、中国側でも独自に作れるようになった。

 さらに、パソコン・メンテナンスや内線電話のメンテナンスやパソコンのサプライ品やトナーやインクカートリッジ等の申請を半年ほどかけて、ペーパレス化を進め、グループウェアによる電子申請へと移行した。これらによって、工場全体がグループウェアを使用することにゆっくりではあるが、慣れていくようになった。

 そこで、日本のコンピュータ部門から、パソコン資源管理のデータベースを譲り受け、中国工場に対応できるように改造した。さらに、各部門からの変更通知も、グループウェア経由で受けられるような機能も付け加えた。現在は、これらのデータベースを利用して、設備・資源データの収集を始めているところである。
2006年8月27日
中国発5S活動記録 -第三部- <その7>
 オフィス、サーバ室、倉庫という作業場所と設備・資産データに関する5Sの現在までの活動に関して述べてきた。

 簡単にまとめると、現状は以下の通りとなる。
 作業場所に関する5Sは、オフィスと倉庫に関しては整理・整頓が安定的にできるようになってきた。さらに、サーバ室と倉庫に関してはチェックリストによる5Sの点検が実施されるようになっている。
 設備・資産データの5Sに関しては、ようやく諸問題の解決がなされ、情報の整備と更新の見込みがついてきた。現在、最新データの収集を始めているところであり、本当に随時更新ができるかは結果を待っているところである。

 次の課題は、オフィスに関しても、チェックリストを作成し、定期的に5Sの点検を実地するようにすること。さらに言えば、工場全体に広がるネットワーク設備の点検も行えるようにしたい。
 設備・資産データに関しても、パソコン以外のネットワーク設備、WindowsやOffice以外の多種多様なソフトもきちんと管理できるようにしていきたい。パソコンやその部品の保証期間に関しても、管理を検討するつもりだ。

 思いは広がるが、本当にこれでいいのだろうか。
 確かに、3年弱で、5S活動は充実してきた。このまま継続していっても、それなりの効果は出るだろう。
 しかし、結局のところ、5Sのうち、整理・整頓・清掃・清潔の4Sは、時間をかけて初めてできるものである。5Sの最後にある「躾」は、様々な解釈があるようだが、一般的には、「決められたことを決められた通り、正しく実行できるように習慣づけること」と定義されている。
 これは、狭義の意味では、整理・整頓・清掃・清潔の4Sを維持していくことであり、広義の意味では、その他の決め事も含むのだろうと思う。広義の意味に関しては、ここでは検討しないが、狭義の意味で言えば、やはり、4Sと同様、躾も「時間と努力の結晶」と言えるだろう。
 
 これら5Sを進めていくうちに合理化がはかられ、より多くの5Sもしくは4Sが可能になることは間違いない。それでは、このような方法で5Sを極限まで推し進めていけば、それでいいのだろうか。
 「5S活動なんて、片手間でやっていればいい」と考えず、主要な目標にしている部門であっても、全ての人的資源を5S活動に費やして良いとは考えないはずだ。「通常の業務を滞らせることなく・・・」などと制限を設けるか、積極的に考えれば、「業務を一層効率的に実施するための5S活動」ということになるだろう。
2006年8月28日
 今日のメインのおかず。三品だったが、全部載せるのは大変なので、一つだけにした。「韮菜酥餃」は簡単に言えば、揚げ餃子だ。ニラと豚肉を混ぜて、餃子の皮で包み。揚げたもの。Zの好みで、今回は韮バージョンと葱バージョンの二種類があった。残念なのは、Zが脂身が嫌いで、脂身なしの肉を使って作ること。日本のひれ肉と違って、とても硬いので、どうも好きになれない。しかし、Zは大好き。脂身がないので体にも良いのだという。「今度は、脂身付の肉で作ってくれないかなー」とつぶやいてみるが、「駄目!」の一言で終わり・・・。うーん。全体としては美味しいんだけどなぁ。

韮菜酥餃

中国発5S活動記録 -第三部- <その8>
 ここまで述べてきて、5S活動に存在するいくつかのステップに気づいた。

 第一のステップは、整理・整頓・清掃・清潔・躾の5S活動の拡充。5S活動に取り組んだことのない職場であれば、ぐるりと見渡しただけでも、やることが溢れていることだろう。
 まずは職場の整理・整頓からだ。皆が共通に使う工具や資料に関して、必要でないものを思い切って処分していく。そうして残ったものから、絶対必要なものと、それほど必要でないものを分ける。それほど必要でないものに関しては、再度検討し、何ヶ月以内に使用する可能性のあるものか、ほとんど偶発的にしか使用しないものかを分け、後者を処分する。
 「もったいない・・・」と言うスタッフもいるだろうが、具体的に使用する場所があるのか、或いは他部門で必要とする人がいるのかに関して問いかけ、明確な答えが得られなければ、やはり処分を決断する。どうしても納得がいかないようであれば、期限付きで、どこかに保留しておいてもよい。大概の場合、期限切れを待つだけなので、次回から同様な意見が出ることはぐっと減るはずだ。
 こうした物理的な整理・整頓の他に、データ面の整理・整頓も重要だろう。これまで、設備・資産データの整理・整頓に関して特に取り出して述べたが、そうした自部門にとって解決が困難なデータを対象としなくても、他にも整理・整頓が簡単にできるデータがたくさんあるはずだ。手始めに電話番号・E-Mailアドレスなど些細なものでも良いと思う。無駄をなくして、皆が随時最新のデータを利用できるような形にできるとスタッフ全員が5S活動の実りを実感できるのではないかと思う。

 清掃・清潔に関しては、私自身と電脳部に関しても未解決の課題なので、良いアイデアがない。オフィスには常時といっていいほど、清掃専門のスタッフがいて、絶えずモップをかけたり、ゴミを集めたりしている。大きなゴミが出たり、特に掃除をして欲しい場所があれば、清掃のスタッフを呼んできて片付けてもらうのが当たり前になっている。そうした環境の中で、清掃・清潔の何を電脳部スタッフ自身にやらせるべきなのか、どんな風に説明して納得してもらうのかに思い至っていないのだ。
 以前に働いていた工場には、液晶画面の生産ラインがあり、高度なクリーンルームがあった。そこで教えられたのは、クリーンルームの中だけ綺麗にしようとしても、望むようなレベルのクリーン度は得られないということだった。メインのクリーンルームの外側にも一定のクリーン度があり、さらには工場全体がクリーンな状態であって初めて、メインのクリーンルームに必要なクリーン度が得られるのだということだった。これは理解しやすい説明で、「なるほどー」と思ったものだ。
 しかし、現在の工場では生産している製品が異なり、明らかにオフィスの方が生産ラインよりも綺麗だから、同じ説明が通用しない。そもそも、どこまでやれば、業務の効率を高めることになるのかを明示もできないし、体感させることも難しそうだ。できると言えば、お客様がきた時に備えて、身だしなみを整えておくように指導するぐらいだろうが、この点に関しては、電脳部では私が一番駄目だったりする。

 ともあれ、5S活動をゼロから始めて、絶えず拡充させていく態勢を作ること。これが第一ステップだろう。
2006年8月29日
 本日は、Zの誕生日。誕生日プレゼントは先週の土曜日に贈ったので、今日はケンタッキーのチキンでお祝い。最近は、こうした二人の間のお祝いごとは、ケンタッキーのファミリーパックで済ませることが多い。今回は、Zがファミリーパックのチキンは飽きたというので、普通のセットや単品をたくさん買って食事にした。
 食事が半ば終わったところで、突然の停電・・・。なんとか食事を終えたが、真っ暗でエアコンがきかない中、部屋にいても仕方がないので、二人で足マッサージに行った。普段は足マッサージにあまり行きたがらないZが今日はやけに積極的だなあと思っていたら、見たいテレビ番組があったようだ(停電ではテレビが見れないから、電気の通っている足マッサージ屋でテレビをみようというわけだ)。マッサージの部屋に入った途端に、リモコンでテレビをオン。ご機嫌でテレビ鑑賞に浸り始めた。私は、マッサージを受けながら、居眠り。気づいたら一時間が過ぎ、マッサージはほとんど終わっていた。
 アパートに戻ると、停電は終了し、電気が戻っていた。これでZの誕生日は無事終了。めでたし、めでたし。
中国発5S活動記録 -第三部- <その9>
 5S活動がある程度軌道に乗り始めると、始めたばかりの頃のような劇的な変化はなくなる。5S活動として始めたことは、継続するのが原則であるから、ルーチン的な作業となりマンネリ化は避けられない。新しいテーマを求めれば、変化は起こるが、活動範囲の拡大となり、スタッフの負荷は増大する。

 ここからが第二ステップである。5S活動初期にあった、余った時間を利用して、効果が得られる部分は使い切ってしまった。キャンペーンとしてやるわけでなく、継続的に行わなければならないわけだから、その時間はもう使えない。例えば、最初にオフィスの整理・整頓を行って、その後、毎朝朝礼後に10分かけて点検活動を行うようにしたとすると、その10分は別の目的に使用することはできなくなっている。さらに5S活動を行うとなると、その10分とは別に時間を取らなければならなくなるわけだ。

  現実には、もっと複雑な状況となるだろうが、要は初期の5S活動は余った時間の有効活用を図るという内容なのでプラスしか生じないが、活動が進んでくると、主要業務に割く時間と衝突が起こるようになるということだ。そうなると、5S活動が生むプラスの面と業務に割く時間との調整をしなければならないというマイナスの面の差し引きを考えなければならなくなる。つまり、主要業務とのバランスを考えながら5S活動を進めることが必須になる。
 そのことを考えずに5S活動を拡大していくと、スタッフの負荷が増大するばかりで、せっかくの5S活動が全体としてマイナスに働いてしまうことになりかねない。そうなると、スタッフの士気がダウンしてしまって、5Sの恩恵である「職場の活性化」どころではなくなる。

 実際、電脳部でも、5Sの活動範囲を広げる都度に、危機が起こった。現在は全体としての士気が高いので、口に出しては不満の声はあがらないが、(また仕事が増えるのか)といった表情は必ず現れる。これまでのところ、それに見合うような業務効率の向上を示すことや業務改善の面白さを体感させることによって危機を乗り越えてきたが、いつまでもうまくいくものではない。私が主導して5S活動を進めていく限りは必ず、スタッフの心の中で、主要業務と5S活動(と自分の休息時間?)のバランスがとれなくなる日がくることだろう。(比較的士気の低いスタッフに関しては、すでにそうなっている可能性もある)。

 まとめると、5S活動と他の業務とのバランス、5S活動の効果、5S活動のコストが問題になってくる時期があり、これが5S活動の第二ステップだと言えるだろう。

2006年8月30日
中国発5S活動記録 -第三部- <その10>
  さて、第一ステップと第二ステップについて述べてきた。現実の電脳部では、仕事の状況に波があるので、同じ5S活動をしていても忙しい時には、第二ステップの状況が現れ、余裕がある時には第一ステップの状況であったりする。現在、会社で残業規制がますます厳しくなっていることもあって、減収を悟って、スタッフの士気が落ちたりすると、5S活動の拡充をするどころではなく、現状維持が精一杯になることもある。そんな時は第0ステップとでも呼ぶべきだろうか。

 そのように職場の状況によっても左右される5S活動であるが、私の意識の中では第二ステップの突破が課題になっている。「主要業務と5S活動のバランスをどうとるか」、「業務を一層効率的に実施するための5S活動とは何か」、「5S活動によって何を可能にするのか」等々に頭を巡らせるがなかなか良いアイデアがない。
 
  だが、第三ステップが実現されたときのイメージ図はある。
 電脳部内での打ち合わせが始まり、皆が席に着く。私が議題を述べると、スタッフが意見を出し始める。議題は、新しい工場棟のネットワーク構築についてである。一人のスタッフが発言をし、必要な物や時期について明らかにする。次のスタッフが、サーバの設置場所や配線経路の草案を出す。続いて、別のスタッフが電源の位置について意見を述べる。電脳部だけでは作業の全てを行うことはできないから、他部門への作業依頼や実際にそこへ移動する部門との調整を引き受ける窓口が必要になるので、誰が担当となるかも決める。

 新ネットワークの諸データをデータベースに追加する必要性を誰かが提示すると、別のスタッフが新ネットワークの中心設備の定期点検も必要になるねと持ち出す。トラブル時に対応しやすいように、ネットワークケーブルの両端にタグをつけておくようにと付け加えることも忘れない。「一度にたくさんの設備が入ってくるから、マニュアルや説明書、ソフトのCD等がなくならないよう気をつけねばならない」と言うスタッフがいると、それでは、一箇所に集めて、早い時期に分類・整理をしておこうと誰かが話を引き継ぐ。そう言えば、電話の配線も必要になるから、一緒に工事ができるようにあらかじめ担当者と話をしておいたほうがいいよと述べるスタッフもいる。

 部門が引っ越すということは、元の職場に残された機器に関しても、忘れてはならない。廃棄するのか、倉庫に戻すのかについて議論がなされ、設備が放りっぱんしにならないように注意を喚起する。その職場がネットワークの中間地点にあった場合には、抜けた部分をどうやって埋めるかに関しても話し合いがなされることだろう。

 やることは山のようにある。打ち合わせの席では、「5S」の単語が言葉にされることはないが、どのスタッフも既存の5S活動で整理・整頓が継続されるようにとの配慮を忘れない。打ち合わせが終わった頃には、ネットワークが広がることによって、個々のスタッフに対する負荷が増大することを十分に意識している。
 増えた負荷をどうやったら吸収できるか、現在の業務や5S活動の中に無駄な点はないか、合理化することによって作業時間の圧縮ができないかについて、次の打ち合わせまでに皆が知恵を絞る。

 上記が私の5S活動における第三ステップのイメージ図だ。5S活動がどのスタッフの意識の中にも浸透し、いかなる新規業務が発生した場合にも、5S活動の継続を念頭において対処できるようになっている。同時に既存の5S活動にも見直しをかけられるようでいたい。それでこそ、5S活動という水が、業務という山々に浸透し、豊かな緑の実りをもたらすことができるのではないかと思う。

 イメージ図はあるが、到達するまでの手法が全く思い浮かばない。そもそも、何かをやる時に電脳部スタッフの全てを集めて打ち合わせをやることが、これまでなかった。新規業務が拡大・複雑化したネットワークに与える各種の影響を判断できるほどのスタッフは、数年ぐらい経たないと育たず、打ち合わせを一緒にする意義があるのはほんの一部のスタッフに限られていたからだ。
 まず、皆が一緒に問題を討論できるように、スタッフたちの業務知識の底上げを行う必要があるのかもしれない。その中で、5S活動が業務遂行に果たす意義についても理解してもらっていくのが良いのではないだろうか。しかし、教育用のマニュアルを作るだけでも相当な時間がかかるなぁ。
2006年8月31日
 今日は我が家の定番メニュー。「韓国冷麺」である。韓国冷麺パックを買うと、二人分の麺+つゆ+キムチで6.7RMB(100円ぐらい)。まず、麺をゆでた後、冷たい水で冷やす。本当はつゆを何倍かに薄めてスープにするのだが、Zの好みで濃いつゆのまま麺に混ぜてどんぶりに入れる。それから、付属のキムチを上にのせる。その他はお好み。以前はスーパーで涼菜(冷やした料理)を買ってきてのせていたが、最近はZ手作りのバンバンジーが具になることが多い。最近は週に一、二度はこのメニューだ。

韓国冷麺