2007年1月(day031)

2007年8月-10月(day037)


2007年8月28日
  太陽の勢いがようやく弱まり、だいぶ過ごしやすくなってきた。代わりに雨の日が多い。湿気が多いのは相変わらずなので、クーラーはつけっぱなしだ。
 今月の半ば頃、Zが突然「パスポートをとってくる」と宣言して、田舎へ帰った。これまで、「はやくとっておけよ」と散々言っても頑として動こうとしなかったのに、なぜ?問い詰めると、「田舎の友達と山に登る約束をしたの」と白状した。私が以前に登ったことのある「三清山(江西省)」である。最近、大きな旅行以外では、とんと外へ出なくなったので、気晴らしがしたかったのだろう。「行くぞ~!」と機嫌良く出発して行った。しかし、故郷では肝心 な日に雨が降り、結局山には登れず終い、散々苦労してパスポートだけ手に入れて帰ってきた。10年パスポートだから、機会をみて一度日本に連れて行ってやりたいが、そんなに簡単にいかないかな?むしろ、他の外国のほうがスムーズに出られるかもしれない。

 ここ半年ぐらいの物価上昇はひどい。もともと、昨年だか一昨年だかにに始まったガソリンの値上げのために、これまで10RMBで相当な距離を走ってくれていた白タクが15RMBとか20RMBを払わないと利用できなくなり、少しずつ生活の不便が増していた。そして、豚肉の値上げが今年になって始まった。最初は豚肉が高くなったぐらいでは何も変わらないだろうとたかをくくっていたが、甘かった。つられるように、他のものの値段も上がっていった。頻繁に利用していた近くの食堂のメニューも全てが10%ぐらい上がった。よくいく湖南料理屋のメニューなど20%以上も上昇。そして、時を同じくして、香港ドルが対人民元ベースで下落(私の給与は香港ドルベース)・・・。これらがどどっと波のように押し寄せてきたから、心理的にすごーく貧しくなったような気がする。しかも、これらの傾向に歯止めがかかる要素が見あたらない。なんとなくブルーな日々である。

 一方で、経済発展の勢いは今だ陰りらしき陰りが見られない。破裂寸前だと言われながら、バブルが続いていく。中国の新聞を時々読むのだが、庶民に対するアドバイスはどれも投資を煽るものばかり。「投資するなら、不動産と株のどちらがベスト?」ということがテーマになっていて、バブルがはじけるかもしれない・・・なんて消極的な発言は全然見あたらない。比較的裕福な中国人と話しをすると、必ず「○○(私の名前)も投資をしたほうがいい。今ならまだ儲かるよ」と勧められる。こんなに誰しもが投資に走っている状態で、経済が失速したらどうなるのだろうと恐ろしい気分にすらなるのだが、現実は強きな人たちの味方のままである。気の小さい私は相対的に貧乏になっていくばかり。
 ただ、経済が過熱していくなか、いくつか今までと違った傾向も見られるようになってきた。経済発展は進み、百貨店やらホテルやら商店街やらは増える一方である。これまでと異なってきた(ように感じる)のは、店がクローズするスピードが縮まってきたことである。以前は、商品が全く売れてそうもない店や、流行っていそうもないレストランでも、半年や1年、時には2年ぐらいは営業を続けていた。ところが、最近は、駄目な店は3ヶ月~6ヶ月ぐらいでクローズするケースが増えてきたと思う。
 また、先日、香港にいった帰り驚くべきシーンに遭遇した。私はフェリーで福永港に着くと、バスを乗り継いでアパートに帰ることがほとんどだ。以前は白タクで帰ってきていたのだが、私にすると馬鹿馬鹿しいぐらい高い料金になってきたので、バスを主な交通手段とするようになったのだ。そんな人は多くはなく、バスに乗るのはこれまで、たいてい私一人だった。他に乗る人がいたとしても、フェリーの乗客ではなく、港に涼みにきていた中国人であることがほとんどだった。ところが、今回、私も合わせて、4人(そのうち二人は夫婦)もバスに乗ったのだ。これまでも私以外にもう一人いることはあったが、一挙に四人は初めてである。(もしかして、投資しすぎて現金不足?)と考えずにはいられなかった。まぁ、偶然かもしれないが・・・。

2007年8月31日
 明日から、旅行に出かける。久しぶりの遠距離旅行だ。嬉しい。すごーく嬉しい。行き先は「新疆ウィグル自治区(省都:ウルムチ)」。相当遠い。どのくらい遠いかというと、地図でみると、(深せんから)日本のほうが近いぐらいだ。直線距離ではチベットよりも遠い。 特にウルムチは「世界で一番海から遠い内陸にある街」とか言われているらしい。残念ながら、仕事がある身のため、列車ではいけない。列車で行くと恐らく、三泊四日ぐらいかかるだろう。飛行機で行っても5時間かかる。ほとんどの便はどこかの空港を経由するので、実際には6時間以上がかかる。私たちが利用する便も湖南省の長沙経由だ。15:40発で、ウルムチに到着するのが22:45。長距離だけあって、料金も高く、割引価格で往復3520RMB/人もした(ctripを使えばもう少し300RMBぐらい安く買えるようだ)。金額を知った時には、(やっぱり別の場所にしようかな?)と考えたが、一生に何度もいけるような場所ではないと自分に言い聞かせて、チケット購入を決めた。

 新疆 は砂漠あり、草原ありである。以前に行った内モンゴルにも砂漠と草原があったが、10月過ぎに行ったのでベストシーズンではなかった。砂漠はともかく、草原は草がほとんど枯れかかっていたので良い思い出になったとは言いがたい。それで、ずっとベストシーズンに遠出をする機会をうかがっていた。今、ようやく念願かなったわけだ。今回は、ウルムチ→トルファン→ハミの三箇所を巡る予定だ。ウルムチには中国のスイスと呼ばれる「天地」があり、トルファンには西遊記の火焔山のモデルになった「火焔山」があり、ハミには有名な「ハミ瓜」がある。それに、すごく綺麗な草原があるようだ。 ただ、ハミはトルファンからバスで5時間ぐらいかかるので、日程的には厳しいかもしれない。

 初日は夜遅くに着くので、予約しておくことにした。「Ctrip」のカードで予約したかったが、到着時間が遅いためクレジットカードでの保証が必要と表示されたので諦めた。それで、電話で予約することになった。電話での料金は一泊ツインで278RMB。しかし、ネットでは250RMBだったと説明すると、同じ値段まで下がった。ラッキーだ。ただ、部屋が埋まったら、他の客にとられてしまう可能性があるだろうなぁ。ちょっと心配だ。

2007年9月9日
 昨日、ウルムチから戻った。朝8:40の便に乗って、午後1:00に湖南省長沙を経由し、3時頃に深セン着。さすがにヘトヘトだ。
 
 今回は、ウルムチとトルファンの二箇所しか回ることができなかった。初日の夜、ウルムチに到着。二日目に同地の天池一日ツアーに参加。ここで不幸なアクシデントが発生した。ふとしたはずみで、左足のふくらはぎをひどく痛めてしまったのだ。それも、天地に登る直前で痛めたものだから、終始足を引きづりながら移動。山の上下はリフトで移動だから、大きな問題はなかったが、それでもきつかった。
 
 二日目。ふくらはぎは急速に回復していったが、観光地を歩くにはもう少し時間が必要な感じだった。そこで、午後遅く、トルファンへバスで移動。三日目、トルファンの二日ツアーに参加。千仏洞ではラクダに乗った。ラクダは内モンゴルに行った時も乗ったので、今回で二度目だ。私の乗ったラクダは食事の途中だったらしく、ブホホホー、ブホホホーと怒りの叫びで鳴きまくった。Zはこれに驚いて、「私、やっぱり止める!」と半泣き状態になったほどだ。この二日ツアーは一日目で満足したので、二日目はキャンセルした。
 
 四日目は再びウルムチに戻った。五日目はタクシーで南山牧場へ・・・のつもりだったが、ちょっと違った照壁山というところに連れていかれた。これが、まだ開発途中の観光地で、逆に良かった。馬に乗って、往復で四時間近くを過ごした。これまでも馬に乗ったことはあったが、手綱を誰かに引かれながらというのがほとんどだった。今回は、馬のオーナーが一緒に着いてきたものの、手綱は自分でつか めと言われて、自分だけで馬乗りをすることになった。しかも、5メートルぐらいの川越えが何度となくあってスリル満点。実に楽しかった。

 六日目、七日目は市内の観光巡りとお土産の購入。そして、昨日、帰宅となった。
 詳細は、「新疆ウィグル自治区探検記」に書くので、興味のある方は是非ご覧になってください。

2007年9月15日
   我が家の洗濯機は、購入してから8年ぐらいが経っていた。Nationalブランドがついたこの商品を購入したのは、東莞市橋頭鎮に住んでいたときのことだ。アパートから近いという理由だけで、マイナーな電気屋で買ったことから、(本当にNationalなのかな~)と疑念を抱きつつ使用していた。だが、予想外なことに故障もなく、5年間よく働いてくれた (その間に、深セン特別区外の鎮に引っ越しをした)。

 異変が起き始めたのは6年目ぐらいのこと。ときど~き、動いてくれないのだ。最初のうちは、あちこちボタンをしたり、軽く叩いたりすると不承不承ながら、動き出してくれた。だが、そのうち、うんともすんとも言わなくなった。もう駄目だな新しいのを買おうと思っていると、なんと次の日は問題なく動いてくれた。やがて、一週間に一日か二日お休みをとる不思議な洗濯機に私の方が慣れてきた。動かない日は動かない。次の日に洗濯をすればよい。一人暮らしだったから、困らなかった。
 
 やがて、Zと一緒に暮らすようになり、洗濯は彼女がやってくれるようになった。「洗濯機、問題ない?」と時々尋ねたが、「うん、問題ないわよ」と答えが返ってくるだけだった。Zとの相性が良かったらしく、彼女が使う分には 洗濯機もあまりお休みをとらないようだった。 洗濯物が二人分に増えたから、お休みが多いようだと買い換えを考えなければなと心配していたのだが、その必要はなかったようだ。一度だけ、ゴミが詰まり完全に動かなくなったが、近所の電気屋を呼んで修理してもらった。

 異変が起こったのは、今年のことである。最初は洗濯機と全く関係ないと思っていた問題だった。昨年、大家の夫が亡くなった途端に、これまで異常に高かった電気代が 突然半額ぐらいまで下がるというおかしな事件が発生していた。私はこれを、(あの大家の夫、うちの電気を勝ってにどこかに回してやがったな)と理解していた。中国では盗電がしばしば発生すると聞いたことがあったのだ。

 それから数ヶ月後、今度は水道代が上がり始めた。なんだ、今度は盗水か?と考えたが、電気代に比べれば水道代はわずかなもの。少々のことは構うまいと放っておいた。ところが、毎月のように水道代が上がっていく。計算してみると、一月で22トンは使っていることになる。これはいくらなんでも受け入れられない。トイレで何リットル、洗濯で何リットルと簡単な計算書を作って、大家のところにもっていった。二人の生活で22トンはありえないと説明したのだ(排水処理費用も含めた)。水道メーターでチェックするのが一番手っ取り早いのだが、私が住んでいるアパートは水道メータが1Fに住む大家の敷地内にあり、勝手にみることができなかった。

 抗議のかいなく、大家はメーター通り払ってくれの一点張り。これほど言い張るのだから、盗水ということはないのかもしれない。どこかで漏水でもしているのだろうか。しかし、メーターがいつも見られる場所にないことには、チェックするのも大変だ。困ったなと考えていたところ、次の月から水道代が徐々に下がり始めた。あれれっ?やっぱり盗水だったのか。それも徐々に下がっていくとはどういうことだろう。大家の奴、一度に減らしたので見え見えだから、徐々に減らし始めたのだろうか・・・。そんな風に考えていた。

 そうしたある日、Zが 故郷に帰省することになった。パスポートをとるためである。日本と違って、中国人のパスポート取得は面倒だ。いちいち本籍のあるところまで戻って続きをしなければならない。それで、しばらく私一人で生活することになった。当然、洗濯も自分でしなければならない。まあ、洗濯機に洗濯物を放りこんで、干すだけのこと。そんなに大変なことではない。ところが、三日目ぐらいに洗濯機がうんともすんとも言わなくなった。なんだ、あの故障はまだなおっていなかったのかとその日は洗濯を諦めた。いい加減壊れたのかなと思っていると、次の日は正常に動いた。昔通りだ。
 しかし、次の日、不思議なことが起こった。ちょうど、仕事が休みの日で、Zがいない静かな日を過ごし、夕方ふと気づくと洗濯機が脱水を終えた音が聞こえた。「ぴっ、ぴっ、ぴっ」と狭いベランダに音が鳴り響いている。さっそく洗濯物を取り出し、干し始めたが、どうもおかしな感じだ。洗濯を始めたのは、いつだったけ?お昼だったのではなかったか。いや、そんなわけはない。それだったら、とっくに洗濯機はとまっていたはずだ。今頃、「ぴっ、ぴっ、ぴっ」などと音がするわけない。疑問に思いながらも、その日はそれで終わった。

 それから、数日、また普通に洗濯ができる日が数日続いた。しかし、ある日、会社から戻ってきてすぐに洗濯機を回したはずなのに、数時間後にまだ動いているのに気づいた。記憶違いではない。間違いなく、ずっと回り続けていたのだ。ちょうど脱水が終わりかけた頃なので、ずっと待っていると、一旦脱水が終わると、「ぴっ、ぴっ、ぴっ」と音を出した後、再び注水を始めたではないか。慌てて、スイッチを押し、洗濯機をとめた。その日は、すこし水を含んだ洗濯物をそのまま干して、次の日、Zに電話した。
 「なぁ、もしかして、あの洗濯機時々、ずっと動き続けていないか・・・・」
 「うん、時々ね。でも、最近、気をつけて40分ぐらいたったら、見に行くようにしているの」
 「・・・・・わかった」
 うーん、そういう重要なことははやく言ってもらわないと・・・。中国の田舎では、まだ洗濯機が普及し始めたばかりで、洗濯を手洗いでするところが多い。洗濯機を買ってあっても、電気代を惜しんで手洗いをしている家庭も多いようだ。Zも例外ではなく、洗濯機を使い始めたのは私と住むようになってからだ。だから、機械が多少おかしくなるのは当たり前だと思っていたのだろうか。あるいは、洗濯機の壊れたら私に叱られるとでも思ったのだろうか。Zは私が電気製品を気軽に買い換えすぎると考えていたようだから、また買い換えを言い出すだろうと、故障を教えるのをためらっていたのかもしれない。
 
 いずれにせよ、これまでも、しばしば長時間に渡って洗濯機が回り続けていたのは間違いない。何十リットルもの水が無駄に流されていたのだろう。つまり、これが水道代を押し上げていた元凶だったのだのに違いない。(すみません、大家さん、疑って)。

 次の日は、またも正常に動く洗濯機。数日ごとに、うんともすんとも動かなくなり、数日ごとに半日以上回り続ける。ある意味すごい。しかし感心してばかりはいられないので、Zが故郷から戻ってきたのを機に新しい洗濯機(Panasonic HQB52-H540U 2280RMB)に買い換えた。果たして、水道代はどのくらい下がるのだろう?大いに楽しみである。

2007年9月24日
 一昨日は、マカオへ出かけた。もちろん、カジノ目当てある。今年はWYNNで三勝、SANDSで一勝、合計で三勝一敗なのでちょっと強気で望んだ。SANDSでは一度も勝てたことがないので、WYNNで勝負・・・。必ず勝てるに違いない。そう信じてスロットを回し続けた。しかし、ほとんど良いところなく、あっけなく大敗と喫してしまった。金額は書かないが、昨年末の大敗と同じぐらいだ。これで、今年は三勝二敗となった。数では勝ち越しているが、金額的にはほぼトントンまで下がってしまった。 しかも、昨年末の大敗がそのまま残る形に・・・。先週までは、頭の中でスロットをイメージするだけで楽しい気分になれたのに、今はスロットが頭の中に浮かぶとたちまちブルーな気分になってしまう。ああ、当分スロットのことを考えるのはやめにしよう。スロット止めて、大小にデビューしようかな。でも、もっと負けが大きくなるような気もする・・・。ああ、もうしばらくカジノのことを考えるのはやめにするとしよう。

 マカオの件は不幸な出来事だったが、本日、良いことがあった。「Shade9 Basic」が届いたのだ。これで、画像のワンポイント貼り付けが容易にできるようになるはずだ。それに、表面素材も作りやすくなる。また、Shadeへの意欲がメラメラと燃え立ってきたぞ。しかし、ウルムチ・トルファンの旅行記も書かねばならないし、時間が十分にとれない。ぼちぼちやるとしよう。

   とりあえず、今日はShade9初起動の記念に、ワンポイント貼り付けに挑戦してみた。宣伝では簡単にできるようなことが書いてあったが、実際にはえらい大変だった。その上、カップの内側にも写真が写ってしまっている。本当にうまくできるようになるには、相当時間がかかりそうな雰囲気だ。
 

2007年10月3日
 9月30日から一泊二日で、Zと一緒に広東省の江門市新会区に行ってきた。広州までバスで約二時間、広州から新会までもバスで約二時間。乗り換えの時間も合わせて5時間ほどかけて辿り着いた。国慶節でなかったら、もう少し早く着くことができたと思う。新会に何があるかというと、「小鳥天堂」だ。川の中に大きなガジュマルの樹があって、そこにたくさんの小鳥が住んでいるとのこと。中国の著名な作家である「巴金」が1933年に散文に書いて一気に有名になったらしい。私は、数年前に、この「小鳥天堂」が、写真の著作権か何かの問題で新聞に載ってから、存在を知って、一度は行きたいと思っていた。インターネットで紹介されている「小鳥天堂」は、小さな島のように広がったガジュマルの樹から鳥たちが飛び立っていく様子の写真とともに紹介されていて、すごく幻想的だったからだ。
 結果から先に言うと、「小鳥天堂」のホームページで紹介されているようなイメージで小鳥に溢れているということはなかった。 鳥の数でいうなら、厦門のコロンス島にある「百鳥園」に遠く及ばないだろう。もっともコロンス島の「百鳥園」は山の上部が丸ごと網で囲われていて、鳥が逃げられないようになっている。数での比較は「小鳥天堂」に対して不公平だったかもしれない。まぁ、いずれにせよ、絶え間なく小鳥のさえずりが聞こえているということはなかった。
 朝の5時前後と夜の7時前後に鳥たちがガジュマルの樹から飛び立ったり、帰巣したりするというこだった。朝はとても無理なので、夜の7:00に合わせて、わざわざ夕方に出かけて、その時間を待ったのだが、こちらも期待外れだった。確かに十数匹ほどの鳥の群れが何度かガジュマルの上を行ったり来たりしたが、特に「その」ガジュマルの樹を出入りしているという様子ではなかった。
 そういうわけで、「小鳥天堂」に関しては、肩すかしを喰った感じとなった。でも、小都市で公共バスに乗ったり、バイタクに乗ったりしたので、旅の気分は十分に味わうことができた。一泊二日だったので、「小鳥天堂」と「崖門古戦場」の二箇所にしかいけなかったが、他に温泉や公園などもある。緑に溢れた都市なので、二泊できるなら、そちらも楽しめることだろう。お時間の有る方は一度、行ってみてください。
2007年10月6日
 本日は久しぶりに深センのジャスコへ行った。何か新しい商品が出ていないかと、見て回っていたら、あった、あった。まず、オデン。オデンそのものは、日本からの輸入品がずっと前から出ていたのだが、1人前50RMB以上もして高かった。おでんに似たものは中国にもあるので、50RMBを超えるとなると、さすがにもったいなくて買う気になれない(それでも、1度は買った)。それが本日、中国製日式オデン(かつお風味)が20数RMBで販売されていたのだ。おもわず二袋買ってしまった。それから、日式ミートボール、日式ハンバーグ、ライスバーガーも売っていたので、各二袋ずつ買った。数日かけて少しずつ味見してみるとしよう。

 スーパーで買い物を終えた後、ふらりとオモチャ屋によると、中国版人生ゲームと中国版モノポリーが売っているのを発見。中国版モノポリーは以前にも見たことがあるが、何か社会問題が発生して、棚から撤去されたと記憶している(記憶違いかもしれないが・・・)。値段を見ると、各199RMB。よし、買ってしまおう、と早速購入。日本ではどちらも国民的なゲームだ。私も、子供の頃はボードゲームで人生ゲームを、社会人になってからはプレステでモノポリーをやった。中国では過去、娯楽が少なかったから、Zは子供の頃、こういうものに触れていないはずだ。きっと面白がるに違いない。(おもちゃの)現金が飛び交うゲームというのは中国人向きだと思うし・・・。「また無駄遣いしてぇー」と言われたが、「とにかく一度やってみろよ」とアパートに帰るとさっそくゲームを始めた。
 モノポリーは勝ち方が少し難しいので、人生ゲームから始めてみた。想像通りというか、想像以上にZはのめり込んだ。おもちゃの紙幣を見る目が輝いている。結局、立て続けに三回もやらされた。さらに、この日記を書き終えたら、またひと勝負することになっている(結局二勝負した)。まさか、ここまで夢中になるとは・・・。もしや、とんでもないものを買ってきてしまったのでは?といささか心配になってきた。まぁ、頭の老化防止にいいし、よしとするか。(平日はかんべんして欲しい)。
2007年10月13日
  本日は、深セン市内の熱帯魚屋へ行き、新たなグッピーたちを仕入れてきた。昨年の6月に投入したグッピーたちが、3世代か4世代ぐらいまでになり、一時的に数が増えたりしたこともあったものの、徐々に減少し、とうとう5匹になってしまったためだ。それも、雌は一匹だけ。2世代目ぐらいまでは結構元気で、個性があるのがたくさんいたのだが、3世代目ぐらいから、外観は美しいのが多くなってきたのと比例するように皆元気がなくなってきた。親戚ばかりで交配を繰り返していると、弱くなっていくのだろうか。
 いつものことだが、深センではモスク色のグッピーを見つけるのが大変で、今日も諦めかかったが、ある店の隅に売っていて助かった。ただ、前回買った一匹4元のものと違って、一応純血らしく、雄雌の対で30RMBだった。それを値切って、二対で50RMBで購入した。一旦、店を出たが、よく考えたら、(東門から)ここに来るまでのタクシー代が20RMBぐらいしている。しかも、いつでもモスク色のグッピーがいるとは限らないことに思い当たった。そこで、もう一度店に戻り、もう二対を40RMBで購入した。合計8匹。
 アパートに帰ると、金魚鉢に入れて、水槽の水と袋の水を合わせた水の中でしばらく泳がせた。一日ぐらいそのままにしておこうと思ったが、思いのほか元気なので、半日ほどで水槽に移した。これで合計13匹だ。新しい雌が増えたことで、元気のなかった雄たちも動きが活発になってきた。今後に期待できそうだ。頑張ってくれよ。
2007年10月21日
 本日の夕食のメインは、Zが作った「香辣蟹」だった。日本語で説明すると、「蟹の唐辛子炒め」といったところ。私は、日本にいた頃は、蟹があまり好きでなかった。幼い頃、蟹とビールで大変なアレルギーが起きたと聞いていたからだ。当時蟹のほうはよくわからなかったが、酒類を飲むと確かにアレルギーが起き、じんましんができた。二十歳前後になった頃、お酒のアレルギーは治まった。蟹もたまに口にする限り問題ないような気がしたが、お酒と一緒で、好きになるということはなかった。恐らく、成長する過程で、潜在意識に刷り込まれてしまったのだろう。

 中国に来てからも、特に蟹を食べたいとか考えたことはなかったのだが、それを変えたのが「香辣蟹」だ。4,5年ほど前に広東省一帯で、「香辣蟹」が大流行した。どこの四川料理屋に行っても、「香辣蟹」と大きな文字が張り出されていた。最初はなんとなく注文したものの、たいして美味しいとは思わなかった。殻をむくのが面倒くさいというのもあった。だが、ある時、一キロもある蟹を食べてから、急に大好きになった。四川料理屋にいくと必ず注文するようになったのだ。

 ところが、私の「香辣蟹」への思い入れが深くなるのと反比例して、周囲から四川料理屋が急速に減っていった。どういうわけか、湖南料理屋ばかりとなってしまったのだ。唯一ある四川料理屋でも、なぜか「香辣蟹」をやっていなかった。ガソリン代が上がったこともあって、タクシー代が高くなり、遠出してまで四川料理というわけにもいかなくなった。湖南料理は大好きなので、全体的には問題がなかったのだが、「香辣蟹」が食べられないのだけは残念だった。唯一、深センのJUSCOに行ったときだけ、その裏にある四川料理屋で「香辣蟹」を食べる機会があったが、高い割りにあまり美味しくなかった。

 そこで、一ヶ月ぐらい前、Zに「香辣蟹」を家で作ってくれるようにお願いをした。Zの料理は、このところ、どんどんレパートリーが広がっており、「香辣蟹」ももしかしたらいけるのではないかと思ったからだ。「蟹」を料理したことがないと最初は嫌がっていたが、インターネットで作り方を調べたらしく、できそうだと判断したらしい。そこで、先々週、初「香辣蟹」に挑戦。ところが、最初に蒸したのがいけなかったらしく、見事に失敗。水っぽい「香辣蟹」になってしまった。先週、第二回目の挑戦。これはうまくいった。家庭版「香辣蟹」の完成だ。これで好きな時に「香辣蟹」が食べられるようになった。 ありがとう、Zよ。そして、本日で三回目の家庭版「香辣蟹」となったので、写真で公開。 今日は前回と違う唐辛子を使ってしまったのと、唐辛子を少なめにしてしまったのが反省らしいが、けっこう良くできていたと思う。

  Zの日本語学習は最近、停滞気味。一ヶ月に1課ぐらいの進度になってしまっている。でも、あと一課(第20課)で中級の上巻が終わる。なんとか頑張ってもらわなくては・・・。

2007年10月28日
  昨日は、深セン市大鵬半島にある「東冲」という海岸に行ってきた。まず、福田バス・ステーションまで行き、そこで202号バスに乗り換え、塩田区で364号バスに乗り換えて、さらに大鵬鎮で364号バスに乗り換え、南澳鎮に到着。そこから、タクシーで「東冲」まで行った。実は、深センの海ということであまり期待していなかったのだが、「東冲」の海は予想外に綺麗だった。泉州やアモイの海岸とあまり変わらないのではないかと思われたほどだ。「東冲」から隣の「西冲」という海岸までは、いくつかの小さな山を越えて4時間ほどで行くことができる。インターネット上では有名なハイキングコースで、けっこう大勢の人がチャレンジしている。ただし、「禁止」の看板が出ているほどで、いささか危ない。実は、私たちもトライしてみたが、途中で道がわからなくなって諦めて帰ってきた。初めてだとガイドなしでは難しいのかもしれない。いずれまた、挑戦したい。隣の「西冲」の方が観光開発が進んでいるようなので、そちらの方がガイドが見つけやすいかもしれない。「西冲」から「東冲」へと越えて、そこで一泊というのが楽しいのではないだろうか。
 

 グッピーの話。数日前に、3匹ほどグッピーの子供(幼グッピー)が生まれた。水槽の底石を増やして、幼グッピーが隠れられる場所を作ってやったが、その日の朝以来完全に姿が見えなくなった。うまく隠れているのだろうか。あるは、全部食べられてしまったのか?どうか生きていてくれ。