2008年7月-9月(day042)

2008年7月-9月(day042)


2008年7月6日
   昨日は数ヶ月ぶりにマカオに出かけた。グランド・リズボアで勝負をしたが、全くいいところなしでストレート負けした。
 カジノは駄目だったが、帰りに(マカオの)フェリー乗り場近くにある新ヤオハンで良い物を手に入れた。10Mホースである。これまでも、アパートのそばにある店で同様なホースを探したことがあるのだが、10Mとなるとけっこうな長さでトイレに置いておいても邪魔になるし、アダプタがついていないからアパートの蛇口にきちんと収まるかはっきりしないから、買うのを思いとどまっていたのだ。しかし、新ヤオハンで売っていたホースは、リール式の台座がついていて、コンパクトにまとめることができる。さらに、ホースの両端にはアダプタがついていて、蛇口の大小に対応できるようになっていた。生産国は中国だが、日本の会社が販売しているものだ。値段は249HKドルと日本並みの値段だったが、思い切って購入した。
 何に使うかというと、水槽の水換えである。これまで水を捨てるのも入れるのも、洗面器を使って、えっちらおっちらと何度も往復してやっていた。運動にはなるが、一時間近くの作業だから、けっこうな負担だった。床はタイルなので水がこぼれても大きな問題はない(Zは文句を言うが)。しかし、水浸しになった床の上を水を入れた大きな洗面器をもって歩くのだから、気を緩めると、足がツルっと滑る。もう若くないから、転びでもしたら大変なことになる。それで、いつかホース方式に変更しようとずっと考えていたのだ。それがようやく実現となった。はたして思惑通りいくだろうか?
2008年7月9日
  今年はまだクーラーを使っていない。雨続きのこともあって、例年よりも気温が低いようだ。特に夜中は扇風機だけで十分涼しく過ごせることが多い。ただし、湿気が多い日は少し辛い。現在(21:00頃)は気温が29度。湿度が76%RH。「今年はクーラーなしで過ごすぞ(過ごすわ)!」と毎日のように二人で気勢を上げているが、あと一週間頑張れればいいところだろうか。
 先々週ぐらいに5匹だけ幼グッピーの出産があった。すぐに大量出産があるだろうと期待したが、それっきり。こうなったら、この5匹を大切に育てるしかない。絶対に食べられないと確信がもてるぐらいまで(金魚鉢で)大きく育ててから、水槽に入れるつもりだ。でも、金魚鉢だと病気になりやすそうな気もするし、難しいところだ。
2008年7月22日
  奇跡的にもクーラーなし生活が続いている。このままいくと今年は本当にクーラーなしで過ごせそうだ。
 先週の土曜日に風邪を引いて、発熱し、昨日病院に行き点滴(こちらの風邪治療は点滴がけっこう一般的)を受けた。そして、本日、体調がほぼ復活。病院に行って点滴まで受けたんだから治って当然と思われるかもしれないが、自分としては、このスピードでの復調は久しぶりである。いつもだったら治るまで一週間も二週間もかかるのだ。これもクーラーなし生活の恩恵ではと思ってしまうのは早計だろうか。まぁ、まだ完調ではないから、油断は禁物だ。
2008年7月27日
 7月24日、Zの「参りました」の宣言とともにクーラーなし生活は終わった。あまりの暑さに目が回り始めたとのこと。負けず嫌いのZが言うのだから、よほど暑さが堪えたのだろう。私はまだ余裕があったが、あまり無理強いしても仕方がないので、クーラーをつけることにした。一旦つけるともう止められない。涼しい部屋から外に出て行くのが嫌になってしまうようになった。慣れとは恐ろしいものだ。
2008年8月10日
 ここしばらく様々な事情が重なって旅行に出られないでいるためか、やや憂鬱である。運動のほうも、雨続きで気持ちが途切れてしまい、やる気が湧かなくなった。こんな消極的なことではいけないといろいろ打開策を立てているのだが、気持ちが上向かない日々が続いている。幸いなのは、ダイエットが順調に進んでいて、5kg体重が減ったこと。物価高で、Zが夕食から肉を減らしたのとジュース等を飲むのを極力やめているのが良いのだろう。果たしてどこまで減らせることか?
2008年8月16日
  昨日、インターネットをしていて、グーグルのストリートビューが8月5日に日本でも始まっていたことを知った。ストリートビューというのは、マップの上で青字で描かれた部分をクリックするとその地点の周囲を実際の風景画面で見られるというものだ。もちろん、リアルタイムではなく、過去の静止画面だ。この点はグーグルアースと同じだが、静止画面とは言え、道路を歩くような感じで移動できるので、相当リアルだ。
 今のところ、大都市に限られているが、首都圏およびその周辺はかなり細い道までキャプチャーされている。私は十数年前に千葉の北小金駅近くのアパートに住んでいたのだが、その木造モルタルアパートもキャプチャーされていて驚いた。近所にあった弁当屋やクリーニング屋もはっきりと写っており、しばらく懐かしい想いにとらわれたほどだ。
 学生時代は横浜の大倉山駅近くに住んでいたのだが、残念ながら、そのアパート周辺はキャプチャーされていなかった。都心に近いほど細かくキャプチャーされているというのでもないようだ。それでも駅前の通りはしっかりキャプチャーされており、友人がアルバイトをしていたラーメン屋、昔よくいったホタテドリアが美味しかった喫茶店などがいまだに店を続けているのがわかって嬉しかった。もっともざっと見た限り半分以上の店が別の店に変わってしまっているようではあった。
 グーグルアースの上空からの映像にも衝撃を受けたが、このストリートビューはまた格別の味わいだ。私のように外国に住んだっきり滅多に日本に帰らないものにとっては、大変喜ばしいことである。私の実家のある静岡県は対象になっておらず、残念ながら実家周辺がキャプチャーされるようになるまでには当分時間がかかることだろう。高校の頃に通った道などストリートビューで辿ってみたいものだ。日本もあちこちに行ったから、ストリートビューが日本全国に広がると、思い出巡りに費やす時間が増えそうだ。
 一方、中国にまでこれが広がるようになると、ある意味つまらない。すでに行ったことのある場所ならいいが、行ったことのない場所までこうリアルに見られてしまうと行く気が半減してしまいそうな気がする。世界が狭くなったと言われて久しくなるが、あまり狭くなるのもつまらないものだ。しかし、時代も技術も、そんな個人的な想いには構ってはくれない。次の世代の人たちは、また違った自分たちの楽しみや刺激を探すことになるのだろう。
2008年9月11日
 先日、初めて日本のサイトから漫画をダウンロードしてみた。海賊版ではなく、課金制のサイトだ。日中間のインターネットは重いからもたつくかと思ったが、予想外に早かった。一冊数分ほどでダウンロードできた。漫画のタイトルは、新しいものもあるが、古いもののほうが多い。値段も紙の漫画本に比べて特に安いということはない。しかし、日本から中国まで送ってもらうとなると、紙の媒体では結構な郵送料がかかるから、ダウンロード版がその分安いとは言えるだろう。
 それでも最初は紙媒体でない、電子媒体の漫画はなんとなく損かなと思っていたが、実際に買ってみるとそうでもないことがわかった。まず、見やすい。液晶19インチの画面でみるから、コミック本よりも何倍も大きくて楽にみることができる。(寝ころんでは見られないが・・・)。それに、今後、引っ越したりするときもハードディスクをもって移動すればよいだけだから、荷物にならない。これは大きなメリットだ。現在もっているすべての書籍が全部電子媒体になればどれだけ楽なことだろう。
 残念ながら、最新の漫画というのはあまり電子版にはならないようだ。やはり、電子版に高いお金を払うのは割に合わないと考える人がまだまだ多いのだろう。しかし、最近のニュースをみると、紙の雑誌や新聞が確実に電子版に押され始めている。資源の節約にもなるし、意外に早い時期に、電子版が主流という時代に変わるのではないか。漫画はもとより、最新の小説や雑誌が電子版で買えるようになったら、中国に永住する予定の私としては大変ありがたいことだ。しかし、あと十年ぐらいはかかるかな? 
2008年9月13日
 一昨日、会社で仕事をしているとZから電話があった。コソドロがアパートに入り込もうとしたのだという。私を会社に送り出してからしばらく経ってボーッとベッドで横になっていると、ガチャリとドアが開いた音がしたのだそうだ。慌てて寝室を出るとドアが開けられており、男が走り逃げたとのことだった。私たちの住んでいる部屋は安アパートにしては立派なドアがついており、全面ステンレスでできている。錠前だけでなくステンレスのカンヌキまでついているので、きちんと戸締まりをしてさえいれば、家の中に人がいる限り泥棒に入られるようなことはないのだが、その日は錠前をロックするのもカンヌキをかけるのも忘れていたらしい。なんとも不用心なことだが、いったんコソドロに入られたとなると、たとえ鍵のせいではなかったとしてもやや不安である。
 そこで、本日、鍵(と錠前)を交換することにした。近所の鍵屋さんで錠前を見せてもらう。高級なのから安価なのまでいろいろあるが、高級なのは持ち家用のものなので対象外だ。これまで使っていたのは、数年前に鍵が錠前にささったままとれなくなった時に交換したもので、選択の余地なしだったから、取り付け代込みで100元前後で買ったものだった。今度はちょっと良いのにしようといろいろ尋ねた末、取り付け代込みで190元のものとなった。普通の鍵のように鍵を捻るのではなく、鍵がシリンダーに沿って円の縁を回るというやや特殊な方式だ。これだと専用の鍵でないと開かないのだそうだ。本当に効果があるのかわからないが、貸しアパートで使用するには十分だろう。
 鍵屋さんが読んだ取付屋さん(?)と一緒にアパートに戻り取付開始。そこ持て、あそこ持てと私も手伝わされるはめとなった。溶接をするときは一言もなしにバチッ、バチッとやるもので、最初は目を閉じるのが間に合わず、強い光に目をやられた。自分はサングラスをしているのだから、ちゃっかりしたおじさんだ。そのうち何か言うと思ったが、最後までそのままだった。眩しければ自分で目をつぶるだろうといった考え方だろうか。中国人らしいとも言えるか。
 一時間弱ごちゃごちゃと工事をしてようやく取付完了となった。これで一安心だが、油断はできない。数ヶ月前に、会社の同僚がコソドロにやられている。もうちょっと安全対策をしたいところだ。日本から何か防犯グッズを取り寄せようかなぁ。 
2008年9月15日
  昨日は中秋節だった。私もZも月餅は好きではない。Zが突然「蟹にしよう」と提案してきた。私は蟹が大好物なのですぐさま同意した。Zが作る「香辣蟹」はなかなか美味しいのだ。午前中に近所のデパートで蟹を仕入れた。2匹で102元。目方は一キロだが、蟹を結んでとめている縄がたくさん水を吸っているので、実際には三分の2ぐらいの重さぐらいしかないだろう。私は生き物をさばくのが全く駄目だから、料理は全てZ任せだ。途中で一度台所に様子を見に行ったが、殻を剥かれて蠢いている蟹を恐る恐る眺めただけで退散した。
 夕食。ステンレスのボールに「香辣蟹」がドンと盛られている。「香辣蟹」は蟹に唐辛子とタマネギとセロリとニンニクを加えて炒めた料理だ。蟹を手にとって殻を豪快に割ってむしゃむしゃ食べるのがうまい。手も口も真っ赤っかだ。瞬く間に平らげて大満足。秋は蟹の季節だから、来週もまた食べようかな。
 

 

2008年9月28日
 ここしばらくメラミン入り粉ミルクの件が世間を騒がしている。最初は身近な話題ではなかった。部下の二人に赤ん坊がいるので、「WとYのところでは大丈夫か。問題の粉ミルクは使ってなかったのか?」と問いかけた程度だ(二人とも使っていなかった)。Zの親戚に幾人が赤ん坊がいて、やはり粉ミルクを与えていたが、誰も問題の企業の粉ミルクは使用していなかった。
 しかし、しばらくして、メラミン入りの牛乳があることが発覚し、ニュースとなった。牛乳となると穏やかではない。私は日本にいる頃は特に牛乳が好きではなかったが、中国に来てから徐々に嗜好が変わり、牛乳は主要な飲料物の一つとなっている。(飲みたくなる)飲料の種類が日本ほど豊富ではないので、牛乳を飲む割合が自然と増えるというのもある。
 私が愛飲しているメーカーの牛乳は大丈夫だろうかと心配になってきた頃、致命的なニュースが出てきた。「I社の250mLアイスクリームに相当な濃度のメラ ミンが入っていた」というのだ。ニュース源が香港だから、確かな筋だろう。
 (先週食べたばかりだよ・・・)。諦めに似た衝撃が私を貫いた。
 滅多にアイスを食べたりしないのだが、先週、たまたま気が向いて買って食べたのだ。なんとも間の悪い話だ。問題なのは粉ミルクだけだからと甘くみたのがいけなかった。幸い、今のところ体調に影響はないようだが、精神的にショックが大きい。安全・健康の旗印の乳製品が駄目ならば、何を食べたら良いのだろうといった感じだ。モラルも何もあったものではない。
 ニュースによると、犯人とされた生産者の一人は「食べる人のことは考えていなかった。家族には食べさせていない」と答えているそうだ。全く腹の立つ話だが、単純には解決できない問題がそこにはある。現代の社会は、日本も含めて格差を肯定的にとらえている。「人より豊かになりたければ、もっと頑張れ。上に行ければ富が得られるし、そうでなければ貧しさが待っている」といった姿勢である。中心にあるのは「富が最優先」といった考え方だ。近代中国は元来、社会主義であるから、「富が最優先」といった考えは公には認められていなかったが、「皆が貧しい」といった状態から抜け出すために、「可能な者から先に豊かになろう」といった考え方を採用し、 現在に至った。中国人らしい極端な行動から、今や豊かな人は日本人など比べることもできないほど多くの富を保有している。
 格差社会としての問題も、日本とは比較にならないほど大きい。つまるところ、「人のことなどどうでも良い。自分さえよければ」という状態なのだ。
 貧困の中、「社会の誰も自分に関心をもってくれず、だから自分も他人の心配なんかするものか」と考える人が増えたから、そんな社会になってしまったのだろうかと思ったことがあった。しかし、中国人の両親というのは、一般的にもの凄いほどの愛情をもって子供を育てる。日本のように、早く独り立ちさせようと突き放すような育て方は少なく、自然とそうなるまではべったり可愛がることがほとんどだ。文字通りのスキンシップが当たり前で、立派な大人になっても親と手をつないで歩く姿がよく見られる。手をつなぐと言えば、恋人同士はもとより、夫婦も手をつないで歩くし、女性同士、男性同士でも手をつなぐ。(都市部では比較的少ないが・・・)。理由を聞くと、仲が良いからだと言われた(どんだけ仲が良いんだ?)。つまり、近しい関係同士の繋がりは日本人よりもずっと深く、自然に結ばれているのだと考えられる。決して、愛情が不足した状態で育ったから、他人に思いやりが持ていないというわけではないのだ。あくまで、見知らぬ他人に対してだけ関心が薄いのだ と思う。
 昔の日本人は、「悪いことをすると、お巡りさんに捕まっちゃうよ」とか「鬼がくるよ」とか脅しの方法を使って子供をしつけることが多かった。 それがモラルの形成に役立ったのだと思う。しかし、そのような脅しによる教育方法は子供の自然な発育を阻害するものとして現代では受け入れられにくくなった。また、情報が溢れるほどある現在ではそうした方法の効果を持たなくなってきてしまった。大人と子供が持っている情報量の差が縮まってきてしまったのだ。 これは中国も同様だろう。
 それではどうしたら良いのだろうか。中国で比較的モラルが高いと感じるのは、学校周辺である。大学や小学校が街の中心となっている地域では、子供や青年相手に商売をしているためか、住民の意識が高く、客を騙したりといったことが少ない。何よりも、商売をしている人たち自身が自分たちが教育の場いるといった意識をもっていることが感じられる。自らの正直さや誠意に誇りを持っているのだ。(大学や小学校があっても、街の中心ではなく脇役である場合にはそうはならないようだ)。
 実際のところ、学校周辺の店主だからと言って、お金に関心がないということはないだろう。できればたくさん儲けたいと思っているだろうし、それが当たり前だ。しかし、「正直さや誠意に対する誇り」が金儲けばかりに走ることにブレーキをかけているのだ。こうした心のブレーキを育てる社会を作ることができれば、今回のような問題を未然に防ぐことができるのではないだろうか。