2011年11月(day064)

2011年11月(day064)

2011年11月1日

無職生活が2ヶ月目に突入した。
 これまでのところ、ほぼ予定通りに生活ができている。特に、日課のほうは予想以上にちきんとこなせている。問題もある。徐々に単調な生活に飽きてきていて、心も体も気晴らしを求めている。9年前の無職生活の時は、広東省の各都市を頻繁に旅行して回ってたから、そういう悩みは少なかった。その代わりに、持ち金が急速に減っていって危うく日本帰国まで追い込まれるところだった。今回は同じ失敗を避けるために、極力消費を抑えている。結果として、無職生活を思い切りエンジョイすることができずにいる。こちらを立てればあちらが立たずといった感じだ。
 今日の朝食は近場のローカル店の店頭で腸粉を買った。Zの評価が高かった腸粉を売っていた露店は、先週から営業を止めてしまったためである。もともと、その露店は営業を停止してシャッターを締切りにしていた店舗の前で朝だけ店を開いていた。ところが、店舗
に新たな借り手が見つかったらしく、リフォーム工事を始めたのだ。工事の邪魔になるからと、店頭を使わせてもらえず、営業停止に追い込まれたようだ。
 Zの、その露店の腸粉への執着は強く、今日買って帰った腸粉も、駄目出しをされてしまった。私には、そこまでの差があるとは思えないのだけれども、Zには全く違うものらしい。そもそも、Zの要望も無茶なところがある。普通は腸粉は熱々の時に食べるものだ。冷めてしまってはただの小麦粉の塊に過ぎない。ところが、Zは買って帰って30分ぐらい経った冷め切った腸粉を好んで食べるのだ。その状態で食べても、以前の露店の腸粉は美味しいと主張している。冷めても美味しい腸粉・・・たった3RMBの料理の中にそこまで奥深い差があるものなのか。本当に不思議だ。
 今日も、昨日の続きで、深センへと出かけた。昨日の疲れが残っていて体が重い。それでも、バスと地下鉄を乗り継ぎ、なんとか用事をこなして、お昼は東門で食事をとった。Zがショッピングをしている間に、私は中国移動の営業所で、深セン通のチャージをした。実は、昨日、ネットでチャージを試みていた。前回は、ログインしてから、チャージをし、それから、深セン通でそれを引き出すという手順をとったから、今回は別の方法をトライしてみた。ところが、その方法は、深セン通へのチャージをする方法ではなく、中国移動の電話代をチャージする方法だったのだ。私のメイン携帯電話カードは、ずっと銀行引き落とし方式をとっていたから、その間違いになかなか気づかなかった。電話代にチャージされてしまったお金は、電話代として使われるから無駄にはならないが、深セン通には改めてチャージしなおさなければならない。本日の深セン行きで深セン通の残額を使い果たしてしまったため、東門でチャージをすることになった次第だ。東門の営業所は賑わいはあったけれども、場所柄か一般客が少なく、すぐにチャージをしてもらうことができた。
 帰りは、羅湖まで徒歩で行き、直行バスで帰ってきた。地下鉄とバスの組み合わせで帰れば、10RMB前後、直行バスで帰れば17RMBと倍に近い差が出るのだけれども、今日はへとへとで地下鉄で帰る気力がなかった。羅湖まで歩いて行ったので、トータルでみると運動量が少ないとは限らない。しかし、バスだとぐっすり眠れるから、到着時の疲れが全然違う。地下鉄ができる前は、地下鉄ができたらバスに乗る客がいなくなるのではないかと思っていたけれども、バスはバスなりの優位性があるようだ。
 帰宅後、すぐに髪を切りに床屋へ行った。私は髪に気を使う性格ではないので、無職生活ともなると床屋などいかないで伸び放題にさせておけば良いとさえ考えてしまうぐらいだ。しかし、外国での生活だから、身だしなみはそれなりにしておかないと、怪しい奴だとつかまりかねない。10年ぐらい前に、ちょっとみすぼらしい格好をして香港へいったとき、警官に職質をされたことがあるから、慎重になっているのだ。それでも、現在は節約第一の生活である。これまでは、カットと洗髪で4,50RMBぐらいの店へ行っていたけれども、今回は20RMBへの店へとランクを落としてみた。
 数店あるうちの、人気店に入ってみると全員忙しく客の相手をしていて、誰も私の相手をしてくれない。仕方なく、閑散とした、広い店内の割りに客が数人しか入っていない店へと入ってみた。パパッとカットしてくれて、手早いのは悪くなかった。いつもの店の3分の1ぐらいの時間でカットが終わった。髪を洗ってもらってきてくれと言われたので、奥のスタッフのところで洗ってもらい、戻ってくるとドライヤーをかけて終了。普通、最後に格好だけでも形を整えるためにチョキチョキやるのに、それがない。しかも、必要がないからやるというよりも、明らかに手抜きだ。「なんか、ちょっとバラバラすぎない、髪の毛」と遠まわしに主張してみるも、「髪が短すぎるから、○×○△」と言い訳をされるだけだった。こういう店もあるんだなと逆に感心させられた。安いのはいいけれど、もう来ないかも。 

2011年11月2日

今日は6:20に起床した。ここ数日は起床する時間が6:15前後に安定してきている。理想としては、早朝5:00ぐらいに起きて、食事前に中国語のテキストを読むぐらいはしたいところだ。そうすると、午前中にもう1度復習する時間がとれる。しかし、起きるのがプレッシャーになるようだと、早朝の運動を続けることが困難になるから、無理はしたくない。本当に5:00に起きるほうがベストだと感じたら、夜寝る時間を現在の11:00から10:00ぐらいにずらして対応するべきだろう。寒い冬を迎えることでもあるから、当面は様子見である。
 今朝はマクドナルドのポークソーセージハンバーグが朝食だった。マスタードを持っていったけれども、使うのを忘れてしまった。マクドナルドに着いた時間が遅かったためか、今日は大人の客ばかりで、子供たちは一人もいなかった。大人の数は少なかったけれども、笑顔に溢れた客が多かった。不機嫌そうな顔をしたいつもの子供たちとは対象的である。子供たちと言えば、中国では一人っ子政策の影響もあり、男子の出生率が異常に高い数字になっていると聞いたことがある。不思議なことに、マクドナルドに来る子供たちを見る限り、男子より女子のほうが多い。これは所得層の関係なのか、男親が女の子供に甘いからなのか、或いは男の子の場合はマクドナルドの食事では量が不足するから家で食べるからなのか、どんな理由からなのだろう。
 午前中の遅くに、一昨日淘宝で注文しておいたマグカップが届いた。以前に同じく淘宝でかったマグカップを床に落として割ってしまったからである。今回は、どんなのにしようかとあちこち探した結果、ロンドンバス模様のマグカップにした。見ているだけで、元気になれそうなデザインである。料金は22.5プラス送料10=32.5RMBだった。説明では、イギリスでは296RMBで売られているのだと書かれてあった。イギリスでいくらで売られているかはともかくとして、満足している。こういうのを実際に店頭で探そうと思ったら、上海ならともかく深センではなかなか難しいことだろう。どこかのデパートにはあるのだろうけれども、そこを探し当てるのが大変だ。交通費だけで、コップが何個も買えてしまう。淘宝ありがとうというところだ。
   昼食はお魚と卵とトマトを炒め物と野菜炒めだ、我が家ではオーソドックスなメニューである。今日のお魚も身に弾力があり、口当たりの良い美味しさだった。びっくりしたような顔が不気味だったけれど。
 明日は、久しぶりにZが蟹料理を作ってくれるそうだ。午前中に、海鮮市場に蟹を買いに行く予定だ。楽しみ、楽しみ。 

2011年11月3日

6:45頃に起床した。昨日、いつもより30分遅くに床へ着いたから、その分遅く起きたことになる。
 急いで運動を始めて終わるとすでに7:30になっていた。それからマクドナルドで朝食をした。今日はソーセージマフィン(日本名にしました)にしっかりマスタードをつけて食べた。このソーセージマフィンが出た当初は、ポーク臭さ強くて馴染めなかった。今は臭いがあまり気にならなくなった。いや、臭いそのものが発売当初よりも大幅に和らいだような気がする。
 いつもより遅く来たためだろう。お客さんの数が多い。ひきりなしに客が出入りしている。テイクアウトにする客も多いから、席はさほど埋まっていなくても、売り上げは少なからずありそうだ。もっともっと客が入るようになれば、日本と同じぐらいのバラエティ豊富なメニューになることだろう。そうすれば、ホットケーキもメニューに戻ってくるに違いない。日本マクドナルドのブレックファストメニューに、ツナマフィンというのを見つけた。是非、中国でも発売してもらいたいものだ。
 9:00過ぎに、海鮮市場に向けて出発。バスで15分ほどで到着だ。ここに来るのも1年ぶりぐらいではないだろうか。前回来た時よりも、魚介類の種類がぐっと増えていて、値段も高そうな商品が並んでいた。これも、中国経済発展の明確な証だろう。バルブがはじけるはじけると言われ、私もそれを半ば信じているのだけれども、このような現実を見せられると、まだまだ発展の余地が大きいのではないろうかと思いたくなる。
 蟹は500gで60RMBのものにした。3匹で1.5kg、合計で150RMBだった。一匹一匹、卵(実際には卵ではないらしい)が入っているかを確認して、袋に入れてもらう。以前に、「ほ~ら、卵がいっぱい詰まっているだろう」とこじ開けて見せてくれようとするのを、適当に頷いて買って帰ったら、少しも卵がなかったという経験があるからだ。海鮮市場は素人の一見さんには厳しい世界である。
 蟹に続いて、魚やら蟹やらも買った。デパートの比べて、生き生きとしていて、いかにも美味しそうだ。売り方はかなり強引な面がある。お店の人からすると、同じ商品でも売りたい順番が決まっているらしく、指をさしたのとは違う籠やらトレイから取り出して袋に入れようとする。蟹のときも、こちらの蟹が良いというのを、こっちだ、こっちだと勝手に袋に入れ始める。その時は、Zは自ら手を出してこれだ、これだと主張して一つ一つ選んだ。貝のときは、二つ並んだトレイのうち、元気そうな貝たちが入っているトレイを指差したのに、それを無視して隣のトレイに網を突っ込んでどんどん袋に入れ始めた。私たちもその強引さに負けてそのまま買ってしまった。魚も似たような感じだ。それでも、近所の市場に比べると良い品がずいぶんと安く入る。
 最後に野菜を買う。海鮮市場の場所代が高いためか、野菜を売っている店が限られているためか、ここの野菜はやや高かったようだ。そうは言っても、いちいち別の野菜市場を回るのは大変だから、買うしかない。便利さと値段はなかなか両立させるのが難しい。
お昼は魚を蒸したのと、貝、そして野菜炒めの三品だ。過去、海鮮市場では蟹と海老しか買ったことがなく、魚と貝は買ったことがなかった。魚や貝など近場の市場でもたくさん売っているし、そうたいした違いはないだろうと思っていた。ところが、実際に食べてみてびっくり。全く違う。魚はしっかりした食感がありながらも、口の中で溶けていくような美味しさだし、貝は身が大きくて締まっている。さすがに海鮮市場だと感心させられた。それだけでなく、野菜も美味しかった。新鮮さが全然違う。この辺りでは有名な海鮮市場だから、いいものは最初にここに来るのかもしれない。
夕食は蟹だ。唐辛子味たっぷりの「香辣蟹」だ。我が家では恐らく、一番値が張る料理である。「香辣蟹」は毎年秋の蟹の季節になるとよく食べる。当たり外れがけっこう激しい。これまで十数回は家で食べたうちでも、今日の「香辣蟹」は大当たりの部類だった。卵(実際には卵ではない)も十分にのっている上に、油もよくのっていた。蟹の油というのは、調理油がよく染みているからそうなるのか、もともと蟹に含まれているのかわからないけれども、今日の蟹は油がよく染みていてたまらない美味さだった。年内にもう一度食べたいものだ。

2011年11月4日

天気は相変わらずぼやっとした明るさだ。気温はここ数日やや上がり気味で、暑く感じるときもある。困るのは蚊が多いこと。蚊取り線香の置き場所が悪いと、ぶんぶん飛び回る。蚊取り線香は、置き場さえ誤らなければ、液体蚊取り器よりもずっと効果を発揮する。粉が空気中を舞うので、空気の流れを見誤ると、咳き込むはめになるから、使い方が難しい。昨晩は、少しベッドから離れた場所に置いたら、効果を発揮する圏外になってしまったらしく、一晩中蚊の音に悩まされ、3,4度起きることになってしまい、寝不足のまま7:00過ぎに起床した。
 今日も深セン市内での用事をこなすために、朝からバスと地下鉄で出かけた。いつもと違うバスに乗っていったら、地下鉄駅の裏側で降ろされ、数百メートルの距離を歩くはめになった。裏側から入るのは初めてで、そちら側がタクシー乗り場になっていることがわかった。グリーンの郊外専用のタクシーばかりが並んでいた。郊外にも、市内にも行けるのはレッドのタクシーのみだから、空港の乗り場にはレッドのタクシー、地下鉄の乗り場にはグリーンのタクシーという住み分けができているのだろう。
用事を済ませると、乗り換え駅の「会展中心」で改札を出て構内の店で昼食をとることにした。ここでは、いつもマクドナルドで食事をとるのだけれども、Zの要望で本日は「」を食べることになった。「花渓」というのは、貴州の省都である貴陽から車で1時間ほどのところにある小さな街で、私が初めて中国で暮らしたのもこの街だ。中国語学習コースで
学生として1年、日本語教師として1年、合計2年暮らした。「花渓牛肉粉」の元祖と言われるところでも、幾度か食べた。当時はまだ、中国特有のスパイスに慣れておらず、「花渓牛肉粉」はどうしても美味しいとは思われず、その近所にあった「砂鍋粉」のほうを好んで食べた。この「砂鍋粉」には怪しげな肉やらイカみたいなものがたくさん入っていて、いいダシになっていて日本のラーメンのスープに近いような味わいで、本当に美味かった。旅行であちこちいったけれども、この花渓の「砂鍋粉」と同じものは見たことがない(「砂鍋粉」と同じ名称のものはあちこちにある)。
 話が逸れた。「花渓牛肉粉」を食べるのは本当に久しぶり。記憶にある味と違うのは、やはり外地向けに味を調整してあるのだと思う。
何よりも現地と同じスパイスが手に入らないのだろう。あちこちとまではいかないが、「花渓牛肉粉」と看板を上げている店は、各地でも時々見かけるので、それなりにブランド性のある食品といえるだろう。香りがキツイし、肉の味付けに特徴があるので、好き嫌いが大きく分かれるのではないだろうか。何年先になるかわからないが、また花渓を訪れて、牛肉粉やら砂鍋粉やらを食べてみたいものだ。
 今週は予定外の外出やら出来事が発生して、運動以外の日課はまともにこなせなかった。明日からまた気を引き締めて頑張るとしよう。

2011年11月5日

昨晩は、一層気温が上がり、扇風機なしには暑いくらいだった。今日も、引き続き暖かい一日となりそうだ。冬を迎える前の夏の悪あがきのようだ(秋は?)。
 本日の起床は6:40。日課の運動を終えると、7:20になっていた。マクドナルドで食事。今朝は、中途半端な時間に出かけたためかほとんど客がいなかった。近くのホテルに宿泊していたと見える客や、どこかへ遊びに出かける前の客がちらほらいる程度だった。しばらく前から、太陽の日差しが店内のほぼ全域を覆うようになって、座る場所に困るようになってきた。太陽に照らされていないのは、ほんのひと角の椅子だけで、そこの座っても身を乗り出すと、日に当たってしまう。広東省の太陽は冬が目の前に迫っているというのに、いまだに強烈な熱さを保っているから、落ち着いて座っていることができない。冬が待ち遠しくさえなった。
 10:00頃から、中国語の学習を開始。ここ数日、さぼっていたから、まだ2冊目の第1課だ。今日は5日だから、本当は第2課に入っていなければならないのにずいぶんと遅れてしまった。第2冊目は本文も単語もぐっと量が増えて、ただ読み上げるだけでも第1冊の1.3-1.5倍近く時間がかかるから、遅れを取り戻すのも大変だ。午後に時間をとって、挽回するとしよう。 
 11:30、近所のデパートに買い物に行く。空いていたので、野菜やら肉やらをのんびりと買って回っていた。今日のお昼は味千ラーメンの麺でラーメンを作ってもらうことになっているから、葱も忘れずに手に入れておく。精算をしにレジのところまで来たときに小物を買うのを忘れていたことを思い出し、取りに行って、もう一度レジのところへ戻ってびっくり。さきほどまでガラガラだったレジが全て埋まっていた。もうしばらく経って後だったら、長い待ち行列の後ろに並ばされるところだった。12:00ちょっと過ぎに、こんなに混雑するということは、皆土曜日は私のところと同じで、1:00-2:00頃にからお昼を取るのだろうか。
  帰宅すると、さっそくラーメンを作ってもらった。30分ほど待って出来上がり。お味は・・・。うーん、惜しい。やはり、先日Bさんから頂いた喜多方ラーメンに比べると、麺の分だけ負けている。正確には、スープも及ばない。味千ラーメンでは限界があるということだろう。小麦粉製品を食べるというローカボダイエット違反の行為までして食べるには厳しいレベルだ。さきほどデパートで冷凍食品を見ていたときに、北海道ラーメンやら、長崎ちゃんぽん(?)やらの製品があったから、ちょっと高いけれども次回は冷凍麺を試してみるとしよう。
 食事が終わるとマイクと散歩に出かけた。いつものように近所の広場を2周する。休日だというのにほとんど人がいない。今日は空の大部分が雲が厚い雲で覆われている割には、太陽がしっかりと出ていて日差しも強いので歩いているとじわじわと汗が出てきた。マイクもぜいぜい息をしながら歩いている。マイクの歩き方はだいたい決まっていて、まず私の右側から前に出て、次に左側に移動、それから後ろ側に回って、また右側に出る。この繰り返しである。ぐるぐると私の周囲を一周しながら進むのだ。私としては、リードを右手から左に移し、さらに背後を回してまた右側にと移動させなければならないあKら、はなはだ面倒くさいことなのだけれども、歩き方まで躾けるのは可哀想な気がして好きなようにさせている。
 散歩が終わると、アパートに戻って、Zがマイクを洗う。定期的洗わないとどうしても臭いがきつくなるから、Zもマイクを洗うのは積極的にやってくれるから、非常に助かる。お風呂が終わると、マイクはすぐにお昼寝に入った。広場を2周して帰ってくると、だいたい3キロは歩くことになるから小型犬にとってはけっこうな運動になるのだろう。手を伸ばして撫でてやろうとしても、今は静かに眠らせてくれといった感じで相手にしてくれない。ここでエネルギーを蓄えて、夕方辺りから遊んでくれと騒ぐのだろう。
 先月、ドラマ「瞧这一家子」を見始めたと書いた。その後、どうもピンと来ず、見るのを止めて、「創業」というドラマに乗り換えたものの、これにものめり込めず、弱ったなと思っていた日々、突然、中国電信のインターネットTVの構成に変更が入り、同時に新しいドラマがたくさんメニューに現れた。その中に「太極」という文字を発見する。中国ドラマの題名で「太極」の文字が入ったら、もうこれは太極拳がメインのドラマであることにほぼ間違いない。早速、第1話目を見てみる。出だしから、太極拳の動きをかたどったアニメーションが走り、(やった!)と心に叫び声が上がった。久々のヒットである。
 実のところ、太極拳のドラマというのは、脚本としては単純だし、そう刺激的でない。しかし、師と弟子の会話とか、主人公の成長の過程で太極拳を支える思想が語られ、それらが魅力的極まりない。映像的に木の葉や水が旋風のように巻き上がったりするシーンがよく似合うのも太極拳ならではだ。今回のドラマは、正直、最初の数話はやや退屈な内容である。5話目で、ようやく本格的な対決が始まる。明日見ようと思っているが、本当に楽しみだ。ドラマ上の太極拳の動きというのは現実離れしていることが多いのだけれも、それは許す。大いに敵を吹っ飛ばして欲しい。

2011年11月6日

今朝は6:40に起床した。運動を終えて、7:30過ぎにマクドナルドに到着した。
 今日はソーセージマフィンにした。ソーセージマフィンとチキン(てりやき)マフィンは、シングルバージョンのセットが10RMBで、ダブルバージョンが13RMBとなっていて、私はいつもダブルバージョンを頼んでいる。ソーセージマフィンのダブルバージョンはチーズ入りなこともあって、一番腹持ちがいい。最近マックホットドッグを注文することが減ったのはビッグバージョンがないからで、スタンダード版だと物足りないためだ。日本マクドナルドのホームページをみても、現在はビッグバージョンはないようだから、中国で発売される可能性は薄そうだ。
 昨日同様に、店内のほとんどの席が日差しに晒されていた。唯一日陰になっていた一列の椅子には、男が一人ごろんと横になっていたために座ることができなかった。いつも同じジャージを着て寝ている男なのだが、最近は姿を見ることが少なくなった。管理職のスタッフが早朝出勤をするようになったため、追い出されてしまうのだ。今日は管理職のスタッフの出勤が遅れたからだろう。ぐっすり眠り込んでいた。この男は、中国によくいる浮浪者と違って、服装が汚いということはなく、いつも綺麗に洗った上下のホワイトのジャージを着ている。日本でも、最近のホームレスの人たちは身奇麗にしていることが多いというから、同様な生活の知恵が働いているのかもしれない。
 やむなく座った窓際だが、今日は昨日ほどには日差しが強くなくて助かった。マフィンを食べ終わって、コーヒーを飲みながら、外を眺めているとさきほどまで同じフロアで朝食を食べていた若者たちが、食事を終えて一斉に外に出た。見ていると、皆スポーツサイクル車に跨っている。どこかのサイクリングクラブの若者たちだったようだ。
 数年前からスポーツサイクル車に乗った若者を見かけるようになったが、最近は特に多くなった。人出で込むる記念日などの休日には、真新しいスポーツサイクル車に跨って、カラフルなヘルメットや服装を身に付けた若者を数多くみかける。超富裕層の子供たちは、高級自動車を乗り回していることだろうから、こうしたスポーツサイクル車に乗っているのは、準富裕層の子供たちだということだろうか。或いはブームになっていて、出稼ぎ族の若者たちも、こうした趣味を持ち始めているこという可能性もあるだろう。
 10:00頃から、中国語の学習を始めた。第二課である。第一課は軽く流した程度なので、気が引けたが、無理やり第二課に進んだ。いくらじっくりやっても、大部分は忘れてしまうのだから、素早く進めて復習をたくさんやったほうが良いだろうという理屈だ。第二冊から、各課の単語リストがぐっと増えた。新出単語ばかりではないとは言え、単語リストだけで5ページに渡っている。一度流すだけで、息ぜいぜいだ。
 高級編のテキストを始めてから、一ヶ月以上経つけれども、進歩はどうだろう。Z以外と中国語を話すことはないから、全く見当がつかない。1ヶ月程度では目に見えるような違いは出てこないと考えるのが普通だろう。このままでいくと、進歩ではなく、退歩するということも考えられる。単語量とかは、多少は増えるだろうけれども、会話の内容がZとの日常会話に限られるためだ。仕事で中国語を使うと、微妙な差を説明しなければならないケースが出てくるから、言い回しが自然と多様化していく。部下が使った単語や言い回しを自然に吸収してもいく。相手も複数に渡るから、なおさらだ。そうは言っても、今はどうしようもない。できることをやっていくだけだ。
 お昼を食べて、午後はマイクの散歩に出かけた。いつも広場ばかりなので、今日は別の道を歩いてみることにした。広場によく散歩に行くのは理由がある。まず車やバイクが入ってこない。横から突然人が現れたりはしない。道にでこぼこがなく、タイルが敷かれているから歩き安い。予想外のことが起きたりする心配がないから、ぼんやりとリラックスして歩けるのだ。そうは言っても、同じところばかりでは飽きてしまう。そこで、普段は歩かないやや下町の、出稼ぎ労働の人たちが特に多い地域を歩いてみた。
 この地域は、家賃が安いのがいいところなのだが、治安には不安がある。夜になると、明かりが届かない場所が増えるし、光があっても露店に取り付けられた白熱球ぐらいだろう。そうは言っても、犯罪者の巣窟やスラム街というわけではないので、昼間歩く分にはさして不安はない。私が住んでいる場所から、さほど離れているわけではないのだけれども、この通りを通るのは数年振りだ。マイクにとってはもちろん初めて歩く場所だから、キョロキョロと周囲を見回して安全を確認するのに余念がない。
 私が住んでいる地域は、ここ数年の間に、改築やらリフォームやらのですっかり様相が変わってしまったけれども、この辺りは築十数年のアパートが多く、ほとんどが煤で薄汚れてしまっている。多人数で住んでいる部屋が多いのだろう。ベランダや窓枠いっぱいに洗濯物が吊る下がっている。恐らく、専用の宿舎を建てる余裕のない小さな工場などが、アパートを数部屋だけ借りて、そこに工員を住まわせているケースが多いのではないかと思われる。こうした地域のアパートは、人の出入りが激しいから、どうしても治安が悪い。
 少し不安に包まれながらの散歩は無事終了。再び訪れるのはずっと先のことになるだろうが、たまにはこんな散歩も悪くない。

2011年11月7日

今日は6:20過ぎに起床した。軽い頭痛を感じたので、風邪を引いたのだろうかと心配になった。昨晩は空気が冷たかったからだ。
 起き上がって、日課の運動を始めてみると、頭痛は瞬く間に消えた。むしろ、体が軽い。ただの運動イヤイヤ病だったのだろう。日課の運動も辛いのはスクワットと腕立伏せの最初の1セット目だけで、2セット目、3セット目はそれなりに楽にこなせるようになっている。問題になるのは、ベッドから出て、取り掛かるときだけだ。この瞬間がスムーズに乗り越えられれば、運動も苦痛にならなくなるのだが、なかなかそうはいかない。
 運動を終えると、すでに7:15になっていた。いつもより、時間が遅い。どこかでぼんやりとでもしてたのだろうか。素早く着替えて、マクドナルドに向かった。すでに遅い時間だったのと、月曜日のためだろう。ちょうど客入りの谷間の時間に当たったらしく、私が店に入ったときは、レジに一人客がいるきりで、その客も注文品を受け取るとすぐに外へ出て行ってしまった。
 注文を待つ間、がらんとした店内を見回すと、今日は昨日いた白いジャージのホームレスの人がいない。昨日追い出されたばかりだから、今日は早々に退散したのだろう。席の心配をする必要はなさそうだ。もっとも、今朝は、空全体を薄い雲が覆っていて、隙間から太陽の光が時折漏れ出てくる程度から窓際に座っても快適だろう。
 昨日はソーセージマフィンだったから、今日はチキンマフィンにした。窓際のテーブルの上に置きながら外をみると日本人のBさんがやってくるのが目に入った。Bさんもよくマクドナルドで朝食をとるから、たまにここで一緒になる。お互いにマフィンをパクつきながら近況報告をしたりしている。二人とも仕事をしていないから、仕事の愚痴もなく、至って穏やかな会話だ。その代わり話のネタもすぐ尽きる。無職生活とはそんなものだ。
 無職生活で何が辛いかというと、暇なこと。仕事で追い詰められて、時間がなくて辛いのとはまた違った辛さである。暇なら小説でも読めばいいじゃないか、せっかくのチャンスだろう。それは正しいのだけれども、不思議なことにそんな気分になれない。小説の世界に没頭して、現実世界から目をそむけてしまうのが恐ろしいのかもしれない。現在はPCゲームをやったりすることも戒めているから、その延長ともいえる。
 中国語の勉強は、今日から第3課に入った。昨日は、午後にも少し時間をとって、第2課を復習して、なんとかここまで来た。3日で1課のペースで進めるのを基本としているから、これでようやく先週の遅れ分を取り返したことになる。先月は、中国語にじっくり触れるのも久しぶりだったから、懐かしさも手伝って、比較的楽に勉強できた。だか、慣れてくると勉強が苦行になってくる。独学だから、競争する相手もいないし、進歩しているかどうかもよくわからないし、実践する場所もない。だから、勉強へのモチベーションが下がるばかりだ。しかし、とにかくこの高級編3冊だけは、一通り読み終える決意だ。
 お昼は、天ぷらを作ってもらった。中国メーカーの天ぷら粉を使ってもらったのだけれども、上手に出来ていた。ナス、シイタケ、魚の天ぷらだ。ナスの天ぷらは昔からの大好物で、食べだすと止まらない。サツマイモの天ぷらも好きだけれども、ローカボダイエット中だから食べられないのが残念だ。夕食は、魚とコンニャク炒めと野菜炒め。今晩の魚は、肉質も張りがあったし、適度に焦げた皮も美味しかった。名前は知らないけれど、この魚は外れが少ない気がする。
今日は午後遅くに雨が降った。大雨ではなく、さざっと軽く降った。それでも夜は冷え込むことなく、ほどよい涼しさになった。今晩はよく眠れそうだ。 

2011年11月8日

今日は朝から雨が降っていた。昨夕同様に、ぽつぽつと細く長く続くような雨だ。
 雨は心地よい眠りをもたらすから、自然と起きるのが遅くなるものである。いつもは4時頃にクゥンクゥンと騒ぎ立てるマイクも、今日は5時までぐっすりと眠っていてくれた。私も通常だと、マイクにビーフジャッキーと一本食べさせた後、再び寝付く。ところが、今日に限っては眠りが深かったためか、逆に目がさえて、そのまま起床することになった。
 日課の運動を終えると、すでに6:00になっていた。雨も降っているから、もう少し明るくなるまでマクドナルドにいくのを遅らせる。その間に中国語のテキストを開いた。第3課の単語リストを一通り読み上げる。6ページにも渡る量だから、読むだけでも20分近くかかり、終わった頃には眠くなってきた。
 7時近くになったので、傘を差して外へ出た。通りを歩いていくと、昨日まではなかった鉄柱が10数本ほど路上に出現していた。腰よりちょっと低いぐらいの高さの、ブラックとイエローが交互に巻かれたように塗装されている鉄柱だ。レストランの駐車場と道路を間に人が通れるぐらいの幅を確保しながら、左右に並んでいる。その先はT字路になっていて横断歩道があるから、横断を待つ人の安全を確保するために作られたに違いない。
 私が住んでいる深セン市の郊外は、出稼ぎ族が集まる街で人の出入りが激しいことから、もともと治安があまりよくない。9年前に来たばかりの頃は、ひったくり事件が絶えなかった。勤めていた会社でも、女性社員でひったくりにあったことがない子はいないといわれていたほどだった。おしゃれ好きで、ハンドバックを持ち歩くのが好きな女の子は、年に3度もひったくりに遭っていた。愚連隊のような男たちもたくさんいて、商店を脅してはお金を巻き上げて、払いを渋る店に対しては、店内で暴れて商品を壊したり、ペンキを振りまいて嫌がらせをしたりしていた。愚連隊同士の抗争も多く、道端でボコボコにされた自動車を頻繁にみかけた。あれは、四川省のグループがやったんだ、あれは潮洲のグループがやったんだという話をよく聞いた。
 4,5年前から徐々に治安が強化され始め、白タク相手にショバ代を巻き上げるような愚連隊のチンピラはいなくなった。こうした黒社会と呼ばれる男たちは、日本と同じように経済マフィア化し始め、日に日に大規模化する夜総会などの夜の商売に特化するようになり街の雑踏からは姿を消した。交通規制も強化され、住宅街へ入り込む道路の手前には横断機とともに治安隊が配置され、ひったくり犯が容易に出入りができないようにされた。
 3年ほど前には道路の中央に低い柵が設置されるようになり、この辺りでは当たり前のように行われていた自動車やバイクの逆走が制限され始めた。当初は夜間に柵に激突する自動車等が多くて、そのうち撤去されるのではないかと考えていたけれども、ずっと堅持されて現在では交通の安全に大きく寄与している。バイクの乗車も、厳しく規制されはじめたため、ひったくりもほとんどいなくなった。
 10年間の変化は大きく、目に見えるような暴力的な犯罪は大きく減ったと言える。現在では、犯罪の抑止から普通の交通安全に目が向けられるようになってきた。路上でみかけた鉄柱がその象徴だろう。普通の交通安全が重視され始めたのは、出稼ぎ族の定住化、一人で街を歩けるほどに彼らの子供が成長してきたことと関係が深いと思われる。犯罪そのものは、闇に潜っただけでなくなったわけではないけれども、街が近代化に向かっていることは確かである。今後はどんな変化が現れるのか非常に楽しみだ。日本のような、地域住民単位での様々な活動が始まる可能性もあるだろう。
 帰宅後は10:00頃から、再び中国語の学習を始めた。第4課を軽くヒアリングし、単語リストを一通り読み上げる。それから、第1課の単語リストを復習した。そこでバテてしまって、第2課の単語リストはやらず、第4課のヒアリングと単語リストを軽く流すだけにした。(第2課の単語リストの復習は午後やった)。
 お昼は、久しぶりに牛丼だった。肉はローカルデパートの肉では無理だから、先日ジャスコで買ったものを使ってもらった。お昼直前になって、Zが「作り方忘れちゃったから、ネットでレシピを調べて見せて」というので、慌ててネットで探して画面をみせた。レシピを見ただけで大丈夫なのかと不安になる。待つこと30分弱・・・完成。さあ、お味はどうか?・・・うん、美味しい。ミリンが残ってて良かった。牛丼は、ご飯もあるし、ミリンもあるしでローカボダイエットには向かない食べ物だけど、たまにはいいだろう。運動量もだいぶ増やしているし。ああ、なんだかカレーも食べたくなってきた。生活が単調になっている分、食で多様性を求め始めているのかも。夕食はハンバーグの予定だ。ハンバーグはご飯なしでも食べられるから、ローカボダイエット向き、かつ大好物というわけで、非常に嬉しい。 

2011年11月9日

昨晩から今朝までずっと雨が降り続いている。
 昨晩はなかなか寝付かれず、さらに夜中に何度も目が覚めて弱った。蜜蜂に追いかけられる夢を見て、はっと目を覚ましたら、蚊が頭の付近をぶーんと音を立てて飛び回っているということもあった。寒くなってきたから、そろそろ蚊もいなくなっただろうと考えたのは甘かったようだ。
 そんなこともあって、今日は目が覚めたのは7:10ぐらいだった。昨晩床についたのは、9:30と早めだったから、落ち着いて眠れなかった割には疲れは残っていなかった。すぐに運動を始める。ここ数日、スクワットと腕立伏せが非常に楽にやれるようになってきた。そろそろ数を増やしてもいい頃のように思える。下手に増やすと、やるのが嫌になるからタイミングとやり方が重要だ。これまでは、スクワットと腕立伏せを3セット連続、それから腹筋、背筋、側筋を4セット連続の順序でやってきたけれども、今度スクワットと腕立伏せを増やすと、各々4セットずつになるから、連続でやるのはやめて、2セットずつ交互にやろうかと思う。そうすれば、やるのが嫌だなと思ったときでも、とりあず2セットだけやろうと自分を説得できるからだ。子供だましな方法でありながら、こういうのが私にはよく効く。
 運動を終えて朝食を食べにマクドナルドに向かうとすでに8:00を過ぎていた。こんなに遅い時間に行くのは、ここしばらくでは初めてのことだ。店内は、いつもと違って子供たちや若者はおらず、出勤前の中間管理職層と見られる人たちで半分ぐらいの席が埋まっていた。顧客訪問前の営業職と思われるスタッフ3人組が私のすぐ横に座り、一番年嵩の上長らしき人が綺麗な100RMB札を1枚テーブルに投げ出して、これで○○買ってきて、お前たちも○○×▲と若いスタッフに注文を指示をしていた。流暢な中国語だったから、日本人ではなさそうだけれども、会社そのものは日系のような雰囲気があった。食事を終えて、店内を見回すと全ての席が客で埋まっていた。朝だというのに大盛況である。今日は普通の水曜日で、記念日でも何でもないから、いつもこの時間はこんな調子で込み合っているのだろう。
 お昼は昨日作っておいたハンバーグを焼く。今日はZが外出だから、自分で焼いた。表を弱火で10分、裏を弱火で10分、油を敷いたフライパンで焼くだけだから、簡単だ。野菜はオイスターソースで炒める。30分ほどで料理完成。お皿に盛って、寝室兼PC部屋に移動する。マイクがすかさずついてくるから、ハンバーグをひとかけら箸でつまんで、リビングルームのあるマイク用の皿に落としてやる。マイクがパクついている隙に寝室に入ってドアを閉める。ネットサーフィンをしながら食事開始だ。手のひらの半分ぐらいのサイズのハンバーグを4個だから、食べがいたっぷりだ。野菜も美味しい。最近はどの野菜もすごく美味しい。季節と関係があるのかもしれない。
 夕方、Zから電話が入った。地下鉄に傘を忘れてきてしまったから、バス停留所まで迎えにきて欲しいという。迎えに行って、途中にある大衆食堂で火鍋を食べることになった。鶏鍋で68RMB(鶏一匹とレタス一皿付き)。二人分だから、そこそこ安い。Zの注文でもやし(5RMB)を注文して、合計73RMBだった。味も悪くないし、鶏肉もたくさん入っていたからお腹いっぱいになった。本格的な火鍋には及ばないけれども、今日は一日雨降りで気温がぐっと下がったことでもあるから、体が温めるという意味で火鍋はぴったりだった。

2011年11月10日

だいぶ空気が冷え込んできた。寝姿も、さすがに短パンだけというわけにいかず、パジャマのようなものを身に着けるようになった。
 今日は早朝4:10に起床。昨日は9:30頃に床に就いたから、早く目が覚めた。今日からスクワットと腕立伏せを1セット増やした。これで、スクワットが50回、腕立伏せ30回、腹筋50回、背筋50回、側筋50回が全て4セットとなる。スクワットは合計で200回を達成
した。数ヶ月前にも達成間近まで来たのだけれでも、耐えられず後退を余儀なくされた。それがようやく達成できたのだから嬉しいことこの上ない。
 もっとも今日1日達成しただけでは意味がない。年内のうちは気を緩めず続けて筋肉を育てなければならない。ここ一週間ぐらいは身体に反発が起きて疲労度が上がることが予想されるから、覚悟が必要だ。先日、腹筋運動等を増量したときには、外出が多かったこともあって
疲労の影響が大きく辛かった。今回は特に外出予定がないのと、運動の順序を連続ではなく2セットずつに分けたから、疲労度が軽減されると期待したい。
 運動が終わると、中国語の勉強だ。コーヒーを飲みながら、第4課の単語の説明を読んだ。すぐに眠くなってくる。1ページ読んでは目覚ましに顔を洗いに行く始末だ。次に、課末にある副読文を読み、それから単語リストの復習をした。中国語が楽なのは、単語が全て漢字の組み合わせだから、新しい単語と言っても、その一部分は以前に学んだ単語と同じ漢字を使っているということだ。だから、単語を覚え易いし、関連する単語も自然と想起されるから、復習
にもなって効率が良い。
 恐らく、ヨーロッパ人が英語を学ぶときも同じように感じられるのだろうけれども、英語に関して日本人がそのレベルに達するのは簡単ではない。逆に欧米人が中国語を学ぶときはどうなのだろう。同じ漢字が幾度も出てくるから楽だと感じられるのだろうか。或いは、わけのわからない象形文字みたいのが何度出てきても楽なわけがないだろうと思うのだろうか。興味深いところだ。
 
 一昨日のYahooトピックの記事に、中国の2歳児ひき逃げ事件の問題が掲載されていた。この事件は先月起こったもので、豪雨の中ひき逃げされた2歳児を誰も助けず、再度トラックによりひかれたというものだ。2度のひき逃げの間、18人の通行人が通りががったが、誰も助けず、警察も呼ばなかった。たまたま近くに監視カメラがあり、その一部始終を録画したものがインターネットに流れたため、素通りした通行人は「18人の冷血動物」などと呼ばれ、非難された。
 18人もの人間が通りがかりながら、なぜ一人も助けようとしなかったのか。それは、2006年11月に南京で起きた、人助けのつもりで老人を助け病院まで一緒に行った男性が、老人から「この男性に突き倒された」と訴えられ、賠償させられた事件に起因するとされる。この事件に限らず、中国では人の善意を利用して、お金儲けをしようとする犯罪が後を絶たない。今年の、中国に住む日本人が巻き込まれた犯罪の中にも、同様な人助けの心を利用した詐欺事件があったと思うから、これは相当に一般化した詐欺手法であると考えられる。
 この事件は社会問題化したため、その後、「貴方だったら助けたか?」という内容のアンケートがとられた。それに対して「助けた」と答えた多くは若者で、年配者は慎重な意見が少なくなかったらしい。これは、中国青年たちの純粋で正義感に溢れた精神を表しているが、同時に社会経験豊富な年配者が捉えている現実が如何なるものであるかも浮き彫りにしている。つまり、中国社会をよく知る人々は、人助けが徳なるよりもむしろ、損害をもたらすことを事実として冷静に受け止めているのだ。
 さて、他人の好意を踏みにじったり、善意の人を騙したりの犯罪は、古代から現代まで幅広く存在する。犯罪でなくとも、悪徳、冷酷な人物というのはどこにでもいるものだ。では、世の中のどこが変わってきていて、なぜこの事件が特にクローズアップされているのだろう。それは、どこかの特別な人間ではなく、ごく身近な一般的な庶民が、この冷徹な行為を計算高く行った事実だと私は思う。
 このような現象は、中国だけではなく、日本にもある。私が20才になったばかりの頃、世の中に「消火器詐欺」なるものがあることを知った。「消防局から来ました」と一般の住宅やアパートを訪問して、消防局を装って消火器を売りつけるというものだ。当時、この話を聞いて、言葉がもたらす錯覚を利用したうまい詐欺だなと感心したり、警戒心を高めたりした。消火器が一般家庭に常備されるようになったのはもっとずっと前からだから、この犯罪も以前からあったのだろうと思う。そうは言っても、このような犯罪はやはり、どこかの特別に悪い人がやるものだと思っていた。一人暮らしをしていると、悪徳な新聞勧誘員が来て、暴力をちらつかせなが新聞の購入を求めてくることもあった。しかし、これらの人たちもまた普通の暮らしでは接することのない特別な人たちであった。
 そのような、身近でない犯罪が身近になってきたのは、オレオレ詐欺が日本で広範囲に渡って行われるようになってきた2003年の頃だったように思う。当時は私はすでに中国に来て何年も経っていて、日本に帰ることもほとんどなかったから、日本も恐ろしい時代を迎え始めたと驚いた。もっとも、その頃は、それでもある種の特殊な集団がやっているんだろうというイメージが強かった。しかし、そのうちに、そうした詐欺は分業化が進んでいて口座を提供したり、お金をおろしにいったりする係りの者は、ごく一般の人から募集され、応募するほうもアルバイト感覚で雇用され実行するのだという話を聞いて一層驚いた。(日本より少し遅れてだと記憶しているが、中国でもオレオレ詐欺が大規模に行われるようになり、その後日本の警視庁が振り込め詐欺と改称した類似の犯罪は、中国でもほぼ同時期に行われるようになっている)。
 振り込め詐欺だけではなく、おやじ狩りから始まるリーマン狩り、オタク狩り、ホームレス狩り、さらには痴漢冤罪を利用した示談金目当ての脅迫事件等の犯罪も犯罪が一般庶民によって行われるものになったことを示している。一般庶民のモラルの劣化が進んでいるのだ。つまり、現代では、中国で起きたこの2歳児ひき逃げ、及びその素通り事件に限らず、一般庶民はお互いのモラルを信じられず、期待もできくなってきている。各々の庶民はモラルを守ることよりも、モラルの裏側に潜む犯罪やそれに類似した行為を冷徹に計算し、行動することを優先せざるえなくなっているのだ。
 では、なぜこのような社会になってしまったのだろう。携帯電話の普及、インターネットの普及、貧富の差の拡大。様々な原因が考えられる。或いはもっと別の原因があるのかもしれない。いつか別の機会に考えてみたい。

 お昼はマクドナルド。私はビッグバーガーのセットとチーズバーガー、Zは照り焼きチキンバーがのセットだ。セットの飲み物は中国でもゼロを選べるから、私はいつもゼロだ。Zはゼロが嫌いなので、オレンジジュース。問題はポテトだ。Zはポテトが好きだから問題ない。私だって嫌いではないのだけれども、なにしろローカボダイエット中の身である。ハンバーガーのパンはやむえないとしても、ポテトはちょっと・・・。でも、仕方なく食べてる。もったいないし、美味しいし。日本のマクドナルドみたいに、サイドサラダに変更できるといいんだけれど。バーガーキングの高価格のセットだと、サラダを選べて、そのサラダがサクッ、パリッ、でヘルシーかつ美味しい。まあ、でも無職の身には高すぎるセットだね。近くにあったら、食べたい気持ちと、節約しなければという気持ちが葛藤して、ストレスたまるかも。葛藤の結果は予想がつく。食べるね、間違いなく。週一で食べるだろう。
 夕食は、卵とトマトの炒めたのと、大根とソーセージを炒めたのと、鶏肉の唐辛子炒め。大根の炒めたのはあまり好きではないから、ソーセージだけ食べた。トマトと卵を炒めたのは、Zの好物でもあるのから、定番メニューの一つだ。トマトはZが特に好きな野菜の一つで、スーパーや市場で選ぶときには、丹念に一個一個眺め回して選び抜いたのを買う。鶏肉の唐辛子炒めは南方の定番料理の一つだ。レストランで食べると味の素がたっぷり入った濃厚な辛さになるが、Zが作ると軽快なあっさりした辛さになる。どちらも美味しいが、Zが作ったもののほうが健康には良いだろう。

2011年11月11日

今日も、気温が一層低くなってきた。
 早朝4:00に目が覚めた。このまま起きると、寝不足のまま一日を過ごすことになりそうだから、マイクにビーフジャッキーをやって、もう一度眠ることにした。運動量を増やしたから、昨日は身体が重かった。ゆっくり眠って体力を蓄えなければならない。
 もう一度目を覚ますと、7:10になっていた。さっそく運動開始だ。スクワットと腕立伏せを増やしただけなのに、痛むのは背中の辺りだ。疲れがたまりやすい場所なのかもしれない。とにかく毎日続けて、身体が慣れてくるのを待つだけだ。そう思っていたら、最後に一つだけ良いことがあった。運動の最後にやる冷水摩擦の、その一番最後に、タオルの両端をもって足の裏を擦る作業がある。片足で立ってやらなければならないから、これまでは半ばフラフラしてバランスをとりながらやっていた。それが今朝は、非常に安定した状態でできたのだ。足腰がだいぶしっかりしてきたと考えてよいだろう。この調子で、頑張るとしよう。
 マクドナルドに到着したのは8:10頃になった。一昨日ほどには客がおらず、食事が終わる8:30頃になっても3分の2程度しか席は埋まっていなかった。客層も比較的年齢が低かったように思うから、一週間でも曜日によって客の種類も大きく変わるのかもしれない。また、注文時にセットの内容がわからずにスタッフとの長いやりとりをしている客が少なくない。朝メニューに戸惑っているようだ。一昨日来た時も、同様な客がいた。こういう客は、たまたま興味本位でやってきたのか、これからもずっとここで朝食を食べるようになるのか、興味深いところだ。
 
 今日はマイクの爪切りをやった。以前に犬用爪切りを買って、いつもはZが定期的に爪を切ってくれていたのだけれども、爪切りがどこかへ姿を消してしまったため、しばらくの間爪が伸び放題になってしまっていた。一緒に遊んでいる時はさほど気にならないのだけれども、早朝に「クゥーン、クゥーン」と私を起こしにくるときに、マイク本人は軽く手(前足)で私に触れているつもりでも、爪が当たるとそれなりに痛く、びっくりさせられるのだ。幾度かそういうことがあったため、淘宝で犬用の爪切りを購入することにし、昨日それが届いた。
 以前に使っていた犬用爪切りは、爪を穴に通して、そこにギロチンのように刃先を押し出すという方式だった。普通のハサミのような形のものよりも安定性があって使い易いかなと思ったのだが、そうでもなく、慣れていない分どの辺りに刃が当たるかがわかりにくくてかえって使いづらかった。そこで今回は普通のハサミ型のものにした。これにはハサミの部分の外側に安全バーなるものがついていて、「深爪をしにくくなっている」と広告にあったのだが、説明を読んでもこのバーの使い方がわからなかった。いろいろ考えてみた挙句、「安全バーを爪の内側に向けておいて切れば、それが押さえになって爪を深くきることはない」ということだと解釈した。
 「ほら、切るわよ。はやくマイクを押さえて!」
 爪を切るのはZの係りである。こういった血をみるような可能性があることは、私には無理だからだ。
 「わかった、マイク、静かにしろ」
 前足とお腹を押さえる。それだけでは、バタバタがくから、ボス犬(?)の声で「ワン!」と怒鳴りつけてやると、シュンとして静かになった。
 「ほら、爪のここに血管がみえるでしょ」
 「うん、確かに・・・。なあ、それ安全バーが逆じゃないのか」
 「なによ、うるさいわね」
 「いや、深爪しにくいように、安全バーを内側にして切らなきゃいけないんだよ」
 「チョキ、チョキ」
 「ほら、安全バーを内側にしないと」
 「もう、うるさいわね。そんなに言うなら、自分でやりなさいよ」
 「いや、それは無理だから」
 「じゃあ、文句言わないで」
 「うーん、でも、安全バーが」
 「チョッキ、チョキ」
 「ハサミを逆にして」
 「・・・・何言ってんのよ。これでいいのよ。このバーを爪の先に当てて切れば、それ以上深く切れないってことなのよ」
 「・・・・・・・おおっ~、そうか。そう言えばそうだな。確かにそれだったら、切れすぎない。安全バーは内側ではなく、外側において使うのか~」
 「まったく~(何にもわからなないんだから)」
 「うーん(よくわかったな~そんなことが)」
 「ほら、押さえて、押さえて」
 「マイク、静かにしろ。ワン!」
 そんな感じで、5分ほどで爪切りは終わった。しかし、説明も読まずに安全バーの使い方がわかるとは・・・Zは凄い。私が馬鹿なだけなのか?
 安全バーがあれば、私でもできるような気がするから、次回、私も一人でやってみるとしよう。

2011年11月12日

本日は6:10に起床した。
 まだ増量した運動量に慣れず重い体を、引きずるように起こした。昨晩は夢の中でスクワットしていた・・・。早く身体が慣れてきてくれないと困る。日課の運動は筋力運動、柔軟体操、冷水摩擦と、間にシャワーを含めて今では1時間近くかかる。1日の活動時間が16時間だとして、そのうち毎日1時間を使っているわけだ。実際にやれるかどうかを別として、現在の健康を維持し続けるつもりなら、生きている限りずっと続けなければならない。気が遠くなりそうだ。
 昔読んだ、SF小説のペリーローダン・シリーズの中に、身に付けているといつまで若々しい身体でいられるという細胞活性化装置というのあった。あの装置があれば、こんな苦労をせずに済むのに・・・。あの細胞活性化装置というのは、それを身に付けた時点の筋力をずっと保っていてくれるという設定なのだろうか。それだったら、若い一番元気な時期に、一生懸命運動をやってベストの時期に細胞活性化装置を身につけて、継続するというのが良いのだろう。
 仮に世界中に細胞活性化装置が普及したとして、それでも遠の命を与えるわけにいかないとしよう。死ぬ寸前まで若々しい体でいられるけれども、寿命は100年を限られるとする。死ぬ寸算までは元気でいられるとするわけだ。このような場合、現実のように徐々に老いていって、病気になったりして死んでいくのと、元気なままタイムウォッチで測られるようにしてある日ぽっくりと死んでいくのと、人はどちらが幸せだろうか。
 老いていって、健康を失っていったり、気力を失っていったりすれば、自然と納得して死を迎えられる。そんな風にも考えられる。しかし、豊かな生活をして、趣味も豊富で、可愛い孫に囲まれて幸せな生活をしていれば、元気なままずっと長く生きていられたらと願うのも人間だろう。孫を抱き上げたり、一緒に遊んでやるのにだって健康なほうが一層楽しめるだろうからだ。そうなると、やはり生きられる限りは、最後まで元気でいたいという話なる。
 一方で、限られた100年を100%健康で生きていくというのは、別の苦しみもある。年を重ねた後も活力に満ちているということは、未来に向かって描く夢や情熱の強さも若いときと同じということだ。ところが、年齢だけは100年と限られているから、頑張ってもある時突然尻切れトンボのように人生が終わってしまうことになる。こうなると若い頃はともかく、だんだんとタイムリミットが迫ってくると、死ぬに死に切れない気持ちになることだろう。
 このように考えていくと、どちらもどちらだから、やはり細胞活性化装置などないほうが良いのかもしれない。しかし、ここでは寿命を100年と限ったからそういう結論になったのだが、本当の-小説の中の-細胞活性化装置には100年という限界はない。大怪我をしない限り、それこそ永遠に生きることができるのだ。そうなったら、先ほどまで話したどっちもどっちの結論とはならないかもしれない。でも、これ以上考えると、頭がおかしくなりそうだから、今日はこれぐらいにしておくとしよう。
 7:15頃にマクドナルドに到着。今日も、朝日が店内を隅々まで埋めていて、奥の一箇所だけが陰になっていたから、そこに座った。もう照りつけるような暑さはすっかりなくなっていて、座るだけならどこでも同じだ。ただ一人でいると、どうしても窓の外に目をやることになるから、朝日が直接注ぎ込むような眩しくてかなわない。日本だったら、朝日を遮るなんらかの措置が必ずされているだろうと思う。中国人は気にならないのかと不思議だ。現在では24時間営業でもあることから、外から丸見えになる状態にしておいて犯罪防止効果を狙っているとも考えられる。
 午前中はいつものように各種日課をこなした。それからデパートのスーパーで買い物だ。今日はたまたまモツが売っていたから、今晩のためにモツを買ってもらった。モツを家で料理するのはZも初めてのようだから、楽しみのような不安のような・・・。安かったからカリフラワーも買った。以前は毎朝のように食べていたのだけれども、値段が高いのと朝はマクドナルドで食べるようになったことから、最近がずっとご無沙汰だった。季節ものなのか、綺麗で大きな玉のカリフラワーが多かった。普段より2割ぐらい安かったように思う。
 お昼は鶏のから揚げである。Zのから揚げはすでに熟練の域に入っていて、日本で食べるのと全く変わらない。中国で食べる普通の日本料理屋のから揚げよりはずっと美味しい。
 夜はもつ料理とレバ炒め。レバは美味しかったけれども、モツは初めてということもあってベストの味は出せなかったようだ。次は炒めるのではなくて、鍋にしてみてはどうだろう。中国に来たばかりの頃は、レバとかコンニャクが日本と違うなとしばしば感じたものだが、もう日本のレバとコンニャクの味はすっかり忘れてしまった。私が中国の生活を苦に感じなくなっているのは、日本の記憶を失っていくこととも関係があるのだろうか。

2011年11月13日

本日は6:20に起床した。昨日に輪をかけて体が重い。そろそろ疲労のピークを迎えつつあるようだ。これを乗り越えれば、ぐっと、楽になるはずだ。そう信じて運動を始めた。テレビでも見ながらやれば、もっと楽に運動できるのではないだろうか。何とか楽をする方法はないかと考えたが、思いつかないまま運動を終えた。
 7:00過ぎにマクドナルドに到着。今日もダブルチキンマフィンだ。ここしばらく、注文するといつもオプションのハッシュポテトを勧められる。ポテト類はローカボダイエットの大敵だから、断るしかない。かれこれ3,4日連続で勧められている。「いりません」と断る度にがっかりした顔をされるから、こちらもいい気分はしない。もう一ヶ月以上も通っているのだから、私がハッシュポテトを食べないのは理解しているはずだ。繰り返し言えば、根負けするはずだと考えているようにも見えてくる。店舗のセールス方針に沿って客単価を上げようと頑張ってるのかもしれないが、そろそろ勘弁して欲しい。
  先日見始めた中国ドラマ「太極」も第13話まで来た。調べてみると、このドラマが初めて放映されたのは2008年だったようだ。主人公の巫馬を演じてるのは、超文卓という俳優だ。有名な俳優なので、様々なドラマや映画に出演している。私の記憶に残っているのは、「霍元甲」と「精武英雄陳真」だ。二つとも反日映画だから、ストーリーとしてはお粗末な内容だったが、主人公を演じている超文卓の武術パフォーマンスは素晴らしかった。
 このドラマ「太極」を見始めたばかりの頃、超文卓が演ずる太極拳の形が、太極拳でイメージされる円の動きとあまりに異なっていたから、やや失望させられた。超文卓はきっと本来は別の武術の出身であるのに、このドラマのために急遽練習して覚えたのに違いないと考えたのだ。実際、「霍元甲」と「精武英雄陳真」で演じられていた武術は、非常に攻撃的なものだった記憶があった。
 しかし、これは私の認識が誤っていて、主人公が太極拳を学んでいる途上だから、本来の太極拳の動きができずにいるという設定だったから最初は直線的な動きが中心だったのだ。話が進むうちに、主人公の動きが徐々に直線的なものから円を示すような形に変化していき、ようやくそれがわかった。もう一つ私が間違っていたのは、超文卓がもともとは他の武術出身だと考えたことだ。インターネットで調べてみると、超文卓は父親が武術コーチ、母親が陸上選手で、子供の頃から武術を学んでいる武術エリートであることは違いないが、もっとも得意な武術の一つは太極拳とのことだった。
 これで超文卓の太極拳が本物であることもわかったことだし、ドラマを見続けるのがますます楽しみになった。時代背景からすると、最終的には日本人との衝突が予想されるけれども、太極拳ドラマであることから、「霍元甲」とはまた違った展開となる可能性もある。さて、どうなることか。
 お昼は、日本から来たDさん、Jさんとデパートのフードコートで食事をした。このフードコートは3Fのレストランフロアの半分を占めていて、プリペイドカード方式の支払いとなっている。ショーロンポー、春巻き等の、中国各地の軽食や火鍋、タレ鍋等が食べられる。先月、先々月辺りに来たときはこの先どうなるのかなと不安にさせられる客入りだったけれども、今日来た限りでは、少なくともフードコートに限っては大繁盛だった。(フロアの残り半分を占める一般のレストランにはすでに閉店となってしまっているところや閑古鳥が鳴いている店もあった)。
 実のところ、フードコートの料理は決して安いとは言えない。写真にあるショーロンポーも8個18RMBだし、ラーメンも15-18RMBだ。大衆食堂であれば、深センであっても3分の1から2分の1ぐらいで食べられる料理だ。客層はどんな人たちなのだろうと見回してみたところ、20歳代のカップルが半分ぐらい、あとは3人組みぐらいの友人グループが多かったように思う。職業がどんな人たちなのかまではわからなかった。30歳前後の人たちは一般企業の中間管理職層だと想像できる。若いカップルのほうは、年齢からすると事務スタッフ系の職員かこの街の主力である一般労働者と考えるのが自然だろう。
 このように比較的高めのフードコートにも大勢の人が集まっているという現実をどのようにとらえるべきだろう。ここしばらくネットを騒がしている中国バブル崩壊のニュースを押さえ込むほどの事実とはいえないだろう。しかし、デパート内のスーパーの賑わいや人々の笑顔を見る限りは、このバブル崩壊が現時点では致命的なほどの威力はもっていないというのも事実だ。現在起こっているのが中国経済全体のバブル崩壊というよりも、不動産バブル限定の崩壊だという意見もネットにはあって、そのほうが適切であるようにも思えるが、真実はどこにあるのだろう。

2011年11月14日

本日は6:40に起床した。
 疲労はだいぶ抜けてきた一方で、運動に対する情熱は低下気味だ。1日ぐらい休んだって、どうってことはないだろう。そんな考えが頭をもたげてくる。この気持ちに引きづられたら、ズルズルと際限がなくなる。とにかくやるしかないんだ。自分を叱咤激励して、とりかかった。始めてしまえば身体は勝手に動いていく。今日も、良いスタートが切れそうだ。
 マクドナルドに着いたのは7:50。月曜日ということもあって、客が少ない。注文したホットドックとコーヒーが載ったトレーをもって、日陰の席に座った。まず、コーヒーのカップの蓋を開けて、ミルクを注ぐ。蓋を閉めなおしてストローを差し込んで、こちらは準備完了だ。それから、ホットドッグの包みを開けて、持ってきた粗引きマスタードをかけた。ソーセージが大きいからパンにきっちりと入っておらず、食べにくい。手でパンをひねってソーセージを挟み込もうとしたら、パンが縦に真っ二つに千切れてしまった。
 (パンが小さすぎるんだ!)
 小さな怒りを抱えて、事態の収拾にかかる。パンが割れてしまっているから、もう片手だけではソーセージを挟み込むことができない。ソーセージが挟んだパンからダランと垂れ下がってしまうのだ。一旦トレーの上にホットドッグを置いて包みで巻きなおし、形を整えて食べることにした。これでよし。半分ほどまで安定した状態で食べ進めることができた。しかし、半ばを過ぎた辺りで、包みの形が崩れ始め、食べるのに邪魔になる。包みのあちこちにケチャップやら、マスタードがついているからなおさらだ。諦めて、包みからホットドッグを取り出して、一気にガブッと食いついて終わりにした。時計を見ると8:00を過ぎている。会社にいれば仕事を始めている時間だ。なんとなく落ち着かない気分になり、コーヒーを少しすすって、片手にカップを持ったまま店を出た。道を歩いて涼しい風を肌に受けながら暖かいコーヒーをちびちびと飲むのも意外と楽しいものだ。
 お昼ご飯は、Zの要望により、昨日食べたデパートのフードコードでの食事となった。フードコートは昨日と打って変わって大部分の席が空いていた。それでも、入れ替わり立ち代り客が出入りしているから、それなりに活気があったが、フロアの残り半分を占めるレストラン数店のほうは開店休業の状態で、そちらの方へ目を向けるのが躊躇われるほどだった。
 今日はZは牛肉粉と唐辛子スープの野菜煮込み、私がカレーヌードルと春巻きセット。春巻きは昔からの私の大好物だ。中国に来たら好きなだけ食べられると思っていたら、さにあらず。普通のレストランでは滅多にメニューに載っていない。まれに見つけても、やたら油ぎとぎとだったり、包まれているのが日本の春巻きとは全く違うものだったりすることが多い。春巻き以外にでは、シュウマイなんかもそうで、春巻きよりは見つかりやすいが、日本のシューマイとは違ったものであることが多い。幸い、このフードコートの春巻きは日本のものに近く、ありがたい限りだ。一皿6本でボリュームもあるから、大満足。昨日も食べたのだけれども、今日も注文した。この店にはからしが置いていないから、わざわざ和がらし持参できたのである。うーん、美味しい。多分冷凍だろうけれども、十分許容範囲の味だ。Zはこういう油ものが嫌いだから、私が全て平らげた。今後は、春巻き目当てでここへ来ることになりそうだ。

2011年11月15日

本日は6:30に起床した。
 昨晩は夜中に何度も目が覚めて、よく眠れなかった。恐らく寝る前に水分を取りすぎなのだろう。それに最近は夜中にアパートのそばを通る人が多く騒がしい。人が怒鳴りちらす声で目が覚めることもしばしばだ。ここ数年で、24時間営業の店が非常に増えた。マクドナルドやケンタッキーだけでなく、一般のコンビニや小さな軽食を食べさせる店まで夜間営業をするようになっている。夜中に動き回る人が増えるのも当然だろう。
 日本で24時間営業が始まったのはいつ頃からだろう。私が都会へ出た30年近く前には、すでにコンビニが24時間営業を始めていた。インターネットで調べてみると、1975年にコンビニの深夜営業が始まったそうだから、だいたい符合する。なお、スーパーの深夜営業が始まったのは、1994年だそうだ。
 スーパーの深夜営業は便利で、仕事で夜遅くなったときはもちろん、休日の夜中に気分転換したいときなどによく利用させてもらった。コンビニやスーパーの24時間営業が人々の生活や社会のあり方を大きく変えたことは間違いない。範囲を広げて、24時間労働ということになると、工場などでもずっと昔からあったことだろう。だから、コンビニやスーパーの24時間営業だけをことさら取り上げて、人の幸福、不幸を論じるのは適切でないかもしれない。労働者の立場からすれば、コンビニで働く夜間勤務も、工場で働く夜間勤務も本質的な相違はないだろうからだ。普遍性に目を向けるとすれば、ガードマンも夜間働いているし、24時間営業のレストランだってある。
 それではなぜ、コンビニやスーパーの24時間営業が人々の生活や社会のあり方を大きく変えたかと言うと、工場やガードマンの24時間労働は人々の働く時間を夜間にまで広げたに過ぎないが、コンビニやスーパーの24時間営業は人々の活動する時間を夜間にまで広げたことにあると思う。そして、人々が夜間に活動する基礎ができたことで、夜間の世界は一層活発になり、夜間に働く仕事の種類も増え、さらには犯罪さえも昼間と同様になっていった。
 人間の身体が本来、昼間に活動し、夜間は睡眠するように作られているとすると、24時間営業は明らかに不幸の増大に大きな役割を果たしたといえる。一方で、生活の豊かさという面に目を向けると、不幸の増大とばかりも言えない。夜間に活発となるインターネットの世界や時間帯の異なる海外からの情報や夜間ならではの出会い等、暗闇がもたらす楽しみも増大したからだ。
 最近のニュースを見ると、夜間営業は拡大よりも自粛の方向に向かっているのだそうだ。米国などではもっと早くから、そうなっていたらしい。日本の24時間営業は、米国からの外圧により法改正されたことから始まったらしいから、皮肉な出来事ともいえる。いったん広がった24時間営業が逆に縮小傾向にあるということは、人間は適度なバランス感覚を備えているということかもしれない。
 
 よく眠れなかったにも関わらず、身体は意外に軽かった。運動量の増量による疲労は峠を越えたようだ。元気になると、現金なもので、来年はスクワット300回を目指そうかななどと考えたりする。日記を読み返すと、今年の初めは1セット70回で2セット合計で140回とあるから、300回は難度が高すぎるようだ。せいぜい現在の200回を250回にするのが精一杯だろう。つまり1セット増やせればベスト。
 もっとも、さらなる増量をする前に、現状の安定が重要だ。過去の経験からすると、疲労のピークは1ヶ月ぐらい後にもう一度やってきて、それから本当の安定に向かう。筋肉の増量も、現在すでに感じられるが、これは使える筋肉というよりも腫れたような状態で、まだ身になっていない。3ヶ月ぐらい続けて初めて本当に自分のものになると考えられる。欲を欠かずに、現在の数を確実にこなしていくとしよう。働いている時と違って、1日もさぼらず毎日続けているから、効果もこれまでよりは早く上がるはず・・・と期待したい。
お昼はカツ丼だった。家で作ってもらうのは2年振りぐらいではないだろうか。ローカボダイエットのことを考えて、ご飯を少なめに、カツを多めに作ってもらった。久しぶりにも関わらず、味は最高の状態だった。肉も柔らかくて本当に美味しく食べられた。幸せ。やはり、ご飯を食べるようにしたほうが、食事のバラエティが豊富になる。なんとか朝のマクドナルドの習慣を止めて、昼に少し
おお米ご飯を食べてもOKという体制にもっていきたい。仕事をしていたときは、朝のマクドナルドという習慣はなかったのだから、意思次第でなんとかなずはずだ。気分転換はマクドナルドではなく、近所の広場を散歩することで済ませることにして、
朝食は家でとるようにしたい。問題は朝食のコストだ。マクドナルドだと10-13RMBで済むけれども、家で食べると、ソーセージ7RMB、カリフラワー半分で3RMB、卵2個で2RMB、コーヒー2RMBとなる。合計14RMB・・・たいして変わらない。いけるかも?どこかで決断するとしよう、ちょっと自信ないけれど。
 食事を終えると、すぐにマイクの散歩に行った。マイクの散歩はしばらくご無沙汰していた。一週間以上行ってなかったような?いつもの市民広場を2周した。平日のお昼時とあって、全く人影がない。そう思っていたら、日陰になっている辺りには、カップルやら、私と同じ無職者ぽい人やら外回りらしき人やらがぽつりぽつりといた。赤ん坊をつれた夫婦も2,3組ほどいた。
 会社を辞めたことで、仕事のストレスからは一気に開放された。代わりにほぼ家にこもりっきりでいるストレスが発生するようになった。このストレスは旅行に行ったり、ショッピングをしたりすることで容易に発散できるものだ。ところがこの発散のためには、お金がかかる。収入がない身には今度はそれがストレスのもとになるわけで、なかなかうまくいかない。それに対して、マイクとの散歩は、費用が発生しない健康的なストレス発散法である。いわゆるペットの癒し効果だ。可愛いマイクの歩き姿を見るだけで心が安らぐ。ありがたいことだ。  

2011年11月16日

今日は6:30に起床した。
 やや頭痛気味で始まった朝だった。運動しているうちに、徐々に調子が上がって頭痛は消えた。
 今朝からマクドナルド行きは止めた。昨日の午後にソーセージを買っておいたので、それとカリフラワーと目玉焼きで食事だ。Zが作ってくれた。だんだん冷え込んできたから、一旦慣れれば、もうずっと行かなくなるような気もする。あまり、気合を入れてそう決めると、反発心が起きてやっぱり行くかという気になると困るから、とりあえず、土日とソーセージを買い忘れたとき以外は家で朝食をとるようにするとしよう。ところで、何でマクドナルドで朝食をとるのを止めるんだっけ・・・忘れた。ああ、思い出した。お昼にお米ご飯を食べるためだ。ふふっ、これでカツ丼食べ放題だ!
 朝食を美味しく頂いた後、各種日課に取り組む。今日はやけに頭が重い。風邪をひいたときの症状と似ている。せっかく順調な毎日を送っているのに、ここで風邪を引いたのでは調子を崩しかねない。なんとか持ち直したいところだ。今日は思い切って、横になって1日を過ごすか・・・。いや、風邪になるときは何をやっても風邪をひくのだ。薬を飲んで、何とか中国語の学習までやりこなした。
  
数ヶ月に一度ぐらいの割合で、グーグルアースをやる。グーグルアースというのは、現実の写真をもとに作られた画面で構成されているのだけれども、そこに映し出されている光景をみていると、次から次へと昔の出来事が思い出されてきて追憶の夢の中へと誘い込まれる。世の中には、昔のことまで何でも覚えていて、面白おかしく話すことができる人がいて、凄く羨ましく思うときがある。私はそういう記憶能力に恵まれておらず、何でも忘れてしまう。ところが、グーグルアースで、昔住んだことがある場所を見たりすると、それがらフワッと心に浮かんでくることがあって懐かしさで心がいっぱいになる。
 中国に来る直前の数年間、長野県やら、島根県やら、山形県やら、静岡の伊豆やら、あちこちで派遣やアルバイトで働いた。辛いこともあったけれども、楽しかった思い出もたくさんだ。もう一度訪れてみたい場所もたくさんある。もう一度といっても、現状の生活状態からする限り、まず不可能なことだろう。宝くじの一等賞でも当たれば、可能にはなるだろうけれども、思い出の場所を巡るよりも世界一周の旅にでも出てしまいそうだ。それがグーグルアースを使えば、好きなだけ昔に戻れるのだから、非常にありがたい。
 グーグルアースの景色は日本全体をカバーしているものの、詳細となると全てではない。プライバシーの問題やら商業上の問題やらで、細かいところまでは映っていないことも多いのだ。26,7歳の頃、伊豆の熱川にあるホテルで1年近く働いたことがあるのだけれども、この熱川も昨年辺りまでは非常に粗い画面しか映っておらず、働いたホテルがどこにあるのかも、はっきりとわからなかった。それが今年になってから、一気に解像度がアップし、くっきりと形がみえるようになった。
 形が見えるようになってくると不思議なもので、これまで思い出せなかった光景も思い出せるようになってくる。このホテルでは、宿泊客のために布団を敷く仕事を主にしていた。その他にも、宴会席の準備とか、大浴場の掃除とか、各部屋の風呂場の掃除とか、部屋や廊下の蛍光灯の取替えとかいろいろな仕事があった。一般の蛍光灯のW数が長さでだいたい決まっているものだと知ったのは、この旅館で働いていたときだったと思う。このホテルはバブルの頃に大幅な拡張を行ったこともあって、部屋数が多く、毎日どこかしらで蛍光灯が壊れては、交換作業に当たっていた。
 その蛍光灯の交換やら布団敷きの仕事で、ホテルの隅々まで歩き回っていたのだけれども、20年近くも経つとほとんどのことを忘れてしまっている。思い出す土台となるものがどんどん減っていくような感じだ。ところが、グーグルアースでホテルの姿をみた途端に、あそこに曲がり角があって、あの廊下は斜面になっていて、あそこにエレベーターがあってといったことが思い出されてくる。
 場所が思い出されてくれば、人も思い出されてくる。そのホテルは、半ばホテル、半ば旅館といった雰囲気のところだった。仲居さんと呼ばれる、お客さんに料理を運んだり、話相手になったりする20-50歳ぐらいの女性たちがいて、仕事のほとんどを仕切っていた。当時で10数人はいたと思う。男性は料理人が数人と私と同じ布団敷きの仕事をしている者たちが数人ぐらい。ホテルの経営層に近い男性たちは別として、男性の発言力は非常に弱く、女性優位の職場だった。
 男性陣は人数が少ないこともあって、比較的まとまっていたけれども、女性陣は二つに分かれていた。最年長で古株グループをまとめているKさんと比較的若いグループをまとめているDさんがいた。年齢的にKさんはあと数年で引退ということころにいたから、ややDさんのリーダシップが上回っていたけれど、長年働いていたKさんは常連客をもっていたようだし、何よりも経験があったから、常に一定の敬意を払われていた。気が強い女性たちばかりだから、口喧嘩も絶えずあったが、こういう職場の常で皆複雑な過去をもっていて、その分妥協点を心得ているためか、大きな問題に発展することは少なかった。
 布団敷きは正社員が二人、アルバイトが二人というのが基本的な体制だった。正社員のうち30代前半のIさんがリーダで、もう一人の正社員が60歳間近のJさんだった。残りが私と、もう一人。アルバイトのほうは入れ替わりが難度かあったから、全ては覚えていない。記憶に深いのは、ジャニーズ系(?)の20歳前の若者Sくんと全国を放浪するように暮らしている35歳前後のTさん、それから大手電気会社に勤めていたというKさんだ。
 若者Sくんとは最初は仲が良かったのだけれども、ふとしたきっかけで敵対関係に入ってしまった。その上リーダのIさんとSくんがつるんで遊ぶようになってしまったため、Sくんが辞めるまでの間ずいぶんと居心地の悪い思いをさせられた。Tさんは、若い頃に家を飛び出てそれ以来ずっと全国を北へ南へと放浪しながら暮らしている人で、私とは気が合った。ホテルで働くために飛び込んできたときには、ポケットに十数円しかなかったという兵でもあった。「そんな暮らしをしていたら、仕事が見つかる場所がなくて、困ることもあるでしょう」と尋ねたら、「そうだねぇ、熱が出ちゃって、駅のホームで寝たりしてたこともあったよ」と返事が戻ってきて、その生きる逞しさに心動かされた。
 ある休みの日、たまたま路上でこのTさんに出くわした。厨房の掃除等で使う長靴を履いて、仕事でいつも着ている鈍い赤色の上下のジャージ姿だった。「今日は出(勤)ですか?」と聞いたら、「いや、今新宿から帰ってきたところ・・・」と平気な顔をして言う。昨日の仕事明け、急にパチンコがしたくなり、そのまま特急(踊り子号)に乗って、東京まで行ってきたのだそうだ。「でも、その格好じゃ目立ちませんか?」と言っても、「そうだねえ、そういえば、ジロジロ見てる奴もいたな・・・」と全く気にかける様子もなかった。
 言葉遣いも、態度も粗暴だったけれども、気は意外に弱くて、最終的にはIさんとの口喧嘩がもとで辞めてしまった。辞める最後の日、ホテルの屋上で一人タバコを吸っている姿を見かけたから、話しかけると、辞めるに至った経緯を話してくれた。「あの、(リーダの)Iの野郎よう、頭に来るんだよ。俺のやることなすことケチをつけやがって!俺が腕に自信があったら、ちょっと廊下まで出ろって呼びつけてケッチョン、ケッチョンにやっつけてやるところなんだけどな・・・。俺は喧嘩が弱いから、そんなんはできないけどな。やっても負けるし・・・。とにかく、もうやってられないから、やめるんだ」。終始真剣な表情で話をしていた。「俺は喧嘩が弱いから、そんなんはできないけどね」のところで吹き出しそうになり、我慢するのが大変だった。あの人も、生きていればもう、60歳近くだろう。全く面白い人だった。
 きりがなくなりそうだから、昔話はこれぐらいにしておこう。

2011年11月17日

今日も6:30に起床。
 昨晩は、何だかわからない小さな虫がブンブンと頭の周囲を飛び回っていたために、幾度も目が覚めてよく眠れなかった。疲れはそれなりにとれていたようだから、自らを叱咤激励し、日課の運動にとりかかった。辛く感じるのは最初の1セットだけだ。あとは、すいすい!とは今日はいかず、2セットやったところでだいぶバテていることに気づいた。睡眠不足が影響しているのだ。
 今日は2セットでやめるか、続けるか・・・20秒ぐらい悩んだけれども、続けるほうに落ち着いた。4セットやりきって、続いて、柔軟体操、冷水摩擦と一通り終えた。最近、柔軟体操にわずかながら進歩がみられる。特に前屈が以前よりもずっと楽になってきた。普通の前屈に進歩があると、開脚状態での前屈にも進歩が現れる。開脚そのものの角度はまだまだだけれども、前屈に進歩があればそれだけでもやる気に繋がる。
 柔軟体操というのは、怪我を防ぐのに大きな効果がある。たとえば、タイルの上でつるっと足を滑らせてしまったときだ。身体に柔軟性がないと、バランスを崩してひっくり返ってしまうか、どこかにつかまっても無理な力がかかって、身体のどこかをいためてしまう。柔軟性があるとそうはならず、身体が勝手にバランスをとって持ち直してくれるのだ。バランスをとることが可能な領域が増えて倒れにくくなる感じだ。
 怪我を防ぐことが目的だと、柔軟体操だけでは本当は不足している。必要なのは反射神経だ。道を歩いているときに、目の前に突然オートバイや自転車が現れたりしたとき、ぱっと避けられるか?身体に柔軟性があることで、避けたことによって崩れた体勢を整えることはできるかもしれないが、肝心の避けるという動作ができなければ意味がない。
 反射神経は普段からスポーツ等をやっていれば、ある程度は自然に身につくのだろうが、筋力運動と柔軟体操しかやっていないから、それは望めない。先月、退職したばかりの頃は、コンピュータのソフトを使って目の体操をやっていた。モニターの上を小さなボールの絵が四方八方に転がっていきそれを目で追っていく訓練をするソフトだ。目の疲れを防ぐ運動であるが、同時に反射神経の訓練にもなるからいいなと思っていたのだけれども、長続きせず止めてしまった。それに、目の疲れを防ぐ運動と、反射神経を磨く運動はやはり違う気がする。目で捕まえたものを危険と知って体がパッと動かなければならないからだ。暇なときに、インターネットで良い訓練方法がないか調べてみることにしよう。
 朝食は今日も、家でZに作ってもらった。今日はソーセージと目玉焼きとキャベツ炒めだ。マクドナルドに行かないと、コーヒーを飲んでボッーとしている時間と行き来の時間が節約されるからメリットは大きい。ただし、気分転換の時間がなくなってしまうデメリットもある。それだけでなく、外に出るのがおっくうになってしまう恐れもありそうだ。極力、昼間に外に散歩に出るとしよう。
 お昼後、デパートのスーパーへ買い物に出かけた。特に買いたいものはなかったが気分転換だ。日本だったら、本屋かコンビニで漫画やら雑誌やらを立ち読みに行っているところだ。中国では当然そうした楽しみはない。本の立ち読みに限って言えば、むしろ日本よりも気楽にできるのだけれども、中国語の本ではリラックスどころかストレスが溜まってしまう。
 買い物といっても、現在は、極力節約を心掛ける必要がある。だから、買うのはスナック菓子一袋5RMB弱だけだ。それだけではあまりに寂しいので、明日の昼食用にバーモンドのカレー粉と玉ねぎとニンジンとジャガイモと豚肉を買った。カレーライスは小麦粉の塊だから、ローカボダイエットの敵だ。だから、家で食べるのは2年ぶりぐらいになる(会社の日本人食堂では1,2週間に1度は食べていた)。朝のマクドナルドを止めた自分へのごほうびだ。食べ過ぎないようにと言っても、無理だろうから、腹いっぱい食べるとしよう。今日はまる一日ほとんど炭水化物をとっていないから、明日の昼ぐらいは問題ないはずだ。
 帰路、雨が強く降りだした。行くときもぽつぽつ降っていたのに、傘をとりに戻る手を省いてしまったのは失敗だった。こういう時に限って、道路を走る車の流れが止まらない。仕方がないから、少し強引に前に出て、車の間をすり抜けるようにして、道路を渡った。これでなんとか、服の表面が湿る程度のうちに家へ帰り着くことができた。現在は、保険もかかっていない身体だから、こういう危険は極力避けなければならない。次に同じ状況になったら、必ず傘を取りに戻るとしよう。

2011年11月18日

7:05に起床。
 ささっと運動にとりかかる。辛いのは最初の1セットだけと自分に言い聞かせ、とにかく取り掛かる。1セット終えてしまえばどうということはないのだ。2セット、3セット、4セットとこなしたら、次は柔軟体操だ。柔軟体操は、現在は、真向法の4つの体操、胡坐前屈、開脚前屈、前屈、逆正座をやった後、肩を中心としたストレッチを数種類、首に軽く圧力をかける運動をトータルで15分ぐらいかけてやっている。やや短すぎる時間だけれども、あまり長い時間をやっていると嫌になってしまうから、この程度で満足しているのが無難だろう。筋力運動とのバランスもあって、筋力運動で疲れてしまうと、柔軟体操まで力が回らないというのもある。
 それが終わると、シャワーを浴びて、最後に冷水摩擦だ。気温はだいぶ下がったものの、水温はまだ高い。冷水摩擦をやったぜ!と満足感が出るのはもっと寒くなってからだ。この冷水摩擦を始めてから、もう2年は経つと思うが、本当のところ何に効果があるのかは、よくわからない。ただ、長期間やっていれば、トータルでの身体の活性化に役立つ気がする。免疫力の向上なんかにも効果があるのではないかと期待を抱いている。
 今日もZが作ってくれた朝食を食べた。ソーセージとカリフラワーと目玉焼き2個の組み合わせだ。カリフラワーは子供の頃からの大好物だし、腹持ちが良く、炭水化物の含有量が少ないから、ローカボダイエットにはぴったりだ。ここしばらくスーパーでしばしばセール品としていつもの半額ぐらいで買うことが出来る。雨の日が多く天候が不安定なためだろうか。なんにしてもありがたい。ブロッコリも日本にいた時は好きだったのに、中国に来てからは、積極的には食べなくなった。原因はわからない。日本で売っていたブロッコリと微妙に味が違うのかもしれない。
 日課をいつものようにこなして、お昼を迎えた。お昼はカレーライスだ。Zはじっくりと煮込むような作り方はしないで、2時間ぐらいで作ってしまう。私としては、よく誰かが書いているように、1,2日煮込んだほうが美味しくなるとの意見を支持しているから、前日当たりから作ってもらいたいところだ。もっとも、前日からに込んだものと、当日作ったものと横に並べられて、どっちが美味しいと言われたところで正しく判断する自信はない。
 久しぶりのカレーライスはやはり美味い。ダイエットのことを考えて1皿と半分で我慢したけれど、三皿食べることも可能だっただろう。47歳(もしかしたら、まだ46歳)になった現在でも、食べるだけなら、普通の人以上の量を食べられる。一昨日、近所のデパートのレストランフロアで日本人のLさんとMさんと一緒に食事をすることになり、焼肉をごちそうになった。LさんもMさんも私より5,6歳は若いのに、食べる量は半分から3分の1ぐらいだった。私にしたら、あんな少量の食事で明日の生きる活力が生まれてくるのだろうかと不思議なぐらいだが、世間的にはそれが普通なようだ。
 それで、食べることは若い頃と変わらぬぐらい食べることは可能なのだけれども、本当に食べられるだけ食べてしまうと、その後に苦労する。胃に入ったものが、なかなか消化されないのだ。お昼に腹いっぱい食べてしまうと、夕食になっても腹が空かない。夕食に腹いっぱい食べてしまうと、寝る頃になっても、まだ満腹感が残っているという具合だ。しまいに胃薬でも飲もうかという気持ちになってくる。だから、自然と腹八分にしておこうという理性が働いてくるわけだ。
 午後は昨日同様にデパートのスーパーへ出かけた。さらに昨日同様、5RMB弱のお菓子を買う。予算が限られると、バラエティも限られてくる。いや、5RMBで買えるお菓子そのものはたくさん種類がある。しかし、大部分が小麦粉を大量に使った炭水化物系だ。そうでない菓子となると非常に限られてくるということだ。それ以外に買ったのがトイレットペーパーである。
 トイレットペーパーは10個入りでワンパック15-35RMBぐらいまでのものが一般的だ。トイレットペーパーの買い方にも個性が出る。Zはなくなるぎりぎりぐらいに次のを買うのがちょうど良いと思っているようだ。私は常に新しい10個入りのワンパックが予備としてあるぐらいでないと不安になる。Zと一緒に買い物に出かけると、「まだあるわよ」とチェックが入るから、今日のように一人買い物に出たときに買ってしまうのだ。買ってしまった分については意外に文句を言われない。
 夕食はZの要望で、「酸辣粉」となった。「酸辣粉」は唐辛子の酸っぱいスープにサツマイモのでんぷんで作った麺で出来ている。一杯5RMB。過去の記録をみると、5年前も5RMBだったから、物価の優等生だ。私も好きなのだが、炭水化物の塊のような食品だから、夕食にはもってのほかだ。だから、Zには「酸辣粉」、私は唐辛子スープのごった煮を持ち帰りにする。ごった煮は、冷蔵庫の中に並んだ野菜や豆腐、肉類の串を選んで店の人に渡すと唐辛子スープで煮込んでくれるという仕組みだ。10RMB分ぐらい頼むとお腹がいっぱいになる。半分露店のような店だから、衛生的にはやや問題ありだが、たまに食べる分には楽しい。

2011年11月19日

6:10に起床。
 昨日も、蚊がぶんぶん飛ぶ音に悩まされて、快眠できなかった。あまりしつこいので、蚊取り線香を二つ点してベッドの両脇に置いてやり、さらに殺虫剤をばばっと撒いた。これでようやく蚊音はおさまったものの、脳裏からは音が離れなくなっており、気分の悪いまま朝を迎えた。
 気分が悪かろうが何だろうが、まずは運動だ。眠りたかったら、あとで昼寝をすれば良い。考えてみると、私は運動が好きだったことはあまりなかった。部活の運動だって、先輩の監視があったから、やっていたようなものだ。それが、この年になって何の因果か自らの意思で運動を続けなければならなくなっている。
 どうやったら、もっと積極的に運動に取り組めるかを考えてみた。要は状況だ。どうしても運動をやらなければならない状況があれば、必然的に身体が動くのだ。極端なことを言えば、早朝にこの運動をこなさなければ死刑になってしまうぐらいのプレッシャーがあったら、この程度の運動はどうってことない。スクワットだって多分今の倍はできる。さあ、どうだ。ここで運動を始めなければ命はない・・・おおっ、身体が動くぞ。いつもはあれほど苦しい最初の50回が、そんなに苦しくない・・・。
 その調子で2セット、3セット、4セットと終わらせた。でも、この方法は毎日は無理だ。イメージにパワーを使いすぎて心理的な消耗が激しすぎる。たまにしかできない。というか、もうやらないと思う。精神衛生上良くない。
 運動が終わったら、朝食だ。今日は土曜日だから、Zはぐっすりお眠りだ。久しぶりに、自分で作ることにした。ソーセージ、カリフラワー、目玉焼きのパワー・ブレックファスト(今名づけた)。なかなかのボリュームだろう。無職であっても朝食は減らさない。だいたい、一生のうち、あと何回朝食が食べられるかわからないのだ。食べられる時に食べておくにこしたことはない。予算が許せば、朝からステーキだって食べられる。目玉焼きは昔は片面焼き派だったのだけれども、中国に来てからは両面焼き派に変わった。やはり衛生上の問題があるから。
 日課を終えて、お昼はマクドナルドにすることにした。いつものビッグバーガーセットにチーズバーガーの単品だ。と思っていたら、新製品のホウレン草巻きというのがあったから、それも追加した。ちょっと食べすぎだ。ほうれん草巻きは、ビーフ巻きとチキンまきの2種類があったから、ビーフ巻きにしておいた。ホウレン草巻きというから、ホウレン草でビーフを巻いてあるだけかと思ったら、ホウレン草を練りこんだナンで巻いてある商品だった。確かにホウレン草だけだったら、満腹感が得られないだろうから、これで正解なのだろう。
 商品としては、ケンタッキーのメキシカン巻きや老北京巻きに近い。ただし野菜の新鮮度はホウレンソウ巻きのほうが高いように思う。もう10年以上前になるが、天津で仕事をしていた時に、宿泊先のホテルのすぐそばに、野菜
のナン巻きを2RMBで売っている露店があって、そこには毎朝のように通った。あれは美味しかった。卵焼きとキュウリとなんやかやの野菜が巻いてあって、ボリュームタップリ。忘れられない味だ。
 そうやって考えると、このホウレンソウ巻きも、無理に肉類を入れないで卵と野菜を主体にしてナンのボリュームをアップしてくれれば、朝食メニューとしてコーヒー付きで10RMBでいけるような気がする。どうだろう?
 先月のこと、米国の家計所得に関する米議会予算局の報告がニュースになった。過去29年の間に上位1%を占める超富裕層の所得が275%増え、上位2割(上位1%を除く)の所得は65%増加、一方下位2割は18%増に留まるという所得格差の拡大傾向に関するものだった。
 格差を肯定する意見としては、格差があってこそ、経済が活性化するし、しいては社会全体が底上げされ皆が幸せになるというのが主要なものだろう。無制限な平等主義は怠け者を生むだけで百害あって一利なし。崩壊した社会主義国家の経済を見れば、一目瞭然だというわけだ。もっとも成功していると思われる社会主義国家である中国がある意味、資本主義国家よりも資本主義的な経済社会になっているのだから、なおさらだ。「先に豊かになれる者から豊かになれ、・・・」と唱えた鄧小平の言葉も、格差社会を正当化するものとして捉えられているのかもしれない。
 これに対して、格差は経済を活性化を約束するものではないという考えがある。格差は生活環境や教育の質の差ももたらし、貧富の差を拡大し固定化してしまう傾向がある。そうしたとき、経済は活性化するよりもむしろ、停滞への道を歩むというものだ。
 ここでは、このような反格差の意見に関しては述べない。ここので考えたいのは、適切な格差とはどういうものなのかということだ。
 一番単純な例で考えてみよう。農村に二人の若者がいた。同じような質と同じ広さの土地を与えられた。若者Aは毎日せっせと働いて、灌漑用の水路もひいて立派な水田と畑を作り、家の周囲では牛や鶏を飼って、豊かな暮らしをするようになった。若者Bは生来の怠け者。灌漑用の水を引くこともせず、天気まかせ、畑に至ってはろくに耕さず、適当に種を撒くだけだった。若者たちに与えられた土地はもともと肥沃な土地で天候にも恵まれていたため、最初の年こそ、さして差はつかなかったが、数年後には、若者Bの土地は荒れ放題になり、冬を越す食料に困るほどになった。このように話を進めていくと、若者Aと若者Bに生じた生活の格差は誰しも当然のことだと考えるだろう。
 次の例だ。山間にある盆地の中に大きな村があった。川の一番上流にはその村の地主であるAが住み、大邸宅に大勢の使用人を抱え、ただ1日に1回村全体を見回るぐらいの仕事しかせず、好きなものを食べ、好きなことをやって暮らしていた。この村のほとんどの土地が地主のものであり、小作人からの土地使用料だけで地主Aは楽に暮らすことができた。地主は土地使用料以外に金貸しもやっており、生活に困った小作人に高利で金を貸して厳しく回収し、そうやって稼いだお金をふもとにある武家に届けて自らの安全を確保することにも怠りがなかった。川の下流には小作人のBが住んでいた。地主の家の周辺の小作人は地主の遠い親戚だったり、地主におべっかを使ったりして、良い土地や豊富な灌漑水を与えられていたけれども、小作人Bは父の代にこの土地に流れてきた者だったため、この土地に縁戚もおらず、要領も悪かったため、一番下流の痩せた土地しか与えられなかった。川からも遠い土地だったために、毎日大きな桶を担いで何往復も水を運んでようやく作物を育てることができた。しかし、苦労して育てた作物もほとんど土地使用料としてもっていかれてしまうために、毎日食うや食わずの生活をしていた。この例は、非常にこの世の理不尽さを表すために書いた。
 最後の例だ。貧しい村に二人の若者が住んでいた。若者Aは貧しい暮らしに嫌気が指して村を飛び出て近くの城の兵隊となった。幸いにも隊長に気に入られて重く用いられ、瞬く間に戦果を挙げた。もともと素質があったのだろう。瞬く間に100人長、1000人長と昇進をした。そして、十数年後のある日、国の内紛に乗じて城を我が物とした。すぐに周囲の住民に高い税を払わせ、虐げられるだけ虐げて、全てを搾り取り、それで得た金で軍を強化し、他の城を攻めて領地を拡大することを繰り返した。若者Bはそのような勇気はなく、毎日田畑に出て作物を育て、貧しいながらも近隣の村から嫁を迎えて子供も生まれ、幸せな暮らしを営んでいた。しかし、若者Aが始めた高率の税の影響が村にも影響を与え、とうとう来年の種まで差し出さざるえなくなり有様で、家族どころか自分さえも養うことが出来ず、一家離散となった。この例は、現実的とは言えないかもしれないが、やはり理不尽な世の中を示している。
 三つの例を空想を広げて書いてみた。現代の先進国で、第三の例のようなことは、まずありえない。もはや暴力で世の中を支配することはできないのだ。いくら貧しい暮らしが嫌になって、最悪な環境にあるからといって、力を頼む世界に入り逆転を図るなどということは、現代社会では望めない。もちろん、裏社会としてのヤクザは存在しているが、それはその名が示す通り、現代においては裏社会であって、表の社会とは全く別ものの世界として扱われる。第二の例はどうだろうか。第三の例よりは現実に近いようだが、物語に出てくるような昔の話であって、現代ではお武家さんは存在しない。地主や小作人のようなものは存在するかもしれないが、そこまで圧倒的な力の差はなく、人は法律のもとによって平等な権利を与えられている。
 そうすると、一番最初の例が単純ながらも一番現実の世の中に近いと考えても良いだろう。二人の人間がほぼ同じ機会とほぼ同じ能力を与えられて働いて、相応のものを得る。これが社会の姿ということだ。もちろん、本当の現実では全く同じ機会が与えられることはないし、個々人の能力も違う。しかし、相対的に見れば、第二の例の話ほど、個々人に理不尽な差が与えられ身動きできなくなるほど拘束されることはなく、人は自由だし、第三の例の話のように、暴力が世界を支配して、それに人々の生活が振り回されることはない。
 ところが、格差ということに目をやってみるとどうだろう。豊かな富裕層と貧困層との格差は、第一の例にあるよりも、第二の例や第三の例にむしろ近いのではないだろうか。いや、私には想像がつかないほどの差だけれども、第三の例をはるかに越えたところにあるように思える。過去、世界を強く支配していた暴力よりも、お金の力のほうが大きな力をもち、距離を問わずに影響力を行使できることから、富裕層は昔の一国の王様よりもはるかに大きな、絶対的な力を持っているとすら考えられるのではないか。
 ここで私が言いたいのは、第二、第三の例が実際には現実の世界を表しているのだということではない。社会が必要としている、大多数の人が幸せになれる社会というものは、第二、第三の例によってすら表現できないほどの格差を必要とするのだろうかということだ。これほどの格差がなければ、現代社会の快適な生活、快適な医療、豊富な物資、食料、高い教育といったものを維持できず、さらなる発展も望めないということなのだろうか。人間が生来怠け者であり、格差がなければ、社会が現状を維持しえず、活性化も望めないのだとしたら、人間というのは何と不幸な生き物だろう。 

2011年11月20日

本日は7:00に起床した。昨晩は9RMB弱で買ってきた「花露水」という薬品をカーテンやら身体やらをに撒きつけて、蚊避けにして寝たから蚊もそばに寄って来れなかったらしく、ぐっすり眠ることができた。夜中に一度目が覚めたとき、カーテンの向こう側で微かにブーンと蚊の飛ぶ音がしたような気がした。「花露水」の香りに侵入を妨げられて、外でうろうろしていたのに違いない。まるで、呪い避けのお札を恐れて近寄って来られない魔物のようだ。恐ろしや、恐ろしや。
 睡眠がきちんととれると、運動も楽にこなせる。ところが、2セットこなしたところで、右足の小指のところがジンジンと痛みだした。昨晩、プラスチック製の椅子に足をひっかけてしまい、切ってしまったところだ。薬をつけて、血も止まっていたのだけれども、まだ完全には直っていないようだ。再び出血することはあるまいが、用心にこしたことはない。できるだけ、指先に負担がかからないようにしよう。気遣いながら、無事運動を終了することができた。
 朝食は、今朝も自分で昨日同様の「パワー・ブレックファスト」を作った。「パワー・ブレックファスト」でコストが一番かかっているのはソーセージだ。安売りのとき買っても一本につき約1RMBはする。これ以上安いソーセージとなると味が悪いから私の身体が受け付けないのだ。毎朝5本食べて5RMB。どうにも高い気がする。このソーセージを2本減らして、浮いた2RMBをカリフラワーに回したらどうだろうか。そのほうがダイエットに効果が大きいのでは?しかし、ソーセージを食べたときの満足感は、カリフラワーでは得られないものだ。この案は保留にしておくことにしよう。
 ドラマ「太極」を引き続き、鑑賞している。すでに第20話まで観た。主人公の巫馬の進歩は凄まじく、瞬く間に達人クラスになってしまったようだ。最初は野人のような生活をして、言葉もまともに話せないようだったのに、今では字も達筆で太極拳の型のイラストなどもスラスラと描いたりしている。そういう可笑しさはあるものの、ドラマ全体は、これまで見たことがあるどの武術ドラマよりも無理がない脚本になっている。また、主人公だけでなく、各々の主要な出演者が細かく描かれているのも好感がもてる作りだ。
 ヒロインたちも素晴らしい。胡杏儿、呉美珩、李詩韵と三人の美女が出演している。私は三人とも知らなかったのだが、皆美女コンテストチャンピオンクラスの美人らしい。各々の演技もムードたっぷりで魅力的だ。このドラマだけだと主役級の演技力があるかどうかは不明だけれども、武術系のドラマだから、その辺はあまり気にならない。
 巫馬を演じる超文卓の太極拳は一層冴え渡ってきた。香港、中国の武術ドラマの特徴で、派手すぎるぐらいに人がふっ飛ぶのはいつもの通りだ。しかし、超文卓の動きは非常に自然で、無理を感じさせない。演出の不自然さが強まるほど、超文卓の本物が輝いてくるような感じだ。私はこれまでみた武術系のドラマの中では「太極宗師」を演ずる呉京が好きだった。しかし、太極拳に関しては、超文卓のほうが自然に見える。
 実際に二人の力関係はどうなのかとインターネットを調べてみると、武術に関しては呉京のほうが圧倒的に華々しい記録を残しているようだ。一方俳優としてはやや超文卓の活躍が勝っているようだけれども、武術系ドラマそのものが、現在では、かつての人気を失いトレンディドラマが脚光を浴びている時代であるため、どちらも今ひとつといったところのようだ。
 確かに改めて考えてみると、今の時代に武術ドラマは分が悪すぎる。どんなに頑張っても大ヒットは望めそうもない。時代の流れだから仕方がないことだけれども、だからこそ、二人には一層頑張って、本物の味を見せ続けて欲しいと思う。 

2011年11月21日

本日は7:30に起床した。眠り過ぎだ。退職生活も2ヶ月近くになったことから、身体が本格的にリラックスモードに入ったようだ。気温が下がって、布団に入っていると心地よい暖かさに包まれるのも原因の一つだろう。これ以上、起床が遅くなるとだらだらモードになってしまう。そろそろ目覚まし時計を使用し始める時期かもしれない。
 一昨日、切ってしまった足の指の傷がまだ痛む。昨日の夕方までに直りかけていたのに、寝る直前になって、今度はソファベッドの角に思いっきりぶつけてしまったのだ。出血こそなかったものの、塞がりかかっていた傷が開いてしまった。その後、リビングルームのテーブルの位置を変えようとしたところで、昨日購入した「花露水」の瓶が落下し、足の指を直撃した。ググッ・・・心で泣いた。傷のある指のすぐそばの指だったから、衝撃が及んだのだ。これは何だ?「花露水」で部屋に入れなくなった蚊の呪いなのか。
 今朝は、Zが「パワー・ブレックファスト」を作ってくれた。Zに作ってもらうと、その間、私はネットサーフィンに勤しめるから大変ありがたい。難点は油断していると、ソーセージの数を減らされてしまうことだ。もともと7本のソーセージがスタンダードだった「パワーブレックファスト」が、「馬鹿いわないで」の一言で5本に減らされてしまい、今朝は4本にされてしまった。油断がならない。
 午前中は、淡々と日課をこなした。寝坊した分、時間がきつく、中国語の学習は午後になった。昼食は昨日同様にマクドナルドにした。私はビッグバーガーセットとホウレン草巻きの単品、Zはホウレン草巻きのセットだ。昨日はビーフだったから、今日はチキンのホウレン草巻きにした。食べた感想は、私はやはりビーフのほうが好みだ。チキンのほうは、単に照り焼きチキンバーガーの肉をナンで巻いただけみたいな造りで新鮮さが感じられなかった。ケンタッキーの商品とかぶってしまうのも評価を落とす原因の一つだ。これはあくまで私の個人的な好みで、お店としては、チキン好きの多い中国では、チキン版は欠かせないところだろう。
 午後になり、このホームページを書き始めたところ、10数行書いたところで停電!をくらった。久しぶりにやってきたという感じだ。停電になってしまっては何もできない。今日は曇り空だから、部屋も半分真っ暗だし、困ったものだ。仕方がないから、窓際へ行って、中国語の勉強をし始めたが長続きせず、30分ほどお昼寝をとった。
 起きてリビングルームに戻ると、今度はZが窓際で日本語の勉強をしている。私の中国語の勉強は声を出してやるのがメインだから、Zのそばでは勉強ができない。やむなく、もう一度昼寝に戻ったが、もう眠れない。仕方がないから、外へケーキを買いにいくことにした。10年ぐらい前は中国の一般のケーキ屋さんのケーキは食べられたものではなかったが、4,5年前から技術が著しく向上し始めて、けっこう美味しいものが食べられるようになった。写真のは、左のが7RMB、真ん中のが9RMB。一番右のチーズケーキは、2個買ったことで無料でプレゼントされたもの。その他、パウンドケーキを2切れとクロワッサンのパンを2個買った。合計で30RMB弱。ケーキやパン類はまだまだ中国のほうが、だいぶ安い。
 家に戻って、しばらくZと雑談をしたり、マイクと遊んだりしていると、3:30近くになって電気がパッと灯った。やった。夕方までは戻らないと諦めていたのに大助かりだ。さっそくPCのスイッチを入れて、書きかけのホームページを開きなおした。・・・予想通り、本日の分は全て失われいた。仕方がない。しばらくは、まめに保存をすることにしよう。

2011年11月22日

本日は5:10に起床した。昨晩、目覚ましを6:30にセットしたことで、緊張感が蘇ったのだろう。しゃきしゃきと体が動いた。
 いつものように運動を終わらせる。だいぶ冷え込んできたから、寝るときはパジャマを着るようになった。運動するときは、上半身は何も着ずとも大丈夫だから、非常に寒いというほどではない。冷水摩擦をするときの水温も、まだ冷たいというほどではない。来月辺りにならないと本格的には寒くならないのかもしれない。
 まだ食事には早かったから、とりあえず、中国語の勉強を始めた。しばらくしたら、Zが起きてきて、「パワー・ブレックファスト」を作ってくれた。昨日からだいぶうるさくお願いしておいたから、ソーセージは5本入れておいてくれた。卵は昨日で切れてしまったから、今日はカリフラワーを多めに盛ってくれた。さらに自分で冷蔵庫から昨晩のから揚げの残りを2個取り出して、皿に載せる。Zは無言だったが、(本当に良く食べるわね)との声がテレパシーで聞こえた。(たくさん食べないと死ぬかもしれないから)とテレパシーで答えておいた。
 早く起きすぎたためか、やたらに眠い。11:00にデパートのスーパーへ買い物に出かけた。Zが親子丼を作ってくれるというので、鶏肉と卵を買った。あとは、葱、玉ねぎ、しいたけ、レタス、牛肉、ソーセージ、その他を適当に買う。急に思いついて、キムチと冷凍シュウマイも買った。合計136RMB。無職者には、100RMB以上の会計は心臓に悪い。
 お昼は親子丼だ。写真をとって、掲載するつもりだったのだけれど、Zから今日はうまくできなかったから駄目!と断られてしまった。フライパンの中をのぞいて見ると、どうやら卵を煮込みすぎてしまったようだ。味は問題なく、立派な親子丼だったのに残念だ。親子丼を作るのも2
年振りぐらいだから、仕方がない。次回のリベンジに期待しよう。
 中国ドラマの「太極」も追い込みに入ってきた。太極拳VS太極拳のファイトなど見所が満載である。主人公の巫馬と準主人公の段暁星の戦いも終わった。この戦いは残念ながら、派手さを演出し過ぎていて、やや興ざめさせられた。あれだけ美しい動きのある武術なのだから、あんな風にいじらなくてもよいと思う。大人の視聴者がトレンディドラマに流れていってしまった分を、子供の視聴者で穴埋めしようという意図があるのだろうか。中国の男たちはまだまだ単純だから、派手派手の戦いを良しとする年齢がかなり長く続くのかもしれない。せっかく本物の武術家を俳優として使えるのだから、彼らの本物を生かせる形でドラマにできないのかと非常に残念だ。
 日本にも太極拳を学ぶ場所はあるようだけれども、大流行するまでには至っていないと思う。中国で武術ドラマの人気が凋落気味であるなら、日本に来て頂いて、活躍してもらったらどうだろう。ここ十数年は本物志向で、物理的な強さを誇る格闘技が人気なようだ。ここらで、精神的な本物を第一とする武術が求められても良いのではないか。日本で、太極拳ブームが巻き起これば、中国人だって悪い気はしないだろうし、太極拳の心で日中交流ということになれば、必要のない諍いも減ることだろう。もっとも、政治の道具に使われるのは、太極拳の望むところではないかもしれないが。
 ヒロインの活躍も一層輝いてきた。特に胡杏儿が演じる言子規が目立っている。役柄としては我侭お嬢様であり、最初は主人公に惚れるものの、適わずに準主人公と結ばれるという設定だ。最初の我侭ぷりは素晴らしく、Zはドラマを観るたびに、「この人嫌い」と何度も呻く始末だった。後半では単純で純情な女を演じる場面が多くあって、綺麗な涙を流す女性ナンバー1の称号を与えたくなるぐらい美しい表情を何度もみせてくれた。役柄そのものは単純だから、演技全体の評価はできないけれども、彼女が出演する別のドラマも別の機会にみてみたいものだ。
 ドラマも残り数話である。どのような結末が待っているだろうか。

2011年11月23日

今朝は5:45に起床。6:00に目覚ましをセットしておいたら、早めに目が覚めた。
 昨日は楽に起き上がれたのに、今日は頭が重い。7:00起床に体が慣れてしまっているためだろう。会社に出勤というプレッシャーがない中では毎日6:00に起きるのは難しそうだ。
 今朝は深センに用事があるので、7:00に家を出た。近所の麺屋さんで、朝食をとる。この麺屋さんは、もともとはたっぷり豚肉を具にしていることを売りにしていて、豚肉以外には具がなかった。ところが、豚肉の価格上昇に耐え切れず方針転換をして、今年からは豚肉を減らして練り物も具に加わるようになった。売り上げそのものは伸びているようで、先日は拡張工事をして店舗を2倍に広げた。同時に24時間営業にもなった。
 Zはビーフン麺。私はポーク・スープのみ。値段は同じで、どちらも5RMBだ。私のは麺が入っていない分、肉が少し多めに入っている。最近は、味千ラーメンを代表とする日本風のラーメンも増えてきているが、中国のローカルラーメンは、あっさりスープというか、ほとんど味がないとすら感じられるスープであることがほとんどだ。日本の濃厚スープに慣れた舌には、最初はこれが不満に感じられるが、慣れてくると朝食にはこれぐらいでちょうど良いのだと思えてくるから不思議だ。
 朝食を終えて、いつものようにバスに乗り、それから地下鉄に乗り換えた。最初は空いていたが、徐々に混んできて瞬く間に車両がいっぱいになった。いっぱいと言っても、日本の満員列車と比べると、まだまだ余裕がある。日本並みに詰め込んだら、中国だったら大喧嘩になりそうだけれども、北京や上海の地下鉄はどれぐらい混むのだろう。
 用事を済ませたらお昼近くになったので、ジャスコへ行き昼食をとることにした。Zは味千が好きだから、味千ラーメンで食べようかと誘ったら、最近の味千ラーメンは高くて食べる気にならないという。以前は16RMBぐらいからあったのに、今は30RMB以上の品ばかりなのだそうだ。私自身は確認していないから、事実かどうかわからないけれども、ジャスコのテナント料がだいぶ上がったと思われるふしがあるから、それに合わせてジャスコの店舗だけ値上げをした可能性もある。
 結果として、バーガーキングでの食事となった。Zがカップル用のセットで食べようといってきた。78RMBのセットだ。いつもはカップル用のセットは絶対に嫌とか言っているのに珍しい。カップル用のセットは、ビーフバーガー1つ、チキンバーガー1つ、ポテト1つ、サラダ1つ、チキン2つ、コーラ2杯のセットだ。ビーフバーガーのほうがボリュームがあるから、ビーフが男性用、チキンが女性用と想定されているのに違いない。
 バーガーキングのサラダセットは、非常に美味しい。こういう一味違った野菜というのは、どこから仕入れてきているのだろう。自社農場を中国に構えているのか、外国から空輸してきているのか。興味深い。ジャスコのスーパー内にも、サラダ用の高級野菜が並んでいて、ローカル・スーパーでは見たことのないような野菜が並んでいる。値段も目を疑うぐらい高くて、日本と全く変わらないか、それ以上だと思われるぐらいだ。日本で話題になっているような野菜工場のようなものがあって、ビルの中で生産されていたりするのだろうか。
 食事を終えると、スーパーで買い物をした。豚のバラ肉を3パック。ソーセージ。ソーセージは特価のものを選ぶと、同じメーカーのでありながらローカルスーパーのより安かった。ちょっと得した気分だ。ローカルスーパーではマスタードを売っていないから、マスタードも手に入れる。最近はソーセージにマスタードをかけるのがすっかり習慣になってしまった。Zがにこにこしながら、肉団子2パックをもってきた。Zはジャスコの肉団子がお気に入りで、ここに来るとよく買う。
 買い物が終わると、まっすぐ帰宅だ。帰りの地下鉄でまた頭痛が始まった。地下鉄に乗っていると、いつも頭が痛くなってくるのはなぜなのだろう。座って寝ているときに首をもたげているからだとは思うのだけれども、防ぐ方法も思いつかない。1度、眠らずに行きかえりをして頭痛が発生するかどうか試してみるとしようか。しかし、数時間もある乗車をずっと起きて過ごすのも辛い。朝の運動の中で、首の鍛錬を少しやっているから、それが効果を
発揮してくれることを祈りたいところだ。

2011年11月24日

5:30に起床。昨日、外に出て疲れていたのだろう。ぐっすりと眠れたため早く目が覚めた。
 運動を始める前に、「今日は楽勝、今日は楽勝!」と自分に語りかける。そうすると、あーら不思議、本当に苦しくない。く、苦し・・・くない。とりあえず、終わった。本当に、もう1セット増やしてもいけるのではとも思う。柔軟体操も調子が良くて、いつもより体が柔らかい。前屈も、あと少しで膝に肘がつく。背中を曲げては意味がないから、腰から曲げて・・・曲げて・・・うーん、お腹のところで曲がっているような・・・深く考えるのはやめにしよう。
 まずは中国語の学習だ。コーヒーを飲みながら、第7課と第8課の単語の復習をする。今日中には第9課に入ることができそうだ。テキストを進めれば進めるほど、この「飛翔編」のテキストはまだ私には早すぎたことを実感する。年内には全三冊の本文、副文を一通り読み終えることができるだろうから、次はワンランク下げて、「冲刺編」をじっくりやってみることにしよう。それから再度「飛翔編」にトライだ。
 朝食を作る。昨日の白菜が残っていたから、白菜とソーセージを一緒に炒めて、唐辛子で味付けを
した。さらに目玉焼きをプラス。朝から唐辛子で胃もびっくりしたことだろう。白菜は腹持ちがいい。白菜をたくさん食べれば、ソーセージの数を減らしても十分な満足感が得られそうな気もする。カリフラワーより若干安い気がするから、これからは白菜メインの「パワー・ブレックファスト」にするのも手だろう。
  
午前中に、淘宝でコーヒーを注文した。退職してから2度目の注文だ。原子力発電所の問題以来、日本食関連の商品がネットで手に入りにくくなってはいるが、コーヒー以前通りに買えるようになったように感じる。私はUCCの職人のコーヒーが好きで好んで購入している。だいたい60-80RMBぐらいで販売されていて、期限切れ近くのものだと40RMB強ぐらいになる。今日見ると期限切れ2ヶ月後のものがなんと30RMBで売られていた。無職生活者としての心がぐらぐらと揺れ動いた。日本の商品はたいてい余裕をみて賞味期限を設定しているから、1,2ヶ月ぐらいなら大丈夫のような気もする。
 インターネットでコーヒーの賞味期限について調べてみた。厳しい意見が多い。本来ならば2週間だと主張する人もいる。大手の大量販売用に1年との賞味期限が設定されているだけだというのだ。ここまで厳しく書かれているとなると、さすがに賞味期限切れの商品は買いにくい。コーヒーは油分が多く含まれているようだから、時間とともに酸化するのも確かだ。賞味期限の商品を購入するのは見送ることにした。
 最終的に、AGFのコーヒーを注文した。ここしばらくUCCコーヒーが続いていたから、気分転換だ。400g入りで76RMBのを違う種類のものを2袋で、152RMB。18RMBの送料。合計170RMBである。送料はいつも安くしてくれるから、チャットでお願いしてみたところ、今は店にいないから注文してくれれば、あとで安くなった分を返金してくれるとのこと。今日中に発送してくれるとのことだから、あとは到着を待つだけだ。
 お昼は白ご飯に、生卵である。昨日、ジャスコに行ったときに伊勢の卵を買っておいたのだ。伊勢の卵を食べるのも2年振りぐらいだろう。ご飯の上で卵を割って、醤油をかけて食べる。感動の一時である。黄身も白身もたまらない食感だ。つるつるとのどを抜けてお腹の中へと入っていく。もう一杯食べたいところをぐっと堪えて、明日も卵がけご飯にすることを心に誓った。あとは、豚肉のキャベツ炒めとダイコンのスープを平らげてお昼終了。
 昨日買った伊勢の卵は6個入りで12RMB強。2年前にはなかった新バージョンの「伊勢の卵 万緑湖」というのもあって、こちらは6個入りが8RMB強だった。どちらも、生食OKと書かれていたけれども、12RMBバージョンがなぜ高く、8RMBバージョンがなぜ安いのかがわからなかったから、念のため以前と同じバージョンを購入した。8RMBバージョンだとローカルの卵とあまり変わらない値段だ。これなら、ローカルスーパーで仕入れて売ることも可能そうだ。もっとも、売ることは可能だが、管理の問題もある。ローカルスーパーで買うことができても生で食べる気にはなれそうもない。

2011年11月25日

6:00起床。携帯電話の目覚ましで目が覚めた。
 今日は無心だ。無心で運動に取り組む。・・・うーん、これは駄目だね。苦しい。昨日の楽勝作戦のほうが良さそうだ。楽勝、楽勝。いや、本当にもうそんなには大変ではない。こうなると、もう1セットをいつ、どのように増やすかが問題だ。いきなり全部の運動を1セット増やすと、失敗する可能性が高い。要は、その場の辛さより、疲労が溜まって来るのが不味いのだ。疲労を溜めない程度に数を増やしていくのがコツだ。
 それで、前回は腹筋、背筋、側筋肉を先に増やして、慣れてきた頃にスクワット、腕立伏せを増やすということをやった。ある程度の効果はあって無事に1セット増やすことに成功したといえる。しかし、それでも各々を増やしてから一週間ぐらいは疲労が押し寄せて苦しかった。いきなり50回増やすのは無理があるのだ。
 次回の作戦は、全ての運動を10回ずつ増やすというものだ。一旦いつもの4セットの終えた後に、スクワット、腕立伏せ、腹筋、背筋、側筋を10回ずつやるのだ。それを1週間続ける。次の週にそれを20回にする。次の次の週は30回とその調子で50回まで増やしていくというわけだ。これなら、運動の増量に身体が慣れる時間が十分ある。スタートも楽だ。12月から始めれば、来年早々には、スクワット250回/日を達成することにもなって、ガッツ!!そんなにうまくいくかなー。とりあえず、風邪をひかないように気をつけないと。
 Zが作った「パワー・ブレックファスト」を食べて、今日も元気に1日が始まる。朝マックを食べない生活にだいぶ馴染んできた。気温が下がってきて、出不精になってきていることも助けになっているのだと思う。朝マックを食べないこと自体は良いにしても、出不精になるのはいささか困る。先日、足の指を怪我してから、マイクの散歩にも行っていない。今日あたり、散歩に出かけたいところだ。
 中国ドラマ「太極」を昨日観終わった。最終話の一つ手前でお決まりの日本人との戦いがあった。もちろん、日本人が負けて主人公が勝つわけだけれども、内容的には非常に穏やかだった。日本人と戦うのはあくまで誤解に基づいてというものだし、最後まで和解を求めるという態度だった。多くの武術ドラマだと、ここでさらに日本人がダーティな手を使って襲い掛かってくるという風に続くのだけれども、それもこのドラマではなかった。この調子でトーンダウンしていって、悪役日本人の出演なしに成り立つ武術ドラマを作れるようになって欲しいものだ。
 このドラマが訴えている内容は、「復讐は無意味であり、いつまでも囚われていては駄目だ。水に流して先へ進みなさい」というものだ。中国のドラマは政府の厳しい検閲に合格したものだけが流されるから、これは政府が国民に訴えかけている内容だとも言える。このドラマでは「日本人に対する復讐も、忘れなさい」と訴えかけているようにも見えるし、政府が抱えている様々な腐敗問題から生じた矛盾を和らげるための訴えかけであるようにも思える。もしかしたら、民族問題にも関連しているのかもしれない。
 最後のクライマックスとなる巫馬と呂丘傲の対決は、お決まりというかハデハデの戦いになってしまい、残念だった。子供向けには仕方がないのだろうけれども、最後の対決ぐらいはまともな演出にして欲しかった。巫馬のお師匠さんと呂丘傲の対決のほうがまだ絵になっていたように思う。巫馬のお師匠さんと言えば、ドラマの中途で崖から落ちて退場になった。中国のドラマだと、死体が上がらない重要人物は後に「やっぱり死んでなかった」と復活するケースが多いのに、最後まで死んだままだったのは意外な展開だった。お師匠さんの死が、巫馬を復讐からの解放に導いたという流れだったから、生き返らせるわけにはいかなかったのだろうか。視聴率が伸びなかったから、死なせたままにしておいて早めに切り上げたという疑いもある。
 お昼は昨日同様に、卵がけご飯だ。おかずはししゃもと野菜炒めと豚肉のキノコ炒め。卵を2個かけて食べたいぐらいだけれども、ご飯の量とのバランスがあるから多ければ美味しいというものでもない。炭水化物はできるだけ押さえなければならないから、ご飯はお椀一杯が限界だ。昔はどんぶりいっぱいのご飯に卵を2個かけて食べるということもできたのに・・・。寂しい。伊勢の卵も残る4個だ。毎日卵がけご飯というのもさすがに飽きてきたから、明日は別のものにしようか。
 午後はマイクと散歩に出かけた。部屋の中にいるとあまり感じないのだけれども、外の空気は確実に冷え込んできている。平日ということもあって、今日もほとんど人影がなかった。途中で、足の長い細身の、見知らぬ犬がマイクを追いかけてきた。抱き上げて移動するものの、しばらくするとまた後ろにいる。あまり見かけないタイプの犬だが、ブランド犬のようだ。図体に似合わぬ可愛い真っ赤なリボン付きの首輪をしていたから、飼い主は女性だと思われるが、周囲に姿がない。3度目に逃げたところで、ようやく諦めてどこかへと去っていった。
 以前も、別のタイプの犬だが、やはり足の長い細身の犬をリードをつけずに散歩させている女性がいて、マイクを抱いて逃げたことがあった。恐らく、犬の身体がでかすぎてリードをつけて散歩すると自分が引きずられてしまうのだ。だから、リードなしで散歩させているに違いない。いくら気性の大人しい犬だとしても、大人の腰ぐらいまでありそうな高さの犬である。あんなのが近くに来たら、幼い子供だったら泣き出してしまうことだろう。トラブルにならないのか不思議だ。

2011年11月26日

7:20起床。昨日、目覚ましをかけるのを忘れてしまって起きるのがずいぶんと遅くなった。気温が一段と下がって布団の中にいるほうが暖かく心地よいことも手伝ったのだろう。これからは目覚まし必須になりそうだ。
 恐ろしく身体がだるい。運動もたまには休んだほうが、かえって効果的だよ。神様がそう囁いているような気がした。くくっ、そんな誘惑には負けないぞ。プロレスの神様カール・ゴッチ(故人)は、プロレスラーはスクワット1万回、腕立伏せ3千回で一人前だと言っていたそうだ。カールゴッチ自身、50歳のときでも毎日8千回をこなしていた。さらに驚くべきことに70歳のときでさえ、毎日2千回はやっていたらしい。これらの数は恐らく休みなく連続やった数なのだろう。かりに、8千回を50回ずつに分けてやったとすると、160セットで可能になる。気が遠くなるような数字だ。それに比べれば私の4セットなど、軽い、軽い。こうやって、今日も日課の運動を無事終えることができた。
 今日のお昼は、Zはデパートの弁当「宮爆鶏丁(16)」、私はマクドナルドでビッグバーガーセットとホウレン草巻き(27.5RMB)にした。ホウレン草巻きはビーフタイプは、改めてみてみるとハンバーグに入っているものと同じもののように思えた。チキンタイプと違って、独自のものが入っていると思っていたから、少しがっかりだ。それでも、ドレッシングとビーフがよくマッチしていて美味しい。
 先日、バーガーキングでハンバーガーを食べたときに、バーガーキングやモスバーガーのバーガーが特別美味しく感じるのはトマトの存在が大きいのではと考えた。そこで、マクドナルドのメニューにある写真をじっくりみてみると、チキンバーガーとホウレン草巻きには、マクドナルドでもトマトが入っていることがわかった。だから、ホウレンソウ巻きを食べている最中、意識してトマトの部分を味わってみたのだが、残念ながら、マクドナルドのトマトにはバーガーキングのトマトの美味しさがないことが判明した。どこが違うかというとしゃきしゃき感がないのだ。マクドナルドのトマトのほうが薄いというのと保存方法が違うではないかと思われる。それでも、マクドナルドの野菜はケンタッキーのものよりは格段に新鮮だから、値段相応というところなのだろう。
 起床が遅かったため、午前中は中国語の学習ができず、午後から開始となった。昨日、第9課のヒアリングと単語の発音を済ませたから、今日は単語の詳解の部分と副読文をこなした。第一冊目のときは、難しさが刺激になって楽しかったのだけれど、第ニ冊目に入ってからわからない部分が苦痛に感じるようになった。そうはいっても、ここまで来ては後には下がれない。あと少しで第二冊は終了だ。残るは第三冊のみ。それが終わったら、高級編は一旦終了だ。中級の「冲刺」編に戻って基本からやり直しとなる。
 基本からやり直しと言っても、この博雅漢語の中級編は初めてだから買ってからでないと何とも言えない。中国のネットで改めて調べてみたら、「冲刺」編は2冊しかないことが判明した。これは助かる。難度も低いだろうから、ペースを速めることも可能かもしれない。さっそく注文してみよう。難しすぎて、さらにワンランク下の「加速」編までステップダウンするはめになったら、泣けてくる。

2011年11月27日

6:30に起床。昨晩は寝付かれず、最後に時計を見たときは0:20を回っていた。
 相変わらず、起きたときに身体がだるい。気温が低くなったせいだと思う。これからしばらくは気温は下がる一方だから、運動するためのモチベーションを維持するのが大変になる。気を引き締めていかなければならない。辛い、辛いと思うから辛いんだ。カール・ゴッチの言葉を思い出せ。・・・もう忘れた。40代も後半になると、何でも忘れていってしまう。昨晩、Zが今日の昼ご飯はチキンカレーだって言ってたな。私がシーフードカレーにしてくれと抗議の声を上げたのに却下されたのだ。チキンカレーも好きだからいいけど。今日も無事運動が終わった。考え事をしながらやっていると、何セット目までやったから忘れそうになるのが難点だ。
 今日は自分で「パワー・ブレックファスト」を作る。私が自分で作るときは、塩は全く使わず、ソーセージにも、目玉焼きにも、カリフラワーにもコショウを振り掛けるだけだ。コショウは、ミル付きで、その場で豆を挽くタイプのものを使っている。挽きながらかけると、フワーッと香りが広がるのがたまらない。ついつい大目にかけてしまうから、無くなるのが早い。塩を全く使わないというとZが「味がしないでしょ、それじゃぁ」というのだけれども、私自身は言われるまで気づかなかったほどだから、全く問題ない。カリフラワーにはコショウ以外にマヨネーズをたっぷりかけるから、その塩分が他の料理の分も補っているのかもしれない。
 中国語の勉強は、第九課の単語リストの復習をやった。第八課の単語リストもやろうとしたところで、お昼ご飯の時間になった。昨日宣言された通り、チキンカレーだ。今日はバーモンドカレーでなく、ジャワカレーだ。それに、卵をかけて食べた。カレーに卵をかけるのは子供の頃はやっていなかったと思う。恐らく20-30歳代のどこかで誰かがやっているのをみて、それを真似したのだ。卵をかけると、甘みが増すからせっかくのカレーの辛さが削がれる。辛いカレーが好きな私としては残念な話でもあるものの、卵かけご飯とカレーを一度に両方とも楽しめる喜びには代えがたい。インターネットで調べたら、ハウス食品が1996年に発表した調査では、大阪では5人に一人、東京では20人に一人がカレーに生卵を入れて食べるという結果だったらしい。どうやら大阪を中心に広がった食べ方のようである。ウィッキペディアによると、大阪の自由軒というところで混ぜカレー(または名物カレー)といって、カレーとライスを混ぜたものに、生卵を落として出されたものが始まりだったようだ。
 混ぜカレーというのを読んで、カレーライスを食べるときに、カレーとライスを混ぜる人と混ぜない人がいることに考えが及んだ。私自身は混ぜない派で、一緒に食事をする人がカレーとライスを混ぜ始めるのを見ると一瞬ギョッとするほうである。食欲が減退しかねないぐらいだから、マナー違反なのではないかとさえ思ったことがある。しかし、私自身が食べ方が綺麗なほうでなく、オブラートに包んだ言い方をしても、全くなっていないという部類だから、文句は言ったことがない。これもインターネットで調査結果が発表されていて、63.2%が混ぜない派、35.5%が混ぜる派となっている。混ぜる派は想像していた以上に多かった。
 客観的に考えると、カレーそのものが外国から来た食べ物だから、混ぜないで食べるのが正解と決め付けるのは明らかに間違っている。カレーの発祥地(ただし日本のカレーとは異なる)であるインドでは庶民はスプーンすら使わずに素手で食べるらしいから、マナーも何もないだろう。つまり、他人がカレーライスを混ぜて食べるのを不快に感じること自体に問題があるのだ。混ぜカレー(名物カレー)を作った自由軒のホームページには混ぜカレーが出来た経緯が書かれていて、もともと保温器のような便利なものがなかった時代に、冷たいご飯に熱いカレーを混ぜることによって、美味しい熱々のカレーライスを食べてもらうために生まれた料理だということだ。
 また、混ぜ合わせることによって、テーブルマナーを気にせず庶民に身近な料理として受け入れてもらうことによって、敷居の高い食事として洋食を敬遠していた人たちにも食べてもらえるようになったとのことである。経緯はともかく、すでに35.5%もの人が受け入れている食べ方を否定するのは無理があるだろう。人前で納豆を食うなというのに近い。
 そうはいうものの、慣れの問題だから、難しい。5,6回連続で、自分でやってみれば慣れてしまうものだとも思うけれども、なかなか・・・。そもそも慣れるメリットもない。いっそのこと、韓国の有名俳優がドラマの中で、カレーを混ぜて食べて見せたりしてくれればいい。女性の間で大流行となって、一気に認知されるのではないだろうか。

2011年11月28日

5:40に起床。昨晩も寝付きが悪かったのだが、ぐっすりと眠れたために快調だ。
 身体に余力を感じることができたので、運動量の増加にトライしてみることにした。いつもの4セットを終わった後に、スクワット、腕立伏せ、腹筋、背筋、側筋を10回ずつプラスしたのだ。10回程度だと、しっかりやるか手を抜くかの誤差の程度だから、身体もほとんど違いを感じないはずだ。単発でやれば、誤差の範囲だが、毎日やれば運動量の増加となる。疲れが私の脳みそに伝わる前に筋肉の増加が完了しているという(効果のはっきりしない)作戦だ。一週間ごとに10回ずつ増やしていけば、年内に5セットに到達することも夢ではない。
 運動を終えると、中国語の勉強だ。第10課のヒアリングと単語の発音の練習だけを軽くやる。マクドナルドで朝食をとるために外へ出た。昨日野菜を買い忘れたために、「パワー・ブレックファスト」が作れないからだ。たまの気分転換ということもある。早い時間だったために、店内には登校前の子供たちがたくさんいた。ソーセージマフィンを食べてから、コーヒーを飲んで寛いでいると、日本人のSさんが歩いてくるのが見えた。2週間振りぐらいに雑談を楽しむことになった。
 Sさんは大のマカオ好きで、一緒に働いていたときは毎週のように、無職の今でも数ヶ月に1度はマカオ参りを欠かさないほどである。マカオ空港の一部はSさんの貢献でできているといっても過言ではないだろう。Sさんによると、最近のマカオは全然勝たせてもらえないそうだ。マカオによくいく日本人のブログとかをみても、勝った話がほとんど出てこないのだという。世界不況の影響が及んでいるのは間違いないことだろう。
 マカオと言えば、最近数多くのニュースを提供している大王製紙の事件が生々しい。現在判明しているところで、150億円をカジノで散財したようだ。そのうち、90億円がマカオなのだという。これだけの資産家となると、こんな風に一度で使わせてしまうより、細く長くお金を使わせたほうがカジノ業界全体にとってもメリットが大きいと思うのだけれども、そうならなかったのはカジノ業界も目先のお金が不足してそれどころではなかったのか、或いはもっと別の原因があるのかと不思議に思う。
 事件の主役である大王製紙前会長の井川意高さんは、2代目の井川高雄さんが帝王学を叩き込んで育てた期待の嫡男なのだそうだ。ジェット機で塾通い、東大卒の家庭教師をつけた等、話題に事欠かない。父親にとっては、自分の全てを伝えて、さらに不足を補うだけの力をつけさせたつもりだっただろうに、残念な結果になってしまったものだ。高雄さんは、自分の夢を引き継ぐことができなかった息子を不憫だと思うのか、だらしない奴だと叱り付けるような心持ちなのかどちらなのだろう。
 新聞によると、父親の高雄さんは、取材に対して「父親として深く道義的責任を感じているが、本件(の巨額借り入れ)は意高個人の問題」と文書で回答したとのことだ。そうであるとすると、意高さんの罪がどれほどのものになるのかはわからないが、法律で求められる罪を償って戻ってきさえすれば、父の加護のもとそれなりの暮らしは保障されていることになる。経済的な事件だから、一生を牢獄で過ごすということにはならないだろう。これまで父の望む人生を生きてきた意高さんが本当の自分の人生を生きるのは、牢獄から戻ってきてからということか。人の幸せとはわからないものだ。
 さて、意高さんがカジノで使ったという150億円。私のような庶民(以下?)からすれば、想像もつかないほどの金額だ。数億円ぐらいまではどんな風に使うかを考え付くけれども、それ以上となるとキャパオーバーである。それだけの金額を湯水のように使うというのは、どんな気持ちなのかをスケールを小さくして考えてみた。
 そのスケールはパソコンだ。私が初めて自分のパソコンをもったのは21歳ぐらいの頃だ。PC9801F(だったと思う)を中古で購入した。ハードディスクなんてものはなく、5インチのFDDが付いていた。一太郎を動かすために、1MのRAMディスクというものを購入した装着した曖昧な記憶がある。三国志やらマイトアンドマジックやらのゲームを夢中になってやったことを覚えている。結局身にならなかったが、C言語なんかも買って勉強した。
 話が逸れた。パソコンは進化を続け、10年ほど前には20Gほどのハードディスクを備えるに至った。1Mの1024倍が1Gだから、恐ろしいほどの記憶容量である。そして、現在、このホームページを書いているコンピュータが備えているのは2Tのハードディスクである。今年初めにコンピューターを新調した際には1Tだったのを、数ヶ月前に不足を感じて2Tにした。1Gの1024倍が1Tで、その2倍が2Tである。ハードディスクの広さに対する欲望には際限がなく、お金さえあればもっと大きくしたい。そう思ってさえいる。動画などをダウンロードすれば、1Gや2Gなどあっという間に占有されてしまう時代だ。データーが必要とする容量は大きくなるばかりで、ハードディスクはいくら大きくても大きすぎることはない。
150億円を使う人の気持ちはこんなところなのではないか、なんて想像してみている。
 今日をお昼はカレーうどんにした。昨日のカレーの残りを利用した。例によって卵を落として食べた。しかし、これは失敗。カレーうどんには卵はなぜか合わない。うどんの麺も、近所のデパートのスーパーで売っていた4RMGぐらいのものだったこともあって、全然駄目だった。以前はこの麺で鍋焼きうどんを作って食べていて、大満足だったのにどうしたことだろう。腹は満ちたから良しとしよう。

2011年11月29日

6:50に起床。
 今日の運動も、4セットプラス各10回ずつだ。やりながら考えたのは、このまま毎週10回ずつ回数を増やしていくよりは、10回ずつを2セットやることにして、その上で10回ずつ増やしていったほうが、楽に数を増やせるのではないこということだ。5セットに到達してから、さあ、もう1セット増やすぞ!とやるのはずいぶんと気合がいる。それよりも、あらま、いつの間にか6セットに到達しちゃったよ!のほうが楽でいい・・・と、考えた。欲張ると、ろくなことがないかな。
 昨日、中級「冲刺」編のテキスト2冊が届いた。
高級「飛翔」編の白黒と違って、(改めて見直したら、高級編も同じ2色刷りだった)2色刷りの鮮やかなテキストだ。扱っている単語は当然のことながら、ワンランク易しい。読んでわからない単語はほとんどないけれども、使いこなせていない単語が多い。使いこなせていないと聞いてもわからないことも少なくないだろう。接続詞が豊富に紹介されているようだったから、私が学びたいことと合致している。「飛翔」編を投げ出して、とりかかりたいところだが、そうもいくまい。12月いっぱいを費やして「飛翔」編を終わらせて、来年から「冲刺」編にとりかかるとしよう。
 昼食を食べてから、深セン市内へと出発。バスと地下鉄を組み合わせたいつものお疲れルートで、用事をこなした。今日はジャスコへは行かずに東門で買い物だ。私はマックカフェで、アメリカンのLサイズを購入して、3FのバルコニーでZがショッピングから帰ってくるのを待つことになった。
このバルコニーには夏は暑くて出てこれない。気温が下がった秋の今頃がちょうどいい。角の一番奥の席がゆっくりと落ち着ける。以前は、ここで座っていても、仕事のことが頭に浮かんできて落ち着かなかった。今はただぼんやりしていられるから、幸せと言えば幸せだ。そうは言っても、無職生活も2ヶ月になる。ぼんやりな幸せも、表面的な出来事に過ぎない。現実の時は確実に過ぎていくのだ。
 ある意味、9年前の無職生活は幸せだった。勉強も少しはしたけど、旅行三昧だったし、中国ドラマに浸りっぱなし、PCゲームもやり放題だった。あまり先のことを考えないほうが人間は楽しく生きられるのだろう。もっとも、気楽だったのは最初の三ヶ月だけで、お金が尽き初めてからはきつかったのも事実だ。やはり、今は自重すべきところは自重するとしよう。昼夜を忘れてPCゲームに浸れるような日が再び来ることがあるのだろうか。旅行にゆっくり出られるのはいつのことだろう。
 瞬く間に時が過ぎ、Zがテーブルの間を抜けてこちらに歩いてくるのが見えた。しばらく一緒に座って話しをしてから、近所のリーズナブルな中華レストランで夕食をとった。私は白切鶏の定食、Zは牛肉のピーマン炒め定食。白切鶏は焼鴨と並んで私の大好物で、定食ということになるとたいてい二つのどちらかを頼む。白切鶏と焼鴨は店によって味の差が非常に激しい。この値段で、こんな美味しいのが食べられるなんて幸せとなる場合もあるし、ここでは2度と食べないと思わせられる場合もある。あくまで定食屋レベルでの話で、高級レストランではそこまでの外れはない。
 夕食を終えて、帰宅。久々に外に出て気持ちが晴れたのか、Zもご機嫌だ。通勤ラッシュにあって、座れないかと心配したけれども、幸い並びの空き席があったから、すかさず(Zが)ゲットした。助かった。いつも、首をもたげて寝てしまって頭痛に襲われるから、今日は極力頭をまっすぐにして座っていた。効果はあって、今日は帰宅後も頭痛は全くなかった。バスで寝ても頭痛になることはないのに、地下鉄で寝るとなぜ頭痛が発生するのだろう。バスだと頭が左右にも振れるからいいのか、シートのクッションが衝撃を和らげるからなのか原因は今一つはっきりしない。ともあれ、しばらくは地下鉄利用時は極力起きていることにしよう。

2011年11月30日

6:40起床。
 昨日の疲れが残っていて身体が重いこと、重いこと。なぜ、深セン市内に行って帰ってくるだけのことに疲労が残ってしまうのか。これでは運動しようがしまいが変わらないではないかと苛立ちを感じる。或いは、疲れている時に運動する力が残っているだけでも、効果が現れている証なのだろうか。重い身体を引きずって、とにかくスクワットから始める。一旦動き始めると、さほど辛くはなく、淡々と4セットとプラス10回をこなして、終了。今日は柔軟体操の調子が今ひとつだった。
 今日のYahooのトピックスに、「ワタリガラスが身振りで会話する」の記事があった。くちばしにくわえた小枝等を突き出したり傾けたりして、仲間に見せるしぐさをすることが対話能力の原型にあたるらしい。身振りで相手の関心をひきつけるとことがポイントのようだ。身振りで相手の関心をひきつけることが対話能力の原型とは知らなかった。
 それなら、うちの愛犬マイクは相当な対話能力がある。玩具のパンを投げてやると、すかさず走って咥えて戻ってくるのだが、その玩具を受け取ろうと私が手を伸ばすと、首を左右に振って取らせまいとするのだ。本当にわずか数センチ先のところでプイと顔を背けて避ける。私の指は見事に宙を切り、パクパクと間抜けな格好でうごめく。諦めて手を引っ込めると、また顔をこちらへ戻すから、やっと渡してくれる気になったかともう一度手を伸ばすとまたもやプイと顔を背ける。クッ・・・、犬に遊ばれている。
 さらに、私が足マッサージ器に足を差し込んでマッサージをしていると、玩具のパンを咥えてきて、投げてくれとねだる。構わずにいると、足マッサージ器を前足でがりがりと引っかき始め、やっつけようとする。マッサージ器は丈夫だから、まだ良い。最悪なのは、パソコンでネットサーフィンをしている時だった。デスクトップの本体をがりがりして、スイッチをオフにしてしまったのだ。相当高度な対話能力をもっていると言えるだろう。
 さらに高度な対話能力もある。マイクは朝の4時頃にビーフジャッキーが食べたくなるという妙な習慣をもっていて、私の耳元まできて「クゥーン、クゥーン」と鳴き声を上げる。たいていの時は、仕方なく起きて棚からビーフジャッキーを取り出して与えてやるのだけれども、疲れ切って寝ているときはそれぐらいでは起きない。そうすると、マイクは私の頭のすぐそばで、後ろ脚をつかって(マイク自身の)首筋を掻き始めるのだ。これをやられると、枕元で地震が起ったようなもので、ベッドがゆさゆさと揺れて嫌がおうでも目が覚めるという仕組みだ。これは対話能力というよりも、意思伝達能力のような気がするのだが、生物学的には同じことなのか?
 お昼ご飯は、2週間振りにカツ丼だ。カツカレーにしてくれと頼んだのだが、面倒くさいと断られてしまった。確かにカレーとカツの2重仕事になるから大変なのだろう。いつか機嫌の良いときに実現して欲しいものだ。今日はミリンを抑え目にしたとのことで、醤油加減が強く、カツ丼ぽい甘さがなかったけれども、前回同様に美味しく食べられた。カツ丼は外れがないから有難い。
 中国ドラマ「太極」を観終わった後、食事時の楽しみがなく困っている。2、3のドラマを覗いてみたのだけれど、どれも今ひとつピンとこなくて、第一話を観ただけで止めてしまった。中国ドラマと言えば、一昨日のYahooのトピックスで、中国で来年からドラマ放映中のCMの放送が禁止されるとの記事があった。私が家で観ているドラマは中国電信が提供しているインターネットTVで、最新のものではなく、過去のものを見ているからもともとCMが入っていないのだけれども、最新のドラマに関してはCMの入り方は日本とほぼ同じはずだ。「思想統一のため」だそうだけれども、なぜドラマだけが対象とされるのだろう。視聴率が高く、影響が大きいということか。
 中国のインターネットで、これに関する記事を一つ読んでみた。その記事によると、テレビドラマの広告に関する制限は以前からあって、特に夜の19:00-21:00のゴールデンタイムに対する規制は、1分以内にしろとか、1話につき1回だけにしろとかいろいろとあったらしい。それが今回は1日中いつでも、ということにようだ。
 この政策に対してはテレビ局にも対策があるらしくて、ドラマとドラマの間にいれるCMタイムを増やしたり、予告編につけるCM時間を増やしたりと様々なものが考えられるとのことだ。テレビ局も広告収入が減るのは死活問題だから、打てる限りの手を打ってくるというのだ。中には画面の一部にテキストの広告を表示するというものも考えられているようだ。
 現状では、賛否両論が渦巻いている状況だが、はたしてどうなるのか。結果が楽しみだ。