泉州市の旅


灰色の部分が福建省です。

2007年2月15日

 朝5時起床。朝食はZが作った麺である。毎度のことだが、旅行の初日はとっても元気なZ。「どう体調は?」と尋ねてみると、「ちょっと調子が悪い。眠い・・」と流ちょうな日本語が帰ってきた。最近、日本語の進歩が著しい。眠いのは本当だろうが、体調は良さそうだぞ。

 5:25、アパートを出る。空は真っ暗。寒くない。いや、暖かいぐらいだ。さすがに時間が早く、タクシーが一台もいなかったので、歩いてバスステーションまで行くことになった。幸い、深セン行きのバス・ステーションが一時的に近所に移動してきており、歩いても10-15分ぐらいの距離だ。荷物が少し重いがなんとかなる。

 タクシーはいなかったが、バイタクが走り回っており、私たちにも二度ほど声をかけてきた。近くの春節だけの花市も、まだ誰もいない。

 5:36、バス・ステーション到着。すでに先客あり。バス・ステーションはまだ開いていない。(おもての看板に、ここのバス・ステーションは朝の6:00-夜7:30までオープンしていると書かれている。20分に一本の割合で深センに向けて発車しているようだ)。春節とあって、帰省客は絶えないようで、すぐ斜め前にあるバス停に大きな荷物を脇に置いた出稼ぎ族らしき男女が数人バスが来るのを待っていた。

 5:40、バス・ステーションの女性スタッフが自転車に乗って登場。このバス・ステーションは臨時だと聞いているが、受付の窓もしっかりと設置されている。或いは常設になるのかもしれない。

出発の朝

 次々と乗客が集まってくる。皆朝一で、深センに向かうのだろう。

 5:55,バスがやってきた。バックで歩道に乗り上げてきた。一応、警告メッセージを流しながら入ってくる。この深セン行きのバスは、4年前は、中型のボロバスだったのだが、昨年だか一昨年だかに30シートほどの中大型の綺麗なバスに変わったのだ。昨年、深セン市内では中型バスの運行が禁止されたと聞いているから、それを見越して車種変更をしたのだろう。

 乗車。いつも深センに行くときに利用しているバスだが、夜明け前とあって、なんだか雰囲気が違う。

 6:00に時間通り発車した。鎮の道から国道に出る頃になっても、まだ周囲は真っ暗。道路を走っているのは主にバスとトラックである。道路脇で看板のネオンを煌々と輝かせているのは、旅館クラスの宿泊所だ。どこも小さなカウンターを一つ手前に置いて、守衛やら受付のスタッフやらを座らせている。

 6:08、隣の鎮に到着。早朝で道が空いていることもあり、いつもよりハイ・ペースだ。これなら、深センにも短い時間で到着するに違いない。あれっ、周囲が一層暗くなってきた。天気が悪いのだろうか。

 6:45,一眠りしたら、もう深センに到着していた。夜も明けて周囲はすっかり明るくなっていた。

 バスを降りて、羅湖商業城の2階に上がった。もう、ファーストフード「大快活」が開いていて、ガラス越しに店内で大勢の客が朝食をとっているのが見えた。皆春節の帰省客なのだろうか。

  切符売り場にはすでに、大勢の客が並んでいた。
  予定では、まず福建省のすぐ隣り合わせの位置にある、広東省の経済特区の汕頭市まで行き、そこからさらに泉州行きのバスに乗り換えることになっている。泉州直行のバスもあちこちから出ているのだが、安全を考えて、羅湖バス・ステーションからの出発を選んだのだ。羅湖バス・ステーションからは、泉州直行は出ていないが、ビデオカメラで乗客の録画をする等、他のバス・ステーションより安全面や管理面で一歩抜きんでており、安心だからだ。それに、バスも新車が多く、確実に快適だ。難点は、汕頭でスムーズに乗り換えられるかだ。春節の混雑で、幾便も待たされることになると、汕頭市で一泊ということも考えなければならない。

  ともあれ、まずは汕頭市までたどり着くことだ。
  汕頭市までのチケットは1人170元だった。予定していた7:30のバスはすでにいっぱいらしく8:00発に乗車することになった。汕頭市までが
4時間半。汕頭市から泉州へ向けてのバスは1:30発。間に1時間あるから、時間的には間に合うが、あまり遅く着いてはチケットが売り切れということもありうる。1:30のに乗れないと、次が5:00過ぎだから、泉州に着くのが夜中になってしまう。けっこうギリギリのスケジュールだ。

 
1Fに降りて、汕頭市行きのバスが停まる場所を探す。たどり着いてみると、すでにバス待機している。乗客が次々に乗り込んでいるのを見て、Zが突撃していった。チケットを見せて、私たちも乗れるかと尋ねたが、8:00のチケットだとわかると、「次、次のバスだ」と軽くあしらわれた。 

 やむなく脇に退いて、様子をうかがう。背の高い女性スタッフとブローカーのような男性がチケットを確認しては、次々に客をさばいている。普通のバス乗務員とは思えない手際の良さだ。バスがほぼ一杯になった頃、女性スタッフはチケットを購入していない客から現金を受け取って、乗車をさせ始めた。どうやら、チケットを購入しながら来なかった客の穴埋めを現場でしているらしい。或いは、チケット売り場では最初から余裕をもたせるために、すべてのチケットを販売しないのかもしれない。Zが「私たちも、ここで現金を払って乗ってしまったほうがいいんじゃない」と提案してきた。汕頭市での乗り換えを考えると、先に買ったチケットを棄てて、乗ってしまうのもありかもしれない。しかし、いかにも強引すぎるのでやめておいた。

 やがて、バスは出発していった。まだ、7:15になったぐらいだ。すぐに次の便がやってきて、停車。再びZがチケットを見せると、今度は乗車OKが出た。ささっと乗り込んで席を占める。8:00のチケットなのに、なぜ7:30のバスに乗れるのか不思議だ。 そもそも、停車所の前にも、汕頭市発のバスは、7:30からだと書いてある。どうして、こんなに次々とバスがやってくるのだ。臨時発の便なのだろうか。
 

 ある程度、乗客がいっぱいになると、背の高い女性スタッフたちが3人ほど乗り込んできて、チケットの確認を始めた。現金を集めてまわったりしているところを見ると、2Fの売り場でチケットを買わずに直接乗り込んできている客も相当いるようだ。私たちと同じ8:00のチケットを購入していながら、下車させられて、あとから来た乗客と入れ替えをさせられた客もいた。私たちも下車させられるのだろうかと心配になったが、そういうことはなく、スタッフはチケットを確認すると次の客のところへ行った。

 客を一通りまわり終えると、三人は前方に集まって、集めた現金の確認をしている。一人が、別のスタッフが口にした金額を聞きとがめて、「それはおかしいわ。○○○じゃないの?」と尋ねると、そのスタッフは「いいのよ、これで。ほら、・・・の客もいるから」と後ろをちらりと振り返った。質問を発したスタッフも不承不承黙り込んだ。目がすこし潤んだところから、何か納得できないところがあるようだった。

 バスは発車し、3人の女性スタッフは、バス・ステーションの出口のところで下車をした。通常のバス乗務員一人が入れ替わりに乗り込んできた。
 バスは再び走り出す。しかし、なんだったのだろう。あの三人は?三人とも背が高く、すらりとしたスタイルで、顔かたちも整っている。金勘定も非常に慣れた様子だった。後から乗り込んできた、バス乗務員とは明らかに様子が違う。こうした春節の混乱した状況を捌くことを専門にしているようにすら見えた。春節だけの間、ここで臨時の仕事をするどこかの会社の会計スタッフなのではないかと勝手な想像を巡らせた。
 

 バスはかなり立派で、全席皮シートで足下も今まで乗車したことのあるいわゆる豪華型バスに比べてもずっとゆったりとしている。しかも、右側に二列左側に一列と縦に三列しかない。深セン⇔汕頭間はドル箱路線なのかもしれない。(今日は春節料金で170RMB/人だが、普段は150元。過去の記録を見てみると、5年前も150元だった)。

 汕頭に行くのも5年ぶりだ。あの時は、汕頭市、潮洲市、梅洲とぐるりと回って深センにもどったのだったなどと回想にふけっていると、Zが昨日買っておいたお菓子や果物を取り出して食べ始めた。バスの乗務員がスポンジ風のお菓子とミネラルウォーターを配ってくれたのだが、それはお気に召さないらしい。Zがけっこう宣伝しているお菓子よというので、私は一口だけ食べてみたがあまりおいしくなかった。結局、Zと一緒になって、持ち込んだ食べ物をむしゃむしゃと食べ始めた。

  しばらくすると、Zが私を突っついて前方の客を指し示した。私が目を向けると、「さっきあのダンボールから子犬が顔を出していたわ」と言う。カップヌードル運搬用のダンボール箱が若い乗客の足下に置いてあり、その上部が切り裂かれているのが見えた。しかし、子犬の姿はない。
 

箱の中の子犬<1> 箱の中の子犬<2>

  11:10、高速道路を出て汕頭市に入った。若干曇り気味。記憶にあった汕頭市は古ぼけた経済特区とは思えないような都市だったが、目の前には真新しいマンション群がずらりと立ち並んでいた。5年でこんなに変わるものかと驚いた。そもそも、汕頭市に一体何があるというのだろうと不思議に思う。隣の福建省との中継都市として発展しているのだろうか。 

  到着が近づいたのに気づいたらしく、子犬がダンボールから顔を出した。周囲をキョロキョロ見ているが、飼い主に甘える様子はない。子犬の持ち主も、手を出して撫でるどころか全く視界に入っていない様子だ。この乗客が飼っているわけではないのかもしれない。 

  11:30,いくつかのバス・ステーションを経由して終点に到着。だが、Zによると、本日の最終目的地である泉州行きのバスはここからは出ていない(今回、Zはわざわざバス・ステーションに電話をして、どこから出ているかを確認しておいてくれたらしい)。汕頭市総合バス・ステーション発とのことだ。Zが乗務員に、「総合バス・ステーションには行かないの?」と尋ねると、「総合バス・ステーションまで送迎する無料定期バスを運行しているんですが、さっき出て行ってしまったばかりみたいです。代わりに、タクシーでお送りしますので、ご安心ください」と回答が返ってきた。おおっ、すごいサービスだ。 

  結局、別の乗客一人と乗り合いでタクシーに乗って、総合バス・ステーションに向かうことになった。運賃の20元はバスの乗務員が払ってくれた。「すごいサービスがいいわね」とZが感心している。確かに、こんなサービスは初めてだ。朝の3人組には見劣りするものの、この乗務員もテキパキとした態度で、とても中国人とは思えない。このバス会社だけが特別な教育でもしているのだろうか。或いは、沿海側のバス会社間の競争が激しくなっているのかもしれない。

  タクシーの中から眺める汕頭の街中は新しい建物と旧い建物が入り混じっていた。郊外はもともと建物が少ないし、地価も安いから、開発が進めやすいのだろうが、街中となると一気に開発するというわけにもいかないのだろう。それだけに、五年前に来たときのことが思い出されて、懐かしくなった。窓から流れ込んでくる風の匂いに誘われて、次々に記憶が蘇ってきた。

五年振りの汕頭<1>
 
汕頭市バス・ステーション
 
五年振りの汕頭<2>

  11:45、総合バス・ステーション着。道も混んでいてい意外に時間がかかった。郊外のバス・ステーションで乗客を降ろし、中型バスやタクシーで総合バス・ステーションまで送り届けるというのは、高価な豪華型バスを有効利用しようというバス会社の戦略なのだろうか。タクシーを降りると、Zが「深センに比べると、ずいぶんと寒いわね」とつぶやいた。確かに気温がいくぶん低いようだ。泉州に着いたら、もっと冷え込むのだろう。 

  泉州までのバスチケットは160元/人だった。12:30発で、到着は5:30を超える模様である。時間はまだあったが、Zは気がせいているらしく、とにかくバスに乗り込むことになった。バスは40シートぐらいの豪華型バス。深セン⇔汕頭間ほど立派ではいが、よく利用する広州⇔○○(私の住んでいる街)のバスよりも格上の車種だ。 

  12:30発。出発は時刻通りだったが、あちこちのバス・ステーションを経由してなかなか汕頭市を出て行かない。そのうちの一つはすでに使われていないバス・ステーションのようで、運転手が代わるからといって三人いた乗務員たちは一人を残して下車してしまった。ここで、1:30近くになってようやく出発したと思ったら、なんと出てきたはずの総合バス・ステーションの前を通り過ぎた。ぐるぐる回って、元の位置に戻ってきていたのだ。結局、汕頭市を出たのは1:40になってからであった。 

  福建省に入ると、周囲の景色が緑色に変わった。樹木が増えてきたのだ。考えてみれば、深センから汕頭にかけては緑が極端に少なかった。暖かい地方だというのにどういうわけだろう。

 5:40、泉州の総合バス・ステーションに到着。運転手と乗務員が交わしていた会話からすると、通常は5:00には着くようだ。あれだけ道草をくっていれば、遅れるのも当然か。

三年振りの金洲大酒店 泉州の自転車力車
泉州の夜

 バス・ステーションを出てまっすぐにホテルへ向かう。3年前に宿泊した「金洲大酒店」だ(注:途中汕頭は5年振りだが、泉州は3年振り)の。歩いて5分ほどのところにある。豪華なホテルではないが、ビジネスマン向きの経済的な作りだった。3年前はリフォームしたばかりとあって綺麗だったが、現在はどうだろう。

 バス・ステーションを出て歩道を歩く。道路は自動車とバイタクと自転車力車と歩行者が入り込んで、大変な状態だ。歩道にも、平気でバイタクと自転車力車が乗り込んでくる。そういえば、泉州は深セン特区外以上に交通が混乱しているんだっけと思い出して、Zに注意を呼びかける。ここでは、360度に気を配らなければ、いつ事故にあってもおかしくないのだ。ホテルまでの道のりにある商店の様子は3年前とあまりかわない様子だった。

 

泉州第一日目の夕食

   ホテルに着くと、念のため部屋の下見をした。3年前とあまり変わっていない。床も以前と同じフローリングで、清潔な感じだ。バスにタバコの焦げ跡がいくつかついているのが難点だが、許容範囲だ。チェックイン。一泊168元。保証金は400元だった。フロントの横に、列車と飛行機のチケット販売コーナーがある。これなら、武夷山行きもスムーズに進むかもしれない。

 部屋に入って、Zと本日のスムーズな旅程を喜び会う。Zが「だいたい○○(私の名前)は心配しすぎなのよ」と最後に余計なことを言うもので、私は(お前も、めちゃめちゃ心配してただろう!)と心の中で叫んだが、口には出さなかった。すぐにホテルを出て、自転車力車をつかまえた。清浄寺までは6元と言われてタクシー並の料金に鼻白んだが、二人だからそんなものかと値切らずに乗った。何より、久しぶりに、この喧騒な街を自転車力車で抜けていくのが楽しみだった。 

 バス・ステーションに到着した時はまだ明るかったが、今はもう街中が真っ暗だ。商店や道路脇のライトの明かりだけが頼りの状態である。運転手の腕に期待するしかない。自転車力車が自動車やバイクの間をすり抜けて行くのをひやひやしながら見守った。そう言えば、三年前、泉州に来たときは、あちこちを自転車力車で回ったものだ。なかでも、海上博物館にいくときに乗った自転車力車の運転手は何十年もこの仕事を続けているとのことで、いろいろな話を聞かせてくれたっけと懐かしく思い出した。そもそも、これだけ発展している街にいまだに自転車力車があるのも不思議だ。市内に見所が多いから、観光客の便宜をはかっているとも言えるだろうが、やはり弱者救済という意味が強いのではないだろうか。強き者には強き者の活きる道を与え、弱き者には弱き者の活きる道を与える。泉州はそんな都市なのだろう。
 
 18:15、清浄寺前に到着。しばらく辺りをぶらついて、目に入ったレストランに入った。メニューがなくて、水槽にある魚やエビ・カニなどを選んで料理を決めるのだという。カニの値段を聞くと、500gで100元ぐらいだと返事がきた。カニの種類が違うのだろうが、深センの二倍近い値段だ。Zがここはやめて別の店にしよと言い出したが、今さらレストラン巡りも面倒くさい。安いものを聞いて、それで注文しようとなだめて席に座った。

 貝系の料理や卵料理で安いものを選んで注文。出てくるのは遅かったが、味は良かった。合計47元。安く上がって良かった。 
 レストランを出て、Zの買い物にしばらく付き合った後、タクシーでホテルへ戻った。タクシー代が6元だったので、Zが「何よ、自転車力車と同じ値段じゃない。これだったら、行きもタクシーで行けば良かったのに」と文句を言う。なるほど一理ある。二人だとタクシーと変わらない値段になってしまうのか。でも、風を受けながら街中を通り抜ける楽しみはタクシーでは得られない。やはり、泉州では自転車力車は欠かせない乗り物だ。 

 7:40ホテル着。強行軍でやってきて、身体がぐったりしている。シャワーで汗を流すと、早々に眠りについた。Zは相変わらず、テレビ鑑賞。一体何時に眠るつもりなんだ。
2007年2月16日

  7:30、部屋を出た。昨日は一泊分の手続きしかしていない。昨晩泊まった限りでは、騒音もなく問題はなかったので、フロントでもう一泊の延長続きをした。普通は、延長をすると保証金の追加を要求されるが、ここではコンピュータへ追加入力をしただけで、保証金の追加はなかった。ついでに武夷山への列車チケットの購入をしようと隣のカウンターへ行ったがまだ開いてなかった。そこで、隣の「藍&海」で朝食をとることにした。 

 「藍&海」は格安のファーストフード店。早朝だと、他に注文をすれば、ご飯や白粥はいくら食べても無料(他の時間は2元)。おかずも一皿6元が中心の料理で比較的安い。郊外だとそれでも庶民の標準からすると高い感じがするが、都市内では手頃な値段となるので、主に都市圏や観光地で展開されているようだ。私も一人で旅行中にしばしば利用したが、若干油がきついのが難点だ。でも、一皿のおかずが多すぎず、少人数で食べるには良いと思う。Zの気も気に入ってくれたようで良かった。  

第二日目の朝食

  朝食を終えると、昨日の総合バス・ステーションから数キロ離れたところにある中心バス・ステーションへタクシーで向かった(7RMB)。崇武古城へ行くためだ。三年前に行った時は、ごちゃごちゃした街中にある小さなバス・ステーションから出発したのだが、すでに場所を忘れてしまった。そこで、インターネットで改めて調べなおしたところ、中心バス・ステーションからバスが出ていることがわかったので、そこから行くことにしたのだ。 

 中心バス・ステーション到着(8:00)。雨が降り始めた。チケットを入手して、乗車(10RMB)。3年前と料金は同じだが、バスも同じようにボロバスだ。出発時は私たち以外には3人の乗客しかいなかったが、途中から次々と客が乗り込んできて、崇武に近づいた頃には、ほぼ満席となっていた。

崇武行きのバス

 9:00、崇武に到着。街が見違えるほど立派になっている。古城は海に面している。歩いて行ける距離だが、方角に自信がなかったので、近くのスーパーで飲物を購入し、ついでに方角も確認し、出発した。雨はすでに止んでる。  

 新しい商店街もできており、ホテルも建設中のようだ。「高級ハワイ海景別荘群」と書かれた大きな看板も出ている。美しい海岸以外には特に産業もなさそうな街だというのに、なぜこんなに発展したのだろうか。汕頭もそうだったが、中国全体を覆っている不動産購入熱と関係が深いのかもしれない。港の様子は三年前とあまり変わっていないが、以前よりも活気があるような気がした。 船もやや大きくなっているような?

崇武の街中
 
古城への途中
 
高級ハワイ式マンション

 十数分歩いて、古城の門に到着。チケットは25元/人。三年前来たときは、古城だというのに、城壁が真新しく内部の建物も建てたばかりという様子に不自然さしか感じなかった。今はどうなっているのだろう。城壁の外側には、以前と変わらず、三国志や水滸伝をテーマとした石像が並んだ公園が広がり、そのさらに外側に海が広がっている。再び雨が降ってきたので、傘を広げた。

 

崇武古城
 
崇武古城の海辺

 公園に沿った海岸線は岩場となっている。岩から岩へと渡って海のそばへ行きたい気分だ。しかし、足でも滑らせたら大変だ。諦めて、海岸線に沿って歩き続けた。すると、亀そっくりの岩をあった。いや、そっくりの域を超えている。彫ったな。中国の鍾乳洞でよくみかける人工物だ。こんな風にしないで、自然のままだったら、そこそこ似てるだけでも感動できるのにと思うのは私が日本人だからだろうか。他民族の中国では、やはり明確にわかる表現でないと理解してもらえないのかもしれない。なんて 。

亀岩

 海岸を端まで歩いていき、丘に登った。丘の途中に石造りの灯籠があり、その一番したに小さな犬が陣取っていた。四方が開いているので、風も防げないし、小屋としてはあまり役に立たないように見えるが、犬は「ここは俺の家だ」と宣言するような表情でこちらを睨み付けてきた。犬好きの私は、以前だったら、恐る恐るでも手を伸ばしたことだろう。しかし、最近、中国の新聞では狂犬病のニュースが紙上を賑わしている。Zが言った「噛みつかれるわよ」の一言に押しとどめられて、そこを離れることにした。

犬のお城

 丘を越え、砂浜のある海岸に足を踏み入れた。波が押し寄せる音、潮の匂い、しばらく振りだ。日本ではどこに行っても海を拝めたのに、中国ではよほどのことがないと海のそばに来る機会ない。だから、とても嬉しい。もっとも、沿岸の都市はどこも発展してしまっていて、中国らしさは感じられなくなってきている。海のない内陸でこそ中国旅行の醍醐味が味わえるのだから、私の思いも矛盾だらけというものだ。

 「これがZに見せたかった浜辺だよ。残念ながら、雨で暗い色になってしまっているけれどね」と私が言うと、Zは気を遣って、「うん、本当に綺麗よ」と言ってくれた。いや、本当に残念。晴れた日にもう一度連れてきてやりたいけど、さすがにもう一度来ることはないだろう。そのうち、青島辺りにいったら綺麗な砂浜が見られるかな。

崇武古城の海辺
 

 雨は降り止んでいるので、砂浜に沿って散歩するには差し支えない。波が寄せては引いて寄せては引く様子を眺めながら歩いていると、後ろからZが「きゃあ、濡れちゃったわ」と騒ぎ立てる声が聞こえた。振り返ると、Zがこちらに走り寄ってきた。「どうしたんだ?」と尋ねると、「さっき貝殻があったから、波のそばまで拾いにいったら、すごい勢いで波が戻ってきたのよ。逃げるのが間に合わなかったわ」と憤慨しきりだ。残念、面白いシーンを見損ねた。

  浜辺を端まで歩いて、再び丘を登った。古城の城壁の角のところへ出た。城壁の角に入口があり、階段を登ると城壁の上に登れるようになっている。見張りのスタッフ?にチケットを見せて上へ登った。ここから古城の内外が広く見渡せるが、柵で囲まれているため、他へ出て行くことができない。やむなく、階段を下りることにした。3年前に来たときも、ここまでで止めた。古城の外側を一周することもできるようだし、この丘のさらにさきにも綺麗な海岸がもう一箇所見える。だが、雨が再び降ってきたため、ここで散策を終了することにした。

崇武古城
 

 城壁に沿って、入場口へと向かった。城壁の中ほどの所に古城の中に入る大きな門がある。前回来た時には、中の建物のあまりの真新しさにいささか興ざめしたが、三年経ち、若干建物が古ぼけてきて、少しばかり古城らしくなってきた。もう10年も絶てば古代の建物として立派に通用しそうな感じだ。世界遺産に登録される日も間近か?(ちょっと無理)

  外を出た頃には、雨は降り止んでいた。再び城壁に沿って歩く。城壁沿いには子持ちクジャクの樹が並んで植えられている。(10:30)。私たち以外に人影がなく、いかにも寂しげなたたずまいだ。夏になれば、大勢の観光客で賑やかになるのだろう。でも、そうなると、美しい海岸を楽しむというわけにいかなくなるだろうから、ここに来るのは冬が一番良いと思う。

魚巻
 

 古城の入場口の外側には、崇武名物の魚巻の店がずらりと並んでいた。だが、シーズンオフのためか、卸し売りの店ばかりで、食事ができそうな場所がない。前回来たときには、このうちの一軒で、魚のつくねスープを食べたのだが、店の模様が様変わりしてしまっていて、どれがその店がわからなくなっていた。せっかく来たのだから、Zにもあの魚のつくねスープを食べさせてやりたいと、うろうろしているうちに、小さな魚巻の店が目に入った。店内を覗いてみると、若い女の子が出てきた。「ここで魚巻が食べられるか?」と尋ねると、「これが魚巻よ」と脇にある棚を指さした。見ると、棚の上に、細長くて太いソーセージのようなものが一本一本ビニルに包まれて並べられていた。「これじゃなくて、このつくねのスープをここでたべさせてくれないのかな」と要求してみたが、駄目だと断られた。ここでは製造しかしていないらしい。「この魚巻って、料理せずにそのまま食べられるの?」と聞くと、「大丈夫よ。まだ作ったばかりだから暖かいわ。一番暖かいのを選んであげる」と答えが返ってきた。「じゃあ、二本だけ」。女の子はビニル袋に包装された魚巻を何本か手にとって、暖かいのを選んで袋に入れてくれた。(5元/本)

 道を歩きながら、一本ずつ二人で、魚巻をパクついた。魚の味わいが深く、美味しい。が、若干油がキツイ。やはり、生で食べるものではなく、煮物などの種の一つとして食べるように製造されているようだ。Zに感想を尋ねると、「美味しいわ。でも、食べきれない。あげる」とちぎって半分を渡された。うまければ油が少々きつかろうと、大丈夫。瞬く間に全部平らげた私だった。

清源山行きのバス

 11:00、来たときと同じ会社のバスに乗って、泉州へ向けて発車。Zが足を揺らせて、さきほど海辺で濡らしてしまった靴を示した。「もう、びしょびしょよ。靴買わなくっちゃ」とぶつぶつ言っている。靴を買って欲しいというアピールらしい。「大丈夫だよ。それぐらい。すぐ乾くよ」。「何言ってるのよ、びしょびしょで大変だわ。風邪引いたら困るでしょ」。「Zは風邪引いたことないだろ」。「ひどい!」激しい攻防が続く。濡れたぐらいで靴を買うのはどうも納得がいかない。しかし、昨年、湖北省に旅行して雨に打たれ私の靴が濡れた時、Zに説得されて新しいのを購入した実績がある。もはや、靴を買うことは避けられまい。

  12:00、出発した時と同じ中心バス・ステーションに到着。バスを下車すると同時に、「靴、靴」と騒ぐZ。「こんなところで靴なんか売ってないよ。『老君岩』に行ってからにしたら?」。「あった、あった、あそこにデパートがあるわ」。「えっ?」。どういうわけだか、バス・ステーションのすぐ横に立派なデパートがあった。(なんだか高そうなデパートだな)と顔をしかめるが、手遅れ。Zがずんずんとそちらへ向かっていく。慌てて後ろを追いかけた。

  一時間後、新しい運動靴を手に入れたZは、ニコニコ顔だ。私は出費は痛かったが、一時間に渡るショッピングが辛かった。なんで、旅行に来て靴の購入のために一時間も歩き回らなければならないんだ。しかし、ひたすら靴ゲッートに喜ぶZの前では、私の怒りなど存在しないに等しかった。

 中心バス・ステーションに戻り、「清源山」行きのバスを探す(ガイドブックによると、清源山の中に「老君岩」があるらしかった)。バス(15号)はすんなり見つかったが、ドアを閉め切っていて、発車する様子がない。他にも数人の客が発車を待っている様子だ。中を覗いてみると、チケット切りの女性スタッフがぽつんと座っていた。ガラス窓が開いていたので、背を伸ばして「いつになったら出発するんだ?」と声をかけてみた。しかし、返事がない。諦めて待っていると、数分後、後部座席から男がむくっと起き上がってきた。どうやら、運転手は後ろで昼寝をしていたらしい。ドアが開いたので、他の客たちと一緒に私たちも乗車を始めた。

 バスは郊外に向かっていった。雨がどんどん強くなっていく。これでは、山登りができるかどうかわからなくなってきた。到着して、すぐに戻るはめになったら情けない。しかし、泉州では、他にあまり行けるところがない。泉州にはいくつか、歴史の長い橋があって一人旅なら是非とも足を伸ばすところだ。しかし、Zと一緒では、「つまらない」の一言(と表情)で却下されるのは間違いない。とにかく、「老君岩」さえ目にすることができればという気持ちで雨に打たれるバスの窓から外を見やった。

 1:40,バスが病院の駐車場で停車した。終点だという。「清源山」に行くはずではなかったのか。Zが女性スタッフに尋ねると、すぐに降りて隣のバスに乗れと言われた。「はやくしないと出発しちゃうわよ」とのことである。慌てて、下車して、隣のバスに飛び乗った。同じ15号バスである。わけがわからない。
 
 バスはすぐに出発した。Zが「これって、来た道を戻っているだけじゃない?私たち、さっききた道を戻っているだけみたいよ。ほらっ、きっと私たち通り過ぎちゃったのよ。だから、これでそこまで戻れってことよ」と不安にさせるようなことを言い出す。私の記憶では道が違うような気がしたが、自信がないので黙っていた。しばらくするとバスが山の中に入り始め一安心。バスの運賃も、最初のバスで払った分だけで良いようで、新たに取られることはなかった。


 五分ほどで、終点に到着した。15号バスが数台並んでいる。どうやら、15号バスは、市内から病院、病院から清源山の二種類があり、病院で連結するような運行になっているようだ。なんでそんな風にしているのかわからないが・・・。
 下車はしたものの、清源山の入口がどこにあるかわからない。案内板もない。仕方がないので、Zが公衆トイレを管理しているおばちゃんに場所を尋ねた。おばちゃんが「あっち、あっち」と指さして教えてくれたので、そちらの方向に歩くことにした。。雨が激しく降り続いており、とても山登りどころではないが、行けるところまで行くことにした。

 階段を少し登ったとこに、「清源山」の入口があった。チケット売り場の窓口で尋ねてみると、「清源山」は数カ所に入口が分散していることがわかった。さて、どうしたものか。せっかく来たから山登りをしてみたい気持ちもあるが、なにしろ雨が強い。「どうする?」とZに尋ねると、彼女も思案顔だ。それで、「とりあえず、先に『老君岩』に行ってそれから決めることにしよう」と提案すると、Zも同意した。


 Zがチケット売り場のスタッフに「老君岩」の方角を尋ねて、そちらへ向かった。入口がずいぶんと離れているらしい。さきほどのバス停まで戻り、さらにまっすぐ歩いていく。「本当にこっちでいいのか?」とZに尋ねると、「間違いないわ」と自信満々だ。(本当かよ)と疑問が頭をよぎった。「駐車場の向こう側だっていってたもの」とZが付け加えた。なるほど、しかしもう数十メートルは歩いてきたぞ。「もういちど、もどって確認した方がいいんじゃないか」と言うと、「大丈夫よ。なんだったら、賭ける?」と賭けを持ちかけてきた。うーん。よくわからないが、いくら何でも、こんなに入口が離れているのはおかしい。そう考えて、賭けにのることにした。私とZの間の賭けは原則として10RMBである。だから、負けてもそんなに痛くはない。負けると自尊心が傷つくが・・・。

 さらに数十メートル進んだところで、Zが「あったわ、『老君岩』があったわ」と喜びの声をあげた。「どこ、どこ」と目を凝らすと、たしかにあった。岩に赤い文字で「老君岩」と書かれている。「さあ、10RMBちょうだい」とZが手を伸ばしてきたので、仕方なく紙幣を手渡した。Zが「ふふっ、実は私、バスでここを通り過ぎた時、この『老君岩』って描いてある岩を見たのよねぇ」とネタばらしをした。「だから、(チケット売り場のおじさんが)駐車場の向こう側だって言ったときに、ピンと来たのよ」と自慢げだ。おいおい、そいつはずるいじゃないか。金返せと言いたいが、もう後の祭りである。そもそも、そんな情報を抱えていたら、最初に清源山の方角を聞いたときにおかしいと思わないのかと考えたが、Zに尋ねさせたのは私なので文句は言えなかった。

清源山の入口
 
老君岩の入口
 

  チケットを購入して、入口を抜けた。雨は相変わらず降り続いたままだ。とにかく「老君岩」を見るまでは頑張らねば!そういい聞かせて、階段を登っていくと、数分も経たないうちに小さな広場に出て、その奥に「老君岩」があっけなく現れた。えっ、こんなにすぐに・・・。ホントにこれが?私もZも自分の目を疑いながら、像に歩み寄った。うーん、ガイドブックの写真と同じだ。Zは「これはいくらなんでも違うでしょ。もっと高いところに、本物があるのよ」と失礼なことを言い続けている。「いやいや、偽物ってことはないよ。こんなところに偽物をおいてもしかたがないし・・・」と言う私も、半分は自分に向かってつぶやいていた。「だって、写真だと、すごーく高い場所にあるように見えるわよ」とZ。確かにその通り、写真だとそのように見える。まぁ、写真の取り方がうますぎるんだよ。それに、ここまでバスに乗ってきたから、近いように感じるけど、ふもとから歩いて登ってきたなら、それなりの距離があるからもっと有り難みがあったに違いない。

老君岩

 

 こんな私たちを「老君岩」がどう思っていたかはわからないが、その顔は「まぁまぁ、世の中そんな物さ」とでも言うように優しく微笑んでいた。人を和やかにする像だ。「この像の髭に触ると、幸運が訪れるとかって、ガイドブックに書いてあったぞ」と言って、私が像の前の植木の中に入っていこうとすると、Zが「駄目、駄目よ!管理人さんに見られたら怒られるわよ」と大声を出した。「大丈夫だよ」とさらに足を進めようとすると、「駄目!駄目!見つかったら、罰金よ」。Zの声はさらに大きくなり、私がそれ以上進もうものなら、眠っている管理人を呼び起こしかねない勢いである。いつもは私が注意する役目なのに、こんなに言われたら、私がまるで駄々っ子のようだ。諦めて、引き下がることにした。Zは迷信深いところがあるから、像に触ると罰が当たるとでも考えたのかもしれない。

 「老君岩」の右横に上に登る階段が続いていて、ずっと先まで歩いていけるようになっている。ちょっと登ってみたが、降り止まない雨に嫌気がさし、諦めることにした。まだ今回の旅のメインである武夷山が控えているし、無理をするのもよくない。通り過ぎる時、もう一度「老君岩」に挨拶をして出口に向かった。

 バスに乗って、ホテル近くで下車。雨が降っていることもあって、もう泉州で行きたいところはなくなってしまった。そこで、ホテルを半日借りということにしてもらって、引き払い、一気に武夷山に向かう案を考えた。武夷山行きの列車は夜の7時頃だから、一泊分の費用が浮く。だから、仮にホテルの半日借りへの変更がうまくいかず、一泊分損することになっても引き払ってしまおうと決めていた。

 まず、ホテルのフロント脇にあるチケット売り場で武夷山行きの列車チケットの入手を試みた。しかし、スタッフが「泉州のネット担当者が春節の休みで今日からいないんだよ。だから駅まで行かないとチケット買えないよ」と冷たい声で返事を寄越した。「だったら、なんでここにいるんだよ」と私がつぶやくと、Zが「きっと飛行機のチケットは売っているのよ」と冷静な判断を示した。いつもそれは私の役目なのに・・・。Zよ、立派になったな。

 とりあえず、フロントで、半日借りへの変更は可能かを尋ねてみると、残念ながら駄目とのことだった。まぁ、列車のチケットさえ手に入れば、ホテル代は棄てることになってもいい。泉州駅までタクシーを飛ばすことした。

 駅までは相当遠くて、タクシーを20分ぐらい走らせることになった。これだったら、清源山から直接タクシーを飛ばしても良かった。だが、その時はまさかホテルで予約できないことになっているとはおもわなかったから、仕方がない。

 3:30,泉州駅到着(14.5RMB)。

 武夷山へのチケットはあった。だが、なんと無座。「硬臥」はないのかとZに尋ねてもらうと、窓口のスタッフは、「今頃になって、『硬座』?あるわけないでしょ」と冷たく答えた。続けて「軟臥」についても尋ねたが同じくなし。現在は中国人も豊かになってきたので、「硬臥」がないとなれば、皆平気で「軟臥」を買うようになった。十年以上前に旅行した時には、駅の構内から客が溢れるほどに客が並んでいても「軟臥」が買えないということはなかった。昔が懐かしい・・・。

 武夷山まで列車では10時間以上はかかる。まさか、無座で行くわけにいかない。明日なら「硬臥」があるという話だったが、そうなると、明日一日をどうやって過ごすかという問題がある。しかも、夕方までに戻ってこなければならないという制約付きで・・・。泉州で近場でいける場所となると、古代の橋ぐらいしか思いつかない。そのうちの一つには、すでに行ったことがあるし・・・。

 
泉州駅

 一旦、ホテルに戻ることにし、タクシーを探した。駐車場に停まっていた唯一のタクシーに行き先を告げると、メータでは行ってくれず、「20RMBだ」の一点張り。怒ったZが、他のタクシーで行くわ!と宣言すると、「わかった、わかった、メータで行くよ」と途端に態度を軟化させたが、後の祭り。20RMBだなんて無茶な値段をつけてくる運転手なんて信じられないわ。絶対、貴方のタクシーなんか乗らないと言い返して、その場を離れた。

 Zの奴、啖呵を切ったは良いが、代わりのタクシーがいないぞと心配したが、幸い、客を乗せたタクシーが次々に駐車場に滑り込んできた。そのうちの一台に乗ってホテルへ向かった。

第二日目の夕食

3:55、ホテル着(15RMB)。夕食は朝食同様、ホテル脇の「藍&海」で食事することになった。せっかく二人で旅行に来ているのに、夕食まで「藍&海」とは・・と考えたが、Zが気に入ってしまっているようだったので仕方がない。食事は全部で41RMB

4:25、食事を終えると、総合バス・ステーションへ行き、アモイまでのチケットを手に入れた(42RMB/人)。明日の早朝に、アモイへ向かい、アモイ駅で泉州までのチケットを入手。昼間はコロンス島観光をして、夜の列車で泉州へ向かうという算段だ。列車のチケットが予定通り買えないと計算が狂うが、アモイ発武夷山行きの列車は泉州発よりも数が多い。多分大丈夫だろう。

 チケットを手に入れた後は、Zのデパートでの買い物に付き合ったり、足マッサージに行ったりして時間を過ごした。開元寺にも足を伸ばしたが、夜遅かったため、もう閉まっていた。開元寺前の西街通りは、以前と同様ひと時代昔の街並みの雰囲気を残していたが、時計台のある東街との境当たりから、徐々に建て替えが進んでいるような感じであった。いずれ、全て新しい建物に変わってしまうのだろうと思うと残念だ。

8:10、タクシーでホテル着。明日に備えて、早めに床に着く。Zは・・・、またテレビだ。「早く寝ろよ」と声をかけてベッドに潜った。

2007年2月17日

 5:00,起床。いささか風邪気味だ。不安だ。昨日、だいぶ雨に濡れたからなぁ。

 5:45,チェックアウト。

 5:50,総合バスステーションへ向かう。すでに雨は止んでいるが、道路はまだ湿っている。今回の泉州旅行は、雨のために、すごく満足がいったというほどではなかった。次に来るのはいつのことだろう。或いは、もう二度とくる機会がないかもしれない。

泉州総合バス・ステーション

 バスを待って、改札の辺りをウロウロしていると、ここからも「崇武(古城)」行きのバスが出ていることが判明した。わざわざ、タクシーに乗って中心バス・ステーションまで行くことはなかったのだ。以前に来た時は探してもなかったのと、インターネットの情報で中心バス・ステーションと書いてあったのとで、先入観ができあがっており、ここから「崇武(古城)」が出ているとは考えもしなかった。到着した時に、チェックしておくべきだった。失敗。

 6:20,バス発。2階建てのバスだ。これは深セン→汕頭市行きのバスに劣らないぐらいの立派なバスだった。

アモイ行きのバス

 「泉州探検記2」はここで終わりです。この旅は、「厦門探検記2」へ続きます。