9:20、泉州新バス・ステーション着。時間も早いので、次の移動の準備を兼ねてバス・ステーションをぐるりと回ってみた。このバス・ステーションは変わった作りになっていて、切符売り場の建物とバス発着所の建物が別々になっている。なんだか、(中国の)病院みたいなつくりだ。厦門(アモイ)行きのバスもここから出ているようだから、次の移動はこのバス・ステーションからでいいだろう。問題は、郊外への移動だ。泉州の見所は郊外にあるそうだから、郊外への移動の足を確保しなければならない。しかし、このバス・ステーションからは郊外へのバスは出ていないから、別のバス・ステーションを当たる必要がありそうだ。
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【塗門街】 |
まずは駅の売店で地図を購入し、ホテルを物色する。どうやら「泉州酒店」というホテルが「開元寺」と「清凈寺」の両方に近くて便利なようだ。そこで、バイタクをつかまえて直行。バイタクの後部座席から眺めた泉州の街並みは、都市計画がよく行き届いており、非常に綺麗だ。商店街のほとんどは西洋風に建設されており、歩道が建物の中に組み込まれていて雨が降っても歩行者が濡れないですむ構造となっている。
ホテルに着くとロビーを抜けてフロントへ。ロビーがやけに金ピカな内装になっているなと思ったら、案の定、宿泊料が馬鹿高い。「一泊680RMBです」という答えを聞いて、私の視線が宙に浮く。一応値段交渉をしたほうがいいだろうか、それとも無駄だろうか。結局、後者の考えが優位を占め、何も口に出すことなくホテルを出た。
道路を渡って、向かいの歩道で地図を取り出す。「温陵北路」にホテルが集中しているようだ。そのうちの一軒である「金城酒店(ホテル)」に目標を定め、バイタクと交渉。5RMBの言い値を3RMBに負けさせ、出発した。うまく値切れたなと喜んでいると、途中の「金泉酒店」というところでバイタクが突然停車した。こちらが戸惑っていると、運転手が振り向き「着いたぞ!」と言う。「俺が行きたいのは金城酒店だ」と主張すると、「お前は金泉と言っていた。金城酒店はもっと先だ。あんな遠くまで3RMBでいけるわけないだろ」と言い張る。発音が苦手な私の弱点を突いた嫌な攻撃だ。普段はこの攻撃を避けるために、別の単語を交えて確認をしたりする(例えば、「城」は「城市」の「城」だと念を押す)のだが、今回は泉州の街の美しさに騙されて油断していた。
不愉快だが、無理やり後部座席に乗りなおしても危ないだけだ。「それなら2RMBだけだ」と言い渡して、お金を押しつけて立ち去る。一瞬追いかけてくる様子を見せたが、バイタクの運転手も損をしたわけではない。諦めて別の方向に走り去っていった。
それから「八一大酒店」と「金城酒店」を回ったが、どちらも雰囲気が暗く中に入る気がしなかった。そこで、「温陵北路」から「温陵北路」へ下り、結局、出発点である泉州新バス・ステーションまで戻ってきてしまった(10:30)。
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【温陵北路】 |
バス・ステーション周辺は出稼ぎ労働者の溜まり場になりやすく、環境がよくない場合が多い。だから、私が宿泊場所をバス・ステーションのそばに定めることは滅多にない。だが、この泉州新バスステーションの周辺は百貨店等もあり、ショッピング街としてもある程度発展していた。そこで、この辺りのホテルにアタックしてみることにし、バス・ステーションに沿って走っている「泉秀街」を下っていった。
*注)「泉州新バス・ステーション」は「新」と名乗っているぐらいだから、周辺の環境が整ってから建設されたのではなかろうか。だから、雑然とした感じが少ないのだと思われる。
少し歩いたところで、見慣れたチェーン店が現れた。中華ファーストフード店「藍&海」である。このお店は「稀飯(一種のお粥)」が食べ放題で2元。その他、多種多様な料理を一皿3-10RMBぐらいで手軽に楽しめる。どちらかというと一人身のビジネスマン向けのお店で、発展する中国が生み出した、新たなる食の形態を代表しているとも言える。
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【金洲大酒店】 |
「藍&海」に続いて「金州大酒店」の看板が見えた。外から見ると、「金州大酒店」の建物の一部を「藍&海」が借り切っている形となっている。「金州大酒店」は「大酒店」の名とは違って、こじんまりとしたホテルだ。しかし、ビジネスマン相手の「藍&海」が同じ建物内で営業しているくらいだ。それなりに良いホテルのはずだ。そう推測して、ロビーに入った。
フロントではスタッフが忙しげに客をさばいている。宿泊料を尋ねてみると、シングルが158RMBとのことであった。さっそく部屋の下見をさせてもらう。内装は福州で泊まった部屋と比べると大分落ちるが、料金を考えると悪くなかった。ただ、カーペットが若干汚かったので、対面にあるダブルの168RMBの部屋をとることにした。そちらの方は床がフローリングになっていて、清潔感があったからだ。リフォームをしたばかりのように床の木材がニスでピカピカになっていた(10:50)。
チェックインを済ませてちょっと休憩。11:40、ホテルを出て、通りががかった自転車力車と料金交渉に入った。運転手の言い値4RMBをま3RMBに負けさせて「天后宮」へ向かう。泉州の交通状態は非常に悪い。規則などないも同然。自転車力車とバイクと車が入り乱れて好き勝手に走り回っている。私を乗せた自転車力車のおじさんは、その混雑の中を絶え間なくベルを鳴らしながら押し抜けてゆく。私はいつ、どこから追突されるかとヒヤヒヤし通しであった。
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【天后宮】 |
11:50、「天后宮」着。入場は無料。閑散としたお寺で参拝客も少ない。「天后宮」は南宋時代に建設されたもので、海の女神が祭られている。清の康熙皇帝の時代に台湾統一に霊験あらたかであったとして、朝廷より「天后」の名を賜ったとのこと。
「天后宮」を出て、道なりに歩いていくと、「晋江」の河べりに出た。河べりは小さな公園になっていて、日の光を浴びてのんびりと散策するにはよさそうだ。ただし、河から公園を隔てたすぐのところに堤防があるところをみると、豪雨の時には公園ごと川底に沈んでしまうのだろうか。想像すると少し怖い。注意してみると、先ほどくぐり抜けてきた堤防から公園への入口には巨大なドアが据え付けられてあって、いつでも水を遮断できるようになっている。恐らく観光客向けの雰囲気作りとして作られているのだろうが、堤防の上方が城壁型に凹凸を繰り返しているのも、洪水との熾烈な戦いを示しているようで恐ろしい。背筋が寒くなり、慌てて堤防の内側へと逃げ込んだ。
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【晋江の河べり】 |
「晋江」に沿って走っているのは「堤后路」だ。この通りは街外れにあるにもかかわらず、とても中国とは思えない立派な住宅地が並んでいる。泉州の市内では、あちこちにこうした華洋折衷の豪華なマンションが建設されている。外装に凝ったマンションが泉州ほど多く建てられている場所は、今までにみたことがない。市長が特別な方針でももっているのだろうか。
「堤后路」から「義全西街」へ折れ曲がり、「清凈寺」を目指しつつ歩く。面白い屋台でも出てないかと期待したが、人出もほとんどなく、ただ豪華マンションが続くばかり。作られた美しさは旅人を退屈させる。ちょうど人力車が通ったので、4RMBを3RMBに値切って「清凈寺」まで乗車することにした。
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【堤后路】 |
「清凈寺」はイスラム教のお寺(入場料3RMB)。北宋時代に建設されている。敷地は広くない。5分もあれば全部見て回れるほどの面積だ。建物は青・白花崗岩を用いて建てられており、長い歴史が感じられる。過去、福建の新聞で、中国10大寺の一つとして紹介されたこともあるらしい。ただ、10大寺の中には有名な少林寺も含まれており、このお寺の規模からすると、少林寺と同列に並べるのは少し無理がある気もする。
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【清凈寺1】 |
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【清凈寺2】 |
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【千年古井】 |
敷地は狭いが、上の写真にある「柱」と「千年古井」は別格。特に「柱」の置かれている庭は静謐とした雰囲気に溢れており、そこだけが全く別の空間のようだ。古代建築物特有の何らかの設計が施されているのかもしれない。
「清凈寺」の次は「開元寺」へ。自転車力車を呼び止めて乗り込む。「いくらだ?」というと「5RMB」と答えが返ってきた。「高すぎるんじゃないのか?」と文句を言うと、「俺は外地人だから、5RMBなんだ。地元人の人力(自転)車に乗れば8RMBは取られるぞ」と返事があった。外地人の人力車と地元人の人力車では値段が違うのか。乗客にとっては同じだろうに、そんな区別が成り立つのだろうかと半信半疑。
途中、ピザ・ハットの前を通りがかる。中国でも大都市ではピザ・ハットは珍しくないが、建物の1Fに設置されているピザ・ハットは初めてみた。今まで2Fに開店している店しかみたことがないので少し驚いた。(みなさんは見たことがありますか?1Fにあるピザ・ハット)。
12:46、「開元寺」の前に到着。写真をとるために道路の反対側に渡ったところに「象塔巷」という路地を発見。福州で路地の魅力に取りつかれて以来、すっかり「路地ファン」となってしまった。この「象塔巷」は木造の家が多く、路もクネクネと曲がっていて独特の味わいがある。「開元寺」まで来た人は是非歩いてみていってください。
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【象塔巷】 |
そして、「開元寺」。「開元寺」は、唐の時代に建設されたもので1300年以上もの歴史があるそうだ。
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【開元寺】 |
「開元寺」の目玉は、「鎖国塔」と「仁寿塔」の二つの塔だ。これらの塔は南宋時代に建てられたもので、中国で現存する最も高く、最も大きい石造りの塔ということである。高さは40メートルほど。最近できた、私に課せられた「旅のルール」に「塔があったら上れ!」というものがある。福州でも頑張って二つの塔の頂上まで上った。上りは苦しいけれども、頂上に辿りついた時の征服感はなかなかのものである。このお寺では一度に二つもの塔を楽しめるというわけだ。しかし、福州で歩きすぎたせいで、すでに足腰がガタガタである。ここで連続して二つもの塔に上ったら、倒れてしまいかねない。
困ったなぁ。と「鎖国塔」までいくと、残念ながらというか幸いにもというか、入口が封鎖されており、進入禁止。セーフ。続けて、「仁寿塔」へ向かう。緊張した面持ちで、入口の前に立つと、これも封鎖状態。ダブル・セーフ。神は私を見捨てていなかった。塔に向かい、両手を合わせて、感謝の祈りをささげた。
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【鎖国塔】 |
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【仁寿塔】 |
追加情報(2004年7月):開元寺は、開元二十六年(738年)に、玄宗皇帝が各州に一つずつ大きな寺を作るように指示したことから生まれた。当時は十数寺あった開元寺であったが現存するのは片手に満たないという。当HPでご紹介したのは、現時点(2004年7月)までで潮洲、福州、泉州の三つ。残りはどこにあるのだろう?観光向けに復活したのもありそうだから、意外にたくさん存在するかもしれない。
「開元寺」を出て、すぐ右手のところに屋台が数軒でている。面白いものはないかと見ていくと、あった、あった。拳大の卵をゆでたものを売っていた。「何の卵だ?」と聞くと、「鵞鳥の卵だ」という。「いくら?」。「2.5RMB」。「高すぎる!(普通のゆで卵は、0.5RMB/個)」と叫ぶと「こんなに大きいんだぞ」と訴えてくる。(珍しいものだからな)と考え、妥協して、相手の言い値で購入。さあ、どんな味だろうか。殻をむいて・・・、パクッ、むしゃむしゃ・・・、むしゃ、むしゃ。うーん、まっ、まずーい。というよりも、大味すぎて食べられない。やむなく、一口食べただけで、ごみ箱にポイすることになった。
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【ガチョウの卵】 |
「開元寺」前の「西街」を歩いてみる。木造の家が多いので、ほっとした気分を味わえる。やっぱり私も日本人。ここは参拝客相手の商売で発展した感じの商店街だ。古い家と新しい家が混じっていて面白い。大理と麗江を足して二つで割ったような印象だ。
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【西街】 |
路地裏に目をやると、傾いた樹木が通りを横切って反対側まで達している。中国では、こういった樹木は切らないでそのまま残しておくことが多いようだ。恐らく、老人を畏れ敬う気持ちが樹木の取り扱いにも通じているのだろう。今なお、伝統が生きている国である。
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【西街の路地裏】 |
「西街」と「東街」の真中に小さな時計台があり、ここから垂直に「中山中路」が走っている。「中山中路」は比較的古いがしっかりと作られた商店街で、建物が車道の両脇の歩道を覆うようにして建てられており、雨が降ってもゆっくりとショッピングを楽しめるようになっている。
泉州では大部分の商店街において、車道と歩道がきちんと分けられていて歩きやすい。ただし、一歩車道に出ると、自動車、バイク、人力車が錯綜して走っており、危険極まりない。道路の横断などまさしく命がけだ。私が住んでいる深セン特別区外も交通状態が悪く、道路を斜めに横切ったり、車線を逆走したりする車やバイクが多い。ところが、ここ泉州では逆走、斜走、縦走が当たり前。交通ルールなどないに等しい。街の改築にお金を使ってしまって、交通ルールを浸透させることまで資金が回らなかったのだろうか。しかし、こんなアンバランスさが中国の魅力でもある。
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【時計台】 |
「中山中路」では、子供だけを乗せるタイプの幌つき自転車力車をみつけた。広東省潮州市の子供専用自転車力車よりも、一回り小さい。子供専用自転車力車があるということは、子供を遠くから学校に通わせる親がいるということで、この辺りの教育水準が比較的高いことを示す。治安も、見た目よりほど悪くないのかもしれない。
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【中山中路】 |
「中山中路」からも、「巷」と名のつく路地がたくさん枝分かれしている。しかし、活気を表通りの商店街に全て吸い取られてしまっているようで、残念ながら福州市の路地ほどの味わいはない。福州市の路地だって、そんなに人通りが多かったわけでもないのにどうしたことだろう。住んでいる人の「負けないぞ」という気持ちが路地に伝わって、活気をもたらしでもするのだろうか。
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【承天巷】 |
ここで、自転車力車をつかまえて、「海外交通史博物館」へと向かう(10RMB)。この自転車力車の運転手が面白いおじさんで、自転車を漕ぎながら一生懸命話し掛けてくる。もう20年以上も自転車力車をこぎ続けているのだという。泉州の交通の歴史を話してくれたけれども、私のヒアリング力が追いつかず内容がはっきりわからなかったのが残念だ。実直な人柄で、「人を信じることの大切さ」を訴える言葉が話の所々に入る。生き馬の目を抜く中国社会の中で、このような気持ちを抱きつづけるのは並大抵のことではないだろうにと少し感動をおぼえた。どんなに貧しくても、美しい心をもち続けることができる人間もいるのだ。
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【海外交通史博物館<1>】 |
「海外交通史博物館」は街の外れに、人々から忘れられたようにぽつんと建っていた。敷地内には小さな人口湖があり、模造船が1隻浮かんでいる。観光客らしき姿は見当たらない。少々不安を覚えつつ、建物に入る。カウンターらしきところにも誰もいないので、「オーイ」と声をかけると、慌てて職員が飛び出してきた。10RMBを支払いチケットを購入して、奥へ進む。誰一人姿が見当たらない。観光客は私一人のようだ。1Fには船の模型が少々と土産物売り場があるだけだったので、すぐに2Fへ上がる。2Fも1F同様、人影がない。しかも、部屋に明かりがなく、展示品が全く見えない。(もうすぐ閉鎖でもするのかな?)とがっかりしていると、突然明かりがつき、遠くに警備員が現れた。どうやら、私のために電気をつけてくれたらしい。
展示品は意外にきれいに並べられていて、100種類はあるのではないかと思われる数の古代の船の模型が置かれていた。羊の皮や牛の皮で作られた船などはなかなか興味深い。船に興味がある人ならけっこう楽しめるのではなかろうか。もっと街中にあれば訪れる人も多いだろうに、残念なことだ。
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【海外交通史博物館<2>】 |
「海外交通史博物館」を出て、バイタクをつかまえる。行き先は、ここへ来る途中に見かけた、少し時代がかった商店街だ。運転手にだいたいの感じを伝えて走ってもらうが、うまく通じず大きなデパートの前の広場で下ろされてしまった。そこで、地図を広げて現在地を確認する。幸い、道路名が書かれているプレートが設置されていたので、自分がどこにいるかはすぐにわかった。目的地からあまり遠くない場所にいるようだ。立ち上がって、地図と一緒に体を移動させ方角を確認し、歩き始める。それにしても、大きなデパートだ。デパート前の広場だけで野球場のグラウンドが2,3個は入りそうな大きさだ。広大な大地を擁する中国でなければ見られない光景だろう。土日となればここにわんさかと人が集まってきてすごい賑わいになるのだろうなと想像しただけで圧倒されてしまう。デパートの中も覗いてみたいが、体力が残り少ない。先へ進むとしよう。
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【デパート前の広場】 |
広場に沿って走っている「温陵北路」を抜けて、目的地である商店街へ着いた。地図を見ると、「商品街」と書いてある。お店に並んでいる商品は携帯や小物等とありきたりだが、建物が赤く塗られており、時代がかった感じだ。と言っても、古代からあるというわけでもなさそうだ。十数年前に隆盛期を迎え、その後没落を辿り、再び栄え始めた街並といった感じだ。いい雰囲気を出しているので、時間に余裕のある方は立ち寄ってみてください。
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【商品街】 |
続いて、「清凈寺」へ向かう。人力車の運転手と交渉をして、4RMBで行ってもらえることになった。ところが、かなり距離があると思っていた「清凈寺」が意外とすぐ近くにあり、人力車の運転手にしてやられたことが判明。「なんだ、近いじゃないか」と言うと、運転手も気まずそうな顔をしている。福州ほどではないが、泉州の人力車もたちが悪い。地図で確認しておくべきであった。まぁ、油断していた私が悪かった。素直に4RMBを支払って、「清凈寺」から垂直に走っている「宣武巷」へと歩き始めた。
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【宣武巷】 |
「宣武巷」は活気に満ちた下町商店街。狭い道をバイタクと人力車がこすれるようにしてすれ違う。お店に入りきらない商品が店先に山と詰まれていたりもする。歩いているだけで、私にも元気が乗り移りそうだ。
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【閩運バス・ステーション】 |
「宣武巷」を抜けたところに、「閩運バス・ステーション」がある。汚いバス・ステーションだが、ここから明日行く予定の「祟武古城」へのバスが出ているのを先ほど人力車で通りがかったときに発見したのだ。あまりの汚さに少し辟易しながら、「祟武」行きのバスに近づき、運転手に時間と料金を尋ねてみる。すると、「50分ぐらい。料金は10RMB」と回答が返ってきた。50分ぐらいだったら、そんなに辛くない。よし、このバスで行こうと決意を固めた(3:50)。
バス・ステーションを出て、「迎津街」に入る。「迎津街」では、道路脇の空き地を使って、おばちゃんが洗車を商いとしている。福州もそうであったが、泉州も「ただ」洗車をするだけではない。「高圧洗車」なのだ。ここが他の土地と違うところだ。一味つけることを決して忘れない。
「迎津街」を抜け、「温陵南路」を通り、「泉秀街」へ。宿泊先ホテル前の喫茶店で夕食をとって、本日の旅は終わり(5:00、ホテル着)。明日は、いよいよ「祟武古城」だ。楽しみだなぁー。 |