泉州市の旅


灰色の部分が福建省です。

2004年2月9日
この旅は「福州探検記」の続きです。
 9:20、泉州新バス・ステーション着。時間も早いので、次の移動の準備を兼ねてバス・ステーションをぐるりと回ってみた。このバス・ステーションは変わった作りになっていて、切符売り場の建物とバス発着所の建物が別々になっている。なんだか、(中国の)病院みたいなつくりだ。厦門(アモイ)行きのバスもここから出ているようだから、次の移動はこのバス・ステーションからでいいだろう。問題は、郊外への移動だ。泉州の見所は郊外にあるそうだから、郊外への移動の足を確保しなければならない。しかし、このバス・ステーションからは郊外へのバスは出ていないから、別のバス・ステーションを当たる必要がありそうだ。

【塗門街】

 まずは駅の売店で地図を購入し、ホテルを物色する。どうやら「泉州酒店」というホテルが「開元寺」と「清凈寺」の両方に近くて便利なようだ。そこで、バイタクをつかまえて直行。バイタクの後部座席から眺めた泉州の街並みは、都市計画がよく行き届いており、非常に綺麗だ。商店街のほとんどは西洋風に建設されており、歩道が建物の中に組み込まれていて雨が降っても歩行者が濡れないですむ構造となっている。

 ホテルに着くとロビーを抜けてフロントへ。ロビーがやけに金ピカな内装になっているなと思ったら、案の定、宿泊料が馬鹿高い。「一泊680RMBです」という答えを聞いて、私の視線が宙に浮く。一応値段交渉をしたほうがいいだろうか、それとも無駄だろうか。結局、後者の考えが優位を占め、何も口に出すことなくホテルを出た。

   道路を渡って、向かいの歩道で地図を取り出す。「温陵北路」にホテルが集中しているようだ。そのうちの一軒である「金城酒店(ホテル)」に目標を定め、バイタクと交渉。5RMBの言い値を3RMBに負けさせ、出発した。うまく値切れたなと喜んでいると、途中の「金泉酒店」というところでバイタクが突然停車した。こちらが戸惑っていると、運転手が振り向き「着いたぞ!」と言う。「俺が行きたいのは金城酒店だ」と主張すると、「お前は金泉と言っていた。金城酒店はもっと先だ。あんな遠くまで3RMBでいけるわけないだろ」と言い張る。発音が苦手な私の弱点を突いた嫌な攻撃だ。普段はこの攻撃を避けるために、別の単語を交えて確認をしたりする(例えば、「城」は「城市」の「城」だと念を押す)のだが、今回は泉州の街の美しさに騙されて油断していた。
 不愉快だが、無理やり後部座席に乗りなおしても危ないだけだ。「それなら2RMBだけだ」と言い渡して、お金を押しつけて立ち去る。一瞬追いかけてくる様子を見せたが、バイタクの運転手も損をしたわけではない。諦めて別の方向に走り去っていった。

  それから「八一大酒店」と「金城酒店」を回ったが、どちらも雰囲気が暗く中に入る気がしなかった。そこで、「温陵北路」から「温陵北路」へ下り、結局、出発点である泉州新バス・ステーションまで戻ってきてしまった(10:30)。

【温陵北路】

 バス・ステーション周辺は出稼ぎ労働者の溜まり場になりやすく、環境がよくない場合が多い。だから、私が宿泊場所をバス・ステーションのそばに定めることは滅多にない。だが、この泉州新バスステーションの周辺は百貨店等もあり、ショッピング街としてもある程度発展していた。そこで、この辺りのホテルにアタックしてみることにし、バス・ステーションに沿って走っている「泉秀街」を下っていった。

*注)「泉州新バス・ステーション」は「新」と名乗っているぐらいだから、周辺の環境が整ってから建設されたのではなかろうか。だから、雑然とした感じが少ないのだと思われる。

 少し歩いたところで、見慣れたチェーン店が現れた。中華ファーストフード店「藍&海」である。このお店は「稀飯(一種のお粥)」が食べ放題で2元。その他、多種多様な料理を一皿3-10RMBぐらいで手軽に楽しめる。どちらかというと一人身のビジネスマン向けのお店で、発展する中国が生み出した、新たなる食の形態を代表しているとも言える。

【金洲大酒店】

  「藍&海」に続いて「金州大酒店」の看板が見えた。外から見ると、「金州大酒店」の建物の一部を「藍&海」が借り切っている形となっている。「金州大酒店」は「大酒店」の名とは違って、こじんまりとしたホテルだ。しかし、ビジネスマン相手の「藍&海」が同じ建物内で営業しているくらいだ。それなりに良いホテルのはずだ。そう推測して、ロビーに入った。

 フロントではスタッフが忙しげに客をさばいている。宿泊料を尋ねてみると、シングルが158RMBとのことであった。さっそく部屋の下見をさせてもらう。内装は福州で泊まった部屋と比べると大分落ちるが、料金を考えると悪くなかった。ただ、カーペットが若干汚かったので、対面にあるダブルの168RMBの部屋をとることにした。そちらの方は床がフローリングになっていて、清潔感があったからだ。リフォームをしたばかりのように床の木材がニスでピカピカになっていた(10:50)。

 チェックインを済ませてちょっと休憩。11:40、ホテルを出て、通りががかった自転車力車と料金交渉に入った。運転手の言い値4RMBをま3RMBに負けさせて「天后宮」へ向かう。泉州の交通状態は非常に悪い。規則などないも同然。自転車力車とバイクと車が入り乱れて好き勝手に走り回っている。私を乗せた自転車力車のおじさんは、その混雑の中を絶え間なくベルを鳴らしながら押し抜けてゆく。私はいつ、どこから追突されるかとヒヤヒヤし通しであった。  

【天后宮】

 11:50、「天后宮」着。入場は無料。閑散としたお寺で参拝客も少ない。「天后宮」は南宋時代に建設されたもので、海の女神が祭られている。清の康熙皇帝の時代に台湾統一に霊験あらたかであったとして、朝廷より「天后」の名を賜ったとのこと。

 「天后宮」を出て、道なりに歩いていくと、「晋江」の河べりに出た。河べりは小さな公園になっていて、日の光を浴びてのんびりと散策するにはよさそうだ。ただし、河から公園を隔てたすぐのところに堤防があるところをみると、豪雨の時には公園ごと川底に沈んでしまうのだろうか。想像すると少し怖い。注意してみると、先ほどくぐり抜けてきた堤防から公園への入口には巨大なドアが据え付けられてあって、いつでも水を遮断できるようになっている。恐らく観光客向けの雰囲気作りとして作られているのだろうが、堤防の上方が城壁型に凹凸を繰り返しているのも、洪水との熾烈な戦いを示しているようで恐ろしい。背筋が寒くなり、慌てて堤防の内側へと逃げ込んだ。

【晋江の河べり】

  「晋江」に沿って走っているのは「堤后路」だ。この通りは街外れにあるにもかかわらず、とても中国とは思えない立派な住宅地が並んでいる。泉州の市内では、あちこちにこうした華洋折衷の豪華なマンションが建設されている。外装に凝ったマンションが泉州ほど多く建てられている場所は、今までにみたことがない。市長が特別な方針でももっているのだろうか。

 「堤后路」から「義全西街」へ折れ曲がり、「清凈寺」を目指しつつ歩く。面白い屋台でも出てないかと期待したが、人出もほとんどなく、ただ豪華マンションが続くばかり。作られた美しさは旅人を退屈させる。ちょうど人力車が通ったので、4RMBを3RMBに値切って「清凈寺」まで乗車することにした。

【堤后路】

 「清凈寺」はイスラム教のお寺(入場料3RMB)。北宋時代に建設されている。敷地は広くない。5分もあれば全部見て回れるほどの面積だ。建物は青・白花崗岩を用いて建てられており、長い歴史が感じられる。過去、福建の新聞で、中国10大寺の一つとして紹介されたこともあるらしい。ただ、10大寺の中には有名な少林寺も含まれており、このお寺の規模からすると、少林寺と同列に並べるのは少し無理がある気もする。

【清凈寺1】

 

【清凈寺2】

 

【千年古井】

 敷地は狭いが、上の写真にある「柱」と「千年古井」は別格。特に「柱」の置かれている庭は静謐とした雰囲気に溢れており、そこだけが全く別の空間のようだ。古代建築物特有の何らかの設計が施されているのかもしれない。

 「清凈寺」の次は「開元寺」へ。自転車力車を呼び止めて乗り込む。「いくらだ?」というと「5RMB」と答えが返ってきた。「高すぎるんじゃないのか?」と文句を言うと、「俺は外地人だから、5RMBなんだ。地元人の人力(自転)車に乗れば8RMBは取られるぞ」と返事があった。外地人の人力車と地元人の人力車では値段が違うのか。乗客にとっては同じだろうに、そんな区別が成り立つのだろうかと半信半疑。

 途中、ピザ・ハットの前を通りがかる。中国でも大都市ではピザ・ハットは珍しくないが、建物の1Fに設置されているピザ・ハットは初めてみた。今まで2Fに開店している店しかみたことがないので少し驚いた。(みなさんは見たことがありますか?1Fにあるピザ・ハット)。

 12:46、「開元寺」の前に到着。写真をとるために道路の反対側に渡ったところに「象塔巷」という路地を発見。福州で路地の魅力に取りつかれて以来、すっかり「路地ファン」となってしまった。この「象塔巷」は木造の家が多く、路もクネクネと曲がっていて独特の味わいがある。「開元寺」まで来た人は是非歩いてみていってください。

【象塔巷】

 そして、「開元寺」。「開元寺」は、唐の時代に建設されたもので1300年以上もの歴史があるそうだ。

【開元寺】

 「開元寺」の目玉は、「鎖国塔」と「仁寿塔」の二つの塔だ。これらの塔は南宋時代に建てられたもので、中国で現存する最も高く、最も大きい石造りの塔ということである。高さは40メートルほど。最近できた、私に課せられた「旅のルール」に「塔があったら上れ!」というものがある。福州でも頑張って二つの塔の頂上まで上った。上りは苦しいけれども、頂上に辿りついた時の征服感はなかなかのものである。このお寺では一度に二つもの塔を楽しめるというわけだ。しかし、福州で歩きすぎたせいで、すでに足腰がガタガタである。ここで連続して二つもの塔に上ったら、倒れてしまいかねない。
 困ったなぁ。と「鎖国塔」までいくと、残念ながらというか幸いにもというか、入口が封鎖されており、進入禁止。セーフ。続けて、「仁寿塔」へ向かう。緊張した面持ちで、入口の前に立つと、これも封鎖状態。ダブル・セーフ。神は私を見捨てていなかった。塔に向かい、両手を合わせて、感謝の祈りをささげた。

【鎖国塔】

 

【仁寿塔】

追加情報(2004年7月):開元寺は、開元二十六年(738年)に、玄宗皇帝が各州に一つずつ大きな寺を作るように指示したことから生まれた。当時は十数寺あった開元寺であったが現存するのは片手に満たないという。当HPでご紹介したのは、現時点(2004年7月)までで潮洲、福州、泉州の三つ。残りはどこにあるのだろう?観光向けに復活したのもありそうだから、意外にたくさん存在するかもしれない。 

 「開元寺」を出て、すぐ右手のところに屋台が数軒でている。面白いものはないかと見ていくと、あった、あった。拳大の卵をゆでたものを売っていた。「何の卵だ?」と聞くと、「鵞鳥の卵だ」という。「いくら?」。「2.5RMB」。「高すぎる!(普通のゆで卵は、0.5RMB/個)」と叫ぶと「こんなに大きいんだぞ」と訴えてくる。(珍しいものだからな)と考え、妥協して、相手の言い値で購入。さあ、どんな味だろうか。殻をむいて・・・、パクッ、むしゃむしゃ・・・、むしゃ、むしゃ。うーん、まっ、まずーい。というよりも、大味すぎて食べられない。やむなく、一口食べただけで、ごみ箱にポイすることになった。

【ガチョウの卵】

 「開元寺」前の「西街」を歩いてみる。木造の家が多いので、ほっとした気分を味わえる。やっぱり私も日本人。ここは参拝客相手の商売で発展した感じの商店街だ。古い家と新しい家が混じっていて面白い。大理と麗江を足して二つで割ったような印象だ。

【西街】

 路地裏に目をやると、傾いた樹木が通りを横切って反対側まで達している。中国では、こういった樹木は切らないでそのまま残しておくことが多いようだ。恐らく、老人を畏れ敬う気持ちが樹木の取り扱いにも通じているのだろう。今なお、伝統が生きている国である。

【西街の路地裏】

 「西街」と「東街」の真中に小さな時計台があり、ここから垂直に「中山中路」が走っている。「中山中路」は比較的古いがしっかりと作られた商店街で、建物が車道の両脇の歩道を覆うようにして建てられており、雨が降ってもゆっくりとショッピングを楽しめるようになっている。
 泉州では大部分の商店街において、車道と歩道がきちんと分けられていて歩きやすい。ただし、一歩車道に出ると、自動車、バイク、人力車が錯綜して走っており、危険極まりない。道路の横断などまさしく命がけだ。私が住んでいる深セン特別区外も交通状態が悪く、道路を斜めに横切ったり、車線を逆走したりする車やバイクが多い。ところが、ここ泉州では逆走、斜走、縦走が当たり前。交通ルールなどないに等しい。街の改築にお金を使ってしまって、交通ルールを浸透させることまで資金が回らなかったのだろうか。しかし、こんなアンバランスさが中国の魅力でもある。

【時計台】

  「中山中路」では、子供だけを乗せるタイプの幌つき自転車力車をみつけた。広東省潮州市の子供専用自転車力車よりも、一回り小さい。子供専用自転車力車があるということは、子供を遠くから学校に通わせる親がいるということで、この辺りの教育水準が比較的高いことを示す。治安も、見た目よりほど悪くないのかもしれない。

【中山中路】

 「中山中路」からも、「巷」と名のつく路地がたくさん枝分かれしている。しかし、活気を表通りの商店街に全て吸い取られてしまっているようで、残念ながら福州市の路地ほどの味わいはない。福州市の路地だって、そんなに人通りが多かったわけでもないのにどうしたことだろう。住んでいる人の「負けないぞ」という気持ちが路地に伝わって、活気をもたらしでもするのだろうか。

【承天巷】

 ここで、自転車力車をつかまえて、「海外交通史博物館」へと向かう(10RMB)。この自転車力車の運転手が面白いおじさんで、自転車を漕ぎながら一生懸命話し掛けてくる。もう20年以上も自転車力車をこぎ続けているのだという。泉州の交通の歴史を話してくれたけれども、私のヒアリング力が追いつかず内容がはっきりわからなかったのが残念だ。実直な人柄で、「人を信じることの大切さ」を訴える言葉が話の所々に入る。生き馬の目を抜く中国社会の中で、このような気持ちを抱きつづけるのは並大抵のことではないだろうにと少し感動をおぼえた。どんなに貧しくても、美しい心をもち続けることができる人間もいるのだ。

【海外交通史博物館<1>】

 「海外交通史博物館」は街の外れに、人々から忘れられたようにぽつんと建っていた。敷地内には小さな人口湖があり、模造船が1隻浮かんでいる。観光客らしき姿は見当たらない。少々不安を覚えつつ、建物に入る。カウンターらしきところにも誰もいないので、「オーイ」と声をかけると、慌てて職員が飛び出してきた。10RMBを支払いチケットを購入して、奥へ進む。誰一人姿が見当たらない。観光客は私一人のようだ。1Fには船の模型が少々と土産物売り場があるだけだったので、すぐに2Fへ上がる。2Fも1F同様、人影がない。しかも、部屋に明かりがなく、展示品が全く見えない。(もうすぐ閉鎖でもするのかな?)とがっかりしていると、突然明かりがつき、遠くに警備員が現れた。どうやら、私のために電気をつけてくれたらしい。

 展示品は意外にきれいに並べられていて、100種類はあるのではないかと思われる数の古代の船の模型が置かれていた。羊の皮や牛の皮で作られた船などはなかなか興味深い。船に興味がある人ならけっこう楽しめるのではなかろうか。もっと街中にあれば訪れる人も多いだろうに、残念なことだ。

【海外交通史博物館<2>】

 「海外交通史博物館」を出て、バイタクをつかまえる。行き先は、ここへ来る途中に見かけた、少し時代がかった商店街だ。運転手にだいたいの感じを伝えて走ってもらうが、うまく通じず大きなデパートの前の広場で下ろされてしまった。そこで、地図を広げて現在地を確認する。幸い、道路名が書かれているプレートが設置されていたので、自分がどこにいるかはすぐにわかった。目的地からあまり遠くない場所にいるようだ。立ち上がって、地図と一緒に体を移動させ方角を確認し、歩き始める。それにしても、大きなデパートだ。デパート前の広場だけで野球場のグラウンドが2,3個は入りそうな大きさだ。広大な大地を擁する中国でなければ見られない光景だろう。土日となればここにわんさかと人が集まってきてすごい賑わいになるのだろうなと想像しただけで圧倒されてしまう。デパートの中も覗いてみたいが、体力が残り少ない。先へ進むとしよう。

【デパート前の広場】

 広場に沿って走っている「温陵北路」を抜けて、目的地である商店街へ着いた。地図を見ると、「商品街」と書いてある。お店に並んでいる商品は携帯や小物等とありきたりだが、建物が赤く塗られており、時代がかった感じだ。と言っても、古代からあるというわけでもなさそうだ。十数年前に隆盛期を迎え、その後没落を辿り、再び栄え始めた街並といった感じだ。いい雰囲気を出しているので、時間に余裕のある方は立ち寄ってみてください。

【商品街】

   続いて、「清凈寺」へ向かう。人力車の運転手と交渉をして、4RMBで行ってもらえることになった。ところが、かなり距離があると思っていた「清凈寺」が意外とすぐ近くにあり、人力車の運転手にしてやられたことが判明。「なんだ、近いじゃないか」と言うと、運転手も気まずそうな顔をしている。福州ほどではないが、泉州の人力車もたちが悪い。地図で確認しておくべきであった。まぁ、油断していた私が悪かった。素直に4RMBを支払って、「清凈寺」から垂直に走っている「宣武巷」へと歩き始めた。

【宣武巷】

  「宣武巷」は活気に満ちた下町商店街。狭い道をバイタクと人力車がこすれるようにしてすれ違う。お店に入りきらない商品が店先に山と詰まれていたりもする。歩いているだけで、私にも元気が乗り移りそうだ。

運バス・ステーション】

 「宣武巷」を抜けたところに、「運バス・ステーション」がある。汚いバス・ステーションだが、ここから明日行く予定の「祟武古城」へのバスが出ているのを先ほど人力車で通りがかったときに発見したのだ。あまりの汚さに少し辟易しながら、「祟武」行きのバスに近づき、運転手に時間と料金を尋ねてみる。すると、「50分ぐらい。料金は10RMB」と回答が返ってきた。50分ぐらいだったら、そんなに辛くない。よし、このバスで行こうと決意を固めた(3:50)。

 バス・ステーションを出て、「迎津街」に入る。「迎津街」では、道路脇の空き地を使って、おばちゃんが洗車を商いとしている。福州もそうであったが、泉州も「ただ」洗車をするだけではない。「高圧洗車」なのだ。ここが他の土地と違うところだ。一味つけることを決して忘れない。

 「迎津街」を抜け、「温陵南路」を通り、「泉秀街」へ。宿泊先ホテル前の喫茶店で夕食をとって、本日の旅は終わり(5:00、ホテル着)。明日は、いよいよ「祟武古城」だ。楽しみだなぁー。

2004年2月10日
  8:30、ホテル発。4RMBを3RMBに値切って、自転車力車に乗車した。今朝は気温が低く、座席に乗っているとかなり寒い。ふと目をやると、運転手も軍手をしている。今日はそんなに厚着をしてきていないので、昼までこの調子だったら大変だな。そんなことを考えていると、「ここのバス停だろ」と運転手がスピードを落とした。みると、バスが数台並んだ小さなバス停がある。(この野郎、俺からぼったくるつもりか。そういえば、名前が発音できないからバス・ステーションとしか言ってなかった)。しかし、ここで負けてはいられない。「ここじゃないよ、もっと先のバスステーションだ」と声を強める。運転手もすぐには引かない。「3RMBだとここまでだよ」と答えを返してきた。だが、それ以上、スピードを落とす様子はない。これならクリア。「昨日だって、あのバス・ステーションまで3RMBだったんだ。そんなこと言ってると、1銭も払わないからな!」と押し切る。運転手が苦笑してゲーム・セット。

  8:30、バスに乗り込む。昨日尋ねたとおり、「10RMB」だという。やけにオンボロバスだなぁ、とがっかり。出発までまだ時間があるようで、チケットを売りに来ない。ぼんやりと外を眺めていると隣にも「崇武行き」バスが来た。このバスよりも新品で綺麗だ。すかさず、バスを飛び降り、隣のバスへ乗り換える。少々高くても、快適さの方が重要だ。そう考えて乗車して聞いてみると、料金は変わらず「10RMB」であった。うーん、どういうことだろう。もしかして、さっきのバスは、私の乗り間違えで行き先が異なっていたのだろうか。そう言えば、口頭で確認しただけで、隣のバスには行き先が書いてなかった。

 8:40、出発。今回の「崇武古城」は情報が少ない。そもそも、このバスの行き先である「崇武鎮」から「古城」までどのくらいの距離があるのかすらわからない。まぁ、「崇武鎮」までが50分なのだから、それより遠いということはあるまい。そのように自分を慰めた。

 街中を出て「洛陽橋」を抜けた辺りから、周囲の建物が急にボロくなってきた。しかし、それでもちょっとお金持ちと思われる家の外壁はかなりこった模様のついた石材で覆われている。よほど石材が豊富なのだろう。中途から道路の両脇に様々な石像が立ち並び始めた。ほぼ50メートル間隔に据え付けられている。石材の街としての宣伝が主要な目的なのだろう。 石像に統一感はなく、古代ギリシアの人物を模ったものがあるかと思えば、ミッキーマウスやドラえもん、天使の像と多種多様な像がこれでもかというぐらいに置かれていた。

  9:35、「崇武鎮」着。さてどうしたものか。こんなに小さな街では地図もないことだろう(注)。いきなりバイタクというのも面白くない。少し歩いてみようと足を踏み出す。街は想像していたよりも立派で、小さいことは小さいがそれなりにお店もある。この前訪れた河原市の「和平県」よりはよほど大きい。(注:地図は販売されていました。バス停近くの雑誌売り場にあるので、関心のある方はご購入ください)。

 しばらくウロウロと大通りを往復するが、「古城」の方角を示す看板らしきものは見つからない。仕方がないと、バイタクを呼び止める。聞くと、「古城」までは4RMBだという。これを値切って、3RMBで乗車。どのくらいの距離なのだろう?と心配していると、3分ほどで到着。これなら、2RMBでもいけたかもしれない。帰りは歩いて帰ってみることにしよう。

 25RMBを支払って、「古城」に入場(9:45)。左手にある「古城」の城壁に沿って歩いていくと、大小の石像の並んだ広い公園に出る。その向こう側は海だ。城壁はさほど古そうではなく、真新しい石を綺麗に積み上げただけのものである。きっと古城のあった場所にほとんど全てを再構築したのだろう。石像のある公園に目を向けると、ところどころに石牌があり、「水滸伝」、「紅楼夢」、「三国志」等の有名な小説の名前が書かれているのがわかる。どうやら、テーマ別に小説の登場人物を並べてあるらしい。そして、海。海はひさしぶりだ。昨年の10月に、深セン沙頭角の「明思克航母世界」という実際の軍艦を使ったテーマパークに出かけたときに少しばかり海に触れたが、本当の海岸線に出たのは一昨年以来だ。

【崇武古城の石像群】

 

【崇武古城の城壁】

 

 公園を抜けて、海に誘われるようにして、岩場に入る。岩場には牡蠣がはりついていた後がそこら中に残されていた。生きた牡蠣がひとつも残っていないのは地元の人々が取り尽くしてしまったためだろう。さらに、海に近づいていくと、岩場から少し離れたところに小さなボートが2台ゆらりゆらりと海に揺られているのに気づいた。じっと見つめていると、船の上で人が手を振り始めた。どうやら、私に「こっちへ来い」と言っているらしい。うーん、行きたい!行ったら、話のタネになるなぁ。でも、行けない。周囲に人っ子一人いないこの岩場に入り込むのだって、勇気がいったのだ。この上、ボートに乗るなんてとんでもない。相手が悪人だったら、みぐるみ剥がれて海に捨てられても誰にも気づかれずに終わってしまうではないか。後ろ髪を引かれつつも、岩場を去ることにした。

【崇武古城、誘うボート】

  石像群のある公園には松の木がたくさん。海岸には松、これは日本と同じだ。しばらく行くと、「威鎮海門」という門が現れ、ここから城壁の中に入ることができる。ここに書かれている説明文によると、「崇武古城」の城壁はどうやら日本の侵略を防ぐために作られたらしい。倭寇のことだろうか。

【崇武古城、威鎮海門】

 「日本の侵略」とは嫌な感じだが、いきなり襲われることはなかろう。恐る恐る城壁の中に入る。城壁の周辺には地元の人が数人たむろっていて、胡散臭そうな目では私を眺める。城壁の中は立派な石材を使用した家々が立ち並んでいて、これでは古城というよりも新城だ。ちょっと作りこみすぎだろう。しらけた気分で再び外に出る。

【崇武古城、城壁内部】

 外に出ようとしたところで、内側から城壁に上がれることに気づいた。そこで、城壁に沿って坂を上がってゆくことにする。すると、遠くに砂浜が見えた。城壁を降りて海岸へ向う。

【崇武古城、砂浜】

 これは綺麗な砂浜だ。珠海のとは比べものにならないほどの美しさ。シーズンオフということもあって、ひと気がほとんどなく、絶え間なく波の音が鳴り響くのみ。海をみると、10年以上も昔、伊豆の海岸そばにある温泉旅館で働いていたときのことを思い出す。当時は妙な所で足踏みしちゃっているなと考えていたが、あの時があってよかった。今はそんな風に思える。

【崇武古城、砂浜に残る足跡】

 浪の音を十分に楽しんだ後、古城を後にした。出口のすぐそばにあるお店で食事をすることにする(11:18)。シーズンオフなので、客も私以外には地元のカップルが一組いるきりだ。気のよさそうなおばちゃんが出てきて「何にする?」と尋ねてきた。「何があるのか」と聞くと、「魚巻ではどうか?」と勧める。そう言えば、街のそこかしこに「魚巻」と書かれた看板があった。どうやら、ここの名物らしい。快く応諾。

 テーブルは全部で4つ。一つ目のテーブルには、「魚巻」の原材料になるであろう魚がさばかれて山積みとなっている。もう一つのテーブルでは従業員と思われる二人のおばさんが賄い食を食べている。賄い食がずいぶん美味しそうにみえるのは、目の錯覚か。そして、三つ目のテーブルではカップルが世間話をしていたが、食事はとっくに終わっていたらしく、しばらくして去っていった。

 5分ほどでテーブルにのせられたのは、魚のすり身を丸めて作ったつくねのスープであった。手作りだけあって形もゴツゴツしている。味は塩味の強い、海の香りでいっぱいの美味しさだ。どんぶりの中にこれでもかというくらいつくねが詰められている。値段は8RMB。明らかに観光客価格だが、美味しかったから良しとしよう。

【崇武の漁港】

  食事を終えたので、、崇武の中心へ向かう。帰りは歩いていくことにした。帰り道の大半は海沿いの道路だ。ここちよい海風を浴びながらのんびりと歩く。途中漁港があるが、あまり人気がない。昼間だからなのか、あるいは普段は使われることがないのだろうか。

 先ほど下車したバス・ステーションで、洛陽橋までの料金を尋ねる。すると、「9RMB」という答えが返ってきた。それでは、泉州の街中まではいくらなんだというと、「10RMB」だそうだ。地図で見ると、泉州から洛陽橋までの距離を「1」とすると、洛陽橋から崇武までの距離は「3」。「9RMB」はぼったくり過ぎで、「6、7RMB」がいいところだろう。

 別のバスを物色してみるが、なかなか適当なのが見つからない。洛陽橋まで一気に行ってくれそうなバスはなく、あちこちの街で停車しながら走っていくようなオンボロのバスばかりだ。洛陽橋まで直線で行けば30分ぐらいだけれども、中途には小さな街がたくさんある。それらにいちいち寄っていかれては時間がかかる上に不安でならない。
  仕方ない。最初のバスに戻って、もう一度だけ値切ってみるが、あえなく玉砕。「9RMB」で乗り込むことにする。チケット売りのネエ(オバ?)ちゃんの「勝った」という顔が不愉快だ。

 「崇武」へ来る途中に「洛陽橋」を確認してあるので、通り過ぎてしまうことはない。だか、このバスの通り道からは数百メートルは離れたところにあった。歩くことになるのかなぁと思っていたら、やはり道路脇で下ろされた。しかも、橋のある川よりもさらに数百メートルは手前だ。どうやら、私が乗ってきたバスはあくまで「崇武」と「泉州中心」の直通路線で、途中下車は原則としてルール違反ということらしい。これだったら、各駅停車のバスでのんびりきても同じだったかなとも思うが、オンボロバスで来て、なおかつ手前で降ろされたらダブルパンチの大ダメージだったことだろう。ここは、直通バスで正解だ。

 川にたどり着いた後、さらに川沿いの道を橋に向って歩いていく。あの橋は確かに洛陽橋だ。そうは思うのだが、観光客らしき姿がない。というより、橋に向って歩いているのは私一人だ。あそこまで歩いていって違ったら大ショックだぞ・・・。不安を押し殺しながらも、陽気な振りをして進み続ける。しかし、熱いな。 

【洛陽橋<1>】

  ようやく、橋のたもとに到着(12:51)。ここには大きな石像が立っていて、「蔡襄」という人物の像だそうだ。いずれ略歴を紹介することにしたい。

 「洛陽橋」そのものは、それほど味わいのある橋ではない。多分、近年作り直したものなのだろう。立派過ぎるぐらいの石材が使われている。途中、橋の中ほどで川の中に下の写真にある奇妙な細工が設置されているのを発見。なんだかわからないが、好奇心をそそられた。イケスか何かだろうか。

【洛陽橋<2>】

 それにしても人気がない。この長い橋を渡りきったら、再び歩いて戻ってこなければならないのだろうかと憂鬱になる。途中で戻ってもよいのだが、そうなるとこの橋を「渡った」とは言えないことになるだろう。ふうっ、肩を落として、もう一度向こう岸へと目をやる。とにかく、行けるところまで行くまでだ。

【洛陽橋<3>】

  ふらふらになりながら、向う岸へ到着。バイタクはないか?い、いたー!エンジンを吹かせながら、知り合いらしき人と話をしている。今にも出発しそうだ。ダッシュ、ダッシュ!ぜいぜいと息を弾ませながら、運転手に話し掛ける。「乗っけてってくれるか?」「どこまでだ」「バス停までだ」「4RMB」。一応、値切ってみるが、変わりなし。
 
 橋を戻るのかと思ったら、真っ直ぐ行って、大通りまで出てからUターン。ものすごいスピードで飛ばしていく。もっとゆっくり走れと言いたかったが、すでに体力を使い果たし、もはやその元気がない。黙って、運転手の背中に隠れる。男の背中をつかむのは嫌いなので、荷台の前の部分を懸命に握り締めた。

 5分ほどで、バス停に到着(13:09)。バス停というよりも、「バスを待っている人が集っている場所」と言ったほうがふさわしいような、ただの空き地だ。それでも、バスが時々停まって行くようだから、一応バスからは停留所として認められているのだろう。だが、待てども待てども、泉州行きのバスがこない。待ちきれなくなって、とうとうタクシーに乗車。

 さあ、値切るぞ!と気合を入れようとしたところ、すんなりと「10RMB」の声。メチャ安ではないか。長距離の帰りで、ちょっとでも儲かればそれでよしというところなのだろう、と解釈。それでも、ここは中国。途中でイチャモンをつけられたり、似た名前の別のところで降ろされたりする可能性は否定できない。20分後、ホテル前に無事着いて、10RMBを払って下車したときには心からホッとした。

 1Fの「藍&海」へ食事。下の写真のメニューで20RMBきっかり。ビジネスマン向けなので、ちょっと高いが、店内が衛生的なので安心だ。

 食事を終えて、部屋へ戻る(13:50)。さっそく汗を流しにバスへ入る。このホテルはお湯がいつも熱いのがありがたい。

【藍&海での食事】

 8:00、ホテル発。夜のお散歩だ。「崇武古城」と「洛陽橋」という二大観光地を制覇したので気分がいい。改めて、街の探索をして気づいたのが本屋の多さ。決して福州に引けを取らない。教育あってこそ持続的発展が望める。頑張れ、泉州。

  しかし、本屋よりも多いのが「プリクラ」。泉州に限らず、中国ではプリクラが大流行中である。ただ、泉州ではプリクラの専門店のようなものが目立って多かった。

 バイタクを飛ばして、開元寺まで行く(4RMBを値切って3RMB)。開元寺周辺は昼間とあまり代わり映えがしない。開元寺のある西街から東街をせっせと歩いて下る。西街は開元寺との共存で、東街は近代化で発展を目指しているのだろう。このコントラストが西街と東街を泉州の他の場所から際立たせている気がする。

 9:00、ホテル着。泉州は郊外に見所が多いため、今回はほんの一部しか巡ることができなかった。でも、縁があれば再び訪れることもあるだろう。

 泉州市内の大部分は豊富な石材を生かし、美しく着飾っている。けれども、古い街々の神秘さを犠牲にした発展は本当に報われるのであろうか。福州のように老街の活気を残したままの発展はできなかったものだろうかと残念でならない。

2004年2月11日
 7:40、ホテル発。
 
 7:45、バス・ステーション着。アモイ行きのバスは競争が激しく、闇バスもかなりあるようだ。闇バスと言っても、堂々とバス・ステーションの中で呼び込みをしているから、非合法なんだか合法なんだかよくわからない。安全をみてステーションの中のチケット売り場で切符を購入する(39RMB)。

 バスの発着所のある建物に入る前に飛行場と同じ荷物検査機があり、荷物をベルトに載せねばならない。なかなか厳しい。しかし、出口から出てきた荷物をとりに手を伸ばすと、モニターの監視者が椅子に体を寝そべらせてグースカ寝ているのが目に入った。機械が立派でも、これでは電気の無駄使いだろうに。

 8:00、バス出発。さらば、泉州よ。

 この旅は「アモイ探検記」に続きます。ご興味のある方は是非ご覧になってください。