武夷山の旅


灰色の部分が福建省です。

2007年2月18日

 朝がやってきた。列車の揺れが激しくて、私はろくに眠れなかった。Zも同じかと思いきや、元気たっぷりの様子だ。「えっ、○○(私の名前)は眠れなかったの?私はぐっすり眠ったわよ」といかにも爽快そうだ。根本的に身体の作りが違うのか、あるいは年のせいか。

 事前に調べたところでは、武夷山のホテルはなかなか取りにくいらしい。そこで、ホテルを手っ取り早く確保してしまおうと、Ctrip(携程カード)の窓口に電話をかけた。しかし、主だったホテルは全ていっぱいになってしまっていると回答が返ってきた。一軒だけ部屋があるそうだが、そこは実績がないので設備がどの程度がわからないとのことだった。山のふもとのホテルは設備がひどい場合が多い。あいまいな情報で予約しては快適に過ごせない。やむなく、地球の歩き方で紹介されていたホテルに電話をかけてみる。ここも設備ははっきりしないが、とりあえず、部屋は余裕があるようだった。最悪の場合はそこに泊まることに決め、列車が武夷山に着くのを待った。

 11時弱、武夷山駅に到着した。客引きがどっと押し寄せてくるかと思ったら、そういうことはなかった。タクシーもあったが、バスでも行けるようだったので、バスに乗って行くことにした。バスはそのままでは武夷山方向へは行かず、市内に向かってしまうそうで、途中で乗り換えねばならなかった。駅前から、まっすぐ三分ほど走って、大通りに出たところで下車し、武夷山 度暇区の方向へ行くバスを待った。ここまでは1RMB。

 5分ほどでバスがやってきたので乗車(3RMB/人)。バスには女性スタッフが乗っていて、親切に質問に答えてくれる。私たちがホテルの名前を言うと、運転手にそこで停車するように伝えてくれた。

 11:20、武夷山度暇区に到着。昨日の天気予報では雨になるとのことだったが、幸いにも雨は降っていない。

 まずは、地球の歩き方で紹介されていたホテルに向かった。広々とした別荘型のホテルだが、シーズンオフのためか、ロビーも廊下も灯りがついておらず、真っ暗だった。その上、シャワーが電気式だったので、他を探すことにした。

 ホテルを出たところで、雨が降り始めた。雨宿りをかねて、昼食をとることにした。山の観光地にあるレストランは、ぼったくりと言っていい値段の料理がずらっとメニューに並んでいることが多い。それを避けるつもりで、小綺麗な、小さな食堂を選んで入った。しかし、メニューを広げると、(ここもか・・・)と思わずうなるほどの値段の料理が並んでいた。こんな小さな食堂で、数百元もするような料理を並べて客が入るのかと不思議に思う。面子を重んじ、また旅行時の散財を是とする中国人の性質を前提としなければありえない値段だ。

 「ここはやめて出ようか?」と私が提案した。他に客が一人もいないし、なんだか不安だ。
 しかし、Zは「ううん、食べる。安いのを選んで食べましょう」と首を横に振った。こんな値段をつける店では、安いのを選んだら選んだで最低の料理がで出来そうだが、Zはすでにハングリーモードに入っているようだ。諦めて、Zに注文を任せた。

  注文した料理がやってきた。予想通りというか、予想よりもひどく、野菜も新鮮ではないし、スープに至ってはほとんど味がついていなかった。「全然、味がついてないわ。これじゃお湯よ」とZが大声で文句を言った。だが、店員の姿は見えず、Zの声だけが空しく店内に響くのだった。

 食事を終え、精算した。Zは腹の虫が治まらないらしく、お金を払いながら店員に文句を言っている。「店員に文句を言っても無駄だよ。料理作っているの彼らじゃないし」と私が言うと、「いいのよ。言えば、この店もちょっとは変わるでしょ。だいたい、何か言ってやらなきゃ気が済まないわ」と憤慨気味の答えが返ってきた。なるほど、後半に重点があるわけだね。

 再び、ホテル探しを始めた。さっきのホテルはガラガラだ。最悪でも、ここに戻ってきて泊まれば良い。雨はぽつり、ぽつり程度なので心配しなくて良さそうだ。納得のいくまでホテル探しをするとしよう。

 Ctrip(携程カード)では、いっぱいになってしまっていると言われたホテルに電話をしてみた。ホテルによっては、Ctrip(携程カード)向けの部屋数に制限があるところもあるようなので、直接電話をすれば、空いているケースもあるだろうと考えたからだ。インターネット上では、そこのホテルはずいぶん評価が高かったから、400RMB以下なら泊まっても良いと考えていた。

 電話をすると、スタッフが出て対応してくれた。ツインで380RMBの部屋が開いているとのこと。10RMBほどCtrip(携程カード)より高いが、まぁ、許容範囲だ。ここまで結構安く上がっているから、散財してもいいだろう。

 歩いて5分ほどでホテルに到着。四つ星ホテルだけあって、綺麗なロビーだ。こぢんまりしているが、お金がかかっていそうな装飾品が溢れている。フロントに女性スタッフが立っていたので、部屋はあいているかと尋ねたら、「ありません」と冷たく断言された。「電話で確認したときは、380RMBのツインルームが空いていると言われたよ」と告げると、どこかへ電話をし、「あなた部屋があるっていったの?」と責め立てるような様子で質問をした後、受話器を置くと、「わかりました。二階へ上がってください」とだけ言った。

 恐ろしく、態度が大きい。四つ星だということで気張っているのだろうが、不愉快だ。サービス業というのは親切が基本だろう。
 ともあれ、指示された通りに2階へ上がると優しい笑顔をした服務員が待っていた。「このお部屋です」とすぐ後ろにある部屋のドアを開けて、私たちを招き入れた。部屋に入ると、暖かい空気が私たちを包みこんだ。あらかじめ暖房を効かせてあったのだ。春節の冷たい空気の中を歩いてきた私たちには、天国のように感じられた。部屋も、四つ星ならではの豪華さだ(五つ星は泊まったことがないのでわからない)。部屋が新しいから余計に綺麗に見える。このクラスの部屋に泊まったのは、二年前張家界の市内に泊まったのが最後だったと思う。

 「いいね、この部屋!」
 「本当~」
 Zの目がとろんとしている。相当な満足度だ。
 
「よし、ここにしよう。これで本当に380RMB?」
 私は服務員に確認の声を向けた。
 「いいえ、この部屋は一泊480RMBです」
 「えー、だってフロントの人380RMBって言ってたよ」
 「380RMBのは別の部屋ですよ」
 「それなら、フロントで確認するよ」

 フロントまで行き、さきほどの女性スタッフに尋ねた。
 「今のは480RMBの部屋です」
 「どうしてだよ。380RMBの部屋の話をしたんだろ」
 「380RMBの部屋もあります」
 スタッフがチラッとZをみやる。
 なるほど、わざと480RMBの部屋を見せたのか。
 しかし、私とZのコンビにその手は通用しない。
 「じゃあ、380RMBの部屋を見せて」
 私とZは声を揃えて言った。
 
 「この人たちを○○の部屋へ連れて行って」
 女性スタッフは、諦め声で、ポーターに指示をした。
 ポーターの後ろについて、ロビー脇の通路を歩いていく。灯りが全くなく、真っ暗だ。
 「もしかして、ひどい部屋なんじゃないか」
 ポーターに尋ねると、「いいえ、場所が奥まったところにあるだけで、全く同じですよ」
 (そんなわけはないだろう)
 階段を上がったり下がったりし、やがて目的の部屋についた。
 開けてもらったドアに入った瞬間、やっぱりという感じだった。内装は古ぼけているし、シーツなどもいかにも使い古したという感じだ。さっきの部屋とは比較にならない。暖房がまだ入っていないのは、普通だが、さきほどの部屋が暖めてあったので、ひどく寒く感じた。

 Zの顔を見ると、「やめましょう」と一言。「そうだね」。廊下を抜けて、フロントを素通りし、ホテルの外へ出た。「さっきの部屋をみた後でなければ、まぁまぁの部屋だったんだけどね・・・」と私が感想をもらすと、「そんなことないわよ。あれで380RMBもするなんて、詐欺だわ」とZが憤った。期待の部屋に泊まれなくて、怒り100倍という感じだ。「まったく・・、あのフロントも態度が悪いし、最悪だわ」と怒り冷めやらぬ様子で文句を言い続けるのだった。

 「まぁ、今日は時間があるし、ゆっくりホテル探しできるよ」
 「そうよ、もっと安くていいところが必ずあるわ!」
 いつもはホテル探しを嫌がるZがやる気まんまんだ。
 Ctrip経由では、ホテルがいっぱいになっているということだったが、観光客の数が多いということではなさそうだ。ただ、冬季のために営業をせずにいるホテルが相当有り、そのため選択肢が限られてしまうようだ。特に暖房やシャワーにこだわらなければ、泊まるところに困るということはないようなので、ぼちぼち歩きながらホテル探しをすることにした。
 「ほらっ、あそこ。あそこのホテルはどう」
 さっそくZが指で示したので、そちらのホテルへ行ってみる。フロントの女性に尋ねると、一泊220RMBだという。「お湯は24時間でるのか?」と質問をすると、「夜にならないと出ないわ」とのこと。私たちが難色を示すと、「でも、修理部のほうに要求してみて何とかするわ。とにかく部屋を見てください」と熱心に言った。言われるままに、部屋の下見を行う。部屋は綺麗で、シーツも新しい。リフォームしたばかりという感じだった。だが、お湯の供給に不安があるままでは決め手に欠ける。「一泊200RMBでどう」というフロントスタッフの声に、「もうちょっと探してから・・・」と答えてホテルを出た。

 続けて、すぐ横のホテルに入る。フロントには男性が立っていて、知り合いらしい女性と楽しげに話していた。私たちが近づくと、女性が「ここに泊まるの?」と親しげに話かけてきた。「部屋を見てから」と答えると、「私が案内するわ」とフロントの男性スタッフに目で合図をした。スタッフが頷くと、女性は先に立って歩き出した。
 

 階段を登りながら、女性は「私は昔ここで働いていたのよ」と自己紹介をした。なるほど、しかし女性の服装はとても服務員レベルの生活をしている風ではなかった。毛皮のコートに、いかにもお金がかかっていそうな髪型、それにバッグ。本当にここで働いていたの?という感じだった。

 部屋は十分に綺麗で、お湯も24時間出ると言う。重ねて聞いても、間違いないというので、私たちはこのホテルに泊まることに決めた。
 部屋代は、最初の一泊は200RMBでいいが、残りの二泊はピーク時なので、280RMBということになった(1:00)。料金の妥当性は微妙だが、シャワーと暖房がしっかりしていれば良いとしよう。

 フロントで手続きを済ませ、部屋へ向かう途中、額にかけてある従業員と著名人の写真に気づいた。覗き込んでみると、確かにさっきの女性がいた。化粧もあまりしておらず、服務員の制服を身につけて、いかにも素朴そうな様子だ。さっきのいかにも富裕そうな外貌とは大きくかけ離れている。顔立ちが整っていて、背も高かかったから、ホテルの経営者かその親戚にでも見初められて玉の輿にのったのかもしれない。
 
 昨晩は列車の中で一晩過ごしたから、汗だくだ。シャワーで汗を流すことにする。

 2:10,ホテルを出て、バスに乗車し、市内に向かう。深センへの帰りの足を確保するためだ。市内は春節とあってさすがに賑やかだった。田舎町ながら、公園やら広場やら、あちこちに人だかりができていた。
 市内で下車すると、バス・ステーションへ向かった。武夷山登りが終わった後は、バスで永定へ向かい客家の住居を見学してから深センへ帰るというのが理想のルートだったからだ。しかし、バス・ステーションは、春節の休暇で、お休み中だった。明日も開くかどうかわからない。やむなく、エア・チケット売り場へ向かう。しかし、頼みのエアチケットも、深セン行きはいっぱいだった。20日だけは空いていたが、それでは山登りに一日しか割けない。最低でも二日は確保したいので、飛行機で帰るのは一旦諦めることにした。

武夷山市内

 こうなったら、列車だ。普通は市内にも列車のチケットを売っている場所があるものだが、なぜか武夷山市内では見つからない。バイタクの運ちゃんたちも知らない様子なので、バスに乗って駅へ向かった(駅は、ホテルのある 度暇区と市内の真ん中ぐらいにある)。

 駅に到着。窓口に並ぶが、チケットは全て売り切れ。ダフ屋らしき集団が大勢構内にたむろってトランプにふけっているから、ダフ屋経由だったら買えるのかもしれないが、本物かどうかわからないチケットに手を出すわけにもいかない。諦めて、 度暇区へ戻ることにした。

 まず、駅前のバスで大通りに出る。そこで乗り換え。だが、乗車するバスを間違えた。バスが市内の方向に向かっていることに気づき、慌てて下車した。再びバスを乗り換えて、 度暇区へ戻った。今度は度暇区内のエア・チケット売り場へ向かう。深セン行きは手に入らないことが判明したので、広州行きにトライしてみた。結果、なんとか21日のチケットを入手できた。これで永定で客家の住居を見学するという夢は潰えた。まぁ、今回は仕方がない。しかし、春節の旅行は年々大変になるような気がする。

第一日目の食事-武夷山-

 5:00,度暇区のレストラン街のようなところで、一番看板がはでな店を選んで食事をした。メニューはなく、表に並べられた材料で選べという。できるだけ安いものを選んで注文したが、全て外れ。お昼もひどかったが、さらにひどい。魚も野菜も新鮮ではなく、ご飯まで炊き直しのようなものが出てきた。注文した品をほとんど残して店を出ることになった。Zも怒りまくり。看板に頼ったのが悪かった。次は細心の注意を払って店選びをすることにしよう。

 夕食を終えてホテルに戻り、本日は終了。

2007年2月19日

6:30、起床。7:12に出発。Zの化粧で、出発が遅れた。

最近全然運動をしていないので、体力に自信がない。心配だ。頂上まで登れるだろうか。

7:17、ホテルを出て大通りで、バスを待つ。

「どっちの方向だろう?」
「こっち、こっちよ」
とZが自信たっぷり、一方を指さした。
昨日、同じZの動作で間違ったバスに乗ることになったので、いささか心配だ。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫。何だったら、10RMB賭ける?」
「いや、賭けない」
「残念、実は昨日、『天遊峰』って書いてあるバスがこっちへいくのをみたのよ」
危ない、危ない、また10RMB巻き上げられるところだった。

 バスに乗車。「天遊峰」へ向かう。登山路の入口まではこれで直接行くことが出来た(2RMB/人)。バスを下車すると、ダフ屋が寄ってきて、チケットを売りつけようとしてきた。半額だという。のってみたい気もするが、騙された時のショックが大きいので、関わり合わないことにした。道を奥へ入っていく。チケット売り場までは少し歩くようだ。

 チケット売り場に到着。バスを下車してから、数百メートルは歩いた。すでに疲労が・・・。運動不足が祟っている。チケットは、1日チケットが110RMB,2日チケットが120RMB、3日チケットが130RMBというように、観光期間別に料金が設定されていた。最近、政府によるチケット代規制が厳しくなってきているから、その抜け穴を狙った料金設定のようにも思える。悪知恵が働くなぁ。

 入場門を抜けて、「天遊峰」へと出発。

 しばらくはなだらかな石段が続く。Zは元気いっぱいだ。「天遊峰」へ至るルートは複数あるようだ。できるだけ楽な道を選びたいが、到着地点の高さは同じだから、どれを選んでも疲労度は変わらないような気がする。石段の傾斜は徐々に厳しくなり、呼吸が粗くなってくる。この山は高さはそんなでもない気がするが、石段の傾斜がきついので、登るのが大変だ。なにより、転がり落ちそうで怖い。

   

  9:38,「天遊峰」到着。なんだか、あっという間についてしまった感じだ。ガイドブックに載っていた通り、景色は素晴らしい。ただ、やはり内陸の山に比べると、雄大さに欠ける。世界遺産に登録されるほどでもないと思うのだが、利便性が人気の秘密だろうか。

 

  「天遊峰」には、お寺があり、この横を抜けて帰途に着くことになる。御輿に乗ってくる人たちは逆にこの帰途の道から上がってくるようだ。お寺の横からの道は行き先を示す掲示板もなく、わかりにくい。そばにいた掃除のおじさんに尋ねてなんとか正しい方向へと進んだ。

 しばらくなだらかな道が続き、助かる。Zに感想を聞くと、「疲れた」の一言が返ってきた。「天遊峰」への階段の傾斜がきつかったので精神的に疲れているようだ。道なりに歩いていくと、御輿に乗った観光客が何組かやってきた。道が平らだからか、担いでいる人も余裕がある。中の一人は、なんと携帯電話で話をしながら御輿を担いでいた。余裕ありすぎ。

 

 再び分かれ道。広い道と狭い道の二つに分かれている。道の脇に土産屋が数軒あり、店のおじさんが食ってけ、買ってけと声をかけてきたが首を横に振って断った。改めて分かれ道の周囲を眺めるが、行き先を示すものが何もない。やむなく店のおじさんに尋ねるが、何も買わない奴に教えられるかというようにそっぽをむかれた。雄大な自然の中に住んでいるくせに、セコイ奴だ。どうしたものかと悩んだが、ここで狭い道が正しかったりしたら、皆が道に迷うことだろう。そう判断して、広い道を行くことにした。

 しばらく長い下りが続く。道も正しかったようだし、幸せ。だが、下りがあれば、いずれ登らなければならなくなる。不安も同時につのる。

 そして、登り。茶畑が続く。途中、数人で薬材を探しているグループがいた。どの草を探しているのかと尋ねたZは、同じ形の草を指さして「ここにもあるわ!」と得意になって教えてやった。しかし、「それは別の種類だ」と老人にぼそっと言われて肩を落とした。

 

  ひたすら歩き続け、「老君岩」の彫像があるお寺に到着。泉州の「老君岩」よりデカイ。しかし、泉州の「老君岩」はあちこちのガイドブックで見たことがあるが、武夷山にも「老君岩」があるとは知らなかった。こんなにデカイのになぜ?(帰宅後、調べてみたら、武夷山の「老君岩」は1996年に建造されたもので、建造後10年ぐらいしか経っていないのだそうだ)。

 
 
 

 お寺の正面の道を進んでいくと、やがて川縁に出た。道しるべがあり、川下りの船着き場まで4キロだと書いてある。一方で数十メートルほどで出口に出られる小道もあるようだ。そこからタクシーで船着き場まで行く手もある。タクシーがあればであるが、・・・。

 4キロといっても、川縁の平地の4キロだ。Zの反対を押しのけて、川縁の行軍を選択した。数十メートルほど進んだところに、若い男が立っており、「なんだ、歩いて行くのか。遠いぞ。そっちの道から行けば、車に乗って船着き場に出られるぞ」とアドバイスをくれた。うーん、どうしよう。再び迷う。やっぱり近道でいくか。十数メートルほどもとの道を戻った。男の姿が遠くなったところ、再検討した。さて、男の言うことはもっともだが、たったの4キロだ。歩けないはずがない。そもそも、あの男はなんであんなところに立っているのだ。農業をやっている姿ではないし、おかしい。もしかして、歩いていこうとする観光客をタクシー利用に切り替えさせるために、あんな所に人を配置しているのではないだろうか。

 いろいろ考えて思い直し、再び4キロルートを進んだ。今度は男もないも言わない。しかし、携帯電話を取り出して、なんだか私たちのことを話しているようだった。怪しい。

 
 
 

 左に河、右に茶畑の道を黙々と進む。ウグイスがいるようで、ホーホケキョの声が聞こえた。船が観光客を乗せて次々と下ってくる。こんな風に河そばを歩けるなら、わざわざお金を払って船で川下りをする必要もないような気もしてくるが、そうもいかないか。

 

 たかが4キロと思ったが思ったよりも遠い。「けっこう遠いね」と二人でつぶやきながら、黙々と歩んだ。そろそろ船着き場かという辺りで、道は田んぼの中に入っていった。Zが水路を指さし、「ほらっ、蛙の卵よ」と大騒ぎをする。「どれどれ?あっ、ほんとだ」。へぇ、これが蛙の卵か。いくら私でも蛙の卵ぐらいみたことがあるはずなんだが、もう記憶にないなぁ。日本にいたときは好んで自然の中を歩くということはなかった(歩かされたことはよくあったが・・・)。だから、心に刻まれてないのかな?

 

 12:00,船着き場に到着。ちょうどお昼になったので、近所の食堂で食事をとることにした。昨日はぼったくり店にあたってがっかりしたが、今日はどうだろう。むき出しの木のテーブルと椅子が3セットほどおいてあるだけのドアもない素朴な食堂の中に入り、適当に座った。すぐにおばさんが寄ってきて、お茶を出してきた。メニューは?と尋ねると、メニューはない。材料をみて決めてくださいと言ってきた。昨日と同じだ。この辺りではどこでもメニューがないのか。或いは、観光客からぼったくる作戦なのか。

 やむなく、質問をしながら三品ほど注文した。合計で59RMB。こんな田舎の、しかも食堂クラスの店で深センのレストランと変わらない値段なのは気に入らないが、仕方がない。

 しばらくすると、料理が運ばれてきた。値段は高いが、味は良かった。深センでは食べられない味を出しているので、満足度が高い。Zが「美味しいわねぇ」と何度も繰り返す。確かに深センにはない味だ。が、食事の美味しさではやはり湖南省が一番だな。

 
 

 12:40,食事を終えたので、川下りの船に乗ることにする。橋のそばの船着き場に行くと、「団体の客か?」と聞かれたので、「個人だ」と答えると、「今は休憩中だから、下流にあるもう一つの船着き場へ行け」という。他の客にも同じように答えているので、言われるままに下流へ向かった。Zは道路脇でサトウキビを買い、むしゃむしゃやりながら、歩いていく。「個人客だから相手しないなんてひどいよね」と文句をいっているがけっこう満足そうだ。お腹が満たされた時のZは機嫌が良い。

 十分ほど歩いて下流の船着き場に到着。ところが、チケット売り場には売り切れの表示が・・・。しかも、本日のチケット全てが売り切れているのだという。団体旅行客向けに全て売り切ってしまっているのだそうだ。

 すぐそばに、インフォメーションセンターのようなところがあり、そこで家族連れの男が大声でどなりちらしている。そばにいって、聞き耳を立てていると、私たちと同じように個人で来て、チケットが手に入らないので怒っているようだ。「個人客向けのチケットがないなんて、どこに行ってもそんなことはなかった。馬鹿にするな」とこんな内容だ。全くだ。頑張れ、親父。しかし、インフォメーションセンターのスタッフは、ないものはないの一点ばりだ。しかし、まったくチャンスがないわけではなく、もうすぐ団体客がくるから、それでチケットが余ったら売ってくれるとのことだ。それでも怒る親父に、「必ず余るから」と説得の言葉を繰り返している。

 この親父の家族だけで、5,6人いるからとても私たちまでチケットがまわってきそうにもない。半ば諦めて、「もう無理だよ。トイレ行ってくるから待ってて。一旦ホテルに戻ろう」とZに声をかけてトイレへ。さてどうしたものか。まぁ、「天遊峰」にも行ったし、河下りができなくてもそれほど惜しくもない。予定を繰り上げて、明日回るところを今日中に行ってしまうか?そんな風に結論を出し、Zのところへ戻ると、ニコニコとこちらに笑みを向けてきた。手にはなんとチケットが。「えっ、チケット買えたの?」と驚く私に、Zは「うん、さっき団体客がやってきてね、インフォメーションの人が売ってくれたの」と答えた。「へえ、よく買えたね。さっきの怒鳴っていた親父はどうだったの?」と尋ねると、「うん、お金が足りなくて買えなかったみたい」と説明してくれた。おいおい、怒鳴る前に、料金の確認をしろよ。子供が多かったみたいだから、半額になると考えていたのがそうならなくて当てが外れたのだろうか。

  長い列に並んで順番を待つ。筏の数は十分にあるらしく、進むのは速い。私たちのような個人客は少なく、みそ扱いだ。個人客は6人まとまるまで改札の脇に置いておかれ、合計6人になったところで筏のところに連れて行かれるようになっていた。魚の餌を売る、売り子たちがやってきたので二袋ほど購入した。

 

   筏は竹ので組んである。二艘を併せて一艘の船にしてあるようだ。6人全員が乗ると、船の底は水浸しになった。専用の足置き台に足を置いておかないと、靴がずぶ濡れになってしまう。わざとやっているわけではないだろうが、これなら客がうろうろすることもないし、船のバランスも取りやすいだろう。船のこぎ手たちが前後に一人ずつ立ち、長い棒を操って、船を導いていった。

 

 十数隻の筏が次々と河を下っていく様は壮観だ。山に囲まれた川の流れに筏の列が延々と続いた。さきほど二艘を併せて一艘の船にしあると書いたが、その二艘には各々番号が振ってある。漕ぎ手と他の客の話を横で聞いていると、二人いる漕ぎ手の一方が、右側の筏の持ち主、もう一方が左側の筏の持ち主となっているとのことである。船が終点に着いた順に、次のターンでの順番が決まるらしく、元気の良い漕ぎ手は先を争って、船を漕いでいく。1ターンでも多く回れれば、それだけ稼ぎが増えるというわけだ。すぐそばの船で、それを感じ取った客の一人が、もっとゆっくり漕げと注文をつけ、漕ぎ手と口論になった。高い金を払ったのに、急いでいかれてはかなわないというわけだ。散々言い合いをした後、別の船の漕ぎ手が仲裁に入って、なんとか丸く収まった模様。言いたいことをはっきり言う中国人の間ではよく見られる光景だ。 

 

 漕ぎ手が教えてくれた魚がいるという場所で餌をまくと、魚が餌をとって水が跳ねるのがわかるが魚影はみえない。皆、てんでばらばらに餌を撒いて終わり。餌を買わなかった男の一人が、隣の女性に向かって「ほら、餌なんて買わなくていいんだよ。他の人たちが撒いているのを見れば同じさ」とうそぶいた。妻らしき女性は、「それもそうね」と応答した。中国人の人間関係がかいま見えたようで面白い。

 
 
 

 「九曲下り」と名がついている通り、九個の曲がりがあり、一つ一つの曲がりを通るたびに漕ぎ手が「一曲」、「二曲」と教えてくれた。河の流れはそれほど速くなく、くねくねと曲がる河を下っていくだけなので、激流下りのようなものが好きな私には刺激が少なく感じられた。風景も内陸に見られる壮麗さに比べれるとやや見劣りがする。しかし、Zはけっこう楽しんでいたようで、「ほら、涼しくて気持ちがいいわ」と靴を脱いで足を水の中でばしゃばしゃさせて喜んでいた。

   

  終点に到着。船を下りて、すぐのところに古代の街に似せた通りがあり、そのそばに武夷宮もあった。古代の街は中途半端な作りで、武夷宮も興味がもてるようなものではなかった。少しぶらぶら歩いただけで、ホテルのある 度暇区へとバスで戻った。

   

 昨日食事をしたレストランの辺りに屋台がたくさん出ていたので、屋台で中国式おでんを食べてお腹を満たし、ホテルへ戻った。まだ4時前だが、今日の活動はこれでおしまい。

 写真の屋台はタロイモを炒めたものを卵焼きで包んだの草かお茶を練り込んだもので包んで揚げたのと2種類である。どちらもタロイモがメインだ。味はけっして美味しくないが、腹持ちは良い。

   
2007年2月20日

 8:00,ホテル出発。昨晩は雨が降ったようだ。地面が濡れている。道路には霧がかかっていた。
 露店で朝食をとる。麺を二人で10
RMBで食べた。深センと同じ値段だ。ちょっと高いのではないか。地元の人たちらしき人がたくさん食事をしているが、本当に私たちと同じ料金を払っているのかいささか疑問だ。

 

 8:30、タクシーに乗車(15RMB)して、大紅包へ。 武夷山でバスで行くことができるのは、昨日の「天遊峰」だけで、後はタクシーを駆使しないといくことができない場所ばかりのようだ。

 タクシーを下車し、
入口から石畳に沿って先へ進む。お茶で有名なところとあって、茶畑ばかりが続く。日本の整った茶畑に比べると、手入れが行き届いておらず、やや雑然とした感じなのは国民性の違いだろうか。あるいは、日本の茶畑が人工的なぐらい綺麗に整いすぎているというべきか。

   

  2本しかない、3本しかない、4本しかない(どれが本当なの?)とも言われている大紅袍茶の原木にある場所に辿り着いた。すごく特別な場所にあるわけではなく、崖に沿ったちょっと小高い花壇のような所に植えられていた。他の観光客の様子も、「おおっ、あれが!」というような反応ではなく、「ふーん、これがねぇ」というような反応が多かったように思う。わずか十数グラムで数百万円の値段がつき、古代には皇帝への貢物にもされたそうだ。しかし、お茶の樹というのは、そんなに長生きなのだろうか。いくらなんでも、何百年も前からのものがそのままあるとは思えないから、世代交代はされているのだろう。インターネットで調べてみると、ここにある(仮に)4本(としておこう)の原木を第一世代と言い、原木から接ぎ木され武威山で育てられた茶木を第二世代といい、武夷山以外で育てられたのを第三世代というのだそうだ。お茶の木のことだから断言はできないが、普通の意味の第一世代、第二世代とかとは明らかに違う。これはごく最近になって、売らんがために作られた区分けではないかと推測する。

   

 まぁ、静岡県に長く住んでいたので、お茶にはなんとなく親しみがある。茶畑をたくさん見れたから良しとしよう。
 さあ、「水帘洞」へ向けて出発だ。

 

 なだらかな上りと下りの道が交互に続く。どこまで行っても、鳥のさえずりと川のせせらぎが絶えない。絶好のハイキングコースだ。

 
 

  途中、ツアー旅行の人たちに追いついた。老若男女が一緒に歩いているからだろう。のんびり行軍のようだ。どんどん追い抜いていき、先頭にたって歩いているガイドの横を抜けていこうとしたとき、Zが呼び止められた。「ちょっとこれ持ってて」とガイドからツアー客引率用の長いポール付の旗を渡された。思わずポールを受け取ったZをろくに見もせずに、ガイドは携帯電話で通話を始めた。Zはやむなくとぼとぼとガイドの後ろをついていった。
 ガイドの電話がこれまた長い。縁もゆかりもないのだ。さっさと押し返してしまえばいいと思うのだが、意外に人の良いZはひたすらガイドの後をついてゆく。私がくすくすと笑っていると、Zは「何笑ってるの?」とこちらをうらめしそうに睨んだ。十分ほどもそうして電話をした後、電話を終えたガイドは振り返って、ひょいひょいと手を伸ばし、Zにポールを返させた。あら、見ない顔ねという表情をしたところをみると、Zをツアー客の一員か何かと勘違いしていたのだろうか。いや、客にポールをもたせたりしないかな?

 しばらくして、雨が降り始め、中途にあった祠で一休みをした。雨が弱くなってきたところで、再度出発。 美しい川や山に囲まれた細いハイキングコースを黙々と歩いていった。

 

 「水帘洞」に到着。名前からすると、薄く広がった水がカーテンのように流れ落ちてくる、そんな滝があるのを想像したが、実際は一筋の水が崖の上から流れ落ちてくるだけだった。代わりに、崖そのものがカーテンのように、横に広くまっすぐに広がっていた。どこだったか忘れたが、他の地方でも同様な様子の崖をみたことがある。「水帘洞」という名称も、きっと中国のあちこちで使われているに違いない。(インターネットで調べてみたら、水帘洞はもともと孫悟空で有名となった場所らしい。孫悟空に出てくる水帘洞は江蘇省の連雲港市東南花果山にあり、それ以外にも有名なものだけでも福建省武夷山、河南省桐柏山、湖北省神農架、湖南省衡山、甘粛省武山県と数多くあるとのことだ)。

 
 



  しばらく、小さな飛沫になって落ちてくる滝の水を眺めてから、出口へ向かった。

 

 

 出口に着いたものの、駐車場にはツアー客が乗ってきたバスが数台停車しているのみだった。小雨が降ったり止んだりした中を歩いてきたので、全身が水でじっとりと濡れている。このままウロウロしていたら、風邪をひきそうだ。焦って駐車 場の中を歩き回る。幸い、バスの後ろにタクシーが一台停車しているのを発見。声をかけると、「どこまでだ?」と聞いてきた。「度暇区」と行き先を告げると「20RMB」と答えてきた。高い。私にはもはや交渉する気力は残っていなかったが、Zが頑張って値切り、15RMBで行ってくれることとなった。
 しかし、発車して数分経ったとき、運転手が「どこだっけ、行き先は?」と尋ねてきた。(何言っているんだ?こいつは)。嫌な予感を抱きつつ、行き先を再び告げた。すると、「えっ、だったら15RMB」じゃ足らないよ。20RMBだね」と強い口調で言ってきた。「そりゃ駄目だよ。さっき交渉は済んだだろ」と二人で反論した。ところが、運転手は怯まない。「いや、さっきは別の場所のことを言っていると思ったんだ。15RMBじゃ、行かない。駐車場に戻る!」と宣言をして、ハンドルを切り始めた。脅かしに過ぎないだろうとは思うものの、戻られては、他に移動する手段がない。怒りと焦りが交錯した結果、焦りが勝った。「わかった。いいよ20RMB」。私とZが同時に同意した。運転手はしたり顔でハンドルを切り直した。くそ、まんまとやられた。敗北感につつまれる。天気の良いときであればここで下ろせとでも言えるのだが、それを知ってて、運転手も値上げ要求をしてきたのだ。全く腹立たしい。

 
 

 ホテルそばのレストラン街で、昼食をとることにした。一昨日このレストラン街で食事をして大失敗をしたので、今度は慎重に店選びをした。店の前に並べられている材料を真剣にみて一番新鮮そうな材料を出している店に入った。注文をしながら、いちいち値段を聞く。すごく安いとは言えないが、観光のメッカだからこんなものかと注文をした。しばらくして出てきた料理は、まずまずといったところ。一昨日の店の料理があまりにもひどかったので、普通の料理でも美味しく感じられるから不思議。

 食事を終えると、ホテルで着替えをして一休みをした。午後は、「一線天」というコースへ向かうことになっている。「一線天」というのは、多くの山にあって、私が登ったことのある山では、たいてい、細く長くすごく急な階段が一直線に続いているコースだった。武夷山の「一線天」はどんなところだろう?

 

   「一線天」に向かって出発だ。やはりバスはなく、タクシーしかない。タクシーの運ちゃんもそれがわかっていて、容易に値切りに応じてはくれない。しかたないので、バイタクをつかまえた。目的地を伝えると、「12RMB」と返事が返ってきた。どれだけ遠くに行くんだ?という料金である。もっとも、最近はガソリンの値上げで、バイタクの運賃もずいぶんと上がっている。それでも、頑張って値切って10RMBにしてもらった。

 乗車してしばらくすると、「一線天」のコースの出口に当たる場所を通りすぎた。運転手は少しでも走る距離を短くしたいらしく、こちらの側からいったほうが良いと盛んに勧めてきた。こちらは、何が本当なのか全くわからないから、そうなのかな?とグラッと心が揺れたが、(いやいや、そんなはずはない)と自分に言い聞かせ、「入口のほうから行く」と語調を強めて言い切った。運転手はしばらくごにょごにょと言っていたが、説得するのは無理だと判断したらしく、黙り込んだ。

 入口を抜けて、しばらく歩くと、横に長く伸びている崖の前に出た。ここが「一線天」の始発点らしい。今まで登ったことのある「一線天」はちょっと趣が異なるようだ。洞窟に入ったところに踊り場があり、そこで懐中電灯を貸し出していた。Zはいらないと言ったが、せっかくなので、一本借りていく(確か3RMBだった)。

 

 ここの「一線天」とは、「1」の字のようにまっすぐ細くに伸びた洞窟を上に登っていくものだった。真っ暗で細い階段を一列に並んで、順番に上に上がっていく。ものすごく狭くて、やや太り気味?の私は身体を斜めにしながらでなくては、登ることができない。大勢が登っていくので、なかなか先へ進まない。本当に一歩一歩といった感じだ。途中で、「無理だ。やっぱり戻る」と引き返してきた初老の男がいた。身体を目一杯横にして、なんとかすれ違った。他の客たちも、迷惑そうな声を上げながら、オヤジを下に送り出してやる。登りはさほどきつくないのだが、これだけ狭くて真っ暗だと、気持ちの上でまいってしまう人が出るのも無理はないだろう。

 上まで登るのに、実際は20分ほどしかかからなかったと思う。だが、感覚的には30分を超えていた。広い場所に出ると、心底ほっとした。皆が口々に歓喜の声を上げるのも自然なことだ。

 

   

 「一線天」を越えて、茶畑の間を抜け、進んでいく。これらの茶畑も大紅袍茶と同じ「岩茶」の一種だそうだ。
 

 

 「虎嘯巌」に到着。

 

 「虎嘯巌」に到着。名称の由来などは、また別の機会に調べて書くとしよう。ここには観音様が彫られている。ツアー客を引率しているガイドの話を横からたち聞きしたところによると、十数年(?)前だかに、ある女性が商売の成功祈願に来て、うまくいったらここに観音様を彫る約束をしたという。その後、その女性は見事に大成功を収め、約束どおり、ここに(数十万元をかけて)観音様を彫らせたとのこと。当初は雨風を避けるために、壁で覆う予定だったが、崖が外側に傾いているため雨が観音像に当たることはないと判断し、壁の建設をとりやめたらしい。

   

 「虎嘯巌」の出口で、バスをつかまえて乗車。度暇区へ戻る。3:30。露店で食事を済ませ、早々にホテルに引っ込んだ。

 
2007年2月21日

 早朝、5:45、チェックアウト。
 タクシーで、飛行場まで(10RMB)。
 こうした地方の飛行場から出発するときは、天候の具合とかで、やたら待ち時間が長かったりするのだが、今回は到着したときには、すでにチェックインが始まっていた。珍しくスムーズ。空港は、今まで行ったことのある空港の中で一番小さい部類に入るだろう。 ターミナルから飛行機までは徒歩。これも久しぶりだ。
 

 8:00、広州着。

 9:45、広州駅着。

 12:00、アパート着。トラブルもなく、スムーズに帰宅することができた。
 これで、「武夷山探検記」は終了です。ご覧頂きありがとうございました。