厦門市の旅


灰色の部分が福建省です。

2007年2月17日

 7:30、アモイ市に入った。ここでも、空気がバスに流れ込んでくると、以前に来たときの細かな記憶が次々と呼び覚まされた。やはり風の匂いが記憶を掘り起こすのだろう。 

 7:40,バス・ステーション到着。ただし、以前の時と異なって、列車の駅のそばではなく、かなり郊外のバス・ステーションだ。

 タクシーに乗ってアモイ駅に向かう。初乗りは8元だ。泉州では6元だったので若干高い。

 7:55,アモイ駅着。チケット売り場にはすでに長い行列が出来ていた。武夷山までのチケットはなんとか購入できた。一人122元(硬臥)だ。最後の二枚だった。残念ながら、二人は別々の車両。駅の入口脇にある荷物預かり所に衣服の入ったボストンバックを預けることにする。ここでは、すべてロッカーに入れる方式になっており、だいぶ安心だ。
 

 無事、武夷山までの足を確保したので、駅横のマックで朝食を取ることにした。以前にアモイへ来た時も、ここで食事をした。席がゆったりと取られているので、落ち着いて食べられる。Zはハンバーグをぱくぱくやると、「ここのポテト、深センのよりも美味しいわ」と感想を口にした。確かに、アモイの方がうまい。「広州のも深センより美味しいのよね」と思い出したようにZが付け加えた。出稼ぎ族の多い深センはあまり味が問われないのだろうか。

 

アモイのバス・ステーション マックで朝食
アモイ駅
   

 タクシーに乗って、コロンス島行きに船着き場へ到着。コロンス島行きの船は、島に直行する船とコロンス島をぐるりと回ってから到着する遊覧船とがある。以前に来たときは、どうしても直行便の乗り場が見つからず、やむなく遊覧船に乗った。遊覧船が高いわけではない。たったの10元だ。コロンス島をぐるりと回れて、10元なのだから、むしろお得とも言える。直行便だって数元するだろうから、金額的にはたいして変わらないのだが、なんだか観光を強制されているようで不愉快だし、あるはずなのに見つからないとなると、余計に乗りたくなる。

 しかし、タクシーを下車した場所は、やはり遊覧船乗り場だった。しまった。インターネットで情報を集めておくべきだった。しかし、今回の旅行では、アモイに立ち寄る予定はなかったので、そこまで準備していなかった。しばらく、乗り場周辺をうろうろしたがみつからない。以前に調べた記憶では少し離れた場所にあったような気がするのだが、・・・。

 横で、Zが「早くいこうよ!ここでしょ」とうるさく騒ぎ立てる。一応説明を試みるが、Zには意味をなさないことなので、耳に入らない。諦めて今回も、遊覧船に乗ることになった。

 

  コロンス島は、ガイド攻勢が激しい。まず、遊覧船乗り場の辺りで若い女の子が20元でガイドをすると、訴えかけてくる。遊覧船を下りると、地元の中年のおじちゃんやら、おばちゃんやら、兄ちゃんやらが10元でガイドをするとわらわらと集まってくる。かなりしつこいので、振り払うのが大変だ。

  今回は、Zを楽しませるのが主な目的なので、日光岩に登れさえすれば良い。遊覧船を下りると、日光岩と思われる方向に向かってまっすぐ進んだ。昨日とは打って変わって天気が良い。雨を予想し、厚着をしてきたので、汗がだらだらと流れ続ける。

  日光岩の入口に到着。なぜか日本の「日光」に着いたような気分になる。日本の「日光」の文字が頭に刷り込まれているせいだろうか。チケット買って、登り始めた。途中、道に迷ってしまい、登ったり降りたりを繰り返したが、なんとか頂上に到着。風が吹いていて、気持ちがいい。

コロンス島
   

 しばらく涼んで、下に向かう。隣の山にある「百鳥園」行きのゴンドラがすぐ下に出ているはずだ。しかし、ここでまたもや迷い十数分を費やした。Zと一緒にあっちだ、こっちだと言い合っているせいで、やたらに迷う。 

  二人乗り用のゴンドラだ。乗車してすぐに、私が「ほら、俺のほうが重いからゴンドラが傾いているよ。ちょっとジャンプしてみようか」と冗談(傾いているのはほんとだが)を言うと、Zが「駄目、駄目、動かないで!」とうろたえた。もっとも、私は高いところが苦手なので、言ってみるだけで、実行する勇気はない。

  11:24,百鳥園に到着。ここは日光岩の入場チケットとセットになっているので、無料で入ることができる。まず入口そばのオウムに懸命に話しかけ、人間の言葉を話させようと試みたが、相手にされなかった。

  ここでは、檻に入れられている鳥もあるが、多くの鳥が放し飼いになっている。小さな山の頂上部分が編みで囲われていて、鳥が逃げられないようになっているのだ。相当な数の鳥がいるらしく、鳴き声が止むことはない。

  放し飼いされている鳥の中では、孔雀が大人気だ。美しい羽を扇のように広げてみせて、皆を喜ばせている。珍しい、純白の孔雀などもいた。孔雀が飛ぶ姿をみたが、飛ぶときは翼を大きく広げるということはなく、前部の羽を小さく広げただけだった。あの綺麗に広げる扇のような羽は、威嚇(自慢?)専用なのだろう。

  斧のように大きく丈夫そうな嘴をもった鳥がいた。餌をやると、まず嘴の尖った先で、キャッチし、それから器用に口の中に放り込む。その動作がおかしかったので、なんども餌をやって楽しんだ。
 
  百鳥園の中央では、鳥の芸を見せるイベントが30分おきぐらいに繰り返し行われている。私たちが着いた時は、イベントの一番最後で、鳥が羽ばたいて観客がかかげているお札をとるという芸を見せている時だった。
Zに、「しばらく待って、最初から見ようか?」と言うと、疲れているのか、「もういいわ、行きましょう」と答えたので、席を立って外へ出た。

コロンス島
   

  深センから泉州まで強行軍だったし、泉州でも雨の中をだいぶ歩いた。疲れているのも無理はない。その上、今日は夜行列車で武夷山へ移動だ。そこで、コロンス島は早めに切り上げることにし、船着き場に戻った(13:00)

  帰りの船は一直線に対岸へ向かった。チケットをもっていないと4RMBで買わなければならないようだ。そうしてみると、コロンス島を一周して到着する遊覧船はずいぶんと安いと言えるだろう。

 1:30,対岸へ着くと、今度は2号線のバスに乗って、胡里山へ向かった。泉州では、雨に湿った砂浜しか見せられなかった。アモイの海も泉州に負けず劣らず綺麗だった記憶がある。今日は良い天気だし、砂浜も白く乾いていることだろう(コロンス島にいる間は、全般的に強い日差しがさしていたが、時折わずかににわか雨が降った)。

  以前に初めてアモイに来た時は、バスに液晶テレビがついていたので驚かされた。しかし、現在は、深センのバスにも液晶テレビがついているのが当たり前になっているので、感動がない。それに、前は、乗車している人たちが地元の裕福な人たちばかりという雰囲気だったのだが、今回は、出稼ぎ族もだいぶ混じっているのが服装でわかる。豊かな人たちは自家用車、バスは出稼ぎ族という風に棲み分けが変わってしまったのかもしれない。全体的に出稼ぎ族が増えているのだろうか。

  1:40、胡里山到着。胡里山には、大砲があるが、Zは興味がないとのことなので、まっすぐ目の前の砂浜に向かった。砂浜は想像通り、太陽に照らされてすっかり乾いていた。或いは、こちらの方は雨が降っていなかったのかもしれない。「どう?泉州の砂浜も、天気が良ければ、これぐらい綺麗だったんだけどもね」と感想を聞いた。真っ白な砂浜に感動してくれるものと思ったが、反応は鈍く、「うん。でも、海は泉州のときほど綺麗じゃないわね」と感想をもらした。

胡里山前の海岸

  言われてみると、確かにその通りだ。海は透き通っておらず、なんだか濁った感じだ。記憶では、アモイの海も泉州に負けず劣らず美しい海だったのだが、公害にでもやられたのだろうか。天気が良いのも、肌が紫外線でやられるのを嫌うZには不評で、「もう十分だわ、他へ行こうよ」と言い出す始末だった。と言っても、今日はもう行くところがない。いや、植物園とかの選択肢も本当はあるのだか、疲れてしまって行く気にならない。どこかで休みたい気分だ。Zに促されて、バス停へ戻る。途中、海岸に面した住宅地に目をやると、数年前にきたときには、真新しかった住宅マンションが、もうボロボロになっている。海の潮風に吹かれているとこんなに早く痛むのか。

   再び2号線バスで、船着き場付近へ戻った。
  春節で人気の少ない商店街を当てもなく歩く。屋台が出ていて、ヨーロッパ人の手作りアイスクリームと看板を掲げていた。たしかにブロンドのちょっと太めの女性がアイスクリームをすくい上げては、お客に配っている。欧米人が道ばたで物を販売するというのは、深セン辺りでは見かけない光景だ。生活水準の高いアモイだから、アイスクリームを売ってでも、ここで生活をしたいという欧米人が存在するのだろうか。そばに、男性の欧米人がいるところをみると、中国人と結婚したからというわけではないようだし、留学生という可能性もある。

   何か面白いものがないかと、商店街をあっちにいったり、こっちにきたりと闇雲に歩き続ける。途中、女性向けの製品ばかり並べている女人街を通ったときには、Zの目が輝いたが、そこを抜けると、途端に疲れを訴え始めた。私も疲れているが、こういう時の疲労はなぜか心地よくてなかなか休む気になれない。騙し騙しZを連れて歩き続ける。しかし、我慢しきれなくなったZが、「もう○○の言う方向にはいかない」と宣言し、もとの船着き場の大通りに向かって脇目もふらず歩き始めた。仕方ないので、付き合うことにする。

アモイ市内

「とにかく駅に戻るわ」
 そう断言すると、Zは手を挙げてタクシーを止めた。もはや反論の余地なし。駅の周囲にはデパートとマクドナルドぐらいしかないので、あまり行きたくないのだが、
Zの疲れも頂点に達しているようなので諦めて同乗した。山登りの時には、私を置いてさっさと登る癖に、なぜ町歩きの時には、先にスタミナがなくなるのだ?納得がいかない。 

 朝食をとったマクドナルドの前で、下車。もう汗だくだ。どこかホテルで、時間休憩でもさせてもらって汗を洗い流したい。ところだが、駅前は高級そうなホテルばかりだ。これでは、時間休憩でも数百元単位で飛んでいくことだろう。今晩の列車台より高くなったのでは面白くない。そこで、疲れ切った身体を引きずって、デパート2Fのマクドナルドに上がった(3:15)。

 食事を終えると、急に眠くなってきた。「眠い・・・」と私がうめくと、Zが「寝ていいわよ。私起きてるから」とのこと。お言葉に甘えて、テーブルの上に頭をおいてしばしの休憩をとった。数十分ほど眠って目覚めると、今度はZが「私も寝る」と言って、ぐたっ、頭をテーブルに預けた。今度は私が見張り番。マックでなく、上島とかの喫茶店があれば、ソファに身体を預けてゆっくりできるのだが、見知らぬ土地では喫茶店探しもままならない。タクシーの運転手に頼んで連れて行ってもらえば良かったかと思ったが、すでに時遅し。

 17:00,マクドナルドを出た。同じ建物の中にウォールマートがあったので、ここで買い物をする。今晩は列車の中で過ごすことになるので、夜食やら歯ブラシやらを買い込んだ。

 17:55,荷物預かり所で、朝預けた荷物を引き取り、構内に入った。待合室で改札が開くのを待つ。今までZとの旅行で別々の車両になったことはない。一応、zの方で他の客と話をつけられたら、席を替わってもらって私がzのほうへ行く手はずにした。しかし、春節中とあって家族連れがほとんどである。「ちょっと席を替わってもらうのは難しそうね」とzも諦め顔だ。

  ほどなく、改札が開き列車まで急ぎ足で歩く。まず、私が車両に乗り込む。とりあえず、一緒の車両に乗り込めないものかとzも後に続こうとしたが、駅員に止められ、やむなく自分の席のある車両へと向かった。

  Zが先へ移動したのを確認して、私は自分の席探しに入った。チケットに書かれた番号をもとに寝台を探し当てると、荷物をベッドの上に投げ、上によじ登った。ベッドの上で横になって列車が動き出すのを待つ。私はあまり「硬臥」に乗らない。「硬臥」は「軟臥」に比べて、ベッドがやや狭いし、上下の空間も狭い(一般に「硬臥」は3階ベッド、「軟臥」は2階ベッド)。また、「軟臥」はベッド4台ごとに一部屋になっており、ドアが付いているが「硬臥」にはドアがないため、荷物等が通路から丸見えだ。当然、起きているか寝ているかもわかってしまう。だから、「硬臥」はあまり好きではない。これまでも、ほとんど「軟臥」に乗ってきた。

 しかし、最近はエア・チケットがどんどん安くなってきて、「軟臥」に乗ったのでは列車を使う意味があまりなくなってきた。「軟臥」を使うのは安全を買う意味もあるのだが、Zと二人ならお互いに注意しあえば良いから、そんな心配も無用だ。その上、Zとなると、「軟臥」に乗るなんて全くの無駄という考えだから、今回はわたしもなんとなく「硬臥」でいいや、と思ってしまったのだ。でも、実際に「硬臥」に乗るとなると余分な神経を使うし、何よりもすっかり体重の増えた身体を上のベッドまで持ち上げるのが辛い。やっぱり、「軟臥」にしとけばよかったかなぁと後悔ひとしきり。

 やがて、列車が発車した。
 一人だと、トイレひとつ行くのにも、荷物を抱えて移動しなければならないので実に不便だ。中国に来たばかりの頃は、旅行に行くときは自転車用のチェーン・キーを携帯していって、荷物を離れなければならない時は、チェーンでどこかしらに繋げてから移動したものだが、その手を使うにはハード型のスーツケースでなければならない。それに今考えてみると、そんな大袈裟な措置をしていったので、いかにも貴重品をもってますよと宣伝しているようで、荷物よりも私自身が危なかったような気もする。その後は、徐々にやり方を変え、取られても構わない安物のボストンバッグに衣類を詰め、貴重品はリュックに入れて肌身離さずという今の方式になったわけだが、それとても、「軽臥」を前提とした方式で、「硬臥」となると、荷物が心配でおちおち寝てもいられない。

 Zが、何度か様子を見にやってきた。(Zが昨晩、携帯電話の充電をし忘れたために、電話での連絡がとれなかった)。「やっぱり、席を替わってはくれそうもないわ」とのこと。こちらも同様だ。皆、数人のグループで列車に乗っているらしく、とても二つも離れた車両の席に替わってくれそうもない。今晩は、離れて過ごすしかなさそうだ。「お休み」とお互いに声を掛け合った後、Zは自分の車両へと戻っていった。

 疲れ切っていたので、眠るのはさして難しくなかった。しかし、狭い寝台の上では、寝返りすらうてない。その上、列車の揺れが激しく、すぐに身体が痛くなった。二時間ごとに目を覚まし、(まだ着いていないのか・・・)と失望し、また眠りに着くことの繰り返しで朝まで過ごすことになった。

「厦門探検記2」はここで終了です。続きは「武夷山探検記」をご覧ください。