徳慶・盤龍峡の旅


徳慶

青丸が徳慶です。

2006年4月29日

 朝8:15、アパートを出発。
 アパート近くのタクシーの溜まり場で、タクシーを一台つかまえてバス・ステーションへ向かう。最近は、地元のヤクザ(愚連隊?)のショバ代取り立てが厳しいのとガソリンの値上げとかで、最低運賃の基準が上昇傾向にあり、運賃交渉が難航することが多いが、顔見知りの運転手がいたので10RMBで行ってもらえた。

 バス・ステーションに到着すると、広州行きのバスはすでにスタンバイ状態であった。バスを見た途端、Zが「ほら、もう間に合わないわ。間に合わなかったら朝ご飯を食べに行きましょう」と宣言をする。(いやいや、間に合う、間に合う。そんなに朝ご飯が食べたいか)と心の中で突っ込む私。

 連休初日とあって、チケット売り場は込み合っていたが、Zが頑張りなんとかチケットをゲット(50RMB/人)。朝食が食べられなくて残念そうだ。
 
 8:30、バス出発。
 「でも、あれよね。何だか、最近、私ばっかりチケットを買っているような気がするわ。知り合って最初の頃って○〇(私の名前)がチケットを買ってきてくれたのに、何だかおかしいなぁ」
 (朝食が食べられなかった八つ当たりか?)と思ったが、それは言わずに、「そんなことはないよ。よく考えてみろよ。旅のルート決めからホテル探しまで、全部俺がやっているんだぞ。Zは一緒について来るだけじゃないか。チケット買うぐらいやらないと不公平だろ。だいたい、Zは中国人なんだから○×▲□■・・・」と続けようとする私を押し留め、「わかった、わかった、もう言わないで」とZは降参した。(ふぅ~、危ない、危ない)と私は胸をなでおろす。

   10:15、広州省バス・ステーション着。ここからは、広州各地へのバスが出ている。インターネット上の情報では、「『徳慶』直行バスがある」というものと、「『徳慶』直行バスはないので、『肇慶』で乗り換えてから行かなければならない」というものの二つがあった。季節によって違うのか、バス・ステーションによって違うのか、昔は直行バスがあったけれども今はないのか、昔は直行バスがなかったけれども今はあるのか?いくつかのパターンが考えられる。
 ともあれ、混雑した広州でウロウロとはしたくないので、この省バス・ステーションから直行バスが出ていなかったら、「肇慶」経由で行くとしよう。少し余分に時間がかかるかもしれないが、「肇慶」には4年ほど前に一度行ったことがあるので心配ない。

   10:40、「肇慶」に向けて出発。「徳慶」直行バスは残念ながらなかった。バスが出発すると、Zが「1階にもチケット売り場があったわね。あっちだったら、『徳慶』行きがあったかもね」とつぶやく。そう言えば、そうだ。1階のチケット売り場は何のためにあるのだっけ?省外に出て行くバスのチケット売り場だったかな。「徳慶」は一応、省内にあるからそれだと違うことになるが、どうだろう。2階は豪華大型バスしか出ていないようだから、1階は中型バスを取り扱っているのかもしれない。いろいろと可能性はあるが、1階のチケット売り場は真っ暗で陰気くさいし、なんだか危険な匂いがする。「肇慶」経由で正解だろう。

 12:40、ようやく「肇慶」到着。
 予想より、ずいぶんと時間がかかった。そう言えば、4年前は「佛山市」発でやってきたからすぐについたように感じたのだろう。

 13:10、
「肇慶」発(40RMB)。食事をしてから出発しようとも考えたが、「徳慶」までどのくらいかかるかわからない。トイレに行きたくなると面倒だから、到着後に食事をすることにした。

 14:50、「徳慶」到着。今度は予想よりも大分早く着いた。インターネット上の情報では、もう少しかかるようなことが書いてあったと思うが、道路が整備されてきたということだろうか。

【徳慶バス・ステーション】

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 バス・ステーションを出ると、バイタクの運転手たちが寄ってくる。追い払って、売店に寄り地図を買おうとするが、「徳慶」の地図はないとのこと。ずいぶん田舎だから、無理もない。しかし、そうなると、ホテルまでの行き方がわからない。一応、インターネットでいくつかピックアップしてきたから、バイタクに乗っていけばすぐだろうが、それでは面白くない。
 ぶつぶつ文句をいうZを宥めながら歩き出した。
 バス・ステーションの前の通りを右に向かって進んでいくと、しばらくして、住宅街に出た。田舎町には似つかわしくないぐらい、真新しい。そのまま、まっすぐ進んでいくと、公道に出た。

【バス・ステーションの前の通り】

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【徳慶の街中<1>】

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【徳慶の街中<2>】

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 「ホテル、まだ?」と文句を言うZの手を引いて、今度は公道沿いに歩いていく。途中、電器屋やら、スーパーやらがぽつぽつとあるぐらいで、目新しいものはない。せめて、珍しい露店でもあれば、良いのだか、それもなし。

【徳慶の街中<3>】

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【徳慶の街中<4>】

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 1時間弱歩き、そろそろホテルに行くかと思い始めた頃、ホテルらしき建物が見えてきた。「新時代大酒店」の文字が見える。確か、インターネットでピックアップしておいたホテルの一つだ。リュックからプリントアウトしてあった紙を取り出し、確認をする。間違いない。外見からすると、あまり居心地の良さそうなホテルではないが、ここではこれが限界というところだろう。

【新時代ホテル<1>】

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 15:40、チェックイン。宿泊代は一泊168RMB(保証金400RMB)。可もなく不可もなくといったホテルだ。

【新時代ホテル<1>】

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 今日は、もうやることもない。街歩きはつまらなそうだし、近場の観光地にでも行くとしよう。調べておいた観光地に三元塔というのがあったので、そこへ行くことにした。

  ホテルを出ても、バイタクがいなかったので、さきほどやってきた道の一つ裏の通りを歩いていくことにした。裏通りはそれなりに賑やかで、デパートや商店街があった。しかし、特に珍しいものは見当たらない。そこで、バイタクに乗って、「三元塔」へ向かった(4RMB/人)。二人別々のバイタクに乗らなければ駄目だというので、分かれて後部座席に乗る。

 バイクは私たちのホテルの前を通り過ぎて、まっすぐ走っていく。最初4RMBは高いと思ったが、これだけ距離があるのなら仕方がない。

【徳慶の街中<5>】

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 十数分ほど走って、「三元塔」に到着(入場料10RMB/人)。「三元塔」の「三元」とは科挙の状元、会元、解元のことを指すらしい。解元は、省内試験の第一位、会元は中央試験の第一位、状元は皇帝による面接試験の第一位が獲得する称号とのこと。総称して三元というわけだ。つまり、科挙合格祈願の場所だったようだ。逸話もあり、「いつまでも新しく古くならないように」という施工時の要求に従って、特別な塗料が使用されているため、築400年経った今でも、真新しいままなのだそうだ。(それはないと思うが・・・)。

  「もう私ここまでにしとく」というZをなだめすかして、一番上まで上った。川沿いにあるので、山と川が一度に楽しめ、なかなかの風景だ。塔の中央には、頑丈そうなお賽銭箱が設置してあり、貫禄に敬意を表して紙幣を投入した。

【三元塔】

 4:15、三元塔を出る。しかし、バイタクもタクシーもない。バス停もないので、しばらく歩くことにした。「せっかくだから、歩いてホテルまで帰ろうか?」と冗談を言うと、「何言ってるのよ。ホテルまで何キロあると思ってるの!」と真剣になって怒るZ。「ぜったいバスに乗るわ!」とぷんぷんしながら、先を行くのだった。

【三元塔の帰り道】

 しかし、歩けど歩けど、バスは通りがかる気配は全くない。やがて、奇妙な時計台が見えてきた。近づいてみると、工場らしき門の上に細い鉄の棒を組み合わせて土台を作り、その上に大きな時計台が載せてある。途中まで作って、お金がなくなってやめたのだろうか。或いは、建屋を作ったときにあまった材料を使用して組み立てたのかもしれない。

 この工場を少し過ぎたところに、大勢の工員がたむろっていて、わずかだか露店も出ていた。幸いバイタクが数台いたので、これに乗車してホテルへ向かって出発(3RMB/人)。ここでも二人一緒に後部座席に乗るのは拒否されたので、この辺りではこれがローカルルールとして成立しているようだ。

 18:00、ホテル着。Zがお腹空いたとうるさいので、今日は食事らしい食事をしていなかったことを思い出した。(バスの中で、けっこう菓子を食ったか・・・)。ホテルの外へレストランを探しに行ったが、どの店にも客がほとんどおらず不気味だったので、ホテルのレストランで夕食をとることにした。値段は若干高めだったが、まぁまぁのお味。

【夕食】

 食事が終わると、部屋でごろごろしながらテレビを見た。朝からバスに乗りっぱなしだったから、相当疲れている。本番は明日だ。ゆっくり休むとしよう。

2006年4月30日
 起床。ホテルを出る。できれば、バスで行きたいところ。
 8:10、まずはバイタクに乗ってバス・ステーション前へ向かう(2RMB/人)。
 バス・ステーションで「盤龍峡」行きのバスはないかを尋ねるが、どうやら存在しない様子である。シーズンオフのためかもしれない。そこで、タクシーを捜すことした。ところが、タクシーが全然見つからない。そう言えば、昨日も、バイタクしか見当たらなかった。タクシーのない街なのか。何台かのバイタクが「盤龍峡」行きに同意したが、料金も高いし、30分以上かかるらしい。私はともかくZもいる。長時間のバイタクは相当辛いから、とても無理だろう。頑張ってタクシーを探すしかない。

 8:40、ようやくタクシーをゲット。オンボロタクシーだが、仕方がない。料金は60RMB。相場がわからないので、高いのか、安いのかがわからない。この一台しかないのだから、とにかく乗るしかない。

 9:10、「盤龍峡」到着。さあ、期待大の激流下り。果たしてどうなるか。
  入場料は80RMB(/人)+川下り138RMB(/人)。広東省の辺鄙なところにある観光地としては、やたら高い料金だ。物価が高いからそうなるのか。或いは、広東省は工場が多いから、工場幹部の日帰りツアーが主な収入源になっていて、定価から何割引で交渉するために定価を高く設定してあるのかもしれない。
 入場料を支払って荷物を預ける。更衣室もあって、着替えができるようになっている。ツアー客は皆、着替えて短パン姿になっているようだ。きっとガイドの指導だろう。しかし、私がこれまで体験してきた川下りでは、着替えが必要になるほど派手にボートが揺れることは一度もなかった。せいぜい、水しぶきが飛んでくるぐらいである。ここの川下りは「勇士川下り」と銘打っているが、全身がずぶぬれになるほどボートが揺れるようなことはないだろう。成人男性だけでなく、女性や子供も乗るわけだから、危険をともなうほど水が深かったり、ボートが揺れることはないはずだ。そう楽観していた。

 

 最初は歩きで山を登るのだろうと思っていたが、実際はバスで出発だった。ツアー客の一部の乗車が遅れたため、バスがなかなか走り出さず、ちょっとイライラ。でも、待つしかない。
 9:35、発車。どのくらいバスに乗るのだろうと思っていたら、ちょうど10分走って9:45に到着。

 下車してすぐのところに、お茶屋さんがあり、その横の小道に沿って小川が走っている。さらに、小川の上に大小の水車がずらりと並んでいる。壮観な眺めである。「水車群」と名前がついている。

 しかし、これらの水車は、ただ並んで回っているだけで、粉を引く動力となっているわけではない。見栄えがいいから並べてあるだけのようだ。ちょっと味気ない。よくここまでやるもんだなぁと妙な感心をしながら眺めて歩いていった。

  やがて本格的に山の中に入っていく。

 さくさく歩いていくと、やがて、休憩所のような場所が現れた。他の観光客たちが群がっている。川下りの場所に着いたのかなと思ったが、これは違った。ロープにぶら下がって谷を渡る人間ロープウェイの場所だった。迷ったが、パスすることにした。人間ロープウェイは確かに刺激的だが、あまり観光地と関係がなくどこにでもあるからだ(10:10)。

 

そのまま下っていくと、やがて小さな滝がいくつも現れた。広西省で数々の巨大な滝と比べるとだいぶ見劣りするが、十分美しい。広東省の中で楽しめる滝としては悪くないだろう。

ここから、さきほどの人間ロープウェイで谷を渡っている人が見えた。米粒のように小さい。やっぱり、やっておけばよかったかなと少し後悔。
 休憩所があったので、「豆腐花」を食べる。渓谷の清流を使って作ったのだそうだ。温かいのと冷たいのがあるという。天気は暑いし、もちろん冷たいのを!と注文したが、食べる段になって若干迷いが生じた。やはり火が通っているものの方が安全だっただろうか。いや、まてよ。どちらにしろ、火は通して作っているだろうから、中途半端に温まっているほうが危ないかもしれないし・・・。うーん、まぁ、もう目の前にあるのだから食べるしかないか。パクパク。美味しい。Zは山で取れたという天然蜂蜜を購入。きっと顔パックに使うのだろう。

 10:40,川下りの開始位置に到着した。ここで客が詰まっており、行列ができている。皆、短パンで水に濡れても平気な格好だ。もしや、本当に水で服が濡れるほどの激流なのだろうか。少し心配になった。そんなわけはない。皆が水に濡れるぐらいだと、相当揺れるだろうし、たまに怪我をしたりする人だって出るに違いない。一般客に、そんな危険な川下りをさせるはずがないのだ。
 チケットを購入してから、川下りセットを受け取る。救命具はいつものことだが、その他にヘルメットやら、膝当てやらとずいぶん大げさだ。もしや、本当に水がばしゃばしゃとボートに入ってくるのか?まぁ、少し水が入るぐらいだったら、なんともないさ。
 救命セットを羽織っていると、おばちゃんが寄ってきて、運動靴を売りつけようとしてきた。靴が濡れるから、履き替えたほうがいいというのだ。私たちの靴は、川下りの終点で返してくれるとのことである。
 この手の物売りはどこの川下りでもいる。これまでもサンダルに履き替えさせられたりしたが、ボートの中には水などほとんど入ってこなかった。だいたい、ボートの中に水がたくさん入るようだと、ズボン、パンツまでずぶ濡れだ。それだけの着替えを皆がもってきているとは思えない・・・・。
 そうは言っても、靴が濡れては困る。一方で、安手の学生シューズを買っても、他で使う場所もないし、もったいない。客が捨てたのを、拾って洗って回し売りしているに違いないから、買うのはどうにも馬鹿馬鹿しい。そこで、交渉をして、使い終わったらシューズは返すという条件で半額にしてもらった。私たちの靴はどこで返してくれるんだ?と尋ねると、川筋に私たちのボートと一緒に歩いていって返してくれるのだそうだ。なるほど。
 列に並んで、自分たちの番が来るのを待つ。おばちゃんも、私たちが出発するのを待つつもりらしく、列に張り付いている。Zが「ねぇ、携帯電話どうしよう?」と尋ねてきた。「うーん、大丈夫だろ」と私は答えた。もし、水に濡れてしまうようだったら、腰巻きの財布の方がずっと危ない。旅行資金の紙幣が束で入っているし、何より大切なパスポートも入っている。「でも、万一水に濡れたら大変よ」。Zは今使っている携帯電話をかなり気に入っていて、結構大切にしているのだ。
 そうだ!という表情をみせて、Zはそばで待っているおばちゃんに声をかけた。「ビニル袋をちょうだい」。おばちゃんは渋々ながら、靴入れに使うビニル袋を取り出しZに渡す。「○○(私の名前)はいらないの?」。「うーん、じゃあ、もらっとくよ」。意地を張るのもなんなので、私もおばちゃんに向かって手を出した。おばちゃんは、一層渋い顔をしてビニル袋を寄越した。これ以上はやらないぞという顔をしている。この時、もう一枚もらって、パスポートだけでもくるんでおけば、大惨事は避けられたのだが・・・。

 やがて、私たちの番が来た。私とZの二人乗りだ。ボートに乗り込むと、スタッフが、取っ手をしっかりつかんで!と指示を出してきた。小さなボートの両脇には二人分の取っ手がついている。私たちがそれらをぎゅっと握るのを確認すると、スタッフがボートを押し出した。
 
 勢いよく、ボートは川の流れに乗り出した。ぐんぐんスピードがあがり最初の段差をざぶんと落ちる。げっ、もう水が入ってきたよ。先を見ると、あちこちにスタッフがいて、川岸からオールをつかって客が乗ったボートをコントロールしている。そして、二つ目の段差。ざっぱーん。この時点で、お尻はずぶぬれ。すでに予想外の事態になっている。腰巻き財布の中身が心配になる。しかし、今更どうしようもない。ボートはぐるぐると回りながら次の段差に向かっていく。

 三つ目の段差。ばっしゃーん。回転しながら、落下。前のボートにぶつかる。動かないなと思ってみてみると、女性客がボートから下りて川の中に立っている。腰まで水に浸かって呆然とした様子だ。まさか、ここまで激しい川下りだとは思っていなかったのだろう。同感だ。私もこれほどのものだとは想像もしていなかった。
 スタッフの指示で脇にどいた客の間をすり抜けて私たちのボートが進む。物凄いスピードだ。それもそのはず、ほとんど自然の川ではない。川岸を(恐らく川底も)コンクリートで固めて、川筋を狭くして、水流が激しくなるように造り上げてあるのだ。その両脇にスタッフを置いて、スピードのついたボートに危険が及ばないように、巧みにボートを中央へと押しやっている。水流だけは本物の川の水だが、人工のジェットコースターといったような代物だ。なるほど、これなら激流でも安全性が保てるというわけだ。
 だが、感心している場合ではない。すでに、ボートは水でいっぱい。空気の詰まったボートは沈みこそしないが、私もZも下半身全部が水で浸かっている。パスポートと紙幣の運命はいかに・・・。川の流れに興奮しながらも、頭の後ろにパスポートが思い浮かびいささかブルーな気分になる。腰巻き財布はゴアテックス製だったか?いや、ゴアテックス製だったのは、日本からやってきたばかりの十年以上も前の話だ。現在使用している腰巻き財布は中国製のただの化繊製だった。いや、でも、ズボンの奥深くに入っているのだ。もしかしたら、そんなに濡れていないかもしれない。希望と絶望に挟まれながら、流されていく。「もう、私駄目!」と絶叫を上げるZ。気分はブルーながらも、「ほら、取っ手だけは離すなよ」と声をかける。本当はそれどころではないのだが。

 幾度も段差を落下し、頭から水をかぶりながら、最終コースへ。最後は滑り台のように均された坂を加速しながら流れていき、最終地点へジャッバーン。うーん、人工なのは残念だったが、面白いことは面白かった。腰巻き財布の心配さえなければなぁ。

 ボートを下り、陸地へ上がる。「もう、びしょびしょだよ~」と私は半泣き声を上げた。Zは、「私は大丈夫」とビニル袋に包まれた携帯電話を取り出す。私もまずは携帯電話を確認する。ビニル袋に包まれていただけあって、携帯電話はOKだ。胸ポケットに入れたデジカメをチェック。ちょっと怪しいが、大丈夫なことに期待・・・。何度か頭から水をかぶったが、胸ポケットが水に浸かりっぱなしになることはなかったので、助かっている可能性もある。本当は、川下りの最中に写真を撮りたかったのだが、とてもそんな余裕はなかった。
 そして、問題の腰巻き財布だ。 そっと、ズボンの隙間から腰巻き財布のチャックを開け、覗き見る。紙幣から・・・アウト、パスポート・・・これもアウト。明らかにずぶ濡れ状態である。下手に動かすと取り返しがつかないことになりそうなので、そっとチャックを閉める。とにかく復旧作業ができる場所に移動しなければならない。 
 
 救命セットを脱ごうとしている側に、さきほどのおばちゃんが寄ってくる。私たちの靴を地面において、はやく履き替えてくれとせき立てる。しかし、服がびしょびしょだ。ここで履き替えさせられては、靴まで水浸しになってしまう。「この靴、やっぱり買い取るよ。差額を払うからさ」と提案をした。
 もともと売るつもりだったのだ。当然、差額さえ払えば、当然売ってくれるものとおもっていたら、意外にも首を振るおばちゃん。何と言っても、売ってくれない。ただただ、はやく履き替えろの一点張りだ。
 どうやら、返してもらえばまた川上で商売ができるが、ここでもっていかれては、また靴を仕入れにいかねばならないと考えているようだ。うーん、しかし、川上での売値より高く買うのは、いくらなんでも馬鹿馬鹿しすぎる。 あきらめて学生シューズを脱いでおばちゃんに返した。
 救命セットを脱ぎ、両手にに靴を片方ずつぶら下げる。ここから数百メートルほど歩いたところに、入り口があるらしい。幸いにも、道路はコンクリートで舗装されているので、裸足でも足は問題なさそうだ。しかし、道路に散らばった小石が足の裏に食い込むので、少し痛い。紙幣とパスポートは心配だし、裸足で歩かなければならないしで、散々だ。Zが「大変ねぇ~。でも、携帯電話をビニル袋に入れておいて本当に良かったわ!○○(名前)も、私の言うことを聞いておいて良かったわねえ」と得意がる。(まぁ、その通りなんだけど、パスポートがやられているんだよ。携帯電話は買えるけど、パスポートが無効になったら、めちゃくちゃ大変なんだぞ)と私は心の中でうめいた。

 長い道のりを通して、出発点に到着。預けてあった荷物を返してもらい、更衣室に向かう。不幸中の幸いだったのは、ホテルをチェックアウトして、荷物を全部もってやってきていたことである。ホテルに荷物を置いてきていたら、ずぶ濡れのまま帰る方法を考えなければならなかった。タクシーが乗せてくれたかどうか怪しいところだ。
 まず、Zをさきに更衣室へ行かせる。私は外で荷物の番だ。ひたすらZが戻るのを待つ。だが、5分経っても戻ってこない。10分・・・、おい、何をやっているんだ!心の中で叫ぶ。15分・・・、ようやく出てきやがった。
 「ずいぶん時間がかかったな」。唇をひくひくさせながら、尋ねる。
 「うん、シャワーがあったから、ついでに髪を洗っちゃった。ほら、携帯用のシャンプーを持ってきていたし。お湯がなくて水だけだったから、冷たかったわ」
 (くそー。俺がずぶ濡れの服を着て外で待っていたのに、何て奴だ)。心の中で憤慨する。Zは至極さっぱりという表情だ。文句を言いたいが、今回のずぶ濡れは私の読みの甘さが原因である。怒る立場ではない。ぐっと怒りをこらえて、更衣室に向かった。

 更衣室はタイルもはっていないむき出しのコンクリートだ。電球も小さなのが一つあるきりだ。扉はないが、大きな仕切りで部屋が4,5ヶ所に区切られていて、各々にシャワー器具がつけられている。手早く服を脱いで、水で軽く体を流し、着替えの服を着た。乾いた服を着て、ようやく人心地がついた。
 外に出ると、Zが「遅いわねぇ。はやく行きましょうよ」と急き立てる。おいおい、お前の半分も時間とってないぞ。
 「とにかく、どこか、腰巻き財布の中身が出せる場所にいかなきゃならない。紙幣とパスポートを乾かさなきゃ」。パスポートの重要性を手早く説明する。
 「じゃあ、あそこに入りましょうよ」
 Zがすぐそばにあるレストランを指さした。
 「うーん、本当は喫茶店とかがいいんだけど、そこしかないみたいだな」
 しぶしぶ同意して、レストランに入った。
 席に着くと、すぐにZが「メニュー持ってきて」とスタッフに要求を出す。メニューを受け取ると、真剣に目を通し始めるZ。おい、Z、飯のことしか考えていないだろう。まあ、Zに構っていても仕方がない。まずはパスポートだ。いや、とりあえず、紙幣だ。びしょ濡れになった紙幣の束から5,6枚取り出し、旅の友としてもってきたソフトカバーの単行本の間に一枚ずつ挟み込む。とりあえず、帰りの旅費だけでも乾かしておかなければならない。それから、パスポート。恐る恐る広げた。うぁあ、スタンプがにじんでしまっている。心に動揺が走った。何とかしなければならない。
 私が慌てている様子をみて、Zも事の重大性に気づいたのか、「○○(私の名前)、私ティッシュ持ってるわ。これを挟みなさいよ」と手助けを申し出てきた。「ティッシュ?大丈夫か。くっついちゃうんじゃないのか」と疑問を投げかけると、「大丈夫よ。私やったことあるもの。紙幣を濡らしちゃって、ティッシュに挟んで水を吸い取ったの」と言う。「紙幣はいいんだろうけど・・・」。「大丈夫よ!」。Zは自信満々で断言する。その自信満々な様子が私の不安を誘うのだとも知らずに。
 ともあれ、他に方法もない。Zが差し出したティッシュを触ってみて、強度を確認した後、パスポートの間に広げたティッシュを一枚ずつ挟み込んだ。Zがくれたティッシュだけでは足らずに、店のスタッフを呼んで、もう一パック持ってきてもらう。全部のページに挟み込んだところで、ちょうど料理がやってきたので、ティッシュ膨れしたパスポートをリュックにしまい込み、食事を始めた。 

  食事を終えると、タクシー探し(12:35)。すんなりと交渉が進み、近くにある「金林水郷」へ行くことになった(20RMB)。いわゆる観光用農村で、たぶん、面白いものではないことが予想されたが、インターネット上で「盤龍峡」とセットで紹介されていたので、足だけでも運んでおこうと考えたのだ。

 1:00、「金林水郷」に到着。見ただけで、何もなさそうな村だったので、30分ぐらいで戻ってくるからと、運転手に話しをつけて下車した。中心に湖があり、その周囲をぐるりと回る散歩道になっている。煉瓦でできた普通の農村の家が
あちこちにある。中国の田舎にいけば、どこにでもある風景なので、珍しくもない。だったら、どんな農村なら観光地として満足できるものなのかと自問したくなるほど見るものがなかった。せめて、ガチョウが集っているとか、羊や牛がたくさんいるとかの動的な演出があればそれなりに満足できるのかもしれない。

 湖の周囲を全部回っていては、30分で戻れないので、中央を横切っている小道を歩いて出発点に戻った。

 タクシー出発。35RMBで、徳慶のバス・ステーションまで行ってもらうことにする。さて、どうしよう。まだ午後も早い。バスにすんなり乗ることができれば、今日中にアパートに戻ることもできそうだ。途中の「肇慶」で一泊して、「七星岩」や古城壁を観光することもできる。私は数年前に「肇慶」を観光したことがあるが、Zはない。
 「Z!どうする、せっかくだから、
『肇慶』で一泊して観光してから帰るか?」と尋ねると、「行かない。もう、疲れた。まっすぐに帰ろう」とのことである。「徳慶」に来る途中で尋ねた時には、結構乗り気だったのに、気が変わったようだ。昨日は強行軍だったし、今日も、川下りで刺激的な一日となったから、十分満足しているのかもしれない。

  結局、「徳慶」バス・ステーションを2:15に出発して、「肇慶」、「広州」と経由して、夜10時過ぎにアパートに到着した。途中、乗るはずのバスがパンクで来なかったり、故障が発生したりして、遅れに遅れたのだ。連休中はバスも相当無理をしているらしく、どこのバス・ステーションでも、タイヤのパンクによる遅れを訴えていた。自分の乗っていたバスが事故に遭ったらと考えると、いささかぞっとする。
 今回は、「近場で檄流川下り」を目指して「
徳慶」まで行った。想像していたのと違って、人工的な色合いの濃い川下りだったが、刺激度は高かった。無理をせずとも一泊二日で行けるので、土日の旅行にはぴったりだと思う。