佛山市の旅


佛山市

青丸が佛山市です。

【 目 次 】

<2002年6月8日>
 ・異臭
 ・宿探しの法則
 ・校舎の世代交代
 ・英雄「黄飛鴻」
 ・思い出は路地裏に
<2002年6月9日>
 ・新たな一日 

2002年6月8日

- 異臭 -
 早朝7時にアパートを出発した。バス停で待つこと10分。いつもの中型オンボロバスがやって来た。常平バス・ステーションまで3RMB。普段は20分ほどで着くのだが、今日は途中の東莞東駅で客引きをやったため、7時40分にようやく到着した。

 7時50分に常平バス・ステーションを出発し、広州へ向かう(40RMB)。朝もまだ早いので、半分は空席だ。さあ、一眠りしようかと思ったところで、何やら怪しげな香りが・・・。どうやら、誰かがゲロを吐いて片付けないままになっているらしい。乗客の一人が立ち上がり後方へ臭いの元を確認しにいった。やっぱり、というような顔をして戻ってくる。しかし、他の客は振り返りもしない。さすが、中国人、これぐらいのことでは動じないらしい。ゲロの香り以外は問題もなく、広州へ到着(9:50)した。

 広州の省バス・ステーションに着くと、すぐに切符売り場へ行く。佛山行きのチケット(13RMB)を買って発車時刻を見ると、驚いたことに「10:00発」と書いてあった。腕時計をみると、すでに9:57。残り3分しかない。走って乗り場へ向かう。目的の乗車口を見つけて一安心。改札を通り抜けて、バスに乗り込んだ。思えば前回もぎりぎりだった。ここの切符売り場はいつもぎりぎりのチケットをよこす。これではトイレに行く暇もないではないか。乗り遅れる人が出てもおかしくない状況だ。(トイレに行きたかったのでちょっと怒っている<笑>)。よく考えると、バスのすぐ前にある改札にPCが置いてある。きっと切符売り場とオンラインで繋がっていて、取り残しのないようになっているのだろう。

 後ろの席では、カラオケ小姐と香港人らしきカップルが英語で会話をしている。(カラオケ小姐も高級になると英語を使うのだなぁ)とひとしきり感心。この佛山(正確には佛山祖廟)行きのバスも豪華型大型バス。大体シート数は40席ほどだ。トイレは付いていないが、乗り心地はいい。

- 宿探しの法則 -
 10時45分、佛山祖廟バス・ステーション着。バス・ステーションを出て、周囲を見回すと道路も広く、歩道もタイルがきれいに敷き詰められている。天気が良いせいか人出も多く、賑やかな様子だ。まずは「鴻運ホテル」へ向かう。インターネットで調べておいた二ツ星ホテルだ。二ツ星といっても湛江市のような田舎では当てにならないが、これぐらい活気がある街なら大丈夫だろう。バス・ステーション前の城門頭路を抜けて、「汾江中路」を上がっていく。地図で見た感じより距離がありそうなので、途中バイタクをつかまえるが、ホテル名を言うとなぜか断られる。仕方がないので太陽の光がさんさんと降り注ぐ中、テクテクと歩いてゆく。ここしばらく風邪で寝込んでいたので、どうも体力がおちていたようだ。ホテルに着いた頃にはぐったりしてしまっていた。

 「鴻運ホテル」は「佛山バスステーション」に接して建てられており、周辺はバスやらバイタクやらでごった返している。交通には便利だが、私のホテル選びの原則の一つである「駅やバスステーションのそばのホテルには泊まらない」に反する。出稼ぎ労働者がウロウロしていて危険だからだ。ホテルの前には「安全の責任は泰山と同じくらい大きい」と書かれた真っ赤な垂れ幕が下がっている。(こんな垂れ幕があるようでは余程トラブルが絶えないのだろう)と思い、別のホテルに行くことを考える。

 しかし、すでに汗だくだく。もはや、新たにホテルを探し始める気力がないことに気づいた。そこで、とりあえずロビーに入ってみることにする。中を見渡すと、結構ビシッとした感じだ。湛江市の二ツ星ホテルのようなだらけきった雰囲気はない。そこで価格交渉をしてみると、3割引で230RMBとのことであった。少し高い感じもしたが、部屋がまともならいいだろう。部屋をみせてもらうことにした。

 トイレ・バス・メインの部屋の設備を確認する。大丈夫そうだ。フロントに戻って、チェックイン。きびきびした動作の服務員が手続きをしてくれる。「中国語がうまいわね」とお世辞を言われ、ちょっとうれしい。次から次へとくるお客を要領よくさばいている。忙しそうな割りにはずいぶんと愛想がいい。 

- 校舎の世代交代 -

 12時10分出発。まずは、隣接している「佛山バスステーション」に行く。電光掲示板で出発時間がわかるようになっている最新型のバス・ステーションだ。待合室の入り口では荷物検査までして安全確保をしていた。切符売り場に行って路線を確認してみる。広東省各地向けのバスを主に運行しているようだ(一部外省向けも有り)。明日向かう予定の肇慶市行きバスの運行時間を確認して外に出た。

 ホテルの周りはどういうわけだかパソコン・ショップ街となっている。長距離バス・ステーションのそばで仕入れに便利だからだろうか?バス・ステーションとパソコン・ショップ街の関係を調べてみると意外と面白いかもしれない。他の街ではそんなことはなかったと思うけれども、次から気をつけてみよう。パソコン・ショップ街の一部には「PC救急ステーション」という看板を出しているところもあった。時間があればじっくりみて回りたいが、今日は写真をとるだけで満足することにした。

【PC救急ステーション】

ここをクリックすると大きな写真が表示

 まずは、一番近場の観光地「梁園」を目指す。さきほど上ってきたばかりの汾江中路を戻るのも面白くないので、河沿いの裏通り「南堤路」を抜けていく。「南堤路」はちょっと寂れた感じで、道路は舗装されているものの、歩道はかなり傷んでいる。

 「南堤路」の途中から「松風路」に入った。「松風路」の入り口は電器街だ。エアコンやテレビがどかどかと置いてある。(なんでまた、こんなところに?)と先の方を見てみると、新しい高級住宅街が次から次へと建築されているところであった。どうやら、新規入居者目当てににわかにできた電器街らしい。

  さらに進むと、右側に「梁園」の門が現れた(チケットは10RMB)。狭いところにポツンと小さな門があるきりなので、気をつけないと見逃してしまいそうだ。(私は5メートルほど行きすぎてから気づいた)。「梁園」は清朝に建てられたもので、広東省の4大名園の一つとのことだ。庭園や当時の家の様子が再現された建物などがある。映画の舞台にもなったことがあるらしく、《酔拳蘇乞儿》や《阿片戦争》などの撮影時の写真が貼られていた。庭園の中には池があり、それを取り囲むようにして小道が走り、小道の両側には竹が植えられているという具合になっている。手入れがよく行き届いていて、気持ちよく歩けた。(12:40)

【梁園の門】

ここをクリックすると大きな写真が表示

【梁九華の住居の解説】

ここをクリックすると大きな写真が表示

【梁園の庭園】

ここをクリックすると大きな写真が表示

 「梁園」を出て「松風路」を道なりに歩いていくと、左側に取り壊される寸前の、レンガ造りの小学校があった。中国の観光地では、観光地そのものよりもこうした周辺の古い建物のほうが味わい深い場合が多い。この小学校も半年後にはなくなっているのだろうが・・・。

【取り壊される寸前の小学校】

ここをクリックすると大きな写真が表示

 「松風路」を抜け、「蓮華路」を横切り、「三伏路」に入る。この通りや工芸屋さんがたくさんあるが、どれも観光客目当てに最近開いたという雰囲気のお店ばかりだ。お寺もあるが、これも何だかうさんくさい。慌てて仕上げた感じだ。午後1時過ぎになったので、人民路を横切ったところにあるマクドナルドで食事をとる。土曜日ということもあって、若者たちで大賑わいだ。豊かな街だということがわかる。  

- 英雄「黄飛鴻」 -

 腹を満たしたところで、「祖廟路」を通って観光地「祖廟」へ入る(チケットは20RMB)。「祖廟」は宋朝に建築さて、明朝に増改築を進めて現在の形になったらしい。お寺の方はたいして面白くもないが、ここには有名な黄飛鴻記念館がある。黄飛鴻は広州南海県(現在の佛山市のそば)が生んだ武術家だ。民衆に愛され、数々の映画にもなっている。父の黄麒英も有名で〈広東十虎〉の一人とされている。記念館の中は黄飛鴻に関する記録や映画の撮影記録などで溢れ、有名な黄飛鴻のテーマミュージュックとともに、観光客の気分を盛り立てていた。

【祖廟】

ここをクリックすると大きな写真が表示

【黄飛鴻の像】

ここをクリックすると大きな写真が表示

 「祖廟」のある通りは、同時に商業街ともなっている。「祖廟路」と「城門頭路」が交差するところにはマクドナルド、ケンタッキー、ピザハットや地元の百貨店などがたくさんある。人出はかなりあるが、歩道が幅広くとられているためゴミゴミした感じは全くない。
 「祖廟路」を抜けたところで、「衛国路」に入る。この通りは道路は広く、自動車は多いが人通りは少ない。お店も工具店などの地味な感じのところが多い。ただ、映画館や住宅地が建設中であるようなので、将来的にはここも商店街となるのかもしれない。

- 思い出は路地裏に -

 「衛国路」から「福寧路」へと曲がる。ここはまだ未開発地区らしく、古い街並みが残っている。こういった古い街並みをそのままの趣を残して改装すれば、それだけでも観光地になると思うのだがなかなかそうはいかないらしい。そんなことを考えるのは観光する側のわがままというものか。そんなことを考えながら、ふと横をみると懐かしい雰囲気の小道がある。子供の頃遊んだ路地裏を思い出した。こんな暖かい感じの小道も数年先にはなくなってしまうのかと思うと非常に残念だ。

【古い街並み】

ここをクリックすると大きな写真が表示

【路地裏】

ここをクリックすると大きな写真が表示

 「福寧路」から「蓮花路」、そして「汾江中路」を通り、ホテルへ戻る(15:15)。たいした距離を歩いたわけでもないのにバテバテ。やはり、風邪で寝込んでいたのが響いているのだろう。

 1時間ほど休憩し、4時10分に再度出発。地図を見渡したところ、短時間で行けそうな名所はあまりないが、「呉勤烈士陵園」というところが手頃そうだ。直接バイタクで向かうことにした。価格交渉に入ると、「10元」といきなり言い切られた。リュックを背負っているので、外国人だと見抜かれているらしい。明らかにボッタクリ価格だ。それでも、いろいろ言い合いしているうちに、「8元」、「6元」、「5元」と下がってきたので、そこで手を打った。佛山のバイタクは運転手も客もヘルメットをしなければならない。見てみると、一般人もバイクに乗っている人は必ずヘルメットをしている。かなり取締りが厳しいようでだ。もっとも大半の人がかぶっているヘルメットは手で押しただけで壊れそうな、安っぽいものだ。安全のためというより、法律のためという感じだ。バイタクの運転手に聞いたところ、なんと5元(日本円で70円ぐらい)で買えるものだそうだ。ちなみに、佛山では人力車は全くと言っていいほどみかけない。同じ規模の潮州市などでは人力車だらけだというのに、これはどういうことだろう?

 説明書きを読むと、どうやら「呉勤烈士陵園」は抗日戦争で亡くなった方を祭ってあるところらしい。面積は30平方メートルぐらいしかない。とりあえず、写真だけとる。

【呉勤烈士陵園】

ここをクリックすると大きな写真が表示

 次に、すぐそばにある(はずの)「呉勤故居」というところに向かう。「呉勤」という人の生家というところだろう。しかし、この「呉勤故居」は探しても探しても見つからない。1時間ほど歩き回っても見つからないので、とうとう諦めることにした。

 それでは次へ・・・と考え、バイタクに乗り移動をしている最中にちょっとしたトラブルが発生。何が起こったは秘密だ。このトラブルですっかりやる気をなくし、ピザ・ハットでピザを食べることに決めた。元気は食事から!が合言葉だ。しかし、ここでもうまくいかない。一人分用の6インチのピザは土日は販売していないのだそうだ。結局、食べたくもないスパゲッティを食べるはめになった。ハズレの日は何をやってもうまくいかないものだ。そもそも、体力がないのがいけない。

【商業中心街(城門頭路と祖廟路が交差しているところ)】

ここをクリックすると大きな写真が表示

 こういう時は本屋だ!そう思い立ち、バイタクで佛山最大の本屋に行ってもらう。しかし、ここでもがっかり。10平方メートルぐらいしかない小書店だったのだ。いくらなんでも、ここが佛山市最大の本屋とは思えないが?という大きさだが、バイタクの運ちゃんはここが一番大きいと言い張る。疲れ切っていたので妥協して降りた。品揃えも悪いので地図だけ買って店を出る。

 後はホテルへ戻って(19:00)、お休み。さえない一日だったが、リハビリだったと思って諦めよう。

2002年6月9日

- 新たな一日 -
 朝は6時起床。6時30分チェックアウト。すぐ隣の「佛山バスステーション」から出発だ。昨日の不調を引きずらないように元気よくホテルを飛び出た。昨日下調べを済ませておいたので、何の心配もない。「肇慶市」行きのチケットを買って(30RMB)、待合室へ入る。電光掲示板に「肇慶市」行きの改札口が指定されていたので、そのすぐそばの座席で出発を待つ。しかし、5分前になっても係員が来ないので少し焦りはじめた。バスはすでに来ているのだ。しかし、改札が開かないのでは中に入って待つこともできない。中国の交通機関の電光掲示板の指示は当てにならない場合も多い。そこで、他の改札口にいる係員に尋ねてみるが、改札口に間違いはないようだ。じっと待っていると、出発時刻を5分ほど過ぎたころにようやく係り員がやってきた。設備は最新でも、仕事をする人の能力は最新ではないらしい。そんな文句を言いながらも、喜び勇んでバスに乗り込んだ。

【佛山バスステーション】

ここをクリックすると大きな写真が表示

続きは「肇慶市探検記」をご覧ください。