梅洲市の旅


梅洲市

青丸が梅州市です。

葉剣英の出生地として有名

追加情報(2004年7月)
宋朝の頃、梅の木が多かったことから梅洲と呼ばれ始めた。住民の97%が客家である。客家とは、4世紀の始めから12世紀の始めにかけて、中原(河北、河南、湖北、山東、山西、陜西一帯)から南方へ移住してきた漢民族に一派とされている。
【 目 次 】

<2002年3月13日>
 ・無料(ただ)の親切は存在しない
 ・ボロ傘物語
 ・ここが賑やかと言われても
 ・辿りつくのが難しい観光地
 ・チケット代理店はトラブルのもと
 ・夜に歩こう、梅江橋
<2002年3月14日>
 ・戦いを挑まれては引き下がれない
 ・終りなき戦い

2002年3月13日

- 無料(ただ)の親切は存在しない -

 この旅は、「潮州市」からの出発。ご興味のある方は「潮州市探検記」もご覧になってください。

 早朝7時、「潮州市」出発。1時間後、「汕頭市」の「金砂東バスステーション」着。8時40分、「梅洲市」に向かって出発。豪華大型バスだ(40RMB)。しかし、山道を走ることが多く、揺れが激しい。途中で建設中の「汕梅高速道路」に入り、これで速度アップかと思いきや、10分弱走ったところでまた山道に戻ってしまった。その上、前方で何か問題が起こったのだろう。渋滞となり、バスはひとつも進まなくなった。(これではいつになったらつくのかわからないな)と心配になってきたが、20分ぐらい経った頃、バスが再び動き出した。揺れに揺られて、「梅洲市」に着いた頃にはお尻が痛くなっていた。豪華型バスでなかったら、大変なことになっていたところだ。

 「梅洲市」の「梅洲汽車客運駅(バスステーション)」に着いたのは午後1:00ちょうど、曇り空のためか街全体が暗い。その上、ほとんど人気がないので、急に不安になる。とにかく、泊るところを見つけなければならない。しかし、今回は「地球の歩き方」も助けてくれない。「梅洲にも行ったほうがいい」と書かれているが、街の紹介等はないからだ。街をブラブラしながらじっくりホテル探しをするのが好きなのだが、こんなさびしげな所を荷物をもって歩くのはつらすぎる。だいたい、ボロッチイ商店街以外何もなさそうだから、ブラブラしてもつまらなそうだ。

 珍しく気弱になっていたところに、人力車の運ちゃんが声をかけてきた。「どこへいくんだ」。ついつい「このバスステーションはこの地図上のどこにあるんだ?」と現在位置を聞いてしまった。地図の上に3つほどバスステーションがあり、今どこにいるかすらわからなかったからだ。しかし、運ちゃんもわからないらしい。というより地図など見たこともないという感じだ。しつこく「どこへいくんだ」とうるさい。仕方がないので、地図上の適当なホテルを指差し、「このホテルはいくらだ」と聞いてみる。「わからん。お前はいくらぐらいのところに泊まりたいんだ?」と逆に聞かれてしまう。「200RMBから100RMBの間だ」と答えると、「それなら、金良酒店がいいよ」と返事があった。「そこは200RMB以下か」。「そうだ」。これ以上は自分で確認するしかない。黙って人力車に乗り込んだ(5RMB)。

 ホテル到着までの間、運ちゃんがいろいろ説明してくれる。「ここは夜になると、露店が集まってくるんだ」とか「この橋はXXXX年にできたんだぞ」とか熱心だ。観光客慣れしているようだ。しかし、いくら説明してもらっても気が晴れない。とにかく、人がほとんどいないのだ。すぐにでも帰りたい気分になってきたが、そうもいかない。とにかく宿泊所を決めてから、街歩きを始めよう。

 ホテルのフロントで値段を確認すると、138RMBとのことだ。まぁまぁだ。部屋の中を見せてもらうと、138RMBにしては上出来の部屋であることがわかった。そこでフロントに戻ってチェックインの手続きを始めた。ふと後ろをみると、私を連れてきた人力車の運転手が両目をきらきらさせて、じっと何かを待っている。もしや私が観光案内に出かけるのを待って、もうひと稼ぎしようとしているのだろうかと考えたが、どうやら違うらしい。私ではなく、フロントの服務員を見ている。なるほど。私を連れてきたことでリベートバックをもらえるのだ。ちょっとがっかりした気分になるが、仕方がない、彼らも商売だ。それに悪くないホテルなんだから、不満に思うほどのことでもあるまい。

- ボロ傘物語 -

 荷物を置くと早速出発(午後1時40分)。フロントで現在地を教えてもらってから、先ほどのバス・ステーションまで徒歩でいってみることにする。帰りのバスの時刻を確認するのを忘れていたからだ。
 このホテルがあるのは「江南路」。そこから10メートルほど歩くと、すぐに「梅江大道」に出る。きれいに舗装されているがが、左右に植えられた樹々の葉が道路にかぶるように茂っているせいか、暗い印象を与える。人通りもほとんどない。

【梅江大道(ホテルそば)】

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 町全体がこんな感じなのかなとますます気分が沈んできたところで、「ケンタッキー」を見つける。良かった、良かった、と「ケンタッキー」に駆け込み食事をとることにした。暗い森の中で山小屋を見つけたような気分であった。
 セットを注文し、食事に入る。食事をしている間にも空はますます曇ってきて、とうとう小雨が降り出した。食事を終えた後、どうしようかと迷うが、雨がやむのを待っているわけにもいかない。

追記(2003年2月):マックやケンタッキーなどのチェーン店が個々の店より強い理由として、どこの店でも同じサービス・品質が得られるという「安心感」が挙げられるそうだ。この効果は、旅をしている最中の私にはことのほか良く働く。とりあえず、ここに入れば、一定の所得層の人たちに囲まれて食事ができるのだ。そう想像させられるのだろう。

 外に出て、傘を売っていそうな場所を探す。2,3分歩いたところで、雑貨屋を見つけた。店のおばさんに、「折り畳み傘はあるか?」と聞くと、5、6本持ってきた。「いくらだ?」。「25RMB」。「そんなにいいのはいらないんだ。もっと安いのをくれ」と要求を出した。すると、「取っ手の部分にヒビが入っているのがある。これなら安くする」という。見せてもらうと、取っ手が今にも取れそうだ。「これじゃ、取っ手が取れて使えないじゃないか」と文句を言うと、「大丈夫だ。セロハンテープで止めればいい」ときた。「セロテープなんて持ってないよ」。「いまつけてやる」。そう言うと、セロテープを持ってきてグルグル巻きにし始めた。そのうち、なんとか使えそうな感じになってきた。

 「いくらだ?」と尋ねると、「いくらでもいいよ」という返事だ。「じゃぁ、15RMB」。「いいよ」と返事が早い。(しまった、キズ物傘に15RMBは高すぎるか?)と考え直し、ちょっとずるいが、再び傘を眺めつつ、「10RMBでどうだ」といってみる。すると、同じく「いいよ」と返事が返ってくる。(なんだ、まだ高いのか?5RMBでもいけるかな)と、おばさんの顔を見ると、なんだか優しい顔をしている。(もしや俺、貧しい人だと思われてんのかな?)とちょっと不安になってきた。他人の優しさに甘えるのは私の流儀ではない。値切るのはこれで終わりだ。

 試しに傘を開いてみると、一ヶ所糸が解けている。「糸が取れているよ」と不満を言うと、「縫えば大丈夫よ」とさらさらと答えが返ってきた。「糸も針もないよ」と訴えと、仕方がないという様子で、糸と針を持ってきて縫ってくれた。「謝謝(ありがとう)」と言ってお金を払う。

- ここが賑やかと言われても -

 ついでに情報集めもしようと思い、地図を開いて、おばさんに尋ねた。「この梅洲市で一番にぎやかなところはどこだい?」。おばさんはしばらく考えて「この通りよ」と前を指す。(この道?人いないじゃん)とびっくりし、もう一回同じことを尋ねる。すると、おばさんは別の売り場にいる人に「この町で一番賑やかなところといったら、この通りよね」と確認してみせる。すると、意外にも「そうよ」という声が返ってきた。

 (ここが一番にぎやかな所?)と店を出て辺りを見回す私・・・。歩いている人が二人、自転車乗っている人が一人しかいない。(何かの間違いだろう)と自分を慰め、前に進むことにする。しばらくすると「梅江橋」が見えてきた。そして、橋に近づくにつれて、わずかながら人通りも増えてきた。人力車やバイタクが橋を行き来している。人力車の運ちゃんによると、えらく昔に建設されたものらしいが、真偽のほどはわからない。

【梅江橋】

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 橋のたもとまでくると、梅江(河)に沿って、整備されたきれいな歩道が作られているのが見えた。夜灯も等間隔で建てられていて、夜になったら美しい光景になりそうな感じであった。

 橋を渡り終えて、左側をみると、「老街(古い町並み)」があった。「汕頭市」や「潮州市」で散々見てきたので、特別な感動はないが、歩いてみると、やっぱり楽しい。ここの「老街」は観光地としてでなく、日常よく使われているらしく、建物はきれいではないが、店の中の品々はきちんと並べられていた。

【老街】

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 どんどんまっすぐ行くうちに、地図に載っていない道が縦横斜めから入り込んできて、とうとう自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。仕方がないので人力車に乗ってもう一度橋のところまで戻った。そして、改めて歩き出し、橋のたもとから「梅州大道」にそってまっすぐ進むと「文化公園」に出た。文化公園のそばには運動場があって、その前には天安門(?)を小さくしたような門があり、毛沢東の写真が取り付けられているのが見えた。

【体育場前広場】

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 文化公園の横を抜けて、バス・ステーションまでは地味な商店街が続くだけだ。人通りもほとんどない。バスステーションに着くと、「深せん市」行きのバスを確認した。午前中だけで2本ほどあるようなので、心配はなさそうだ。ホテル前からもバスが出ているようだったから、比較して良さそうな方を選ぶことにしよう。

- 辿りつくのが難しい観光地 -

 どこもかしこも人が少ない。一人で騒ぐわけにもいかないのが一人旅の弱点だ(笑)。そこで、梅州市の数少ない観光地のひとつである「人境廬」に行くことにした。観光地に観光客はつきものだ。そのはずだ。そこで人力車を捕まえ、行き先を告げた。
 走り出して5分ほど経った頃、運転手が「着いたぞ」と私の方を振り向いた。「『人境廬』はどこだ?」と聞くと、「向こうだ」と指をさす。本当か?と思いながらも4RMBを渡して降車した。運転手が指し示した方向に歩いていくと、壁の上に小さな矢印型プレートが貼ってあり、「『人境廬』まで400M」と書いてある。おっ、意外と簡単に見つかったな、と喜びを隠せない。ボロボロのレンガで建てられた(建った時はボロボロではなかったろうが)民家の間を通ってまっすぐ歩いていく。200Mほど歩いたところで、またもや、プレートを発見した。「『人境廬』まで400M」とさっきと全く同じことが書かれているではないか。(やるじゃん、中国!)と思いながら、矢印の方向に向かって進んだ。道はだんだん狭くなり、周囲のボロボロの民家はますますボロボロになっていく。(こんなところに観光地があるのか?)と不安が募ってきたところで、ようやく「人境廬」に辿りついた。

【人境廬】

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 入場料は3RMBだ。周辺の民家の様子とは反対に中はきれいに整えられていて、展示品も陳列されている。小さな敷地の中にいくつもの建物が複雑に折り重なっている感じが迷路のようで面白かった。

*追記(2002.3.28):「人境廬」は黄遵憲が自ら設計し、1884年に建築された。現在、広東省の重点文物保護単位の対象となっている。(黄遵憲は清末の政治家、詩人であり、書記官として日本に来日したこともある)。

- チケット代理店はトラブルのもと -
 「人境廬」から大通りまで出たところで、バイタクを捕まえた。ホテルの名を告げ、一旦帰ることにする。しかし、200メートルほど走ったところで気が変った。「人が多く集まる商店街やデパートはないのか」と運転手に聞いてみる。「あるよ」と元気な返事だ。
 「そこまでいくらだ」。「そうだな、さっきの5RMBにもう1RMB足してくれ」。「わかった。ところで、遠いのか?」。「遠い。こっからかなりあるからな」。「(少し不安になって)この地図の中にある場所なんだろうな」。「うーん」。「この地図に入らないぐらい遠いのか?だったらやめだ」。「大丈夫。大丈夫。そんなに遠くないよ」。「この地図の中なんだな」。「そうだ」。「わかった。いけ」。などと言っているうちについたのは、郊外にある「憲梓大道」だった。ぎりぎりだが、確かに地図の中だ。歩いてみると、新しく作られたばかりの立派な商店街が、何百メートルも続いていた。郊外にこんな立派な商店街があるとは驚きだ。これに比べると、昼間通ってきた「梅洲市」中心の道などは貧民窟のようだ。この辺りでは、中心よりも郊外の方が発展しているのだろうか。「汕頭市」や「潮州市」でも、実は郊外の方が発展していたのだろうか。などといろいろ考えさせられた。

 しかし、じっくりと眺めてみると、建物は立派だが客は非常に少ない。商店街の上にある住宅マンションも半分ぐらいは空のようだ。そして、日用品を売っている店はほんのわずか。大半の店は、絨毯やキッチン設備、シャンデリア、浴室設備等の内装品を販売している。つまり、新規入居者向けの商品が主ということだ。こうなると、必ずしも、郊外の方が発展の中心となっているとはいえない。中心街の「老街」もだいぶ取り崩し工事を行っていたから、「梅洲市」全体が現在発展途上にあるところだと考えるのが妥当だろう。

 さきほどのバイタクの運ちゃんに教えてもらった、最近建てられたばかりだというデパート「好宣多ショッピング・センター」へ行って見た。地下に広い駐車場を備えたなかなか大きなデパートだが、全部埋まっているのは1Fだけで、2,3Fはほとんど店が入っていない。電気を節約するためだろう、場内がやたらに暗い。こんなのでも経営が成り立つのだから面白い話だ。

【好宣多ショッピング・センター】

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 夕方6時を過ぎ、辺りも暗くなってきたので、一旦ホテルへ戻ることにした。(人力車5RMB)。ホテル前で降車すると、対面のバス切符売り場へ行ってみる。個人経営らしき、少し怪しげな切符売り場だが、豪華型バス「深せん行き」と書いてある。さっそく店のおばさんに尋ねた。「このバスは深せんまでいくのか?」。「そうだ」。「本当に豪華型バスか?」。「そうだ」。「バスがこのホテルの前まで来るんだな?」。「そうだ」。「お金はバスがきた時払うってことでいいか」。「それはだめだ。予約しなけりゃならないから」。「(うーん)」と考える。すると、「大丈夫。なんかあったら、ここにきな。あたしは、この後の雑貨屋も経営してるから消えやしないよ」と力強く保証した。 確かに、後の雑貨屋はこのおばさんが経営しているようだ。「明日の7時50分出発なんだな」。「いや、7時30分には来てくれ」。「なんでだ。7時50分発なら、7時40分ぐらいで十分だろう?」。「だめだ。7時50分にバスステーションに行く前にここを通るから、7時30分にはいてもらわないと困る」。「うーん。(もう、信じてみるしかないな)。わかった」と金を払って切符をもらった。ついでにホテルの部屋番号を教えておいて、変更等があったら知らせるように伝えておいた。

- 夜に歩こう、梅江橋 -

 歩き通しの三日間だったので、さすがに疲労の色が濃い。人力車の運ちゃんによると、夜の「梅江橋」の辺りは灯りが並んで大変美しいとのことだから、それまで休憩だ。

 夜8時、再度出発。「江南路」を出て、「梅江大道」を歩いた。昼間は気付かなかったが、左右に等間隔で街灯が据えられていて、通りを美しく照らしている。数はけっして多くはないが、人通りも途切れない。仕事と食事が終わって散歩を楽しんでいる人たちのようだ。家族連れも多い。「梅江橋」の辺りまでいくと、灯りで溢れ返っている。昼間、雑貨屋のおばちゃんが「ここが一番にぎやかな場所」と言ったのも少しうなずける。なによりいいのは、通りを行く人々が忙しげでないことだ。彼らの歩く姿を見ているだけで、こちらの心も寛いでくる。

【夜の梅江橋】

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 しばらく、散歩を楽しんだ後、ホテルへ戻った。明日は深せんまで7時間ほどバスに乗らなければならない。体力を蓄えねば・・・、と思うが、昨日の「潮洲市」の「金葉大酒店」同様、かなりうるさい。ホテルにカラオケはないが、通りを隔てた向こう側の店から騒々しい歌声が響いてくるのだ。安いのはいいが、うるさいのは困るな。次に安いホテルに泊まる時は、静かかどうかをよく確認しようと心で繰り返すうちに眠りについていた。

2002年3月14日

- 戦いを挑まれては引き下がれない -
 早朝6:30起床。私は朝起きるのだけは得意だ。起きるだけなら、4時にでも起きられる。もっともすぐにヘバッテしまうが(笑)。6時50分に部屋の電話が鳴った。フロントからだ。「バスが来るから、7時までに降りて来いと言っている人がいる」という。(約束の7時30分よりも早いな。まぁ、いいや)と思って荷物を持って、フロントへ降りていった。フロントの前にはなぜかバイタクの服をきた女性運転手がいる。聞くと、切符売り場のおばさんに私をバス・ステーションまで連れて行くように言われたとのことだ。(おい、おい。マジかい)と思うが、とにかく、チェックアウトの手続きに入る。

 出された請求書にサインするが、そこで、金額が少し高いことに気づいた。ホテル代の138RMBになぜか22RMBが足されているのだ。「この22RMBはなんだ?」と服務員に問いただすと、「長距離電話代よ」と不機嫌そうに答えた。「俺は電話は一切していない」と断言すると、「どこか外地にかけたんでしょ」と強気の発言を返してきた。
 これは面倒なことになった。サービス料とでも言ってくれれば払ってやったのにと思うが、ここまできては引き下がれない。携帯電話を取り出して「俺は携帯電話をもっている。なんで、ホテルの電話を使わなきゃならんのだ。このホテルの電話システムに問題があるんじゃないか」と大声を出した。服務員はパソコンを少しいじった後、「あら、この22RMBは昨日の分だわ!」とうそぶいた。そして、請求書の数字を書き直してくれと請求書を突き出してきた。金額を見ないでサインしてしまったのは私だからと思って、数字を書き直してやると、今度は「これじゃだめ、漢字で書いて!」といけだかに言う。(お前が計算ミスしたんだから、偉そうに言うな)と思ったが、「俺は繁体字がかけないんだ」というと、しぶしぶ納得した。200RMBを出すと、60RMBのお釣りをくれるが、残りの2RMBをなかなか出さない。チップにくれということらしい。(なんつー根性の悪い服務員だ。こりゃ、あの22RMBは故意にやったな)と確信した。しかし、面倒くさくなってきたので、「もういいよ」といって、ホテルの外に出た。

- 終りなき戦い -

 ホテルの外に出ると、さきほどのバイタクの運転手が待っていた。「切符売り場のおばさんはどこへ行ったんだ」と聞くと、「市場へ買い物に行った。貴方をバス・ステーションまで連れて行くように言われている」と言う。「誰がこのバイタク代を払うんだ」と聞くと、「貴方だ」と私の方を指さした。(腹が立つなー)と思うが、怒っていても仕方がない。「いくらだ」と聞くと、「10RMB」とふざけた返事だ。「別のバイタクで行く!」と断言すると、「いくらでもいい」と急に弱気な発言をしてきた。「じゃ、3RMB」というと、「わかった」と意外に素直だ。勝ったと少し気分がよくなる。(と、その時は勝った気でいたが、よくよく考えるとあの運転手、切符売り場のおばさんからもお金をもらっていたのかもしれない)。

 3分ほどで、バス・ステーションに着いた。来た時と別のバス・ステーションだ。「江南汽車駅(バス・ステーション)」とある。バス・ステーションの服務員に聞くと、「深せん市」行きのバスは7時50分に来るという。(この切符は本当に使えるのだろうか?)と不安になるのをグッと我慢して、バスが来るのを待つ。使えなかったら、新しいのを買うまでだ。新しい切符を買って乗ってしまうと、あのおばちゃんに文句を言えなくなるが、たかが110RMBのために、時間を無駄にするわけにはいかんと無理やり自分を納得させた。

 現実はそれほど厳しくなく、バスは時間通りに来て、切符も問題なく使うことができた。バスに乗りこんで一眠り。11時半頃、山の中の飯屋で休憩。無料の昼食が出された。けっこううまい。20分ほどで再び出発。途中、バス・ガイドが「どこまで行くの?」と聞いてきた。「深せんだ」と答えると、「深せんのどこまでだ」と重ねて聞いてくる。「深せん駅までだ」と言うと、「『深せん駅』までは行かない。『銀湖』までだ」とのことだった。(なんだ。深せん駅まで行かないのか、こりゃモタモタしてると、アパートに着くのが夜になっちゃうな)とがっかり。

 午後2時、ようやく深せんに入ったところでバスが故障。「竜崗」のバスステーションで修理に入った。(このままでは、深せんで一泊しなけりゃいけなくなるな)と考え、方針変更。青タクで「東莞」まで戻ることに決めた。交渉してみると、150RMBで行ってくれるという話だ。ちょっと高いと思ったが、今なら4時にはアパートに着ける。ふんぎって、乗車した。

 こうして、「汕頭市」、「潮州市」、「梅洲市」の四日間の旅は終わった。最後の一日はひどかったが、無事に帰れたことを素直に喜ぼうと思う。