肇慶市の旅


肇慶市

青丸が肇慶市です。

【 目 次 】

<2002年6月9日>
 ・ささやかな満足
 ・料金交渉は楽しい
 ・古城墻
 ・涼茶を楽しもう
 ・七星岩
 ・チェーン店考察
<2002年6月10日>
 ・旅に終りなし

2002年6月9日

- ささやかな満足 -
 この旅は、「佛山市」からの出発。ご興味のある方は「佛山市探検記」もご覧になってください。

 午前8時40分、「肇慶市」の「汽車客運総駅(総合バスステーション)」に到着。新しく建てられたばかりらしい、ピカピカのバスステーションだ。佛山市のバス・ステーションより二周りほど大きい。

【肇慶市総合バス・ステーション】

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 バス・ステーションを出て、まずは(上記の)写真をとる。さて、ホテルまでどうやっていこうかと考えているとバイタクが目の前に止まった。「乗っていかないか?」と言っているようだ。佛山市もそうだったが、肇慶市のバイタクの運転手もほとんどが普通語を話せない。彼らが話せるのは広東語だけのようだ。しかし、聞き取りは普通語でもある程度できるようなので、なんとか意思疎通ができた。

 言葉が確実に伝わらないとなると、地図を頼りにするしかない。しかし、この地図も案外頼りにならない。地図に誤りが多いというのもあるが、大半のバイタクの運ちゃんは地図など見たこともないし、どうやら見方もよくわからないらしいのだ。それでも、行く先を指差すとウン、ウンわかった、と首を振る。不安を抱えながらも出発だ。

 しかし、50メートルもいかないうちに、運ちゃんが行き先を理解していなかったことが判明した。仕方がないので、一つ一つ、曲がる場所を指示しながら進む。しかし、何しろ初めての場所。その上、地図上には大小の道が溢れているから、バイクを止めずに正確に指示していくのは至難の技だ。でも、なんとかやり切って無事ホテルに着いた。(いやー、ずいぶん旅慣れしたなぁ)とささやかな自己満足に浸った。通りを走っていて気づいたのは、「肇慶市」は「佛山市」よりかなり大きい街だということ。資料上の人口はほとんど変わらないのに不思議なことだ。

- 料金交渉は楽しい -

 「金葉大廈(二つ星ホテル)」のロビーに入った。フロントで宿泊料を聞くと、「138RMB」とのこと。ちょっと安すぎると躊躇する。しかし、服務員が元気いっぱいな様子が好ましく感じられ、部屋をみてみることにした。部屋のあるフロアまでエレベーターで昇る途中、2Fと3Fのレストランでドアが開いた。大繁盛である。どのテーブルも客でいっぱいだ。レストランがこんなに客で溢れているホテルなら部屋もきっとまともなはずだ、と期待が高まった。

 予想通り、なかなかいい部屋だ。138RMBで得られる最高レベルの部屋だろう。しかし、残念なことに絨毯が少し汚れている。迷ったあげくに、他のホテルもあたってみることにした。138RMBでこの水準なら、もう50RMB出せば、かなり満足のいく部屋が得られるだろうと考えたからだ。(上を見ればキリがないのも確かだが)。

 ホテルを出て、バイタクを探す。だが、朝も早いせいか、なかなか見つからない。10分ほどウロウロして、ようやく捕まえることができた。「金葉大廈」に来る途中に目をつけておいた三ツ星ホテル「華橋大廈」へいってみることにした(3RMB)。「華橋大廈」は「肇慶市」の最大の観光地「七星岩」の正面に位置するホテルだ。(高いかもな?)とは思ったが、とにかくトライしてみることにした。安かったら儲けものだ。

 フロントで値段を尋ねると「360RMB」と答えが返ってきた。露骨にこりゃダメだという顔をすると、「いくらならいいの?」と聞いてきた。「もっと安くならないのか」。すると、<260RMB>と紙に書いて寄越してきた。三ツ星なら、悪くない価格だが、まだ予算より高い。少なくとも、230RMBまでは落とさないといけない。「ちょっと他のホテルもみてくるよ」とふってみる。「ちょっと待って、いくらならいいの?」ともう一度聞いてくる。「一番安い価格はいくらなんだ?」と尋ねると、「何泊するの?」と尋ね返された。正直に「一泊だ」と答える。服務員は5秒ほど黙りこくった後、<200RMB>と紙に書いてきた。予想以上の好結果だ。(変な部屋なんじゃないだろうな?)と少し心配になり、部屋を見せてもらっておいたほうがいいかなと考えるが、思い切ってチェックインを決めた。服務員も頑張って値段を出してくれたんだから、それに応えてやろうと思ったからだ。(ちょっと甘いかな)とも思ったが、(まあ、どうしても気に入らなかったら、すぐにキャンセルすればいいだろう)と自分を納得させた。

 チェックインの手続きを始めると、となりで同じように手続きをしていた50歳ぐらいの香港人らしき人が話し掛けてきた。「キミは一人で旅をしているのか?」。「そうです」と答えると、「それはすごいな」とずいぶんと感心してくれた。ちょっとうれしい。彼はもう少し話をしたそうだったが、こちらは敢えて話をとぎらせた。一人旅の最中は、明らかに問題がない場合を除いて、見知らぬ人との接触を避けるのが私の流儀だからだ。とは言え、このやり方では旅の楽しみが半減するのも事実だ。(いつの日か、何も考えずに旅を楽しめるようになりたいなぁ)と考えながら、与えられた部屋へ向かった。

- 古城墻 -

 部屋の窓から外を眺めると、なんと七星岩のある湖が真ん前に見えた。想像していたよりずっと良い部屋だ。設備もきちんと整っている。少しだけ休憩して、さっそく出発だ。

【ホテルの部屋から】

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 ホテルを出ると、空は雨雲でどんより。(いつ降り出してもおかしくないな)と思いながら、「天寧路」を下る。「天寧路」は観光地「七星岩」を真正面に据えているだけに、観光ホテルがたくさんある。歩道が車道と同じくらい広くとられていてタイルもきれいに張ってある。広東省ではなかなか見られない光景だ。道路を走っているのはもっぱらタクシーであり、バイタクは稀にしか走っていない。

 ホテルから30メートルほど離れたところで、とうとう大雨が降り出してきた。しばらく木陰で雨が弱まるのを待つ。10分ほどで小雨になってきたので、傘をさしてゆっくり歩き始めた。すると、右手に新華書店のビルが現れてきた。新しくオープンしたばかりといった感じの書店だ。雨宿りを兼ねて中をのぞいてみることにする。1Fは携帯電話売り場になっているので、2F、3Fだけをぐるっと回ってみた。品揃え・本の質は「広州市」に準拠するレベルである。カラーのかなり高そうな本がたくさん置かれている。日曜日のためだろう、天気が悪いにもかかわらず子供連れの奥様方が多い。中国のどこの本屋でもそうだが、若者たちは本を買いにきているというよりも読みにきているのだろう、そう思わせるぐらい真剣に読書に熱中している(事実読みにきているのかもしれない)。(10:20)

 本屋を出たときには雨はすでにやんでいた。「天寧路」を引き続き下り、「宋城東路」に入る。この「天寧路」と「宋城東路」が接している場所が「肇慶市」の商業センター街らしく、悪天候にもかかわらずなかなかの活気だ。「天寧路」の右手は小さな商店街となっているが、ここにもいくつか本屋がある。「佛山市」では決してみられなかったことだ。さらに、まっすぐ進むと左手に城壁「古城墻」が姿を現した。西安市のように都市をすっぽり囲い込むような大規模なものではないが、外側を一周すれば1時間ぐらいはかかりそうなほど長く伸びている。

【古城墻】

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 まず最初に見えるのが「宋城朝天」という門。何かいわれのある門なのだろうが、今はわからない。いずれご報告いたします。閉め切りになっていて入れないようなので、そのまま歩き続けた。

【宋城朝天】

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 城壁のちょうど真ん中辺りを「人民南路」が貫いていてここから内側に入れるようになっている。

【城壁の内側への入り口】

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 城壁の内側に入ると右手に階段があり、そこから城壁の上に登ることができる。西安でも城壁の上に登ったが、ネオン設置用のポールが立っていてずいぶん雰囲気を損なっていた。ここ「古城墻」はそんなことがなく、素直に古代中国の雰囲気が楽しめる。

【城壁の上】

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【人民南路】

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 城壁の上には「披雲楼」という観光名所があって、そこへ進むためには入場料を払わねばならない。5RMBを払って中に入る。

【披雲楼】

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 「披雲楼」そのものは、中に人形が置いてあるだけ(ちょっと失礼か?)の建物だが、すぐそばに大砲があるのが目を引いた。これで外敵を追い払ったのだろうか(日本軍かもね)。

【大砲】

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- 涼茶を楽しもう -

 「披雲楼」を過ぎるとあとは、両側に樹木が植えられているただの並木道。「古城墻」を抜け出て、「城中路」に入り、城壁に囲まれた街の内側へ向かう。「城中路」にある建物はどれも古い。しかし、観光地「古城墻」に恵まれているためか、人々の暮らしは豊かなようだ。小さな商店の中にも溢れるぐらいの品物が詰まっていた。

【麗譙楼】

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 「城中路」を歩いて行くと、左手に「麗譙楼」という建築物がある。説明書きによると、宋代(1118年)に建てられたものらしく、この建築物によって「肇慶市」が古代から文化的な都市であったことが証明されるのだという。観光名所にも指定されているようで、ガイドに連れられた20人ほどの団体が見学にやってきていた。

 「麗譙楼」を出て、少し歩いたところにある「涼茶店」で一休み。最近は喉の調子が悪いので、喉に効くをお茶を注文した(3RMB)。売り子さんは、お茶を紙コップに注いで「熱いから、冷ましましょうか?」と尋ねてきた。「そうして」と答える。すると、紙コップのお茶をステンレスのコップに移したあと、水を満たした鍋の中にコップを入れて鍋をゆすり始めた。しばらくそうやって、お茶が冷めたとみると、再度紙コップにお茶を移しテーブルのところまでもってきた。まずは味見をする。(苦い)。

 「涼茶」は一種の薬用茶。風邪に効くのや、喉に効くのや、眼に効くのやいろいろある。もともとは香港の街を歩き回って喉が乾いたときに飲む程度だったのだが、あるとき、風邪をひいて「感冒茶」というのを飲んだらあっというまに風邪がよくなったので、中国でも良い「涼茶店」がないかと探すようになった。現在に至るまで効く涼茶を出す「涼茶店」に出会ったことはないが、旅の途中の気楽な休憩所としてよく利用している。

- 七星岩 -

 「城中路」を抜けると、知らないうちに城壁の外側に出ていた。そのまま「正東路」を進むと、観光名所「閲江楼」にぶち当たる。もともとは宋代に建設された建物で、現在は革命時の団長「葉挺任」の記念館になっているそうだ。

【閲江楼】

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 「閲江楼」の前から河沿い(西江)に沿って走る「江浜中路」となる。だいぶバテてきたが、バイタクが通らないので頑張って歩いた。すぐ近く(と思ったが結構遠くにあった)「崇喜塔」を写真にとるためだ。「西江」はかなり幅の広い河で「江浜中路」もよく整備された道路だが、人も自動車もほとんど通らないので寂しげな雰囲気だ。

 

【崇喜塔と西江】

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 (意味もなく)頑張って、「崇喜塔」に辿りついたところで力尽きた。倒れるわけにもいかないので、座ってバイタクがくるのを待つ。10分ほど待ち続けているとようやく1台やってきた。大声を出して懸命に呼び止める。ここで一旦、ホテルに戻ることにした。ホテルまで3RMB(12:40)。ホテル下の怪しげなファーストフード店でピザを平らげ、部屋で2時間ほど休憩をとる。

 午後、2時30分出発。次は、目玉観光地「七星岩」だ。空は完全に雨模様だが、まぁ、何とかなるだろう。とりあず湖の傍の船着き場まで行ってみる。しかし、オフシーズンのためか定期便は出ていないようだ。そこでバイタクで湖を回り込んでいくことにした。客を降ろしたばかりのバイタクが目に入ったので、声をかけて交渉に入る。この運ちゃんは普通語がペラペラだ。その分、交渉も渋く結局4RMBで妥協した。

途中、写真をとるために一度下車する。その代わり余分に1RMB払うことにした。

【七星岩(の一部)】

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 再度、バイタクに乗車したところで小雨が降り始める。ちょっとやな感じだが仕方がない。大雨にならないことを祈ろう。

 七星岩の最初の岩山「仙掌岩」のところで下車。

【仙掌岩】

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 「七星岩」は広東省の有名な風景区の一つで「桂林の山、桂林の水」という言葉もあるそうだ。それだけに、雨だというのにポツポツとだが観光客が訪れている。名前は全部挙げないが、「仙掌岩」を始めとして7つの岩全てに名前がついている。そして最初の二つまでは無料で見ることができる。しかし、三つ目からは50RMBの入場料を払って園内に入らなければ見ることができないようになっていた。

 50RMBというこの辺りでは破格の入場料をとっているだけあって、園内はよく整備されていた。園内巡り専用の観覧車なども走っている(有料)。最初は「七星岩」を一つ一つ写真にとろうと意気込んでいたが、5つ目ぐらいでどれがどれだかわかなくなり諦める。同じぐらいの大きさの岩山が10数個はあって、地図とにらめっこしたぐらいではどれが名前付の岩山か判断がつきにくいのだ。そもそもこの「七星岩」という命名も語呂がいいからそうしただけだと思われる。

 命名法はともかく、景色は美しい。有名な革命・政治家「葉剣英」も褒め称えて、詩を作ったとのことだ。

【蟾蜍岩】

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【七星岩の一つ】

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 七つの岩山を全部回ると、徒歩でおよそ2時間。観光で来る方は観覧車を利用したほうがよいかもしれない。出口についたころには汗びっしょり。バイタクを捕まえてホテルへ戻った(3RMB)。(16:30)

- チェーン店考察 -

 一休みした後、今度はホテルの周りをブラリとする(17:30)。まずは、「端川五路」を下る。ホテルに近いところは比較的高級な商店街があるが、それはほんの少し。すぐに古い観光ホテルや住宅街となる。昔は景気のいい頃もあったのかなという感じ。これ以上進んでも何もなさそうなので、「端川五路」を抜けきったところでバイタクをつかまえて、「汽車客運総駅(総合バスステーション)」まで行く。

【端川五路】

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 バスステーションでさっと明日の便を確認した後、「文明路」に足を踏み入れた。バスステーションに近い辺りはバス客狙いの食事街となっている。すでに夕刻ということもあって、賑やかになりはじめていた。さらに奥にはいっていくと下町風になってくるが、寂れた感じはない。この通りは夜になると市が立つらしく、すでに竹を組み合わせて夜店を作り始めている人たちがいた。また、こんな細い通りにも本屋が2軒あった。「肇慶市」の人々は文化程度がかなり高いようだ。

 「文明路」を抜けて、大通り「建設三路」に出る。賑やかな商店街だ。昼間は自動車とバイクが半々ぐらいだったのが、今はバイクでいっぱいだ。帰宅中の労働者がほとんどなのだろう。ここにあった「蘭州ラーメン」屋で夕食をとることにする。手打ちの本格派だ。さすがにうまい。でも、スープが今いちなんだよね、中国のラーメンは。しかし、価格は3RMBと格安だ。美人の若奥さんが忙しく立ち働いているのもプラス評価だろう(なんじゃそれは)。

 途中で「芹田路」に曲がりこんで、再び「文明路」に戻る。バス・ステーションまで出たところで、再びバイタクに乗り少し離れたところにある(はず)の新華書店(端州三路)に行ってもらう。しかし、新華書店はすでになく、大きなスーパーになっていた。ついでにここで買い物をする。ここで気づいたが、東莞市のような中型チェーン・スーパーはあまり他にはない。だいたいどこにいっても、独立系のスーパーばかりだ。東莞市は新興都市だから、チェーン店が進出しやすかったのだろうか。

買い物を済ませてホテルに戻る。今日はこれまで。

2002年6月10日

- 旅に終りなし -
 8:00チェックアウト。「汽車客運総駅(総合バスステーション)」までバイタクで2RMB。「肇慶市」のバイタクは実直な人ばかりで気分がいい。こちらが申し訳ない気持ちになるほどである。今回は試しに東莞市中心経由で帰ってみることにする(大失敗)。8:30出発。10:55東莞中心へ着く。

 ここまではスムーズだが、このあとがちょっと問題。東莞市中心から私の住む町までは専用バスがないのだ。つまり各駅停車で行かなければならない。最初から気がついてしかるべきだったが、新しい経路で帰ることに夢中でそこまで頭が回らなかった。しかし、今さらどうしようもない。11:20発。12:40着。トータルでみると時間的には広州経由と大差ないが、各停バスでは乗っている間中気を張り詰めていなければならないので疲労の度合いにかなり差が出る。今後の教訓としよう。

 それでは、今回の旅はここまで。長らくお付き合い頂きましてありがとうございました。