7:40、起床。熱はだいぶん下がっている気がする。体温計で測ってみると「36.7度」だった。うん、これならなんとか動ける。だが、外はあいにくの雨だ。なんとか止んでくれないものか。そう願って待っていたが、9時半になっても止まないので、食事に行くことにした。
外で食事をしようと思って出てきたが、二人とも傘を忘れてきてしまった。それに雨脚が速い。無理に外へ出たら、また風邪が重くなりそうだ。諦めて、ホテルの2Fにある中華ファーストフードで食事をすることにした。身体を温めるために、二人とも麺類を頼んだ。蘭州ということで、ある程度の味を期待していたが、残念なことに非常に不味かった。だが、腹は満たせたので、一旦部屋に戻り雨が止むのを待つことにした。
12:00、待っていても雨は止みそうにない。今日は最低でも市内観光をしたいところだ。体力はまだ十分に回復せず、咳も止まらない状態だが、一日寝て過ごすわけにも行かない。
厚着をして傘をさして外に出ることにした。
もうお昼なので、まず「地球の歩き方」で紹介されていた蘭州ラーメンの老舗店である「馬子禄牛肉麺館」を探すことにした。しかし、地図とにらめっこして
ウロウロしてもなかなか見つからない。(それもそのはず、全く逆方向に向かっていたのだ)。西へ西へと進んでいったら、真新しい「西関清真大寺」というお寺があった。道路の真ん中にドカンと建てられている。四つの塔が中央のドーム上の建物を囲んで空高く伸びている。銀川で見たいくつかの「清真寺」と同じ形式だ。きっとイスラム教のお寺の代表的な構造なのだろう。
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Zから「このお寺、入っていくの?」と聞かれたが、首を振って否定した。ずいぶん立派なお寺だが、建物が現代的過ぎて興味が湧かない。地図を見ると、お寺に接している交差点を南の方角に下っていくと、「五泉山公園」に出ることがわかった。
Zに向かって、「こっちへ行くと『五泉山公園』に出るらしいよ」と持ちかける。
「どうやって行くの?」
「歩いて」
「嫌!」
「何で」
「だって、きっと遠いわよ」
「遠くないって、すぐだよ、すぐ」
「いつもそう言って、すごーく遠いんだから」
「ホント、ホント。誰かのブログにも近いって書いてあったから」
「嫌!だって私、足が痛いもの。それに○○(私の名前)だって風邪引いているんでしょ」
「何で急に足が痛くなるんだよ」
「知らないわよ、とにかく痛いの」
私には言わなかったが、Zは一昨日行った『沙湖』の砂漠を歩いたときに足を少し痛めたようだった。もっとも昨日は一人で夜店を歩き回っていたわけだから、それほどひどいわけはない。それよりも、私がうっかり忘れていたのはすでに昼時を過ぎていて食事をまだしていなかったこと。ともあれ、この後、5分間、揉めに揉めて怒ったZは、反対方向に北側に歩き去ってしまった。
(さて、弱った)
そばにあった石造りの花壇の隅に腰をおろして考えた。ホテルの部屋に入るのに使用するキー・カードは私が持っているから、一人で行動するといったって、Zも困るはずだ。もっともZのことだから、フロントに頼み込んで部屋に入ることもありうる。部屋はZの名前でとってあるから、十分可能だろう。しかし、このままZを放っておいて「五泉山公園」に行ってしまったら、後々こじれそうだ。特に今回は風邪にかかってしまって大分面倒をかけている。どう考えても、このまま「五泉山公園」へ行ってしまうのは問題だ。仕方がない、ここは譲るとするか。
そう考えて携帯電話を取り出したところ、歩道の彼方からZがトボトボと歩いて戻ってくるのが見えた。
「なんだ、今電話しようとしてたのに」
「嘘ばっかり」
「いや、本当に」
「いいから行くわよ」
「歩いて行くのか」
「そうよ、その代わり、風邪重くなっても知らないわ」
どういうわけだか機嫌を直したらしいZは、私を後ろにさっさと歩き出した。私も後を追いかけて続いた。
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せっかく徒歩でいくことになったものの、とくに何も変わったものはなく、人気のない歩道が続くだけだった。数十分歩き続け、疲れを覚え始めたため、急に体力が心配になってきた。地図上では「五泉山公園」までバスで一つ、二つぐらいの停留所の距離だが、歩けば結構ありそうだ。諦めて、バスに乗ることにした。Zが「やっぱり無理でしょ」と声を上げる。しかし、彼女も疲れていたらしくほっとした様子だった。
バスに乗車して、「五泉山公園」のバス停に到着。
バス停の名前は「五泉山公園」だが、地図によると、目の前に公園があるわけではなく、数十メートル先の線路を越えた向こう側にあるようだ。そちらの方へ向かって足を運んで行くと、Zが「あそこに蘭州ラーメンの店があるわ、たくさんお客さんがいるわ」と声を上げた。
「公園行ってからにしたら?」
「駄目!」
「わかった、わかった」
占国、と看板の出た店に足を向けた。外からはっきりわかるぐらい客が詰まっている。店に客が入りきらず、道端でどんぶりをすすっている客がいるほどだった。入り口のところでチケットを購入し、列の後ろに並んで順番を待つ。店の奥にあるカウンターをのぞくと、麺を打つ係り、茹でる係り、具を入れる係り、スープを入れる係りが半円を作って、分業で次々にラーメンを仕上げて客に渡していく。
瞬く間に私たちの番が来たので、自分たちのラーメンを受け取った。店内のテーブルは満席で座る場所がなかったため、他の客に混じって、私たちも外で食べることにした。
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「蘭州ラーメン」屋というのは、実は深センにもたくさんある。私たちが住む街にも、知っているだけで、数軒ある。バスや車で他の街に行ったときにも見かけるから、ほとんどどの街にもあるのではないかと思う。看板やメニューがほとんど同じだから、チェーン店とはいわないまでも、どこかに卸の元締めがいるのではないかと思われる。
「ラーメン」というとやはり日本のラーメンが一番美味しいと思うが、中国で食べるラーメンの中では「蘭州ラーメン」は美味しいほうだと思う。深センの蘭州ラーメン屋は、たいがい店の前に台を広げて、小麦粉を練るところから麺を打ち上げるまで、客が見えるところでやり終える。客寄せの意味が大きいのだろうが、混ぜ物が入っていないことを明らかにしているのだろう。そういう意味では確かに安心だ。手打ちなだけに、麺に腰があるから、日本人の好みにも、比較的合う。値段も安く、物価高の現在でさえ、一杯4RMBぐらいから食べられる。
さて、本場蘭州の蘭州ラーメンはどれだけ美味しいか。率直に言うと、驚くほど美味しいというわけではなかった。
深センの麺よりも、上等な小麦粉が使われているらしく、麺がやや美味しいのとスープもやや美味しいといったところだった。日本のラーメンと比べると、どうしてもそういう評価になる。ただし、周辺の蘭州ラーメン屋がガラガラなのに、ここだけ混み合っているから、周囲の店と比べてもこの店の蘭州ラーメンが一味上をいくのは間違いないことだろう。料金は肉を追加して6RMB。
食事を終えて、改めて「五泉山公園」へと向かう。線路に陸橋がかかっていて、陸橋の手前にはなぜか小さな水族館があった。今にもつぶれそうなボロボロの水族館だ。一応、チケット売り場があるが、客が入るような様子はない。水族館ではなく、海鮮料理用の魚の卸元として機能しているのではないか?そんな想像をさせられた。
陸橋の上には、点々と露店が店を広げていて、客がまばらに集まっていた。そこを抜けて、陸橋を降りるとすぐに「五泉山公園」の入口があった(13:50)。
入場料は1人6RMB。足が痛いから入らないと入場を渋るZを説得して、門をくぐった。
広場を抜けて先へ進むと、二手に分かれて階段が伸びていた。どうやら、片側から上って行き、もう片側から下りてくるようになっているらしい。せっかく来たのだから上っていくのが当然なのだが、Zが再び抵抗を示す。「足が痛いから私、ここで待っている」と言い張る。そこへ来て、私もお腹の具合が悪くなってきた。トイレへ行って帰ってきた時には、体調も悪いし、上るのはやめるかという気分になってしまっていた。この五泉山から蘭州の街を眺めるのが市内観光の目玉の一つなのだが、体調が悪いのでは仕方がない。敷地内に入っただけで良しとしよう。そう決めて、外に出ることにした。上らずに済んだZはニコニコ顔だ。
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「五泉山公園」バス停まで戻り、「15路」線のバスに乗車、次の目的地である「中山橋」へ向かった(14:23)。
「次は『中山橋』だよ」とZに告げる。
「あっ、そう」
「『中山橋』はね、黄河第一橋とも呼ばれていて、黄河の一番上流にかかっている橋らしいよ」
「あっ、そっ」
Zは全く興味がないという様子で、返事が冷たい。気持ちはわかる。だいたい市内観光で、特別面白いものがあるなんてことは滅多にない。甘粛省と言えば、一番の見所は「敦煌」であることは疑いを入れる余地がない。しかし、「敦煌」は甘粛省の外れの方にあるため、これをメインにすると他の場所を回ることが困難になる。それで今回は省都のみを中心に回ることにしたのだ。それでも、郊外に行けばそれなりの見所があるから、体調さえ良ければそれなりにZを満足させることができたと思うのだが、熱あり、咳あり、お腹の具合も悪いでは市内を出歩くのが精一杯だ。また、今回の旅行で省都の市内旅行を終えておけば、次回にチャンスがあった場合には省都を離れたところに迷わず焦点を当てることができる。そういう意味で、市内旅行を確実にこなしておくことが私には大切なのだが、それはZには
関心のないこと。理解してくれというのが無理だ。我慢して付き合ってもらうしかないところだ。
バスに乗って20分ほどで、「中山橋」停に到着した。ここには「中山橋」を見下ろす「白塔山(公園)」があり、その山にゴンドラで登っていくことができる。
ある旅行者が書いたブログによると、このゴンドラの出発点はやや分かりにくい場所にあるとのことだった。それで心配していたのだが、バスを降りる前から目を凝らしていたこともあって、意外に簡単に見つかった。(地図にははっきり描かれているので、地図さえ手に入れていれば心配はない)。
チケット売り場で料金を確認すると、往復チケットなら25RMB。片道だと上りは20RMB。下りは10RMBとなっていた(14:50)。微妙なバランスだ。体調が良ければ、歩いて下ってくることに決まりだが、現在は厚着で咳を止めているような状態だ。お腹の具合も心配だ。そこで、往復チケットを買うことにした。
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ゴンドラは4人乗り。中年の男女ひと組と乗り合わせとなった。ゴンドラの両脇から一組ずつ乗ったため、片側に私たちが対面で座り、もう片側に一方の男女が座った。男のほうがZの隣、女の方が私の隣に席をとった。ゴンドラが動き始めると、男のほうが陽気に話しを始め、幾度も女を笑わせた。ちらっと男の様子を見ると、私よりも年上の様子で、50を越えた年齢のように見え
る。話から、二人が出発時は一緒でなく、途中で合流したことがわかった。
二人は夫婦ではないのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。ただ、中国では夫婦ともに別の省へ出稼ぎにいくことが少なくない。だから、旅行先で落ち合うということも十分ありうるだろう。
頂上へと到着。10分ほどの短い距離だった。ここから蘭州市内を見渡すことができる。あいにく「中山橋」は山に遮られてみることはできない。さて、肝心の「白塔」はどこか?周囲にそれらしき建物は見られない。これではゴンドラで下山するのは無理なようだ。「白塔」を探して歩いて下ることにした。
階段を下って、さらに道路に沿って下っていく。途中に、建設中の学校のような建物があったかと思うと、その先には、寂れて人気のなくなったゴーストタウンのような街があった。街を囲む周囲にはショベルで切り開いた跡がはっきりと残っているから、一度は大規模な開発が行われたのだろう。せっかく開発したものの、ほとんど買い手が現れず、忘れ去られた街になったということだろうか。
「白塔」に到着。想像していたよりずいぶんと小さい。登ることもできずに、周囲から眺めるだけだ。もっとも見かけはたいしたことはないが、歴史は長いらしい。「白塔」が最初に立てられたのは、元の時代のことで、その後一旦は失われ、1450-1456年の間に再建されたもののようだ。
「白塔」のある寺を過ぎると、ずっと階段が続く。ここからは中山橋も見えて、下るにつれてその姿が徐々に大きくなっていった。黄河の上をせわしなく船が行き来している。あちこちの旅行先で黄河の下流を見ていると思うが、今まで特に意識したことはない。中山橋が黄河の一番最初にかかっている橋、黄河第一橋と呼ばれているということは、ここから見える黄河は相当上流のほうで、源流といっても良いだろう。そう考えると、ずいぶんと感慨が深い。
階段を下りていく途中で街の景色を見ていると、Zが「あっ、私たちが泊まっているホテルが見えたわ」と指差しながら叫んだ。そう言えば、ホテルがあるのは黄河の近くだった。地図で確認すると確かにその位置にある。バスで来たから気づかなかった。
16:10、「白塔山公園」を外にでる。チケット売り場があったので、料金を確認すると6RMBだった。ゴンドラの料金にはこの入場料も含まれていたということになる。
道路を越えるとすぐに中山橋だ。橋の正面には「黄河第一橋」の文字を象ったプレートがかかっている。有名な観光地とあって大勢の客が記念写真をとっていた。橋は現在は車両の通行は禁止されていて、歩行者専用となっているようだった。青空の中、涼しい風が吹き抜ける橋の上を歩いていくのは大変気持ちが良い。
山の上から見たホテルの姿を追って、歩いて戻ることにした。こういうのは近くに見えても歩くと意外に遠かったりする。だが、心配は杞憂で、10数分ほどでホテルの裏にある屋台街に到着した。昨晩、Zがこの屋台街についてずいぶんと騒いでいたので、てっきり新疆のウルムチにあった「星光五一街」のようなものでもあるのかと期待していたが、実際にはこじんまりとした屋台街でがっかりさせられた。
16:40、ホテル到着。さすがに疲れた。熱も少し上がってきた模様。薬を飲んで一眠りする。
20:00、薬が効いたのか熱が下がってきた。身体の調子は悪くないので食事に行くことにする。
タクシーに乗って、インターネットで調べておいたレストラン街である和政街(・天平街)へ向かった。しかし、タクシーを降りてみると、ほとんど灯りがない。たしかに点々とレストランがあるが、どれもそれほど栄えていない。通りを抜けたところで、タクシーに乗車、もう一つのレストラン街である農民巷へ移動した。ここはレストランはそれなりにあったが、気に入ったのがなかったため、どこの店にも入らなかった。これならホテル周辺のほうがまだ良い店があるだろうということで、再びタクシーに乗ってホテルのある「張掖路」へと戻った。
「張掖路」に着いたところで、Zが「○○が言っていた『馬子禄牛肉麺館』がこっちにあるよ」と言ってきた。
「えっ、その店の場所、何で知ってるんだ?」
「昨晩、見つけておいたのよ」
「何で、昼間言わなかったんだ」
「言ったわよ。でも、あなたが何だかんだと、別の方に歩いて行ったんでしょ」
「ええっ、聞いていなかったよ」
「あなた、いっつもそうなんだから」
うーん、そう言えば、そんなようなことを言っていたような気もする。あの時は地図を見るのに懸命で耳に入らなかったのだ。まあ、良い。今から行くことにしよう。
「張掖路」の脇にある大衆巷という通りを奥に奥にと進んでいくと、確かにあった「馬子禄牛肉麺館」が。しかし、すでにシャッターが下りていて、閉店していた。
あらら、もう10時近くになっているから仕方がないか。明日の朝に来ることにしよう。バスの時間が早いから、それまでにオープンしてくれていると良いが・・・。
その頃になるとどの店も閉まっており、唯一開いていたのは、ホテルのすぐ近くにある北京系水餃子のチェーン店だけだった。蘭州まで来て北京系の餃子など食べたくなかったが、他にないから仕方がない。とにかく何かお腹に詰め込まなくてはと水餃子を注文して食べた。
10:20、ようやくホテルに戻って、就寝。明日は西寧へ移動だ。蘭州市郊外の「炳灵寺石窟」へ行きたかったけれども、今回は見送りにするしかない。いずれ敦煌に行くとき、そちらへも行ってみるとしよう。 |