襄樊市の旅


灰色の部分が湖北省です。

2006年2月1日

   バスが高速道路を走っているうちに、シートの下から吹き上げてくる暖かい風に誘われてぐっすりと眠り込んでしまった。ふと頭を上げて外を見ると、周囲は真っ暗闇だ。私が闇を透かして外の様子を探ろうとしていると、Zが「もうとっくに高速道路降りちゃったわよ」と横から告げた。軽く頷いて、さらに外を見つづけていると、Zは私が状況を理解していないと思ったらしく、「まだまだ着かないわよ。高速道路は少し走っただけで、すぐに降りちゃったから」と続けて説明した。高速道路代を節約するために、一般道路を走っているというわけだ。時刻はすでに18時近い。この時間になってしまえば、何時に着こうが大して変わりはないから急ぎはしないが、舗装が高速道路ほどしっかりしていないから、バスがガタゴトと揺れるので、快適とは言えない。

 さらに20分ほどが過ぎ、ところどころで客が下車をするようになってきた。Zが「どこら辺で降りるの?」と私に向かって何度も尋ねる。どこら辺で降りると言われても、私もほとんど情報を持ち合わせていない。確か、「襄樊」は城壁で囲まれているはずで、その中に入れば適当なホテルもあるはずだ。そうこうしているうちに、わずかであるが、周囲が明るくなり始めて、ちらほらとホテルやレストランが目に入るようになってきた。「まだ降りないの?」としつこいZの質問攻めに音を上げて、私は思わず「城壁があるはずなんだけど・・・」と漏らした。すると、Zはどこで情報を仕入れたのか、「城壁があるのは、『襄樊』ではなくて、隣の『樊陽』よ。いくら探したって、城壁なんてないわよ(注)」と断言をした。
 (えっ?)と一瞬虚を突かれたが、Zの情報源がどこかわからない。バスの中で誰かが話しているのを聞いたのだろうか?だが、ここで動揺して見せるわけにはいかない。そもそも、城壁があろうがなかろうが、このバスは襄樊の駅のすぐそばまでいくはずだ。中途半端なところで下車してしまっては、それこそ現在位置がつかめなくなる。この際、黙ってこらえよう。わかった、わかったと手で合図をしてZを黙らせ、バスの前方を目で追い続けることにした。
   
 18:30、バス停車。「襄樊」駅に着いたと言われるが、周囲が暗くて駅の方向がわからない。バスが停車したのは、一応、バス・ステーションのようだ。蟻のように群がってくるタクシーの運転手を無視して、バスの進行方向に向かって歩くことにした。
 
 十数メートル歩いたところで、Zが「駅よ。駅、『襄樊』駅よ」と声を大きくした。(どこだ?)と私がキョロキョロしていると、「前よ、前!」とZががなり立てる。
 「前?」。
 前方を見るが、真っ暗で何もない。
 「ないよ?どこにあるの」
 「前よ、見えないの?」
 うーん、おっ、確かに建物がある。でも、「襄樊」という看板が出ていない。中国の列車の駅には必ず駅名をかたどった大きな看板が出ているものだ。確かに、建物の形は駅舎にそっくりだ。だが、看板がないのはどうだろ。駅とは認められないよ。
 「本当に駅かな~」と疑問の声を上げる私。
 「駅よ、駅に決まってるでしょ」
 「でも、看板がないよ。『襄樊』って書いてない」
 「えっ?」
 「俺は看板のない駅は見たことがないぞ」
 「・・・でも、あれは駅よ」
 「うーん、まぁ、そうだな(工事中かもしれないしな)」

 ちょうど「報亭(新聞や雑誌を売る道路脇の簡易小店)」が目に入ったので、そちらに歩みよる。
 「どこ行くの?」と私の背中に向かって叫ぶZに「地図を買うんだ」と説明する。「地図・・・」。仕方ないわねという様子で後をついてくるZ。このパターンでは間違いなく、Zはハラペコだ。相当凶暴になっている。「地図買ったら、その辺のレストランに入ろう」となだめるが、却って焦る気持ちを誘ったらしく、Zは私を追い抜いて「報亭」にたどり着き、「地図ください」と店員に声をかけた。
 代金を支払って、小さな地図を受け取る。「他の地図はないのか?」と質問をすると、店員は「大きなのもあるよ」ともう一枚取り出してきた。「それもくれ!」と代金を支払う。小さいのは、4RMB。大きいのは5RMBだった。「両方とも買うの?」とZは不満げだったが、相手にせず、さっさと「報亭」を離れた。

 「今度はどこに行くの?」とZの声はすでに詰問調だ。
 「レストランだよ、さっきバス・ステーションからこっちに歩いて来るとき、お店があっただろ」
 「〇〇(私の名前)と食事をするのは大変なのよ。あそこは駄目、ここは駄目とかなかなか決まらないし」
 「ほら、そこ、そこ」
 『一品香』と看板を掲げたファミリーレストラン風のお店を私が指差す。
  「けっこう美味しそうな料理を出してくれそうだよ」
 「食べてみなきゃわからないわ」
 Zはツンとして言ったが、私の気が変わらないうちにと思い直したらしく、先に立って店内に入っていた。

   店内は綺麗で、安心して食べられそうな雰囲気だ。1Fは客が多かったので、2Fに上がって食べることにした。
 テーブルに着くと、さっそく注文。よほどお腹が空いていたのだろう。Zは私が手にしていたメニューを奪って、3品注文した。豆腐料理と肉料理と野菜料理の三品だ。肉料理は、またもや「回鍋肉」。湖北に入ってから、毎度のように「回鍋肉」を注文している。脂身が多いのでZは大嫌いなはずなのだが、どうしたのだろう。
 「なんだか、ここ数日『回鍋肉』ばかり注文してないか?」
 ウェイトレスが去るのを待って、私が尋ねる。
 「だって、〇○(私の名前)は『回鍋肉』が好きでしょ」
 「好きには好きだけど、毎度毎度じゃ嫌になっちゃうし、胃がもたないよ」
 「だって、『宜昌』で、私が『回鍋肉』は嫌だって言ったら『俺にも注文させろ』と怒ってたじゃない」
 「いや、怒ってはいないよ。それに、いくら好きでも毎日、毎日、『回鍋肉』は食べられないよ。肉料理は他にもあるんだから、毎度『回鍋肉』を選ぶ必要はないだろ」
 「・・・わかったわよ」
 なるほど、『宜昌』に着いて二日目の夕食時に、料理の注文時に軽い言い合いになったことがあった。それが原因だったのか。私は、その時に食べた料理から、(湖北料理の味は俺の好みじゃないなぁ)と判断して、その後の食事では注文をZに任せることが多くなったのだが、それがアダとなって毎度のように『回鍋肉』を注文されるはめになったわけだ。やられた。

 料理が来るまでの間、購入したばかりの地図で現在地の確認をすることにした。テーブルの上に地図を広げ始めると、Zが「食事が終わってからにしなさいよ」と私をとがめる。私の大切な料理を置く場所を占領しないで!と言いたそうな様子だ。「でも、食事が終わってからだとテーブルが汚くなっていて地図が広げられないし、疲れているから、食事が終わったら、さっさとホテルに行きたいだろ」と反論すると、「わかったわよ。いいわよ」と引き下がった。

 まず大きな地図を広げてみる。線路をたどっていくと、すぐに「襄樊」駅が見つかった。城壁のある街もすぐ見つかったが、駅から歩いて行ける距離ではなさそうだ。さて、どうしたものか?小さな地図の方も広げてみる。意外にも、小さな地図の方が市街を中心に拡大された表示がされていて、見やすい。ホテルの広告にも目を通してみるが、外観を描いた絵しかなく、どんなホテルであるかわからない。
 そこで、大きな地図を広げなおして、ホテルの広告を探してみる。こちらの広告では、ホテルが絵ではなく、写真で紹介されていて、比較的わかりやすい。さらに、その中で一軒だけ建物の外観ではなく、ロビーの写真が掲載されているホテルがあった。「長虹大酒店(ホテル)」と書いてある。
 説明文を読むと、三ツ星クラスのホテルのようだ。問題は、なぜ建物全体の写真ではなく、ロビーの写真を掲載しているかだ。やはり、外観よりも内装に自信があるからそうしているのだろう。ロビーの写真も、ボンヤリとしてはおらず、くっきりと写っている・・・。今までの経験からすると、紹介の写真がくっきり写っている場合には実際の内装もそれに近い。一方、写真がぼんやりしている場合には、写真と実際の差が激しく老朽化が進んでいる場合が多い。「携程旅行網」で紹介されているホテルも、築年数が短いほど、写真がはっきり写っている。
 そうは言っても、あくまで傾向であって、例外があるのは避けられない。悩みどころだ。宿泊料があまり高いのも困るし・・・。だが、こうしていても仕方がない。電話で確認するとしよう。

 「Z。このホテルに電話をして料金を聞いてみてよ」
 「やだ」
 「何で?」
 「どうして○○(私の名前)が自分でやらないのよ」
 「俺がやってもいいけど、(中国語だから)余分な時間がかかるだろ」
 「ホテルに電話するのは嫌なのよ。たらい回しにされたりするし、声もよく聞こえないし~」
 (だから、お前に頼んでいるだろーが。聞き取りが簡単だったら、自分でやるよ!)と言いたかったが、ぐっと我慢する。一旦、嫌だとなると怒鳴りつけでもしない限り言うことを聞かないだろうし、確かにホテルへの電話は面倒なことが多いからだ(面倒だから頼んでいるわけだが・・・)。こういう時はゴネルより、ささっと片付けてみせて、Zの負けん気を誘い出しておいた方が次回に繋がる。携帯電話を開けて、ホテルの番号を押していく。Zは少し当てが外れたような顔をして、こちらを眺めた。

 「はい。長紅大酒店(ホテル)です」
 「スタンダードのダブルの部屋の料金を知りたいんだけど・・・」
 「はい。ただ今キャンペーン中で、通常一泊328RMBのところ、228RMBとなっております」
 おおっ、一発で通った。ラッキー!心の中で胸を撫で下ろす。聞き取れず、Zにバトンタッチという好ましくないパターンを避けることができそうだ。余裕ができたので、一応値切ってみる。
  「もう少し安くならないの?」
 「ただ今キャンペーン中で、3割引で228RMBとなっています。一番安い料金なので、これ以上は・・・」
 (まぁ、あとは部屋の内装次第だな)
 「わかった。じゃあ、検討するよ」と伝えて電話を切る。

 料理が少しずつ到着。メインの肉料理はハズレ。味付けは良いのだが、肉が固すぎる。歯にぐっと力を入れても噛み切が困難だ。胃が消化し切れるか不安で料理に手が伸びない。Zとも同様らしく、料理はほとんど手がつかず残ってしまった。それでも、野菜料理が美味しかったので、それなりに満足して食事終了。

 19:10、タクシー乗車。「襄樊」のタクシーは初乗り2RMB。Zはびっくりして、「安いわねぇ」と声を上げる。私としては、「安い」なんて台詞はできれば心の中にしまっておいて欲しいのだが、あまりうるさく言っても頭の中に入らないだろうから、今回は黙っておくことにした。深センの初乗りは12RMBを超えるから、ここのは6分の1の料金だ。驚くのも無理はないところか・・・。

 「ここから飛行場までどのくらいかかるの?」
 走り出して、しばらくしてからZが運転手に尋ねた。おおっ、珍しく有益な質問をしてくれた。
 「30分ぐらいだよ」と運転手が答える。
 飛行場まで30分か。これから行く「長紅大酒店」がいいところなら、ずっとそこでも構わないな。行き先に関する質問をするということは、土地勘がないことを白状するようなものだから、私一人の時はあまりやらない。だが、明日の予定もあるし、もう一つ教えてもらおう。
 「『樊城』まではどのくらいかかるの?」
 「20分ぐらい」
 「料金は?」
 「15RMBぐらいだよ」
 これなら、バスがなくてもタクシーで行ったり来たりできる。あとは、「長紅大酒店」が納得できるレベルのホテルであることを祈るのみ。

 19:25、ホテル到着。夜も遅くて面倒だったが、念のため部屋の下見をする。宜昌で泊まったホテルの部屋より、わずかに劣るレベルだ。だが、そもそも料金がぐっと安いし、部屋も広い。満足してチェックイン。

 今回の湖北旅行も、この「襄樊」が終点。冬場はそんなに観光できる場所もないので、一日ぐらい余りそうだ。ずっと駆け足できたから、ここではゆっくり過ごすとしよう。

2006年2月2日

  7:50、起床。窓から外を眺めると、雨模様だ。だが、歩行者は傘をさしていないのですでにやんでいるのかもしれない。

 8:20、ホテルで朝食。今回の旅行で初めての朝食付。簡単な餃子やマントウが出るだけだが、作りたてを出してくれるので、美味しく食べられた。

 9:20、ホテルを出る。まずは、銀行探し。予定していたより、旅行日程が延びたため現金不足となってきたからだ。昨日、地図で調べておいたホテル近くの銀行に行くことにした。
 普段深センで使用している香港の銀行カードを入れてみるが、ネットワークエラーが表示され使用不可能であった。最近、深センでも特区外では使用できなくなっていたので、もしかしたらと思っていたら、本当にその通りになってしまった。幸い、電話料金支払専用に使用している深センの銀行の口座にまだお金が残っていたのでそれを下ろして、とりあえずは現金不足を解消することができた。

 10:00、バス乗車。517号線に乗って「樊城」の真中にある「十字街」というところまで行く予定だったが、517号線がなかなか来ない。
 「13号線に乗ろうよ。さっきからたくさん通っているわ」とZが言う。
 「でも、『十字街』に行かなきゃならないんだ」
 「13号線でも行けるわよ」
 「本当かよ?」
 「本当よ。さっき、そう書いてあったわ」
 13号線ならさっきから何度もやってきている。半信半疑で待っていると、再び13号線のバスがやってきた。迷わず乗り込むZを横目で見ながら、バスの入口のそばに貼られているプレート上のルート表示板にさっと目を通す。確かに「十字街」と書かれている。慌ててZの後を追ってバスに乗り込んだ。

 「樊城」までバスで1RMB。タクシーで行くことも考えていただけに、ずいぶん安く感じられる。地図で見る限り、明日観光を予定している「古隆中」までもバスで行けそうだ。ホテルの位置は、若干辺鄙なところにあるが、これなら不便はない。「襄樊」では最終日まで、このホテルで過ごすとしよう。

 10:12、「十字街」到着。城壁に囲まれた街「樊城」の真中にある十字路に位置する場所だ。だが、ガイドブックに書いてあったような古代の街並みはどこにもない。中国のごく普通の商業街の光景が広がっているだけだ。
 「あれっ?普通の街並だねぇ」
 「○○(私の名前)、間違えたんでしょう」
 「いや、地図で確認したんだから・・・。そうだ。確か北街って書いてあったぞ。ちょっと待って・・・」
 道の脇に寄って、地図を広げ方角を確認する。あった、あった、通りを反対側に渡ってまっすぐに行けば、北街だ。Zに伝えて一緒に道路を渡る。

 北街の入り口付近は、普通の町並みだ。だが、正面に迫力のある大きな縄文がどっしりと据えられているのが見える。あの向こう側にガイドブックに掲載されていた古い街並みが広がっているわけだ。胸の中で期待が膨らむ。

【樊城北街 - 1 -】

 

 ところが城門の入口のところまできて、期待は失望に変わった。入口のすぐ上に大きな広告プレートが埋め込まれていて、城門自体を広告塔のようにしてしまっている。その上、城門の通路の中はテナントだらけ・・・。城門を維持するのに補修費やら何やらかかるのだろうが、商業化もほどほどにして欲しい。幸い、城門全体は、重厚感溢れるような造りになっていて、遠くから見るだけなら、なかなかのものだ。

【樊城北街 - 2 -】

 

 城門を抜けると、古い街並みがまっすぐに伸びている。雲南省麗江のようにお店が土産物屋だらけということはなく、ごく普通の商店街となっているようだ。観光地としての役割よりも、市の商業街としての役割の方が強いのだろう。そのせいもあってか、せっかくの古代風の造りが生かされておらず、各店の看板プレートなどはごく普通のお店のものと同じだ。なかには、建物全体を作り変えてしまって、すっかり現代風になってしまっているお店もあった。

 

【樊城北街 - 4 -】

 

 十字路の一つに差し掛かったところで、露店発見。ゴマを混ぜて小麦粉を練って、中身に餡を入れて焼き上げている。一個0.5RMB。さっそく一つ買って食べてみる。なかなかの美味しさだ。おやつにはちょうどいい。

【樊城北街 - 5 -】

 

【樊城北街 - 6 -】

 

【樊城北街 - 7 -】

 

 10:40、川沿に面している北門に到着。3RMB(/人)を支払って、城壁に上る。城壁の上にある砦の中は展示場になっていて、清の末期と思われる時代の写真(?)やら絵がたくさん飾られている。死刑執行をとった(描いた)ものが多く、残虐に身体が震える。肉体をちぎり取っていく刑などはずっと見ていたら、夢に出てきそうであった。良かった、生まれたのが現代であって・・・。

【樊城北街 - 8 -】

 

【樊城北街 - 9 -】

 

【樊城北街 - 10 -】

 

【樊城北街 - 11 -】

 

【樊城北街 - 12 -】

 

【樊城北街 - 13 -】

 

【樊城北街 - 14 -】

 

【樊城北街 - 15 -】

 

 展示場を出ると、城壁の上を川沿いに西に向かって歩いていく(東側は行き止まり)。数十メートルほどあるいたところで城壁の西端に着くが、そこに一つの像がある。この像は、前秦の攻撃から「襄陽」を守るのに大きな功があった、(当時の守将の母である)韓婦人だということだ。韓婦人が指揮をしてこの辺りに小さな城を作って(一時的にではあるが)敵を追い返したらしい。

【樊城北街 - 16 -】

 

 城壁の上を歩けるのはここまで。南に向かう城壁は閉ざされていて、歩いていくことができない。川沿いの風景を眺めながら、北門まで城壁の上を歩いて戻る。

【樊城北街 - 17 -】

 

【樊城北街 - 18 -】

 

【樊城北街 - 19 -】

 

【樊城北街 - 20 -】

 

 城壁を降りて十字路へ向かう。先ほどは通った時は気づかなかったが、屋根の瓦の上にたくさんのゴミが放って置かれたままになっている。真っ黒な瓦の上にあるので余計に目立つ。この街並みからすると、古風な家は昔からのものというよりも、近代になって建てられたようだ。きっと、政府からトップダウンで指示されて急遽古い街並みが再構築されただけで、住民たちは天から突然新しい建物が降ってきたぐらいにしか考えていないのかもしれない。やはり住民主導でないと、日常のメンテナンスにまで考えが及ばないのだろう。じゃあ、大理や麗江はどうなんだと言われると、・・・わからない。大理や麗江の場合、もともと本物の歴史があるから、観光地としての気合のいれようが違うのだろうか?

(帰宅後、インターネットで調べると、樊城北街の古い街並みは、1993年に第一回諸葛亮文化節と全国歴史文化名城会の開催に合わせて建設され、その後、2002年にも街の繁栄のために改造が加えられたらしい。比較してみるために、日本で有名な飛騨高山の古い町並みの歴史を調べてみた。高山の古い町並みは1588年に城主の金森長近が京都を手本に原形を作ったものだそうだ。そして、1960年代に入ると住民たちによる保存会が結成され、1970年代に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、現在に至る。400年前以上の歴史だから、ちょっと比較の対象にならない。もっとも、日本にも失敗した古い町並みはたくさんあるそうだから、樊城北街が特に悪いとは言えないのだろう)。

  11:30、十字路まで戻る。角のところでオープンしているマクドナルドで昼食をとることにした。お昼近くとあって、すでに客でいっぱいだ。なんとか席を確保して、食事を始める。
 「これ何?」とZがスクラッチカードを指差す。カウンターでもらってきたものだ。
 「宝くじみたいなものだよ。そのグレイの個所を硬貨でこするんだ。そうすると文字が出てくるから」
 「何が当たるの?」
 「ポテトとか、ハンバーガーとかだと思うけど・・・」
 「やっていい?」
 「いいよ。もちろん。硬貨もってる?」
 「あるわ」
 興味津々の様子である。そう言えば、中国ではスクラッチカードを見ることがあまりない。スクラッチ式の宝くじもあるようだが、あまり数は出ていないようだ。製作コストが高すぎるためだろうか。

 「○○(私の名前)、見て、見て」
 Zがスクラッチカードのこすった部分をやや興奮気味に示す。
 「おっ、ハンバーガーじゃないか」
 「これ、どうするの?」
 「カウンターにこれ渡せば、ハンバーガーがもらえるんだよ」
 「じゃっ、もらってくる」
 Zは、私と違ってくじ運がいい。私は全くと言っていいほどくじに当たらない人間だが、Zはサイフやらお皿やら、デパートで時々やっているレシートをもとにしたくじでいろいろもらってくる。いつもやっているナンバーズもZに買ってもらったほうが当たりやすくなるかな?
 Zがハンバーガーをもらってくるのを待って、出発。

 次の目的地は「緑影壁」だ。それほど遠くなさそうなので、地図を頼りに南の方角へ歩いていくことにする。南側の道路は、北街のように古い街並みとはなっておらず、普通の商店がぽつりぽつりとある程度だ。途中で雨が降ってきたので、商店で折畳み傘を一つ購入し、雨粒をしのぎながら歩いていく。

 12:20、「緑影壁」に到着。5RMB/人を払って入場した。 

【緑影壁<1>】

 

  「緑影壁」は、明の元年に官邸の中に造られた。明末、李自成は明を滅亡に追い込んだが、呉三桂が満州族についたことをきっかけに北京を追われ、襄陽にたどり着いた。その時にこの官邸を焼き払ったが、 「緑影壁」だけがなんとか残ったということだ。数年前、中国で人気を博した「康煕王朝」で康熙皇帝を苦しめた呉三桂がこんなところに関係してくるとは意外だった。歴史はつながっているのだなぁとしみじみ。「緑影壁」は全てをみてきたというわけだ・・・(李自成はその前に立ったのだろうか?)

【緑影壁<2>】

 

【緑影壁<3>】

 

 「緑影壁」の正面の建物は、ドアが鍵で閉じられ中に入ることができない。Zが「来て来て!」とうるさいので、そちらの方に行ってみると、窓から部屋の中を指差し、「ほら、骨董品がたくさんあるわよ」と耳打ちしてきた。部屋の中を覗くと確かに壷やら石やらがたくさんある。きっと、年に何回かは展示会でも開くのだろう。しかし、チケット売り場には母娘らしい二人がいるきりだったから、大して値打ちはなさそうだ。

【緑影壁<4>】

 

【緑影壁<5>】

 

 

【緑影壁<6>】

 

 「緑影壁」を出ると、今度は「仲宣楼」へ向かう。雨は降っているが、それほど強くない。

 途中、石畳の歩道に電話局の名称を彫ったマンホールが設置されているのに気づいた。「Z!ホラッ、マンホールに広告が彫られているよ」と私が教えると、「そうね。さっき、大極の絵のもあったわよ」とさらりと答えた。「えっ、どこどこ?」。慌てる私。「ついさっきよ」。「じゃっ、戻ろう!」。「いやよ。面倒臭いもの」。
 「面倒?・・・、ほら、ホームページに載せなきゃならないから」。Zは、どういうわけか、同じ道を戻るのをやたら嫌がるのだ。しかし、私がホームページに寄せる情熱は理解してくれている。「ホームページ」という言葉でZはしぶしぶ道を戻ることに同意した。

 十数メールほど戻ったところに、太極マークのマンホール発見。うーん、見事な図柄だ。武当山のふもとの街にはこんなマンホールはなかった(と思う)のに、なぜ樊城に?Zよ。よくぞ、こんな珍しいものを見つけてくれた!  

【太陰大極図のマンホール】

 

 地図で道を辿りながら、住宅街へ入り込んでいくと、南側の城壁が見えてきた。東南の方角に目を走らせていくと、城壁の角のところに小さな楼閣がある。あれが、「仲宣楼」だろう。すぐ手前には、中国式将棋の駒と盤を模して造った広場があり、中央に大きな彫像が立っている。仲宣楼」は「王粲」という人物を記念して建てられたそうなので、恐らくその人物の像だろう。「王粲」はもともと名門の出身で、17才になる前には洛陽や長安に住んでいたのだが、董卓の乱が起きたために、逃れて劉表を頼り、当時の襄陽に身を寄せたとのことである。外見が見劣りしたために、劉表には重用されず、長い不遇の日々を過ごしたのだそうだ。
 そうした日々の間、度々楼閣に登り、「登楼賦」という有名な作品(詩の一種)を残す。その後、劉表の後を継いだ劉琮が曹操に降伏(王粲が降伏を勧めたとされる)のもすると、曹操に重用されるようになり、文官として力を揮い始めたとのことである。

【仲宣楼<1>】

 

 楼閣のそばにある石段を登って、城壁の上にあがる。楼閣の中を見たかったが、男女二人がひっそりと逢引を楽しんでいるようだったので、近づくのを断念して、城壁から周囲を眺めるだけに留めた。

【仲宣楼<2>】

 

【仲宣楼<3>】

 

【仲宣楼<4>】

 

u

【仲宣楼<5>】

 

 城壁から下りると、すぐそばの門を抜けて、川沿いに出る。城壁と川に挟まれるようにして、枯木立が並んでおり、その中を石畳の散歩道が通っている。西欧のお城の庭を歩いているのと錯覚しそうなぐらい美しい景色だ。樊城では、ここが一番綺麗なのではないだろうか。

【仲宣楼付近<1>】

 

【仲宣楼付近<2>】

 

【仲宣楼付近<3>】

 

【仲宣楼付近<4>】

 

 しばらく散歩を楽しんだ後、タクシーに乗車。「米公祠」へ向かう(10RMB)。タクシーの運転手は橋を渡って対岸に出て、しばらく走った後、「『米公祠』のどちらが側につけるんだ?」と尋ねてきた。「正門側だ」と答えると、「正門側はどっちだ」と妙なことを問い返してくる。(これは『少しでも遠回りしよう』作戦か?)といらいらしたが、どうしようもない。幸い地図で位置を確認してあったので、河岸に接した通りにあることがわかっている。
 「河のそばにあるから、多分、河側のほうだろう」と言うと、「わからない」と答えが返ってきた。「とにかく、そっちへ行け!」と指示をする。運転手は無言で、車を河岸側に回して無事「米公祠」に到着。「襄樊」のタクシーは深センと比べると格段に安いので、遠回りされてもあまり苦にならないが、こういうことがあると、(何であんなことを言ったんだろう?本当に知らないのか、それともわざと遠回り・・・)と疑問が後を引いて気分が悪い。まぁ、運転手も生きるために必死なのだろうからなぁと考えて、気持ちを切り替えて門の脇にあるのチケット売り場でチケット購入をする。チケット代は20RMB/人と小さな観光地の割に高い(春節割引はないのか?と尋ねてみたが、「学生や老人の割引はあるけど・・・」と断られた)。

【米公祠<1>】

 

   チケットを購入して振り返ると、Zが「ほら、雪が降ってきたわ」と呼びかけてきた。
 確かに白いものが降ってきている。じっくり見てみると、雪というよりも霰だ。
 「これは雪じゃないだろう」
 「雪よ」
 うーん、「霰」って中国語で何て言うんだっけ?雹なら覚えているんだが・・・。
 反論を諦め、Zと一緒に「米公祠」の中へ入っていった。

【米公祠<2>】

 

 「米公祠」は、宋時代の有名な「米芾」という人物を記念して建てられたということである。様々な才能に秀でていたが、特に水墨画家として知られているようだ。敷地は表から想像するよりも広く、展示物も多い。足早に見て回っても、30分近くかかった。

【米公祠<3>】

 

【米公祠<4>】

 

【米公祠<5>】

 

【米公祠<6>】

 

【米公祠<7>】

 

【米公祠<8>】

 

【米公祠<9>】

 

【米公祠<10>】

 

 13:50、「米公祠」を出て、河沿いを歩いていく。ホテルに戻りたかったが、全然タクシーがつかまらない。その上、水溜りが多いので、私の靴に雨水が染み込んできた。徐々に体が冷えてくる。

 14:10、ようやく橋のたもとに到着。この道をまっすぐ行けばホテルに到着だ。しかし、相当な距離がある。靴の中はすでに水でビチャビチャ。歩くたびに、靴の中で水が波を打っているのがわかる。

 14:30、スーパーの前を通りがかったので、ここで運動靴を購入。ついでに靴下も買って、履き替えた。ようやく人心地がついた。ビチョビチョになった革靴とは、(一応、ホテルまでは持っていくが)この地でお別れになりそうだ。あちこちへ一緒に旅行をした。今まで、どうもありがとう。

  14:50、バス乗車。ホテルまでは歩いて5分ほど距離だというのに、Zが「もう疲れた」を連発し、半ば強引にバスに乗車した。ところが、欲をかいてホテルのそばギリギリで下車しようとしてタイミングを間違えた。バスはホテルを通り過ぎて、どんどん進んでいき、下車できたのはホテルまで徒歩で十分間はかかる場所だった。「なんだよー、歩いたほうが近かったじゃん」とZをなじるが「まぁ、そういうこともあるわよ」と苦笑いをしてかわされた。

 15:10、ホテル着。たった一台しかないエレベータが故障中。やむなく階段を登って部屋まで戻った。安いし、綺麗で、便利と良いとこ尽くめのホテルだったが、エレベータが少ないのが欠点だ。

 シャワーを浴びてから、ベッドの上でぐったりとして横になる。へとへとだ。足も痛いし・・・。そうだ、足マッサージへ行こう!2時間ほど休んで少し元気が出た私は、テレビ鑑賞に忙しいZを部屋に残して足マッサージに出かけた。

 最近はどこに行っても、足マッサージ屋があるような気がする。だが、深センに比べると、内陸の足マッサージ屋は値段が若干高めである。その分、真面目に仕事をしてくれる。半分うたた寝をしながら、マッサージ終了。

 18:30、ホテル着。Zはまだテレビ鑑賞に熱心だ。私はやることがないので、帰り道に買ってきた中国語の小説を読む。中国の小説は、けっしてつまらなくない。けっこう面白いものもあるのだが、何しろ、中国語・・・。全部漢字なので、娯楽というより、勉強になってしまうのが弱点だ。

 20:15、タクシーに乗って食事へ出発。運転手に勧められて、火鍋のお店に行くことになった(5RMB)。

  タクシーから下車して店の中に入ろうとすると、店員に呼び止められた。
 「何名様ですか?」
 「二人」
 「すみません。もう、今日は材料がなくなりまして・・・」
 人数を聞いといて断るのかよ。中国ではよくあることだが、腹が立つ。しかし、怒っても仕方がない。幸い、隣にも火鍋の店があり、結構繁盛している。Zも同意したので、そちらで夕食をとることにした。
 今日は、魚の火鍋にしよう!ということで話を進めていたのだが、メニューをみてごちゃごちゃやっているうちに、陶器の鍋で魚を食べることになってしまった。さらに話を聞くと、残ったスープを使って、さらに火鍋を楽しめる2段構えの料理なのだそうだ。

 最初に来たのが中華薬材系のスープの魚煮込み。魚系のスープは普段ほとんど口にすることがないので新鮮だ。こんなにたくさん食べて、次の火鍋なんか食べられるのかなぁ?と心配になるが、魚はあまり腹にもたれないので、いけそうな感じだ。

【夕食<1>】

 

 瞬く間に魚スープを平らげると、店員が来て、陶器の鍋を下げていく。しばらくして、中央に唐辛子のスープ、周囲にさきほどの魚のスープが入った鍋が運ばれてきた。唐辛子と魚のスープはステンレスの仕切りで区切られている。

【夕食<2>】

 

 ここからは普通の火鍋と同じ。牛肉やら野菜やらを入れて、鍋を楽しんだ。

【夕食<3>】

 

 食事が終わると、タクシーでホテルへ戻る(2.9RMB)。明日は三国志で有名な「古隆中」行きだ。しかし、今日はずいぶんと強行軍だった。若干体調を崩しつつある感じだ。まぁ、ここまで来たら、明日を乗り切ることだけを考えよう。

2006年2月3日

  昨日と同様、ホテルで簡単な朝食をとり、出発(9:15)した。
 すぐにバス(13号線)に乗車する。

 9:30、「樊城」中央の十字街で下車し、512号線のバスに乗り換える(9:40)。

 相当な距離がある。Zが「バスって安いわよねぇ。たった数RMBでこんなに遠くまで来れちゃうんだもの」と無邪気な感想をもらす。

 10:05、隆中着。バイタクがずらりと並んでいる。バスを降りた途端に運転手たちが集まってきて、そのうちの一人が半ば強引に私の手を引っ張っていく。
 (おい、おい)と思っていると、運転手が「1RMBだから。古隆中まで1RMBだから。けっこう遠いんだぞ」と必死である。せっかくバスでやってきたのだから、ここからは歩いて行きたいところである。しかし、Zが「1RMBだって。安いからいいじゃない」と提案してきた。「遠い」という言葉に反応したようである。やむなく同意して、バイタクに乗車した(1RMB)。

【古隆中近くの駐車場】

 

 10:09、「古隆中」前までは、予想以上に遠く、バイタクで来て正解だったかもしれないと思わせた。バイタクを降りると、雪がちらちらと降り始めている。道理で寒いわけだ。
 入場料は一人40RMB。外から見る限りはショボイ公園のようだが、なんと言っても三顧の礼を象徴する場所である。これぐらいの入場料はやむ得ないところだろうか。

【古隆中<1>】

 

 門を抜けてすぐのところに、観光用電気自動車が数台停まっている。
 「50RMB、全部の見所を回って50RMB!」とスタッフが声をかけてきた。
 こういうところは、歩いて回るのが楽しいのだよ。無視して先へ進もうとすると、値下げをしてきた。「30RMB!30RMB!」。Zが「30RMBだって・・・」と私の肘を引っ張る。「30RMBでも、駄目なものは駄目!」。Zはあまり歩くのが好きではないのだ。もっとも、歩くのが好きな人にあまりあったことがないが・・・。
 「ワタシハ、ビョウキデス」。Zがどこかで-多分日本のドラマだろう-覚えた日本語で訴え続ける。「○〇(私の名前)サンハ、ワタシヲ、ギャクタイ、シテイマス」。どこで覚えたんだ、そんな単語?相手にせず、歩き続ける。名残惜しそうに何度も後ろを振り返るZだった。

【古隆中<2>】

 

 「古隆中」は孔明が17歳から27歳までの間、隠棲していた場所だそうだ。その後、有名な「三顧の礼」で劉備に軍師として迎えられることになったというわけだ。ここが!ここが、あの「三顧の礼」の土地だ!!
 横山光輝の漫画「三国志」、吉川英治の小説「三国志」、光栄のゲーム「三国志」シリーズ。世界史の教科書の中にだって説明があったと思う(覚えてないけれども・・・)。その全てがここから生まれたのだ。
 正直言って、「古隆中」と銘打ってあるものの、ただの公園だ。それもあまり手入れが行き届いていない。潔癖なイメージのある孔明が暮らした場所なのだから、整備だけはきちっとしておいたら良いのに・・・。そう思わずにはいられないほどだ。
 しかし、深層意識の中に刻み込まれた、「三顧の礼」という言葉が公園の実態すら覆い隠して、感動を呼び起こさせるのだ。「三国志」に興味をもったことがある人ならば、誰でもそうなるのではないだろうか。

【古隆中<3>】

 

 「古隆中」の中にある建物は全て再建されたものだというから、実際に孔明が暮らした場所ではないだろう。それでも、孔明がこの地で10年の時を過ごしたのは間違いない。つまり、こうして歩いていれば、孔明が通り過ぎた空間と私が歩いている空間が確実に交差しているはずだ。うーん、感動だ!もしかしたら、劉備や換羽や張飛とも交差しているかもしれない。

【古隆中<4>】

 

【古隆中<5>】

 

【古隆中<6>】

 

【古隆中<7>】

 

【古隆中<8>】

 

 建物はあまり重要ではない。なにしろ、再建されたものばかりだし・・・。でも、土とかは価値があるよなー。ペットボトルに土を詰めて日本に持って帰ったら、喜ぶ友人もいるのではないだろうか。同級生に、熱烈な三国志ファンがいたっけなぁ。今頃何をしているんだろう?将棋がやたら強い奴だっけ。一緒に三国志のゲームをやっている時、私が疲労で眠りに落ちた隙に、勝手に私の国を操作をして奪い取ってしまうヒドイ奴だった。うーん懐かしい。 

【古隆中<9>】

 

【古隆中<10>】

 

【古隆中<11>】

 

【古隆中<12>】

 

【古隆中<13>】

 

u

【古隆中<14>】

 

【古隆中<15>】

 

【古隆中<16>】

 

【古隆中<17>】

 

【古隆中<18>】

 

【古隆中<19>】

 

【古隆中<20>】

 

【古隆中<21>】

 

u

【古隆中<22>】

 

【古隆中<23>】

 

【古隆中<24>】

 

  一応、観光マップのようなものはあるが、これを頼りに目的地に行き着くのは至難の業だ。だいたい、の感覚で、適当に歩き回って孔明の家やら何やらを回った。何しろ、元にあった位置とは関係なく再建されたものらしいので、どの建物も歴史的意義はほとんどない。それでも、ああ、こんなところで孔明暮らしていたのだろうかと思うと感慨深い。

  雪が降るほど寒いこともあって、他に観光客はほとんどいない。たまに電気自動車に乗った家族連れがすれ違うぐらいだ。雪がどんどん降ってくる。この調子だと明日はけっこう積もるのではないだろうか。

 孔明関連の建物の他に、いくつかアトラクションもある。その一つが小さな池を横切る人間ロープウェイ。それと、八卦陣迷路。どちらも、面白そうになかったのでやらなかった。子供連れだったら、それなりに楽しめるかも。

【古隆中<25>】

 

【古隆中<26>】

 

【古隆中<27>】

 

【古隆中<28>】

 

【古隆中<29>】

 

【古隆中<30>】

 

【古隆中<31>】

 

【古隆中<32>】

 

【古隆中<33>】

 

【古隆中<34>】

 

【古隆中<35>】

 

 12:15、「古隆中」を出る。意外に長く滞在した。電気自動車だったら、30分ぐらいで回れてしまったかもしれない。

   バス停までは歩いて行くことにする。それほどの距離ではないが、来るときはバイタクに乗ってきたので、思ったよりも遠く感じた。

 12:30、バス停着。停まっていたバスに乗車。バスを乗り継いで、街の真中へ出て下車した。食事時なので、Zがみるからにイライラしている。
 「あそこが美味しそうだわ!」
 道路の対面を指差してZが叫んだ。「一丁甜酒」と看板が出ている。「なんで美味しいってわかるんだ」。「だって有名だもの」。「有名?テレビかなんかでやってたのか」。「知らないわよ。たくさんお客さんが入っているし、きっと有名なのよ」。
 私の中国語力不足なのか、会話がかみ合っていない。まぁ、いずれにせよ、腹が減ったZを止める手立てはない。引きづられるようにして、中に入っていった。 

【襄樊の街中<1>】

 

 

 中は座る場所を探すのが大変なほどの混みようだった。なんとか席を見つけて注文する。「一丁甜酒」という名前にあるように、メニューには甘酒が入っていた。せっかくなので、料理と一緒に甘酒を注文した。どんな甘酒が出てくるのだろうと期待したが、薄味のジュースのような甘酒であまり美味しくなかった。その後、出てきた料理もそこそこといったところだ。大好きな干鍋鶏を頼んだが、鶏が油で揚げてあるタイプのもので、がっかりした。Zは満足だったのか、「美味しかったわね」とぼそっと言った。或いは、無理やり私を連れ込んだから、不味いとは言えなかっただけかもしれない。

【昼食<1>-襄樊-】

 

【昼食<2>-襄樊-】

 

【昼食<3>-襄樊-】

 

 食事が終わると、しばらく街を散策した。残念ながら、珍しい露店もなく、収穫はなし。徐々に体が冷えてきたので、タクシーに乗って駅前へ向かった。

【襄樊の街中<2>】

 

【襄樊の街中<3>】

 

u

【襄樊の街中<4>】

 

【襄樊の街中<5>】

 

【襄樊の街中<6>】

 

【襄樊の街中<7>】

 

【襄樊の街中<8>】

 

 14:40、駅前で会社の人たちへのお土産を購入。これで今回の旅はほぼ終わりだ。体調が崩れつつあるのが気になる。明日は、風邪か・・・。とりあえず、ホテルへ戻って休むとしよう。

 15:00、13号線バスに乗車して、ホテルへ向かった。

【襄樊の街中<9>】

 

 15:40、ホテル着。観光地を回り尽くして気が緩んだのだろう。体に力が入らない。近所の本屋で買った中国語の小説に読みふける。夕食は、ルームサービス(といっても、弁当のようなもの)で簡単に済ませ、その後はベッドの上でごろごろして過ごして終わり。もうクタクタだ。

2006年2月4日
 予想通り、風邪引いた。お昼だけ、無理をして、街中へ出て、昨日と同じ「一丁甜酒」で食事。あまりここでは食べたくなかったが、他に手ごろな店がなかったので仕方がない。
 食事が終わると、もはや歩けるような状態ではないと悟り、ホテルに退却。途中でお餅を購入。中国のお餅はもち米だけでなく、普通の米が混じっていて膨らまない場合が多いので、何度も何度も「もち米だけで作ってあるんだよな」と確認をしてお金を支払った。

【お餅】

 

 Zはテレビドラマを見ているだけでご満悦のようなので、今日は休憩日とするしかない。「樊城」も「古隆中」も行ったし、もう満足だ。明日、飛行機に乗れるだけの体力さえ取り戻しておけば良い。そう言えば、以前にアモイに行ったときも、最後の一日は体が動かなかったっけ・・・。あの時は、風邪を引いたわけでもないのに、体に全く力が入らなかった。ちょっと不思議な思い出だ。夕食は昨日と同様ルームサービス(弁当?)。

2006年2月5日
 8:30、ホテル出発。外は一面の雪。昨晩から降り始めた雪がずっと降り続いている。風邪は体の中で拡大しているようで咳が出始めた。しかし、昨日一日休んだおかげで体力は温存されている。これなら、深センまで持ちそうだ。

  しかし、タクシーがなかなかつかまらない。温存しておいた体力が削られていきそうだ。ようやくつかまえたタクシーも、100RMBなどとふっかけてきた。雪でこちらが困っているのをみこしているのだろう。よほど、妥協したかったが、意地を張って断った。
 2台目のタクシーがやってきて、70RMBと値段を出してきた。様子からすると、さっきのタクシーと無線で話していたようだ。これ以上、時間をつぶしていたら、飛行に間に合わなくなるかもしれない。やむなく同意して乗車(8:50)。雪足がますます速くなっている。これで飛行機は飛ぶのだろうか。

【飛行場にて<1>】

 

 9:25、空港到着。しかし、天候の問題で、飛行機の到着が遅れているらしく、出発は、午後になるということがわかった。しかも、12:00頃にならないと離陸の時間はわからないとのこと。
 空港ロビーは広く、暖房が行き届かず、ひどく寒い。ここでずっと待っていなければならないのか・・・。憂鬱になる。レストランとか喫茶店もないので、大変だ。少しでも暖かい場所を探して、ロビーをうろうろした末、カウンターのすぐ横に陣取った。Zがカップ・ラーメンを食べるというので、私も一緒に食べることにした。最近は、空港でカップヌードルというパターンが多いなぁ。しかし、冷える体を暖めるためだ。体裁がどうのと言っていられない。カウンターの反対側にあるお店で購入をし、二人で並んで食べた。一時的にではあるが、体が暖まりほっとする。

【飛行場にて<2>】

 

  しかし、カップヌードルの暖房パワーは長続きせず、再び体温低下の危機が訪れる。そう言えば、湖南省へ旅行した時も、こんなだった。ただあの時は暖房が効いた喫茶店があったから救われた。今回は暖房もなし。きつい。
 
 12:00を過ぎた頃、カウンターに尋ねに行くと、まだ飛行機はこないとのことである。もういいや、今日中に帰れれば・・・。やはり、地方の飛行場からの出発は問題が多いなぁ。Zと二人で二回目のカップヌードルを食べる。

【飛行場にて<3>】

 

【飛行場にて<4>】

 

 15:10、ようやく搭乗開始。この時間なら、なんとか今日中にアパートにたどり着けそうだ。

 午後6時過ぎ、広州に到着。
 18:45、リムジンバスに乗車。

 19:20、広州駅そば着。

 20:00、省バス・ステーションでバス乗車。

 22:00頃、アパート着。湖北旅行終了。十日間の長い旅が終わった。

 これで、「湖北省の旅」は終了です。この「襄樊探検記」と「宜昌・当陽探検記」と「武漢探検記」と「武当山探検記」はひと連なりになっていますので、ご興味のある方は是非他の探検記もご覧になってください。長らくお付き合い頂きまして、ありがとうございました。