7:50、起床。窓から外を眺めると、雨模様だ。だが、歩行者は傘をさしていないのですでにやんでいるのかもしれない。
8:20、ホテルで朝食。今回の旅行で初めての朝食付。簡単な餃子やマントウが出るだけだが、作りたてを出してくれるので、美味しく食べられた。 9:20、ホテルを出る。まずは、銀行探し。予定していたより、旅行日程が延びたため現金不足となってきたからだ。昨日、地図で調べておいたホテル近くの銀行に行くことにした。
普段深センで使用している香港の銀行カードを入れてみるが、ネットワークエラーが表示され使用不可能であった。最近、深センでも特区外では使用できなくなっていたので、もしかしたらと思っていたら、本当にその通りになってしまった。幸い、電話料金支払専用に使用している深センの銀行の口座にまだお金が残っていたのでそれを下ろして、とりあえずは現金不足を解消することができた。
10:00、バス乗車。517号線に乗って「樊城」の真中にある「十字街」というところまで行く予定だったが、517号線がなかなか来ない。
「13号線に乗ろうよ。さっきからたくさん通っているわ」とZが言う。
「でも、『十字街』に行かなきゃならないんだ」
「13号線でも行けるわよ」
「本当かよ?」
「本当よ。さっき、そう書いてあったわ」
13号線ならさっきから何度もやってきている。半信半疑で待っていると、再び13号線のバスがやってきた。迷わず乗り込むZを横目で見ながら、バスの入口のそばに貼られているプレート上のルート表示板にさっと目を通す。確かに「十字街」と書かれている。慌ててZの後を追ってバスに乗り込んだ。
「樊城」までバスで1RMB。タクシーで行くことも考えていただけに、ずいぶん安く感じられる。地図で見る限り、明日観光を予定している「古隆中」までもバスで行けそうだ。ホテルの位置は、若干辺鄙なところにあるが、これなら不便はない。「襄樊」では最終日まで、このホテルで過ごすとしよう。
10:12、「十字街」到着。城壁に囲まれた街「樊城」の真中にある十字路に位置する場所だ。だが、ガイドブックに書いてあったような古代の街並みはどこにもない。中国のごく普通の商業街の光景が広がっているだけだ。
「あれっ?普通の街並だねぇ」
「○○(私の名前)、間違えたんでしょう」
「いや、地図で確認したんだから・・・。そうだ。確か北街って書いてあったぞ。ちょっと待って・・・」
道の脇に寄って、地図を広げ方角を確認する。あった、あった、通りを反対側に渡ってまっすぐに行けば、北街だ。Zに伝えて一緒に道路を渡る。
北街の入り口付近は、普通の町並みだ。だが、正面に迫力のある大きな縄文がどっしりと据えられているのが見える。あの向こう側にガイドブックに掲載されていた古い街並みが広がっているわけだ。胸の中で期待が膨らむ。
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【樊城北街 - 1 -】 |
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ところが城門の入口のところまできて、期待は失望に変わった。入口のすぐ上に大きな広告プレートが埋め込まれていて、城門自体を広告塔のようにしてしまっている。その上、城門の通路の中はテナントだらけ・・・。城門を維持するのに補修費やら何やらかかるのだろうが、商業化もほどほどにして欲しい。幸い、城門全体は、重厚感溢れるような造りになっていて、遠くから見るだけなら、なかなかのものだ。
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【樊城北街 - 2 -】 |
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城門を抜けると、古い街並みがまっすぐに伸びている。雲南省麗江のようにお店が土産物屋だらけということはなく、ごく普通の商店街となっているようだ。観光地としての役割よりも、市の商業街としての役割の方が強いのだろう。そのせいもあってか、せっかくの古代風の造りが生かされておらず、各店の看板プレートなどはごく普通のお店のものと同じだ。なかには、建物全体を作り変えてしまって、すっかり現代風になってしまっているお店もあった。
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【樊城北街 - 4 -】 |
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十字路の一つに差し掛かったところで、露店発見。ゴマを混ぜて小麦粉を練って、中身に餡を入れて焼き上げている。一個0.5RMB。さっそく一つ買って食べてみる。なかなかの美味しさだ。おやつにはちょうどいい。
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【樊城北街 - 5 -】 |
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【樊城北街 - 6 -】 |
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【樊城北街 - 7 -】 |
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10:40、川沿に面している北門に到着。3RMB(/人)を支払って、城壁に上る。城壁の上にある砦の中は展示場になっていて、清の末期と思われる時代の写真(?)やら絵がたくさん飾られている。死刑執行をとった(描いた)ものが多く、残虐に身体が震える。肉体をちぎり取っていく刑などはずっと見ていたら、夢に出てきそうであった。良かった、生まれたのが現代であって・・・。
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【樊城北街 - 8 -】 |
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【樊城北街 - 9 -】 |
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【樊城北街 - 10 -】 |
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【樊城北街 - 11 -】 |
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【樊城北街 - 12 -】 |
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【樊城北街 - 13 -】 |
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【樊城北街 - 14 -】 |
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【樊城北街 - 15 -】 |
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展示場を出ると、城壁の上を川沿いに西に向かって歩いていく(東側は行き止まり)。数十メートルほどあるいたところで城壁の西端に着くが、そこに一つの像がある。この像は、前秦の攻撃から「襄陽」を守るのに大きな功があった、(当時の守将の母である)韓婦人だということだ。韓婦人が指揮をしてこの辺りに小さな城を作って(一時的にではあるが)敵を追い返したらしい。
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【樊城北街 - 16 -】 |
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城壁の上を歩けるのはここまで。南に向かう城壁は閉ざされていて、歩いていくことができない。川沿いの風景を眺めながら、北門まで城壁の上を歩いて戻る。
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【樊城北街 - 17 -】 |
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【樊城北街 - 18 -】 |
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【樊城北街 - 19 -】 |
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【樊城北街 - 20 -】 |
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城壁を降りて十字路へ向かう。先ほどは通った時は気づかなかったが、屋根の瓦の上にたくさんのゴミが放って置かれたままになっている。真っ黒な瓦の上にあるので余計に目立つ。この街並みからすると、古風な家は昔からのものというよりも、近代になって建てられたようだ。きっと、政府からトップダウンで指示されて急遽古い街並みが再構築されただけで、住民たちは天から突然新しい建物が降ってきたぐらいにしか考えていないのかもしれない。やはり住民主導でないと、日常のメンテナンスにまで考えが及ばないのだろう。じゃあ、大理や麗江はどうなんだと言われると、・・・わからない。大理や麗江の場合、もともと本物の歴史があるから、観光地としての気合のいれようが違うのだろうか?
(帰宅後、インターネットで調べると、樊城北街の古い街並みは、1993年に第一回諸葛亮文化節と全国歴史文化名城会の開催に合わせて建設され、その後、2002年にも街の繁栄のために改造が加えられたらしい。比較してみるために、日本で有名な飛騨高山の古い町並みの歴史を調べてみた。高山の古い町並みは1588年に城主の金森長近が京都を手本に原形を作ったものだそうだ。そして、1960年代に入ると住民たちによる保存会が結成され、1970年代に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、現在に至る。400年前以上の歴史だから、ちょっと比較の対象にならない。もっとも、日本にも失敗した古い町並みはたくさんあるそうだから、樊城北街が特に悪いとは言えないのだろう)。
11:30、十字路まで戻る。角のところでオープンしているマクドナルドで昼食をとることにした。お昼近くとあって、すでに客でいっぱいだ。なんとか席を確保して、食事を始める。
「これ何?」とZがスクラッチカードを指差す。カウンターでもらってきたものだ。
「宝くじみたいなものだよ。そのグレイの個所を硬貨でこするんだ。そうすると文字が出てくるから」
「何が当たるの?」
「ポテトとか、ハンバーガーとかだと思うけど・・・」
「やっていい?」
「いいよ。もちろん。硬貨もってる?」
「あるわ」
興味津々の様子である。そう言えば、中国ではスクラッチカードを見ることがあまりない。スクラッチ式の宝くじもあるようだが、あまり数は出ていないようだ。製作コストが高すぎるためだろうか。
「○○(私の名前)、見て、見て」
Zがスクラッチカードのこすった部分をやや興奮気味に示す。
「おっ、ハンバーガーじゃないか」
「これ、どうするの?」
「カウンターにこれ渡せば、ハンバーガーがもらえるんだよ」
「じゃっ、もらってくる」
Zは、私と違ってくじ運がいい。私は全くと言っていいほどくじに当たらない人間だが、Zはサイフやらお皿やら、デパートで時々やっているレシートをもとにしたくじでいろいろもらってくる。いつもやっているナンバーズもZに買ってもらったほうが当たりやすくなるかな?
Zがハンバーガーをもらってくるのを待って、出発。
次の目的地は「緑影壁」だ。それほど遠くなさそうなので、地図を頼りに南の方角へ歩いていくことにする。南側の道路は、北街のように古い街並みとはなっておらず、普通の商店がぽつりぽつりとある程度だ。途中で雨が降ってきたので、商店で折畳み傘を一つ購入し、雨粒をしのぎながら歩いていく。
12:20、「緑影壁」に到着。5RMB/人を払って入場した。
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【緑影壁<1>】 |
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「緑影壁」は、明の元年に官邸の中に造られた。明末、李自成は明を滅亡に追い込んだが、呉三桂が満州族についたことをきっかけに北京を追われ、襄陽にたどり着いた。その時にこの官邸を焼き払ったが、
「緑影壁」だけがなんとか残ったということだ。数年前、中国で人気を博した「康煕王朝」で康熙皇帝を苦しめた呉三桂がこんなところに関係してくるとは意外だった。歴史はつながっているのだなぁとしみじみ。「緑影壁」は全てをみてきたというわけだ・・・(李自成はその前に立ったのだろうか?)
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【緑影壁<2>】 |
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【緑影壁<3>】 |
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「緑影壁」の正面の建物は、ドアが鍵で閉じられ中に入ることができない。Zが「来て来て!」とうるさいので、そちらの方に行ってみると、窓から部屋の中を指差し、「ほら、骨董品がたくさんあるわよ」と耳打ちしてきた。部屋の中を覗くと確かに壷やら石やらがたくさんある。きっと、年に何回かは展示会でも開くのだろう。しかし、チケット売り場には母娘らしい二人がいるきりだったから、大して値打ちはなさそうだ。
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【緑影壁<4>】 |
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【緑影壁<5>】 |
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【緑影壁<6>】 |
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「緑影壁」を出ると、今度は「仲宣楼」へ向かう。雨は降っているが、それほど強くない。
途中、石畳の歩道に電話局の名称を彫ったマンホールが設置されているのに気づいた。「Z!ホラッ、マンホールに広告が彫られているよ」と私が教えると、「そうね。さっき、大極の絵のもあったわよ」とさらりと答えた。「えっ、どこどこ?」。慌てる私。「ついさっきよ」。「じゃっ、戻ろう!」。「いやよ。面倒臭いもの」。
「面倒?・・・、ほら、ホームページに載せなきゃならないから」。Zは、どういうわけか、同じ道を戻るのをやたら嫌がるのだ。しかし、私がホームページに寄せる情熱は理解してくれている。「ホームページ」という言葉でZはしぶしぶ道を戻ることに同意した。
十数メールほど戻ったところに、太極マークのマンホール発見。うーん、見事な図柄だ。武当山のふもとの街にはこんなマンホールはなかった(と思う)のに、なぜ樊城に?Zよ。よくぞ、こんな珍しいものを見つけてくれた!
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【太陰大極図のマンホール】 |
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地図で道を辿りながら、住宅街へ入り込んでいくと、南側の城壁が見えてきた。東南の方角に目を走らせていくと、城壁の角のところに小さな楼閣がある。あれが、「仲宣楼」だろう。すぐ手前には、中国式将棋の駒と盤を模して造った広場があり、中央に大きな彫像が立っている。「仲宣楼」は「王粲」という人物を記念して建てられたそうなので、恐らくその人物の像だろう。「王粲」はもともと名門の出身で、17才になる前には洛陽や長安に住んでいたのだが、董卓の乱が起きたために、逃れて劉表を頼り、当時の襄陽に身を寄せたとのことである。外見が見劣りしたために、劉表には重用されず、長い不遇の日々を過ごしたのだそうだ。
そうした日々の間、度々楼閣に登り、「登楼賦」という有名な作品(詩の一種)を残す。その後、劉表の後を継いだ劉琮が曹操に降伏(王粲が降伏を勧めたとされる)のもすると、曹操に重用されるようになり、文官として力を揮い始めたとのことである。
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【仲宣楼<1>】 |
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楼閣のそばにある石段を登って、城壁の上にあがる。楼閣の中を見たかったが、男女二人がひっそりと逢引を楽しんでいるようだったので、近づくのを断念して、城壁から周囲を眺めるだけに留めた。
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【仲宣楼<2>】 |
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【仲宣楼<3>】 |
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【仲宣楼<4>】 |
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【仲宣楼<5>】 |
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城壁から下りると、すぐそばの門を抜けて、川沿いに出る。城壁と川に挟まれるようにして、枯木立が並んでおり、その中を石畳の散歩道が通っている。西欧のお城の庭を歩いているのと錯覚しそうなぐらい美しい景色だ。樊城では、ここが一番綺麗なのではないだろうか。
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【仲宣楼付近<1>】 |
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【仲宣楼付近<2>】 |
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【仲宣楼付近<3>】 |
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【仲宣楼付近<4>】 |
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しばらく散歩を楽しんだ後、タクシーに乗車。「米公祠」へ向かう(10RMB)。タクシーの運転手は橋を渡って対岸に出て、しばらく走った後、「『米公祠』のどちらが側につけるんだ?」と尋ねてきた。「正門側だ」と答えると、「正門側はどっちだ」と妙なことを問い返してくる。(これは『少しでも遠回りしよう』作戦か?)といらいらしたが、どうしようもない。幸い地図で位置を確認してあったので、河岸に接した通りにあることがわかっている。
「河のそばにあるから、多分、河側のほうだろう」と言うと、「わからない」と答えが返ってきた。「とにかく、そっちへ行け!」と指示をする。運転手は無言で、車を河岸側に回して無事「米公祠」に到着。「襄樊」のタクシーは深センと比べると格段に安いので、遠回りされてもあまり苦にならないが、こういうことがあると、(何であんなことを言ったんだろう?本当に知らないのか、それともわざと遠回り・・・)と疑問が後を引いて気分が悪い。まぁ、運転手も生きるために必死なのだろうからなぁと考えて、気持ちを切り替えて門の脇にあるのチケット売り場でチケット購入をする。チケット代は20RMB/人と小さな観光地の割に高い(春節割引はないのか?と尋ねてみたが、「学生や老人の割引はあるけど・・・」と断られた)。
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【米公祠<1>】 |
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チケットを購入して振り返ると、Zが「ほら、雪が降ってきたわ」と呼びかけてきた。
確かに白いものが降ってきている。じっくり見てみると、雪というよりも霰だ。
「これは雪じゃないだろう」
「雪よ」
うーん、「霰」って中国語で何て言うんだっけ?雹なら覚えているんだが・・・。
反論を諦め、Zと一緒に「米公祠」の中へ入っていった。
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【米公祠<2>】 |
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「米公祠」は、宋時代の有名な「米芾」という人物を記念して建てられたということである。様々な才能に秀でていたが、特に水墨画家として知られているようだ。敷地は表から想像するよりも広く、展示物も多い。足早に見て回っても、30分近くかかった。
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【米公祠<3>】 |
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【米公祠<4>】 |
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【米公祠<5>】 |
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【米公祠<6>】 |
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【米公祠<7>】 |
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【米公祠<8>】 |
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【米公祠<9>】 |
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【米公祠<10>】 |
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13:50、「米公祠」を出て、河沿いを歩いていく。ホテルに戻りたかったが、全然タクシーがつかまらない。その上、水溜りが多いので、私の靴に雨水が染み込んできた。徐々に体が冷えてくる。
14:10、ようやく橋のたもとに到着。この道をまっすぐ行けばホテルに到着だ。しかし、相当な距離がある。靴の中はすでに水でビチャビチャ。歩くたびに、靴の中で水が波を打っているのがわかる。
14:30、スーパーの前を通りがかったので、ここで運動靴を購入。ついでに靴下も買って、履き替えた。ようやく人心地がついた。ビチョビチョになった革靴とは、(一応、ホテルまでは持っていくが)この地でお別れになりそうだ。あちこちへ一緒に旅行をした。今まで、どうもありがとう。
14:50、バス乗車。ホテルまでは歩いて5分ほど距離だというのに、Zが「もう疲れた」を連発し、半ば強引にバスに乗車した。ところが、欲をかいてホテルのそばギリギリで下車しようとしてタイミングを間違えた。バスはホテルを通り過ぎて、どんどん進んでいき、下車できたのはホテルまで徒歩で十分間はかかる場所だった。「なんだよー、歩いたほうが近かったじゃん」とZをなじるが「まぁ、そういうこともあるわよ」と苦笑いをしてかわされた。
15:10、ホテル着。たった一台しかないエレベータが故障中。やむなく階段を登って部屋まで戻った。安いし、綺麗で、便利と良いとこ尽くめのホテルだったが、エレベータが少ないのが欠点だ。
シャワーを浴びてから、ベッドの上でぐったりとして横になる。へとへとだ。足も痛いし・・・。そうだ、足マッサージへ行こう!2時間ほど休んで少し元気が出た私は、テレビ鑑賞に忙しいZを部屋に残して足マッサージに出かけた。
最近はどこに行っても、足マッサージ屋があるような気がする。だが、深センに比べると、内陸の足マッサージ屋は値段が若干高めである。その分、真面目に仕事をしてくれる。半分うたた寝をしながら、マッサージ終了。
18:30、ホテル着。Zはまだテレビ鑑賞に熱心だ。私はやることがないので、帰り道に買ってきた中国語の小説を読む。中国の小説は、けっしてつまらなくない。けっこう面白いものもあるのだが、何しろ、中国語・・・。全部漢字なので、娯楽というより、勉強になってしまうのが弱点だ。
20:15、タクシーに乗って食事へ出発。運転手に勧められて、火鍋のお店に行くことになった(5RMB)。
タクシーから下車して店の中に入ろうとすると、店員に呼び止められた。
「何名様ですか?」
「二人」
「すみません。もう、今日は材料がなくなりまして・・・」
人数を聞いといて断るのかよ。中国ではよくあることだが、腹が立つ。しかし、怒っても仕方がない。幸い、隣にも火鍋の店があり、結構繁盛している。Zも同意したので、そちらで夕食をとることにした。
今日は、魚の火鍋にしよう!ということで話を進めていたのだが、メニューをみてごちゃごちゃやっているうちに、陶器の鍋で魚を食べることになってしまった。さらに話を聞くと、残ったスープを使って、さらに火鍋を楽しめる2段構えの料理なのだそうだ。
最初に来たのが中華薬材系のスープの魚煮込み。魚系のスープは普段ほとんど口にすることがないので新鮮だ。こんなにたくさん食べて、次の火鍋なんか食べられるのかなぁ?と心配になるが、魚はあまり腹にもたれないので、いけそうな感じだ。
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【夕食<1>】 |
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瞬く間に魚スープを平らげると、店員が来て、陶器の鍋を下げていく。しばらくして、中央に唐辛子のスープ、周囲にさきほどの魚のスープが入った鍋が運ばれてきた。唐辛子と魚のスープはステンレスの仕切りで区切られている。
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【夕食<2>】 |
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ここからは普通の火鍋と同じ。牛肉やら野菜やらを入れて、鍋を楽しんだ。
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【夕食<3>】 |
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食事が終わると、タクシーでホテルへ戻る(2.9RMB)。明日は三国志で有名な「古隆中」行きだ。しかし、今日はずいぶんと強行軍だった。若干体調を崩しつつある感じだ。まぁ、ここまで来たら、明日を乗り切ることだけを考えよう。
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