9:00、長沙着。あー、座って来れて良かった。やっぱり疲れが全然違うよ。
さて、次のステップだ。なんとか、今日中に「張家界」に向かって出発しなければならない。チケットはとれるだろうか。
9:45、「張家界」行きの列車のチケットをゲット。Zの反対を押し切って、「軟臥」で行くことになった(列に並んでチケットを買ったのはZ)。「軟臥」のチケットはさすがに高く、270RMB/枚もする。Zにしてみればとんだ無駄遣いというところだろう。しかし、Zは「軟臥」に乗るのはこれが初めてだ。乗ってみればわかるよ、「軟臥」の快適さが。確かに割高だけどさ。列車の中で一泊することになるから、ホテル代込みだと思えば高くないだろ・・・(春節のため、どの列車も満席で夜の列車しか空いていなかった)。
列車の出発時刻までは長沙の街をウロウロして過ごすことになる。だが、夜までどこに荷物を置いておこうか。リュックサックは背負っていくからいいとして、重いボストンバックをなんとかしなければ・・・。Zが「駅の荷物預かり所に預ければいいでしょ」とアイデアを出す。うーん、駅のか・・・。信用度ゼロだけど、バッグの中に入れてあるのはほとんど衣服だ。大事なものをリュックサックに移せば、いけるか。
というわけで、「駅の荷物預かり所」の初利用。ボストンバック1個で6RMBであった。考えてみれば、私の観光は急ぎ足の場合が多い。次からこの荷物預け場所をうまく利用すれば、もっと効率的な移動ができるようになるかな?
とりあえずは喫茶店でコーヒーだ。一昨日来たときに目をつけておいた上島コーヒー店へ向かう。途中、同じく一昨日朝食を取ったお店の前を通った。そこで「臭豆腐」を売っているのに気づいたZが、さっそく一つ買って食べ始めた。「これ、暖かくない。まずい」と文句を言いながら、口の中に押し込んでいる。どうやら、ハズレだったようだ。同じ店で食べた「炸醤刀削面(ジャージャーダオ・シャオ・ミエン)」がすごくおいしかっただけに、期待が大きかったのだろう。心底がっかりした様子であった。
10分ほど歩いて着いた上島コーヒー店は、残念ながら開店していなかった。春節ということで、長沙では喫茶店は商売にならないのかもしれない。あるいは、つぶれたか。ともあれ、これでは仕方がない。Zを喜ばせるだけだが、ショッピング街へ行くしかないだろう。「張家界」へ行けば、もっと寒くなるだろうし、モモヒキを買っておいてやらないとまずいことになりそうだ。
タクシーに乗って「黄興路」へ向かう(10:00)。Zはしゃぎまくっている。うーん、何が嬉しいんだろ。やっぱり、ショッピング?
10:10、「黄興路」着。Z、大喜びで下車。人通りはまだ少ない。でも、お店はほとんど開いているので、Zは嬉しそうに、お店を一軒ずつ覗き込む。旅行中にどうしてそこまで服に情熱を燃やせるのか私には理解できないが、Zはもうウキウキモードである。一昨日からずっと強行軍であちこち連れまわしているから、今日は中休みついでにショッピングにつきやってやるとするか。
11:40、マクドナルドで休憩。「明日は『張家界』だから、モモヒキ買っておいたほうがいいよ」と勧めると、しばらく迷っていたが、一昨日の岳陽の寒さを思い出したようだ。うなずくと、外へモモヒキを買いに行った。コーヒーを飲みながら帰りを待っていたが、なかなか戻ってこない。きっと、他の服も見ているのだろう。そう考えて座ったまま一眠りした。
12:00、気づくとZが戻ってきていた。どこで着替えよう?と聞いてきたので、トイレで着替えてこいよとアドバイス。ここのマクドナルドのトイレはゆったりとした造りだから、着替えにはうってつけだ。
戻ってくると、Zはニコニコ顔。「暖かいなぁ」の連発である。これまで余程寒さを我慢していたのだろう。とにかく、これで安心して連れまわせるというものだ。しばらく休憩して出発。せっかくだから、この辺りの町並みを見ておくことにしよう。
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【黄興路<5>】 |
「黄興路」の中央から垂直に出ている「解放西路」を長沙の真中を流れている「湘江」という河に向かって歩いていく。小雨に加えて、この寒さなので通りに人がほとんどいない。静かで、顔に冷たい風が当たっていて、見知らぬ土地でただ真っ直ぐに歩きつづけていく。この体の底から湧きあがってくる嬉しさは何なのだろうか。開放感なのか。或いは、別の何かなのか。やっぱり、旅はいいなぁ。
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【解放西路】 |
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「湘江」沿いに走っている「湘江中路」着。通りを越えて、河際までくると、遠くに「湘江一橋」がみえる。冬の河っていうのも、いいよなぁ。ずうっとここにいたいぐらいだが、そんなことをしていたら体が凍えてしまう。Zも、いつまでここにいるのよ、という顔だ。モモヒキ効果でイライラはないようだが。
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【湘江一橋】 |
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【湘江】 |
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【湘江中路】 |
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12:30、再び「湘江中路」を渡り、「黄興路」へ向かう。今度は、「解放西路」の一つ裏の「人民西路」を通ることにした。
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【老街】 |
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「解放西路」は整備の済んだ大通りであったが、「人民西路」は現在再開発中のようで、入り口周辺の建物が取り壊されているところであった。少し入ったところには、まだまだ「老街」が残されていて歩いていて楽しい。
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【火宮殿<1>】 |
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「黄興路」にだいぶ近づいたところに、古代風の建物がある。「火宮殿」と銘打ってあり、木造の建築物が真っ赤に塗られている。
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【火宮殿<2>】 |
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博物館か何かかと思い中に入ってみたところ、どうやら高級レストランのようだ。食べてみたい気もするが、朝食にハンバーガーと食べたばかりでとてもお腹に入らない。中庭では、宣伝を兼ねてのことだろう。春節の活動の一環として、餅つきをやっていた。餅つきと言っても、子供の頃、学校や家でみたことのある杵(きね)でつく方法ではなく、棒を使ってもみあげるやり方で、もち米を練っていた。(インターネットで調べてみたところ、トンカチのような格好をしたのは打ち杵、棒状のものは手杵(てぎね)というらしい。日本でも手杵で餅を突く地方も少なくないかもしれない)。練り終わった餅は、木製の型に収められ、時間が経ってある程度固まると、型をひっくり返して外に出している。
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【火宮殿<3>】 |
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「一ついくら?」と尋ねると、「1RMB」だという。試しに一つ買って食べてみるが、練りがあまいのか、モチモチ感がなく、舌の上でざらつく。あまり美味しくない。あくまで記念行事としてやったから、この程度の味なのか?
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【火宮殿<4>】 |
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【火宮殿<5>】 |
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再び、黄興路へ戻る。すでに1時近くになっている。先日来たときは、すでに夜遅かったこともあってそれほど人がいなかったのだが、今日は通りいっぱいになるほどの買い物客がいる。さすが、湖南省の省都長沙である。ただ、乞食も多い。それも子供の乞食が多いなぁ。
かなり歩いたので、再びマクドナルドで休憩。ずうっと外にいたのでさすがに体が冷えてきた。Zのほうが、モモヒキをはいたためかなんともないようだ。私だって、2枚もはいているのに、なんで違いが出るのだろう。普段から着ているせいかなぁ(ホテルに戻ってから見せてもらったら、Zのモモヒキは普通のモモヒキではなく、綿を袋に詰め込んでズボンにしたような雪国対応のモモヒキであった)。体を温めるために、普段は飲まないホット・チョコレートを注文。それに加えて、店のあちこちで宣伝されていた「ニウニウ・ポテト」を注文。さっきのマクドナルドでは売っていなかった商品だ。新製品のようだ。ホット・チョコレートで体を温めながら、ニウニウ・ポテトをつまむ。ウムム・・・、うまい。Zと二人で瞬く間に平らげた。日本でも売られているのかな?このニウニウ・ポテト。
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【ニウニウ・ポテト】 |
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ニウニウ・ポテトを食べたあと、ちびちびとホット・チョコレートを飲みながら、外を眺める。春節の書き入れ時とあって、露店がデパートの前まで押し寄せている。子犬を数匹ダンボールに入れて売っているオバサンがいるかと思えば、熱くならない新式線香花火(?)に火をつけてぶるんぶるんと振り回しているオジサンたちもいる。あれだけ商品を使ってしまって、もとがとれるのだろうかとこちらが心配になるほどだ。私は初めてみる商品だが、日本にもあるのだろうか?
1:40、休んで疲れもとれたので、マクドナルドを出る。せっかくだから、周辺の通りにも入ってみようと、適当にうろうろしてみる。明日が春節の初日とあって、あちこちでバクチクを鳴らしている。中にはひと連なりになったバクチクの端に火をつけてバチバチ言わせながら、引きずっている子供もいたりする。中国で驚かされる、珍しくない光景の一つだが、親がこれをニコニコみているのだから、実に不思議だ。
ふらりふらりと歩いているうちに、「李富春故居」という建物に行き当たった。こじんまりとした3階建ての建物だが、観光地として綺麗に整備されているようだ。さっそく中に入ってみることにする。
入場料を支払って、中にはいると、事務所風の部屋にいたスタッフが出てきて案内をしてくれる。建物の左側は2F建てで、「李富春」の業績を記した写真や文章が飾られている記念館となっている。最初は心配そうに、ずっとついてきたスタッフであったが、途中から私たちの自由に歩き回らせてくれるようになった。
建物の右側は3F建て。「李富春」とその父母が暮らした場所をそのまま残してあるとのことだ。さすがに年季が入っていて、床も机も箪笥も味わいに溢れている。
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【李富春故居<1>】 |
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【李富春故居<2>】 |
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【李富春故居<3>】 |
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【李富春故居<4>】 |
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各階を登る階段は、階段というよりも梯子。転げ落ちたら終わりというぐらい急になっている。Zがこれをみて、「私の家も、これと同じだった」といっている。考えてみれば、日本の2階建ての家にある階段はけっこう場所もとるし、普通に素人の発想で家を作ると、こんな梯子で上下を行き来するようになるのかもしれない。日本では、今の形の階段になったのはいつ頃からなんだろうか。
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【李富春故居<5>】 |
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「李富春」は湖南省長沙の出身。1900年の生まれで、1919年にフランスに留学。22年に共産党に入党。24年にはソ連に渡った。その後、帰国し、北伐や長征にも参加。文革時には、毛沢東派から攻撃をされ、政治局からは追われたが、中央委員は維持し、72年に副総理として、復活した。1975年に北京で病没。
以上がインターネットで得られた「李富春」に関する情報である。これに、記念館で得られた印象を付け加えるとすると、「労働者とともに生きた」人と言えるだろう。また、葉剣英と一緒に文革を批判しているところから、南方を活動の場とする需要人物として認められていたがゆえに、文革でも致命的な攻撃を受けずにいたのではないかと想像される。
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【李富春故居<6>】 |
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「李富春故居」を出て、再び、「黄興路」へ戻る。露店がそばにあったので、美味しそうなものを物色。イカの鉄板焼きに挑戦することにした。なんと一本1RMBの格安だ。深センにも広州にも同様なものはあるが、だいたい一本3RMBである。そして、味もメチャウマ。深センや広州のものより格段に美味しい。(深センに戻ってから、もう一度試してみたが、やはり湖南省のものの方が美味しい)。内陸なのに何で?
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【黄興路<6>】 |
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「黄興路」も一通り回ったので、手前の道に入ってみる。すると、市場通りを発見。天気は雨気味なのに、たくさんの人が買い物に来ている。
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【市場通り<1>】 |
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【市場通り<2>】 |
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中ほどまで歩いたところに、鴨屋さんがあった。煮込んだ鴨の表面を軽く炒めて置いてあるようだ。ちょうど注文を出した客がいたので、見ていると、お店のおばさんは一匹を取り出して、包丁でぶったぎりはじめた。そして、大きなフライパンで炒めて味付けをし、客に渡した。うーん、うまそうだ。さっそく、私も注文。こんなにうまそうな食べ物を見逃す私ではない。私が選んだ一匹をおばさんがさきほどと同様、ざっくざっくとぶったぎる。そして、フライパンでざっ、ざっ、ざっと炒め、最後にビニル袋に入れて、渡してくれた。この通りの露店はお持ち帰り客が対象らしく、椅子もテーブルも出していない。私たちは露店すぐ脇で、ビニル袋から鴨を取り出し、かぶりついた。うー、うまい。「こんなに柔らかい鴨は食べたことないわ」とZは感想を口にしながら食べつづける。「いや、ほんとにうまい」。もう一匹食べたかったが、まだ他にも何か美味しいものが見つかるかもしれない。残念だったが、先へ進むことにした。
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【市場通り<3>】 |
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果物屋や乾物屋はたくさんあるが、立ち食いできそうなものは見当たらない。
・・・と、路の真中で喧嘩が始まった。40前後の細い体のおじさんが35才ぐらいのおばさんに殴られたり、蹴られたり、やられ放題になっている。それもそのはず、でっぷりとしたもう一人のおじさんが、細い体のおじさんの両手首をつかんで離さないでいるからだ。場の雰囲気からすると、もともと細いおじさんがおばさんに何かのちょっかいを出して、おばさんがお返しをするのをでっぷりとしたおじさんが手伝っているという感じだ。しかし、おばさん、手加減なし。拳骨で細いおじさんの顔をなぐったり、盛んに横蹴りを食らわせている。細いおじさんもたいしたもので、でっぷりおじさんに手首をつかまれながらも、吸いかけのタバコだけは手放さない。散々なぐって気が晴れたのだろう。おばさんは捨て台詞を吐いて、その場を去り、細いおじさんも、でっぷりおじさんから解放され、ぶつぶついいながらも反対の方向へ去っていった。
中国の人の喧嘩というのは、男同士の場合は、意外と大人しいが女性が加わると妙に過激になるような気がする(ただし、ヤクザは別。新聞を見る限り、ショバ代を払わない店主に対しては、かなりめちゃくちゃなことをやるようだ)。
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【市場通り<4>】 |
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市場通りを最後まで抜けてしまったので、同じ道を逆に辿る。別の道から行ってもよかったのだが、実は、市場通りに入ったばかりのところに、蟹が皿に乗せられて販売されていたのが記憶に残っていた。あれを食べたい。そう思って、道を逆に戻る。途中、先ほどの鴨屋の前を通ったので、もう一匹食べたい気持ちに駆られたが、なんとか我慢した。今晩の列車に持ち込んで食べる手もあるが、その頃には冷えてしまっていることだろう。今回はあきらめるとしよう。と言っても、もう一回、長沙まで足を伸ばすチャンスがあるかどうか。
蟹屋さん到着。お店のおばさんに尋ねてみると、一皿15RMBで炒めてくれるらしい。しかし、皿ひとつは多過ぎる。10RMB分だけくれと頼むと、上から数カケラを取り除いて、フライパンで炒め始めた。
「これ、川の蟹?」と尋ねると、「海のよ!」とすかさず答えてきた。(本当?)と思ったが、ここで言い争っても仕方がない。数分で、炒め終わった蟹をビニル袋に入れてこちらに寄越した。うーん、いい香りだ。しかし、これをどこで食べろというのだ。テーブルも椅子もない。砕いてから炒めてくれたとは言え、殻はほとんど、そのままついている。殻を外すに両手を使わねばならず、とても歩きながら食べられる状態ではない。
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【市場通り<5>】 |
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やむなく、「黄興路」まで戻り、ベンチに座ってビニルから少しずつ蟹を取り出し、食べだした。だが、一口食べたところで、川の蟹であろうことがほぼ判明した。川臭くて食べられない。Zは内陸の育ちなので、川臭さには慣れているのだろう。気にせず、むしゃむしゃやっている。我慢して、もう二口ほど食べてみたが、やはり駄目だ。食べられない。それに、冷静になって周囲を見回してみると、この立派な商店街の中で、ビニル袋から蟹を取り出して食べている姿はかなり異様だ。乞食がごみ袋から物を取り出して食べているように見えないこともない。気の小さな私は、少しいたたまれなくなってきたが、Zが堂々とむしゃぶりついてるので、どうしようもない。そもそも、蟹を食べようと言い出したのは私だから、なおさらだ。あきらめてZが食べ終わるのを待った。
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【黄興路<7>】 |
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蟹を食べて勢いがついたのか、Zの食欲が止まらなくなった。続いて、臭豆腐。三日前に長沙に着いたときも、この長沙の臭豆腐に感動していたZ。再び、臭豆腐を口にしながら、「美味しいものを食べてると、天国にいるような気持ちになるわ」と感嘆しきり。そこまで言ってもらえば、臭豆腐も満足というものだろう。でも、確かに美味しいよ、ここの臭豆腐は(あまり臭くないし・・・)。ついでに、もう一回イカの鉄板焼きも食べる。うん、うまい、うまい。
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【黄興路<8>-露店通り-】 |
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4:30、タクシーに乗って、二日前に訪れた足マッサージ屋へ向かう。しっかりマッサージしてくれる堅実経営のお店なので気に入っていたのだが、もう一度来ることがあるなど夢にも思わず、お店の名前を記憶していなかった。
やむなく、記憶を頼りに、道順を辿ってお店へ向かった。ところが、道順を運転手に伝えているうちに、おかしなことに気がついた。数日前にやってきたときには、タクシーの運転手に紹介されるままに来たので気づかなかったが、この道順であると、一旦駅の前まで行って、左に曲がり、再びUターンするルートになっている。途中、左に曲がれる道路はたくさんあるので、あきらかに遠回りだ。・・・ということは、「やられた」のだろうか。うーん、ちょっと悔しい。まぁ、知らない店に行ったのだから仕方がないか。
先日と同様快適な時間を過ごして、6:15、お店を出た。列車の出発まではまだ時間がある。乗車時は駅までまっすぐ行く予定だったが、途中で気が変わって、駅のそばのケンタッキー前で下車。8RMBプラス春節特別料金の5RMBを払う。運転手が恐る恐る「今は春節だから・・・」と切り出したところをみると、法律(条例?)で定められていてもゴネと払わない客がけっこういるのかもしれない。
ケンタッキーで軽く夕食をとって、駅へ向かう(6:50)。
駅に着くと、預かってもらっていたボストンバックを引き取り、構内へ入った。
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【夜の長沙駅】 |
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7:10、案内板に従って、第三待合室に入る。まだまだ時間があるので、時間をつぶすのが大変だ。どうせ今晩一晩、列車の中だ。少し食料を仕入れてくるとしよう。ついでに新聞でもあればなお良い。
売店でカップヌードルやらナッツやらを仕入れる。だが、新聞どころか、雑誌までも一冊も売っていない。たいがいの駅では雑誌や本のお店があるものだが、いくら探してもない。湖南の人は読書が嫌いなのだろうか。うーん、と頭を悩ましているうちに、ふと別のことに気がついた。そう言えば、今日買ったのは、「軟臥」のチケットだ。しばらく乗ったことがなかったから忘れていたが、「軟臥」の場合、専用のもっと快適な待合室があったはずだ。時々、専用待合室がない駅もあったけれど、こんな内陸なら、あるほうが自然だ。そう思いついて、隅々まで目をやってみると、あった、あった、2Fの奥だ。さっそく覗きに行ってみると、誰一人客がいない部屋に、紺のスーツをきたスタッフがボーっと立っている。「ここは『軟臥』の部屋?」と尋ねながらチケットを見せると、私の手からチケットをとって、じっと眺めたあと「そうよ」と返事をしてチケットを返して寄越した。
それなら、Zを呼びに戻らねばならない。駆けるようにして、1Fまで降り、第三待合室に戻る。私の姿をみると、「どこ行ってたの~」と心細そうな顔でZが立ち上がる。手で合図をして、待合室の外まで呼び出し、「忘れてたんだけど、『軟臥』の場合、専用の待合室があるんだよ。そっちの方が大分快適だから、そっちへ行こうよ」と説明する。
さきほどの専用室まで戻り、今度はZの分のチケットも一緒に出して確認してもらった後、中に入る。大きな部屋に革張りのシートがずらりと並んでいる。私がZを連れてくる間に、家族連れの客が一組やってきていたが、他には客がいない。ガラガラである。最近は、飛行機が安くなってきたから、「軟臥」の利用者も激減しているのではないだろうか。
周囲に人がいないから、若干不安にもなるが、それにも増して安心感が強い。普通車の待合室で大勢の客に囲まれていると、絶えず荷物の心配をしていなければならないから疲れるのだ。それに、「軟臥」専用待合室では、列車がくると知らせてくれて、普通車の客よりも先にプラットフォームまで行ける場合もある。何かにつけ楽なのが、「軟臥」なのだ。
しかし、久しぶりに利用してみると、「軟臥」の不自然さも目につく。以前と違って、飛行機が大衆化してしまっているから、高級な乗り物という意識はすでになくなりつつある。服務員の態度や服装は確かに、普通車のスタッフより良いと思うが、そもそもスタッフと接する機会がほとんどないから、「軟臥」の高い料金を支えるほどではない。肝心の車両も、新型空調車に変わってからは、「硬臥」との差が縮まってきているようだし、よほどアイデアを絞らなければ、「軟臥」の存在が危うくなってきそうだ。
8時過ぎ、駅のスタッフが列車の到着を知らせてくれ、プラットフォームに出る。車両はすでに到着してドアも開いているが、乗務員がいない。中国の列車では、チケットを乗務員に見せてから乗り込むのが一般的だから、どうしたものかと迷ったが、Zが早く乗ろうよと肘で突っつくので、思い切って乗り込んだ。
入り口から通路に入ろうとしたところで、ちょうど男の乗務員とばったりあった。「もう乗っていいか?」とチケットを見せながら尋ねると、チケットをじっくり見た後、「いいよ」と私たちを先導する。
チケットでは9号室のはずだが、そこは素通り。おそらく、乗務員が寝てでもいるのだろう。そして、2号室へ連れて行かれた。「ここでしばらく待っていてくれ。準備ができたら1号室に移ってもらうから」という。そういわれては荷物を広げるわけにもいかない。数分間、じっとしていると、再び戻ってきた乗務員が、「こっちへ」と私たちを移動させた。
「軟臥」のコンパートメントには、ベッドが4つ。部屋の両側に上下二台ずつだ。私たちが手に入れたチケットは、上がひとつ、下がひとつである。中国人は出入りとおしゃべりに便利な下のベッドを好むことが多いが私は落ち着ける上のベッドが好きである。Zは当然下を選ぶだろうと思ったら、意外にも、私も上のベッドがいいという。どういうわけだか、人付き合いという点では、似通った点が多いのだ。そう言われては、上のベッドがいいと言い張るわけにもいかない。まぁ、対面のベッドに誰も来なかったら、二人とも下のベッドにすればいいか。そう思って、列車が発車するのを待っていると、ガラリとドアを開けて、女性客が入ってきた。そして、対面の下のベッドに座った。
女性か。それなら、・・・とZの顔をみると、「○○(私の名前)は、上にしなよ。私は下でいいから・・・」と思った通りの答えが返ってきた。(はい、はい)と頷きながら、黙って上へあがる。
8:20、発車。
私はベッドの上で、明日の計画を練る。「張家界」に到着するのは12時間後だから、早朝の8:00頃だ。列車の一泊だけで即行動を始めるのはキツイがスケジュールに余裕がない。できれば、明日中に「張家界森林公園」の山に登ってしまいたいが、それも天気次第。天気が悪ければ、市内観光を先にして、最終日に賭けるしかなくなる。だが、「張家界森林公園」から空港までは相当な距離があるようなので、できれば避けたいところだ。うーん、ぎりぎりのスケジュールに加えて天候まで考慮にいれないとならないから、ややこしい話だ。
そんなことを考えながら、十数分が過ぎた。すると、Zがようやく口を開いて隣の女の子と会話を始めた。隣の女の子はベッドについてから、ずっと携帯電話で友人と話し込んでいたので、その内容から、「会話を楽しめそうだ」と判断したようだ。(Zは中国人としては内向的な部類に入るので、話す相手はけっこう選ぶ)。上から聞いていると、隣の女の子は長沙の学校に通っていて、実家は張家界の少し前の駅付近にあるらしい。Zは熱心に湖南の観光地について尋ねている。
だんだん会話が弾んできたように見えたところで、ノックの音とともに、コンパートメントのドアが開いた。さきほどの乗務員が顔を出し、隣の女の子に向かって話し掛ける。「春節だし、他の客もいないから、隣の部屋に移ってもいいよ。ほらっ、彼らはカップルだしさ」。「わかったわ」と女の子も嬉しそうに立ち上がった。まぁ、確かに気まずいのだろうな。他に誰もいないのだったら、私も下のベッドの方が楽だから、助かるし・・・。
女の子が去るとすぐに私は下のベッドに移動。買っておいたインスタント・ラーメンにお湯を入れ、食べ始める。うーん、列車で食べるインスタント・ラーメンはうまい。私が満腹になったところで、Zが急に「張家界はやめて、『鳳凰』に行きたい」と言い出した。「えっ?」と聞き返すと、「さっきの子が『鳳凰』はとっても綺麗な村だって言っていたわ。それにテレビでみたことあるわ」という。「雪降ってるし、張家界はやめて別の場所にしようかって言ったら、絶対に行くっていってたのZじゃん」。「でも『鳳凰』に行きたい」。「うーん、でも無理だよ」というと、ふくれっつらになった。(子供じゃないんだから・・・)と思うが、そこまで言うのなら一応検討してみるか。中国人向けのガイドブックを広げ「鳳凰」の項目を読む。
確かに「鳳凰」はいいところのようだ。だが、行き方に若干不透明な部分があるし、ホテルをみると、20-30RMBのところばかりだ。こんな冬に行って快適に過ごせる保証はない。それにただでさえスケジュールがきびしいのだ。途中で失敗は許されない。今回は無理だ。「今回はあきらめよう。次に来たときに行けばいいよ」と懸命に説得する。「次って言ったっていつ来れるかわからないじゃない・・・」とぶつぶつ言いながらもようやく納得。「だいたい、Zは最初、湖南なんて行きたくない、見るところなんて何もないって行ってたじゃないか」と文句をいうと、そんな昔のことは知らないという顔をしてそっぽをむいた。(全く・・・。こいつはその場の感情だけで生きているのか?)と思うのはいつものこと。
そんなやり取りを終えたころ、ドアの外で誰かが物凄い剣幕で言い合いをしているのが聞こえてきた。
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【軟臥の寝台】 |
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耳を傾けてみると、女性の乗務員とさきほどの女の子らしい。さらに凄まじいやり取りがなされた後、私たちのコンパートメントのドアが開き、女の子が入ってきた。どうやら、トラブルらしい。わたしが「こっちの部屋になったのか?」と尋ねると、「そう」と憮然とした表情でいう。幸い、荷物は広げていなかったので、再びZの上のベッドに上がった。女の子がもとの位置にごろりと横になったところで、女性の乗務員がやってきて、「もう勝手に部屋を変更しちゃだめよ!」と怒鳴りつける。女の子も負けていない。「いい加減にしてよ。部屋を変えないなら、変えない。どっちでもいいのよ。あたしは!駄目なら駄目で最初から、変えていいなんて言わないでよ」。乗務員はすでに彼女の話が耳に入らないようで、ガシャンとドアを閉めた。
どうやら、男の乗務員が親切で部屋を変更してやったが、それが女性の乗務員に伝わっていなかったらしい。それで、部屋で休もうとやってきた乗務員と女の子が不意の遭遇。バトル開始となったようだ。しばらくすると、再びドアが開き、男の乗務員がすまなそうな顔で、「悪かったね。あの乗務員に言ってなくてさ。俺も悪気があってしたわけじゃないんだ。彼らがカップルだしさ・・・」と言ってきた。「部屋を変えちゃ駄目ならそれでいいのよ。全く!そっちが変わっていいっていうから、変わったのに」と女の子は怒りが収まらない。男の乗務員は、「本当に悪かったね」と繰り返しながらドアを閉めて去った。なんとも中国らしい騒ぎであった・・・。
夜も遅くなったので、床に入る。しかし、揺れが激しい。なかなか寝つけない。だが明日は強行軍だ。早く寝なければ・・・。
この旅は「張家界探検記」に続きます。ご興味のある方は是非ご覧になってください。
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