廬山の旅


灰色の部分が江西省です。

【 目  次 】

<2003年8月15日>
 
・タクシーとの交渉
 ・女連れは難しい
 ・中国製ゴンドラ20分の旅
 ・恐るべし中国人
 ・彼女の本気
 
・黄龍潭と烏龍潭
 
・樹齢1500年
 
・お土産の心
 
・中国の深い闇

2003年8月15日
タクシーとの交渉
 ホテルで朝食バイキングをとって、出発(8:10)。
 玄関の出口に泊まっていたタクシーと交渉し、片道60RMBで「廬山」まで行ってもらうことになった。実は昨日、何台かのタクシーに料金を尋ねて70RMBというのが一番多かったので、60RMBまでなら値切れるだろうと踏んでいたのだ。だが、これで一安心と気を許したのがいけなかった。運転手が前座席に座ったPに新たな提案をし始めたのだ(私のPは後部座席に座ると酔うたちなのでいつも前の座席に乗る)。

 その提案とは、220RMBで一日借り切りにしないかというものだ。「何箇所でも、何時まででもあんた達の納得のいくまで付き合う」と大盤振る舞いだ。だが、それが落とし穴。真っ暗になるまで観光地にいる奴などいない。その上観光地にだって終了時間というものがある。テーマパークじゃあるまいし、そんなに遅くまでやっているものか。こんな風な提案があるときには、現地で必要なときだけタクシーをつかまえたほうがずっと安いのが一般的だ。そもそも、ここで新しい提案にのったら先ほどの交渉が全く無意味なものになる。騙されてはいけない。

 しかし、「それはいいわねぇ」と嬉しそうにPがはしゃぐのが聞こえてきた。
 「本当に全部行ってくれるの?」
 「廬山は広いんだ。全部行ったら三日間かかっちゃうよ。とにかくあんた達の行きたいようなところには全部行ってあげるよ。廬山は初めてなんだろ」と巧みに誘導していく運転手。
 (ふん、俺達の行きたいところじゃなくて、お前にとって便利な場所ばかり行くんだろ)と私は心でつぶやいた。
 「ねぇ、220RMBだってよ。どう?」と機嫌よく私に同意を求めるP。もはや完全にワナにかかっている。しかも、それがどんなワナかを証明する術が私にはない。そうである以上、ここで反対の声を上げたところで自分の印象が悪くなるばかりだ。自ら落とし穴に向かって進まねばならないとは・・・。
 まぁ、仕方がない。勉強代だと思ってあきらめよう。Pに対する教育代にもなるし・・・、と自分を慰めて、金額の交渉に入る。
 結局、200RMB+20RMB(これは私たちが満足した場合には支払う)というところで収まった。

  9:00、車が山を上り始めた。深い霧の中を蛇行しながら進んでいく。こんな10メートル先ぐらいしかみえないような場所でも、追い抜きをかけていく車がいるから驚きだ。対向車がきたときのことなど考えていないのだろう。
女連れは難しい
 9:30、「廬山」の入場門に到着。入場チケットは一人135RMB(運転手は不要)。ただし、車両進入代として20RMBを支払わねばならない。この車両進入代は
今日の料金交渉のまな板に乗っていなかった。運転手側でもつべきではないのか。だが、Pも運転手も口を閉ざしたままだ。やむなく、黙って支払う。二人旅は納得のいかないことが多い。

 門を入って、5分ほどで「美廬別墅」へ到着。「廬山」は外国人の別荘地としても有名で、最盛期には640棟もあったとのことだ。そのうちの一つが「美廬別墅」で、蒋介石と宋美齢が住んでいたという。その後、毛沢東と江青も好んでここで時を過ごしたらしい。

【美廬別墅】

 私自身はこんな別荘地は最後に、時間が余ったときにくれば十分であって、貴重な時間が過ぎていくことにじりじりとしていたが、Pは違った。ここで2,3日泊まっていく予定であるかのようにのんびりと参観している。結局ここで30分以上を過ごした後、ようやく出発(10:10)。 

 次は車を10分ほど走らせた場所にある「廬山会議旧址」だ。共産党の重要な会議が過去三度(1959年、1961年、1970年)もここで行われたということだ。さきほどの別荘と違って、こちらは観光名所としてツアーのコースにも入っている。とは言え、こんな近代の建築物など日が落ちてからで十分だろうという思いが離れない。こんな私の気持ちと裏腹にPは上機嫌で写真をせがんでくる。しまいに大勢の人がビデオを見ている会議室の中で写真をとってくれと言い出した。馬鹿をいうなと無視をしていると、とうとう自分の古いカメラを取り出して、パシャとやってしまった。当然、警備員に怒られるという結果を招き、プンプンと腹を立てながら戻ってきた。減るもんでもなし、ということらしい。私にはとてもついていけない・・・(10:15)。

  そして、再び乗車。運転手は「次は毛沢東同志旧居へ行く」という。「それは後回しにできないのか?」と抵抗してみるが、「一旦向こうへいったら、もう戻ってくることができない。すぐだから・・・」とかわされた。なにしろ、Pが運転手を信じきっているからどうしようもない。あきらめてシートに寄りかかった。
 10分後、「毛沢東同志旧居」到着。毛沢東の書斎やら、寝室やら、トイレやらが観覧できる。一生懸命興味をもとうとするが、無理。山に来てどうしてこんなところで時間をつぶさにゃならんの(10:40)。

 旧居を出て、そばにある「芦林湖」に足を伸ばす。ところが濃霧が張っていてまったく見えない。すぐに道路に戻って車に乗り込んだ。

中国製ゴンドラ20分の旅

 11:15、ようやく景勝地の一つである「含鄱口」へ到着。霧が一層深くなり、先を見通すことができない。運転手に連れられて、5分ほどでゴンドラ乗り場に到着。一人往復50RMB、運転手は無料で乗れるのでついていってくれるという。私とPが一緒のゴンドラに乗り、すぐ後ろのゴンドラに運転手がのった。片道20分だという。恐ろしいほどの長さだ。(後日、片道40分のゴンドラを経験することになる)。

【片道20分のゴンドラ】

 深い霧の中をゴンドラがゴトゴトと音を立てながら進む。霧で周囲がみえないが落っこちたりしたら、命がないのは間違いない。落っこちるわけがない、そうお考えですか?中国製ですよ。はっきり言って、身動きもできませんでした。

 20分後、ようやく終点に到着。ここからは谷を下るのみ。途中、何度か記念写真撮影所を通りぬけた後、急な階段が現れた。運転手は、「じゃあ、俺はここで待っているから」とベンチに座り込んだ。あとは、Pと二人で進むのみ。足を滑らしたらまッ逆さまに転げ落ちていきそうな急階段をおっかなびっくりで降りていく。谷を上っていくのは憂鬱な作業だ。当たり前の話だが、降りたぶん、上ってこなければならない。

 20分ほど下ったところで、ようやく目的地に到着。ここには滝を受け止めてできた小さな池があり、小さなビニルボートを二つ浮かべておじさんが一人で商売をしていた。一人5RMBだと聞くと、Pは大喜びでボートに乗り込んだ。おおはしゃぎでオールを漕いで池の奥まで入っていた。ところが、途中でオールの使い方がわからなくなり、帰ってこれない。やむなく私もボートに乗り込む(あまり楽しそうなので、やってみたくなったというのもあるけどね)。Pに見本を見せながら、ゆっくり漕ぐ。Pのところまで行ったところでリターン。ふと気が付くと、ズボンが冷たい。水漏れだ!ボートに穴が開いているのだ。慌てて岸に向かってオールを漕ぐ。と、更なる災難が・・・。ザッーを雨が降ってきたのだ。オールを漕ぐ手をフル回転しあっという間に岸に上がる。Pも慌てて岸へ戻ろうとするが、オールの向きがバラバラだ。なかなか岸へつけない。ようやく岸に上がったころには服がべちょべちょになっていた。「私をおいて一人で戻って!ひどいなぁ」とボヤいている。キミは体が丈夫だから心配ないさ。

【谷の中腹にある滝】

 池の脇にある岩でできた小さな洞窟で雨が過ぎ去るのを待っていると、5分ほどで降り止んだ。ここから先も道があるようだったが、すでに普通の人間が行けるような場所ではなさそうだ。帰途へつくことにする。さきほど一生懸命降りてきた階段を逆戻りする。中ほどで足が上がらなくなり4本の手足を使って上る。以前に黄山登りを計画したことがあったが、実行しなくて本当に良かったと思えてくる。この程度の階段でまいっているようではとてもではないが黄山は無理だ。体を鍛えなおしてから挑戦することとしよう。一方、Pは元気だった。細身の軽い体でひょいひょいと上っていく。悔しいのでダッシュをかけて追い抜いてみせたが、すぐにへたばって再度追い抜かれてしまった。

 ようやく運転手のいるところまで戻り、それからゴンドラへ乗車(12:35)。行きと比べてずっと霧が少なくなった。その分、下がはっきりと見えて怖い。なんだか黄泉の国へ行く途中みたいだ。

 12:52分、ゴンドラを下車。中で休憩したおかげで体力も大分回復した。運転手に連れられて食事へ。 (どうせ、バックマージンがとれるような馬鹿高いレストランに連れて行くつもりなんだろう)と考えていたら、一見安っぽい食堂のような店の前で車が止まった。だが、まだ油断はできない。メニューを見てみなければ。ひどく高いようだったらはっきり断ろうと心に決めて中に入った。

 メニューを開くと、一皿600RMBもするような高い料理もあるが、30RMB程度の料理もあった。この店のレベルを考えると30RMBの料理でも高いが、多少の妥協は必要だ。安い料理を選んで3皿注文して良しとした。
 運転手に甘いPも、「このお店の料理、なんでこんなに高いのー。昨日食べたところなら、5RMBで食べられるわよ。お店だって、ここよりずっと立派だったし」と騒いでいる。困った運転手は「観光地では、シーズンの時期しか稼ぎがないんだ。たった数ヶ月で一年分の稼ぎをもうけなけりゃならないんだから高くなるのもしようがないよ」と言い訳しだした。
 (んなわきゃねぇーだろ。シーズンオフは遊んでいるってのか、このガメツそうな老板娘【注:オーナーの妻】がよ)と私は心でつぶやいたが、「そうだな」と言って話を終わらせた。飯ぐらいはゆっくり食べるとしよう。Pの方は、運転手の難しい論理がわかるはずもなく、「高い、高い」とうめくばかりであった。

恐るべし中国人

 食事を終え再び車を走らせ、10分ほどで「如琴湖」へ着いた。

【如琴湖】

 ここから谷沿いのルートに入る。運転手はルートの出口で待っているというのでPと二人での旅立ち。ようやく山らしい雰囲気を味わえると喜んだのもつかの間、すぐにこのルートの恐ろしさに気づいた。石畳が敷かれた幅1.5メートルほどの道や階段を大勢の観光客が歩んでいくわけだが、左が岩壁、右側が崖という危険なルートでありながら崖側に柵や手すりがほとんど存在しないのだ。突風が吹いたり、足を滑らせたりしたら一瞬にして崖下へまっ逆さまだ。観光客も多い。後ろの客がよろめいて前の客にぶつかったりしても、この世とおさらばになるのは間違いない。

 当然、私は懸命に左の山側によって歩く。それも精一杯に腰を引いて。不思議なもので、腰を引けば引くほど、足が縮こまってくる。しまいに足を一歩前に出すのも一苦労になってきたほどだ。ところが、私以外の全ての観光客は違った。平気で崖スレスレの場所を談笑しながら歩いてゆく。岩が飛び出ている場所などでは、あと半歩下がれば谷底へ転げ落ちるというのに、ニコニコと記念写真をとっているではないか。しかも、先を争うように押し合い圧し合いしながらである。恐るべし中国人。

【天橋】

 ここでは上の写真の手前にある「天橋」が観光名所の一つとして知られているが、この岩は写真のすぐ下に足をつける広い場所があり、特に怖い場所ではない。だが、写真の奥を見て欲しい。崖の上に大勢の人間がたむろっているのが見えるはず。突風でも吹けば何人が崖下に落ちてしまうかわからないほどだ。全くすごい度胸だ。

【崖の上で憩う人々】

 上の写真の奥の方にも、崖際で楽しそうに談笑したり、寝転がっている若者がいる。そして、下の写真。観光ルートのはるか下にある岩の上で誰かが岩に攀じ登ろうとしている。命が惜しくないらしい。ここで死ななければ、将来は偉大な人物になるに違いない(そんなわけない)。

【お前は誰だ?】

 2時間弱のルートを終え、出口間際にある「仙人洞」に着いたときはすでにフラフラ状態であった。「仙人洞」は別名「佛手岩」とも呼ばれ自然が生み出した天然の洞窟である。伝説である「八仙過海」の中で呂洞賓が仙人となった場所であることから「仙人洞」と名づけられたという。

【仙人洞】

 「仙人洞」を出るとすぐに車道があり、運転手がにこにこ顔で待っていた。どうだ、満足しただろう、という表情をしている。運転手が乗車を促したところで、私が待ったをかけた。「待て!『仙人滑道』はどこだ?」。聞こえない振りをして先へ進もうとする運転手。私は声を大きくして「待て!『仙人滑道』へは絶対行くぞ」と再び叫んだ。ようやく、運転手は振り返り、仕方なさそうに「わかった、すぐそこだよ。今連れて行くよ」と言った。どうやら、余程行きたくないらしい。何か都合の悪いことでもあるのだろうか。

【仙人洞滑道】

 「仙人滑道」というのは、天然ジェットコースターのようなもので、山の中をうねうねと走るレール上を乗り物で滑っていくものだ。動力はまったくなく、乗り物にブレーキが付いていて、それだけでスピードをコントロールする。なだらかな場所では、一旦ブレーキをかけてしまうと完全に停まってしまって身動きがとれなくなるらしく、「ブレーキをかけないように!」と注意書きがしてあったりした。基本的にはレールと乗り物を利用した滑り台といってよいのでそんなに刺激的な乗り物ではない。だが、Pはこういうのがとても好きなのだ。私も深センのテーマパークで久しぶりにジェットコースターを楽しんで以来、結構気に入っている。
 わずか5分ほどで終点までついてしまう単純な乗り物だったけれども、それなりに満足して下車。出口で待っていた運転手に、降りてきた乗り物はどうするのかと尋ねてみると、「あれはトラックに載せてまた上まで運ぶのだ」と教えてくれた。

彼女の本気

 「次はどこだ?」と聞くと、「大天地だ」と運転手は答えた。「何があるんだ?」と尋ねると、「龍首崖」があるという。「こんなに霧があったんじゃ、行っても見えないんじゃないのか?」と尋ねると、「いや、廬山に来たからには大天地と龍首崖は欠かせないよ」と質問をはぐらかされた。気づくと、Pはすでに5メートルほど先を歩いており、何をもたもたしているの、さあ行くわよという顔をしてこちらを見つめている。どうもペースが狂うなぁ。仕方がない、行くか(3:10)。

【大天地】

 ガイドブックによると、「大天地」と「龍首崖」は確かに観光名所である。だが、いかんせん霧が深すぎる。20分もかけて(そのうち、10分ぐらいは急な下り階段)たどり着いたあと、見えたのは霧、霧、霧・・・。だいたい予想がついていたので、階段を降りていくのはつらかった。登って帰るのはもっとつらかったが。Pもせっかく苦労をして降りていったのに!と怒っている。彼女の辞書には「予想と対策」という単語は存在していないらしいのが残念だ。
 運転手のところまで戻ると、運転手が「どうする?そろそろ帰るか。それとももう一ヶ所いくか」と尋ねてきた。「もちろん、まだ行くよ」と私とPは口を揃えて答えた。

 「それなら一人10元でそこの(黄色い)バンに乗って行ってくれ。俺が運転手に行っておくから。俺は出口で待っている」と運転手はあっさり口に出した。「どういうことだ?おまえの車はどうした」と驚いて尋ねる私。「俺の車はこの地域には入れないんだよ。この地域にはあの(黄色い)バンしか入れないんだ」と再び車を指差した。知り合いらしい、強欲そうな顔をした運転手のおばさんがこちらに歩みよってくる。
 「ふざけるな。お前の車で全部回って200RMBという話だったろう」と私は強めの語調で詰め寄った。「だから、俺の車はこの地域には入れないんだよ。みんなが自分の車できたら、この人たちの飯の食い扶持がなくなっちゃうだろ」と近くまできたバンの運転手のおばさんを左手で示す。

 「説明を聞いているんじゃない。約束と話が違うだろう、と言っているんだ」
 「今日は十分にあちこち回っただろう。ゴンドラに乗ったときだって、わざわざついていってやったじゃないか。(一人)10元ぐらいだせよ」
 「冗談じゃない。約束は約束だ。だいたい、入場するときの車両進入代だって約束に入ってなかったぞ、それでも俺は払ったじゃないか」とさらに反論を重ねる。そして、他人の顔をして横でうろうろしているPを睨みつけ、議論に参加するように促した。仕方なさそうに口を開いたPであったが、いったん話始めると鬼のような激しさで運転手を責め立てた。「何言ってるのよ。今日はまだ何ヶ所っも行ってないじゃない。朝は私たちの行きたいところは全部回ってくれるって言ったのに!XXXだってまだ行っていないし、XXXも行ってない」。

 (おおっ!さすが中国人。やる気になるとすごい)とひそかに感心する私であった。
 私のように理屈で反論する相手より不満を強く訴える方が効果があるのか、或いは女性に罵られたのが答えたのか、運転手はとうとう「わかった、10元だろ。俺が払うよ。払えばいいんだろ」と折れた。さあ、乗れよ、と私たちをバンに押し込む。
 バンに乗ったあと、バンのおばさん運転手に何か言われると、「俺だって、まさかこいつらがこんなに体力があるなんて思わなかったんだよ。普通だったらゴンドラのところで参っているはずなんだ。あとは・・・」とボヤきだした。Pは「何言ってるの。私はもっとあちこち行きたいの。全然足りないわよ」と手厳しい。運転手は「だってな。俺はかなり親切にしているぞ。・・・」と必死に言い訳をし始める。もう私の存在など目に入っていない様子だ。うーん、中国人女性のパワーはすごい。

黄龍潭と烏龍潭

 5分ほどで目的地に到着。運転手は疲れきった様子で、「ここから1時間半ほど歩いたところに出口がある。俺はそこで待っているから。他のツアー客について行けよ。迷いやすいからな」と説明してくれた(4:15)。 

【烏龍潭】

 今度は山道といっても崖に面していない、比較的安全なルートである。最初に「烏龍潭」、それから「黄龍潭」が現れる。どちらも小さいが美しい滝である。名称の由来は何だろうと調べたが見つからなかった。「烏龍潭」は幾筋もの短い流れでできているから、きっと烏龍とは小さな龍のことをいうのだろうと思ったら違った。烏龍とは黒龍のことを指すのだそうです。一方「黄龍」はわかりやすくて、最高位の龍を意味するとのこと。水の多いときには太い水流となって激しく流れることだろうから、ぴったりの呼び名なんだろうな。
 「黄龍潭」の脇では、銅(?の)鍋の取っ手を擦って中の水に波紋を起こさせる遊びが一回2元で行われていて、Pは一生懸命に波を立てていた。面白くて仕方がないらしく夢中になってやっている。鍋が二つあって各々列ができているのだが、隣の列はどんどん人が変っていくのに、Pがやっている鍋の列は完全にストップ。10分ほど擦りつづけてさすがに疲れてきたのか、満足そうに鍋の前を離れたときにはお店の人もホッとした顔をしていた。

【黄龍潭】

 さあ出発だと思ったら、今度は川の中央でゴロゴロしている岩の上に飛び乗って水遊びをし始めた。こちらに向かって手を振る様子はさすがに可愛い。ようやく戻ってきた頃には服を濡らしてしまって、「びしょびしょになっちゃったわよ」と文句を言いながらも、「水がすごく澄んでいるの。思わず少し飲んじゃった」と嬉しそうに言った。歩き出しながら「おいしかったか?」と尋ねると、「すごーくおいしかった」と感激をあらわにするので、「そうか、上の方で子供が小便をしてたから、味がついていたのかもしれないな」と言ってやる。Pは途端にガクーンと細い首を垂らしてうちひしがれた。横を歩いていたおじさんも吹き出すように笑い出す。Pは「全く○○(私の名前)は!」とぶつぶつ言いながら後ろをついてきた。中国の子は気持ちがそのまま身体の動きに出るのでからかうと面白い。

樹齢1500年

 ルート半ばほどのところに人だかりができていた。巨大な樹を囲むようにして集まっている。説明書をみてみると、樹齢1500年と書いてある。周囲の樹木を圧倒するように枝を広げている。説明書きのついた樹は全部で三本あった。このときは周囲の樹木を代表して3本だけに説明書をつけているのだろうと思っていたが、手元のガイドブックによるとそうではないようだ。この三本は「三宝樹」と呼ばれ、うち2本は柳、一本は銀杏である。伝説によると東晋和尚という人物が自ら西域から持ち帰って植えたものらしい。黄龍寺の門前にあるため、「廟堂之宝(廟堂の宝)」とも称されている。

【樹齢1500年の木(三宝樹)】

 黄龍寺の前で少し休憩。私はその場に倒れこみたいぐらい疲れているが、Pはまだまだ元気。お寺の中をちょろちょろと動き回っている。疲れを知らない奴だ。気のせいか、歩けば歩くほどエネルギーを増しているような気がする。多分、都会(深セン)の暮らしでなまっていた体がここへ来て活性化しだしたのだろう。

 Pが戻ってきて、さあ出発だと思ったところで困った。道が二つに分かれているのだ。一つが山を回りこむような形で進んでいる平坦な道、これが「芦林湖」のところに出る。もう一つが山をつっきるようにして登っていかなければならない道、これは「芦林湖」から少し離れたとこに出ている。両者の間は徒歩で30分ぐらいはありそうだから、ここで間違えるわけにはいかない。運転手は駐車場で待っているといっていたけれどもどちらに駐車場があるのであろうか。

 二人で地図を囲んでうーんとうなっているとふと、こちらを見つめている優しそうな視線と眼があった。すぐそばの石段に座っている若者がこちらを眺めているのだ。よく見ると、首から社員カードをぶらさげている。どうやら、どこかの旅行会社のガイドらしい。「どうした、道がわからないのか?」と声をかけてきた。「そうだ、駐車場はどっちの道にあるんだい」と尋ねると、「あっちのほうだよ」と山を抜ける急な上り坂のほうを指差した。助かった。世の中には親切な人もいるもんだ。私たちは喜んで山を上り始めた。 

 だが、この山道は考えていたよりも険しかった。階段の登り始めは木で補強されていたので良かったが、中途から山僧が通るような普通の山道に変わりだした。とても観光客が通るようなルートに見えない。あれだけいた観光客が一人も見当たらないのもおかしい。徐々に細くなっていく道を前にして(もしや、あのガイドに騙されたのでは・・・)と私たちが思い始めた頃、ようやく「駐車場→」と書かれた粗末な道標が現れた。よかった、本当に親切な人だったんだ。人の親切を疑ってはいけません。

お土産の心

  駐車場まであと一歩というところで、「お茶工場」なるものが目の前に現れた。「ここで作ったものをここで売る」と書かれている。いかにも胡散臭い宣伝文句だ。そう思って振り返ると、Pが「XX(私の名前)、見に行こう、見に行こう!」と嬉しそうに叫ぶ声が耳に入ってきた。こいつはなんて単純なんだ。私がこのPと知り合った(知り合ってしまった)のは神の試練かもしれない。きっとそうだ。

 お店の中に入ると早速口の達者な服務員が寄って来た。話たくみにPを誘導し、とうとう一番高いお茶を売りつけた。私としてはこんなところで名も無いお茶を買って何の意味があるのかと問いたいが、Pにとっては違う。観光地に来て土産ものを買わないのはケチだと考えているのだ。お茶ひとつでケチ呼ばわりされてはかなわないので、Pの好きにさせておくことにした。実際、中国の観光地にはその土地とは全く関係なさそうな土産物が多い。日本でも特色のない場所ではでっち上げのお菓子がよく売られているが、そんなレベルではない。蛇年の記念メダルとか安産祈願のお守りとかただの櫛とかそんなのばかりなのだ。でも、中国の人はけっこう喜んで買っていく。中国通の人によると、土産物の価値ではなく、家族やPのことを忘れていないという事実が大切なのだという。実利派の私には理解しにくいことだ。

 夕方5時半、ようやく駐車場に到着。まだまだ遊び足りないとわめくPをなだめすかして帰途につく。彼女の要求に合わせていたら、真夜中の山道を歩くはめになってしまうではないか。

 6:30、ホテル着。いろいろ不満はあったが、全部で210RMBを払ってタクシーの運転手に別れを告げた。本心を言うと、車両進入代を余分に払わされたのでチップ分の10RMBは払いたくなかった。しかし、どういうわけかPが運転手に好意的なので少しおまけしてやったのだ。ホテルのエレベータに乗ると、案の定、「運転手にはいくら払ったの?」とPが尋ねてきた。「210RMBだよ」と答えると、それならいいわと納得顔になった。こやつの親戚にタクシーの運転手でもいるのだろうか? 

中国の深い闇
 夜7時半、食事に出掛ける。昨日の散策のときにPが目をつけておいた室内屋台村のようなところに入る。最初にお金を払ってコインに交換。部屋のあちこちにある調理台の前に料理が並んでいるので、コインと交換で料理を受け取る。一皿1RMB(コイン)から5RMB(コイン)まで様々な種類がある。店内は本当の屋台と違って衛生的なので安心して食べられる。Pは嬉々として料理を集めて回り、テーブルまでもってくる。私たちのテーブルは10皿ぐらいの料理であっという間に埋まってしまった。こんなに食べきれるものかと思っていたが、Pは私の分担分も補って全て食べきってしまった。細い身体によく入るものだと感心。

 食事を終えると、昨日も来た夜の煙水亭の回りを散策。一枚10RMBに似顔絵描き屋さんがいたので、Pの絵を描いてもらうことにした。Pは椅子に座ってさっそくポーズをとる。ところが、生来落ち着きのない気性であるPにじっとしていろというのは拷問に等しい。あっちを向き、こっちを向きで落ち着かない。絵描き屋が何度もホラ、じっとしてと声をかける。私も「あと少しだから」と声をかけてPをなだめた。まるで子犬におすわりを教えているような気分であった。

 絵を描き終わったところで、大雨が降ってきた。慌てて人力(自転)車に乗ってホテルに戻る。車を降りてホテルのドアに近づいたところで、Pがうわっと声をあげた。「どうしたんだ?」と前を見ると、ドアの前にシーツで覆われた塊がある。「死人よ」とPがささやく。「ホント?」と改めてそれをみると、確かに人の形をしている。慌てて目をそらしてロビーに入る。服務員に「あれは死人か」と尋ねると「そうだ」と返事が返ってきた。「どうしたの?」と問うと「わからない。さっきまで1Fのバーで酒を飲んでいたようだが突然死んだらしい」と答えた。なんだかわからないが、部屋で大人しくしていたほうが良さそうだ。Pを促してエレベータに乗って部屋に戻った。

 部屋に戻ってシャワーを浴びたあと、明日の予定を立てる。列車の時刻表をみながらうなっていると、Pが「そんなに考えていて疲れない?なんとかなるでしょ」と無責任なことをいう。(おまえが考えてくれれば俺は考えなくて済むんだぞ。中国人のおまえがいるのに、なんで外国人の俺が列車の時刻表とにらめっこしなければならんのだ!)と心で叫ぶが口には出さない。体力と時間の無駄遣いというものだ。明日はハードな一日となりそうだ。さっさと寝るとしよう。
続きは「三清山」編をご覧ください。