南昌市の旅


灰色の部分が江西省です。

2006年12月6日
  今回の南昌行きは、旅行が目的ではなく、南昌市で別の用件があったために出かけた。だから、旅の様子は細かく記録していない。しかし、せっかく行ったことでもあるので、可能な範囲で南昌市の紹介をしたい。もともと、江西省には、三年ほど前に一度出かけたことがある。その時は、南昌市に観光地が少ないと感じたこともあって、一泊もせずに交通の要所として三度通過しただけとなった。他の地域の旅行では、省都を外したことはなかったので、いささか心残りになっており、今回の南昌市行きは良い機会となった。

 先日の7年振りの帰国で初めて電子エア・チケットを利用したが、南昌行きでも、電子チケットを中国国内では初めて使用することになった。行きは5割引、帰りは4割引と、シーズンオフだけあって格安だった。往復で、一人1030RMB、二人で2060RMBとなった(空港建設費込み、保険なし)。南昌はすでに冷え込み始めているということだったので、少し多めに着込み、到着後さらに重ね着するようにした。
 早朝6:00、空港へ向けて出発。
 8:00頃、深セン空港発。10:00頃、南昌空港着。リムジンに乗って市内へ(15RMB/人)。
 11:00、インターネットで調べておいたホテルに到着。今回は、インターネットでは予約せず、ホテルの情報と料金のみを印刷して、それをもってフロントで交渉した。無理かなと思ったが、すんなりとインターネット価格を出してくれた。もっとも、インターネット価格と一般客向けと10RMBぐらいしか違わないので、あまり張り合いがない。以前、一人で旅行していた頃は、交渉次第で100RMBぐらい変わることもあったのだが、最近は最初から安い値段を提示してくるのでほとんど交渉の余地がない。ホテルの乱立で、ホテル側の料金提示方式が変わったのだろうか?
 
南昌市内

 午前中、用件を半分済ませて、昼食。湖南料理のような強烈な個性はないが、まずまずの味だった。

第一日目の昼食

 午後、残りの用件を済ませると、南昌市ではもうやることがない。こんなにスムーズに事が運ぶと思っていなかったので、トラブルを見込んで、深センへの帰着便は12月9日にしてある。明日は観光をするにしてもまだ一日残る。変更が効かないものかと、航空会社のチケット販売店を探して2ヶ所ほどタクシーで回るが、二軒とも移転してしまっていて、どこにあるかわからない。やむなく南昌空港のチケットカウンターに電話をすると、「チケットを購入した販売店に電話をして変更をしてもらえば良い」との回答が返ってきた。だが、販売店の電話番号など持ってきていない。電話番号案内を利用するという手もあるが、だんだん面倒になってきた。そこで、大人しく12月9日までここで過ごすこととなった。

 ホテルに戻ってしばらく休憩し、夜を待つ。短い間外を歩いただけだというのにずいぶんと体が冷えている。これまでももっと寒い時期に旅行をしたことはあるが、そんな時は、深センもそれなりに冷え込んでおり、体が寒さに慣れてい た。しかし、今はまだ深センはそれほど寒くないので、急に寒いところに来たことで体がびっくりしているようだ。

 辺りが暗くなってきたところで、ホテル前のレストランで夕食をとった。昼もそうだったが、深センに比べると、料理の値段がぐっと安い。味はここもまずまずと言ったところだった。ぐっと来るような感動はないが、外れでないだけ良しとしよう。

第一日目の夕食

 本日は、早々に就寝。Zは、いつものようにテレビ漬け・・・。はやく寝ろよ。

2006年12月7日
  二日目は、ホテルの朝食バイキングを食べてから、もう一眠り・・・(バイキングはお粥やら焼きそばやら、可も不可もない朝食だった。300RMB以下のホテルなので、こんなところだろう)。今回は旅がメインではないから気楽だ。お昼近くになってようやく起床し、出発。歩くのを渋るZをなだめながら、南昌駅まで徒歩で行った。
 十数分ほどで駅に着いたが、駅の周辺は工事の真っ最中だった。狭い道にぎっしり人が詰まっていたので、構内に入るのは諦めた。三年振りの南昌駅だから、中に入って追憶に浸りたい気持ちもあったが、これも運命だ。南昌駅の外観を写真に撮るだけで満足することにした。
 

南昌駅<1> 南昌駅<2>

 駅前からまっすぐ伸びている道路は、バス・ステーション代わりになっていて、市内や市外へ向かうバスがずらりと並んでいた。その中から、最初の目的地である「縄金塔」へ向かうバスを選んで乗車した。「縄金塔」は私たちが泊まっているホテルの前を通り過ぎて、数分ほどのところにあった。南昌駅へ行かなければ歩いて十数分ほどのところだ。曲がり角のところに、「灶王爺」と大きな看板を掲げた高級そうなレストランがあり、バスを下車したZが「あそこ、あそこでご飯を食べよう」と騒ぎ出す。だが、私は朝食をたらふく食ったので、まだお腹が減っていない。「良さそうなレストランだから、夕食に利用しようよ」となだめる。「○○(私の名前)は私を飢え死にさせる気?ひどいわ」とわめくZをなんとか「縄金塔」の方へ引っ張っていった。

縄金塔へ行く途中

  歩いて5分ほどで「縄金塔」に到着。塔があったら登る。これが私の旅の鉄則!?である。Zは高いところがあまり好きでないらしく、「私は登りたくない~」と駄々をこねる。だが、私との旅で我が儘は許されない。私が行くところにはZも行くのだ。これまでも、一緒に登ってきただろうに。
 細くて長い、梯子のような階段を登って上へあがる。危なっかしいが、木はしっかりしていて、私の体重で階段が折れてしまうということはなさそうだ。私が先に登って声をかけると、Zはぶつぶつ文句を言いながら登ってくる。塔の真ん中辺りで、「怖いからやだ~」とまだゴネるが、「ここまで来たんだから、一番上まで登ろう」と励ます。
 どうにかこうにか、最上階に到着。南昌市内が一望できる。「どうだ。いい眺めだろう。登ってきてよかっただろう」とZに言うと、「まぁまぁね」と不承不承に同意を示した。
 登るのも大変だったが、降りるのも大変。急な階段だから、足を滑らせたら、一巻の終わりだ。「Zが先に降りろよ」と勧めると、「嫌!○○(私の名前)が落ちてきたら怖いから」とのこと。なるほど、そりゃそうだ。私が先に立って、下ることになった。

縄金塔

  追記(2007年1月23日):インターネット上の情報によると、毎年9月にお祭りがあり、「縄金塔」の通りいっぱいに全国各地の屋台が広がるそうだ。

  「縄金塔」を出てしばらく歩いたところで、Zが「お腹が空いた。もう我慢できない」と言い出す。私は朝食をたっぷり食べたのでまだ昼には早い感じだ。「もうちょっと我慢しろよ」と言 ったが、「駄目!絶対食べる」と宣言してすぐ横にあった小汚い小さな食堂に入ってしまった。やむなく私も後に続いた。席に着くと、おばあちゃんが出てきて何にする?と尋ねてきた。Zは、「モヤシ、モヤシだけ炒めて!あと、ご飯もちょうだい」と答えた。おばちゃんは、困った様子で、「スープもどう?」と私に向かって話しかけてくる。私が「いや、俺はいらないんだ」と手を振って断ると、再びZの方を向いたが、「もやしだけでいいのよ」とZに冷たく宣言されてすごすごと引き下がった。
 しばらくして、もやしをジャージャーと炒める音が聞こえてきた。Zは私を睨め付けて、モヤシだけなんだから文句ないでしょ!と言いたげだ。(まぁ、文句はないのだが、ちょっと我慢するぐらいできないのかな?)と毎度のことながら不思議に思う私だった。やがてお皿一杯のもやし炒めがテーブルの上にのせられ、Zは満足そうに微笑む。続いて、大きなどんぶりに山盛りのご飯も登場!田舎では当たり前のことだが、深センでの上品(?)な生活になれてしまったZには予想外のことだったらしく、鼻白んだ顔をした。「そんなに大きなの頼むつもりなかったんだけど・・・」と言い訳を している。もちろん、私にとっても予想外だったが、「自分で頼んだんだから、ちゃんと全部食べろよ!」と冷たく言い放った。Zは開き直った様子で、食事にとりかかる。二、三口食べた後、「美味しいわよ。このモヤシ炒め!○○(私の名前)も食べてみなさいよ」と誘いをかけてきた。 モヤシにうまいも何もあるもんかと思いつつも、割り箸を取って手を伸ばす。「うん、美味しいね」。思わず声を上げた。肉は一欠片も入っていないのに、とてもうまい。Zは「ほら、美味しいでしょ」と自慢げだ。(いや、お前が作ったわけじゃないし・・・)。
 少し食べて食欲を誘われたので、さらに箸を伸ばす。いや、なんだかお腹が空いてきた。二人で夢中になって食べ、モヤシが半分ぐらいになったところで、Zが「○○(私の名前)はもう食べちゃ駄目!」と言い出した。無視して食べ続けようとすると、皿を持ち上げて、ご飯の入っているどんぶりの上に、全てのモヤシをひっくり返した。「これで手が出せないでしょ」。どんぶりを抱えて食べ始める。おい、 それはないだろう。
  お腹いっぱいになって満足したZは、「お会計」とおばちゃんを呼び出す。おばちゃんはブスッとした顔で、「6RMB」と答えた。「6RMB!」。びっくりする私たち。この辺りだったら、5RMBも出せば、それなりの定食が食べられる。もやしだけで6RMBとは高すぎる。Zはいったん交渉を試みるが、「6RMB」を繰り返すおばあちゃん相手に勝ち目はないとみたらしく、素直にお金を払った。「美味しかったけど、高いモヤシだったわねぇ」とつぶやくZだった。

 次の目的地「滕王閣」へ向かう。「站前西路」を下って、「撫河中路」に出ると北に向かって進む。この通りは東側が住宅街になっているのだが、個人経営と思われる盲人按摩屋がやたらに多い。マンションの1Fを改造してお店にしているのだ。二軒や三軒なら、中国ではそんなに珍しいことではないのだろうが、数えてみただけでも、10軒を越えていた。(帰宅後、インターネットで調べてみた。いくつかの記事によると、南昌の盲人按摩は中国では北京に次いで有名なのだそうだ。1961年に北京で研修を終えた盲人たちが、汪氏の指導のもとで、南昌で最初の盲人按摩診療所を開いたのだという。それ以来、盲人按摩は急速に広まったが、近年は風俗まがいのサービスをする店が増加したり、乱立による競争の激化により質が低下し、かつての勢いはなくなっているとのことであった)
 「滕王閣」までの道のりは意外に遠く、なかなか到着しない。地図を改めて広げて検討してみると、あと一時間以上は歩かなければ着きそうもない ことが判明した。バス停を見つけ たZが「私はバスで行くわ。○○(私の名前)だけ歩いて行きなさいよ」と宣言し出す始末だ。 私もさすがに歩き疲れていた。何より、寒さが身に応える。Zと一緒にバスを待って乗車することになった。

滕王閣へ行く途中

 バスに乗って十数分で下車。ところが、下車するバス停を間違えて、だいぶ手前で降りてしまった。再び十数分ほど歩くことになった。
 そして、「滕王閣」に到着。「滕王閣」は中国の四大名楼、また江南の三大名楼の一つである。江南の三大名楼のうち、湖南省の「岳陽楼」と湖北省の「黄鶴楼」はすでに訪れたので、これで最後の一つとなる。ちょっとした喜びだ。「黄鶴楼」は大通りに面していたが、「滕王閣」は少しひっこんだところにあった。シーズンオフということもあって、観光客は少なかった。堂々とした楼閣で、味わいとしては「岳陽楼」よりも、「黄鶴楼」に近かった。向かって右側に小さな楼閣がいくつもあって、その間を縫うように通路が走っていて、散策が楽しめるようになっていた。楼閣の各階に様々な芸術品が観賞用に並べられている。一番上では、無料の演奏会を楽しむことができる。各階からは、南昌市内が広く見渡せた。

滕王閣

 追記(2007年1月23日):インターネット上の情報によると、同じく江南の三大名楼である「黄鶴楼」、「岳陽楼」よりも、高さ・面積ともに勝っているとのことだ。私の実感としては、「黄鶴楼」の方が高かった気がしたが、それは「黄鶴楼」が高台に建てられているためであったようだ。

 「滕王閣」を出ると、来る途中で見かけた「足マッサージ屋」で一休み。たいていそうだが、地方の足マッサージ屋は深センと比べると値段が高い。しかし、 きちんと研修を受けてる場合が多いので、外れが少ない。ここでもしっかりマッサージしてくれたので、足がずいぶんと軽くなった。

  店を出ると、もう夕食の時間だ。ガイドブックによると、「福州路」という通りに食事所が多いようだ。タクシーに乗って、そちらへ向かった。「福州路」で下車してぶらぶらと歩き回る。しかし、Zは途上にあった商業街の「勝利路」に行きたくてしかたないらしく、食事に乗り気でない。やむなく、再びタクシーで「勝利路」まで戻ることになった。

南昌市福州路

   「勝利路」は古くから商業街として栄えていたが、「八一大橋」の改修工事の終了とともに、人や車の流れが変わり、かつての繁栄は見る影もなくなったのだそうだ。そうした状況を改善すべく、政府主導で2001年9月から大々的な工事が行われ、2002年1月20日に歩行者専用の商業街としてよみがえったのだという。それ以来、 官民をあげて、偽物商品の撲滅に取り組み、現在の繁栄を勝ち得たらしい。

 

南昌市勝利路

 「勝利路」を歩き始めると、Zの目が輝いた。獲物を狩る猟犬のように、服飾店を睨め回している。うぅ、怖い。Zはそんなに大きな無駄遣いをするわけではない。しかし、店への滞留時間が長いので、私はその間やることがなく非常に退屈なのだ。一緒に店内で待っていると、いつまで経っても店を出ようとしないから、私はずっと外で待って寒い思いをして街並みを眺めているはめになる。こうした商業街に来るとたいていその繰り返しになるので私としてはあまり来たくないのだが、ショッピングはZの最大の楽しみだから妨げては、後に「あぁ、つまらなかった」などと言われてしまう。それで、やむなくつきあう次第だ。
 「勝利路」の全長は1キロ近い。これを隅々まで見て回り、中山路に出たところで、ようやくZも満足した様子をみせた。「疲れたわ。そろそろ、夕食にしましょうよ」とのこと。「どこで食べる?」と尋ねると、 「どこでもいいけど・・・」と曖昧な答えだ。「じゃあ、昼間の『灶王爺』にするか」と言ってやると、「うん、うん」と首を縦に振って大喜びだ。夕食は、「縄金塔」近くの「灶王爺」に決定。

二日目の夕食

 「灶王爺」の料理はやや甘口の美味しさだった。スープは特に美味しかった(スープは甘口ではなく、中華薬材スープ)。しかし、料理が出てくるのが遅かったため、Zはお怒り気味となり、大きな期待をもってやってきたにも関わらず、この店への評価は低かった。

 夕食を終えると、ホテル前の果物屋で、Zがイチゴを一山買って部屋へ戻った。そう言えば、昨日もイチゴを買っていたな。
 本日はこれでお休み。

2006年12月8日
   本日の朝食はホテルで食べるのをやめ、ホテル近くの小さな食堂でとることになった。Zは昨日のモヤシの美味しさが忘れられないらしく、「ああいう小さな食堂のほうが美味しいのよ!」と張り切っている。「今日は、ちゃんとメニューで値段を確認するのを忘れないようにしようね」とお互いに注意し合うのを忘れない。

 
三日目の朝食

 家族経営の小さな食堂で、息子らしき体格の良い若者がレジを受け持っている。私たちのテーブルのすぐ横にデスクがあり、大きな液晶画面でネットワークゲームに忙しそうだ。料理を作るのは両親の役目らしい。朝食(といってももう昼近いが)の料理は至極好評。Zは何度も「ほらっ、やっぱりこういった店の方が美味しいでしょ!」と自慢げに繰り返す。(いや、お前が作ったわけじゃないから)。

  食事をしながら地図をチェック。今日最初の目的地は「八大山人記念館」である。昨日、地図をちらっと眺めた限りでは市の中心から離れた場所にあったので、できれば、タクシーでなくバスで行きたい。そう考えながら、地図にあるバスのルートを追ってみる。しかし、残念なことに、「八大山人記念館」はバスのルートから大きく離れた場所にあることが判明した(これは誤りで実際には、すぐそばまで行くバスが存在した)。市街から離れた辺鄙な場所で、迷ったら目も当てられない。結局、タクシーを利用することになった。

  タクシーを数十分走らせ、「八大山記念館」に到着。湖に囲まれた小さな公園といったところだが、残念ながら湖がいささかどぶ臭い。しかし、それを我慢し、橋を渡り 入場すると、落ち着いた感じの敷地が広がっている。臭いも敷地の中までは入ってこない。建物の中には、主に水墨画が飾られていた。観光客等はおらず、美術専攻と思われる学生が数人、敷地内で絵を描いているのに出会う程度だった。テクテクと散歩をし、敷地と建物の内部を一通り眺め見て外へ出た。

八大山人記念館

 追記(2007年1月23日):八大山人は、本名を朱名耷という。1626年生まれ、1705年没。明朝の創始者「朱元璋」の子孫の一人でもある。明が清に取って代わられたのを機に出家した。その後、僧として評判をとりすぎたために、清朝に睨まれ監禁状態に置かれた。我慢しきれずに、再び俗世に戻り一般庶民として暮らすようになった。書家、詩人、画家として名を上げたが、富に執着せず、貧しい生活を送ったとのことである。

 さて、帰りはどうしよう。 タクシーで来る途中、観光ルート用バスを見かけた。地図には観光ルート1号線のバスしか書いてなかったが、見かけたのは観光ルート2号線というバスだった。あれに乗車することができれば、安く帰れそうだ。テクテクと歩いて行くと、途中に警察学校があり、下校途中の 学生が通りをたくさん歩いていた。皆、生き生きとした表情をしている。中国を良い国にしようと燃え立つような気持ちに溢れているようにも見えるし、そ んなことには関心がないようにも見える。そもそも中国で警官になれるということは、良い仕事についたことになるのだろうか。軍隊に入るのと比べるとどうなのかな?

八大山人記念館の近く

 警察学校の前を過ぎ、しばらく歩くと、観光バスが見えてきた。近くに寄って確認すると、確かに観光ルート2号のバスだ。これに乗車して市内の中心部に移動すれば良い。適当なところで下車して、次の目的地へ行くとしよう。

 長距離の移動となるとバスが必須だが、市の郊外となると、バスとタクシーの二つの選択肢がある。だから、上手にバスを使って移動できると、ずいぶんと得した気分になれるのだ。それはZも同じらしく、「バスは安いわよね。タクシーだと何倍もお金がかかるもの。来るときもバスで来ればよかったのに」とか言っている。放っておくと何を言いたい放題になるので、「地図に載ってなかったんだよ。自分で調べないくせにかってなことを言うな」と釘を刺しておく。Zはそっぽを向いて、「何よ。バスなんてそこら中にあるじゃない・・」と小さな声でぶつぶつと言って黙り込んだ。

南昌八一起義記念館

  追記(2007年1月24日):1927年8月1日、周恩来、賀龍、葉挺、朱徳、劉伯承等に率いられて2万人以上が国民党の支配に対して武力蜂起した。「南昌八一記念館」は、この時総司令部があった場所に、1956年になって建てられた記念館である。70周記念の時には、改修が行われ、現在の音や光、電気等を利用した影響力の高い記念館となったそうだ。

  市内に入ると、タクシーに乗り換えて「南昌八一起義記念館」へ向かった。身体が冷え込むと、疲労が激しい。記念館に入る前に、近所の日式レストランでコーヒーを飲んだ。一杯10RMBと安い。しかし、安いだけあって、それなりの味だ。身体を休めたところで、記念館に入場した。当時の部屋を再現したものや英雄たちの写真以外に何があるわけでもなかったが、建物自体に歴史の重みを感じることができた。

南昌市内<4>

 「南昌八一起義記念館」を出ると、「佑民寺」へ向かう。Zの反対を押し切り歩いて行くことにしたのは良いが、 歩いても歩いてもそれらしき建物が現れてこない。代わりに、ないはずの川が現れた。さすがにおかしいと気づいて、地図を取り出す。なんと地図を読み違えて、反対方向に進んでいたのだ。
 「道、間違えてたみたいだ」
 「やっぱり~、おかしいと思ってたのよ」
 カンカンになって怒るZ。
 「まぁ、まぁ、誰にでも間違いはあるから」
 なだめてみるが、役に立たない。
 「タクシーに乗って行こうか」と言うと、「決まってるじゃない」とZは道路に向かって手を振った。

佑民寺

 タクシーで、「佑民寺」に到着。ごく普通のお寺だ。奥まで入って、中を覗いて終わり。これで、南昌の主な観光地は全て回った。
 
   追記(2007年1月23日): お寺の奥には、清朝の頃に重量が18トンの銅製の仏像が設置されている。当時(南昌では)「南昌は貧しいことは貧しいが、それでも1万8千キロの銅がある」と言われたという。当時のものは、文化大革命で破壊され、現存するものはその後に再建されたものだそうだ。

南昌市内<5> 南昌市内<6>

 昨日の勝利路で軽く食事。それから、辺りを散歩して、ホテルへ戻った。 

2006年12月9日
 早朝、タクシーで空港へ向かう。乗ってしばらくして、高速道路代のことで折り合えず、下車。別のタクシーに乗り換えて再び空港へ向かった。
 前回来たときもそうだったが、南昌の空港ロビーは、ごちゃごちゃしていて、どうも好きになれない。中国移動だかのVIP室がやたらとでかい面積を占めている。ちょっとおかしな感じだ。
 
 今回は、飛行機の遅れもなく、順調に深センまで戻ることができた。深センはやはり暖かい。深センというのは、歴史の少ない街で非常につまらないとも言えるが、暮らしやすさと言う点では、この暖かさにだけでも50点をあげたい。