8:00起床。今日を草原行きの日にすれば良かったと思うほどのいい天気だ。Zが「少し熱があるみたい」というので、額に手を触れてみるとわずかに体温が高い気がする。「大丈夫か?」と尋ねると、「大丈夫、大丈夫」と元気な答えが帰ってきた。昨日の草原行きは、けっこう強行軍だった。きっと疲れが出てきたのだろう。「今日、休んでもいいんだぞ」。「ダメ!絶対行く」。まぁ、今日は市内巡りだ。いざとなったら、タクシーを飛ばして帰ってくればいいか。
準備を整えて出発という段になって、Zが「もっと服を着たほうがいいわよ」と私に呼びかけた。「ええっ、いい天気だぞ?」。「そう見えるけど、外は寒いわよ」。そこで、持ち上げかけた荷物を下ろし、窓を少し開けてみた。冷たい空気が中に入ってくる。確かに寒い。「なんで、わかったんだ・・・。ああ、俺がシャワー浴びている間に窓開けたのか?」。「そうよ」。
一緒に生活していても、Zはとにかく窓を開けたがる。夏は蚊が入ってくるので迷惑な習慣だなと感じることが多いが、こういうときは役に立つなぁ。ありがたく忠告を受け入れ、もう一枚、服を着込んだ。
部屋を出て1Fへ降りる。居心地が良かったので、このホテルに今晩も泊まることにし、保証金300RMBを追加で支払う。そのまま、ホテルのロビーを出て、同じく1Fにある麺屋で朝食。Zは豚肉刀削面の小で3RMB、私は羊肉刀削面の大で4RMB。「熱は大丈夫」と声をかけると、「大丈夫、大丈夫!」と元気だ。この様子なら、問題ないだろう。
9:30、昨日と同じく駅前のバス・ステーションに到着。本日、最初の目的地は「昭君墓」。王昭君と呼ばれる女性のお墓である。当時、匈奴の長である呼韓邪単于(こかんやぜんう)が漢の王族のものを嫁に頂きたいとやってきたので、皇后と同姓である宮女の「王昭君」が選ばれて、嫁ぐことになったのである。
皇帝は対象の女性を選ぶに当たって、画師に候補者の絵を描かせたのだが、どの候補者も画師に賄賂を贈り、実在よりもよく描いてもらっていた。ところが、「王昭君」だけは賄賂を贈らなかったので、一番醜く容貌を描かれてしまったのである。
どうせ蛮族の嫁にやるのだからと、最も劣った容貌の女性の絵を選んで匈奴にやることに決め、呼韓邪単于に預けた後、最後の見送り時に王昭君を激励に行って皇帝は驚いた。絵の女性とは全く違う、絶世の美女だったのである。皇帝はこれを惜しんだが、もはや時遅し、腹いせに画師を処分してしまうことぐらいしかできなかったという故事がある。その王昭君のお墓が「昭君墓」だ。
まずは、「昭君墓」行きのバスを探さなければならない。地図に書いてある路線表によると、「昭君墓」に行くには、44号線に乗らなければならない。しかし、44号線はどこにあるのか。バス・ステーションの中を見る限り、「昭君墓」行きのバスはないようだ。すると、外か。だが、外をウロウロしてみて、44号線はない。うーん、困ったなー。・・・と、地図売りのおじさんがやってきて、「どこへ行くんだ?」と声をかけてきた。「昭君墓!」とZがすかさず答える。まったくこいつは誰にでも簡単に行き先を教えやがって・・・、と内心怒りに震える私であったが、言ってしまったものは仕方がない。地図売りのおじさんの説明を聞いてみよう。「『昭君墓』はな、1号線に乗って、○×○▲◇・・・・」と説明し出す。最後に「全部この地図に載っているから」と買えよとばかりに地図を前に差し出した。「いや、地図はもっているから」と私は割り込み、話を中断させ、Zを連れてその場を立ち去る。
だいたい、私はこの地図売りの人たちには、あまり良い印象をもっていない。中国に来た当初は何も知らなかったので、旅行中、駅に到着するたびに地図売りから地図を買った。駅に到着して、そうそうに地図売りから地図を手に入れ、目的地を見定めるというのを得意にしていたぐらいだ。ところが、ある時、地図売りから手に入れた地図が古いバージョンのものであることに気づき、多くの地図売りが売っている地図は、旅行者が捨てていったものやゴミからあさったものであることを知ったのである。通りでときたま、やけに汚い地図があったわけだ。それ以来、地図売りから地図を買うことは滅多になくなった。今まで頼りにしていたから、可愛さ余って、憎さ100倍というやつかもしれない。
私が再びバス探しを始めると、Zが後ろから「こんなところであっちへ行ったりこっちへ行ったりしていたら、お昼になっちゃうわよ。バスに乗りましょうよ」と話し掛けてくる。「そんなこと言ったって、どのバスに乗ればいいんだよ」。「地図売りのおじさんが1号線って言ってたでしょう」。「1号線ねぇ」と疑わしげな私。まあ、地図で確認してみるかと広げる。「でも、1号線のラインには『昭君墓』はねぇぞ」。「『南茶坊』で乗り換えるって言ってたわよ」。「うーん」。「ほら、1号線のバスが来たわよ」。「わかった、わかった」とバスに乗り込む。まぁ、間違っていても、タクシーで行きなおせばすむ話だからな。
バスは一元/人。私が地図とにらめっこしていると、Zが「地図なんてみなくていいわよ。『南茶坊』で降りればいいんだから」とうるさい。「今日行くのは、『昭君墓』だけじゃなくて、『席力図召』とか他にもあるんだから、通り道だったら、帰りに寄れるだろ」と説明するとようやく納得してくれた。
ぐねぐねと何度も道を曲がってようやく、終点らしき場所に来た。ただ、道路脇のプレートには「南茶坊」ではなく、「南駅」とかかれている。これはどうしたことだ。地図の上にあるマークはバス・ステーションのようだしなー。とにかく降りてみるか。「○○(Zの名前)、降りるぞ!」と呼びかける。窓の外をボーっと見つめていたZは慌てて私について下車した。
降りてみると、どうも様子が違う。建物に「家具市場」と書かれている。通行人をつかまえて、「ここは南茶坊ですか?」と尋ねてみると、「違う」と答えた帰ってきた。「それじゃあ、どっちですか」とたずねると、男はバスの進行方向と同じ方角を指差した。 そうか、もう少し先だったのか。地図を広げて、じっくりみてみると、「南茶坊」とは書かれていないが、ひとつ先の十字路に、バスの乗り換え場所のようなところがある。「一駅手前で降りちゃったみたいだよ。ちょっと歩いてみよう」とZを促す。えー、と文句ありげな表情のZを「ごめん、ごめん。でも、お前だって、みてなかっただろ!」と言いくるめて、歩き出した。
「○○(私の名前)は歩くの好きだから、わざとやったんでしょ」。「冗談だろ。わざとやる奴がいるかよ」と言い返すと、「わかってるのよ。絶対、わざとよ」。いや、いや、いくら俺でもそこまでやらないよ。
「とにかく、もう二百メートル歩いて着かなかったら、バスに乗ろうじゃないか」、「ほら、そこに面白い店があるよ。歩かなきゃ見れなかっただろ、この店」と続けざまに励ましの言葉をかけるが、なんだか言い訳しているみたいだ。黙って歩こう。
十字路に着いたところで、Zがバス停を発見。「でも、そっちは地図に書いてある場所と違うぞ。別のバス停じゃないのか」と抵抗するが、「駄目!絶対あそこよ」と頑固だ。騙されて歩かされると思っているらしい。疑り深いやつだ。
Zの判断は正しく、そこから「昭君墓」行きの44号線バスが出ていた。チケットは1.5RMBとずいぶん安い。その代わり、バスがぎゅうぎゅう詰めになるまで、客引きが続いた。公共バス路線なのに、ずいぶん強引な商売だ。
10:30、発。満員バスの中をヨタヨタしながら、無事に到着することを祈る。そんなに遠くはないはずだと自分を励ましているうちに「昭君墓」着。10:45。
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【昭君墓<1>】 |
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【昭君墓<2>】 |
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【昭君墓<3>】 |
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【昭君墓<4>】 |
入場チケットは、35RMB/人。いくつかの石碑を眺めたのち、中央奥の小高い丘に登る。この丘の下に王昭君が眠っているというわけだ。私たちはこの丘を右手の階段から上り、左手の階段から降りていったのだが、面白いことに気づいた。鉄でできた左手の階段の取っ手がひんやりと冷たいのだ。確かに丘のこちら側は、少し影になっていて、強い日差しをさえぎっているが、この冷たさは普通ではない。どうやら、地下水が中を走っているようだ。偶然なのか、観光客を楽しませる粋な計らいなのか、理由を聞いてみたいが、尋ねられる人もいない。
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【昭君墓<5>】 |
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【昭君墓<6>】 |
頂上からみた「昭君墓」の敷地は緑でいっぱいで、中国四大美人の一人に数えられる「王昭君」の墓にふさわしく、非常に美しい作りであった。しかし、馬上民族たちがこんな山みたいなお墓を作るとは思われない。きっと後世の人たちが王昭君を惜しんで、こんな美しい場所に祭ったのだろう。まぁ、それも、素敵な話ではあるか。
「昭君墓」を出て、目の前のバス停で帰りのバスを探す。来たときと同じ44号線で戻ればよい。ささっと目を走らせると、すぐに44号と書かれたバスを発見。どこかでみたことがあるような・・・と思っていたら、客引きをやっている男が来たときと同じ。当然、運転手も同じであった。強欲そうな顔をしているから、一度見たら忘れるものではない。まぁ、毛嫌いしても、選択の余地はない。素直に乗車。
このまま、「南茶坊」まで戻ってもよかったのだが、途中の「農業学校」というバス停で下車することにした。ここで降りれば、1号線の始発に乗ることができ、座っていけると考えたからだ。
ところが、下車してみて、誤りに気づいた。バスがなかったわけではない。バスはあったのだが、バスに乗る小銭がなかったのである。ここら辺のバスは皆、お釣りなし方式。客があらかじめ小銭を用意しなければならないのである。Zが果敢にも、バスに突進していき、運転手に10RMBを見せ「お釣をもらえる?」と尋ねたが、首を振られてあえなく玉砕。
「じゃあ、対面のお店で、ジュースでも買ってくるわ」と道路を渡っていくZの背中を見ながら、反省をする。こっ、小銭を確認せずに下車してしまうとは・・・、不覚~~。待っている間に周囲を見回していると、道路の一角にタクシーがたむろっているのに気づいた。それも、ただのタクシーではない。三輪車のタクシーだ。これに乗らない手はない。「小銭が手に入ったわよー」と笑顔で戻ってきたZの手を引っ張って、三輪車を指し示す。「あれに乗ろうよ」と言うと、Zも興味をもったらしく、即同意してくれた。
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【三輪車】 |
激しい交渉の末、三輪車は8RMBで「五塔寺」まで行ってくれることになった。なんだか高い気もするが、相場がわからないのでどうしようもない。この三輪車はフフホト市内ではあまり見かけなかった。もしかしたら、郊外でしか客をとれないのかもしれない(12:20発)。
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【五塔寺(1)】 |
12:30、五塔寺着。入場料は15RMB/人。こじんまりとしたお寺だか、敷地の一部に陣取る小さな建物の上にそびえ立つ5つの塔が他のお寺との違いを際立たせている。入り口があったので、近寄ってみると、階段で上にあがれるようだ。石段を抜けて、お城の上にあがってみた。一つ一つの塔の周囲には鉄格子があって、塔には触れないようになっている。一つの塔が占める面積は3平方メートルほど。それが狭い屋上にひしめき合っている。箱庭のお城に入り込んだようで面白い。中国には、このような塔をもった寺が全部で5つあり、北京の真覚寺、登雲寺、西黄寺、そして昆明の妙玄寺が、他の4つだそうだ。これらのうち、フフホトの五塔寺は一番遅く作られたとのこと。それゆえ、もっとも美しく精巧な造形をしているらしい。
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【五塔寺(2)】 |
塔のある建物から降りて、ヘチマで覆われた通路にあるベンチで一休み。ヘチマって、こんなに長かったっけ?まぁ、とにかく、ここは涼しくて気持ちがいい。ずっと座っていたいが、そうもいかない。次は、席力図召だ。
地図で見る限り、「五塔寺」と「席力図召」は非常に近い。「歩いていくぞ!」と宣言し、地図の示す方角に向かって進む。Zはかなり嫌そうだ。もっとも、Zは歩くことが苦手なわけではないようだ。歩いて、日焼けしてしまうのが嫌なのだ。女性としては、もっともな話かもしれない。でも、私と一緒に旅行する以上、その辺はあきらめてもらうしかない。「行くぞー、行くぞー、歩いて行くぞー!」と掛け声をかけながらZを導いていく。
元気よく歩き出したのはいいが、なんだか道がだんだん細くなっていく。その上、道路脇にあるのはボロ屋ばかりだ。一人だったら、心細いところだ。もっとも、こういう機会ででもなければ、中国の庶民が暮らしている家々をみることもできない。なんでも楽しめることは、楽しむことにしよう。
フフホトの庶民の家は、レンガ作りの煙突が上に突き出ていることが多い。寒い北方では、安価な暖房設備が欠かせないからなのだろう。私の住んでいる南方ではあまりみない光景だ。
勇気をもって、道を突き進んでいくうちに、屋台が並んでいる場所に出た。見ると、餡子をカステラで包んで揚げたお菓子(?)が売っている。「いくら?」と尋ねると、なんと5個で1RMB。昨晩食べた「豆皮串」もそうであったが、フフホトの屋台食は深センと比べると、圧倒的に安い。安いとは言え、5個も甘いものを食べることはできないので、1個でいくら?ときくと0.3RMBとのこと。ちょっと割高だ。ビニール袋に包んで差し出されたお菓子をさっそく口にしてみる。うん、おいしい。頬を緩ませている私をZがうらやましそうな目で見つめる。
「○○(Zの名前)も食べるか?」と聞くと、「いらない。私は・・・」ときょろきょろ周囲を見回した後、「私はあれ食べる」と一つの屋台に近づいた。「醸皮」とある。穀物の粉を練って面にした簡単な食べ物だ。つゆと面を一緒にビニールに入れて、こちらに渡してくれた。ところが、割り箸がない。Zが「割り箸は?」と尋ねると、「そんなのないわよ」と答えが返ってきた。どうやら、近所の住民が持ち帰って食べることしか想定されていないらしい。考えてみれば、私たちがここを通りがかったのだって、偶然に過ぎない。「箸なしでどうやって食べろっていうのよ」とZが文句を言うと、「あの辺の店でもらいなさい」とそっけなくあしらわれた。
「運が悪かったと思ってあきらめろよ。ホテルに戻ってから食べればいいじゃん」とからかうと、Zは「駄目。悪くなっちゃうよ。絶対にここで食べる」と言い張った。そして、屋台のおばさんが指し示した餃子・ワンタン系の店に向かう。
しかし、さすがに「割り箸ください」とは言いにくかったのだろう。入り口の前で躊躇して中をのぞきこんでいる。かわいそうになったので、「割り箸だけ売ってくれって言ってみろよ」とアドバイスをしてやる。それで元気づいたのか、意を決して、「すみませーん」と店の中に声をかけ始めた。すぐに店主と思われるおばあさんが出てきて「何?」と返事をよこす。「割り箸がほしいんだけど・・・」とZが袋に入った「醸皮」を見せると、おばあさんは一旦引っ込んで、割り箸を手にして現れた。「あげるよ」とZに渡す。Zが「いくら?」と尋ねると、「いらないよ、お金は」という。「ありがとう」と感謝を示して、Zはうれしそうにこちらに戻ってきた。「よかったね」と声をかけると、「うん」と本当にうれしそうだ。
途中、座る場所がなかったので、「席力図召」に着いてから食べることになった。適当な場所はないかと周囲を見渡していると、Zはさっさとビニールの袋を開け、お寺の入り口にある石段に座り、むしゃむしゃとやりだした。「ちょっと待て。ここじゃまずいだろう」と言ってみたが、すでに私の声は耳に入らないようだ。いつお寺の人に叱られるか気が気でなかったが、なんとか無事食べ終わってくれた。Zは満足げな顔をして立ち上がった。結局、私の気が小さすぎるのだろうか・・・、いや、違う、違う。一瞬、精神の迷路に入り込んでしまった。
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【席力図召<1>】 |
「席力図召」の入場料は、10RMB/人(13:20)。門構えをみたとき、すでに予感がしていたが、驚くほど寂れている。ガイドブックの紹介では、ずいぶん立派なお寺のように書かれているのに、今や参拝客もろくに来そうにない。唯一、白い建物にカラフルな彩りの装飾がなされたチベット式仏塔だけが、このお寺の華といえるだろう。それでも、Zはさすが中国人。仏像に向かって跪き、額を地面にこすりつけるようにして三回おじぎをしていた。
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【席力図召<2>】 |
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【席力図召<3>】 |
「席力図召」を出て、対面にある「大召」へ向かう。こちらは、見るからに立派。観光収入を有効に使って、模様替えをしてあるようだ。参拝客が絶えない。入場料は15RMB/人。こんな近くにある二つの有名な寺がなぜ外観にこれほどの差があるのだろう。実に不思議だ。歴史的な説明は後日、改めて追記することにしたい。
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【大召<1>】 |
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【大召<2>】 |
「大召」を出て、タクシーで「内モンゴル博物館」へ向かう(8RMB)。この博物館は、説明によると、アジア最大の恐竜博物館でもあるとのこと。しかし、何をもってアジア最大と決めるのだろうか?展示物の多さかな。
内部はモンゴル人の生活様式を示す様々な品が展示されていたり、巨大な恐竜の化石が置いてあったりと、飽きがこない。恐竜の卵って意外に小さいんだなぁ。ここでお土産用にウールのマフラーを買い込む。安いんだか、高いんだか、まったくわからない。
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【内モンゴル博物館<1>】 |
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【内モンゴル博物館<2>】 |
博物館を出ると、ホテルまでは徒歩で戻った。一応、市内の観光地はほとんど回ったので、それなりに満足だ。ただ、一人のときにはいつもやっていたような、市内をグルグルと歩き回るような、街並みを楽しむ旅ができないのは少し残念。ただ、Zといることによって、普段だとタクシーで済ませてしまうようなところでも、バスで行こうと自分に意識付けできるというメリットもある。15:30、ホテル着。
16:00、ホテルを出て、郵便局へ。日本の家族へお土産を送る。「昭君墓」で購入したモンゴル銀(もどき?)のアクセサリと内モンゴル博物館で購入したウールのマフラー等の安いものばかりだが、EMSで送ると、郵送費が相当かかる。それでも、局員の対応がはやいので、どうしてもEMSを選ぶことになる。
夕食はホテルの隣にある焼肉屋でとる。残念ながら、特に美味しいということはなかった。なんだか、モンゴルに来てから、あまりうまいものにお目にかからないなぁ。
ホテルに戻って、今後の計画を立てる。今回の旅行は全部で6日間だが、最初と最後の二日間は、深セン⇔フフホト間の移動なので、内モンゴルの旅に使えるのは実質たったの4日間のみ。すでに、2日間を使ってしまったので、残るはたったの2日間。しかも、最後にフフホトまで戻っていなければならない。次の日の朝早くに深セン行きの飛行機に乗らなければならないからだ。
前半の二日間は、それなりに充実した旅をしたつもりであったが、最大の目玉であったはずの草原行きが、予定よりもショボイものになってしまったのが痛い。草原の上に仰向けに寝転がって、満天の星々を眺めるという夢が実現できなかったのだ。それならば、明日、別の草原にトライしてみるか。でも、二日間では近場の草原にしかいけない。それでは、草原の状態もあまり変わらないのではなかろうか。もし、そうだとしたら、今回の旅全体が散々だということなってしまう。
ガイドブックをみると、フフホト市の隣の「包頭市」近くにある「响沙湾」という観光地が面白そうだ。ただ、正確な距離が読めない。
Zに向かって、「响沙湾というところがあって、砂漠でラクダに乗れるんだけど・・・」と説明をすると、「行こう、行こう」と大いに乗り気だ。「でも、ここから行くとなるとかなり時間がかかるから、今回は無難に、包頭市の散策等にしておいたらどうかな?」という提案もしてみたが、即座に却下。「そんなんだったら、ツアーで来たほうが良かった」などとひどいことを言う。仕方がない。ツアーよりつまらないなどと言わせるわけにはいかない。「わかった。その代わり明日は早起きだぞ!絶対起きろよ」と少し脅して、ねむりに着いた。
この旅は「包頭<バオトウ>探検記」に続きます。
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