西寧市の旅


2009年8月19日
 この西寧探の旅は、蘭州の旅から続いています。

 もうすぐ西寧に到着だ。この辺は蘭州に比べて涼しい気候のせいか、ビニルハウスが目立つ。理由は不明だが、3方向は土壁で、上方と残りをビニルで覆うようにしている。きっと突風が吹くことが多いのだろう。
 さて、銀川で体調を崩し、蘭州でも治らず、そのまま西寧までやってきてしまった。蘭州で飲んだ薬が効いたのか咳は止まり始めた。しかし、発熱が続いているため体力の消耗が激しい。正直、これでは青海湖に行くどころではない。いや、もう観光うんぬんを言っている場合ではない。何としても熱を下げないと広州行きの飛行機に乗れない可能性がある。相当やばい事態だ。
 「旅行先で病気になり、帰ってこれず、お休みさせて頂くことになりました」。こんなことを言うはめになるのだけは避けなければならない。 飛行機が駄目なら、列車かバスだ。しかし、まる二日はかかりそうだし、咳が出始めたらやっかいなことになる。とにかく、今日症状の改善がみられないようだったら、明日は病院に行って点滴を打ってもらうとしよう。
 

 心も体もグレーな状態だが、空は青々としている銀川→蘭州→西寧と移動するにつれ、空が白から青に変わっていくのが面白い。

   13:40、西寧バス・ステーションに到着。ここは珍しいバス・ステーションで、バスの到着口・出口は1Fだが、客の入場とチケット売り場は2Fという構造になっていた。

 1Fに出て売店で地図を購入する。本来はここでインターネット(www.ctrip.com)で調べておいた第一候補のホテルの位置を確認するところだ。あまり中心街から離れていたら、第二候補、第三候補へ先に行くことも検討しなければならないからだ。しかし、地図に目をやるも頭がふらふらでホテル探しどころではない。ここはZだけが頼みの綱だ。しかし、「暑いわ。早くタクシーに乗りましょうよ!」とZ。日焼けするのが嫌なのだ。
 (お前ね、場所も調べずにタクシー乗ったら、やられほうだいだろ!)と心の中で叫ぶが、口にだしては「わかった、わかった」と言うほかない。というか、もう気力が残っていない。体調を崩したのは自分のせいだし、病気で旅行を台無しにしてしまった立場では、強くは出られない。たかだか数十RMBのことだ。Zの言うようにしよう・・・。

 タクシーに乗車。宿泊料金とオープン年数だけで決めたホテルに向かう。この際、到着してから考えるかとも思ったが、悪質なタクシーだとどこへ連れて行かれるかわからない。購入した地図からホテルの位置を割り出すことにしした。Zは運転手に向かって、「遠くないわよね」などと意味のないプレッシャーをかけている。相変わらず、暢気な奴だ。
 走り続けるタクシーの中で懸命に地図とにらめっこをした結果、現在向かっているホテルは相当郊外にあることがわかった。しかし、すでに道のりの半分以上まで来てしまっている。今さら引き返すのも無意味だ。周囲にそれなりに店が揃っていれば、郊外でもなんとかなるだろう。そう考えて到着を待つことにした。

 14:20、ホテルに到着。到着した場所は残念ながら、辺鄙な場所であるだけでなく、近所に店一つ見当たらない公道際のホテルだった。これではあまりにも不便すぎる。第二候補のホテルの場所を確認しなくては・・・。私が地図を出して、位置の確認をし出すと、Zがタクシーをつかまえようと手を振り出した。
 「ちょっと待てよ。タクシーをつかまえる前に、場所を確認しないと・・・」
 「そんなこと言ったって、ここ、タクシーあまり通りそうもないわ。はやくつかまえないと!」
 確かに、郊外とあって、そうそうタクシーが通る場所ではない。しかし、やみくもにつかまえても、さっきの二の舞になるだけだ。(だいたい、お前、日焼けが嫌なだけだろ!)と心の中でうめくが、もはやスタミナはゼロ。とても声にならない。結局、私が場所を特定する前に、Zがタクシーを停めてしまった。
 慌てて地図を片付ける私に、Zの罵声が飛ぶ。
 「もう、はやくしてよ。タクシーが行っちゃうわ!」
 「わかった、わかった」
 もはや成り行きに任せるしかない。まぁ、街の反対側まで走ったところで2,30RMBぐらいだ。この際、Zのやりたいようにさせるとするか・・・。というか、ずっとそうなってるし。

 14:35、第二候補のホテルに到着。蘭州で泊まったのと同じ「如家」ホテルだ。周囲に数軒食事どころがあるようだし、隣に薬局もある。タクシーの中で調べた限り、街の中心街にも近いようだし、悪くない。何よりも身体がもう持たない。一刻も早く横になりたい。

 14:40、無事、チェックイン。一泊172RMB。保証金は300RMB。
 本来なら、本日は市内観光に充てたいところだが、そんな余裕は全くない。蘭州で買った熱冷ましシートを額に貼って横になった。
 スケジュール的にはまだ余裕がある。明日と明後日をまるまる使える。今日中に身体が元に戻ってくれさえすれば、明日を市内観光、明後日を青海湖観光に使うことが可能だ。問題は熱が下がらなかった場合だ。薬を飲んでも熱が下がらない以上、このままにしておくわけにはいかない。最悪飛行機で帰ることができなくなる。病院に行って点滴をうってもらう以外にないだろう。
 Zには悪いが、病院につきそってもらおう。何と言っても、中国の病院は薬を買いに行ったり、料金を支払いに行ったり、患者がやることが多い。一人で行ったら、途中で倒れかねない。 ここはどうしてもZの助けが必要なところだ。そして、明後日はZに一人で「青海湖1日ツアー」へと行ってもらうことにしよう。旅行前から「青海湖、青海湖!」と言っていたから、一目見せてやらないと可哀想だ。
 Zにだいたいのスケジュールを説明して、納得してもらった。
 夕食は、私はホテルのレストランから中華風鍋焼き麺を届けてもらい、Zは外の麺屋で食事となった。
 そして、就寝。なんとか熱が下がってくれると良いが・・・。

2009年8月20日
 7:50。結局、熱は下がらなかった。蘭州で買った薬のおかげで咳はほぼ止まったが、熱が下がらない。明後日には飛行機に乗って深センに戻らなければならないというのに、大変困ったことになった。このまま熱が下がらなかったら、飛行機に乗せてもらえないことだろう。列車なら、熱があっても乗車は可能だろうが、再び咳がひどくなったら、同じ部屋の人たちが嫌がるのは間違いない。それに、明後日になって列車で帰るとすると、深セン到着は早くても日曜日となる。体調が悪いままでは月曜日に出勤できないから、結局休まねばならない。それでは、列車で帰る意味がない。バスでも同様だ。
 もはや病院に行くしか選択肢が残されていない。Zに説明すると、快く了承してくれた。

 ちょうど近くに赤十字が運営している病院があったので、そこへ行くことにした。徒歩で10分、ふらふらになりながらも無事病院に到着。少数民族らしきエキゾチックな女医さんの問診を受けた後、レントゲン撮影及び血液検査を受けた。その後、点滴開始(10:20)。
 点滴は中国に来てから何度も受けているので慣れてはいるが、それでも不安なのは変わりない。ここ数日、熱と咳に襲われながら移動を重ねていたため体力がだいぶ失われている。本当ならベッドに横になって点滴を受けたいところだが、この病院の点滴専用室にはベッドがなく、リクライニングで背を45度ぐらいまで傾けられる椅子があるだけだった。諦めて、座り心地の良さそうな椅子を選んで座った。
 もらった薬の量から判断すると1時間や2時間で終わりそうもない。Zには、新聞と水を買ってきてもらった後、一旦ホテルに戻ってもらうことになった。私も目を閉じて眠りに入る。眠っている間に点滴が終わってしまえば良いのだが、一度は点滴袋の交換があるから、そううまくはいかない。
 眠ったり、新聞を読んだり、点滴袋の交換をしたりしながら、時間を過ごす。午後になってもなかなか点滴は終わらなかった。同じ点滴室で点滴を受けていたおばさん二人が、ずっとおしゃべりを続けている。二人とも子供の面倒を見る仕事をしているらしく、職場の愚痴や若者批判を延々と話していた。本当に点滴を受ける必要があるのかと疑うほどの元気である。やがて二人とも点滴を終えて去っていったが、まだ私のは終わらない。
 午後二時頃、Zが戻ってきたが、それでもまだ点滴は続いていた。こんなに長時間なのは初めてだ。点滴で熱が下がったら、午後から市内の観光地に行こうと思っていたのだが、すっかり駄目になってしまった。
 3時過ぎ、ようやく点滴終了。しかし、まだ解放されることはできず、今度は大便の検査を受けさせられ、その結果を待つために5時まで病院にいることになった。最後に再び問診を受けた後、ようやく病院を去ることができた。熱は結局下がらず、何のために病院に来たのからわからない気持ちだったが、点滴の中に入っていたブドウ糖のおかげか、体力はだいぶん回復した。過去に受けた点滴の経験によると、すぐに熱が下がらない場合でも、翌日にはよくなることがほとんどだ。きっと大丈夫だろう。いや、何としても良くなってもらわなくては困る。
 

 ホテルに戻る途中、近くの食堂で食事をすることになった。Zが昨晩食事をして美味しかったという店に行くことにしたが、あいにくその店はお休み。代わりに隣の店に入って麺類を注文した。ところが、もろにローカルな労働者向けの店だったためか、量は多いし、何よりも塩気が強すぎた。私もZも、3分の一も食べられずに、店を退散することになった。

 ホテルに戻って、Zには、「青海湖一日ツアー」の申し込みをしてもらう。私も行きたいが、熱が下がっていないのでとても無理だ。テレビを見た後、就寝。

2009年8月21日
 Zは朝早くに出発。楽しい旅行になるはずだったのに、私の病気のせいで台無しになってしまった。Zには申し訳ない気持ちでいっぱいである。せめて今日の「一日ツアー」だけは楽しんできてくれ。

 Zを送り出した後、再び睡眠に入り、午前11時頃目が覚めた。もう熱は下がったようであるが、体力的に不安がある上、少し頭がフラフラする。だが、明日は深センに帰る日だ。今日どこにも行かなければ、西寧に来た意味が全くなくなる。ホームページでも書くことがない。ここは無理をしてでも「塔尓寺」ぐらいは行っておきたい。それさえ無理なら「東関清真大寺」にでも行こう。大丈夫だ、なんとかなる。

 ホテルを出て、近くのバス停からバスに乗車。とりあえず、街中へと向かう。途中、窓から鴨料理専門らしきチェーン式レストランが見えたので、下車。 私は「焼鴨」がとても好きなのだ。まだ身体に力が入らないが、こういう時こそ、腹に何でも詰め込んで体力を養わなければ・・・。

 お店に入ってテーブルに座るとさっそく店員がメニューをもってきた。ところがメニューをみると、鴨料理専門も何も関係がない。普通の中華レストランだった。看板(忘れた)では明らかに「鴨」の文字が強調されていたから、きっと当初は「鴨」メインだったのだろうが、「鴨」だけではやっていけずにメニュー構成を変えたのではないだろうか。
 仕方なく、叉焼ランチを頼んだ。しかし、やってきた料理をみて、即座に失敗したと悟った。料理自体は特別なことは何もない。日本のラーメンなどに入っている叉焼とはまた違った、甘いタレをたっぷりとかけた脂身たっぷりのお肉の切り身である。それがライスの上に盛ってあるだけだ。定番メニューの一つである。しかし、この脂身がいけなかった。病み上がりの身体が脂の部分をみただけで拒否反応を起こしてしまった。胃が脂を嫌がっているのだ。
 失敗したなと後悔しつつも箸を進めた。とにかく何か食っておかなければ体力がつかない。嫌がる胃に無理やり中国叉焼を押し込んでいった。何でこんなの注文しちゃったのかな?「焼鴨」を食べるつもりで店に入ったから、ついつい同系統の料理を選んでしまったのかな?自分の決定に疑問と反省を抱きながら、ライスは全部平らげ、中国叉焼は半分だけ食べた。

 食事を終了し、ちょうど走ってきたバスに乗車。西大街を西に向かって移動した。目的地は「塔尓寺」行きのバスが出ているというロータリー交差点の近くだ。しかし、適当に乗車したので、バスがどちらに曲がるのかわからない。曲がり角に近いところで下車。ちょうど商店街があったので、ぶらっと歩いてみるが、特に面白いものもない。食事をしたせいか、思ったよりも体力が回復している。バスには乗らず、歩いて目的地に向かうことにした。
 

 地図を頼りにテクテク歩いてロータリーに到着。「塔尓寺」行きのバスだけが停まっているのかと思ったが、そんなことはなくあちこちへ向かうバスやタクシーの客引きがいっぱいいた。やがて、やってきたバスの運転手に尋ねてみると、「塔尓寺」に行くことがわかったため乗車した(5RMB)。

 12:40、「塔尓寺」に向かって出発。バスは満員だ。そのためか車内はぽかぽかと暖かく、眠くなってきた。ずっと居眠り状態だ。

 13:45、「塔尓寺」付近に到着。皆のあとについて「塔尓寺」へと向かう。

 14:00、「塔尓寺」の門をくぐる。中でチケットを購入。8インチのCDがついている。80RMB。めちゃめちゃ高い。他の観光客はあまりチケットを買っている様子がない。きっと旅行社かどこか別の場所で購入してきているに違いない。お寺に入場するのに80RMBではいくらなんでもここまで客は入らないだろう。団体でくれば半額以下になるのではないかと思われる。

 思っていたより中は広そうだ。とても全部は回れないだろうが、歩けるところまで歩いてみることにする。
 内部にはいくつもの建物があり、各々のところでチケットを確認される仕組みになっている。建物の入口にお寺にそぐわないバーコードリーダがあり、それにチケットを通すと中国語で、「いらっしゃいませ。○×△□・・・・・・・・」と挨拶の言葉が流れるのだ。チケットには二種類あって、個別の建物に入れるものと全ての建物に入れるものとがあるようだった。私のチケットは全部に入れるようだった。ただ、他の客も複数のチケットを持っているようには見えなかったから、単に購入ルートが違うことを示してるだけなのかもしれない。 

 奥に向かって行くにつれ傾斜がきつくなってきたため、体力の限界を感じてギブアップ。途中で引き返すことにした。80RMBも払って、これでは割りに合わない。旅先で病気をするものではないとつくづく思った。

 14:45、見学終了。門を出て、到着した場所に戻り、西寧行きのバスに乗車した。乗車はしたものの、なかなか出発しない。しびれをきらした頃にようやく発車。帰り路も、半分居眠りしながらだった。だが、道半ばぐらいで急速に身体の調子がよくなっていくのを感じた。お寺の効用だろうか。神様ありがとう。あのお寺、何の宗教だったっけ。とにかく、ありがとう。

 16:15、西寧に到着。だいぶ遅い時間になった。 はやく行かないと「東関清真大寺」が閉まってしまうかもしれない。タクシーで移動することにする。
  タクシーの運転手はかなり年齢が上の女性の運転手だった。私が外国人だとわかると嬉しそうにあーだこーだとおしゃべりを始めた。本来、中国人はお客をとても歓迎する風土があって、外国人と知り合うことがすごく嬉しいことなのだったと、こういう機会に思い出させられ、暖かい気持ちにさせられる。

   16:32、「東関清真大寺」に到着。入場料は15RMB/人。入口の建物を抜けると、もう一つ門があって、その先に広場と本堂があった。本堂の中は写真撮影禁止らしく、カメラを取り出すと脇に座っているお坊さんらしき人が「写真をとっては駄目だ」と注意しにくる。しかし、私のそばにいた漢族らしき観光客は何度注意されてもとりあわず、バシャバシャと写真を取りまくっていた。恐るべし漢族パワー。どこかの権力者なのだろうか。

 お寺を出ると、次は「莫家街」へ向かう。さきほどと異なり、時間の制限はないから歩いて移動することにした。都市の省都となるとどこも発展していて、建物自体にはそんなに大きな違いはない。銀川では特にそんな感じがしたが、西寧は発展の中にも民族的な味わいが多く残されているように感じた。

 「莫家街」では特に目新しい屋台などは見当たらなかった。ただ、果物屋の前などを通ると、フワッとフルーツの香りが漂ってきて、驚かされた。深センでは起こらないことだ。新鮮だからそうなのか、気候自体が香りを運びやすいのかはわからない。果物の育成に向いた土地で育った果物は香りも良いものなのかもしれない。

 「莫家街」からはバイタクでホテルへ戻った。
 Zは夜遅くになって戻ってきた。1日ツアーはあいにくの天気で青海湖が思ったよりも綺麗ではなかったそうだが、同乗した他の客たちが良い人たちだったらしく、けっこう楽しく過ごせてたらしい。私も体調がすっかり良くなったから、今日はお互いにとって良い1日だったようだ。

2009年8月22日
 6:25、タクシーに乗って飛行場へ向かった(70RMB)。

 6:45、空港に到着。
 チェックイン。搭乗券を受け取って確認をしようとすると、1枚しかない。スタッフの男性が私が出した電子チケットをよくみていなかったらしい。慌ててそのことを伝えると、「わかった、わかった」と投げやりな態度でもう1枚発行してくれた。ところが、私とZの席の番号がつながっておらず、離れている。そのことに文句を言うと、「1列違うだけだ。たいしたことない」と面倒くさそうに答えるだけだった。
 あきれてしまい、反論の言葉が出てこなくなってしまった。中国に来てから、チケットの発行ミスというのは何度かあったが、空港のスタッフの態度がここまでひどいのは初めてのことだった。ここ数年、中国の航空業界でも人員削減が進められて様々なトラブルが起こっているようだから、こんなスタッフが雇われたままになっているのだろうか。

 身体検査のところで再びトラブル。これはある程度予測されていたところだが、Zがホテルの近くでお土産用に買い込んだヨーグルトの箱詰めが手荷物として認められなかったのだ。慌ててチェックインカウンターに戻り、他のバッグと一緒に預け入れた。
 そして、再度身体検査。ところが、なぜか私の身体検査に時間がかかる。
 「はやくしなさいよ」
 ヨーグルトの件でいらだっていたのか、Zが私に向かって大声で言う。
 「どういうことだ。『はやくしなさい』とは。おまえがヨーグルトのことでモタモタしているのを俺は文句も言わずにつきあってやったのに、身体検査でちょっと遅くなったから、『はやくしなさい』とは、何て態度だ」
 身体検査を終えてすぐに、私は文句を言った。
 「別に貴方に向かって言ったわけじゃないわ」
 少しひるんでZは言い訳をした。
 「俺以外の誰に言ったっていうんだ」
 私はさらに責めた。
 「うるさいわね。小さなことでグジグジと」
 Zは逆切れ。
 待合室でも二人は離れて座り、冷戦状態となった。
 
 そのまま飛行機に搭乗。そのまま冷戦状態が続く。ある意味、席が離れていて良かった。
 途中、武漢空港でトランジット。お互いに全く口をきかず。
 広州空港に着くころになってようやく仲直り。

 13:50、空港からリムジン・バスに乗って、省バス・ステーションに到着。
  バスに乗って、我が家のある街に向かった。

 16:00、アパートに到着。すぐにペットショップへマイクを迎えに行った。

  これで、今回の旅は終了。