大理市の旅1


灰色の部分が雲南省です。

【 目  次 】

<2003年1月18日>
 ・ 旅は戦いだ(笑)
 ・ 運転手が一番偉いのだ?
 ・ 躍進する中国経済
 ・ 宿探しは旅人のたしなみ
 ・ 大理!大理!大理!
 ・ 謎の老人
<2003年1月19日>
 ・ 旅のたのしみ
 ・ 喜洲、白族の村
 ・ 悲恋の物語
 ・ 藍染め・しぼり染めの村、周城
 ・ 訪れた試練
 ・ 幸運な出会い

2003年1月18日

- 旅は戦いだ(笑) -
 この旅は「昆明探検記」から続いています。ご興味のある方は是非「昆明探検記」からお楽しみください。

 7:30、「茶花賓館(昆明)」をチェックアウト。駅近くのバスターミナルまでタクシーを飛ばす(10RMB)。出発の時刻まであまり時間がない。急いでカウンターまで行き、チケット売りのおばさんに「8:00発の大理行き豪華型バスはいくら?」と尋ねる。すると、「103.5RMB」とやる気のなさそうな返事が返ってきた。そこで、100RMB札を2枚出し、支払をする。お釣りを受け取って、素早く、財布に突っ込む。

(・・・待てよ。今受け取ったお釣りって、50RMB札一枚と10RMB札3枚と小銭だったな)。恐る恐るもう一度財布を広げてみる。たしかに80RMBちょっとしか受け取っていない。財布に入れるのが早すぎた。抗議が通るだろうか?

 「大理までいくらって言ったっけ?」と柔らかくおばちゃんに尋ねる。「そうよ」「今受け取ったお釣り80RMBなんだけど」と詰める。「そ・・、そうだったわね・・・80RMBだったわね」 - 間 - 「10RMB足らなかったわね、ハイ」と10RMB札が出てきた。
 
 フー、良かった。旅の最初からぼられるところだった。危ない、危ない。ボロバス(65RMB)を利用しないような坊ちゃんからは遠慮なくボッてやれということか。まぁ、ぼーっとしていたら、やられ放題だ。これで気が引き締まったというものだ。
- 運転手が一番偉いのだ? -
 8:10、少し遅れて出発。テレビ2台とトイレ付、ミネラルウォータ付のベンツ製豪華大型バスだ(日本の観光バスとだいたい同じ)。席は前半分ほどしか埋まっていないので、動き出したところで最後部から2列目の空き座席へ移る。荷物を膝から降ろしてゆっくりと景色を楽しめるからだ。しかし面白いことに、中国人はほとんど動かない。たいがいの中国人は全部の席に座るのを好むのだ。

 理由は(恐らく)二つ。①後部座席はゆれが激しいので酔い易い(中国人は日本人よりはるかに車酔いする)。②後部座席は強盗に狙われ易い。後部座席だと強盗が起こっていても、運転手は見てみぬ振りをするからだ。

 発車して20分ほどたった頃、交代要員らしき運転手がどかどかと音を立てながら私のところへやって来た。「そこをどいてもう少し前へ座れ」という。わけがわからぬまま移動すると、その男は私がたった今まで座っていたシートを両手でつかんでゴソゴソとやっている。

 ガチャガチャ、バン。ガチャガチャ、バン。

 とうとう2座席分のシート(尻を置く部分)を取り外してしまった。どうやらあの席だけはシートが完全には固定されないであったようだ。運転手はその二つのシートを最後部の座席の片側に持っていって、紐で結わえ付けた。なんと枕を作っているのだ。

 どうやら、この交代要員の運転手はここで昼寝をするつもりらしい。自らの昼寝のために乗客をどかすとは!恐るべし、中国の運転手・・・。

 これ以後、大理までは問題なく進む。何度か濃霧に囲まれるが、運転手は慣れたもの、スッとスピードを落としじわじわ前進する。霧がはれるとまたスピー度を上げる。この繰り返し。10:00頃には霧も現れなくなり、天気も上々、ところどころ黄色い花を咲かせ始めた菜種畑を左右に据えてバスは一気に大理に向かった。

 12:50、大理(下関)着。

- 躍進する中国経済 -
  大理は「下関」と「古城」の2地区に分かれる。前者は交通やビジネスの中心である新しい町、後者が古代の城壁に囲まれた観光名所。「下関」地区はかなり開発が進んでいて、パッとみた感じでは東莞の鎮と大差ない。内陸のさらに奥にある都市とは思えない現代的な建物ばかりだ。

 下関のバスターミナルでバスを降りると、真っ先にここから出ているバスの時刻表を見に行く。次の目的地への足を確保しておきたかったからだ。幸い、昆明行きも、麗江行きも本数が多い。あまり心配する必要はなさそうだ。後は、「古城」地区までどうやっていくかだ。

 バスターミナル前でタクシーをつかまえ、「古城」地区までの運賃を聞いてみる。2台とめてみたが、2台とも「30RMB」という回答を返してきた。そうすると、ワン・メーターで行ける距離ではないということだ。それなら、ちょっと大変でもバスを使ったほうが面白い。そこで、バスターミナル前のバス停から4路のバスに乗り込む。

 空いた席について切符売りをまつが、いつまで経ってもやってこない。(観光の街だし、バスは無料なのかな?)と虫のよいことを考え始めた頃、客のような顔をしていたおばちゃんが突然立ち上がり切符売りを始めた。ある程度混んでから一気に仕事を片付けようということらしい。「古城」地区までは1.2RMB、タクシー料金の20分の1ほどだ。そうして考えると、先ほど聞いたタクシー料金は妥当な線だと言えるだろう。

 バスが乗客でいっぱいになってきた頃、地元中学生の仲良しグループらしき女子3人が乗車してきた。そして、しばらくおしゃべりをしていたかと思うと、中の一人がカバンから携帯電話を取り出したのだ。こんな内陸の内陸ともいうべき場所でも子供たちが携帯電話を手にしているのだ。それもすごく金持ちの娘というわけではない。バスに乗っているような子供がだ。豊かになった中国を目の前に突き出されたような気がした。

 下関の街を出て舗装されたガタゴト道を20分ほど走ったあと、バスは「古城」地区へ着いた。なぜ「古城」地区だとわかるかというと、ここは街全体が城壁に囲まれているのだ。(城壁の内側の面積は西安には及ばないが、佛山市よりははるかに広い)。

 通りは全て石畳で敷き詰められ、左右には一段高い歩道整えられている。そして、歩道の外側は、灰色に塗装されたレンガ作りの建物が瓦屋根を頭にかぶせ整列している。飛騨高山の古い街並みを思わせるつくりだ。最初は人一人すらみえないほどシーンとした様子だったが、5分ほど進んだところで徐々に観光客の姿が見え始めた。鮮やかな少数民族の衣装をきた物売りが道の左右を行き来し、観光客に声をかけている。さらに進むとますます通行人が増えてきた。ようやく「古城」の中心にたどり着いたようだ。 
- 宿探しは旅人のたしなみ - 
 ここまで来れば一安心だ。地図を広げて現在地を確認。「地球の歩き方」お勧めの「紅山賓館」まで最短コースで到着。ところが、このホテル、フロントに誰一人服務員がいない。いや、フロントだけではない。ロビーにも誰もいないのだ。あまりにも静まり返っているので声を立てる気にもならない。西日が壁を照らしているのも妙に不気味だ。服務員が出てくるのをしばらく待ってみようとも考えたが、(待てよ、今更出てこられてもこんなところに泊まるのはいやだぞ!)・・・・(やーめた、別のホテルにしよう)とロビーから抜け出す。何度か後ろを振り返ってみるが、やはり誰も姿を表さない。実に不思議だ。宿泊客は皆外に出て行ってしまっているのか?

 しばらく「地球の歩き方」と相談した結果、そこから20メートルほど離れたところにある「金花大酒店」というホテルにトライしてみることになった。中心街が交差しているちょうど角に立てられているので、人通りも多い。しかし、先ほどのこともあるので、恐る恐るロビーに足を踏み入れる。いたいた、フロントに服務員が一人、ロビーで掃除をしている女性が二人。これなら心配ない(たぶん・・・)。

 料金を尋ねてみると、一泊180RMBとのこと。「じゃぁ、今はいくらなの?」と軽く値切ってみる。すると、あっさり140RMBになった。部屋を見せてもらうと設備も整っている。ユニットバスもきれいなので、今日は湯船につかって疲れを癒せそうだ(中国では、ユニットバスの底に滑り止めのための窪みラインを設けているところが多く、安ホテルではそこに溜まった汚れを落としきれず放ってある場合が多い)。

 チェックインをした後、再び部屋をじっくりと眺めてみる。試しにエアコンをいじってみるがどうしても暖かい空気が出てこない。これはもしや「エアコン」ではなく、「クーラー」だったのか。げっ、今日は暖房なしかよ・・・。つらい夜になりそうだ。今日は洗濯もしなくちゃならんのに・・・。 

- 大理!大理!大理! -
 ともあれ、バッグをベッドの上に放り投げ、さっそく街へ探索に出かける。先ほども書いたが大理「古城」は城壁に囲まれた小都市だ。観光地であるとともに、地元の商業センターの役割も負っているらしく、お店も地元民対象のものが少なくない。自然と訪れる少数民族も増え、その独特の衣装が「古城」の雰囲気を盛り上げるのに一役買っている。

 私が宿泊をきめた「金花大酒店」は目抜き通りである「復興路」と「洋人街」が交差した角に位置する。「復興路」はもちろん土産物屋で溢れているわけだが、「洋人街」は違う。大理は昔から欧米人に人気がある観光地で、長期滞在のために訪れる欧米人がひきもきらない。そこで欧米人相手のレストランやパブがこの「洋人街」に列をなして店を開いているのだ。通りが丸ごとそんな感じなので、中国にいることを忘れてしまいそうだ。日本人向けや韓国人向けのお店も多く、「カツカレー」や「オムライス」、「ビビンバ」、「韓国焼肉」などの文字が次々と目に飛び込んでくる。
 外国人が外国人の溜まり場を観光しても仕方がないので、「洋人街」は軽く流して、「復興路」を北門に向かっていく。ところが途中の十字路に差し掛かったとき、西側に大きな城門とその周囲に群がっている大勢の人々が見えたので、少し寄り道することにした。

【西側の城門】

 辿り着いてみると、露店が道路いっぱいに数百メートルに渡って伸びている。市がたっていたのだ。(そう言えば、今日はまだ食事をしていなかったな)と気づいた時にちょうど目の前に現れたのが串揚げ屋さん。おばちゃんがジャガイモの串と小エビの串を次々に油のたぎった鍋につっこんでいる。見とれているとあっという間に、真っ赤に焼けあがったエビとこんがりと黄色になったジャガイモが、鍋にわたした銀色に光る網の上に並べられていた。

 「一本いくら?」「1RMB」「高ーい。高すぎる」「高くないわよ。海鮮なのよ、海鮮」「(海鮮?川エビだろうが!)じゃ、2本でいくら」「1.5RMB」「わかった。2本くれ」

 う、うまい・・・。揚げたてのしゃきしゃき感が最高だ。
 続けて隣の屋台で黄色で三角のチーズの形をした食べ物にチャレンジ。
 注文すると、このチーズ型のものを切り落とし、春菊と大根と唐辛子をあえてお椀に入れて出してくれた(1.5RMB)。これが大理名物の「大理チーズ」かと思ったが、味がチーズっぽくない。どうも違うようだ(本物の大理チーズには明日会えます)。

【西の城門外に広がる露店市場】

 露店巡りが終わると、城門の脇にある階段から上にあがってみる。すると、階段を上りきったところに、入場料2RMBの札がとりつけてあった。(何でもかんでもお金をとるんだなぁ)と思って周囲を見渡すと、ボロボロの服を着てカバンを肩から下げたおじさんがヨタヨタとこちらに向かってくるのがみえた。乞食かな?と思い、無視して進もうと腹を決めているとこちらに手を差し出して「入場料2RMB」だという。
 (本当か?)と疑い、「チケットはあるのか?」と尋ねる。「ある、ある」と安っぽい印刷のチケットを取り出してきた。仕方がないので2RMBを渡す。城門の上には2階立ての建物があって、さらに高いところへ上ることができる。最初は興味がなかったのだが、乞食?が「上れ、上れ」とうるさい。もしかしたら、あの2RMBはこの建物への入場料なのかもしれない。言われるままに登ってみると、古城全体の美しい景色が見渡せた。

 それから北の城門へ向かうがこちらは数台の観光用馬車が留まっているのみであった。そこでホテルまで引き返し、「洋人街」で遅い昼食兼夕食をとることにした。 

- 謎の老人 -
 食事をすることになった「太白楼」は喫茶店のようなレストラン。メニューは日本人向け、欧米人向け、韓国人向け、中国人向けと幅広く揃っている。とりあえずカレーライスを頼んでみる。こんな内陸でどんなカレーライスを出すのかみてみたかったからだ。飲みものは「三道茶」を注文した。この「三道茶」は少数民族の白族が客をもてなすために出すお茶で大理名物の一つである。

 10分ほど待って出てきたカレーライスは絶品であった。日本的カレーの美味しさに独特のスパイスを加えた、不思議な魅力に溢れたルーだった。

【もう一度食べたいカレーライス】

 カレーライスを食べ終わり、「三道茶」を待つ間、店内をじっくり見回してみる。奥にはバーのカウンターもあり、内装はどちらかというと欧米風である。ただ、テーブルクロスには少数民族の藍染めが用いられており、微妙にアジアチックな雰囲気を漂わせている。店内には私以外にはカウンターで料理を作っている女性、そして窓際でボンヤリと座っている老人が一人。

【太白楼の店内】

 この老人は何を注文するでもなく、ただボーっと窓の外を行き来する人々を眺めている。すごく年をとっているので、外観だけからではもはや何人かわからない。この店に住み着いている妖怪のようにも見える(笑)。

 興味深げに眺めているのに気づいたのか、老人のほうから話し掛けてきた。「日本人、日本人」と片言の日本語でしゃべる。といって、日本語が通じるわけではないようなので、私の唯一の外国語「中国語(普通語)」で話し掛ける。「あなたはどこの人ですか?」「大理の人ですか?」と続けて尋ねてみる。どうやら、普通語はこの老人のメイン言語ではないらしく、少し時間がかかったが、老人は旅行者ではなく大理の人であることだけはようやくわかった。

 老人は私が打ち解けてきたのをみると、突然立ち上がり、店の本棚のところから厚いノートを取り出してきた。そして、私に渡して「日本人、日本人」と繰り返す。ノートをペラペラと捲ってみると、ここを訪れた旅行者が書き残した伝言でびっしり埋まっている。このノートは「旅行者の伝言ノート」らしい。ついでなので、私も2,3行書くことにした。もちろん、このHPのURLを記すのも忘れない(笑)。

 ここまでくれば、この老人の正体もあきらかというものだ。そう、ここの「オーナー」だったのだ。カレーライスはここを訪れた日本人に習ったものらしい。オーナーは白族出身で子供の頃からこの店で育ったとのこと。カウンターで料理を作っているのは老人の(孫?)娘らしい。

 そして、「三道茶」の最初の一杯目がやってきた(三道茶は三杯で一組なのだ)。白族の習慣なのか、お茶をテーブルに置く前に祝福の言葉とともに軽く腰を曲げお辞儀をしてくれる。お茶と一緒に、木の実を乾燥させたものと三道茶の歴史を説明した小冊子がテーブルに置かれた。この小冊子はオーナー自身が書いたものらしい。「他の店では本物の三道茶は作れない。この味を出せるのはわしだけじゃ」という老人の語りが雰囲気を盛り上げる。

 注目の一杯目はコーヒーのような苦味のあるお茶。小皿にのせられた甘い木の実を食べながら飲んでちょうど良いくらい。普通のお茶を期待しているとびっくりするかもしれない。
 一杯目を飲み終わったところで、お辞儀とともに二杯目がやってきた。二杯目は一杯目とは逆にミルク入りの口に優しいお茶。疲れが癒される味だ。
 三杯目。それは甘味と酸味が入り混じったお茶だった。舌に溶け込んでくるような深い味。きっとこの三杯目のために一杯目、二杯目があるのだろう。実は、この三道茶は16RMBでカレーライスよりも高いのだが、それだけの価値はある。大理に寄ったら是非飲んでみてください。

【中国の少数民族白族の三道茶】

 5時間のバスと古城巡りを終えて、身体はへとへとだ。明日は郊外へ向かう予定。どんなハプニングがあることやら・・・。 

2003年1月19日

- 旅の楽しみ -
 昨日の晩は、古城の街中で土産物の物色をした。少数民族が多い地方だけあって、独特のデザインをほどこした品々が街中に溢れており、観光客をあきさせない。ご存知の方もいると思うが、中国では定価というものはない。完全なオープン価格だと言えば聞こえはいいが、日本人からすればボッタクリと変わりない。したがって、売り手の言い値で買っていてはお金がいくらあっても足りない。

【お土産製作過程】

 それではどうやって値下げ交渉をすればいいのか、というとこれも明確なノウハウがないのが実情だ。一般的に言って、売り手の言い値の10分の1で販売しても利益が出るものらしい。しかし、だからといって、10分の1の値段に固執すればその商品を手にいられるわけではない。もっと高く買ってくれる観光客がいくらでもいるからだ。そこで、相手の言い値の3分の1ぐらいから交渉を始め、2分の1までの間で売買を成立させれば上々ということになる。
 値切り上手な人に言わせると、買い気をみせずに交渉するのがよいそうだ。実際、私の経験からしても、買い気をうまく殺せたときには思わぬ安さで買えることが多い。(こんなに安いものだったのか)という具合だ。
 しかし、これは値段だけを見た場合の話で、気持ちいい買い物ができたと思うのは別の時だ。これは買い気を殺して買うのではなく、この商品が欲しくて欲しくて仕方がないという熱意を相手に伝えて買う方法だ。もちろん、最初から買い気をみせてしまうわけだから、万歳しながら敵の銃口の前に立つようなもので売り手は好き勝手な値段をつけてくる。
 そこで、どうしても値切り交渉に時間がかかることになる。ときに同じ店に何度も足を運ばねばならないことすらある。しかし、こうして売り手と何度も交渉して苦労して手に入れたときの喜びは一言では言い表せない。そして、商品は単なる商品ではなく、旅という貴重な「時」をおさめる宝箱と化する。土産物が旅の思い出を残すためのものならば、このように買ったほうが目的にふさわしい。移動の多い忙しい旅ばかりの私にはなかなか叶えられない願いではあるが。

【早朝の大理】

 さて、今日はまず古城から20km近くのところにある白族の村「喜洲」に向かう(9:30)。「地球の歩き方」が示してくれたバス停までの通りが運悪く工事中。そこで、遠回りをしていくことになったが、目的のバス・ステーションがどうしても見つからない。白タクが何度か声をかけてくるが相手にしない。あっさり目的地までついてしまったのではガイドブックを読んでいるのと変わりがないというものだ。
 もっとも意地をはったおかげで、「喜洲」行きのバスを見つけるまでに結局30分もかかってしまった。半分迷子状態で、ようやく乗車。「喜洲」までは2RMBとのことである。昨日乗った下関から古城までのバスが1.2RMBであったことを考えると、(少しボッているんじゃないのか)とも思ったが、1RMBのためにあんまり頑張っても仕方がない。「チケット」をくれ、と不信を表明するに留める。すると、「チケットはない」という答えが返ってきた。そこで<これは不愉快だ!>という顔をして座っていると、しばらくしてなぜか(領収書代わりに使用できる)5RMBのチケットを寄越してきた。可哀想に思って多めのチケットをよこしたのか、ボッた負い目をごまかそうというのか?考えすぎるのが私の悪い癖だ。

- 喜洲、白族の村 -

【喜洲のバスステーション】

 20分ほどで「喜洲」へ到着した(10:20)。大きな市が立っていて、露店で大賑わい。大きな広場には野菜屋がいっぱいに広がり、狭い路地には雑貨屋が肩を触れ合わせんばかりに立ち並んでいる。大理古城と異なり、ここには観光客の姿は全くといっていいほど見られない。売っているものも、地元の人向けのものばかりだ。といって、生活用品だけが売っているわけではない。生活に彩りを添える、美しく刺繍をされた衣服や子供用のたあいのない玩具もたくさんある。私たちにとっては田舎のまた田舎であっても、普段は山間で生活し、数ヶ月に一度こういった市場へ出てくる人々にとっては色とりどりの商品が詰まった巨大ショッピングセンターに他ならないのだ。

【喜洲の市場】

 お腹が空いたな、何かうまいものを売っているお店はないかと目をきょろきょろさせているとあった、あった。直径60センチぐらいある縁つきの鉄板の上で大きなパンのようなものを焼いているではないか。何十年ぐらいこの仕事をやってきたのだろう、と思わせるのに十分な貫禄に溢れたおじいさんが、数分に一度の割合で、この縄に吊るされた鉄板を炭火のコンロから持ち上げ、焼き具合を確認している。これは絶対にうまいに違いない、そう確信して、一枚買う(1RMB)。
 このパンのようなものは、小麦粉を練ったものにネギと細切れの肉を混ぜて焼き上げた至極単純な食べ物だ。大餅(ダービン)という。中国のどこにでもある代表的な食べ物の一つだが、北方のものと南のもの、沿海側のものと内陸のものでは、食感も味わいも異なる。このおじいさんの作った(作ったのは奥さんかもしれないが)大餅は両手を広げたぐらいの大きさがあり、厚さも2cmぐらいはありそうなもの。内陸のさらに田舎の人たちを満足させるに足る重装備戦車のような大餅(ダービン)だ。少し強めの塩加減が朝っぱらから歩き回った疲れを取り除くのにぴったりだ。
 ・・・しかーし、火の通ってない肉があるぞ、おじいさん。全部平らげてしまいたい誘惑に駆られるが、こんなところで腹をこわしてしまってはたまらない。おじいさんたちとは身体(お腹?)の鍛え方が違うからなぁ。そこでリスクの高そうな3分の1はあきらめて、道路わきにあったバケツに投げ入れる。ああ、もったいない。

【喜洲のバイタク】

 朝食を終えたところで、古代の民家が当時のまま残っているという「厳家大院」へ向かう。向かうと言っても、地図もない。こんな田舎で迷子になったら大変だ。そこでバイタクを利用する。目的地までの距離がわからないので、交渉という交渉もせずに2RMBで妥協。歩いても5分ほどで着く距離だったのでずいぶん高い感じがしたが、仕方がない。バイタクの料金交渉で目立って、悪い奴にでも狙われたら割りに合わないというものだ。

【厳家大院の内側】

 「厳家大院」への入場料は10RMBである。古代様式の家ということで決して高いとは思わないが、もう少し整備するべきではないのか、と怒りたくなるくらいボロイ。汚ければいいというものじゃないだろう。掃除しろ!とぶつぶつ言いながら歩き回る。しかし、さすがに歴史的建築物だけあって、箱庭のような一種の芸術作品的雰囲気がある。通路は小人が住んでいたのではないかと思うほど狭い。しかも、木造3階立て。その3F建ての一番上の部屋にはなんと、・・・・・の像が数体、こっそりと、或いは時の流れに押し流されてしまいこまれていた。何の像だったか、すぐにわかった人はかなりの中国通!貴重な映像もあるのですが、このHPの存亡にも関わりかねないので、残念ながら載せることができません。

 「厳家大院」を出ると、今度は歩いて出発点まで戻る。大理とこのあと行く麗江もそうだが、壁を真っ白で屋根は瓦という江戸時代の時代劇に出てくるような家屋が多い。「厳家大院」なんていう無理やり保存しているようなものより、自然な形で現代まで伝わっている、この美しい家々に私はむしろ惹かれた。黙って立っていると、道の向こう側から駕籠屋が人を乗せてえっこらえっこらとやってきそうな感じだ。日本人の祖先がここからやってきたと言われても、さもあらんという気持ちになるだろう。

【喜洲の民家】

 後から中国人向けのガイドブックを読んで知ったのだが、「厳家大院」以外にも古代から残っている有名な家屋がいくつか公開されているらしい。これから大理に行く方は是非そちらもいってみて欲しい。素晴らしいものを見ることができるかもしれない。

- 悲恋の物語 -
 胡蝶泉。追い詰められた恋人たちが泉に身を投げたとき、雷鳴とともに暴風雨が荒れ狂ったという。そして、雨が上がったとき、泉から七色に輝く一対の大きな蝶が、小さな無数の蝶に伴われて現れたとのことだ。それ以来、泉をこの名で呼び毎年旧暦4月15日に祭りを行って二人を偲ぶ習慣があるそうだ。

 そういうわけで、胡蝶泉に向かうことにした。バスで行こうと思ったが、すでに田舎のさらに郊外まできてしまっている。ここからの定期便を探すのはなかなか大変だ。そこでバイタクでいくことにする。またも、距離感がわからずあてずっぽうの交渉だ。結局10RMBで話がまとまって、出発ーー(11:05)。と最初は調子がよかったのだが、そのうち道が悪くなりシートがガタガタいい出す。舗装していないわけではないのだ。歩行者を守るためにわざとそうしているのか、石ころにセメントを流し込んだような舗装の仕方なのである。だから、バイクがスピードを上げればあげるほど、ガタゴトが激しくなる。少し気持ちが悪くなってきたところでようやく到着。20分かかった(11:25)。

 チケットを購入しようと正門に向かうと、なんと工事中。躊躇していると、作業者のボスらしき男が腕を振り回している。出口へ回れということらしい。そこで、出口から入場することになった。当然、チケット売りのスタッフもそちらに回っているだろうと思ったら、そんなことはなく、フリーパス。大理古城の城壁のような、無料がふさわしいような場所には必ず人がいて抜け目なくお金(2RMB)を巻き上げようとする一方、少し工事があっただけで、32RMB(「地球の歩き方」参考)のチケットが無料になる。とことん貪欲なようで、間が抜けている。ここが中国の憎めないところだ。

【一直線に伸びる竹林】

 門を越えると両脇に背の高い竹林が並んでいる、きれいに舗装された道路が伸びていた。すぐに着くだろう、と思ったら大間違い。延々と15分ぐらい歩く羽目になった。しかも上り坂である。見たことにして途中で帰ろうとも考えたが、それでは写真がとれない。あきらめて道の尽きるところまで進む。到着地には大小いくつかの泉や湖があるが、問題の胡蝶泉は一番小さい泉。上部から湧き水が絶え間なく流れ込んでいて、泉の中は透き通っていて底まで見える。

【悲恋物語の胡蝶泉】

 しばらく泉のそばにただずんで悲恋の伝説に思いをはせる・・・、そんなことをするわけもなく、中国の池類にしては珍しく鯉を飼っていないな、湧き水では鯉が育ちにくいのだろうかとしょうもないことを考える。
 この胡蝶泉公園全体は非常に広く、ぐるりと回ったら一時間はかかるのではないかと思われるほどだ。今のところは、風景を損なう、あの足漕ぎ船もないので、恋人同士でくるにはとてもよいのではないだろうか?

 公園の出口まで行く途中で、少数民族の衣装をきた少女たちが誘いをかけてくる。写真をとろうというのだ(もちろん有料)。安いものだから記念に一枚とってやるか、とは決して思わないのが私。ちなみに少数民族の衣装をきた大部分の少女は漢民族だというのが中国観光の常識である。ただし、ここは雲南省だ。少数民族が中国で最も多く、省全人口の3分の2を占める地域だ。本物である確立のほうが高い。今考えると、もったいないことをしたかな?いつも経験が有利に働くとは限らない良い例だ。

 今度こそチケット売りが待っているのではないかとドキドキしながら、出口を抜ける。何もない。やった、32RMB儲かった!と喜んでみる。こんなに気になるなら、素直にチケット買ったほうがましなんだけどね、本当は。

- 藍染め・しぼり染めの村、周城 -
 次は胡蝶泉の名声にあやかって有名になった近所の小さな村、周城へ行くことにする。再び2RMBを支払ってバイタクに乗車。2,3分ほどで到着。「ここで正しいのか?」と疑いたくなるようなほんとに小さな村だ。でも、「地球の歩き方」で紹介されているぐらいだから、けっこう訪れる人もいるのだろう。バイタクが数台たむろっていた。

【周城の市場】

 路地を通って、広場に入ると野菜の小さな市場が立っている。しかし、いかにも地元向けという感じで、喜洲にあったような賑やかさはかけらもない。物を売っているというより日向ぼっこしているようにも見える。のん気でうらやましい。さて、どうしたものかなと悩んでいると、愛想のよさそうな少数民族のおばさんが声をかけてきた。「あいぞめ、あいぞめ(日本語)」。

 いかにもセールス慣れしている言い方だ。こちらが黙っていると再び「あいぞめ、あいぞめ」としつこい。「こっち、こっち」と続く。絶対に相手にしたくないタイプのあばさんだが、これを無視すると藍染めの現場をみることができない。観念して、後に従う。一応「見るのは無料なんだろうな?」と念を押しておく。おばさんはわかってるわよとしたたかな顔をしてうなずいた。

 石畳の路地をタッ、、タッ、、タッ、、と絶妙なリズムで抜けていくおばさん。のんびりゆくでもなく、ついて歩く者に不安感を与えるほど速くもない。しかし、もともと細長い路地がさらに細くなり、さすがに、もしかしたら危ないんじゃないかと思い始めた頃、道の両脇の溝が藍色に染まり出した。そして、周囲の地面が藍色一色に染まっている一軒の家の前で、おばさんは突然停まり、中を指差した。入れという。

【藍染め専用の桶】

 入り口の左側にある台所のようなところは上から下まで一面が藍に染まっていて、激しい作業のあとをうかがわせる。また、すぐ脇には、まるで藍に腐食されたかのようにボロボロになってしまった巨大な桶が2つ置かれていた。私が気おされているのを見て、おばさんは「写真をとれ、写真をとれ」という動作を繰り返す。写真をとらせてもらえるのはありがたいけれども、こうのようにあからさまに観光客慣れした態度をとられると少し興ざめする。

 さらに2,3歩中に入ると、とそこには小さな庭があり、地面一杯に藍染めされた布が積みあがっている。そして、軒に張り巡らされた縄にはしぼり染めの布がしわくちゃになったカーテンのように吊るされていた。(なんかゴミタメみたいなんだけど・・・)とがっかり。おばさんはそれを敏感に感じ取ったのだろうか、私を励ますかのように絞り染めの模様ができる過程を説明してくれた。模様をつけるために結んである糸をほぐして、ほらっ、といわんばかりに布地を広げてみせる。

【しぼり染めの日干し】

 ふーむと感心してみせると、すかさず「上にもたくさんあるのよ」と営業モードになった。周囲を見回すと、いつの間に現れたのかおばさんの数がどっと増え、私を2階に向かって追い立てる。
 朽ち果てかかっている木造の階段をギシギシいわせながらみんなで2階にあがる。真っ暗な部屋に電球が一つ。隅々まで藍染めや絞り染めがどっさり積んであった。後ろについてきたおばさんたちが、私を取り囲むように散開し、二人で一組になって藍染め、しぼり染めの布地を広げてみせる。「どれでも好きなのを選びなさい」という。もう私が買うものと決めつけたような言い方だ。写真をとらせてもらったから、2,3枚買ってやるか。

 交渉の末、藍染めと絞り染めを合わせて2枚で70RMBで購入した。経験からすると、こういう露店のようなところで購入すると、価格は確かに安いが品質やデザインはそれほどよくない。空港などで販売されているもののほうが、デザインがよいものが多い。ただ、価格は馬鹿らしいほど高い。5倍も6倍もするのだ。どちらがいいかは本人次第というところか。

 写真代代わりの買い物を済ませてさあ、降りようと出口に向かうが、おばちゃん二人が別の布地を広げて通してくれない。これも買えという。「いらない」というと、「いくらなら買うのよ。いってみなさいよ」としつこい。「いくらなんだ」と聞いてやると、「100RMB」との返事だ。「30RMBだったらいいよ」というと、「何言っているのよ、さっきの倍以上の大きさなのよ。でも、特別に70RMBに負けてあげるわ」。「いや、本当にいらないんだよ」となんとか押しのけて下まで降りた。
 ところが階段を降りきったところで、布地をもっていたおばちゃんが「ちょっと待ちなさい」と追いついてきた。布地を突き出して「30RMBでいいわよ」とのたまう。(えー、これ30RMBになるの。じゃぁ、さっきの2枚はどういうことだ)と少しがっかり。仕方がない、荷物になるものでもなし、買ってやるか。(でも、これ本当にさっきの100RMBの布地と同じものかなぁ)とひっくり返して少し疑う振りをしてみる。「同じものよ」と自信たっぷりなおばちゃん。
 まぁ、いいかとお金を渡し布地をリュックに放り込む。
 *注)ちなみに、後日確認してみると、布地は別の小さいものでした(笑)。模様は同じだったんだけどね。さすが百戦練磨のセールスおばちゃん。一本とられました。

 さて、帰るか、と振り返ったところで小型犬を発見。(大理、麗江では子犬を飼っている人が非常に多い。広東省と違って大型犬はほとんどみかけない)。可愛らしいので、ちょっと撫でてやると後をついてくる。ところが前方に猫が寝そべっているのに気がついた。私だけでなく、犬も気がついたらしい。とことこと猫に向かって歩いていく。やっ、やばい、これは修羅場になるかも・・・。と顔がひきつったが、なんと、この子犬と猫ちゃん、仲良くじゃれあい始めたではないか。二人は恋人同士だったのだ(それはない)。とにかくこの貴重なシーンを写真に収め、ここを去ることにした。

さすがに帰りは誰も送ってくれない。売るものは売ったし、もう必要なしというわけだ。ふふっ、クールな奴らだ。一人でとぼとぼ帰る。途中、何度か別のセールスおばちゃんに声をかけられるが、相手にしない。もう十分だ。

- 訪れた試練 -
 今日はずいぶんあちこちを回ったので、いったんホテルに戻ることに決めた。そして、到着したときにみかけたバイタクの溜まり場で運賃交渉に取り掛かった。

 一台目。「古城までいくらだ?」「喜洲までか、10RMBだ」「いや、違う。古城までだ」「えっ、古城?」「そうだ」「うーーん。40RMB」。よし、だいたいの価格はわかった。次へいこう。
 
 2台目。再び「古城までいくらだ?」「喜洲か?」で始まり。そして「いや、古城までだ」「古城・・・か、40RMB」と続いた。(なんで毎回喜洲だというのか、私の発音が悪いのかな)と少しおかしな気がしたが、今はそんな事にかまっていられない。
 「だめだ、高すぎる」「35RMB」「だめだ、高い」
 「だったらいくらならいいんだ」「20RMB!」
 「30RMB。これが一番安い価格だぞ!」と粘る運転手。
 「25RMB。これでOKなら決まりだ」と一気に攻め落としにかかる。
 「だめだ」と小さな声。
 「25RMBだ。これでOKなら今すぐ乗っていく」「うーーん」
 「決まりだな」「・・・わかった。それでいいよ」
 なかなかうまくいった。ワン・ツーパンチが決まったようなものだ。こういうときは気分がいい。
 
 さて、別のところでも書いたが、こうしたシートつきバイタク(今回は4人乗り)に乗るのはコツがいる。普通のバイクの後部座席に乗るのとはわけがちがうのだ。屋根があって、雨や日差しが避けられていいこと尽くめのようにみえるが、この屋根が落とし穴だ。屋根を支えるポール。そして屋根を覆っている厚いビニルシートを支える格子。これらが全てむき出しの鉄で作られている。そして、自動車とは異なり、デコボコ道の衝撃を吸収するような仕組みもない。そこにシートベルトもなしで座ることになる。
 結果として、急ブレーキがかかれば体は前方へすっとび、車体が跳びはねれば頭が屋根に激突するという具合だ。だから、乗車中はずっと油断がならない。少しでも揺れ始めたら、前方か左右のポールに手を添えて体を支え、ひどいときには体を深く沈めて頭を引っ込めなければならない。(しかし、中国人は平気な顔をして、日傘でもさしているかのように片手でポールをつかむだけの場合が多い。彼らは反射神経がよほど優れているのか、それとも頭が特別固くできているのだろうか?)

 ここまで書けばわかると思うが、バイタク乗車に関してはすでに達人の域に達している私のことだ。当然、余裕たっぷりで座席に腰を下ろした。そして、バイタクがスピード上げるにつれ激しくなる、前後、左右、上下の揺れに落ち着いて対処していった。

 しかし、試練はここからであった。舗装道路にも関わらず道はガタガタ、揺れはいつまで経っても止まらない。いつ上下の揺れがあるかわからないので、腰はずっと落としたままで背中も曲げたままでいなければならない。腕も左右のポールにつかまりっぱなし。それでも最初の15分ぐらいまでは余裕をみせていた。(これぐらいで参っているようでは大陸の旅行はできないぜ!)と独り言が口から漏れていたほどだ。
 ところが、20分ほど経った頃、おかしなことに築いた。そろそろ姿を現すはずの古城の城壁が全く見えないのだ。苦しい姿勢の中何度も外に顔を出し、前方を見つめる。だが、城壁らしきものは見えない。どうしたことだ。予定では長くても20分ほどで着くはずだったのだがどうやら考え違いをしていたらしい。少し後悔し始める。やはり喜洲までにしておいて、バスに乗り換えるべきであったか・・・。だが、もう手遅れだ。
 30分経過・・・。絶え間ない震動に揺さぶられて頭がぼんやりとしてくる。一体いつになったら着くのだろう。何度か街らしきところを通りがかるが、バイタクは全く停まる様子がない。もう限界だ。運ちゃんに言って降ろしてもらおうか?いや、そんな情けないことはできない。なんということだ、こんなところで最悪の運命が待っていようとは。
 40分経過・・・。もう無理だ。これ以上続けたら、明日は起き上がるのも難しくなってしまう。そろそろ「参った」するしかないのか、そう考え始めた頃、崇聖寺の三塔が目の前に現れた。良かった、助かった。ここまで来れば古城はすぐだ。この三塔は有名な観光地の一つなので、本当は見ていきたかったが今は一刻も早くホテルに辿り着きたい。これも運命だと思ってあきらめよう。
 45分、ようやく古城の南門に到着。ふらふらしながら、バイタクの運転手にお金を払う。バイタクの運ちゃん、なんだか、うれしそうだ。してやったという顔をしている。もしやわざと悪路をとったのではないだろうな、という疑念が湧き起こるがどうしようもない。とにかくホテルまで辿りつかねば。

- 幸運な出会い -
 半死半生の状態でホテルに到着。部屋に転がり込み、2Hほど休息をとり、再び外へ。あちこちの間接がガタガタになっている。後半の旅に響かなければよいが。

 まずは明日の麗江行きのチケットを確保しなければならない。本来なら正式なバスステーションから出発するのがベストだ。しかし、古城のバス・ステーションはホテルから少し遠いし、一日何本出ているかわからない(わからないなら行って調べればよいのだけれど、すでに気力体力が尽きていたのか、このときは頭が回らなかった)。
 そこで、ホテルのすぐ隣にあるチケット代理店に行く。チケット代理店は一見便利なようでいて何かと問題が多い。途中乗車のような扱いになり、チケットも手書きであったりしてとても怪しげだったりする。以前に梅洲市「梅洲市探検記」で痛い目にあっているので店の前でも躊躇し、外に立てらかけられた案内板に見入る。(怪しい・・・、うーん、怪しい・・・)。
 すると女子店員が出てきて、どこ行きのバスに乗るんだと尋ねてきた。「麗江だ」と答える。「何時の?」「朝一番のだ」。「それなら割引になるから、40RMBよ」。
 これ以上迷っていても仕方がない。旅程にはまだ余裕がある。最悪、もう一泊することになってもそれほど困らない。そこまで決意し、購入に踏み切った。お金と引き換えに渡されたのはやはり手書きの怪しげなチケット。「どこから出発するんだ」「何時だ」「その時間にここに来ればいいんだな」と立て続けに質問をする。店員は店員で、「8:40分よ、それまでに必ず来なさいよ。時間通りに来るのよ」としつこい。(しつこいのはいいんだけど、しつこさに見合った信頼性を発揮してくれよ)と祈るような気持ちで店を離れた。

   ここで食事休憩。昨日と同様に、「太白楼」で食事をとることにした。今日のメニューはオムライスである。このオムライスもカレーライスと同様、あるいはそれ以上に素晴らしい出来であった。薄い卵焼きに四角く包まれたボリュームタップリのオムライスが陶器製の絵皿にのせられて出てくる。上にはもちろんケチャップがたっぷり。カレーライスもそうだったが、ここ「太白楼」の料理には独特のコクがある。忘れられない味。

【大理の街並】

 昨日は北と西の城門をみたので、今日は到着当初に抜けてきた南の門に上ってみる。西安にも城壁があって、そこから内側を見渡すことができるのだが、街全体の色使いが中華的で日本を思い起こさせるようなところは全くない。しかし、ここ大理で城壁の上から見えた光景は、まるきり日本の城下町のようであった。その昔、中国の技術者が大量に日本に渡ったという伝説があるが、建築家はこの地方の出身だったに違いないと確信させるほどの相似である。

 少し小腹が減ったところで、露店の一つに立ち寄り、串ものを食べてみる。これがなんと「大理チーズ」であった。すぐに<それ>とわかったものの、しばらく信じることが出来ず、露店のおばちゃんに「これはチーズか?」と何度も確認する。薄く引き延ばした淡いクリーム色のものを串に巻き上げて、炭火で焼き、串に巻きつけてある。日本のチーズよりわずかに軽い味で、酸味のきいたタレを塗りこめたあった。
 はるか10年前、まだ日本で中国行きを夢見てアルバイトをしていた頃、「地球の歩き方」でこの食べ物を知り、一体どんな味がするものなのだろうと好奇心を募らせていたことを懐かしく思い出す。最新の「地球の歩き方」にはもはやこの食べ物は紹介されていない。昨日も露店を見るたびにそれらしき物はないかと探し求めていたのだがとうとう見つからなかったのだ。それを幸運にも大理を離れる前夜に口にすることができた。旅の神様に心から感謝を捧げずにはおれなかった。

 最後に土産物屋に寄り、木彫りの絵を購入する。お店のオーナーや店員が自ら彫刻刀を手にして彫り上げている。平均的なものは40RMBぐらい。彫りこみが多く、複雑なものは一枚300元もする。鯉が2匹泳いでいる美しい木彫りを50RMBで手に入れようと、ちょっと強気で交渉したら、取られるとでも思ったのか商品をもって壁際まで逃げていってしまった。1日もかけて彫ったものだ、そんなに安い値段では売れないという。あきらめて普通のものを数点購入し、お店を去った。(参考までにいうと、土産物は大理よりも麗江で買ったほうがいいものが手に入る。ただし、値段も高い)。

 はるか昔から想いこがれていた街「大理」。再び来訪できるのはいつの事だろう。10年後か、20年後か、そのとき私はどんな風に生きているだろうか。今よりも活き活きとした人生を過ごしているだろうか。それとも失意に打ちひしがれているのだろうか。人が一生にできることはなんと少ないのだろう・・・。そんな事にとりとめもなく思いをはせながら大理最後の夜が更けていった。

2003年1月20日

この旅は「麗江探検記」に続きます。