2008年4月-6月(day041)

2008年4月-6月(day041)


2008年4月7日
 私のグッピー軍団に危機が訪れている。親グッピーの数はすでに危険ラインである20匹を大きく割って12匹となってしまった。4,5日に一匹ぐらいの割合で、コテッとお亡くなりになってしまうのである。幼グッピーは現在5匹。普通、グッピーといったら、大量出産がほとんどだと思うのだが、うちではぽつん、ぽつんと生むことが少なくない。どうしてなんだろう。本当に不思議・・・。

 10日ほど前に、アパートから歩いて5分ほどのところに、回転寿司屋がオープンした。(この街には、もう一軒、回転寿司屋があるのだが、まだ営業しているのが不思議なぐらい客がいない。いまや怖くて行くことができない状態だ)。長安鎮でみたことのある店と同じ店名なので恐らくチェーン店だ。先週末と 一昨日と二度行って、食べてみた。深センのジャスコにある回転寿司と比べると若干ネタの新鮮さが落ちるが、問題のない範囲だ。手で握っているのでシャリがちょうど良い柔らかさだ。(ジャスコにある店は、機械握りのためかやや硬め。ジャスコの回転寿司屋に慣れてしまっているZは、逆に手で握ったシャリが気に入らないらしく、「柔らかすぎる」と文句を言っていた)。しかし、客足は今ひとつといったところだ。デパートのすぐ横なので人通りは多いのだが、出稼ぎ族ばかりの街なので、寿司を食べようという人たちが十分に集まらないと思われる。
 頼みの綱は日本人駐在員と香港人たちなのだろうが、駐在員の人たちは、食事をするにしても日本料理屋の方がゆっくりできるし、夜の遊び場がそばにあって便利だろうし、香港人も、この街では永住組は少なく土日は香港へ戻る人が多いから、そうそう行きはしないだろう。残るは裕福な地元の人たちということになるだろうが、ここの人たちは、どちらかというと伝統的な中華料理の方が好きそうな気がする。
 そうやって考えると、せっかくできた回転寿司屋ではあるが、あまり期待はできない。オープンしたてで人気がそこそこあり、ネタが新鮮なうちにせいぜい通わせてもらおう。唯一の希望は、チェーン店であることから、ネタの在庫をあまり抱え込まずに済むのではないかということ。そうであれば、細々と続けているうちに、常連客がついて軌道にのることも考えられる。ちょっと厳しそうだが・・・。頑張って欲しい。流行ってくれれば、わざわざ深センのジャスコまで寿司を食べに行く必要がなくなり大助かりだ。

  ようやく広東省らしい気候になってきた。暑くなってくると、ざるそばが食べたくなってくる。昨年まで醤油とみりんと水を混ぜてつゆをつくっていた。専用のつゆだと高いし、しばらく食べないでいるとつゆが駄目になってしまうから、他の用途でもつかえるみりん(風調味料)のほうがお買い得だと思ったのだ。しかし、実際にみりんを買ってみると、そばつゆ以外に使い道がほとんどない。結局、冷蔵庫の中に長い間滞留することになってしまった。容器の図体がでかいので邪魔でしかたがない。
 みりんの代わりになるものはないかとインターネットで調べたところ、あった、あった。なんと、料理酒と砂糖の組み合わせでみりんの代用になるのだという。料理酒なら、Zが料理でよくつかうから問題ない。昨日、もりそばを作って、ちょうど半分を食べて、二杯目のつゆが必要になったところでみりんがなくなった。さっそく、料理酒と砂糖と醤油と水で、つゆを作った。お味はどうか・・・。
 まっず~。どんだけ不味いんだってぐらい不味かった。実は、つゆを作っているときからちょっと香りがおかしいなと思っていたのだ。なんだか違うぞと・・・。そう、料理酒といっても、日本の料理酒は日本酒がもとになっている。酒税がかかるのを避けるために、日本酒に調味料を混ぜて、非飲料として売られているのだそうだ。中国の場合もそうなのだと思うのだが(安いかどうかは別として)、原料になっている酒の種類が違うようだ。中国だから白酒?ビンに貼られている原材料のラベルをみると、黄酒と書いてあった。いずれにせよ、日本の料理酒とは全くの別ものだったのだ。従って、みりんの代用品とはならない。当たり前の話なのだが、全く気づかなかった。やはり今年もみりん(風調味料)を買うしかないか。
2008年4月10日
 最近、悩みが多い。もともとクヨクヨと考えるタイプなので、よく悩むのだが、数が増えている気がする。
 一番の悩みは、人民元の上昇である。昨日も米ドルに対して一層強くなった人民元。当然、香港ドルに対しても上がっている。給与が香港ドルだから、もうビクビクものである。しかし、人民元の上昇は自分の力ではどうしようもない。もちろん、会社に対して配慮をお願いするという手もあるが、そうなると転職も頭に入れて考えなければならないので、別の悩みを生む。そこで、当面は「香港ドルの下落については、できるだけ考えないようにする」という消極的な対応でお茶を濁すことにしている。
 二番目の悩みは、体重の増加である。ここ二年ぐらいは80キロ前後で安定しているのだが、体への負担は日増しに大きくなってきているようである。頭痛が起きたり、疲労が激しくなったりと生活に悪影響がある。また、以前は夕食後数時間も経つとお腹が減ってきて夜食を食べたくなったのだが、最近は消化の速度が鈍ってきており、翌朝ぐらいにならないと食欲がわかないという現象が発生してきている。慣れもあり、すぐに大きな問題になることはないが、長い間には致命傷になりかねない。今年こそはダイエットを成功させなばならない。
 三番目は、記憶力低下の悩みである。これは昨年ぐらいから強く意識し出したのだが、少し前にやったことをなかなか思い出せない。数ヶ月前とか、数年前のことはよく覚えているのだが、ついさっき見聞きしたことを思い出すのにやけに時間がかかるのだ。この悩みは深刻で、最近はメモを多くとるようになった。あと、この問題を強く意識するようになってからは、若干改善がみられるようでもある。そうはいっても、これ以上の記憶力低下は望ましくない。そこで、日本から通販で、「脳をきたえるそろばん式暗算ドリル」という本を取り寄せ、暇な時に暗算トレーニングをすることにした。二桁、三桁の暗算なのでさほど実用性があるわけでないのだが、「頭脳トレーニングをしている」という事実が自信回復につながり、良い影響をもたらしてきている気がする。地道に続けていきたいところだ。
 四番目の悩みは、視力の低下である。視力の低下の問題は、数年に一度の割合で発生し、これまでも様々な対処をしてきた。一番よくやってきたのが、遠くと近くを交互に数秒間ずつ見つめるトレーニングだ。これを1,2週間ぐらい続けると、視力の著しい向上が見られた。さらに一昨年ぐらいに、目のマッサージ器を購入した。これも効果が大きく、ずいぶんと役に立った。
 しかし、今年の冬ごろから発生した視力低下には上記の二つの対処方法があまり効果がなく、いささか弱っていた。視力が低下すると、仕事の効率も落ちるし、ホームページの制作にもいまひとつ気合いが入らない。何をやっても、疲労が増加する。しまいに外に出るのも憂鬱になるほどだ。昨日は、事態を打開するために、眼鏡の購入を決意した。以前にも何度か眼鏡を購入したことがあるのだが、視力トレーニングをしているうちに視力が回復し、使わなくなってしまっていた。今回も、当面の視力低下を乗り切るために眼鏡を買おうと覚悟したのだ。
 だが、眼鏡は面倒くさいし、作るのにお金もかかる。我が街の眼鏡屋さんでは、当たり外れが大きそうで怖くて買えないから、市内のJUSCOまで行くことになるのだろうが、相当高くつきそうな気がする。人民元高で痛んでいる懐にはさぞかし大きな打撃となることだろう。
 何か良い方法はないものか・・・。そう悩んで、ネットサーフィンに励んでいると、思わぬものが見つかった。 視力アップ&脳トレソフト「動体視力UP APEX」である。「Nita’s HomePage」のNitaさんが開発したソフトで、無料で提供されていたのでダウンロードして試してみた。「動体追従モード」、「瞬間視モード」、「瞬間判断モード」、「周辺視野モード」、「スライドモード」等、様々なトレーニングが用意されていて、飽きずに続けられる。適度な緊張感があるのもいい。スコアが記録されるので、次にやるときの目標にもなる。私は、昨日30分ほどやってみただけだか、本日はずいぶんと視界良好となった。これなら、眼鏡を買わずに済みそうだ。(脳トレにも役立つから、記憶力低下の改善にも効果があり、一石二鳥だ)。
 悩みだらけであるが、たまにいいことがある。それが面白い。
2008年4月17日
  先日、久しぶりにマカオへ出かけた。今回は「MGM Grand」というところへ行ってきた。特に印象深いところはなし。記憶に残っているのは、フェリー乗り場からマカオタワーへの三分の2ぐらいのところにあるにもかかわらず、道路の経路の問題から、いったんマカオタワーまで行ってからユーターンして戻ってきた(シャトルバス)ことと、ポイントカードの勧誘に一度も来なかったことぐらいだろうか。サンズやウィンではうるさいぐらいカード登録の勧誘が来るのに、MGM Grandでは、一度も来なかった。時期的なものなのだろうか。
 結果の方は、またもや、負け。一時的に2000HKドルほど勝ち越したが、やっているうちに、大きくマイナスになり、最後に少し戻して、普通負けとなった。スロットゲームとしては、結構面白いのが2,3機あり、負けていたのにもかかわらず、やっていて楽しかったのが悔しい。特にインドのボンベイをモチーフにしたのにはやられた。音に気をとられているうちに、引き際を失ってしまうという非常に良くできたゲーム機だった。ああ、あそこでやめておけば・・・。
 でも、もう「MGM Grand」には行かない。サンズ、ウィン、ベネチアにあるような豪華さが感じられず、雰囲気がいまいちだからだ。次回は「グランド リズボア」だ。次こそは勝つぞ!

 昨日は、夕食を外でとることになった。Zは湖南料理、私は回転寿司を主張し、一歩も譲らない構えである。そこで、ジャンケンで勝負を決めることになった。「恨みっこなし。どちらにいくことになっても、気分良く、愉快に食事をすること。それから・・・」。私が長々と条件を述べると、Zが「うるさいわね。まだ勝負も決まっていないのに、長々と言わないで!」と遮った。笑顔満面である。すでに勝った気でいるようだ。この根拠のない自信はどこから湧いてくるのだろう。しかしね、Zよ。ジャンケンは経験がものをいう勝負なのだ。せちがらい日本でさえ、それなりの勝率を上げてきた私を単純思考の君がどうやって負かすというのか。
 「ジャーン、ケーン、ポン!」。自信たっぷりの割に、出す手はやたら遅いZ。おどおどと出されたZのチョキの手の前に立ちはだかった私のグー!勝利だ。マカオで負けても、Zには負けないぜ。Zの顔に、 一瞬落胆の表情がいっぱいに広がった。「ほらほら、気分良く、愉快にね!」。私が突っ込むと、Zは仕方なしに微笑んだ。しかし、意外に悔しそうではない。全力を尽くしきって満足という様子だ。「行っくぞ~!」。ご機嫌の私が先頭を切って回転寿司屋へ向かった。
 元気いっぱいで、回転寿司屋の前に到着したが、急に不安になった。さて、まだきちんと店をやっているだろか。この街にはどうみても不釣り合いな回転寿司屋だから、いつつぶれていてもおかしくない。窓から恐る恐る、覗き込むと、本当に誰一人客がいない。こりゃやばい。やっぱりやめようか。でも、開店してから一月も経ってないから、まだ大丈夫なはずだ。チェーン店だし・・・。そんな風に悩んでいると、店の中にいる店員たちが私たちに気づき、ドアをがらりと開けた。
 「いらっしゃいませ~」と響き渡る声につられて、店内に入る。夕方6時を過ぎているというのに一人も客がいないとあって、店員さんたちの顔はやや暗い。(ようやく客が来たわ)。皆、そんな表情をしている。客はいないが、回転ベルトは寿司でいっぱいになっている。おやおや、そんなに無理をして大丈夫か。あるいは昼からずっと流れているのだろうか。心配になってじっと見たが、目視で判断した限りではネタは大丈夫そうだ。さすがチェーン店。品質の重要さはわかっているらしい。安心して席に着き、食事開始。
 ここで食べるのは、これで三回目。一回目は目一杯頑張って210RMB分も食べた。二回目はややセーブして食べて160RMB分食べた。今回も、ややセーブして160RMB。やはり、市内のジャスコよりも若干高い感じだ。でも、行く手間と費用を考えれば、安いと言える。しかし、こんな比較をするのは私ぐらいだろうから、やっぱりもうちょっと考えないと、厳しいだろうなぁ。あと、寿司は問題ないが、Zが注文した焼きうどんは駄目だった。まるで、煮て、伸びたうどんを炒めたかのようにゆるゆると柔らかかった。幸い、Zがハングリーモードだったから良かったものの、そうでなかったら、ブーイングの嵐だったことだろう。料理が出てくる前に、厨房で怒鳴り声がするのが聞こえたから、もしかしたら、普通のうどんと間違えてつくったものを、焼きうどんに作り直したのかもしれない。まぁ、それぐらいは許すから、頑張って営業してください。

 先日、日本から書籍を取り寄せた。私は「海外サポートセンター」という業者経由でいつも本を買っている。この業者では、送付方法をプリンテッドマターとEMSの二通り選べるので、最近は送料の安いプリンテッドマターをずっと選んでいた。EMSと違って運送状況の追跡サーチができないのが難点だが、たいてい一週間から10日ぐらいで到着するので、問題はなかった。
 いつも工場の保安のところに届き、「届いたから取りに来てください」と連絡があるのだが、今回はちょっと違った。郵便の送り状が配達されてきたから、それをもって郵便局まで取りに行ってくださいと言われたのだ。こんなことは初めてだ。今回、CD付きの書籍を頼んだから、それがひっかかったのだろうか。郵便物からはがされたと思われる送り状には、「7日以内に身分証をもって◎◎郵便局まで取りに来てください」と印が押されていた。(CD取り上げられたら嫌だなぁ)と心配しながら、郵便局まで行き、窓口で職員に送り状とパスポートをみせた。すると、しばらく経って、書籍の入った小包をもってきた。開封された様子はない。
 「どうして郵便局止めになったんですか?」
 「国内からの小包は工場まで届けることになっているんですが、国際郵便の小包は郵便局で引き替えることになっているんです」
 「いや、これまで何回も日本から小包を取り寄せているんですが、毎回工場まで届けてくれていましたよ」
 「国内からの小包は工場まで届けることになっているんですが、国際郵便の小包は郵便局で引き替えることになっているんです」
 「これまで何回も日本から小包を取り寄せているんですが、毎回工場まで届けてくれていましたよ」
 「国内からの小包は工場まで届けることになっているんですが、国際郵便の小包は郵便局で引き替えることになっているんです」
 笑顔の中、職員の回答は変わらない。過去はともかく規則ではそうなっているようだ。この郵便局に来たのは初めてだが、建物の様子からして、新しくオープンしたばかりのようだ。だから、担当者の方針が違うのだろう。しかし、これからはプリンテッドマターだと毎回、郵便局まで取りにいかねばならないことになるわけか。次からはEMSにするしかないかなぁ。EMSで注文となると、Amazonの海外配送の方が安くなるようだから、そちらへの変更も考えなければならない。面倒なことになった。
 今回取り寄せた書籍は、大部分がLinux関係のビギナーズブックだ。私が働いている工場ではOSはすべてWindowsなので、Linuxを勉強する必要はあまりない。しかし、部下に目標を与える意味で、今年、上位二人のスタッフにLinuxの研修に参加させることにした。将来的には経費削減等のためにLinuxでサーバを立てること可能性もあるし、オープンオフィスをLinuxベースで使用していくことも考えられるからだ。まだ将来的な話だし、私が勉強する必要はあまりないのだが、中国人の部下との異文化コミュニケーションの助けになると思い、少し独学でやってみることにした。Linuxは5年ぐらい前に一度挑戦したことがあるのだが、当時はインストールすら満足にできずに失敗した。この度は、Linuxの進化に助けられて、インストールまではうまくいっている。ついでに、VirtualPCとVirtualBoxの使用方法も覚えた。果たして、どこまでいくことができるだろうか。プリンタサーバとか実用性があって、コスト削減に役立つものが作れるといいのだが、難しいかなぁ。
2008年4月27日
 グッピーたちに春が訪れている。4月上旬に始まった出産は結局12匹止まりだった。親グッピー12匹と併せて24匹。親グッピーは大きな水槽で、幼グッピーは小さな金魚鉢で飼っていた。さて、ここでもう一度出産が起これば、かなり安泰だ。一方、打ち止めとなれば、滅亡への危険ラインのまま毎日を過ごさなければならない。どうなるか・・・。心配しながら日々を送っていたところ、昨日の朝、新たな出産が確認された。水換えついでに、生まれた幼グッピーたちをすくい上げ、二週間前に生まれた幼グッピーたちがいる金魚鉢に入れてやった。すでに体長差が倍以上ある。まぁ、これぐらいの差だったら、すぐに追いつくことだろう。
 水替え後も、親グッピーたちは元気だ。特に雄のグッピーが元気なのが良い。これまで雄のグッピーは脆弱な奴ばかりで、水替えをするとすぐに体調を悪くするのばかりだったが、現在の雄グッピーたちは、全く意に介していない様子だ。ひたすら雌グッピーたちを追い回している。雄も雌も若いから、この調子ならまだまだ出産が見込めそうだ。再び70匹軍団の夢が見られるだろうか。
2008年5月5日
   じわじわと暑くなってきた。現在、気温28度。湿度85%RH。気温はそれほど高くないが、湿度のせいで不快指数は高い。我が家では(といっても私とZしかいないが)クーラーはぎりぎりまで我慢するという方針があるので、まだ当分クーラーはつけられない。昨年の日記をみると6月20日ぐらいまで我慢していたようだ。今年はどこまで我慢できることだろう。
 クーラーが使えないとなると、頼みの綱はもちろん扇風機である。扇風機は全部で三つあって、一つがパソコン室兼寝室にある小型扇風機。小さな体でよく働いてくれている。もう一つは同じ部屋の棚に取り付けてあるさらに小型の扇風機。これは気休めのようなもの。最後がリビングルームにある高さ1メートル20cmぐらいの大型扇風機。これは、テレビをみたり食事をしたりする部屋にあるので非常に重要な扇風機だ。しかし、これがとんだ食わせもの。昨年買ったばかりなのだが、当初から、最大風速にしても風が50cmぐらいまでしか飛ばないのだ。ぶるんぶるんと巨大な音を立てて回るのだが、風がちっとも飛ばない。そのうちやる気を出してくれるだろうと我慢していたが、ずっとそのままだった。丈が高い分持ち運びが大変なので、修理にも出さず、昨年を過ごした。単体では全く役に立たないが、クーラーと一緒に使えば、なんとなく働いてくれているようでもあったというのもある。
 昨年は買ったばかりだし、もったいないから我慢して使おうという気持ちが強かったが、50cmしか風が飛ばないのでは正直辛い。電気代の無駄かもしれないという気持ちもある。そこで、本日、新しい扇風機を購入しに行った。50cm扇風機は、メーカーこそ「美的」だったが、200RMBを切る価格だったから不良品だったのだろうという考えに基づき、今回は高級扇風機を選ぶことにした。以前から目をつけていた8の字首振りをする扇風機が欲しかったのだが、Zは店に着くまでずっと「安いので十分!」と言い張っており、さてどうしたものかと悩みながら店内に入った。
 しかし、私が指し示した扇風機を見て店員の説明を受けると、予想外なことに、ZはあっさりとOKを出してくれた。8の字首振りをするタイプには二機種あり、高いのが約490RMB、安いのが約370RMBだった。Zは安いのは目に入らず、高い方の機種をみてニコニコしている。どこが気に入ったのかなと思い、安いのと高いので機能の比較をしてみると、高い方にはマイナスイオン発生の機能がついている。「もしかしてマイナスイオン機能がついているから気に入ったの?」と尋ねると、嬉しそうに首を縦に振って頷いた。目が輝きもうこれ以外は目に入らないといった感じだ。たぶん、マイナスイオンは美容に良いとかの広告をどこかで読んだのだろう。インターネットで日本の情報をみると、最近はマイナスイオン効果にだいぶ疑念が出されており、私自身は意味あるのかな?と考えていたが、それを指摘すると8の字首振り扇風機自体を否定されかねない。双方の要望が適った「美的 FS40-5HR」に黙って決定。値切って460RMBで購入した。前回の反省を生かし、その場で組み立ててもらい、風力を確認してから二人で力を合わせて持ち帰った。デパートが近いと、たいていのものは歩いて持ち帰ることができるので便利だ。
 これで、暑い夏を迎え撃つ準備ができた。今年はいつ頃までクーラーなしで頑張れるかな?
2008年5月20日
 ここしばらく、雨が断続的に降り、涼しい日が続いている。
 一昨日、これまで数週間の間、金魚鉢で飼っていた幼グッピーを全て親グッピーのいる水槽へ移した。事前に7匹、大きめの幼グッピーを水槽に移して様子をみていたところ、問題ないようだったので、一気に全て引っ越しをさせたのだ。グッピーは子喰いの習性があるので、生まれたばかりの頃は親を離しておいたほうが良いといわれるが、一般的には一週間程度別々にしておけば十分だ(とインターネットに載っていた)。しかし、今回は念には念を入れて、ニ、三週間は金魚鉢に入れておいたのだ。
 「こんだけでかくなれば、喰われまい!」との気持ちで、朝方、水槽に入れた二十数匹の幼いグッピーたち。しかし、夕方、水槽をのぞくと驚くべき状態となっていた。なんと、事前に入れて元気に育っていた大きめの幼グッピーたち7匹を除いて、全ての幼グッピーが姿を消してしまったのだ。「どっ、どこいったんだ?」。懸命に水槽を見つめるが、一匹も見あたらない。全部、喰われてしまったのか・・・。恐怖が体を走る。しかし、水槽の底に溜まっている親グッピーの糞は餌と同じ赤色のばかりだ。一般に、子喰いをすると黒い糞をするから、食べられたわけではないのかもしれない。それなら、全て底石の下に隠れてしまっているのだろうか。だが、グッピーにも性格があり、20匹もいると、臆病なのと勇敢なのと半分半分ぐらいに分かれるものだ。全部が全部底石の下に隠れてしまっているというのもおかしな現象だ。やはり喰われたのか?あるいは、異変が生じて、幼グッピーたち全てがフィルターの吸水口に突入していったとか・・・。
 何が起こったのか不思議でならない。とにかく、しばらく様子をみるしかない。皆無事でいてくれよ。

 ここ数週間、体調が優れなかった。特に、胃と腸の調子がかつてなく悪かった。これまで薬を飲めば数日で復調したのに、今回ばかりはほとんど効かない。痛いわけではないのだが、胃と腸がご飯をきちんと消化してくれないのだ。特に夕食が朝になってもお腹に残ったままになっていて、ひどく気分が悪い。老化現象が一気に進んだのだろうかと悩んだ。こんな状態がずっと続くのではかなわない。かといって、病院にいくのも面倒だ。
 さて、どうしたものかと悩んでいた頃、Zがお茶を作ってくれた。羅漢果という実を主としたお茶だ。試しに(がぶがぶと)飲んでみると、翌日、お腹を壊した。「今日は腹を壊しちゃったよ・・・」と帰宅後Zに言うと、Zは(しまった)という顔をして、「昨日のお茶のせいかもしれない。あれ、お通じがよくなるお茶だから・・・」とのこと。なるほど、腹が壊れたのはお茶のせいか。しかし、胃と腸全体の調子はむしろよくなっている気がする。そう思って、その日も羅漢果のお茶を飲んだ。案の定、翌日もお通じばっちり。そして、これまで具合の悪かった胃と腸の消化力が急激に回復した。羅漢果のお茶のおかげで、体内の悪いウィルスが全てはき出されたのかのようだ。不思議なこともあるものだ。とにかく今回はZの羅漢果茶のおかげだ。ありがとう。
2008年5月26日
 大切に育てた幼グッピー軍団、20数匹が瞬く間に姿を消して一週間が経った。
 真相を明らかにしようと、昨日、水槽の底石を全て取り除いてみた。恐れていた通り、幼グッピーは数匹を除いて全ていなくなっていた。生き残っているのは一週間ほど先行して入れていた7匹のうち4,5匹と、後から入れた20数匹のうち2,3匹の合計6,7匹ほどだった。幼グッピーたちがこれほど短期間に減少したのは初めてのことだ。あんなに大きく育っていたのに食べられてしまったのか?あるいは、突然の水質の変化に耐えられなかったのか?
 とりあえず、水槽の底にたまった糞を掃除しよう。そう決めて、巨大スポイトで水槽の掃除を始めた。どんな原因で幼グッピーたちが姿を消したのか不明だが、とにかく残ったグッピーたちが大きくなってくれることを祈るしかない。幸い、親グッピーたちは元気なのばかりだから、まだまだ出産が期待できる。そんなことを考えながら、掃除の合間に水槽を覗き込んでいた。
 すると、幼グッピーのうち一匹がやけにびくびくとしながら、エアポンプの先にある重石の陰に隠れているのが見えた。(そんなにビクビクしなくても、もう大きいんだから食べられやしないよ)と思いながらみていると、 中型のスラリとした雌グッピーがこの幼グッピーに目をつけ追いかけ始めた。幼グッピーは必死で逃げ回る。しかし、さすがにこれだけ大きくなると、口に入らないのだろう。雌グッピーも諦めてそばを離れた。しかし、数十秒後、再び重石の陰にじっとしている幼グッピーを見つけ出し、しつこく追いかけ回し始めた。普通、親グッピーに追いかけられると、幼グッピーは、小回りがきく小さな体をいかして90度に方向転換をし、追っ手を振り切る。だが、この幼グッピーは水槽の底に小さくうずくまることしかしらず、雌グッピーこづき回されるばかりだ。
 (ああ、それじゃ、駄目だよ)と思った次の瞬間、幼グッピーの姿が消えた。雌グッピーは水槽の中ほどまで浮き上がり、口をもぐもぐさせている。幼グッピーを食べてしまったのだ。あんなに大きく育っていたのに・・・。私はあっけにとられた。もともと、グッピーは雌のほうが獰猛で動きが速い。雄は大きな尾が邪魔して速く泳ぐことができないのだ。しかし、獰猛な雌も、成長するとすぐにお腹が大きくなり、それほど素早くは動けなくなる。何よりも、大きなお腹が邪魔をして、底石の隙間で自由に動けなくなるし、急転回ができなくなるので素早く動く幼グッピーを捕まえにくくなるのだ。だが、幼グッピーを食べた雌グッピーはまだ成長の途中で、お腹がすらりとしているから、底石の間を自由に動き回れるし、直線のスピードが速い。それで、幼グッピーを容易に捉えられるのだ。
 まさか、生後一ヶ月も経つ大きな幼グッピーが食べられてしまうとは 。一週間前に消えた20数匹も、こいつがやったのだろうか。あるいは、他のグッピーたちも一緒になってやったのだろうか。詳細は不明だが、これは参った。こんなことは初めてだ。ここまで獰猛な奴がいると、出産後すぐに幼グッピーを隔離し、二ヶ月ぐらいは金魚鉢で飼わなければならなくなる。果たして、そんなに長期間金魚鉢で飼えるものだろうか。
 そういえば、この雌グッピーは私が餌をやっても、なかなか水面に出てこず、いつも底石の間を徘徊していた。きっと、餌に反応して出てきた幼グッピーを捉えるのを目的としていたのだろう。まるで鮫だ。ハンターだ。目の前で残酷な光景をみたから、胸が悪くなってしまった。最初の20匹はともかく、今日の一匹が喰われたのは自分が底石を除けたせいだと思うと、余計に気分が悪い。相手は人間ではなく魚なのだから、魚の論理があり、自分の感情を投影させるのはとんだ勘違いだと頭ではわかっているのだが、気分は一向によくならない。このハンターを隔離したほうがいいんじゃないかとさえ思った。だが、そういうわけにもいかない。「天は魚の上に魚を造らず、魚の下に魚を造らない」。されば、この水の世界に口(手?)をはさむ権利は私にはないだろう。そう考えて、ハンターくんはそのままにしておくことにした。そのうちお腹が大きくなってスピードも鈍るに違いない。 
2008年6月11日
  一旦復調したお腹の具合が再び悪くなってきた。そこで、もう一度Zの羅漢果のお茶を作ることにした。前回は腹を下したので、今回は飲水器から出てきた水をさらに沸騰させてから使用することにした(飲水器では90度前後にしかならない)。あとは前回と同じく羅漢果と各種の実を放り込むだけ。十数分待って、飲用・・・。そして、翌日、あーら不思議。またもやお腹の具合が復調した。なんと良く効くこと!今回は腹下しもなし。試しに羅漢果の効能を調べてみるが、確かにお通じを良くする効能はあるようだが、胃の調子をよくするとは書かれていない。もしかしたら、羅漢果ではなく、その他の実のほうに胃に関連する効能があるのかもしれない。いずれじっくり調べてみることにしよう。

 日本に関する私の情報源は主に「Yahoo Japan!」のトピックスと「MSN産経ニュース」である。以前は前者がメインだったが、最近は後者を先に見ることが多くなった。「MSN産経ニュース」では一つ一つの事件を詳しく追跡して書いてくれているので、読んでいて意義深いからだ。ただし、こうしてインターネットを通して日本を理解するとき、注意しなければならないことがある。日本にいると、ニュースは日常で得られる情報の一部に過ぎないが、インターネットを通して日本を理解しようとすると、特別に取り上げられた事件だけが頭の中に残り、実際の状況以上に問題が多いように感じられるからだ。
 しかし、それを前提とした上でも、最近の日本で起きている数々の殺人事件は極めて猟奇的という他ない。時系列的には定かではないが、「セレブ殺人事件」前後から、なんだか異様な事件ばかりだなと感じ始め、つい先日起きた「OL失踪事件」では、わずか一晩で人一人を消失させることができるという事実に大きなショックを受けた。こうした一般人に人間を消すことができるということは、暴力を生業としているような職業の人たちにはもっと容易く同様なことができるということではあろう。だが、そうしたことをうっすらとは想像したことがあっても、本当に起きていることとして認識したことはなかった。それがいきなり現実として目の前に突きつけられ、動揺させられた形だ。事件の経緯がニュースで詳しく報道されるにつれ、記事を読んでいる最中に気分が悪くなるほどになり、やがてこの事件の記事を見るのをやめることに決めた。
 そうした矢先、さらに衝撃的な事件が発生した。ここ数日ニュースを独占している「秋葉原通り魔事件」である。当初、事件の概要を知るまでは、「秋葉原」という街が持つやや軽薄な雰囲気から、それほど重大な事件であるように感じていなかったのだが、ニュースを詳しく読み進めるうちに驚愕させられた。「2トントラックで歩行者天国に突っ込んだ」というのも信じられないことだが、そうした事実に次いで報道された、「リストラの不安に押しつぶされて」、さらには「親が書いた作文、親が描いた絵で賞をとり、無理矢理勉強をさせられて勉強ができるようになった」という本人の弁に哀しみを覚えずにいられなかった。 もちろん、突然殺され傷つけられた被害者とその家族の方々の心情を考えると、当の加害者に同情を示すべきではない。 だが、ここまで連続して類似した殺人事件が発生するとなると、原因の相当な部分が社会に帰するのは疑いをえない。
 ニュースでは、加害者と同世代の若者にインタービューを行っていた。多くの若者は、加害者には共感をもてないとにべもない答えを返したが、これをもって、事件が社会性をもたないと結論するのははやすぎると思う。川の強い流れに足を取られて倒れるのは老人や子供、病人等の力の弱い人々だからだ。体力と気力に溢れる人には全く害を与えることのできないウィルスが、免疫力の弱った人には致命傷となるのも同様だ。
 リストラ、学歴コンプレックス、孤独、劣等感、と様々な原因が語られるが、中国で現地採用員として働く私がもっとも目を引かれたのは、加害者が携帯電話サイトに書き込んだと言われる、「負け組は生まれながらにして負け組なのです・・・」という文章だった。なんと悲しい言葉だろう。なんと未来のない言葉だろう。昔から「勝者」と「敗者」という言葉はあった。しかしこれは、現在で言われる「勝ち組」と「負け組」とは全く異なった概念だと私は思う。「勝ち組」と「負け組」というのが全局面的な響きを持つのに対して、「勝者」と「敗者」というのは、ある出来事に対する結果に過ぎず、長い人生のなかでの通過する一点という意味があったと思うのだ。もちろん、「敗者」となるのが最後の一点となれば、もはや「勝者」になる機会はないに等しいわけだが、それとても最後の一点に過ぎず、その人の人生における全てを否定するものではなかった。また、その最後の「敗者」の一点でさえも、後世には別の見方をされる可能性を残していたものと言える。
 それが「負け組」となると、あらゆる局面で否定的な響きをもち、未来さえも奪われそうになる。さらには別の角度からの見方さえも遮られる。本来、人間が持っている無限の価値が徹底的に無視され、輝きを放つことを許されない。そんな単純な定規のようなもので、人生の広がりを捉えられるはずもないのに。一つの定規の隅に押しやられたら、そこに止まっている必要は何もない。その定規の方角以外に、359度の世界が広がっているのだから。
 中国に来て十数年が経つ私も、ふと日本を思うとき、「自分は日本という社会の中でずいぶんと辺境なところにいるんだな」と寂しく思うこともある。しかし、同時に激動する中国にいて、ある時は中国人スタッフと、ある時はバイタクの運ちゃんと語り、ある時は雄大な中国の風景に触れ、日本にいたら味わえなかった喜びを噛みしめることができる。
 人生は多様で、多面性に満ちている。人間を一つの枠組みの中に押さえ込まない社会、また押さえ込まれないような人間を育てる社会に日本が変わっていくことを心から願う。
2008年6月15日
 先週末の雨は凄かった。この街に来てから6年が経つがこれほどのは初めてだった。会社からの帰宅時に一番ひどく降ってきたので、Zに電話をしてタクシーで迎えに来てもらうことにした。ところがタクシーがつかまらず、Zは徒歩で迎えに来てくれた。その途中、水はけの悪いところを抜けてきたらしく、「Jデパートの前のところは太ももの真ん中ぐらいまで水が来てたのよ」と教えてくれた。すごい。よくぞ来てくれた。足にはサンダル、ズボンは短パンという超軽装のせいか、雨の中を傘一つで抜けてきたにもかかわらず、服がほとんど濡れていないのも驚きだった。
 「靴濡れないように、代わりにサンダルもってきてあげたから」
 すごく優しいお言葉。大変ありがたいが、下がどうなっているかわからないほどの深い水が流れているところをサンダル一つで歩くなんてありえない。靴でも歩かない。だいたい中国の道路なんて、どこに穴が開いているかしれない。そんな勇気はとてもない。というか、Zよ、よくぞそんな中を歩いてきてくれた。電話してくれれば止めたのに。
 幸いにも、会社の前でタクシーをつかまえることができたので、Zと一緒に無事アパートに戻ることができた。Zが歩いてきたルートはとても無理なので、別ルートを通っての帰宅となった。途中、水の深いところがいくつかあり、ひやひやしたが、運転手を励ましながらアパートの目の前まで辿り着いた。こんなにスリルを味わったのも久しぶりだ。しかし、この調子では、 まだまだ大雨が続きそうだ。雨合羽を買って、会社に一つ置いておくことにしよう。

 雨も凄かったが、ある意味、もっと凄い者を今日は見た。 買い物に出かけた帰りのこと。バスではた迷惑な客と乗り合わせた。どこかの建築物解体現場から持ち出してきたと思われる蛍光灯の照明器具5,6セットをバスの通路の真ん中に投げ出すように 放り出してあるのだ。蛍光灯を取り付けたまま放り出したため、ガラスが割れて破片が通路いっぱいに飛び散っていた。バスはほぼ満員で、 私も含めて多くの乗客がその破片の上に立たざるを得ない。サンダルの人も少なくなく、足を滑らせでもしたら大変だ。私は幸い、底の厚い運動靴を履いていたのでそれほど心配していなかったが、いつもよりつり革につかまる手に力が入った。やがて、あるバス停で、そのはた迷惑な客は下車していった。 照明器具は持って行ったが、粉々になった蛍光灯の破片はそのままでだ。
 驚いたのは次の瞬間である。赤いシャツをきた裸足の若者がバスの後部座席の方から現れて、そのガラスの破片の上をスタスタを抜け、続いて下車していったのだ。一瞬目を疑ったが、紛れもなく裸足である。昔、どこかの宗教者が真っ赤な炭の上を歩き抜けるという行をテレビでみたことがあったが、それと全く同レベル (?)のことをやってのけたのだ。少なくとも私の目にはそう映った。姿格好からしてどこかの田舎から出てきた出稼ぎ族の若者だろうが、あそこまでいくと、もう足が靴だ。 見た感じでは、特に硬い皮膚で守られた足という様子ではなく、若者らしい柔らかそうな(ただし足の裏は分厚そうだった)足だった。子供の頃から靴を履かないでいる だけでは、あんな芸当はできないだろう。何か特別な仕事を裸足でやっているとあんな芸当ができるようになるのだろう か?本当にびっくりさせられた。これまでも時々裸足でバスに乗車している客をみたことがある。すごく貧しいという様子でもないし、何なんだろう。実に不思議だ。
2008年6月19日
  湿度の高い日が続いている。ここしばらくの雨で、一層湿度が高くなるかと思いきや体のほうは却って楽になった。風をともなう雨だったから、湿気が吹き飛ばされたのだろうか。あるいは体が慣れてきただけか?冬場、湿気のないときは、水槽の水がみるみると減っていくのだが、現在は空気の中に水分が余っているのだろう。ほとんど減らない。その分、ちょっと油断をしていると、部屋中のものにカビが生え出す。
 先々週、Zがしばらく家を空けていた時には、皿やら枕やらに次々とカビが発生し、ほとほと困った。Zは窓を開けておくのが好きで、いつも風通しのよい状態にしておいてくれるのだが、私は閉めっきり派なので湿気がこもってしまったのだろう。戻ってきたZが部屋のあちこちでカビを発見し、ひどく叱られた。Zと同居する前も、同様に閉めっきりにして暮らしていたけれども、特にカビが発生するということはなかった。何で急にカビが出るようになったのだろう。原因は水槽の水か?それと、部屋にいる時間が長くなったのと、部屋で食事をすることが多くなったのが影響しているに違いない。もっともクーラーさえ回していれば、自動的に湿気が減るはずだから、クーラーを我慢しているのが一番の原因と言えるだろう。昔はクーラーをつけっぱなしにしていたから、湿気の威力に気づかなかったのだ。次回、Zが部屋を空ける時は、よほど気をつけないといけない。

 ここしばらく、中国の新聞やインターネットを賑わしている話題がある。四川の大地震時に、現地のある高校の教師が生徒を残して真っ先に逃げ出したということで首になったのだ。地震がやんでグラウンドに出てきた生徒が、「なんで私たちを残して逃げてしまったのですか」と問いかけたのに対して、「私は英雄でも、勇敢でもない。危険なときには自分自身の身を守るのに精一杯で他を顧みる余裕なんてない。こんな非常事態には例え母親のことだって置き去りにすることだろう」といった内容で回答をし、それがインターネット上での議論に広がった結果、学校に解雇通知を(口頭で)出されたらしい。
 四川大地震のおりには、少なからぬ人々が自らを犠牲にし、他人を助けた。その英雄的な行為が称えられ、皆の模範としてもてはやされている最中のことだから、余計に批判が集中し、大変なことになったようだ。しかし、英雄は誰もができないことをやるから英雄なの だ。普通の人がその行いを真似するなんてなかなかできるものではない。この人もたまたま反応が素早かったから、一番に逃げ出した(グラウンドに一番に飛び出したらしい)のであって、生徒を顧みる余裕のなかった先生なんてたくさんいたに違いない。
 英雄的な行為が極度に称えられられたため、人間的に普通の反応を示した者たちの中で運の悪い者に批判の矛先が向けられた格好だ。今回の大地震では、メディアが大きく活躍したこともあって、犠牲的精神をもった気高い人間が次々とクローズアップされた。これからもしばらくの間は、地震の間に生まれた数々の美談が語られることだろう。その一方で、思わぬ醜態を晒してしまった人々が物議を醸すことも多々あるだろう。人間は誰でも自分は善良な方に属すると考えたがるから、大半の人は自らが同じ立場にあったらどうだっただろうとは顧みることなく、醜態を晒した者たちを罵る側に回る 。しかし、少数の人間はその醜い行為が自分の中にもあると認め、むしろそれが自然であると彼らを擁護し続けることだろう。
 私としては、「一般の人ならともかく、聖職とも称される職業に携わる人間として許せない行為である」という意見にも共感できるし、「教師といっても一人の人間である。まして、現在の教師は生徒やその両親の顔色に右往左往するだけの職業に過ぎない。とても聖職とは呼べず、他の職業以上の倫理を求める理由はどこにもない」という考え方も否定できない。 前者は人間の理想像に立脚し、後者は現実に根ざした考えだから対立するのは当然だ。
 さて、この事件には、もっと興味深い側面がある。事件に直面した人々をグループわけすると、第一がこの教師を批判する人々、第二が教師本人と表面に出てきたのはわずかであるが、この教師を支持する人々、第三が教師を解雇した学校側、第四が中国の上層部である。学校側は、「解雇したのは上層機関の指示であり、我々の意志ではない。全ての人々が地震で傷つき、モラルも破壊的な衝撃を受けた」と述べているし、上層部は「そのような指示は出していない」と声明を出している。地震後に起こった数々の英雄的行動には人民・政府を挙げて賞賛の嵐で一枚岩を成していた中国が、英雄的行動の正反対にある卑劣とも言える行為に関しては足並みが大きく乱れてしまっているのだ。
 これにはどういう意味があるのだろう。英雄的な行為、寄付活動で盛り上がった人民のエネルギーが己へ向かって来ないかと恐れ、かと言ってこれまで率先して寄付活動を煽ってきた手前自ら矢面に立って人民の勢いを止めることもできず、流れが読めるまで傍観者に徹しているといったところか。昨日、日本のニュースで、「中国全土の学校関連の建築物に関して安全性を調査するように通達が出た」というのがあった。その一方で、手抜き工事を批判した女性が政府に拘束されるという出来事が起きている。実に細かいオペレーションだ。 ガス抜きをさせながら、厳しい統制を敷くというのは中国では珍しくないことだが、今後、ますます微妙なコントロールが要求されるようになるだろう。中国の未来は、人民の自制力と政府の機敏な対応にかかっている。この国 はどんな未来に向かって羽ばたいていくのだろう。今後はますます目が離せない。