2012年1月(day066)

2012年1月(day066)

2012年1月1日

今日は6:50起床。
 いつもの4セットと各20回を2セット、柔軟体操と冷水摩擦もいつも通りこなした。先日のことだが、椅子に座った状態から、身体をひねって床にあるものを拾おうとしたところ、わき腹の辺りはひきつりそうになった。これだけ運動やら柔軟体操やらをやっていても、まだこんなことが起るとは何とも悔しい。単純な筋力運動や限られたパターンの柔軟体操では、どうしても全く動かさない筋肉が出てくるのだろうと思う。子供の頃のように飛んだり跳ねたりもしないし、スポーツをやっているわけでもないから、稀にしか行わないような動作に対して身体の準備ができていないのだ。
 そこで、柔軟体操に新たな動きを加えてみることにした。両腕振り上げて上半身全体を8の字を描くように振る動作を20回ほどやるのだ。これで単純な柔軟体操やストレッチではまかなえない、ひねりや変化を加えた運動を体に与えることができる・・・はずだ。名づけてダンシング・ストレッチ(今名付けた)。完全な自己流だから、どんな効果が出るかちょっと心配だが、無理な力を加えることさえしなければ、悪い結果にはならないはずだ。続けてやれるかどうか、ちょっと自身がないが、しばらくやってみるとしよう。首の運動も一応続いているからな、なんとかなるだろうと思っている。
 本日は、元旦だ。中国の年越しは旧暦である春節だから、元旦はあまり影響がない。そう考えて昼頃に暢気にデパートに出かけたら、普段の3倍ぐらいの人出があってびっくりした。フードコートの弁当屋に弁当を買いにいっただけなのだが、いつもの倍ぐらいの客がいたから、待ち時間も2倍かかった。スーパーで買い物をすることになっていたら大変なことになるところだった。今年の春節は、いつもより早い時期に始まるそうだから、春節に向けてのショッピングももうすでに始まっているのかもしれない。スーパーに来るときは、曜日と時間を選んで来る事にしよう。
 昨年はリーマンショック以来の不安が現実化し、とうとう無職の身となってしまった。無職生活4ヶ月にして迎える新年である。9年間の安定した生活から離れ、不安と希望の入り混じった毎日を送っていている。年齢や景気のことを考えると、相当な危機である。ともすれば、落ち込み気分になってしまうが、負けずに跳ね返して、前進したいと思っている。危機も、うまく利用すれば新たなエネルギーを生み出す原動力ともなりうる。有意義な50歳代の生活を送るための礎とするべく、充実したときを過ごすように心掛けたい。

2012年1月2日

本日は7:00起床。
 相変わらず、やたらに身体が重く感じる中、いつも通りの運動をこなした。ダンシング・ストレッチはグルグル・ストレッチに名称を変更して続行中である。最近は、上半身の筋肉が増量したため、お腹の贅肉が目立たなくなってきた。まだまだ道のりは遠いが地道に頑張るとしよう。
 12月31日にオウム真理教の元幹部である平田信容疑者が出頭し、逮捕されたのだそうだ。1995年から逃げ続けていたというから、16,7年間もの間逃走生活を続けていたことになる。平田信容疑者に対して問われている犯罪の公訴時候は、逮捕監禁致死罪が7年、爆発物取締罰則違反が15年となっており、単純計算であるならば、いずれも時候切れである。しかし、共犯者が逮捕されて公訴されるとその判決が定まるまでは、公訴時間は停止・延長されるのだそうで、いずれの犯罪もまだ時効を迎えていないということらしい。
 弁護士を通じて出された本人のコメントでは、「教祖の死刑は当然。信仰心はない」とのことである。ネットで調べたところによると、教祖麻原
彰晃の死刑執行が近付いている中、その執行を遅らせることを目的とした出頭ではないかとの疑いがあるそうだ。平田信容疑者の事件の証人として教祖麻原が重要な役割を果たすため、死刑の執行がやりにくくなるとのこと。従って、平田信容疑者が今もなおオウム真理教を信じているかどうかは不明なままである。
 1995年というのは、私が中国に足を踏み入れた次の年ぐらいのことだ。私が中国でどうにかこうにか生き延びてきた期間、平田信容疑者は日本中を移動しながら逃走生活を続けていたということだ。在家信者に保護されながらの生活だったと言われている。長身で特徴のある顔つきをしていることから、外へ自由にでるということは困難だっただろう。ずっと屋内にこもった生活をしていたに違いない。これだけ長期間に渡り見つからなかったということは、信徒の中でもよほど深く傾倒していた者に保護されていたのだろう。
 インターネットがあるから外へ出なくとも外界と接する手段があるとは言え、16,7年にも渡る逃走生活は想像を絶するものがある。あまり大勢の信者のところを渡り歩いていると、情報が漏れ出てつかまり易くなることだろうから、本当に限られた数の信者のところで生活をしていたに違いない。或いは、オウム真理教の中に逃走を助ける専門のチームがいる可能性もあるだろうか。信徒たちの口は固いだろうから、真実が明らかになる日は永遠に来ないかもしれない。

2012年1月3日

本日は6:20起床。
 だいぶ身体が軽くなってきた。現在の運動量に適応しつつあるようだ。グルグル・ストレッチもきちんとやった。まだ三日目だが、初日に比べて体が動くようになってきた。やはり、普段とは違った動きだから、最初は身体が反応できなかったのだろう。いろいろ変化をつけながら当分続けてみようと思う。アクシデント的な動きに強い身体を作りたい。
 今日はZは外出である。10時頃にZから連絡があり、宅急便から連絡があったから、受け取りに外に出てくれとのこと(宅急便の受け取り人はZの電話番号を登録してある)。中国版ミツカンの味ポンが到着した。箱を開けると、一瓶ずつ丁寧にポチポチ包装材で包んであった。一個一個ハサミで切って開けると、注文した品物が全て揃った。酢橘味の瓶を開けて味見をしてみる・・・。うーん、確かに味ポンの味わいがあるけれども、味ポンよりもしょうゆ味が強い気がする。味ポン風醤油ダレといったところではないだろうか。ただ、味覚には全く自信がないから、他の人の意見も聞いてみたいところだ。Zが帰ってきたら、味見をしてもらうことにしよう。こうなると、ゴマ味とタイ風唐辛子味のも試してみたいけれど、一度に全て開けてしまうjわけにはいかないから、しばらくは我慢だ。
 味ポンはスムーズに届いたけれども、同じく淘宝で頼んだ別の商品はトラブルが発生した。100RMB程度の家電製品を10日ほど前に注文した。翌日には発送したとの連絡があった。同じ深セン市内だからすぐに着くだろうと思っていたが、待てども待てども届かない。宅急便の追跡記録にも表示されないため、売主にチャットで問い合わせをしたところ、調べてみるとのこと。そこからさらに数日待たされ、チャットで督促をすると、最終的に返ってきた回答は「宅急便屋が処理し損ねた」というものだった。返金すると言われたので、その通りにしてもらった。本当のところ、発送を忘れていたからではないかという疑いがあるが、こんなところでトラブルを持ち上げても仕方がないから、素直に返金を受け取って別のところで再度注文しようと思っている。淘宝上での、この店に対する客の評価は悪くなかったのに、こんなこともある。 

2012年1月4日

6:10起床。
 今日はまたもや身体が重かった。「今日は休もうよ」と身体が悲鳴を上げているうようにすら感じた。2セットやってはバテバテ、2セットやってはバテバテ。それでも、最後まで全部こなした。グルグル・ストレッチも、冷水摩擦もこなした。全部終わってしまうと不思議なほど身体が軽くなる。この心地良さがあるから、毎日続けられるのかもしれない。
 昨日から、マイクの具合が怪しい。大好きなビーフジャッキーを食べようとしないのだ。口にくわえるまではするのだが、食べずにどこかに置いてしまう。食べないのならと取り上げると、クンクン鳴いてうるさい。だから、またあげるのだが、やはり食べない。最近の好物であるソーセージ入りオカラすら食べなかったのだが、Zが手でとってやって口元までもっていってやったら、ようやく食べだして全部平らげた。
 今朝も同様で、ビーフジャッキーをやっても、どこかにしまっておこうとするだけで食べようとしない。2種類あるどちらも駄目。Zが朝食の腸粉を食べ始めたら興味を示して、それをやるとパクパクと食べた。その勢いで残っていたビーフジャーキーも平らげた。どういうことなのか全くわからない。玩具でのラン&キャッチをやると元気に走り回るから体調はさほど悪くないようだ。胃の調子が悪いのだろうか。過去も一度だけ、同様なことがあって数日食欲がないことがあった。しばらくは美味しいものを食べさせるなどして、様子をみることにしよう。
 先日、近所にある、昨年あたりに建設されて運営されている安アパートのビルの辺りを歩いていたら、コインランドリーと書かれた看板を見つけた。入ってみると、狭い部屋に全自動洗濯機が三台置いてあった。乾燥機はなかった。説明書を読んでみると、脱水のみが2RMB。急速洗濯が4RMB、フルコース洗濯が6RMBとなっていた。日本にあるようなコインランドリー専用の洗濯機ではなく、一般家庭用の洗濯機にコイン投入機を接続して作った手作りコインランドリー洗濯機だった。
 私自身は中国でコインランドリーを見るのは初めてだ。深セン郊外の出稼ぎ街で目にするぐらいだから、恐らく北京、上海や深セン市内などでは何年も前から本格的なコインランドリー洗濯機が存在するのに違いない。コインランドリーというぐらいだから、使用するのには硬貨が必要だ。ところがこの硬貨が曲者で、大都市以外では、これまでなかなか硬貨が普及しなかった。徐々に増えてはいるのだが、今もまだ紙幣の使用量のほうが圧倒的に多いと思う。理由はよくわからない。思いつくのは、1元硬貨が普及し始めたばかりのころ、偽物が出回って問題になったのと、なにしろ重いし嵩張るから、受け取るほうも嫌がることが多かったということぐらいだ。
 しかし、近年だいぶ様子が変わってきた。地下鉄網が広がってきて、自動販売機で利用するには硬貨が便利であること(紙幣で利用できる機器もあるが、中国の紙幣は日本ほど状態が良くないこと多いから、使えないケースがある)から、硬貨を使うのに皆が慣れてきた。また身近なところでは、電気自転車の自動充電機器が硬貨投入式であることも普及に一役買っているのではないかと思う。
 コインランドリーがこの郊外にまで広がってきたのには、硬貨の普及以外に、生活形態の変化が背景にあるだろう。これまで大都市のみあったような24時間運営の店や、ファーストフードの宅配が郊外の街でも一般化しつつある。労働者の収入が増加してきたこと、定住化が進み治安が向上していること、大規模な構造的な変化が起っているのに違いない。

2012年1月5日

7:00起床。
 4時頃に一度目が覚めたから、今日は早起きの日になるかと思ったら、そのまま7時まで眠りこんでしまった。運動はいつも通りこなした。ブッチャーのことを考えながら。数日前に悪役プロレスラーのブッチャーが70歳で引退したとの記事を読んだからだ。まだ現役だったことも、生きていたことすら知らなかったけれども、身体を酷使するプロレスラーを70歳まで続けたというのは驚くほかない。インターネットでブッチャーに関して調べてみたら、2008年あたりから、各国で地域限定の引退試合というのをやっていたそうだ。今回の引退は体を傷めての引退ということだから、グローバルな意味での本当の引退ということなのだろうか。
 カールゴッチが70歳で毎日スクワット2千回やっていたというのにも驚いたが、ブッチャーの70歳まで現役レスラーというのもそれ以上に凄いことだろう。プロレスラーの現役選手としての寿命は他のスポーツなどと比べると、はるかに長いらしい。一方で、人間としての寿命は平均よりも短いということだ。これをどう解釈するかは人それぞれだろう。私は、尋常でない訓練のもとに強靭な身体を維持しているから選手としての寿命が長く、試合では極限までの激しいぶつかり合いがあるために人間としては身体の痛みが早く寿命が短くなってしまうのだろうと解釈している。今考えただけなので、本当のことはわからない。偉大なプロレスラーたちのことを考えていると、日課の運動が楽に思えてくるから不思議だ。
 午前中早い時間に、深セン市内に向けて出発。用事を済ませてから、東門に行った。いつものように私はマクドナルドでカプチーノ。Zはショッピングだ。バルコニーで外の空気を吸いながらゆっくりしようと思い外に出たものの、空気の冷たさに怯んで屋内へと戻った。窓際の眺めが良い席は全て埋まっていたから、一番奥の人気がない場所に座った。コーヒーを啜りながら、本を読む。
 現在読んでいるのは、デジカメの撮り方に関する本だ。主に物や人の撮り方が書かれている。アマゾンで読者の評価が非常に高かったから買ってみた。このホームページでも、たくさんの写真を載せているが、デジカメで写しているというだけで、撮り方など考えていなかった。まだ最初の部分しか読んでいないが、「ストロボを使うな」とか、「望遠機能を使ってとれ」とかわかりやすい指導があって、非常に良い。今まで綺麗に撮れていなかった原因のいくつかが明らかになった。次回小物を撮るときは、是非参考にしてみるとしよう。タオバオで調べてみたら、初歩的な機材なら安く手に入りそうだから、少し買ってみようかと思っている。
 Zのショッピングが終わってからジャスコに移動して、少し遅いお昼をバーガーキングでとった。奮発して50RMBのセットにしようと思っていたら、販売されていなかったので、38RMBのセットにした。ハンバーグは1枚しか入っていないが、やたらにでかい。付け合せもボリュームたっぷりだから、高さもやたら高く、タワー型ハンバーガーといった感じだった。牛肉のジューシーさが楽しめ、満足度の高いハンバーガーだった。ここのバーガーキングは、最初の頃は今ひとつといった感じで、香港店のものに及ばなかったのだけれども、来る度に味が良くなっている。マクドナルドのビッグバーガーセットの2倍の値段だけれども、満足度も2倍だ。ああ、でもウェンディーズも食べてみたいな。
 食事が終わると、スーパーで買い物をした。日本風バラ肉やら、キッコーマンの醤油やら、伊勢の卵やら、納豆やらを買った。深セン市内に来ると途端に出費が増える。無職なのだから、もっと我慢をしなければならない。先月も予定をだいぶオーバーしたし、今月も危うい感じだ。私には節約は無理なのだろうか。そもそも、食べるのが楽しみだというのが心の深いところにあるから始末が悪い。明日死ぬかもしれないんだから、食っておかなければ損だろうぐらいに考えてしまう。では、美味しいものを食べるために何でもするというような信念があるかというとそうではなく、ただ食べたいだけ。食べるために苦労するのはごめんだという感じ。なんとも中途半端。困ったものだ。ともあれ、反省を込めて、浪費した分もしっかりと家計簿につける。これぐらいはやっておかなければ。
 今日は午後から雨が降ったこともあって、気温がだいぶ下がった。天気予報だと明日から気温が上昇傾向に転ずるようだった。少しでも暖かくなってくれると有り難い。

2012年1月6日

6:10起床。
 昨日はなかなか寝付けずにいたにも関わらず、早起きをしてしまった。午後眠くなりそうだ。今日もいつも通りの運動だ。グルグル・ストレッチもいい感じで続いている。今日は大山増達のことを考えながら運動した。大山増達は、親指だけで逆立ち歩行できるようになったら、10円玉を指で曲げられるようになるんではないかと考えていたそうだ。それで、親指逆立ち歩行を達成したら、本当に10玉が曲げられるようになったとのこと。カールゴッチ、ブッチャーも凄いが、日本の大山増達も凄い。そういえば、昔、空手バカ一代という漫画を読んだ。インターネットで調べると、脚色が相当入っていたらしいが、事実と認識されている部分だけ見ても、大山増達はやはり偉大だ。有名な弟子の一人は、「戦後の間もない、皆が食うや食わずの時代に、どうやったら石を割れるとか、牛を倒せるとか、そういうことばかり考えていたような人に勝てるわけがない」というような言葉を残しているそうだ。全く凄すぎる。
 さきほど、Yahoo!Japanで、ソニーが新規格の「XQD」対応のメモリカードを発表したとの記事を読んだ。書き込み速度が1Gbps(125MB/秒)だとのことだ。デジタル一眼レフカメラの連続撮影に耐えうるスピードのデータ保存が可能らしい。発売時は16GBの容量で2万円するとのことだが、瞬く間に安くなっていくことだろう。今に始まったことではないが、データを保存しておく容量やらデータを転送するスピードやらは、驚異的な速さで進歩していっている。こういったものが発展していくと、バーチャルな世界と現実の世界との境目が本当にあやふやになってきそうだ。
 私自身は未だに見ていないのだけれども、3D映画などは本当に目の前を横切るようなほどのリアリティがあるそうだし、ゲームの中の異性とのデートとかもすでに現実の彼女との交際を上回るほどの熱を込めてやっている人も少なくないそうだ。先日の日記に、インターネットが提供する擬似ネットワークが現実の社会の代わりのようなものを提供し、それによって各人が一層孤立するようになるといったことを書いたが、このバーチャルな世界というのも、現実の世界から各人を孤立させるのに大きな役割を果たすことになりそうだ。
 実は私はここしばらく携帯電話のアンドロイド対応のゲームにはまっている。最初に夢中になったのが、「Guns'n'Glory」だ。地下鉄に乗車中に時間をつぶすためになんとなく始めたら、やめられなくなってしまった。画面の下から上、右から左へと移動する敵(?)をガンマンやらインデアンやら大砲やらを使って打ちまくるだけのゲームなのだが、熱中してしまった。それが終わって始めたのが、「SyrmiaTD」である。こちらも似たようなゲームであるが、やや難度が高かった。どちらも無料版であるため、最後までやることができず、不完全燃焼な状態である。続きができるようになったら、飛びつきたい気持ちだ。
 基本的にシュミレーションゲームが大好きな性質で、いったん始めるとのめり込んでしまう。しかし、ハッと我に返ってみると非常に虚しい気持ちが残る。何しろ、いくら夢中になってやっても現実は何も変わっておらず、ただただ時間が無駄に費やされただけだからだ。バーチャルな世界にも同様なものが付きまとっていて、バーチャルな世界でどれほど幸せになっていても、現実の世界では惨めなほどに不幸だということがありえる。
 しかし、現在よりもバーチャル度が進んでいって、子供に対してであれば、もうそれこそ理想的なの英語の先生とかがバーチャルで英語を教えたり、社会人であれば技術を伝えたりといったことが行われるようになったら、どうだろう。そこまでいけば、バーチャルな世界が現実の役に立つということも考えられそうだ。ただし、プラスの面が得られるほどまでにバーチャルな世界がリアリティを持つとすれば、マイナスな面もまた、リアリティに影響を与えることになるだろう。いくらでも根気よく教えてくれる先生に慣れてしまったら、怒りっぽい先生などとはとても付き合えないことになる。バーチャルな世界で完璧なまでに優しく接してくれる恋人や友人に恵まれたら、現実の人間付き合いなど不可能になってしまうことだろう。
 バーチャルな世界と現実の世界は、これからどのような折り合いをつけながら、発展していくのだろうか。楽しみなような、不安なような、そんな気持ちである。 

2012年1月7日

7:00起床。
 いつも通りに運動をこなす。グルグル・ストレッチもきちんとやった。インターネットで調べたら、他の人がグルグル・ストレッチの名称をすでに使用していたことがわかったから、再度ネーミングを変更することにする。名付けて、「8の字グルグル・ストレッチ」だ。上半身全体で8の字を描くようにグルグル回すから、ぴったりのネーミングだろう。現在、両腕を上から下に振り下ろす方向に回すのを10回、下から上に振り上げる方向に回すのを10回やっている。やればやるほど、体の動きがよくなるから、なかなか楽しい。体にひねりを加えているから、単純なストレッチにはない動きが入っている。
 「8の字グルグル・ストレッチ」のやり方はまだ完全には確定しておらず、腰から上の上半身だけを回すべきか、膝から上の部分も回すべきか迷っている。腰から上だけに絞ったほうが、腰に一層ひねりが入るから良いようにも思うし、膝も一緒に動かしたほうが膝関節が柔らかくなって良いような気もする。しばらくは続けながらベストの方法を探るとしよう。
 ここしばらく、冷え込みがきつくなっていることもあって、夕食に家で鍋をやることが多くなっている。先日、タオバオ経由で購入したミツカンの中国版味ポン(?)を幾度か試してみた。結論からすると、酢橘味のタレは味ポンと醤油の妥協作みたいなものになってしまっていて、今ひとつだ。味ポンの酸味に慣れていない中国人向けに味ポンの酸味を弱めて作ったのだと思うのだけれども、生の味ポンの酸味に慣れてしまっている私にはインパクトが弱すぎて受け入れられないことがわかった。まだ、蒸海老料理と一緒には食べていないから、それで試しても合わないようだったら酢橘味のはもう買わないかもしれない。
 ゴマダレ味も同時に試した。こちらのほうは、この辺りのローカルスーパーではゴマダレが手に入りにくいから、次回も購入する可能性はある。ただし、もっと美味しいゴマダレを中国で味わったことがあるから、この商品で満足かと問われるとうーんとうなってしまう。市場にいけば、もっと純度の濃いゴマダレが見つかりそうな気がする。或いはタオバオで探してみるか・・・。まだ、味見をしていないのがタイ風トウガラシ味である。こちらもここ数日のうちに、試してみたい。
 調味料と言えば、こちらで日常よく使うのがラー油である。ラー油といっても、日本のような油主体のものではなく、トウガラシのタレとでもいったほうがふさわしい商品が多い。大豆が混じっていたり、鶏肉や牛肉を混ぜて味わい深い商品にしてあるものもある。私は、貴州省の花渓が中国暮らしの最初だったこともあって、長い間貴州省花渓製のトウガラシダレが好きだった。しかし、数年前に湖南旅行に出かけたのをきっかけに、湖南式のトウガラシダレに傾倒し始めた。一番好んでいた貴州省花渓製のトウガラシダレが市場から消えうせ、同じく貴州省製ではあるものの別メーカーのものばかりになってしまったというのも理由の一つだ。
 湖南式トウガラシダレへの傾倒は長くは続かず、昨年だか一昨年だからに、たまたま一度買うことになったやや値段の高い牛肉トウガラシダレへと私の気持ちは移った。この牛肉トウガラシのは美味しいことは美味しいのだけれども、他のトウガラシダレの2倍ぐらいの値段がするのが難点だった。今回、無職になったのを機会にもう少し値段の安いトウガラシダレへの乗り換えを決意した。なかなか、「これだ!」という味のトウガラシダレが見つからず、失意の日々を送っていた私だが、とうとう理想のトウガラシダレに出会うことができた。
 それは「天車」ブランドのトウガラシダレである。会社の名前は「天品食品」とある。このトウガラシダレは、豆板醤(トウバンジャン)のような濃くがありながらも、トウガラシの辛さはトウガラシダレそのもの。いわゆる豆板醤(トウバンジャン)の辛さではない。調べてみると、豆板醤(トウバンジャン)は四川省が生まれであるようだ。もともとは、トウガラシは混ざっていなかったそうだが、現在ではトウガラシ味のものが一般的となっているそうだ。
 そもそも豆板醤(トウバンジャン)の辛さってどのくらいだっけ?ふと疑問に思って、Zが買い置きしてある豆板醤(トウバンジャン)の味見をしてみるとけっこう辛い。記憶にある豆板醤(トウバンジャン)とは違った辛さだ。普通のトウガラシダレと変わらないぐらいだ。いや、逆に「天車」ブランドのトウガラシダレが豆板醤(トウバンジャン)に似ていると言ったほうが良い。「天車」ブランドのトウガラシダレには大豆が多く使われているから、ソラマメを主体に作ったトウガラシ味の豆板醤(トウバンジャン)と味が似通っていて当然なのかもしれない。「天品食品」のトウガラシダレも四川製と書いてあるからなおさらだろう。
 トウガラシ+油 > 豆や肉+トウガラシ > 豆板醤(トウバンジャン)のような感じで、トウガラシや豆の種類や配分だけで分類されているだけのことで製法そのものにはあまり差はない可能性もある。しかし、製法はあまり変わらなくとも、味わいは個々の商品で相当な差がある。当分のマイブームは「天車」のトウガラシダレだが、また別のトウガラシダレを探してみるとしよう。

2012年1月8日

今日は5:50起床。
 いつもの4セットをこなし、その後の2セットに関しては各20回から各25回に増量した。30回にしようかとも思ったけれども、増量の数日後に生じる筋力の疲れのことを考えると踏み切れなかった。ゆっくりじわじわ増やしていくほうが苦しみが少ない。8の字グルグル・ストレッチもきちんとやった。冷水摩擦もだ。最近は水温がだいぶ下がってきたから、タオルの冷たさが辛くなってくるかと思ったが、そうでもない。筋力運動で身体が暖まっているのと、慣れてしまったからだろう。
 近所のデパートの一番の階にレストラン街ができてから数ヶ月ぐらいが経った。半分がフードコートで、半分が様々なレストラン通りとなっている。フードコートのほうは、わりあい繁盛している。レストラン通りのほうは値段が高いのがネックになっているのだろう。客入りが今ひとつの様子だ。最近回転寿司が加わったものの、レストラン通りの人気を後押しするような勢いはない。
 このフードコートを含むレストラン街全体は、デパートのフロアの半分を占めているだけで、残りの半分は長い間使用されていなかった。レストラン街が順調に繁盛していくようなら、こちらにも広がっていくのだろうと思っていた。ところが先日、このフロアへ上がっていったところ、新たな広告を見た。なんと映画館ができるのだそうだ。
 実は、昨年この工場の街に3Dが見られる最新設備を導入した映画館がオープンしてしばらく話題になった。オープン時にはキャンペーン価格で3D映画が見られたこともあって、私が勤めていた工場の社員たちも大勢出かけたようである。残念ながら、街のやや辺鄙な場所にあるため、私自身は足を運ばなかった。オープン時にこそ話題になったものの、その後音沙汰がないところをみると、料金の高さやロケーション等が問題となってさほど客が集まっていないのではないかと想像していた。
 新たにオープンする映画館があるデパートは街の二つの中心のうちの一つにある。フロアの広さ等を考えると、昨年建てられた映画館には劣るだろうが、アクセスは非常に良い。目につく場所にあれば、たまには行ってみようかという気になるものだし、料金さえ手頃であるならば繁盛してもおかしくない。ただし、中国にはコピーDVDという映画館の最大の敵がまだ大手を振って歩いている。数年前から近所のDVD屋にも多少の規制が入り、1Fで露骨にコピーDVDを売ってはいけないという通知が来たらしい。それで、近所のDVD屋は店を改装して、コピーDVDを2Fで売るようになった。しかし、全般的にはゆるゆるの規制であって、実効性をもっていない。近年はインターネットのスピードがアップしたことから、ネット上で無料でコピー物の映画やドラマが見られるようになり、状態はむしろ以前よりも悪化しているのではないかと思われる。
 このように、無料との競争を強いられるようだと、いくら庶民の生活水準の向上が著しいとは言え、映画館の運営は苦しいものになるのではないだろうか。新たな映画館が、昨年出来た映画館の出店のようなものとしてオープンしたのか、全く別の系列の店なのかどうかわからない。また、この郊外の街に新しい映画館が連続的にオープンするということは、他の街でも出店ラッシュとなっているのかもしれない。無料との競争にすら打ち勝つほどの魅力を映画館が提供し、庶民にそれにこたえるだけの余裕があるとすれば、中国のバブル崩壊などというものはまだ先の話ということになるのだろう。成り行きが楽しみだ。 

2012年1月9日

5:40起床。
 気温が低い日が続いている。今日の天気予報によると深センは13-20℃とのことだからむしろ暖かい日だ。私たちが住んでいる部屋は日がほとんどあたらないから、外の暖かさが伝わってこない。日課の運動は全般的に調子よくこなすことができた。昨日から始めた増量分の影響もまだない。増量の影響は翌日にはやってこず、二日後か三日後にやってくるのだ。不思議なことに。或いは今晩ということもあり得る。
 8の字グルグルストレッチの効果が徐々に現れ始めた。身体をねじって曲げるときに今までよりもはるかにスムーズに動かすことができるようになったのだ。物をとったり、振り向いたりするとき体全体を動かさないでもねじってできるようになった。脇周りの筋肉が柔らかくなったのだろう。調子に乗ってやりすぎると痛めたりするから、無理にねじることはしないように注意しなければならない。
 10日ぐらい前に、中国ドラマ「当舗」を観終わった。後半になってやや演技過剰かなと思われるぐらに俳優たちが感情を高ぶらせるシーンが多くなった。このドラマは清王朝から受け継がれた宝物争奪戦であり、主人公を含む数グループが戦いを繰り広げるという内容であるものの、皆押さえ気味の演技をしていたから、最後だけは盛り上げようということだったのかもしれない。30数話の長いドラマではあるが、たった一冬の間のストーリーを描いたものであり、毎回雪に覆われた場面が現れるのが印象的だった。北京の古風な家具や建物が多く使われ、観るものの目を楽しませてくれた。
 主人公の呉流芳を演じてる丁海峰は、私が知らない俳優であるが、ネットで調べてみたら数多くのドラマに出演していた。現在の外観をみると、正統派中国人といった感じである。ネットの解説に若い頃の写真が載っていて、こちらはヤンチャな若者と言った感じでそのギャップを面白く感じた。このドラマでは個々人の印象があまり強くならずストーリーに目がいくようになっているから、どんな俳優なのかがはっきりとはわからなかった。また別のドラマでの演技をみてみたい。
 現在は、「女拳」という中国(香港)ドラマを見ている。拳法もので、美女が演じているんだろうなと軽い気持ちで見始めた。「大極」に出ていた馬国明が主要な役をやっていたから、どんなドラマなんだろうなと興味深く見ていたら、黄飛鴻が出てきた。若い人が演じている黄飛鴻は観たことがあるが、年齢を重ねた後の黄飛鴻は観たことがない。さらに、霍元甲の3代目(?)が出てきて技比べが始まる。これは面白い。霍元甲と黄飛鴻の間にはこんなに年代差があったのだろうか。調べてみると、霍元甲は1868年-1910年、黄飛鴻は1847年-1924年となっている。黄飛鴻のほうが早く生まれて、遅くまで生きていたようだ。ストーリーほどの年代差はないように思える。このドラマの中では黄飛鴻が勝つ設定となっているから、わざと年代を離したのかもしれない。
 ストーリーそのものは、格闘ものというよりも、人情ものである。黄飛鴻の卓越した人柄を描くことに苦心しているようだ。格闘シーンも手を抜いてはおらず、香港ドラマ特有の飛んだり跳ねたりが極力抑えられているのに好感が持てる。今のところ、黄飛鴻の鉄線拳以外に雷家拳や莫家拳が出てきている。雷家拳のほうは実在を確認できなかったが、莫家拳は実在の拳法らしい。このドラマの主人公の女性は莫家拳の継承者となっているのだが、前半では脇役に近い役割しかしていないから、先の展開が全く読めない。先が楽しみだ。

2012年1月10日

今日は7:00起床。
 5:00に一旦目が覚めたものの、さすがに早すぎると思い、もう一度目をつぶったら7:00まで寝入ってしまった。いつも思うのだけれども、2度寝をしたあとに目覚ましで起きると、非常に身体がだるい。1度目に目を覚ましたときには感じない不快感が身体を満たしていることがほとんどだ。2度寝をして睡眠時間が増えたはずなのになぜなのだろう。
 以前に、睡眠のリズムを判定してくれる腕時計というのを見たことがある。睡眠の浅いときと深いときを判定して、睡眠が浅いときにアラームが鳴って目覚めさせてくれる仕組みになっていた。だから、アラームをセットした時間がちょうど眠りが深い時間になっていた場合にはそれよりも前の眠りが浅い時間にアラームがなるようになっているのだそうだ。それで睡眠時間が減っても、目覚めはむしろ快適になるのだそうだ。私の2度寝後の目覚めが不快な感じになるのは、眠りが深い時に無理やり目を覚ますからだろうか。
 運動は順調に続いている。今朝は筋肉のいくつかの部分に疲労が乗っかった感じだった。数日前から始めた運動量の増加分が影響しているようだ。たいして増やしたわけではないから、数日あれば適応できると思う。8の字グルグル・ストレッチも順調である。だいたい、朝にやる運動は順調に続いてるのだが、続けてやろうと思いながら、どうしても続かないでいることがある。それは目の運動である。ネット上で紹介されていたフリーの視力トレーニングのソフトを使ってやるものだ。パソコンの画面上を玉が移動していって、その表面に矢印が現れるとキーボード上の同じ方向の矢印キーを押す。玉が移動していくスピードはぐんぐん速くなっていくから、難度もどんどん高くなっていく。
 移動のスピードが上がるだけでなく、玉の数が増えたりするトレーニングもある。また、1-10個までの数の玉がランダムに画面上に、一瞬だけ表示されるのを見て、何個あったかを判断するトレーニングや数字を使ったトレーニングがあり、視力トレーニングだけでなく、脳トレーニングなどもできるようになっている。効果はてきめんで、数日続けていると目が疲れにくくなるのがすぐに感じられる。視界が広がるのか眼球が動くスピードが上がるのかわからないが、道路を横断するときに周囲がよく見えるようになるというメリットもある。
 このソフトの難点は、最初のうちは、面白いくらいにスコアが伸びていくのだが、難度が上がっていくにつれてスコア更新が難しくなってきてやる気を失ってしまうことだ。実際には続けているだけで十分に価値があるのだけれども、スコアが更新できないと楽しくなくなって、自然とやらなくなってしまうのだ。目の調子というのも微妙で、そこそこ調子がよくなれば満足してしまうから、どうしてもやらなければという気持ちになれないというのもある。
 しかし、この目のトレーニングは、目の疲れを癒す以外にさきほど書いた視界にも影響する。視界の広さは安全に重要な役割を果たす。左右どこから車や自転車が飛び込んでくるかわからない交通事情を考えると、視界の広さは非常に重要だ。動態視力のアップもするだろうから、なおさらだ。また、自分の年齢を考えると記憶力アップにつながる脳トレーニングも役に立つだろう。
 そこで、今度からはスコア更新のことは考えずに数種類のトレーニングを淡々とこなすことだけを目的とすることにした。習慣化するまでは、この日記に書き記すことにしよう。やらなかったら、すぐにわかるから二日連続さぼるということがなくなるだろう。とにかく続けることだ。

2012年1月11日

今日は6:55起床。
 まだ5時頃かと思って携帯電話で時間を確認したら、すでに目覚ましが鳴る直前だった。さっさと運動に取り掛かる。昨晩は寝る前に妙に腕の筋肉が痛かった。もともと朝の運動の1セットの構成は、スクワット50回、腕立て伏せ30回、腹筋・背筋・側筋が50回となっていて、腕に対する負担が少なくなるようになっている。だから、4セット目までは、腕立て伏せだけが合計120回で、その他の運動は合計200回だ。これは、他の運動と同様の数で進めていくと腕や肩の痛みがひどくなるから、そのように調整したのだ。
 しかし、現在、4セットの後に続けている追加の2セット各25回に関しては腕立て伏せも他の運動も同じ回数になっている。だから、腕と肩への負担がオーバー気味になってしまっているのだ。これが原因で痛みを感じるのに違いない。次回30回へと数を増やすときには、腕立て伏せだけは現状維持にしておいたほうが無難かもしれない。様子をみながら決めるとしよう。
 先月からZはコンピューター学校に通っている。以前にも一度別の学校でExcel,Word,PowerPoinだけ勉強したことがある。今回はそれらのオフィスソフトに加えてハードも勉強することになっている。前回の学校がとりあえず目に入った学校に決めてしまったため、倉庫のようなところにPCを並べたようなところで勉強をすることになってしまったから、今回はよく検討して教室だけはそこそこ綺麗なところになった。時間の決まったクラス方式ではなく、来た人に合わせて教える方式だから、授業の見学が困難で先生の質まではチェックできなかった。無料授業というものなかったから、設備だけで決めたと言って良い。
 Zによると、前回の学校の先生は最悪で、尋ねても面倒くさそうにしか答えてくれないとのことだった。前回が最悪であるならば、今回はそれより悪くはあるまいと軽く考えていた。ところが、実際に学校が始まってみると、「前の先生のほうが詳しく教えてくれた。今回の学校の先生はおおざっぱにしか教えてくれない。私は以前に勉強しているからわかるけど、他の人たちにはわからないだろう」と言い出した。あらら、困ったことだ。
 どうなることかと心配していたけれども、2度目だということもあって、以前の教材を引っ張り出したりしながら真面目に取り組んでくれているようだから、まずは安心だ。ときどきEXCELのグラフの作り方や関数の部分に関して尋ねられたりするのだが、私も使ったことがないような機能ばかりだから、毎回インターネットで調べて答えている。
 しかし、こういうものは、自分で調べて問題解決できるようにならないと役立たない。中国のインターネットで調べる方法を教えてやろうと思って、中国のネットで調べてみた。ところが、日本のネットではEXCELの使い方などは、ほとんど実画面をキャプチャーしたものを使って説明しているのに対して、中国のネットでの説明はことごとく文章による説明ばかりだった。これでは、初心者では意味を理解するだけでも時間がかかってしまう。結局、尋ねられたら日本のネットで調べて教える方式に逆戻りとなった。うまくいかないものだ。
 最近は中国のパソコン入門者用のガイドブックも、だいぶグラフィカルなものが出てきたけれど、ネットで無料の情報を提供する部分までは及んでいない模様だ。ネットのスピードもここ数年でアップしてきたばかりだから、重い画像データでマニュアルを作る習慣がないのか、無料のデータにそこまで手間をかける人がいないからなのか、どちらかわからない。キャプチャー画面ではなく、FLASHを使ったマニュアルはいくつか見かけたから、案外そちらのほうに一足飛びに進んでいく可能性もある。どうなることか。

2012年1月12日

6:40起床。
 今日もややバテが入っていた。まだ増量分を体が吸収し切れていない感じがする。このまま順調に数を増やしていければ6セット達成は近い。年内には8セット、いや10セットも夢ではないだろう。仕事をやることになったら、無理だろうけど・・・。そんな果てないことをことを考えて、自分を励まして全部をこなした。先日も書いた通り、取り掛かる前とやっている間は苦しいけれども、やり終えたあとは非常に爽快である。昨日と同量の運動をこなせたということは昨日と同様、もしくはそれ以上に身体が動くことを意味するから非常に嬉しい。この感覚は若い人には理解できないことだろう。
 昨日は書くのを忘れたが、視力トレーニングは毎日続いている。5日連続続いていることになる。おかげで、目の疲れ方が格段に減った。この調子で毎日やることにしよう。この視力トレーニングは不思議なもので、調子がいいときは、特に苦労しなくても良いスコアがとれる。画面の中を動くボールに左向きの矢印が表示されたら左向きの矢印キーを、右向きの矢印が表示されたら右向きの矢印キー、上向きの矢印が表示されたら上向きの矢印キーを押すだけの簡単なことなのだが、調子が悪いときは指が勝手に間違ったキーを押してしまうのだ。しかも、その日はいくらやってもスコアが伸びない。調子のいいときはなんの努力をしなくてもスイスイとぴったりのキーを押すことが出来る。こうしたブレはあるものの、毎日やっていると平均的には確実にスコアが上がっていく。ただ、難度が上がれば上がるほど、進みが遅くなるし、一回のトレーニング時間が延びるから疲れも感じる。欲を欠かずに、毎日5分だけでもやるように決めて続けていこうと思う。
 平田信容疑者に続いて、彼を匿って生活を支えていた斉藤明美容疑者が自主をしてきたそうである。平田容疑者への思いは「尊敬から愛情に変っていった」とある。数々のニュースを読んでいると、今回平田信容疑者が姿を現したのは、麻原教祖の死刑執行を遅らせるためであるという意見が根強くあるものの、16年間逃亡の間に二人に対するオウム真理教の洗脳は徐々に溶け出していたと考えても良いように思う。
 もちろん、修行と証する、洗脳維持の様々な手段は用いられていただろうが、長期間に渡る逃亡の中ではオウム信者からの直接的な洗脳作業はなされにくいだろうから、洗脳も次第に弱まっていったと考えられるだろう。平田容疑者は引越しの時以外はずっと部屋にこもりきりだったそうだ。
恐らく当初は与えられた修行の内容を繰り返すことで洗脳状態の維持を図っていたのだろうが、外部からのプレッシャーなしにずっとそのようなことを自分の意思だけで続けられる者は多くないことだろう。インターネットを通じて外界と接触していくうちに、洗脳は解け始めていたのではないか。
 本人の弁によると、東北大地震を見て考え方を変えたとのことだ。大地震を見て大きく考え方が変ったのか、もともと心に溜まっていた様々な疑問が大地震に出会って押し出されてきたのか。私は後者だと思うが、本当のところはどちらかわからない。二人の16年間が明らかにされることは、新興宗教を信じている人や入信を迷っている若者に非常に有意義であると思う。また、現代社会のどこに、オウム真理教のような新興宗教が存在する亀裂があるのかも浮き彫りにすることが可能になるのではないか。いずれ映画や書籍で二人の歴史が表に出てくれればと願う。

2012年1月13日

6:20起床。
 5時前に目が覚め、2度寝をしてから起きたこともあって、今朝も身体が重い状態で運動を始めることになった。それでも、運動量そのものには身体も慣れてきたとみて意外にすいすいとこなすことができた。この調子であれば、数日以内にさらなる増量も夢ではないだろう。目のトレーニングも順調に続いている。今のところ、過去に記録した最高スコアを超えられずにいる。毎日やってれば、また以前の水準に戻ることだろうから、焦らずにやるとしよう。
 中国語の勉強は、高級(飛翔)編の三冊目がようやく終わった。終わったといっても、一通り流したというだけなので、いずれ時期をみて再度やることになるだろう。これで今日から中級(冲刺)編に入ることができる。昨日、第一課の本文だけをヒアリングしてみたところでは、さすがに高級編よりは格段に優しい。本文のリーディングのスピードも遅いから、ずいぶんと楽だ。ただし、高級編の時と違って流すだけでなく、しっかりと身につけて実践で運用できるぐらいまでにするのが目的だ。気持ちを引き締めて取り掛からなければならない。
 午後、久しぶりにデパートに出かけて買い物をした。肉、卵、野菜、洗剤、お茶、お菓子、マイクのシャンプー。いろいろ買っていたら、200RMB近くの買い物となってしまった。お茶は前回節約をしようとやたら安いのを買って失敗したので、そこそこの値段のものを買った。まずいお茶だと冷めたときに飲むに耐えないぐらいひどい味になることがわかったからだ。洗剤はアタックの「瞬清」を購入した。日本のネットで、この「瞬清」が中国で売れ行きが伸びているというニュースをみて購入してみたら、Zから「確かに水洗いが楽だ」との評価をもらった。だから、今回も「瞬清」にすることにした。ただし、前回は特売だったのに対して、今回は通常価格だ。春節前とあって特売はないようだった。代わりに、アルミパックに入った詰め替え用が安く提供されていたから、そちらを購入することにした。この「瞬清」の優位性はどのくらい続くことだろう。
 さきほどYahoo!Japanでウェンディーズ関連の記事をみた。今回のウェンディーズの日本への再進出をプロデュースしたアーネスト・比嘉さんは、「レストランより気軽に入れて、ファストフードより高級な『ファストカジュアル』」という米国のトレンドを持ち込みたい」という考え方でいるそうだ。これに対して、牛丼250円の時代にプレミアム路線一本では難しい。マクドナルドでさえ、高価格と低価格のミックス路線であるとの意見があるようだ。米国ではウェンディーズに負けて3位に落とされたものの、世界では以前第2位のバーガーキングも日本では大苦戦中であるとのこと。ウェンディーズはどれだけ頑張れるだろうかということだった。
 確かに、店舗が増えれば増えるほど、特殊な場所にばかり店は作れず、市場の平均値で勝負をしなければならない。日本の現状は貧富の格差の拡大ということだから、マクドナルドがミックス路線をとっているのは自然のことだと言える。ただし、日本マクドナルドの店舗数は増減はあるものの、すでに4000店舗近くになっている。一方、ウェンディーズはゼロからの出発で、5年以内の目標が100店舗であるから富裕層のみを標的にしても十分にやっていけそうだ。どんな美味しいハンバーグが食べられるのだろう。今年は久しぶりに日本に帰ることになるかもしれないから、その時には是非食べたいものだ。貧乏でも、死ぬ前にウェンディーズが食べたい。(でも、1000円以内でないと食べません。1280円のフォアグラバーガーは無理)。

2012年1月14日

本日はダウン。
 7:00に目が覚め、マイクに連れ出されたものの、全く身体が動かない。昨日夕方にも急に疲労に襲われて数時間眠った。そのためもあって、夜間は逆に眠りにつけず、うつらうつらを繰り返すうちに朝を迎えた。この身体の重さがただの疲労であるならば良いが、風邪をひいたとなるとやっかいだ。少し頭と喉に痛みがあるような気もするから、心配なところだ。今日は運動はやらないことにしてゆっくりすることに決めた。
 コンピューター学校に通っているZの勉強が順調に進み、MS-Officeが終了。ハードのコースへと移った。CPU、メモリ、HDD等々、やや女性向けでない用語が並ぶから、どうなることかと心配だった。そうした心配に反して、本人は意外なほど熱心に学習に取り組んでいるようだ。Windows7などのオペレーションシステムと違って、はっきりと目に見えるものだからやりやすいと感じているようだ。以前に廃棄して部屋の隅に転がっていたPC本体を分解して、「これがCPU、あれがメモリ、あっちがPCIアダプタ」等々、一生懸命覚えている。メモリの大きさの勉強もあって、1024B=1KB、1024KB=1M、1024MB=1G、1024G=1T等の表とにらめっこしたりもしている。
 「1MBってどのくらいの大きさなの?」
 「うーん、フロッピーぐらいだな」
 「フロッピー・ドライブのこと」
 「いや、フロッピーのメディアのことなんだけど・・・うーん、もう今はないな。ほら、CDあるでしょ、CD。あれが700MBぐらい」
 「ふーん。じゃあ、1Bは?」
 「1BはABCとかの一文字。日本語とか中国語とかの感じは2Bだね」
 デジタル・カメラで撮影した写真のプロパティを見せて、データの大きさを説明するが、なかなかうまく説明できない。少しずつ理解していってもらうほかないだろう。幸い、ハード面を教える先生は、Officeの時の先生より厳しくて、覚えているかどうかテストするのだそうだ。だから、Zも必死になって暗記をしているわけだ。細かいことを聞かれると私もわからないから、面倒なこともあるが、PCの基本を覚えておいてもらうと、今後何かと楽になる。頑張って、少しでも多くのことを学んで欲しい。次回、組み立てPCを買うときは、あれがいい、これがいいといった話をZと一緒にしたいものだ。うるさくて困るかもしれないけれど。 

2012年1月15日

6:30に起床。
 昨日ゆっくりしたおかげで、体力も気力もほぼ回復した。日課の運動は、安全をみて今日もお休みにした。明日からは通常通りの生活に戻れる見込みだ。昨日のYahoo!Japanに、仮釈放された鈴木宗男元衆院議員が腹筋を毎日50回5セットやっていると述べていた記事があった。私はまだ最後の50回は2セットに分けてやっているが、同数といってもよい。しかし、相手は63歳である。15歳以上も年上だ。この年齢差で同数では頂けない。頑張って、合計300回はやれるようになりたい。
 鈴木宗男元衆院議員が63歳で腹筋1日250回、カールゴッチが70歳でスクワット1日2000回、こちらは人によって意見が異なるので明確な回数は定かでないが、高倉健は50歳の時点で毎日200-500回の腕立て伏せをやっていたらしい。鍛え続ければ、50歳でも、60歳でも、70歳でさえ、十分な体力が保てるのだ。どこまでできるかわからないが、頑張ってみたいものだ。
 この日記でもよく書いているように、私は中国最大のネットショップ淘宝(タオバオ)でよく買い物をする。淘宝が一般消費者向けのサイトであるのに対して、阿里巴巴(アリババ)という業者向けのサイトがある。両方とも、アリババグループによって開設されている。阿里巴巴は業者向けといっても、一般の人でも購入ができる。支払い方式も、淘宝と同じ「支付宝」システムで淘宝で利用しているのと同じIDで支払いができるから、淘宝が使えるのであれば、阿里巴巴を使うのは難しくない。
 以前に数度試したところでは、購入数量ごとの数量が明示されているのと送料が自動ではなく手動入力(交渉)だった点が淘宝とことなっていたと記憶している。価格のほうは、ある程度多くの数を購入すると淘宝で購入するよりも安くなるが、1個単位では表示価格ではむしろ高
いことが多かった(交渉すれば値段は下がる)。基本的に業者単位の取引用にシステムが作られているため、一般消費者が利用するメリットはほとんどないというのが印象だった。だから、幾度か購入しただけで、その後は利用をやめてしまった。
 今回機会があって、Aという商品の価格を淘宝内で調べてみた。すると、淘宝内で数件の店がこれを販売しており、1店が40RMBで売っているものをその他の店では20RMBで販売していることがわかった。40RMBで売っている店は強力ではないが、一応のブランド力があるようで、商品ラインも一貫性が感じられた。その他の店はブランドは名乗っていてもブランドに力がなかったり、商品ラインがばらばらだったりするようだった。
 それにしても、倍近い価格差は納得がいかない。本当に同じ商品なのか、各々の商品の写真を詳細に見比べてみることにした。すると、安く売っている店の一部で売られている商品には、僅かにことなる部分があることがわかった。つまり、安くうるために、部品の一部を安くしているか、コピー商品として別のメーカー作られた似たものを売っている可能性があるのだ。しかし、残りの店は少なくとも写真だけでは商品の違いをみつけることができなかった。
 謎解きのために、阿里巴巴でそのA商品をサーチしてみた。すると、40RMBでその商品を売っている店の名前が出てきた。価格をみると、なんと淘宝で販売している価格の4分の1である10RMBだ。驚いた。これなら、他店が自分のところ(淘宝の店)の商品品目の補完として(阿里巴巴で)10RMBで仕入れて20RMBで売ることは十分ありそうだ。また、この価格で購入するには条件があって最低でも5個以上購入しなければならなくなっている。個人で同じ商品を5個も購入する人はいないだろうから、個人でここから購入しようとする人はあまりいないだろう。
 ただ、不思議なのは、5個以上の購入条件として「混批」となっていること。「混批」というのは、他の商品と合わせてもOKですよということだと思われる。つまり、この店から買いさえすれば、他の商品と合計で必要数を満たせば、やはり10RMBでの購入が可能なのだ。もっとも、同じ店から5個も買う消費者もあまりいないだろうから、やはり業者用であることには変りがない。もう一つは阿里巴巴では交渉が基本だから、「混批」とは記載されていても実際には別々の商品の合計では売ってくれない可能性もある。こればかりはやってみなければわからないところだ。次回、日本にお土産品を送るときに試してみようかと思っている。 

2012年1月16日

6:30に起床。
 今日から通常通りやるつもりだったが、肩に痛みが残っているようだったのと、喉がまだ復調していないようだったことから、セット数を減らして2セットだけやることにした。柔軟体操と冷水摩擦もお休みだ。一度休んでしまうと元に戻すのは一苦労であるが、お休みをした後にどうやってもとの数まで戻すかのパターンを作ると、再開するのが楽になるように思う。私の場合は、3分の1ぐらいずつ数を元にもどしていくようにすると、増やす楽しみができて、もとに戻すのが楽になるようだ。
 Zのパソコン勉強は順調に進んでいる。WordとかExcelを勉強していたときよりも、熱が入っているぐらいだ。昨日は、モニタの勉強をしていて、CRTモニタと液晶モニタの違いとか、液晶モニタのスペックに関して質問をしてきた。CPUとかCMOSとかBIOSに関して質問されると、正直わからないことばかりで大雑把なことしか答えられずに困るのだが、液晶モニタのスペックとかなら自分個人用だけでなく、会社用で購入するときも、スペックの検討を幾度かしたことがあるから、それなりに答えられる。Zが、こうした液晶モニタのスペックの一つ一つまで、それなりに関心を示してくれるとは本当に驚きだ。
 私のつぎはぎの知識だと、どうしても答えられない部分が出てくるから、3日ぐらい前に淘宝でPCハードの基礎がわかるようになるレッスンソフトを購入した。すぐに着くかと思ったら、なかなか着かない。宅急便の配達追跡記録を確認したら、「疑難件」との理由で途中で止まっていた。CD等の商品を注文すると、この理由で途中でストップがかかる場合が多い。はっきりとはわかないが、宅急便の会社にも、危険物や違法なものをチェックする一定の義務があって、そこでひっかかるように思う。コピー品のCDなどは淘宝上で堂々と売られていることから、CDをチェックするのは恐らくコピー品かどうかではないだろうと思われる。それでは、何をチェックしているのだろうか。実に不思議だ。或いは単純にこのようなものが、このような人に送付されたという記録をとる義務があるだけなのかもしれない。中国では宅急便が開封されていることがよくある。CDを使うようなソフトだと内容によっては、宅急便会社のチェック担当者などがコピーをしている可能性もあるのではないかと疑っているが事実がどうなのだろう。
 「疑難件」で止まったのは1日だけで、本日無事到着した。さっそくZのPCにインストールして動かしてみた。先生役と生徒役のアニメのキャラクターが出てきて、生徒の質問に先生が答える形で説明をしていくという形式のようだ。各項目にパーセンテージがついていて、進度もしくは理解度がわかるようになっている。先生の声の大きさ、生徒の声の大きさ等も調整できるようになっていて、きめ細かに作られているように感じられた。果たして本当に役に立つかどうかは、しばらく様子をみてみなければわからない。先が楽しみだ。

2012年1月17日

7:50に起床。
 目覚ましで7時に目は覚めたものの、ベッドの中でぐずぐずしている間に7:50になってしまった。昨晩寝付かれずにいて睡眠を十分にとれていなかったのとまだ体調が完全には復調していないから、起きるのが不安だったのだ。昨日はだいぶよくなったと感じたのだけれども、晩が近付くに従って、首の辺りに疲労がたまってきた。もうしばらくは無理をしないほうがよいようだ。だから、今日も運動は2セットだけに止めておいた。柔軟体操も冷水摩擦もなしだ。確実によくなってきていると思うから、明日には4セットこなしたいところだ。
 目のトレーニングは順調にできているものの、昨年の10月に記録したスコアを超えられないでいる。特に複数の動く玉を目で追いかけるのがうまくいかない。同時に複数の玉を見る力が以前よりも落ちているのだ。複数の玉は別々の方向にランダムに移動している。このうちの一つにランダムに矢印が示されるから、同じ向きのキーを押せれば良し、押せなければ駄目というトレーニングだ。
 左矢印は赤、右矢印は青、上矢印は緑と決まっているから、カラーで判断してもよい。20インチの液晶画面の中を複数のボールが動くから、スコアをあげるには、ぼんやりと全体を眺めて色/矢印が変るのを待つ方法と、全てのボールを交互に目で追いかけて色/矢印が変るのを待つ方法の二つがある。スコアが上がるにつれボールの数が増えていき難度が上がるから、理想的なやり方は前者だと思うけれども、目の隅で色/矢印が変っても気づかないことがあるから、今のところは後者のやり方でやっている。それにしても、以前はもっと簡単にスコアが上がったのに、どうして今は駄目なのか。毎日パソコンに向かっているから、目の筋肉が弱っているのかもしれない。あきらめず地道にやっていくとしよう。
 先日、日本のYahoo!で死刑制度に関する記事をみたので、私もこの問題について考えてみることにした。もっとも、この問題に関して何らかの結論を出すことは困難だろうと思うので、問題点の整理を目的とする。少なくとも現時点では、私には死刑制度が存続すべきなのかどうかについて是非を述べることはとてもできない。具体的に言うと、現在、死刑制度が存在している国に対して廃止すべきだろうとか、廃止してしまった国に対して復活させるべきだろうなどということを言い切ることはとてもできないということだ。整理すべき問題点も多いから、少しずつやっていくとしよう。
 まず死刑制度そのものは、恐らく人類が集団活動をし出した時点から存在していただろうと思う。単なる集団活動とまではいわなくても、世界中のあらゆる国で、最初から死刑制度がなかった国などなかったのではないだろうか。つまり、人間集団を維持するために自然に存在する最古からの刑罰の一つなのだ。(人間以外の動物に死をもって集団の成員を罰するような行為があるかどうかはわからないから、あくまで人間の集団活動に存在していたものだとする)。
 一方、死刑制度の廃止とは、原始的な状態から脱却することができた集団や国のみが望みうる制度といえるだろう。それは、第一に国や集団の生存そのものが絶えず危機に晒されているような状態で、手段の秩序を乱すような者を養っていく余裕がないという経済的な理由がある。また、国や集団が絶えず生存の危機に晒されているような状態では日常的に死が身近なものとなるから、他人に死をもたらすということが特別に異例なことに感じられないだろうことも想像される。さらに、原始的な社会であれば、生存と闘争は一体化したものとなるだろうから、闘争によって呼び覚まされる感情が相手に死をもたらすことを容認しやすいということも考えられる。
 つまり、死刑制度の存続と廃止というのは、絶対的なものではなく、その集団や国が置かれている状況によって左右されざるえないものだというのが私の考えだ。これを前提とした上で、今後、数多くの論点を少しずつ整理していきたい。 

2012年1月18日

6:30起床。
 目を覚まして携帯電話の時間をみると、5:40。あまり早く起きても昼間きつくなるからと考えて、もう一眠りすることに決めたが、いつまで経っても眠くならない。これだったら起きていても同じだと寝床から出たのが6:30だ。今日こそ、ベストの体調だ。とりあえず、4セットだ。いや、3セットにしというか。3セットにしておいて、柔軟体操と冷水摩擦をきちっとこなそう・・・そんな風に考えて2セット終えたところで、これなら4セットいけそうだと確信した。そのまま4セット完了。柔軟体操と冷水摩擦もこなした。もちろん8の字グルグルストレッチもやった。明日も4セットだけやって、明後日からプラスの2セット25回をやる。これが当面の目標だ。
 春節の休みに突入し始めたためだろう。デパートだけでなく、ネットまで込み合ってきた。モデムそのものはPPPOEで接続できるものの、ネットの画面が開けなくなることが多い。切断して接続しなおしても、事態はあまり変らない。良くなったり悪くなったりが繰り返されるから、気持ちをそがれることこの上ない。Liveメッセンジャーも途切れたり、繋がったりが繰り返されるから、鬱陶しい。こちらはまだしも、私を登録してくれてある相手のところには、しょっちゅう「・・さんが繋がりました」みたいなメッセージが上がってくるだろうから、申し訳ない気持ちになる。明日もこのような調子だったら、Liveメッセンジャーは止めてしまうことにしたほうが良さそうだ。
 さて、昨日に引き続き死刑制度について考えてみよう。まずは、一番わかりやすそうな経済的側面についてだ。死刑制度がなくなった場合、死刑になるほどの罪を犯した場合は、終身刑もしくは無期懲役となる。この場合、非常に長期間に渡って収監されることになるわけだから、馬鹿にならない費用がかかることになる。刑務所にいる間は三食のみならず、医療費用も全て国が負担するわけだからなおさらのことだ。
 特に現在のように経済危機の最中でなくても、一般市民の中には医療費はおろか三食ままならない人間は大勢いる。それだというのに、大罪を犯したものが三食付きで、延々と国の費用で暮らし続けるなど許しておけない。死刑にしてしまえば、費用はゼロになるではないか。そう考える人がいても不思議はない。
 ところが、ネットのウィキペディアをみると、死刑は終身刑に比べて経費が安く済むという主張は必ずしも正しくないとの記載がある。注釈を追っていくと、米国に関するニュースが載っていて、米国では経費を削減するために死刑制度を廃止することを検討する州が増えていると書かれている。死刑というのは裁判が長引く上に、弁護費用も国持ち、死刑執行のための特別な設備もいるから、終身刑よりもずっとお金がかかるそうなのだ。驚きの事実である。
 ヨーロッパでは多くの国が死刑制度を廃止してしまっているから、この事実が他の国ではどのような数字となって現れるのか比較はできないものの、人権を重んじる国ほど、死刑と判決を下し、執行を行うまでの期間が長くなり、
たくさんの費用がかかることは容易に想像できる。また、人権を重んじる国では死刑囚に対する待遇もそれなりのものとなるだろうから、その面でも費用が高く
つくだろう。一方、死刑判決に時間をかけず、執行も素早く行う国ではこのような問題は生じない。もちろん、その場合には冤罪等で無実の人が反駁する機会を与えらず、命を失ってしまう率も高くなることだろう。
 つまり、死刑の経済的側面は、国の制度によって、高くもなり安くもなるということだ。ただし、世界がより豊かになっていき、人権を重んじる国が増え、冤罪を避ける動きが強まれば強まるほど、死刑制度の経済的負担が高まるということはいえるのではないだろうか。

2012年1月19日

7:00起床。
 今日も体調はベストだ。予定通り4セットこなして、柔軟体操、冷水摩擦もやった。8の字グルグルも。明日からはプラス2セット25回も始めることができるだろう。運動がきちんとこなせると、朝から気持ちがいい。体も締まった気がするから不思議だ。事実、筋肉はどんどん引き締っていくのだけれども、体重は全く変らないのが不思議である。顔は明らかに痩せていっているし、腕や肩や足には筋肉がついていってるのに、お腹の贅肉はなかなか減らない。これも不思議。6セット全部こなせるようになっても、お腹の贅肉が残っていたら、やる気が減退しそうだ。
 さて、今日は死刑制度の犯罪抑止力について書いてみようと思う。死刑制度には犯罪を減らす効果があるのかという疑問だ。この問いには二つの意味がある。「死刑制度を含む全ての刑罰に犯罪を抑止する効果があるのか」という問いでもあり得るし、「死刑制度は終身形もしくは無期刑よりも強い犯罪抑止効果があるのか」という問いでもあり得る。
 これに対して、刑罰の抑止効果を論ずるのはナンセンスであるという考え方がある。刑罰は抑止効果をもって執行するものではなく、犯罪者が各々犯した罪に応じて行われるものだということだ。詐欺を犯したものには、それに相応しい罪が執行されるし、終身刑に相応しい罪を犯したものには終身形が与えられるし、死刑に相応しい罪を犯したものには死刑が下される。だから、死刑に相応しい罪を犯したのに終身に減刑されるなどはおかしいという結論になる。今日はこのような刑罰の意義については触れず、抑止効果そのものに絞って書きたいと思う。
 一般の人間からすると、死刑なりその他の刑罰が各々に相応しい抑止効果を発揮すると考えるのはごく自然だと思う。例えば、ある重犯罪を仲間とともに犯した後、その罪が後から明らかになって逮捕されれば死刑、自ら自首をすれば死刑は免れるとなった場合、死刑を免れるために仲間を裏切って自首するものが出る可能性は確かにある。この例だと犯罪はすでに犯されてしまっているではないかという疑問も出てくるだろうが、これらの犯罪者が社会に存在し続けているのと逮捕された状態でいるのとでは次の犯罪発生率は異なってくるだろうから、一定の抑止効果があると考えてよいと思う。
 しかし、一方で、同じように仲間で重犯罪を犯した場合でも、別の結果を生む可能性もある。例えば、犯した犯罪を目撃したものがいるらしいとなった場合だ。或いは犯罪を犯した仲間以外の誰かが犯罪について薄々気づき始めているとなった場合だ。その場合、犯罪者たちは、罪の発覚を恐れて目撃者なり、犯罪に気づき始めているものなりを殺人しようとするかもしれない。なにしろ、発覚すれば死刑なのだ。口をふさごうとする動機が働いても不思議はない。つまり、死刑の存在そのものが次の犯罪を誘発していることになる。
 このように、状況に応じて刑罰が犯罪を抑止することや、逆に誘発することも考えられる。現実もこれを反映して、死刑制度存続の支持者、廃止の支持者の双方が各々のデータや事例を集めているが、個別のデータとしては各々の主張を支持する事例は多いものの、統計データとなると、抑止効果に関して、絶対的な結論をもたらすものは存在しないということになっているようだ。これは、死刑制度廃止論者の、死刑が終身刑よりも効果があるとは証明できないという主張だけでなく、死刑制度存続論者の終身刑だけで死刑があるのと同じ効果を発揮できるとは証明できないという主張も生み出していて、話を複雑化させている。
 私自身は、原始的な社会や集団や国では、死刑制度というのは確実に抑止力が働くと思う。それは死というものに対する観念がほとんど全ての人に対して共通のイメージをもたらし、共通の影響を与えるからだ。一方、社会や文明が複雑になってくると、「死刑になりたかったから、犯罪を犯した」という者まで出てくる。犯罪者そのものの思考も複雑化し、犯罪がなされる状況も多岐多様に渡ってくる。こうなると、死刑制度の抑止力が失われてくる。また、死刑制度といっても、死刑が執行されるまでに5年も6年もかかる国と極めて短期間に判決され執行される国とでは、犯罪者が死刑に対して持つイメージも全く異なってくるだろう。元来の死刑のイメージというのは、決まったら即執行というものだっただろうから、死刑執行まで長い期間が必要とされる事実そのものが死刑の抑止力を削いでいるといえるだろう。そうはいっても、それが現実である以上、やはり人権が尊重され複雑化していく社会では、死刑の抑止力は定かでないという事実は受け入れなければならないだろう。

2012年1月20日

7:00起床。
 予定通り、4セットと25回を2セットこなした。柔軟体操も冷水摩擦も、もちろん8の字グルグルもやったから、完全に復調したといえる。数字の上だけでいうならばだ。実際には、朝起きる時点で、肩にだいぶ熱が溜まっているのを感じた。4セットの時点で、恐らく過負荷になっているのだ。他の部位は異常がない。8の字グルグルの影響で、脛の周りの筋肉が軽く痛むぐらいだ。腕立て伏せだけが過負荷なのだ。そうは言っても、現時点で腕立て伏せだけが1セット30回というショボイ数だ。これ以上減らすわけにもいかない。身体が慣れてくるのを待つしかないだろう。
 今日は、9時前までには、出発して東門に向かう予定だった。Zのショッピングのためである。ところが、肝心の本人がいつまで経ってもベッドから出てこない。しまいに今日はいかないと言い出した。今日は日課を全部脇に除けておいたおいたのに、なんということだ。そうこうしているうちに、なんだか頭が痛くなってきたから、私もベッドで横になった。もういいや、昼間で寝ていようと決めた。
 12:00近くになり、Zから「今から東門に行こう」と声がかかった。ぐっすり眠ったのかやたらに元気そうだ。今さら、行くと言われても・・・。時間が遅すぎるだろ。今日は行かない、私は行きたい、と押し問答が始まり、結局私が折れて出発することになった。今日はどちらにしろペースが乱れてしまったから、二日連続で時間をつぶしてしまうよりは、無理しても今日行っておいたほうがいいだろうと考えたのだ。
 心配なのは、バスが混んでいないかということだったが、案外ガラガラで席は3分の1も埋まらなかった。羅湖から東門までは徒歩で行くことにした。途中の中華ファーストフード「永和大王」で昼食をしていくことにしたからだ。ところが、店についてみると、テーブルがほぼ埋まっていた。気分が削がれて、他の店で食べようかと言うことになった。そのまま東門に向かって歩く。ところが、表通りの店は、多くが春節休暇に入っていてシャッターが下りてしまっていた。
 私は東門へ着いてから食べるつもりだったけれども、Zが言うことを聞かない。とことこと脇道に入っていってしまった。やむなく、後について行く。すぐにローカルな中華ファーストフードの店が目に入り、そこで食事をすることになった。。店の表に出ているお勘定のところでメニューを見てチケットを買い、調理場のカウンターで料理と交換にチケットを渡す仕組みだ。店内で食べてもお持ち帰りでも、どちらも使い捨ての発泡スチロールのパックにご飯とおかずを詰め込んでくれる。私は焼鴨定食(弁当)、Zはポーク定食(弁当)だ。
 いつも東門で食べているのとほぼ同じ値段のものだけれども、店がローカルなだけあって、肉のボリュームは2倍ぐらいあった。満足度が非常に高い。今度から、東門に来る時は、ここで食べようかなと思った。ただし、この店はドアのないオープン形式だから、夏はきつそうだ。それに、最近は羅湖経由で東門にいくことがめっきり減ったから、なかなかチャンスがないことだろう。
 食事を終えて、再び東門の方向に向かって歩き出す。歩き出してすぐにZが通りを渡った向かい側にあった一軒の服屋に目をつけて、寄って行きたいと言い出した。「じゃあ、俺は東門のマックで時間をつぶしているから・・・」とここで一旦お別れ。一足先に東門に向かうことにした。しばらく歩いたところで、横道から夫婦らしき欧米人が現れた。二人とも真っ白な上着を着ている。男性はシャツで、女性はセーター姿だが、真っ白なのは同じだ。二人とも、白の服が好きなのか、教会とか病院の関係者なのか、どちらなのだろう。不思議に思いながら、ぼやっとして歩いていた。
 「あれ・・・ここどこ?」
 見知らぬ場所に自分がいた。おかしい、おかしいぞ。建設路から奥へ入って、そこを抜けて国貿のある道へ出たはず・・・。うーん、おかしい。このまま真っ直ぐ行ったのでは、永遠に東門には到着できないだろう。道路脇にかかっていたプレートを見ると、私が進んでいる方角は書城地区のようだ。なんだ分けがわからない。しかし、前方が書城地区だとすると、とりあえず右に曲がっておくしかない。すると、万像城のビルが現れた。なんと、いつの間にかこんなところに来ていたとは・・・。そのまま真っ直ぐに進むと、再びプレートが現れて右が東門路だと表示されていたから、そちらの方角へと向かった。とんでもない大回りをしてしまった。ずいぶん時間をくったから、ここらでバッタリとZに出くわすかも・・・。
 そんな偶然があるわけもなく、東門のすぐ入り口まで来た。
 「○○(私の名前)」と呼ぶ声がした。
 振り返ると、Zが不思議そうな顔をして立っている。
 「何でまだこんなところにいるの?」
 「いや、なんか迷子になったみたいだ」
 「前に誰か見たことある姿の人が歩いているなーと思ったら、○○(私の名前)じゃない。びっくりしたわよ」
 「そうだね。万像城のところまで歩いて行っちゃったよ」
 「えっー、そんなところまで歩いていったの」
 「おかしいんだよな、ずっと真っ直ぐ歩いて行っただけなのに」
 「バカねぇ」
 そのままZはユニクロに。私はマックで休憩となった。
 バスは空いていたけれども、東門は大賑わい。マクドナルドも、いつもに増して客が多かった。マックカフェで、カプチーノのLサイズを買って、3Fのバルコニーに席をとる。道路際の席は全ていっぱいになっていたから、中ほどの席で我慢することにした。本を読んだり、携帯のゲームをやっていたりするうちに、瞬く間に1時間が過ぎ、1時間半が過ぎた。待ちかねてZに電話をすると、まだユニクロにいるという。良かった、付き合わなくて。
 迎えに行って、そのまま地下鉄に乗って帰宅の途に着いた。帰りは、地下鉄はいつもと同じぐらい。バスはガラガラだった。市内の人は田舎に帰る人が少なく、郊外の人は田舎に帰る人が多かったということだろうか。
明後日は旧暦の大晦日だ。明日は花市に行って、みかんの木でも見てくるとしよう。

2012年1月21日

6:40起床。
 快適に目を覚ましたものの、筋肉疲労で身体が重い。特に腕が重たい。4セットと2セット25回はこなせるようにはなったが、ここからさらに数を上げていくのにはしばらく時間が必要なようだ。根気よく続けていくほかないだろう。
柔軟体操、冷水摩擦、8の字グルグルはいつもの通り。起きる時間が昨年よりも遅いためなのか、身体が慣れてしまったからなのかわからない。冷水摩擦をやっていても、冷たく感じない。今年は例年よりも暖かいのかもしれない。
 目のトレーニングは比較的調子が良かった。複数のボールの動きが同時に目に入るようになって、とうとう昨年10月に出した最高スコアと同じスコアを上げることができた。一昨日まではやけに遠くに見えた別々のたまが、一箇所に集まっているように見えるようになった。だから、どれから色が変るとすぐに反応してキーボードを打つことが出来た。ようやく視界が広がってきたのだろう。ただし、単発の玉のトレーニングに関しては相変わらずで、スコアも伸びていない。一瞬で数を読み取るトレーニングも同様だ。まだまだ時間が必要なようである。
 お昼前にアパートを出て、春節の花市へと行った。今年はみかんの木以外では、菊の花が目立った。天気が悪かったのもあり、全般的に例年の活気が感じられなかった。売れているといきは、ばんばんとトラックが入り込んできて、積み込み積み下ろしに立ち働いている様子がそこかしこで見られるものだ。明日が旧暦の大晦日らだから、もうすでに出荷のピークを超えてしまっているからのようにも思えるし、世界景気の減速の影響を受けているようにも見える。恐らく、どちらも影響があるのだろう。
 花市を一回りし終わると、その足でデパートへと向かい、一番上のフードコートのフロアへと上がった。カウンター近くの席は半分ほど埋まっていた。土曜日でのお昼時であることを考えると、大盛況とはいえない客入りだ。春節の休暇に入ってしまったから、多くの人が田舎に帰ってしまっているのとこちらに定住している人でも親戚やら友人を迎えて家で食事をする人が多いのだろう。逆に、この時期にこれだけの人がなおフードコートで食事をしているのがむしろ時代の変化を示しているともいえる。
 Zは牛肉ラーメン(うどんの一種)、私は上海風焼きうどんそばと春巻きだ。このフードコートにきたら、春巻きは欠かせない。春巻きはいつも美味しく食べられる。焼そばはやや甘めに仕上げてあって、好みと違う味だった。具もほとんど入っていないし、このうどんだったら、スーパーで3元で売っているのを買ってきて適当に炒めたほうが美味しいのが作れそうだ。Zも、牛肉ラーメンを食べながら、「蘭州ラーメンのほうが安くて美味しいだけどね」と言っていた。しかし、コンピュータ学校に行くたびに、近くの蘭州ラーメン屋さんで食べていたから、飽きたのだそうだ。
 食事を終えると、スーパーで買い物をした。フードコートはいつもより人が少なかったが、スーパーは逆にいつもの3倍ぐらいの客がいた。人でごった返していて、商品のところまで辿り着くのが大変なほどだった。やはり、春節は家で大勢と食事をするのが一般的なのだ。皆、お菓子から食材まで、かごをいっぱいにしてレジに並んでいた。私たちは、今晩の食材だけを買って帰宅。明日は、久しぶりに長安鎮に行って、恒例の花の造作を見に行くつもりだ。今年は龍だから、かなり派手なのが見られると期待している。 

2012年1月22日

7:00起床。
 順調に運動をこなした。数を増やしても良いのではないかと思えたけれども、我慢した。今朝は気温が低いのだろう。冷水摩擦のためにタオルを絞るとき、いつもよりも水が冷たく感じた。この冷たさも、体が慣れてしまっているからどうということはない。冷水摩擦は運動の最後の締めだから、ある意味楽しみですらある。
 ある程度日課をこなしたら、今日は長安鎮へ出かけてお食事し、龍を模った花細工を見に行くことになっていた。昨日の夕方ぐらいまでは、その予定だったのだ。Zも春節ということで、長安鎮行きには乗り気だった。ところが、・・・。
 夕食を終えて一服しているとき、ふと頭に明日は、大晦日だ。大晦日と言えば、大掃除だね。Zは掃除をしたいんじゃないだろうか・・・ということが頭をよぎった。
 「Z、明日は長安行きはやめて、大掃除でもしようか・・・」
 なんとなく、言ってみた。大掃除とお出かけでは、どっちが楽しいかは明白だ。当然、否定してくれるものだと期待していたのだ。
 「いいわ、そうしましょう!」
 「えっ・・・ちょっと待って」
 「決まったわ」
 「いや、やっぱり長安行こうよ」
 「駄目、○○(私の名前)が言ったんでしょ」
 「・・・」
 という流れで、長安行きは中止になり、大掃除をするはめになってしまった。前々から大掃除をしなければとは思っていたが、まだ心の準備が出来ていなかったのに。
 「なあ、やっぱり長安行きにしないか」
 「しつこい。絶対行かない」
 就寝前に再び訴えてみたが、やはり意見はひっくり返らなかった。長安行き→大掃除がOKなら、大掃除→長安行きがあったっていいじゃないか。
 そして、今日は10:30頃から、ずっと大掃除をしていた。途中に昼食をはさんで14:30まで大掃除をした。私は、それで一旦終了。Zはまだまだ終わらないらしく、ずっとやっている。Zが綺麗好きで助かる。

2012年1月23日

7:00起床。
 昨日は寝るのが遅かった。寝不足の状態での運動は辛い。旧正月の元旦でもあるし、運動はお休みにしようかと考えた。しかし、ここで頑張らねば後が続かないと思いなおし、なんとかフルコースをやることができた。
 最近、床に就くのが遅くなり、いつも12時近くである。昨晩も同じ時間にコンピュータの電源を切って、一旦は床にもぐりこんだ。枕の位地を調整しつつ考えたのは、12時になれば爆竹がばんばんと鳴り始めるだろうこと。そうなれば、眠りについていたとしても、すぐに目が覚める。だったら、爆竹の音がひと段落するまでネットサーフィンでもしていよう。
 起き上がって、PCの電源をつけた。しばらくインターネットにアクセスしていたが、見たいところは昼間のうちにすでに見てしまっている。そこで、これまでやろうと思っていてやっていなかった、パーティションの結合をやることにした。最近、Cドライブがいっぱいになることが多く、警告メッセージがたびたび表示されてうるさいなと思っていたのだ。もう、マイドキュメント、ダウンロード、デスクトップは全てDドライブに移動してしまっているから、あとはCドライブを拡張するぐらいしかやることがない。幸い、Dドライブにはたいしたものが入っていないから、
マイドキュメント、デスクトップ等を他のドライブに移動させさえすれば、結合するのはさほど大変な作業ではない・・・はずだ。
 まずはDドライブのファイルをお引越し。それから、管理画面からDドライブを削除。Cドライブを拡張。この拡張作業に時間がかかるだろうから、そのまま寝てしまおうと思っていたのだけれども、意外にささっと終わった。パーティションの移動と違って、拡張はさほど時間がかからない模様だ。助かった。重要なソフトのいくつかを動作チェックする。バーチャルマシンは全てきちんと動くようだ。バーチャルマシンの中にある中国製ソフトがどうなるか心配だったのだが、それもきちんと動いた。
 一つだけトラブルがあった。Dドライブから別のドライブにお引越しして使っていないと判断したソフトが、実は引越しがされておらず強制削除をしてしまった形になっていたのだ。再インストールを試みるも、レジストリに残ったゴミが邪魔になってエラーになってしまう。これは面倒なことになった。やむなく、レジストリエディターを起動して、データをクリアすることにした。手作業だから、意外に時間がかかる。すっかり終わってソフトの再インストールを終えたときにはすでに1時を回っていた。再び床にもぐりこんだものの、不定期になる爆竹のせいで、幾度も目が覚めてよく眠れなかった次第だ。
 今朝になって、もう一つトラブルを発見した。EXCEL2010で作ったデータに貼り付けてある画像が表示されなくなっているのだ。調べてみると、他のExcelデータも、PowerPointのデーターからも、画像データが消えている。これは大ダメージだ。なんとか復旧できないものか。インターネットでQ&Aを探ってみるが、なかなか同じ現象が見つからない。
 しつこく検索を繰り返して、ようやく出てきたのは、「EXCEL2010からは挿入された画像はリンク形式で扱われる」という説明だった。これはショックだ。ほとんどの画像はデスクトップに置いてあるフォルダからコピーして貼ったもの。そのデスクトップのフォルダはもともとDドライブに置いてあり、今回のお引越しでそれを別のドライブに移動したばかりだ。Windows7のフォルダ移動の機能を使っての移動だから、Dドライブを残したままであれば、問題なかったのかもしれない。しかし、そのDドライブは削除してしまった。
これまで作った画像データを全て作り直すのは辛いところだ。しかし、作り直せば、もっといいものができるだろうから、それも神のお達しと諦めるしないだろう。
 一度は諦めたものの、考えれば考えるほど、諦めきれなくなった。要はリンクが切れただけだから、リンク先を変えるか、リンクを元に戻してやればいいのだ。前者のリンク先を変更する方法に関しては、そもそもどこにリンクのパスが書いてあるかわからない。だから、リンクを元に戻してやる方法を溜めてみるとしよう。もともとはDドライブに置いてあったデスクトップのフォルダをLドライブに移動したから、Lドライブの名称をDドライブにしてやればよい。そう考えて試してみた。すると、「デスクトップの位地が・・・」どうのとエラーが表示された。どうやら、デスクトップとかマイドキュメントのフォルダが入ったドライブはドライブ名称を変えてはいけないようだ。フォルダの場所移動の機能と関係があるのだろう。しかも、EXCELも元には戻らず、画像は表示されない。
 もう一つ打つ手がある。空きとなっていたKドライブをDドライブに改名した。そこにマイドキュメントとデスクトップのフォルダ移動機能を使って、フォルダを移動したのだ。駄目かな・・・。さあ、どうだ。EXCELを開く。あった、あった。画像が元に戻った。半信半疑でやっていたら、本当に戻った。大助かりだ。これだけあちこちいじると、他のトラブルが発生する可能性もある。いささか心配だが、とりあえずは満足だ。
 なお、この後、画像のあるフォルダをあちこちに移動してみたが、画像が表示できなくなるという現象は発生していない。画像が表示されなくなったのは、Cドライブの拡張作業やDドライブを削除したタイミングが悪かっただけなのだろうか。どうもよくわからない。

2012年1月24日

7:00起床。
 今朝は楽に運動ができた。そろそろ増量ができそうだ。水は昨日よりも一層冷たかった。天気予報をみると、6℃-10℃である。明日からはまた気温が上がるようだ。ここ二日ずっと雨天だから、そのせいで気温が下がったのだろう。春節が過ぎれば、5月まではアップダウンを繰り返しながら、徐々に気温が上がっていくのだろう。なんだか、急にコタツが懐かしくなってきた。こちらでもコタツを手に入れることは可能だし、さほど高いというわけでもない。幾度か購入を検討したけれども、毎回取りやめにしてきたのはやはり中国での生活形態とは合わないということだろう。また油を使う料理が多いから、コタツで食事というのも無理があるからだろう。もう一度コタツに入るような生活ができることはあるのだろうか。
 中国語の学習は、地味に続いている。現在、中級「冲刺編」の第2課をやっているところだ。正直なところ、高級編の最初をやっていた頃ほどの情熱はなくなった。高級編の時と違って、流すような感じで進めるのではなく、身につけようと思って進めると、どうしてもテンポが悪くなる。テンポが悪くなるとやる気も失せるといった悪循環だ。このままストップしてしはしまいかと心配だが、今のところ打つ手がないから、地味に続けている。
 お昼頃にデパートに買い物に行ってきた。さすがに買い物客は少なくなっていた。それでも、レジにはそれなりに列ができていたから、普段よりは少し多い客がいたことになる。春節休暇の真っ只中とあって、安売りの特別価格の製品が姿を消して、ほとんどが平常価格だった。デパートは春節出勤の社員に対しては高い残業代を払わねばならないだろうから、それも仕方のないところだろう。ソーセージを切らしていたので補充しようと思っていたら、つい先日は在庫一掃みたいな半額で売っていたののが、本日は値段が戻ってしまっていた。生産日も同じだったから、購買意欲がなくなり、買うのを止めにした。
 本日も、ずっと小雨模様である。そのため、爆竹を鳴らすが少なく静かなのは良いけれども、例年の騒ぎに慣れてしまった耳には寂しく感じてしまう。明日は晴れてくれることを祈るとしよう。

2012年1月25日

6:30起床。
 昨晩見た天気予報ほどには暖かく感じない。改めて天気予報をみると、修正されて6℃-10℃となっていた。昨日と全く同じだ。暖かくなっていない。どうりで寒いわけだ。昨晩も遅くまで起きていたから寝不足気味だ。体調は悪くなく、運動量の増加に踏み切った。これで4セット+30回を2セットとなる。明日ぐらいからまた、増加分に対する疲労が襲ってくることだろう。視力トレーニングは順調に続いている。いまだに昨年10月のスコアを記録できないのが悔しい。以前のようにむきになってやっていないから、超えることができさえすれば、後は順調にスコアが伸びるだろうと思う。頑張らねばならない。
 今日は、刑罰としての死刑制度について考えてみたい。もし、社会に刑罰というものがなかったり、或いはたとえ刑罰があってもそれを執行する力を持つものがいなかったら、どうなるだろう。そのような場合には、個人的な復讐や報復といったものが横行することになる。相手を殺すまでには至らなくても、暴力的な私刑等が行われるに違いない。ただし、そのような場合、被害者の加害者に対する報復が首尾よく成功するとは限らない。逆に返り討ちに遭ってしまうこともあるだろう。また、加害者から受けた以上の報復を行うこともありうるし、報復がさらなる報復を引き起こしていくことも考えられる。それでなくとも、全く関係のない者たちが巻き込まれて生命を失ってしまうこともありうるだろうから、社会の混乱は免れない。死刑制度の是非はともかくとして、刑罰そのものの存在は、こうした私的な報復活動から生じる社会の混乱を防ぐのに役立つことになる。
 刑罰は実行されることにより、被害者がどのように思うかは別として、犯人は社会から一定の了承を得た範囲での相応な罰を受けることになる。これにより、被害者が報復を行う際に生じる身の危険を避けることができるし、引き続き社会生活を営むこともできる。刑罰は社会的な行いだから、報復が報復を呼ぶようなことも相当程度に抑制することができるだろうし、犯人の捕獲等も警察などのプロフェショナルが行うことだから、無関係な被害者も最小限に止めることができる。
 また、刑罰が存在することにより、その犯罪が個人的なものではなく社会的なものとなり、他の同様な犯罪を犯そうとするものを思いとどまらせる効果も望めるだろう。言葉を変えて言うと、刑罰は社会や集団の規律を保つのに非常に強い役割を果たす。一人の過ちが全体の危険をもたらすであろう軍隊等においては特にこの規律が重んじらる。従って、同じ犯罪を犯したとしても、軍隊内での処罰のほうが重くなるに違いない。ウィキペディアで調べたところ、死刑制度の廃止を加入条件としているEU加盟国ですら、戦時の際の死刑に関しては権利として認めているそうだ。刑罰が規律に与える影響の大きさを示すものだろう。
 前回、犯罪抑止力としての死刑制度に関して書いたが、刑罰の中でも特に死刑に関しては、犯罪の抑止力としての役割以外に、社会を安定化させたり、社会の構成員に対して規律の存在を意識させ、一定レベルまで意識を引き上げる効果があると思う。だから、人権を尊重するまでの余裕がある先進国では、死刑制度が廃止されても、多くの発展途上国では死刑制度が残されたままになっているのではないだろうか。

2012年1月26日

7:00起床。
 今日も冷え込みがきつい。天気予報で確認すると、5℃-10℃だ。またもや変更がかけられている。明日の天気をみると、11℃-17℃だ。急にそこまで暖かくなるものだろうか。ここ数日ずっと予報が現実に負けている状態だから、とても信じられない。少しでも暖かくなってくれることを期待したい。運動はそつなくこなした。気温は低いけれども、冷水摩擦そのものはさほど辛くない。寒さが身に染みるのは、筋力運動、柔軟体操を終えてシャワーを浴びてからだ。冷水摩擦の前にドライヤーで髪を渇かす時間があり、この時が一番寒さを実感する。寒いのもあとしばらくだ。この冬を抜ければ、体力が一段とアップするはず。頑張り抜くとしよう。
 昨日のYahoo!Japanに、二宮金次郎の像が各地で撤去されつつあるとのトピックスがあった。老朽化が進み、破損や倒壊などが発生しているのだが、教育委員会からは補修費がでないのだそうだ。補修費用の提供を申し出る自治体等もあるのだそうだが、結局は撤去ということになるようだ。「努力を尊ぶ姿勢は受け継ぎたいが、子どもが働く姿を勧めることはできない」とか、戦後教育の名残だからとか、歩きながら本を読むのは危険だからとかいう意見があるようだ。一言で言えば、現在の児童の教育方針にそぐわないということらしい。
 歩きながら本を読むと言えば、私も小学校の頃はよくやった。教科書とか参考書ではなく、子供向けの小説を帰宅途中によく読んだ。誰かに注意されたかもしれないが、かまわず毎日のように歩きながら読んだ。危ないと言えば、確かに危ない。もし、自分に子供がいたら、そんなことはなんとしても止めさせるだろう。しかし、それが二宮金次郎の像を否定することに繋がるかといったら、過去だったらそうはならなかったと思う。
 二宮金次郎が幼くして働いている姿がよくない。歩きながら本を読んでいる姿がよくない。だから、二宮金次郎の像は撤去されるべきだ。この理屈が堂々とまかりとおってしまうのが現在だ。確かに、「金次郎だって歩きながら本を読んでいるじゃないか」と言い立てる子供はいるだろう。拡大解釈すれば、「歩きながらゲームしたっていいだろう」、「自転車乗りながら、携帯電話したっていいだろう」という意見が出ることはありうる。しかし、過去であれば、このような理屈は決して通らなかった。「二宮金次郎は別格だ」と短絡的に言う人もあれば、「昔とは時代が違うんだ。だいたいあれは山の中だから」という人もあれば、「あれは銅像であって、勤勉を学ぶための象徴だ」と諭す人もいただろう。いずれにせよ、二宮金次郎を盾にとられて、子供のの言い分が通ってしまうなどと考える者はいなかった。ところが、現在は、親ばかりか教師までも、二宮金次郎の姿が子供に悪い影響を与えると言っている。
 これはどのような現象だと捉えたらよいのだろう。素直に考えると、親と教師の権威が失墜していることの現れだとみることができる。二宮金次郎の像の外観のほうが親や教師の言葉よりも重くなっているのだ。インターネット時代である。昔は親や教師だけがもっていた、世の中に関する知識を子供たちは自由に手に入れることができるようになった。いや、インターネットを自由に操れる分、子供たちのほうが豊富な知識を手に入れやすいとさえ言える。知識はともかくとして、経験では親や教師のほうが勝っていると言いたいところだが、これもだいぶ怪しい。
 世の中が画一化されてレールに乗って生きて行く人ばかりになってしまった現在では、親と教師が知る世の中と、子供たちが知る世の中との差が過去ほど大きくなくなってしまっているのだ。また、実際に、世の中を生きて行く術を子供たちに説明する際、人としての生き方よりも、勉強することのほうを優先する親や教師のほうが多くなってしまっていることだろう。このようなレール上で語る人生に深みがあるわけがなく、一番大切な経験上の優位すら親も教師も捨ててしまっていることになる。
 二宮金次郎の像の撤去は、その像が学校から失われることを意味するだけでなく、私たちの社会からも何かが失われていっていることを意味しているのだ。

2012年1月27日

7:00起床。
 天気予報をみると、10℃-17℃である。昨日よりもだいぶ暖かい。しかし、体感的には全く変らない寒さだ。私が住んでいる部屋は2Fの日が当たらない場所だから、少々暖かくなっても、影響が及ぶのに時間がかかるのだろう。天気予報のグラフをみると、昨日は早朝が5,6℃で、その後10℃まで上がっている。その気温がほぼそのまま続いて、今朝は10℃からのスタートだ。今日は外はだいぶ暖かくなるかもしれない。
 昨晩、寝るときに肩の辺りに痛みを感じた。増量が響いてきている。数日間はつらいかもしれない。朝もだるくて、運動したくない気分だったが、体は動くようだったから、いつも通りの数をこなした。運動はいつも通りだったが、視力トレーニングは好調だった。三つやっているトレーニングのうちの二つまでもがスコア更新となった。あれれ、と言う感じでスコアアップできた。続けていれば、スコアは上がるのだ。最近は長時間PCに向かっていても、目の疲れが軽くなってきている。トレーニングの成果は確実に上がっているのだ。この調子で、頑張るとしよう。
 現在、中国(香港)ドラマ「女拳」を観ている。「女拳」というと女拳士がバッタバッタと無骨な男たちを倒していくイメージであるが、このドラマでは少なくともすでに見終わった前半から後半に至る4分の3ぐらいまでは、女拳士が活躍する場面はほとんどない。大半は黄飛鴻が重要な人物として君臨し、その人柄と苦悩と強さが描かれる。
ドラマ全体の4分の3ぐらいのところで黄飛鴻が命を落としたから、その妻となっていた莫桂蘭が黄飛鴻の技を受け継いで、ようやく「女拳士」として活躍し始めるようだ。
 改めて、中国のネットで黄飛鴻について調べてみた。黄飛鴻の生存は、1847年-1924年である。父は広東十虎の一人で、武術家だった。6歳の頃から父について修行を始めたようだ。父から受け継いだ技に加えて主に南方の数多くの拳法を吸収して、改良して、まとめあげた。医師としても優れていて、上は将軍から下は民衆に至るまで幅広い治療を行ったとのことである。
 結婚は何と、4度もしている。最初の3人の妻は全て病死している。最後の妻が、このドラマの題名だる、「女拳」の主である莫桂蘭だ。莫桂蘭の生存は、1892年-1982年である。黄飛鴻が60歳を超えてから知り合ったようだから、相当年の離れた結婚ということのようだ。ドラマではそこまでの年の差とは描かれていない。莫桂蘭は黄飛鴻と血痕する前から、莫家拳を学んでいる点は事実とドラマが合致している。後半の4分の1では、莫桂蘭が黄飛鴻から受け継いだ技をもとに大活躍、さらにその技を世間に広める役も負うと思われるから、このドラマが莫桂蘭の歴史的な役割を描こうとしているのは確かだろう。ただ、題名にもなるほどの役割の人物としては、あまりにも活躍の場が少なく過ぎるような気もする。黄飛鴻をあまり早く死なせてしまっては視聴率が落ちてしまうとのドラマ制作者の意図が働いたのではないだろうか。
 ストーリも演技も派手さはないが、年老いた後の黄飛鴻の姿が描かれていて、興味ぶかい。最後まで楽しんでみることにしよう。

2012年1月28日

6:40起床。
 肩に痛みが残ったままだ。身体全体は増量に慣れてきたように思える。肩の痛みが消えないのが気になるぐらいだ。
 天気予報では、今日は13℃-21℃だ。部屋の中にいるとさほど違ったように思えない。10時を過ぎて、長安鎮に行くために外へ出ると、太陽が出ており、だいぶん暖かく感じた。バスを乗り継いで長安鎮に向かう。春節とあって、料金が2倍になっているバスもあった。到着すると、毎年(でもないが)恒例の写真撮影を行う。今年は龍の年だ。中国人のことを「龍の子孫」と称することもあるぐらいだ。だから、景気にかげりが現れているにもかかわらず、今年の花飾りはそれなりに気合が入った造りになっていた。鼠年のときに比べると、こった造りになっている。昨年の兎年のときは、どんな造りだったのだろうか少し気になる。
 写真撮影が終わると、これもまた恒例の四川料理屋での食事だ。ここ数年は来ていないから、3年ぶりぐらいになるだろうか。今日は料理を選ぶのに失敗して、ポーク料理ばかりになってしまった。ここの料理は口当たりはよいのだけれども、量が多いし、油が多く使われているから、食後に胃に残る感じがある。それでも、通りがかる度に寄ってしまうのは、なぜだろう。近場にスパイシー系の店がないというのと、店全体が明るい雰囲気で作られているからだろうか。来年来るとしたら、別の店を試してみることにしよう。
 長安鎮から帰ってきたら、一休みして、今度はデパートのスーパーへと出かけた。シャワーのヘッドを掛けるフックを買うためだ。先日シャワーを浴びようと手をヘッドにもたせかけたところ、フックの左側がポキッと音を立てて欠けてしまったのだ。引っ越したときに取り付けてもらったフックであるから、だいぶ老朽化が進んでいたのだろう。以前にも一度欠けて瞬間接着剤でくっつけ直したような記憶もかすかにある。いずれにせよ、もう寿命だ。まず淘宝で買うことを検討したのだけれども、小さな子部品だ。10RMBもしないことだろう。宅急便の料金のほうが高くなってしまう。そこで、スーパーで探してみることにしたのだ。
 シャワーのフックなど滅多に買う機会がないから、どこに置いてあるかもわからない。そもそもスーパーにあるのか。・・・ないなあ、・・・・ないなあ。やっぱりないなぁ。あった、あった。シャワーのヘッドとかが並んでいる。ここなら、あるに違いない。どれどれ。うーん、シャワーヘッドとセットになっていて、単品のが見つからない。フックだけ欲しいのだけれど・・・。
 おっ、あったぞ。1個だけ。これだ、これだよ。欲しいのは。ネジ止めの位置もぴったりだ。しかし、値札がついていない。バーコードもなし。どこかのセットからこぼれ落ちたような雰囲気だ。これではレジにもっていっても、取り合ってもらえそうもない。困ったな、これが欲しいんだけど。周囲を見回しても店員らしき人も見当たらない。さてさて、どうしたものか・・・。おっ、あっち側にもシャワー用具が少しある。どれどれ。おっ、あった、あった。ちょっと大きめだけどいけそうなのが。8.5RMB。ややスペックオーバーだが、仕方あるまい。購入決定。
 家に持って帰って、取り付けをした。上下にネジ止めがついているのは、壊れた部品と同じだ。買ってきた部品のほうがネジとネジと間がわずかに広い。最悪の場合は、上の部分だけ取り付けて我慢するほかないだろう。グルグルグルとドライバーを回して取り付けを始めた。上部は取り付け完了。下部はやはり苦しい。ネジを斜めに入れてみた。おっ、入る、入る。ギュル、ギュル、ギュル。ラッキー、全部入った。これで明日から、両手を離してシャワーができる。助かった。長持ちしてくれるようにお祈りするとしよう。

2012年1月29日

本日は10:00起床。
 一旦、7時に起きてマイクに餌をやったものの、どうにも身体が重い。重すぎる。今日1日は無理すればできないことはないだろうが、明日に響きそうなほどの身体の重さだ。運動は諦めてもう一眠りすることにしたら、10時になっていた。最近は夜眠るのも遅くなり勝ちだから、やや寝不足のようだ。無職なんだから、もう少しゆっくりできそうなものだけれども、意外にやることが多くてそのようなわけにはいかない。
 目が覚めてから視力トレーニングだ。スコアこそ伸びなかったが、動態視力そのものは確実にアップしている。以前よりもずっと楽にボールが追えるのだ。スコア更新はできないでいても、常にその付近あたりまでいくことができるから、スコア更新も時間の問題だ。スコア更新を目標にすると、嫌気がさして更新ができずにしまう時があるから、それはやらない。とにかく毎日続けて、結果としてスコアが上がっていくのを理想とする。
 その後、コンピュータに向かったところで、首の付け根のところに異変を感じた。痛タッタタタという感じだ。筋肉で首の付け根が締め付けられるような感じだ。今日は運動をさぼったから、元気になった筋肉が頑張りすぎているのかもしれない。カップリングをやって、筋肉をほぐしてやることにした。しかし、10分ほどやってもあまり効果が感じられない。カップリングは肩の上部のような狭い場所には取り付けられないから、首の付け根のような場所の治療には向いていないのだろう。そこで、低周波治療器での治療を試みることにした。私が持っている低周波治療器はやや大型なので、取り出すのが面倒なのだが、背に腹は変えられない。肩の周辺にパッドを取り付けて治療を開始した。30分ほどやってみるとだいぶ楽になってきた。
 午後になって温熱シップを買ってきて、首の辺りにピタリと貼る。念のため、腰の辺りにもカップリングをしばらくやっておく。午前中に考えていたよりも、痛みが大きい気がする。首の辺りだけだった痛みが肩全体に広がってきている。何とか被害を食い止めないと、明日の運動さえ危ぶまれそうな雰囲気だ。弱ったことになった。といっても、これ以上打つ手もない。少しでも良くなるように祈るとしよう。 

2012年1月30日

本日は9:20起床。
 4時少し前に首の痛みで目が覚めた。ぐぐぅ、寝返りをうつのも辛いほどだ。昨晩、すでに相当悪化していた首の痛みがさらにひどくなっている。起き上がると、さっそくマイクがクゥーン、クゥーンと鳴くから、とりあえず餌をやる。困った。これはどうしたものか。起きていても、寝ていてもどちらも痛むが、起きていたほうが首が真っ直ぐ立つ分、まだましだ。牛乳を暖めて、飲みながらインターネットにアクセスして気を紛らわせた。
 ふと、昨晩Zが「首が痛んでるじゃないでしょ。きっと寝違えたのよ」と言っていたことを思い出した。そうだ。昨日は、起きてしばらくしてから痛みに気づいたから、忘れていた。これは一種の寝違え、もしくは首の位置がわずかにずれた時によく起る現象だ。これに効くのはカップリングと首ストレッチ器具だ。カップリングは昨日もやったが、これはどちらかというと痛みで張ってしまっている筋肉をほぐす役割だろう。大事なのは首ストレッチ器具だ。どこに置いたっけ・・・。思い出せない。半ば諦めかけた頃、本棚の脇のフックに掛けてあることを思い出した。あった、あった。さっそく首に巻きつけて、空気ポンプをクイッ、クィッと揉み押す。揉み押す・・・が、空気が入っていかない。・・・駄目だ。どこからか、空気が漏れているようだ。長い間使っていなかったから、壊れてしまったのだ。残念。
 カップリングだけをやって、再度就寝することにした。痛みより眠気が上回ってきたのだ。そして、9:20に起床。起きるとすぐに、薬局へ向かった。もう過去2回ぐらいは首ストレッチ器具を買っているから、慣れたものだ。本当は淘宝で買ったほうがはるかに安い値段で手に入るのだが、宅急便が着くのを待つなどと、暢気なことはやっていられない。首ストレッチを早くやればやるほど治りも早いからだ。
 「首ストレッチの器具をください」
 「少々お待ちください・・・すみません、在庫が切れています。今から注文すれば、数日で着きますが」
 「えっ、じゃあ、要らない」
 数日待てるのだったら、淘宝で買ったほうがいい。他の店で探すとしよう。正直、歩くのも辛いのだが、仕方がない。
 「ちょっと待ってください。近くの支店に聞いています」
 そうそう、この店は在庫切れのときには、支店からもってきてもらえることがあるのだ。以前にカップリングやら何やらを買ったときもそうだった。
 「あるそうです。しばらくお待ちください」
 男性スタッフが自転車を飛ばしてとりに行ってくれることになった。
 待つこと20分、品物が到着した。198元。高い。以前よりも、さらに値段が上がっている。淘宝だったら、半分ぐらいで買えそうだ。しかし背に腹は変えられない。これ以上他のところが傷む前に手を打たなければ。
 家に持ち帰って、首ストレッチ器具を装着。今度はちゃんと空気が入る。不良品でなくて良かった。10分ほど装着しただけで、ずいぶんと楽なった。早めに手を打ったから、筋肉がそれほど傷ついてはいないようだ。これなら治りも早いに違いない。
 運動も、もう2日も休んでしまっている。これ以上休むとまた元に戻すのに1週間ぐらいかけねばならなくなる。今日中に治ってくれるとありがたいのだけれど、甘いだろうか。首ストレッチ器具とカップリングを何度かやって、安静にしているとしよう。 

2012年1月31日

7:00起床。
 昨日よく眠れなかったせいだろう。今日は、朝までぐっすり眠ることができた。首の痛みも、わずかに残っているだけだ。このわずかが曲者で、普通に座っているだけで、肩の筋肉が張って来て、放っておくと痛くなる。カップリング、低周波治療器等で、筋肉を柔らかくしてやるしかない。症状の根源には首の位置の歪みがあるのだろうから、首ストレッチ器具を使うのも忘れない。もう3日間連続で運動がお休みになっているから、焦らずにはいられないが、じっと我慢だ。首の痛みは甘くみると、被害が広がるからだ。風邪のときと違って、体力は落ちていないから、五日ぐらい休んでも、元に戻すのにさほど時間はかからないはずだ。とにかく、治療に専念するとしよう。
 昨晩辺りから、ネットの調子が再び悪化している。春節に入る前後と同じ症状だ。十数分ももたずに突然ネットが切れてしまう。WindowsLiveメッセンジャーが落ちたり上がったりを繰り返すので鬱陶しい。ネットをやっていても、突然接続不可の画面が出ると脱力してしまう。きっと春節から返ってきた後の挨拶をする人で、ネットがいっぱいなのだろう。IP電話の影響が大きいのではないかと想像する。早く元の調子に戻って欲しいものだ。
 今日は午後から銀行へ出かけた。淘宝で使用する支付宝への振込み可能限度額を大きくするためである。インターネット上の支払いには、一般にインターネットバンク(網銀)機能というのを利用する。これは、通常の銀行の入金・出金のための口座開設とは別に行う必要がある。インターネットバンク銀行を開設すると、インターネット上で、残高照会もできるし、銀行振り込み、様々な投資活動も行うことができる。
 銀行によってことなるが、各銀行2、3種類のグレードがあって、残高照会しかできないもの、小額の送金が行えるもの、無制限の送金が行えるものがある。制限が少なければ少ないほど、申請手続きは面倒になる。送金が必要なものとなると、銀行まで出向かなければ申請を完了できないのが普通だ。送金が無制限のもの等は実際にパソコン上で使用するときも、USB暗証機器のようなものを差し込まなければならない。
 淘宝でショッピングをするときは、このインターネットバンクから支付宝のアカウントへ送金をして、そこから支払いをすることになる。この支払いに至るまでの過程が意外に煩雑で、インターネットバンクのユーザー名、パスワード、支付宝のパスワード、と入力するものが多い。あらかじめ支付宝へまとめて振り込んでおけば、支払い時には支付宝のパスワードだけで済むのだけれども、それにしてもあまり大金を利子の付かない支払宝に入れておくのも馬鹿らしい。また、一定の金額以上をインターネットバンクで振り込むためには、USB暗証機器を使わなければならないから、それも手間だ。銀行によっては日本語Win7に対応しておらず、USB暗証機器が使用できないケースもあるから、その場合にはわざわざZのパソコンのところまでいかなければ処理が出来ない。
 支付宝でも、インターネットバンクを使うときの煩わしさは理解していたらしくて、昨年辺りから「ショートカット支払」というシステムを用意し始めた。このシステムは中国の銀聯が提供している「
在線支付」というシステムとほぼ同じで、キャッシュカードの暗証番号だけでインターネット上の振込みができるようになっている。送金可能な金額は、インターネットバンクの高グレートの無制限ほど多くはないが、USB暗証機器なしで使用できる低グレードのものよりは多くなっている。大変便利な機能であるが、現在のところは申請にあたって中国の身分証明書番号が必要で、外国人は一般には申請できない。だから、これまでは使用せずにいたのだけれども、最近Zも淘宝のアカウントを作って買い物をするようになったので、Zのアカウントに関しては、この「ショートカット支払(快捷/直通)」システムを使うことにした。
 インターネット上で申請が可能であるが、送金可能金額をより大きくするためには、銀行での手続きが必要だ。今日はその手続きに行ってきた。窓口へ行く必要はなく、カードのパスワードを変更したりする専用の機器を使ってやるだけなので、並ぶ必要もない。キャッシュカードとキャッシュカードの暗証番号と身分証明書番号があればできる。(銀行によって、手続き方法が異なるかもしれない)。5分ほどで手続き完了。これで、今後は支払いが一層簡単にできるようになった。
 インターネットバンク機能は銀行によって手続きや利用方法が異なりすぎるし、本人向けの送金という機能だけに限ると不必要と思われるほどセキュリティが高い。だから、インターネットバンクの高グレードと低グレードの隙間をつくように、このようなサービスが生まれたのだろう。この方式が普及すると、低グレードのほうのインターネットバンク機能は、残高照会のみに限られるようになるかもしれない。中国のインターネットサービスも変化が速くてついていくのが大変だが、便利さもどんどんアップしていくから、なるだけ使いこなせるようにしておきたいものだ。