6:20起床。
痛タタッ。首筋の痛みで目が覚めた。一晩寝ればもう治ってるかもと思っていたのに甘かった。昨晩よりも悪化している。なぜだ!油断して温熱シップを剥がして寝たのがいけなかったのか。首をもたげて起きることができず、まず寝返りを試みる。痛タタッ。寝返りすら辛い。なんとか身体を裏返して、腰の力で起き上がった。ぐぐぅ。痛みが右肩から背中の半ばぐらいまでに広がっている。運動どころの話ではない。参った。今日もカップリング、低周波治療器、首ストレッチ器具を繰り返す1日となりそうだ。いい加減に治ってくれないと。
さて、無職生活も、とうとう5ヶ月目に突入した。首を負傷した状態での突入だから、正直あまり気分がいいとはいえない。運動もストップしてしまっているし。それでも、数の上では順調に伸びてきているから、再開しさえすれば、運動上の目標である6セットは近い。目安としているスクワットがあと少しで合計300回/日に届くのだ。4ヶ月の成果としては悪くない。中国語のほうも、中級編の第4課を始めている。こちらは運動ほどには順調ではなく、ヨタヨタ気味だ。高級編のときに比べて会話で使える単語や文法が多いから、やりがいがあるのが救いだ。高級編のときよりも2倍ぐらい丁寧に勉強をするように心掛けている。
無職生活をやるにあたっての最大重要課題である節約生活のほうはどうか。恥ずかしながら、全く達成できていない。ブログでしばしば拝見する節約家の方々の達成状況をみるにつれ、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。「私には節約などだいそれたことは無理のようです」と宣言しなおしたくすらあるが、無職の身の上では、そのようなわけにもいかない。
節約で一番うまくいっている部分は、商品のランクダウンである。現在は、食用油、トイレットペーパー、卵、皿洗い洗等で、ブランドをランクダウンできるものは極力ランクダウンさせて買っている。そうは言っても、ダウンさせすぎては、品質上の危険があるから全く名が知られていないものは買えない。一ヶ月で買う量も知れているから、金額効果としてはたいしたことがないだろう。
効果が大きいといえば、日常の野菜や肉をデパートのスーパーではなく、市場で買うようにしてもらっていることのほうが大きいかもしれない。スーパーと比べると、全てにおいて半分ぐらいの値段となるからだ。肉のほうは、本当のことをいうと、デパートのほうが安心だなという気持ちもあるのだが、値段差を考えると無職生活である限りにおいては選択の余地がなくなっている。味も市場のもののほうが美味しいからなおさらだ。
節約の効果を削いでいるのは、まずは食事量だろう。食事量は減っていない。会社の安い食堂を利用しなくなった分、コスト的には増えているといってもいいぐらいだろう。それと、今でもマクドナルドを食べたり、ケンタッキーを食べたりと、ファーストフードも良く食べる。これでは節約もなにもない。全く困ったものだ。
そして、娯楽だ。最初の頃こそ、ダウンロード商品の購入を抑えられていたけれども、今月に入ってからはダムが決壊し始めているような状態だ。放っておいたら、日本から書籍を取り寄せるようなことも始めかねない有様だ。これはいけない。さらに、最近は旅行に出かけたい気持ちも高まっている。旅行にまで行き始めたら、一ヶ月の費用が跳ね上がる。これだけはなんとしても、抑えなければ。そうは思うのだけれど、「旅行に行かないのだったら、何のために中国にいるんだ?」という悪魔の囁きが度々聞こえてくる。「そうだよなぁ」と思わず答えてしまうのだ。
しかし、このままズルズルといったら大変なことになる。そろそろ覚悟を決めて、家計簿の見直しをするしかなさそうだ。・・・できるかなあ。
7:00起床。
首の調子もだいぶ良くなってきた。しかしまだ、あちこちの筋肉がつっぱる。その度にカップリングで緩めてやらなければならない。笑ったり咳をしたりすると、首の根元辺りに痛みが走るぐらいだから、まだ運動にとりかかるわけにはいかない。もうしばらく我慢する他ないだろう。運動できないのはある意味嬉しかったりするのが困ったところだ。
昨日、イオンが2012年度の新規採用予定約3000人分のうち3分の1に当たる1000人程度を中国、東南アジアを中心とする海外で採用するという記事を読んだ。昨年、楽天に続いてユニクロのファーストリテイリングが社内公用語を英語化するということが話題になったこともある通り、企業のグローバル化の波は止まることなく進んでいる。
グローバル化が進む要因には様々なものがあるだろう。交通機関の発達やインターネットの普及で世界が狭くなってきていること。世界経済の急速な発展にともない資源開発が激化していること。企業間競争の激化に伴い、人材の多国籍化が求められていること。様々なことが想像されるものの、私には根本的な原因はわからない。目先の動きとしては、円高により、国内の高コスト労働力では企業活動がまかなえなくなってきていることや、世界の市場として中国が圧倒的な力を持ち始めていることなどが重要な要因だろうと思う。日本の企業にとっては価格競争の激化がグローバル化を促す大きな要因になっているのは間違いないだろう。円高によってますますコストに対する圧力が高まってきて、企業努力で圧縮可能は範囲を超えてきた。もはや海外の労働力を利用するしか選択の道がなくなっているのが現実だ。
このようにグローバル化が進んでいくのは消費者にとっては悪いことではない。海外製にせよ、国内製にせよ、グローバル化した競争にさらされた安い労働力によって作られた、高機能、低価格な製品が手に入るからだ。デジタルカメラはその極限にあるし、携帯電話もそうだ。しかし、消費者でありながら、同時に労働者である人にとっては、品物は安くなれども、給料も安くなっていくのだから、メリットとデメリットが相殺されて意味がなくなってしまう。それも、困窮すればするほど、電化製品等にお金を回す余裕がなくなってくるわけだから、低価格なった製品の恩恵すら受けられなくなってしまう。残されたのはデメリットだけだ。この点だけで言うと、より富裕で労働に携わる必要のない人ほどグローバル化のメリットを受けられることになる。
現在の日本では、企業が生き残るためには、非正規社員を増やして安い労働力で製品を作るか、非正規社員を切り捨てて海外の安い労働力を使うしかなくなってきている。このようなことが長く続くと、社会はどうなるのだろう。現在は、総中流社会であった頃の親の資産を食い潰して生きていける人がいるが、次の世代ではそれも不可能になる。そうなれば、富裕層と貧困層の差は将来はもっと際立ったものになっていくことだろう。社会に不満を持つ人たちによるデモや生活に我慢できなくなってきた人が犯す犯罪も増えることだろう。これだったら、グローバル化などせずに、みんなで貧しくなったほうが幸せだと感じる人たちだって出てくるに違いない。そうなった時の日本社会というのはどんな姿なのだろう。恐ろしい未来が待っているような気がする。
7:20起床。
7時に一旦起床して、身体の状態をチェックした。昨晩まで残っていた首の付け根の痛みは消えた。良かった。だが、右肩からわき腹にかけての痛みはまだ残っている。あと一歩のところまで来ているものの、運動は無理だ。ちょっと嬉しく思いながら、もう一度眠りについて起きたのが7:20だった。もともと運動がさほど好きでない私にとって、負傷という正当な理由で運動が休めるのは非常に嬉しい。一方、再開する時には、休んだ期間が長ければ長いほど苦しさが増すわけだから、先のことを思うと暗い気持ちになる。一週間ぐらいの休みならば、やや過負荷気味で筋肉に疲労がたまった状態にあった私の身体には良い面もあるだろうが、それ以上はまずい・・・。そろそろ治ってくれないと。
今日はZが外出しているから、お昼は自分一人でとらなければならない。まずデパートのスーパーで買い物だ。歩いて向かうデパートのすぐ手前で、ラクダに遭遇した。いくら中国とは言え、砂漠でもない限り、ラクダがうろついていることはない。見世物用のラクダであり、怪しげな、髭をはやしたおじさんが綱をひいていた。背が高いところからすると、新疆人だろう。午後からこの辺りで商売をやるつもりなのかもしれない。猿の曲芸師はよくやってきて、ここで商売をしているのだけれども、ラクダというのは珍しい。ラクダにたいした芸ができるとは思えないから、せいぜい、背中に乗っていくら、写真をとらせていくらのような商売だろう。そこかしこの観光地でよくみかける商売だ。こんなところまで出張でくるなんて、よほど商売が暇なのか。或いは、蘭州ラーメンとやっている親戚のところにでも遊びに来ただけだということも考えられる。
私とZは新疆や内モンゴルに旅行にいったときにラクダに乗った。内モンゴルのときは、よく躾けられた大人しいラクダだったけれども、新疆のときのラクダは、何が気に入らないのか、「ウォオォン、ウォォ~ン」と吼えまくって大変だった。Zが半泣きになって、「もう降りる、やだ私!」と騒ぐのを懸命になだめて砂漠の山を登っていった。楽しい思い出だ。
さきほどラクダがうろついていると書いたが、そもそもラクダは砂漠をうろつくものなのか。野良犬のように砂漠をうろうろしているのはなかなか想像しがたい。餌だって簡単にみつからないだろうし。しかし、飼われているラクダだってもともとは野生だったんだろうから、やはり野生のラクダだっているに違いない。さっそくインターネットで調べてみた。
すると、ラクダにはヒトコブラクダとフタコブラクダの2種類がいることがわかった。ヒトコブラクダに関しては、現在ではもとからの野生というのはいないらしい。しかし、一旦家畜化されたヒトコブラクダが、人の手を離れて再度野生化しているものが、オーストラリアと中国に相当するいるということのようだ。フタコブラクダはゴビ砂漠に数百頭の野生種がいる模様だ。
オーストラリアで野生化しているラクダはなんと120万頭以上もいて、草を食べつくしてしまう等の自然破壊の原因になっており、殺処分が検討されているとのニュースが昨年中ごろに流れている。環境さえ整えば、繁殖力は強いのだ。近所の中華料理屋でも、普通の料理と変らない値段で、ラクダ肉料理が出されていて不思議に思っていたのだが、あれが本物だとしたら、オーストラリアからの輸入品だということもあるだろうか。
デパートのスーパーは平日のお昼時とあって、ほとんどお客はいなった。お菓子、鴨肉、ラージャオ(天車ブランド)、卵等を買った。帰りに1Fのマクドナルドでビッグバーガーセットを購入。春節が明けてセット価格が1RMBぐらい上がっていた。今年も深センの最低給与が引き上げられるというから、物価の上昇は止まらないことだろう。景気が減速しているということだから、それほどひどい物価上昇にならないことを期待したい。
8:10起床。
本日も運動ができなかった。昨日と変らずか、むしろ昨日よりやや調子が悪いくらいだ。右肩を中心に痛みが残っている。朝は調子悪くとも、体が温まってきた昼頃は、痛みが気にならないぐらいに回復するようだから、最初は昼頃に少し運動を始めてみるのもいいかもしれない。慌てて始めて悪化してしまっては元も子もないから、慎重に始める必要がある。
春節が明けてから、淘宝でいくつか品物を注文した。南方の暖かい地方からのものは、比較的スムーズに届いているが、北方からのものは発送はされているものの、途中で止まってしまっている。春節が明けて注文受付処理は始まっているものの、物流のほうがついていっていない感じを受ける。雪の影響もあるだろうし、物流関係は離職率も高そうだから、その辺りで混乱が起きているのかもしれない。他にも北方だからの要素が何か存在する可能性もあるが、今のところは想像がつかない。
先日、「女拳」を見終わった。ドラマ前半の善人代表の黄飛鴻と悪人代表の唐乙恒がすでに命を落としてしまっていたため、ドラマ後半はやや気の抜けた感じになったのが残念だ。黄飛鴻の存在が偉大過ぎて、本来の「女拳」の莫桂蘭を描ききれなかったように思われる。また、最後の悪玉となった三水が最初は愚かではあるものの、無邪気な青年に過ぎなかったのに、なぜ大悪人として死なねばならなかったのかが、今ひとつ釈然としなかった。それでも、黄飛鴻については非常によく演じられていたし、格闘場面も真面目に作られていたから、十分に楽しめた。
現在、見始めているのは「双城生活」である。ここしばらく観ていた歴史もの、武術もの、1980年代ものと違って、現代を描いたドラマだ。若い上海人の男性と北京人の女性が序盤早々に両親に黙って結婚してしまう。二人とも各々の地元に仕事があり、両親がいるから北京と上海を行ったりきたりで物語は進んでいく。私の好きなタイプのドラマとは言えないが、ずっと過去ものばかり見てきたから、気分転換にはいいと思う。
また、この物語は上海人と北京人の相違を中心に話が構成されているだろうから、中国人が上海人をどうとらえているのか、北京人をどうとらえているのかもよくわかることだろうから、勉強になる。男性役を演じている塗松岩は昨年観た「老馬家的幸福往事」に出演していた。女性役の馬伊璃は記憶に残っていなかったが、紀暁嵐2に出演していたようだ。Zによると、かなり有名な女優らしい。実際、演技が輝いてて、同じ若者を演じていても塗松岩よりも輝いている気がする。もっとも、こういう男女関係ドラマであれば、女性のほうが有利だろうから、これだけではなんとも言えない。まだ見始めだから、今後、どのような展開になるのか全く予想がつかず、先が楽しみだ。
6:30起床。
ベッドから出るとすぐに体のチェックをした。ぐるぐると手を回す。首を動かす。問題なく動く。両肩にわずかに張ったような力を感じる以外は正常といっていい。これなら運動を始めても大丈夫そうだ。記録をみると、先月の29日から運動を休んでいる。念のために今日もお休みにするから、8日間休んだことになる。今回は風邪ではないから、体力そのものは落ちていない。しかし、慌てずにゆっくり元の数に戻していくとしよう。
今日は午前のうちにZとともに理髪店に行った。髪はすでに大分伸びてきていて、とうに切らなければならない時期にきていた。春節の間は、この地方独特の習慣で、理髪店の料金が2倍、3倍に跳ね上がるから、春節が終わるのを待っていたのだ。料金は25RMB。前回は20RMBだったと思うから、それでも5RMB上がっていたことになる。時期のずらし方がまだ不足していたのか、春節を機に値段を上げたのか、どちらかだろう。当分はこの店に通うことになるから、次回行ったときに答えがわかる。
今日のYahoo!Japanに、パチンコホールの倒産がピーク時の3分の1に下がったという記事がった。ピーク時の2007、2008年は72件で、今回(2011年)は22件だったのだそうだ。原因としては、過去の倒産で淘汰が一巡したことと、節電により大ホールが休業したため、お客が中小のホールに流れたことが上げられていた。
中国に生活していて、私がネット上でパチンコ屋に関して触れるのは、だめブログを書いていて、スロットやパンチコにはまっている人たちのことが大部分だ。ついで、漫画などで読む闇金にはまったパチンコドランカーの人たちの話。最後に、パチンコやスロットに夢中になって子供を車に置き去りにしたまま死なせてしまった人たちのニュースである。だから、日本にいたときよりも、パチンコやスロットに対するイメージが格段に悪い。実は、スロットに関しては、私自身もマカオで楽しんでいるのだけれども、日本のスロットとは別物といった区分けが私の頭の中でなされているようだ。
イメージは悪いけれども、マカオに行っているぐらいだから、私自身ギャンブルは嫌いではなく、大好きといっていい。稀にしかないのだけれども勝った時の嬉しさは天にも昇るような心地で、世界がキラキラしてみえる。あのような快感が多くの人をギャンブルに走らせるのだろう。しかし、結果だけをみれば、私を含む多くの人がお金を無駄に失っているわけだから、害悪が大きい。そのお金の行き先を考えればなおさらのことだ。
ギャンブルを一つの娯楽としてみれば、お金を使うのも当然で、漫画を買って使う1万円とスロットをやって使う1万円は同じことなのだろう。しかし、ギャンブルの習慣性は他の娯楽よりも強いから、麻薬のように生活を蝕んでいく。ギャンブルのいけないところは、リターンがお金で返ってくるというところにあるのかもしれない。いっそのこと、パチンコやスロットのリターンは、楽天の電子ポイントになるとか、自動的に10年定期預金になってしまうとかしたらどうだろう。そうすれば、ギャンブル熱もいい具合のところで収まったりはしないだろうか。
もっとも、そうなったら、楽天ポイントの換金システムができてしまうだけで実質は変らない。クレジットカードで商品を買ったことにして換金できるシステムがあるぐらいだから、それぐらいのことは容易になされてしまうことだろう。定期預金にしたところで、それを担保にお金が借りられれば意味がない。何よりも、ギャンブルを求める人たちの心が癒される方法でないから、最終的な問題解決には至らないのだ。
何が多くの人たちをギャンブルに駆り立てるのか。或いは、何がギャンブルを巨大産業化させていくのか。このような問題を別の機会に考えてみたい。
7:30起床。
昨日は良くなったと感じた首の辺りにまた違和感があったから、今日も運動は止めておくことにした。昨日、部屋の掃除をしていて、重いボックスをいくつか持ち上げたのが響いているのかもしれない。念のためと安全をとる気持ちと、もしかしたら運動イヤイヤ病ではないかとの疑念が入り混じって、しっくりとしない。困ったことだ。
部屋の掃除で一番困るのが、本の始末である。日本から取り寄せた小説や香港で買った日本の漫画等は、輸送費を含んだ高い値段で買ったということもあって、なかなか捨てられない。私は同じ本を繰り返し読む人間ではないし、特に思い出深い本を除いては大切にも扱ったりもしていない。だから、捨てられないのは、高くかったからもったいないの一念に過ぎないのだ。万一また読みたくなったら、輸送費を含んだ1.5倍の金で買わなければならない。そんな万一のことなんて、万に一つもないとわかっていても捨てられない。結果として、本が部屋の隅に積みあがっていくことになる。
職を失ってしまっているという現状を考えると、良い方向に行くにせよ、悪い方向に行くにせよ、この地にずっと留まっていることはまずありえない。遅かれ早かれ、引越しが必要になるだろう。そのときに、これらの本も一緒に抱えていくのは明らかに無駄である。引越しに要する手間も増えてしまう。そう考えると、何とか処理しておいたほうがいい。残された手はただ一つ。日本で近年問題になっている自炊だ。自分で持っている本をスキャンしてコンピュータデータ化してしまえばいいのだ。そうすれば、掃除のときの悩みの種も一つ減るというものだ。
しかし、現実に自炊をやるとなると、オートフィーダー付きのスキャナーも必要になるし、裁断機も必要になる。スキャナーはともかく、裁断機のほうは、それなりの値段がするだろうし、何よりも自炊が終わった後に、使う当てがない。それでも、現在本が占めている面積を考えると、裁断機が占める場所など微々たるものだ。今後も、買う本、買う本、全部スキャンしてしまえばいいのだから、決して損な買い物ではないかも。
インターネットで調べてみたら、中国製であれば10,000円弱で十分な裁断機が手に入るようだ。400枚を一度に切れるらしい。日本で10,000円で売っているのなら、中国の現地であればもっと安く手に入れられるはずだ。安くというよりも、同じ値段でもうちょっとランクの上のものを買うことを検討しよう。しかし、収入がない身では、わずかな出費にも心が痛む。仕事があるときに、コツコツやっていればなあ。時間はあることだし、じっくり検討するとしよう。
7:00起床。
マイクに餌をやってからひとしきり悩んだ後、ようやく運動にとりかかった。今日のところは各20回ずつを2セットだけにしておいた。まずは継続してやる習慣を取り戻すことが優先だ。増やすのを容易にしておけば、明日とりかかるのも楽しみになる。明日は30回ずつ2セットやることにしよう。そのうちに、柔軟体操と冷水摩擦もやる気になることだろう。柔軟体操や冷水摩擦は筋力運動と密接な関係あって、筋力運動をやって十分に身体が暖まっていないと、柔軟体操をやるのも冷水摩擦をやるのも辛くなるのだ。
もう首の調子は、ほぼ治ったが、ずっとパソコンに向かっているとコリが出てくる。まだ100%の復活ではないようだ。完全に治ったとしても、毎日とはいわないが、数日に1回ぐらいは首ストレッチ器を使ったほうがよさそうだ。そうでないと、首にプレッシャーをかける運動が怖くて出来なくなる。そもそも、運動全体が自己流だから、筋肉がついていくバランスがあまりよくないのだろう。そんな風にも思う。
中国語の学習は、中級「冲刺」編の第5課に入った。消化しやすいレベルの内容だから、30分ぐらいでも本文、副文、単語リスト、文法の一通りを復習できるのがありがたい。いわゆる成語が各課に6,7個含まれている。中級「冲刺」編は上下巻で合計22課あるから、だいたい150-200個ぐらいの成語が出てくることになる。なんだか少ないような気もする。まだ、前半の部分しかやっていなから、はっきりとしないが、中級編と高級編の差が恐ろしく大きいようにも思える。高級編も最初の部分はさほど難しくなかったから、中級編も後半急にレベルが上がっていくのかもしれない。今のペースでのんびりやっていくと中級編の2冊を終えるだけでも3,4ヶ月はかかりそうだ。あまり無理をすると途中で嫌になってしまいそうだから、このままゆっくりモードで頑張るとしよう。
会社を退職して中国語を勉強し始めてから4ヶ月以上経っているが、果たして上達したのか。話し相手がZしかいないからよくわからない。日常会話だと単語単位で話ができてしまうからだ。最近一番中国語を使うのは、淘宝で使うチャットソフト上での店主とのやりとりだが、これも単語単位で会話ができてしまうから、中国語力の測定に役立たない。中国語ドラマを見ているときに、わからない部分があると巻き戻してみることがあるのだが、この回数が最近減ったような気がしないでもない。ただこれも、気のせいだということもありうる。なにしろ、Z以外とは話をすることすらない状況だから、話すことに限って言えば中国語力が衰えている可能性すらある。テキストの朗読を頻繁にやっていることで、この会話不足分をどのくらい補えるかが鍵だろう。今は基礎力をじっくりと蓄えて、いつかやってくる実践にじっくりと備えるしかない。どのような結果が待っているだろうか。
7:00起床。
今日は各30回ずつを2セットやった。やっているときは何でもないのだけれども、終わってしばらくすると体に負荷がかかってくるのを感じる。9日間さぼってしまったツケは高い。もとの数に戻すのに本当に月末までかかりそうだ。
先日のYahoo!Japanの記事に、日本の技術が米国や韓国に遅れをとり始めているといった内容の記事があった。有機ELテレビにおいて、最初に発売したのはソニーであったが、大型化に関してはサムソンに先行されてしまっていおり、また、スマートフォンに関しては米アップルに大きく水をあけられているといったものだ。
その数日前にもソニーに関する記事があり、トリニトロンで世界を席巻したテレビ事業も8期連続の赤字になってしまっていると書いてあった。ハワード・ストリンガー氏から平井一夫氏に経営が引き継がれたばかりであるが、ハワード・ストリンガー氏の時代に、ソフト偏重の経営が行われ、そのことが重しとなっているとあった。ハード部門では長い間リストラが繰り返され、人材がソフト部門に固まっていてこの遅れは容易なことでは取り戻せないということだった。
技術の低下ということが話題になると、過剰品質という言葉が思い出される。特に新興国市場における販売においてニーズ以上の機能を載せた高価格の日本製品はそのままでは売れず、よりシンプルな形にして販売したほうがよいという方向でニュースになっていた。改めて調べてみると、YKKのファスナーに関する記事などもあった。YKKと言えば、ファスナーの品質に徹底的にこだわって、世界の市場の大半を手中にした企業である。このYKKにおいても新興国向け(ARCブランド)には、品質を落として安い商品を提供するということをやったようである。
技術力の向上と過剰品質の抑制というのは、必ずしも矛盾するものではないだろう。しかし、この二つを両立させるのは、並大抵のことではないと思われる。考えてみると、先に述べた記事にあったサムソンにしろ、米アップルにしろ、指導者が独裁的なまでの力をもって行動し、企業全体を牽引していっての成功である。双方の企業とも、近い将来の中、経営体制に変化を迎えざるえない状況にあるから、これまでの成功が引き続き続く保証はない。
昨日は、トヨタ自動車の伊地知隆彦取締役専務役員が、日本でのモノづくりについて「圧倒的な技術力を持って戦うには、国内にこだわらざるを得ない」との考えを示したとのニュースがあった。円高でますます国内生産が厳しくなっていくなかでも、技術を維持していくには国内での物づくりを続けていかなければならないということだ。
しかし、国内での生産といっても、労働の担い手は正社員から派遣社員へと変りつつつある。私が好きなだめブログの一つに派遣で働いているプログラマーが書いたものがある。その中で最近書かれたものの中に、派遣社員は汎用的なプログラム言語の知識はあるものの、その会社固有の状況とかを詳しく知っているわけではなく、そのような状況で高い品質の製品が作れるわけがない、とあった。いくら設計全体を正社員がみているにせよ、細かい部分を作っているのは派遣社員である。建築士が立派でも大工がへぼでは意味がないとのことだった。
さて、販売する商品や企業の経営体制、労働の質によっても異なる技術とコストの二つの間に存在する正しい解の位置はどこにあるのだろうか。
5:45起床。
Zが早朝6時に出発するというので、早めに起床した。運動は各30回ずつを4セットやった。柔軟体操と冷水摩擦はなし。Zを見送って、食事を済ませたところで強烈な眠気に襲われた。ベッドに戻ってバタン・キュー。目を覚ますと9:10になっていた。身体全体がだるい。2セットから4セットへ一度に増やしたのは、やや無理があったようだ。数日はこのままの数で様子を見ることにしよう。
今日はマクドナルドでお昼にした。いつもはビッグマックなのだけれども、今日は新メニューが出ていたからそれにした。新メニューといっても、ダブルバーガーにマッシュド・ポテトを加えたバリエーション・バージョンなのだ。それでも、なんとなく気持ちが引かれる。マクドナルドはこうした細かいバリエーションを作るのが上手だ。ケンタッキー(中国)も、鶏肉の素材を生かした小さなから揚げとポテトとか野菜を混ぜたバリエーション・バージョンを作れば、現在のような複雑なメニュー形態にしなくても良いだろうにと思う。
今日のYahoo!Japanでは、カード現金化商法の融資に関する記事があった。このサービスの利用者の多くはネット上の広告を見たことから利用を始めていることから、ネット上の広告を阻止するべく、警視庁が日本クレジット協会などに働きかけを行っている模様だ。試しに「カード現金化」で検索をかけてみると、1ページ目にずらっと現金化の業者が出てくる。各々の業者のホームページも立派なものだ。明るく、親切で、とっつきやすい。とても違法行為であるようには見えない。
クレジットカードで商品を購入→利用者はクレジットカード会社に債務が生じると同時に商品を手にする→その商品を業者が一定の割合で買い取る→利用者が現金を手にすることができる。このような仕組みで業者は潤い、利用者は現金を手にすることができることになっている。サイトを開いている業者と買取業者が同一であるという点や実際に商品が動いていなかったりする点での違法性を問うことはできるだろうが、抜け道を探すのはさほど難しいことではなさそうだ。売りと買いを別々のサイトで行ったり、ある程度の商品を動かしたりすれば、通常の商行為となんら変るところがない。
もちろん、そういうことをやれば換金率が悪くなるということはあるだろう。しかし、このサービスの利用者は、クレジットカードのキャッシング枠を使い切ってしまい、経済的に行き詰まった人たちだというから、換金率がどうのこうのを問題にする段階にはないだろう。現金化できるものであれば、何でも利用するのだろうから、他の方式との比較にもならず、手持ちにある手段の一つとして容易く利用されてしまうに違いない。
このクレジットカード現金化商法は1990年代からすでに存在していたのだそうだ。ヤミ金融に対する法律が厳しく適用されるに従って広がってきたのだという。インターネットでのショッピングが一般的になってきたことも、利用者の増加に拍車をかけたに違いない。また、こうした商売をやるためにはネットに関する知識をもった人間が不可欠である。現在は、かつかつで生きているWebプログラマーに事欠かない。こうした状況も、ヤミ金融がカード現金化商法に手を伸ばし易くしているのだろう。
ネット広告を阻止することで、一時的に効果は得られるだろうが、現在は口コミで情報が伝わるサイトはいくらでもある。長期的な効果は疑わしいところだろう。クレジットのキャッシング枠がいっぱいになって行き詰まった者が利用するサービスであれば、キャッシング枠がいっぱいになったら自動的にショッピングもできなくしてしまえば良さそうにも見えるが、そうもいかない理由があるのだろう。解決が困難な問題である。
7:00起床。
やはり体がだるい。いきなり4セットにしたのは無理があったかも。一旦、2セットに戻すか、せいぜい3セットにしておくかにしよう。そう考えながら、運動を始めてみた。すると、意外に身体が動く。30回ずつではあるが、4セットをさほど苦にせずにやることができた。しかし、まだ柔軟体操と冷水摩擦までは気持ちがいかない。もうしばらく時間が必要なようだ。
9時ごろ、深セン市内へ向かって出発。親戚の子供が遊びに来ているため、Zはその面倒を見るために家に残った。いつもZと一緒に出かけているから、バスの路線番号とかをろくに覚えておらず、確認してから家を出た。地下鉄に接続している主なバスは2つあって、一つは「空港東」停留所に、もう一つはその次の「後瑞」停留所に停車する。たまたま最初にやってきたバスが後者のバスであったため、乗車したものの下車駅の名前を忘れているのに気づいた。「空港東」停留所だったら、終点だから間違えることはないのにと悔やんだものの、時すでに遅し・・・。
切符売りのスタッフに確認するしかない。ところが、乗客のうちの一人が切符売りスタッフが口論を始めだした。目的地で降り損ねて、スタッフに八つ当たりをしているのだ。この辺りのバスは、下車する際に誰も声を上げないと、誰もいない停留所は素通りしてしまうことが多いのだが、それを知らなかったらしい。真っ赤な顔をして怒鳴るものだから、スタッフも全力で応戦して険悪な雰囲気になった。とても、質問ができる状況ではない。
しばらくすると、地下鉄の路線が見えてきたから(空港に接続している地下鉄は途中から地上に出る)適当なところで下車をした。だいたいこの辺りだったろうとうろ覚えで降りたが大はずれ。目的の停留所の二つも手前で下車してしまい、20分ぐらい歩くことになった。幸い、厚着をしてきたから、冷たい空気も気持ちよく感じられるぐらいだから良かった。この次は間違えないように、バス停の名前をしっかりと記憶に止めた。
用事はすんなりと済んだから、そのままUターンで帰宅。Zたちはすでに食事をしていたから、私はマクドナルドの新メニューを昨日に引き続き食べることにした。昨日は気づかなかったけれども、ポテトだけでなく、ベーコンも入っている。香ばしくて美味しい。バーガーキングと比べさえしなければ、十分に満足できる味だ。ソースの味がビッグマックとは異なるようだ。ケンタッキーも、このソースのバリエーションをもう少し増やしてナン包みチキンの臨時バージョンを時々売れば良いのにと思う。ライス付きバージョンにそれなりの人気がある以上はそちらに気を使う余裕はないか。
5:30起床。
ようやく身体のだるさも消えた。らくらく4セット(ただし、各30回)をこなすことができた。柔軟体操、冷水摩擦も始めた。グルグル8の字ストレッチもきちんとこなした。首へプレッシャーをかける運動だけはまだ怖くてできない。そもそも、急に首の調子が悪くなった原因がまだわかっていない。時期的にはグルグル8の字ストレッチを始めたことと関係があるような気もする。自分で考え出した奇妙な体操だから、どうなんだろう・・・。とりあえずは、首伸ばしストレッチ器を定期的にやるようにして補正するようにしていくつもりだ。
今日の昼はめずらしく、Z以外の中国人と食事をした。そこで、アンドロイド携帯のソフトを使う面白い技を教えてもらったのでここに記しておく。すでに日本のネットショップ利用者には一般的な機能なのかもしれないが、私は初めて見た。まず、アンドロイドの携帯電話で、淘宝の検索画面を起動。そして、検索したい商品を携帯電話で撮影・・・。すると、その商品と同じものが自動的に検索され、リストアップされるというものだ。画像による画像検索機能といったところだろう。すでにそこにあるものを淘宝で探す必要はあまりなさそうだから、実用性は微妙だ。しかし、物の値段を知りたいときとか、これを淘宝で買ったらいくらになるのだろうとか考えたときには役に立ちそうだ。携帯電話でキーワードを入力するのも、面倒等言えば面倒だから、その点でも省力化が期待できる。詳しいソフト名とかを聞いてなかったから、自分のアンドロイド携帯にインストールするにはネットでもっと詳しい情報をゲットしなければならない。ソフトの機能からすると淘宝自身が提供したものだという可能性もある。普通のPCから淘宝にアクセスした場合でも、画像さえあればこのような検索がかのうなのだろうか?暇なときに調べてみるとしよう。
最近、GIMP2という無料の画像処理ソフトに夢中だ。以前からバナーなどの作成には利用していたのだが、他の機能についてはこれまでは全く知らなかった。ここしばらく機会があって、いろいろと文字やら画像やらをいじっていたら、どうしても変更を加えたいことが出てきて、試行錯誤ながらトライしてみた。すると、本当にたくさんのことができる。
一番感動したのが、背景の透明化処理だ。グラフィック上に文字を書きたいときなど、OfficeのPowerPointやExcelのアート文字機能で文字を作って貼り付けるのだが、このとき文字以外の部分をあらかじめ透明にしておく必要がある。そうしないとテキスト枠の形がそのまま貼り付け先に残ってしまうからだ。これはテキスト枠を白色にしていても駄目だ。背景の透明化処理というのをやらなければならない。グラフィックの処理に詳しい人なら、こんなことは簡単にやってしまうのだろうが、私は全くの素人だからネットで調べるしかない。
調べた結果、PowerPoint等のOfficeソフトに背景透明化処理というのがついていることがわかった。しかし実際にやってみると、思ったほど綺麗に透明化できない。Officeソフトのアート文字機能でつくった文字は、立体化をするために白色や曖昧な色を文字の周辺にもちいるため、透明化する部分をソフトが自分で判断できないのだ。手動で訂正はできるのだけれども、手間がかかり過ぎる上に、結局は不完全なものしかできなかった。他にもフリーソフトをいくつか使ってみたのだけれども、やはり上手にできなかった。AdobeのPhotoshopを使えば、綺麗にできるらしかったのだけれども、高価な有料ソフトだから、手が出ない。
しかし、Photoshopに出来るのならば、GIMP2にも同じような機能があるのでは?と考えて、メニューの項目を一つずつたどっていった。すると、本当にあったのだ。背景を透明にする機能が!しかも、自動的に
立体化された文字の部分を綺麗に抜き出してくれる。PowerPointであれだけ苦労していたのが嘘みたいだった。
もう一つが、文字の変形である。Officeソフトにも文字の変形機能があるが、選択が限られていて自然なぐにゃぐにゃ変形というのはできなかった。もちろん、センスのある人ならば手動で変形していくことも可能なのだろうけれども、私にはとてもではないができない。ところが、これもGIMP2ではあっさりと可能になった。文字を波や風で揺れているように軽々と変更できるのだ。背景のグラフィックすら変更できる。びっくりの一言だ。
最後にほこりの除去である。デジカメで撮影した写真映像に、ほこり等が写っていることがある。これを取り除く必要にかられたのだけれども、どうやっていいのかさっぱりわからない。そこで、GIMP2の使い方を解説しているサイトで勉強をしてみた。すると、修正ブラシというのがあって、それでゴミ取りができるとのこと。本当かなー?と半信半疑ながらトライ。おおっ、本当に綺麗に消える。瞬く間に写真が綺麗になった。これに関しては、それこそPhotoShopを買うしかないかと半ば決めかけていただけに実に嬉しかった。
まだまだ知らないことがいっぱいあるGIMP2ソフトだが、少しずつ使い方を覚えていきたいと思う。
7:00起床。
相変わらずとりかかり時に躊躇いが頭をもたげてくる。とにかく始めてしまえと自分にはっぱをかけて、運動開始。あっと言う間に4セット終了(各30回ずつ)。柔軟体操と冷水摩擦も順調にこなした。明日からは、各30回のままで6セットにトライしようかと思っている。腕立伏せ以外は30回だとやや物足りないから、4セットだけにしておいて、腕立伏せ以外を各50回にするという手もある。どちらにするかは、明日やりながら決めるとしよう。
数日前のYahoo!Japanで、レストランで料理の写真をとるのがマナー違反なのかどうかという記事があった。一般のほとんどの携帯電話にカメラ機能がついていることもあるのだろう。アンケートでは、外食の際に料理の写真をとることがあると答えた人は42.5%にも上ったそうだ。記事によると、欧米人は一般に料理だけの写真をとることをマナー違反だと捉えているそうだ。日本人のほうは、フラッシュなど周囲に配慮をすることを前提に許容する人や断固反対といった人やらで賛否両論といったところのようだ。実際にとったことのある人が42.5%にも上るのだから、賛否両論の結果も頷ける。
さて、このホームページ「華南の靴」には至るところに料理の写真がある。特に初期の頃は、中華料理100品を目指して頑張ったものだから、食べる先、食べる先で、料理の写真をとりまくった。それと同時に、旅行先でも食事の度に料理の写真をとっている。私自身がこれをマナー違反かと考えているかというと、実を言うと、マナー違反だと思っている。それ以上に、料理の盛り付け等は料理人の独自性を表すものだろうから、料理人や店の方針によっては怒る人もいるのではないかと考えていた。実際、怒りこそしないものの、昔は「何で写真をとっているんだ」としつこく聞いてくるウェイターやウェイトレスもいた。
少数のこれらの人たちには、「ホームページに載せるんだ」と答えていたこともあったが、多くは「俺は外国人で、中華料理を記念にとっているんだ」と答えていた。10年ぐらい前はまだ中国におけるインターネットの普及度がさほどではなく、ホームページと言っても理解されにくかったからだ。しかし、数年ぐらい前から、中国でも自分の旅行記をブログに書く人が少なくなくなった。どの携帯電話にもカメラがつくようになったから、料理の写真をとる人もしばしばみかける。だから、現在では昔よりもはるかに気楽に写真をとることができる。お店の人自身も写真をとられることに慣れているのか、奇異の目で見つめられるようなことは滅多になくなった。
そうは言っても、突然後ろや横でフラッシュが焚かれたら、多くの人はびっくりするに違いない。レストランというのは公共の場所だから、他人を不快にするような行為は明らかにマナー違反だと言えるだろう。そうはいっても、フラッシュを焚かないとうまく写真がとれないこともある。・・・いや、本当にすまないことだと思ってる。ここしばらく、写真の勉強をしていて、露出度の調整や、ホワイトバランスの調整ができるようになったから、今後はフラッシュを焚く回数は減らせるはずだ。フラッシュを焚くのは極力やめるとしよう。
7:00起床。
今日は特に身体が重い。私は子供の頃から寝起きがよくて、朝起きて眠いと思うことはあっても体が重いというようなことを感じたことがなかった。それだけに現在の身体の重さを情けなく感じる。いつからこんなに身体が重くなったのだろう。もしかして、この体の重さは、寝起きがどうのという問題ではなく、物理的に体重が重くなっているせいなのか?もっと痩せればこんな思いはしなくて済むのか・・・うーん。
ともあれ、今日も運動を順調にこなした。6セットに増やすのは止めて、腕立伏せ以外を50回にして4セットでやった。これで、腕立は120回、スクワット200回、腹筋・背筋・側筋が200回となる。以前の状態に戻るまであと一歩だ。しかし、すでに身体は負荷オーバーの状態である。こうしてホームページを書いている間も、身体全体がだるい。特に肩周りが辛い。しかし、慣れてくれば、朝以外の時間はとても快適に身体が動くようになる。この気持ち良さを覚えているから、なんとか毎日続けられるのだ。柔軟体操も、冷水摩擦も続いているし、明日も頑張ろう。
先日淘宝で購入した小型蛍光灯のソケットが壊れた。ソケットの根元が抜けて中のコードも切れてしまったのだ。買った当初からゆるゆるで問題があり、そのことはあらかじめチャットで店に伝えてあった。本当に壊れたら交換するから連絡してくれとのことだったから、さっそくチャットで連絡した。とれたソケットの根元と蛍光灯本体を1枚の写真に収めて、同時に送信した。もしかしたら、こちらから送り戻す必要はなく、新しい物が送ってもらえるのではないかと期待したのだ。しかし、期待はかなえられず、送り返さねばならないとのこと。修理してまた売るのかもしれない。
「送り返すのはいいけど、宅急便代はどっちがもつんだ?」と続いてチャットで質問した。
「○×▲・・・・(住所等)、着払は受け付けません。ユーザIDと故障原因を書いたメモをいれておいてください」
すぐに、紋切り型の文面が返ってきた。返事が来るまでに間があったから、どこかに保存しておいたのをコピーして張り付けたのだろう。しかし、着払いが駄目ということは、こちら負担ということだ。確かに海外では故障の理由がいかなるものであれ、配送料は発送者持ちという習慣がある。その上、複数購入した蛍光灯の一つは無料プレゼントだった。送料ぐらい持てと言われても、仕方ないかなという気持ちもある。だが、その故障も買ってすぐのことだ。このケースでは売り手が持つべきではないだろうか。
もともと、この着払いというのは問題があって、日本はどのようなシステムかわからないが、中国の宅急便では同じ距離でも着払いだと2倍以上の費用をとられるという現象がある。だから、多くの売り手は着払いを禁止しているのだ。だから、返送費用は一旦は顧客持ちとなる。当然、顧客が負担すべきでない場合もあるわけで、そのような場合には修理・交換後の配送のときに現金を貨物といっしょに入れたり、淘宝上の支付宝システム上返金をしたりする。
「わかった」。私はそれだけ返事をした。わずかな宅急便代で言い争うのは面倒だったから、店側に任せることにしたのだ。すると、しばらくして返事があり、「着払いだと2倍の費用がかかる。だから、一旦そちらで払ってくれ。あとで、支付宝を通じて返金するから」と説明された。ほっと一息。気分の悪い思いをしなくて済んだ。
「宅急便はどこのでもいいのか」と続けて質問する。
「どこでもいい。ただし、○○や同類のは駄目だ。高いから」と返ってきた。
○○のは宅急便は、スタッフの態度が他の宅急便より頭一つ抜けて良い代わりに、料金もワンランク高いからだ。
これにも「わかった」と返事をした。本当は、店側で宅急便を手配して、こちらに寄越してもらいたかったのだがそこまでは要求できない。自分で適当な宅急便をみつけて送り返すしかない。
そこで、本日の午前中にちょうど荷物を配達にやってきた宅急便をつかまえて、○○まではいくらだと尋ねると15元だという。微妙な価格だが、個人で他の省に送るとなるとこのレベルで妥当かもしれない。一番高い○○の宅急便屋が22元だったはずだから、いいところだろう。送り状の紙をもらう。
「これは完全に梱包してしまっていいのか。中身の確認は必要ないのか」
もともと一定の地域を跨る配送の場合、商品を受け取るスタッフには中身の確認義務がある。爆発物等がはいっていないことをチェックするのだ。実際にはやらないことが多いようなのだが、せっかく梱包してから開けられるとやっかいだから、念のために聞いておいた。
「確認しないよ。きちんと梱包してね。それから、さっきの金額は1キロだからね。ところで中身は何?」
「蛍光灯だ」
「そう・・・」
「送ってきたものを返品するんだ」
「そうか。じゃあ、しっかり梱包してね」
「わかった」
「どのくらいここで待っていればいいの?」
「いや、送るのは明日だ」
「わかった。じゃあ、準備ができたら、電話してくれ」
「じゃあ、明日」
宅急便屋は自転車で走り去っていった。
歩き出して、はたと気づいた。手に残っているのは、明日荷物を送るための空の送り状と荷物を受け取った確認用の送り状だけである。あれっ・・・荷物は?なんとサインしただけで、荷物そのものを受け取るのを忘れていた。慌てて電話をして配達スタッフを呼び戻す。幸いすぐに戻ってきてくれて荷物も無事だった。うっかりにもほどがある。気をつけなければ。
7:00起床。
昨日よりもさらに身体が重い。とにかく始めなければと運動を始めたものの、2セットでダウン。続けて柔軟体操のみをやった。冷水摩擦は忘れてしまった。朝食をとってしばらくすると、強烈な眠気に襲われ始め、どうにもならなくなりベッドに横になった。気づいたら12時だ。午前中の時間がどこかへ消えてしまった。
本日のYahoo!Japanの記事に、国民一人一人に番号を付けて様々な情報を管理する「マイナンバー」制度を導入するための「個人識別番号法案」が閣議決定されたとのニュースがあった。平成26年6月に番号を交付し、27年1月の利用開始を目指すとのことだ。番号導入当初は、税金や年金の管理に情報の利用が限定され、また情報漏えいに配慮し第三者機関を設置、情報漏えいに対する罰則なども盛り込まれているようだ。
国民を番号で管理するというのは、今に始まったことではなく、さほど奇異なこととも言えないだろう。そもそも、番号をつけて管理の効率を上げようというのは自然なことだ。工場内で製品を生産するのにあたってだって、番号をつけて管理をする。ライン単位、ロット単位、個品単位と細かくなればなるほど製品管理の品質が上がり、不良品が減っていく。不良品が出ても的確にトレースを行って素早く原因究明をし、修正を行うことができる。国民を管理するのだって、名前や住所だけで管理していたのでは、同姓同名の人がいたり、引越しをしたりする人がいる以上完全な管理を行うことができないから、一人一人に番号をつけたほうが効率がよいに決まっている。
国民に番号がついていると、様々なことの効率が上がる。納税すべき人なのかどうか、年金の受け取り状況がどうなのかとか、間違いなく個々人を特定できるから、行政を執行していくのが非常にやりやすくなる。法律で決めたことを実行に移すスピードも格段に速くなることだろう。同姓同名の人を間違えて処理してしまったとか、引っ越してしまったからデータが抜けてしまいましたとか、結婚して姓が変ったから、離婚して姓が元に戻ったからとかの時でも誤りなく処理ができる。間違いが起こるとしたら、プログラミングのミスからであって執行上のミスではない。
これは社会の安全向上にも役立つ。犯罪者の履歴が管理されることにより、どこにどんな犯罪者がいるかすぐにわかるようになる。国民に番号がつくようになれば、体内にICカードを仕込むまでもない。電子マネーの普及によって、携帯電話の使用記録、電車の改札を通過した記録等から容易く個人の行動を特定できるようになるからだ。名前だけではあいまいなままで、商用にしか使えない情報が、危険管理の有用な情報と変っていくに違いない。
もちろん、弊害もある。個人の自由が失われる。些細なミスすら全て記録されていくとなったら、相当に閉塞した社会になるに違いない。たとえば、自転車の路上における違反駐車とかも自転車に個別の国民番号がつくようになったら、即座にトレースされ違反者が摘発される。自転車の違反駐車とかは、悪意のある常習者もいるだろうが、やむにやまれない状況で自転車をおいていく人もいるだろう。急にトイレに行きたくなったとか、家族に不幸があって慌てて駆けつけたとか、そういった事情のある人もいるはずだ。しかし、違反は違反で、ただ便利だからと駐車した人と区別することはできないから、同じように記録され同じように摘発されることになる。しかし、結果は明らかで、路上駐車は見事に一掃されるから、そのことの社会的得失を考えると悪意なき人への法の執行もやむえないことかもしれない。誰だって、失敗や必然的な違反は行うからマイナス得点範囲を明確にしてやれば、1年に何回までのマイナスは「普通」とかの判断基準も確立可能だろう。
国民を番号で管理するというこの制度の問題点はどこにあるのだろう。最初の話に戻るが、工場では製品に番号をつけることによって品質管理の効率化が進んだと書いた。不良品を容易く排除し、不良品の再発生を防ぐことにもなると書いた。これは製品を大量生産するにあたっては非常に有用なことだ。しかし、製品を大量生産することによって生まれた社会というのは完全なものだっただろうか。確かに、人は高機能な製品を容易く手に入れられるようになったが、同時に貴重な地球資源をあまりにも急速に使い果たしている。多くの公害を生み出したし、地球の温暖化を進めて、人類だけでなくあらゆる生物の生存を危うくしている。
国民を番号で管理することにより、多くの過ちを防ぎ、効率を上げることができる。納税すべき人が納税し、年金を納めるべき人が納め、犯罪を犯した人が適切に裁かれる。つまり、人間の理知の力が最大限に発揮されることになる。これはもしかしたら理想社会への近道かもしれない。しかし、人間の理知とはそれほど完全なものだろうか。過ちを犯す人間を排除していくだけで、理想の社会を作ることが可能だろうか。過ちを犯さない人間が克服できない問題を、過ちを多く犯す人間が克服するということはないだろうか。人間は生まれてくるにあたって、不必要なものを備えて生まれてきたから、それを排除せねばならないのか。或いは、問題はあっても、それらと共存していくことによってこそ、進歩していくものなのか。管理の強化ということを進めていく前に考えねばならないことがたくさんあるように思われる。
7:00起床。
本日も昨日同様に身体が重い。私はしばしば5時頃に目が覚めるのだけれども、その時はこの重さを感じない。しかし、目を閉じて7時に再びい目を覚ますとずっしりと身体が重くなっているのだ。これは何という現象なのだろう。睡眠のリズムから外れて目覚ましで無理やり目を覚ますからいけないのだろうか。この分だと、今日も2セットしかできないかもと思いつつ運動を始めた。ところが、始めてみると意外に身体が軽い。すいすいと4セットやることができた。この調子なら、今週中のどこかで6セットを一気に達成してしまうことも不可能ではない。ただし、達成後の反作用が怖い。いきなり増やすと大きな過負荷が生じるからだ。やはり、10回ずつ増やしていくほうが無難だろう。或いは、最初の一週間は一日おきに6セットやるというように、間に休みを入れてやる方法で負荷を分散させるというのはどうだろう。いろいろ考えてみよう。
先日、中国人の知り合いと食事をした時に、中国ではネットでクレジットカードが使えなくなるという話を聞いた。そう言えば、最近、淘宝の画面の上部に時々クレジットカードが使えなくなるとかどうのとのメッセージが流れていた。淘宝だけでなくあらゆるネットショッピングが駄目だということになるのかと驚いた。
「何で駄目になるんだ」
「クレジットカードを使って、淘宝の支付宝にお金を入れて、それを引き出して現金として使う奴らが多いんだそうだ」
「でも、クレジットカードってもともとキャッシング機能がついているから同じなんじゃないのか」
「うん、要は、銀行にもよるけど、今はクレジットカードを本人の身分証のコピー一つで発行したりしているから、本人を語ってクレジットカードを作って現金化だけして逃げてしまうのが多いらしんだ。それで、禁止になるんだそうだ。順次実行されるそうだ」
「ふーん、でも、何でお前はそんなこと知ってるの?ネットで流れてるのか」
「いや・・・」
クレジットカードが使えなくなるのはネット上だけなのか。ATMでのキャッシングはどうなのだろう。店舗での使用はどうなっているのだ。不明な点が多いけれども、淘宝でクレジットカードによるチャージができなくなっているのは確かだから、全くのデマではなさそうである。改めて、淘宝のメッセージを見てみたら、淘宝では2012年2月8日からクレジットカードによるチャージが停止されたと書いてあった。また、チャージされた金の現金化も、不可であるというようなことが書き加えられてあった。しかし、淘宝で商品を売って支払いを受けた場合はどうするのだろう。アカウントは一つだから、チャージされたお金との区別は付かないのではないだろうか。現金化不可が実際にどのように適用されるのかは不明なままだ。
「そういえば、中国の銀聯とVISAがトラブっているって聞いたけど、それでいじわるしてるんじゃないの」
「いや、それはない」
「ふーん」
ついでに、そんなことも聞いてみたけど、否定されただけだった。事実はどうなのだろう。
中国の一般庶民は、銀聯での買い物になれているから、クレジットカードを使えなくなったからといって、そんなに困らない気がする。困るのはクレジットカードの利用になれている富裕層だろうか。今度ネットでこの件について調べてみるとしよう。
5:45起床。
目が覚めてしまい、寝付けそうもないから、起きることにした。運動は順調に4セットをこなし、柔軟体操、冷水摩擦もこなした。それから、コーヒーを入れて、中国語の学習を始めた。現在、第6課だ。最近は、やらずに忘れてしまう日がときどきあるから、進度が遅い。もう少し気を引き締めないと、なし崩し的に完全ストップとなってしまう。頑張らねばならない。第6課になって少し単語量が増えてきた。中級のレベルだと量が増えても圧倒されることなく、かえってやりがいが感じられる。やはり自分に合ったレベルでないと勉強も効率が悪いのだろう。とにかくさぼらずやることを心掛けるとしよう。
その中国語の勉強を始める際、椅子に座ったまま身体をねじって、隣の棚にあるテキストに手を伸ばした。この時、わき腹の筋肉が気持ち良いぐらいにスムーズに伸びてくれた。以前だったら、こうはいかなかっただろう。ギシギシする感じがあったはずだ。グルグル8の字ストレッチが効果を奏してくれているのだ。やはり、身体がスムーズに動くというのは大事だ。この調子で続けよう。
本日のお昼はデパートの一番上の階にあるフード・コートでZと一緒に食べた。Zとここで食べるときは、たいてい「烤魚」で今日もそうなった。中サイズの魚一匹と野菜やご飯を注文して合計で60RMB弱だから、外食としては非常にリーズナブルな価格なのだ。お腹もいっぱいになるし、身体も暖まる。フード・コートのすぐ隣にあるレストラン街で二人で食べると確実に100RMBを超えるから、差は明瞭だ。
このレストラン・フロアで、フード・コートとレストラン街がオープンして数ヶ月が経つ。価格の安いフード・コート側は常に客がそこそこ入っている状況で、価格が高いレストラン街側の店はほとんど客がゼロのところとそこそこ入っているところに分かれている。そこそこ入っているところは休日には短いながら待ち行列が発生しているぐらいだから、それなりに儲かっていそうだ。一番人気があるのは四川風のタレを主体とした鍋で、いわゆる火鍋や干鍋とも違うタイプの鍋である。トウガラシ味、海鮮味、醤油味の三種類のタレが選べて、メインの肉も魚や牛肉や鶏肉と選べる。味が独特でありながら、好みによっていろいろ選択できるところが人気の秘訣だろうか。私自身は、始めてZと来たときは、タレが甘ったる過ぎて飽き易い味に感じられた。しかし、その後再度来たときに一番辛い味を選択したら、その甘さがなくちょうどいい辛さとなり、非常に美味しく食べられた。
このタレ鍋の次に人気があるのが焼肉店だ。ここは大入りということはないが、常に何組かの客が入っている。定食が一品20RMBぐらい。バイキングだと昼が60RMB弱、夜が80RMB弱だ。自分の懐具合に応じて注文できるのがいいところだろう。私も一度だけ食べたが、肉の味はまともだった。ただし、鉄板の上に紙を置いて、その上に油をひいて肉を焼くという方式だから、肉から油が落ちきらないのが残念なところだ。
残るは、火鍋屋と回転寿司屋とつぶれて空き家になっている台湾料理屋だ。火鍋屋はこのレストラン街で一番広い面積を占めていながら店はいつもガラガラである。つぶれないのが不思議なぐらいだ。回転寿司のほうは、まだ続いているようだが、一度食べに行った限りでは遅かれ早かれ閉店になることが予想される。
このレストラン・フロアができた当初の私の予想から外れて、どの店も相当頑張っていると思う。フード・コートの料理の価格はレストラン街の店よりは安いとは言え、ローカルな街の食堂よりはずっと高い。これほど客が入るとは意外だった。タレ鍋の店も、焼肉の店も、こんなに客が入るものだとは思わなかった。何よりも、この二つの店は、客の好みをつかもうとしている努力が窺える。今年は中国の発展も減速傾向に向かっていくそうだ。この逆境の中、これらの店がどうなっていくのは非常に楽しみだ。ああ、その前に自分の運命もなんとかしなくては・・・。
8:30起床。
7時に一旦起きたものの、マイクに餌をやることしかできなかった。あまりにも身体がだるすぎた。しばらく待てば元気が出るかと5分ほど足マッサージ器を使ってみたが、どうにもならず再びベッドに入った。そして、再度起きたのが8:30。相変わらず身体が重かったけれども、朝食を食べた後、しばらくコンピュータに向かっていたら、調子が元に戻った。何なのだ。これは。運動さぼりたい病だろうか。それとも、単なる寝不足か。確かに昨日は早起きしたから、やや寝不足だったのだけれども、どうも解せない。明日もこの調子だったら、運動は昼やることにしよう。今日のところは様子見だ。
視力トレーニングは、なんとか続いている。無料ソフトで、機能も豊富。大変素晴らしいソフトなのだけれども、私のWindow7ではやや動きが不安定だ。当初はVirtualPCを動かしているときだけ動きがおかしくなったのだけれども、最近はVirtualPCを起動していないときでも、時々動作が不安定になる。たまのことなのだけれども、その日は視力トレーニングができなくなるから、なんとなく気分が悪い。一度再インストールしてみたが、効果がなかった。
視力トレーニングそのものはまずまずの調子だ。再インストール時に過去の最高スコアを消してしまったから、最初からやり直しとなった。視力トレーニングというのは、おもしろいもので、どういうわけだが、全くスコアが上がらない日となんとなくスコアが良くなる日がある。調子の悪いときは、どんなに意識を集中させても画面を動くボールが全く追えない。調子が良いときはなんとなくでも複数のボールが同時に目の中に入ってくる。この調子が良い、悪いは体調とはあまり関係がない気がする。バイオリズムか何かだろうか。
今日のYahoo!Japanでは、大丸松坂屋百貨店の社員による横領事件が記事になっていた。横領を起こした社員は、「お得意様営業部」で外商を担当していたそうだ。百貨店というと、何よりも信用を重んじるといったイメージがある。大丸松坂屋百貨店として合併される前の松坂屋をウィッキペディアで調べてみると、愛知県では他の百貨店よりも格上の百貨店とされていて、松坂屋の外商と取引があることが一種のステイタスとしてみなされる場合もあったとのことだ。そのような百貨店の外商部の社員が横領事件を起こすというのは、非常にインパクトが強い。
大丸松坂屋の事件だけではない。オリンパスの損失隠し、大王製紙の前会長の事件もある。また、こうした地位の高い人たちの話だけではない。数日前には、閉店したパチンコ店の倉庫で白骨化された遺体が見つかるといった事件もあった。これらの事件は、たまたま白日の
もとに晒されることになったが、氷山の一角に過ぎず、多くの事件が今もなお闇のなかで蠢き続き続けているのだろう。私たちの社会は、モラルによる犯罪の抑制力を明らかに失ってしまっている。
このような失われた抑制力を取り戻すための試みの一つがマイナンバー等による管理の強化であると思う。しかし、管理の強化による犯罪の抑制そのものが、また別のモラルの消失を意味していると私は思う。
人を物や動物のように管理してはいけないというモラルの消失だ。私たちは、管理の強化という手段によっては、多分何も取り戻せない。モラルが失われた原因に遡って問題の本質的な解決を図らなければならないのだ。原因がどこにあるのか。少しずつ考えてみたい。
6:10起床。
一度5時半に起きてマイクに餌をやった。再び寝ようと試みたが寝付けずに結局ベッドを出た。相変わらず身体はだるいが、昨日ほどではない。少々寝不足なだけだ。今日はきちんと4セットをこなして、柔軟体操と冷水摩擦もやった。やる前は、今日は2セットでもOKという気持ちで始めたけれども、動き始めると意外にできるものだ。早く6セットへと移りたい。
中国ドラマ「双城生活」も中盤へと差し掛かってきた。序盤はこっそりと籍を入れてしまった二人によって強引に結び付けられた各々の両親が、お互い地元へと二人を呼び寄せようと強引に画策することで話が進んでいった。そこへさらに、新妻の生みの母親というのが現れて混乱に拍車をかけたという具合だ。新妻役の、馬伊璃はドラマを演じている2011年の時点で、35歳ぐらいだ。ドラマの中でもすでに30歳代であることが示唆されている。しかし、見事なほど可愛い女性を演じていて、20歳代の演技かと錯覚するほどである。
しかし、この新妻は可愛いことは可愛いが口が恐ろしく悪い。中国には「刀子嘴豆腐心」という言葉がある。日本語で表現すると、「口はきついが、心は優しい」ぐらいのことになるが、この「きつい」は日本人の女性が表現できる「きつい」をはるかに超えたところにあり、「凶悪」といっていい。多くのドラマで女性が「刀子嘴」の凶悪なほどの口撃を演ずるのをみてきたけれども、馬伊璃が演ずる新妻の口撃は凄まじく、凶悪さに加えて道理もへったくれもない有様だ。日本ではよく、女性は仕事で感情的になりやすいということが言われるけれども、日本の女性というのは相当レベルに感情を抑えて話をしているのだと思う。感情をそのまま吐き出すと、こんな風になるのだなというのが中国人女性の「刀子嘴」だろう。私もZとの口喧嘩ではよくこの道理もへったくれもない「刀子嘴」をやられて腹を立てるのだけれども、今回のドラマの馬伊璃の「刀子嘴」をみて、Zは意外に話がわかるほうなのではないかと思い直した次第である。
7:00起床。
昨晩はなかなか寝付けなかったのだけれども、中途で起きることなく朝までぐっすり眠ったから、元気よく起きることができた。しかし、身体がだるいのは相変わらずだ。ベッドから出たら、シャキッ、ピッ!という感じでベストの体調で動けるようになりたいのだけれども、なかなかそうはいかない。しばらくソファーに座ってマイクをなでなでした後、意を決して運動を始める。一旦始めると、身体はすいすいと動く。よく眠れたことの影響が大きいようだ。調子が良かったから、4セット終わった後、各10回2セットを付け加えた。思い切って完全6セットを目指そうかとも思ったけれど、反動が怖いからやめておいた。さあ、首を痛める前のレベルに戻るまで後一歩だ。そこまで行ってしまえば、完全6セット達成も楽勝である。風邪をひかず、身体を痛めずに辿り着くぞ。
私たちのアパートの近くに、簡易派出所のようなものがある。面積でいうと畳三畳分ぐらいの大きさだ。骨格はステンレスでできていて、壁はガラスか透明プラスチックでできている。恐らくガラスだと思う。このような簡易派出所は昔からあちこちにあって、正規の警察やら鎮の治安部隊が利用し、周辺の治安を守ることになっていた。住宅地の入り口となっている道路脇や真ん中に建てられていることが多い。しかし、暑い広東省である。それでなくとも、日本のように勤勉な警察官が少ない中国だ。そんなガラス張りの簡易派出所にじっとしていられるわけがない。犯罪や交通違反の取締りキャンペーンがはられている時以外は誰もいないのが常だった。
この簡易派出所が昨年あたりに私のアパートの近くにも出来た。一畳半ぐらいの、人一人が立つのがやっとの空間だ。
「また、無駄な物を作って。おおかた、これを作っている業者と結託して税金を無駄遣いしているんだろう」
最初はそれぐらいに思っていた。だいたい、あんな狭苦しくて、暑い場所に人がずっといられるわけがない。道路の真ん中で日陰すらないのだ。案の定、できた当初からほとんど誰もおらず、数週間経って完全な飾りとなっていた。
しばらく経って、この簡易派出所が一回り大きいものへと入れ替わった。畳三畳ぐらいの大きさだ。これなら、二人ぐらいは入れる。そうは言っても、日晒しの空間には変わりない。誰があんなところで仕事をしたがるものかと思っていたら、ガラスに日よけの色付きフィルターが取り付けられた。完全に太陽を遮ることはできないが、耐えられないレベルではない。
「いろいろ考えてはいるんだろうけど、どれも中途半端だな」
しかし、この簡易派出所の進化は止まらなかった。数ヶ月前にはとうとうエアコンがついたのだ。簡易派出所は道路の中央に設置されている。道路を掘り返して電気をひっぱり込んだようだ。エアコンがつくと、人が常駐するようになって、さらに同じく電源が必要な飲水器もついた。これで暖かいお茶もいつでも飲める。さすがにトイレがはないが、警察権力をもってすれば、どの店も喜んで貸すことだろう。差し入れも入りそうだから、おやつには困らない。
格好だけで、使い物にならない派出所だと馬鹿にしていたのは私の誤りだった。中国の警察の人もちゃんと考えて仕事をしているのだ。警察の人も毎日ちゃんと派出所の中にいる。ただ、気になるのは立っているのを見たことがない。椅子を並べていつも昼寝をしているのだ。いつ見ても。昼寝ができる環境が整ってこそ、常駐もできるということか。それでも、いないよりはマシだよね、多分。(昼寝はどうどうとやっているので、もしかしたら、警察ではなく、鎮の治安部隊の人かもしれません)。
6:30起床。
運動、柔軟体操、冷水摩擦をこなし、朝食を食べたところで眠気と頭痛を感じ始めた。寝不足なのだ。ベッドにもぐり込んで、起きたら11時になっていた。最近は就寝が12時を過ぎてしまうことが多いから、寝付かれずにいるとすぐに1時を超えてしまう。悪い傾向だ。仕事をしていないと朝起きることに対するプレッシャーがないから、夜型生活になりやすい。ブログ等もほとんど夜に更新されるから、ついつい時間を忘れて見入ってしまう。Zと一緒に生活をしていなかったら、毎日2,3時ぐらいまで起きて11時頃起きるのが当たり前になってしまっていたことだろう。もう一度就寝の時間をコントロールしなおさなければ駄目かも。
昨日のYahoo!Japanに、ゲームを没収された中学2年生が母親を刺した事件が掲載されていた。ゲームを勝手に購入して怒られ、さらに取り上げられて腹が立ったので刺したのだそうだ。現在では、さほど珍しいタイプの事件ではないのだろう。似たような事件を過去何度も読んだ気がする。事件になるぐらい極端な事例があるぐらいだから、殴る蹴るのような事例は相当数に上るだろうし、それを恐れて注意すべきを注意できない親はもっと多いに違いない。
さて、このような事件はどうして起るのだろう。要因は複数考えられる。親と子供の関係の問題。昔を違って、親の絶対的権威が失われている。実際のところ、私が子供だった数十年前にも、親によく逆らう子供には存在した。小学生だったある時、友達のところに遊びにいった帰りのこと。玄関まで私を送りに出た友達が、玄関に散らばっている靴をみて、母親に向かって「おい、てめぇ、靴はきちんと並べとけっていっただろ」と叫んだのだ。私の家では親に逆らうなんて、まして怒鳴りつけるなんてことはありえない話だったから、心底驚いたものだ。
しかし、このような例は非常に特殊だった。特殊な事情があって、親と子供の関係が崩れたと考えて良かった。だからこそ驚いたのだ。しかし、現在はどうだろう。そもそも、親が右向けといったら右を向くというようなことは絶対正義ではなくなっている。人間は皆平等で、親が子供を指導できるのは、親が親だからではなく、親のほうが子供より見識的に優れているからだ。もちろん、親が子供を養っているからというのは大きな要素だけれども、これを前面に出していくと、働いているのが片親だったりすると一方の親の権威が極端に弱まるし、単純な内容の指導しかできなくなる。現代の子供が歩む環境は、昔よりもはるかに複雑だから、権威の押し付けでは問題解決の助けをできないのだ。
では、権威を力ではなく、理で支えられるかというとそれも難しい。何よりもインターネットがある。情報をとる条件は同じ。もしくは子供のほうが優れてさえいるだろう。経験に囚われていない分、親がもっている世界観よりも、子供がもっている世界観のほうが大きい場合だってありうるだろう。私が子供だった時代でさえ、もしインターネットがあったら、多くの親子関係は全く違ったものになったであろうほどの情報量だ。親の権威や優位性は、現在では、事実的な力関係よりも、子供側の実経験不足による自信のなさや、親に対する幻想によって支えられているのではないかとさえ思える。
この事件のきっかけとなったゲームにも原因がある。ゲームの刺激の強さ、リアリティーは日進月歩で進んでいる。大人でさえ、我を見失って生活の全てをゲームに注ぎ込んでしまう人もいるぐらいだから、多くの子供が自分をその中に埋没させてしまったとしても不思議はない。また、ゲームはそれ自身が話題の根源であり、子供の世界の共通ツールであるから、子供が自分の世界を生きるための重要な手段となっている。二重の意味で、子供にとって守らなければならない物となっているのだ。親が与えてくれるものよりも、ゲームが与えてくれるもののほうが多く感じられるとしたら、ゲームから自分を引き離そうとする親は、自分にとって障害しかなくなるに違いない。そうなったら、どんな事件が起こっても不思議はない。
子供を取り巻くこのような状況を多くの親が扱いかねているに違いない。では、ゲームがなく、インターネットがなければ、このような事件は起らなかったのだろうかというと、それは現在の世界の存在を否定も同然のことだから、意味がない。子供たちからは、ゲームもインターネットも奪うことはできないのだ。私たちに可能なのは、適切な対応方法を見つけようとするだけである。じっくりと考えていくとしよう。
6:30起床。
起床はしたものの、なかなか運動にとりかかれない。相変わらず身体がだるい。時間が経てばだるさもとれるかと、足マッサージ器でしばらく足をもみほぐしてみたけれども、あまり変らない。「今日は体がだるかったから、運動はお休みにした」とこの日記に書いて、今日はお休みにしよう・・・。一旦はそう思ったが、いやいや書けばいいってものではないなと思いなおし、運動に取り掛かった。3セット目ぐらいから調子が出てきて、4セット無事終了。その後に各20回を2セットやった。柔軟体操も、冷水摩擦も完了。そろそろ、首にプレッシャーをかける運動を始めてもいい頃だ。毎日首ストレッチ器をやっているおかげで、首の痛みもすっかり消えたからだ。ちゃんと首の筋肉が固まるまでは、首ストレッチ器は毎日欠かさずやるとしよう。
Yahoo!Japanのトピックスで数日続けて、「光市母子殺害事件」の裁判について記載されている。加害者が当時18歳であったことから、死刑回避となるか、犯罪の重大性から死刑と判断されるかが注目の的になっていたが、最終的に死刑ということで固まったようだ。この事件以前は、少年の場合、凶悪事件でも、「原則死刑回避、例外的に死刑選択」だったが、今後は凶悪事件の場合は、「原則死刑選択、例外的に死刑回避」という考えが進んでいくだろうという、社会的に大きな影響をもつ事件だ。
凶悪事件を犯したのに死刑が回避される。これは、年齢・精神的に未熟なものが犯罪を犯すのは、環境的な影響が大きいから社会全体にも責任があることと、反省を通じて更正の余地があることの二つがあるだろう。これが、原則として死刑になるというのは何を意味するだろう。環境的な影響が少なく、社会全体にはもはや責任がない。もしくは環境的な影響があったとして社会は責任を負えないということ。また、本人はすでに未熟ではなく、環境の影響よりも本人の自助努力不足であるということになるだろうか。もちろん、反省や更正の余地に関しても議論の余地はあるだろうが、反省や更正の余地というのは裁判中にもどんどん変っていくものだから、なかなか決定的な要因とはなりにくいだろう。
環境の影響が少ないか大きいかは個人によって異なるが、両親から十分な愛情を与えられなかった。貧しくて十分な教育を受けられなかった等のことは現在も過去もあまり変ることはないだろうから、これを原則死刑回避から死刑判決へ変更の根拠とすることはできないだろう。そうなると、残るのは環境がどうであれ犯罪は本人に帰するから、社会は責任をもたないということ、或いは少年はもはや未熟とは言えず、十分な判断力があるとみなされるということだろう。
少年はもはや未熟とはいえない。大人と同じような、或いはそれ以上の情報をもって生きている。大人と同様な複雑な人間関係やプレッシャーに晒され生きざるえない。大人の付属物としての権利ではなく、個々人としての十分な権利が与えられている。これは100%とは言えないまでも、過去と比較する限りは相対的な事実である。だとすれば、大人と同様に原則死刑判決となり、社会へ責任を求めることはできないというのも頷ける話だ。
しかし、少年たちが与えられているのは、本当に大人になるのに十分な知識と経験なのだろうかというと甚だ疑問がある。特に凶悪な犯罪を犯すのを防ぐような知識や経験を社会は彼らに与えているだろうか。戦争の飢えと死を直接語る人たちはもはやほとんど残っていない。老人は老人ホームへと去り、老いや病の暮らしを見る機会もなく、人生に普遍的に存在している様々な苦しみから切り離されてしまった少年たちに、凶悪な犯罪が引き起こすことの意味がわかるだろうか。
もちろん、千人の少年がいれば、大部分が何事もない平凡な生活を送ることができるだろう。しかし、たまたま凶悪犯罪を犯すかどうかの瀬戸際に晒された際、踏みとどまるか、踏み止まれずに走ってしまうか。この差は大きい。千分の一、万分の一の少年に回ってくる、この瀬戸際にストップの力を加えられる教育や環境を整えることが、社会の務めだろうと思う。これができなければ、原則死刑判決はただの罰に終わってしまい、社会は変らない。私たちは、現代の社会が少年に何を与えているかと同時に、何を奪っているか、何を与えねばならないかを深く考えなければならない。
6:10起床。
今朝は、朝から体か軽かった。いつものだるさもほとんどなかった。ぐっすりと眠れたのと昨晩クルミを食べたのが良かったのだろう。運動はいつもの4セットと各20回を2セット。この調子なら、今週中には1月末の、首を痛める前の状態に達することができる。気分さえ乗れば、明日にもできそうだ。引き続き頑張るとしよう。
昨日、我が家で、ひさしぶりに快挙があった。Zが日本語能力試験1級に合格したのだ。2級は1回で合格、1級は2回目で合格。今回の1級試験も、受けた直後から「駄目だった、絶対落ちた」といっていたから、大変心配していた。無事に受かって本当に良かった。1級というのは、実際に日本語を使うに当たってはスタートラインに過ぎないけれども、とにかくこれに受からなければ次へ進めない。将来Zが仕事をしなければならないことになっても、1級があるのとないのとでは大違いだ。これでひと安心というものだ。次の目標も立てなければならないだろうが、今はゆっくりと喜びを噛み締めてもらうとしよう。
Yahoo!Japanに、大阪市の橋下徹市長が、小中学生に関しても学力が目標レベルに達していない場合は留年できるような制度を検討するように指示を出したという記事が掲載されていた。現状では、法律的には可能だが、年齢に応じて進級させるという文部省の方針からほとんど事例がないのだそうだ。現状では、病気などで出席日数がゼロでも進級させているのだという。
出席日数がゼロでも進級させるというのは、ずいぶん極端な話だとは思うが、学力で毎年足切りをするのもまた厳しい話だ。なんと言っても、日本にはいじめが起り易いという温床がある。留年なんかあったら、さっそく火種になりそうだ。しかし、良い効果もある。生徒がより勤勉になり、真剣に学習に取り組むようになるだろうことは当然のことだが、それ以外にも子供に存在している問題をあぶりだすことが可能になる。
学力が急に衰えたりした場合には、家庭内に問題がある可能性があるから、それが目に見える形でわかれば、対応も早くなる。家で虐待を受けていたりすることの発見もはやくなるはずだ。学力が落ちているということで、家庭訪問とかもしやすくなるだろうし、学力低下の原因究明という名目で、先生が子供と様々なことを話すチャンスもできるだろう。
賛否両論があって、実現までには時間がかかるだろうけれども、プラスとなる結果が出ればと思う。
6:00起床。
今朝もスタートはソファに座ってグダグダとした。しかし、体調は悪くないからやらないわけにもいかないので、運動開始。4セット目を終了する頃には調子が出てきて、追加分は各30回を2セットとした。これで、1月末の首を痛める前の状態に完全復帰したことになる。腕立は1セット30回をマックスとしているから、最後の2セットに関して、他の運動を30回から50回に増やすだけで、完全6セット完了となる。あと少しだ。もう一気に達成できそうな気がする。頑張るぞ!
昨日のYahoo!Japanトピックスでは、「家主向け保険の販売が好調!背景は孤独死の急増にある」といった内容のものがあった。病気や自殺などにより一人でひっそりと死んでいくような事件が発生すると、家主は部屋を元の状態に戻すための工事をする費用をどこにも請求できず、損害を被ることになる。また、事件の度合いによっては、借り手が減り、家賃を下げざる得なくなり、家賃減額の損失も出る。この費用を穴埋めする保険の販売が好調なのだそうだ。
このような記事を読むとなんとも言えない気持ちにさせられる。このような保険がなければ、家主は各部屋を巡回するとか各々の住人と会話の機会を持つとかして孤独死を防ぐための努力をせざるえない。それが保険があることによって、家主は店子が生きていようが死んでしまおうが構わなくなるわけだ。保険が孤独死を促進していることになる。
考えてみると、もともと保険にはこのような側面がある。死んでも保険があるから、会社もどこまでも社員を働かせることができる。もし、保険がなかったら、社員が死ぬたびにその家族が路頭に迷うことになって、会社に家族が押しかけることもあるだろうから、会社ももう少し気を使って社員を働かせることになるのではないだろうか。もちろん、実際にはそのようなことにならず、会社自身がそのための補償費用を別に確保しておくことになるだろうが、少なくとも社員の健康に対しての気配りが多くなるような気がする。
しかし、これには異論が出るだろう。保険にしたところで掛け金に差があり、事件が起るほど掛け金が高くなるから、会社が気配りをせねばならないという動機付けは現在も十分に働いているというものだ。また、小さな会社では、財布が一つとなっているから、補償費用が使い込まれていざというときに一銭も出せないということもありうる。やはり、保険は必要なのだ。
では、矛先を家主に向けてみる。「大家といえば親も同然、店子と言えば子も同然」という言葉があるぐらいだから、店子を孤独死させるなんてとんでもない。普段から会話を心掛けて、直接間接に店子の様子を伺うのは当然のことだ。しかし、この直接間接というところがミソで、現在のように隣人同士が係わり合いになるのを嫌がるような社会では、間接的な情報をとりようがない。間接的な情報が全くなければ、相手の様子が全くわからないから、直接的な関係をもつのは相当に困難だ。各部屋を巡回して様子をみることにせよ、果たして家主だけが負担すべきことなのかという疑問もある。明らかに地域社会全体の責任なのだ。
だから、まず地域社会そのものに異常が現れ、それが家主と店子の関係を異常にし、最終的に保険の発生に結びついたというのが流れなのだろう。もちろん、地域社会に異常が現れたこと事態に、人との関わり合いを避けるようになった個人的な傾向というものが底にあるだろうから、話はどうどう巡りになって、現状改革には繋がらない。正直なところ、私自身、中国に来る前、アパートの隣人と係わり合いになりたいとは思わなかった。町内の中で何らかの役割を果たそうと考えたこともない。そのような人たちが多く存在するようになった結果が、孤独死であり、孤独死保険というわけだ。誰も責めることはできず、そこから抜け出す術もない。なんとも悲しい話だ。しかし、諦めずに問題解決の糸口を考えていくとしよう。
7:00起床。
昨晩は良く眠れたはずなのに体が重い。ソファでグダグダしながら、数を増やした翌日は運動お休みというルールを作ってはどうだろう、なんてことを考えていた。いやいや、そんなわけにもいくまい。いつも通り、運動を始めて、昨日同様にこなした。今日は昨日ほどは体が軽くなく、4セットを終えて、プラスの2セット各30回にとりかかるのにかなりの決心が必要だった。それでも、なんとか終わらせて、柔軟体操、冷水摩擦もきちんとこなした。なんとか、この数を今月いっぱいこなし続けて、来月には完全6セット達成をしたいものだ。
しかし、これだけ毎日運動していても、身体に力がみなぎるといった感じは全くない。せいぜい、毎日快適に体が動くといった程度である。これが年齢が与えている影響なのだろうか。もっと数を増やして、完全10セットにでもなれば、パワー爆発ぐらいの気分になれるものなのか。或いは、筋力運動はこれぐらいにしておいて、ジョギングでもやったほうがいいのか。悩ましいところだ。
昨日はGIMPと格闘していた。背景から品物の切り抜きをなんとか自動的にできないものかといろいろトライした。もちろん、品物の枠を丁寧にたどっていけば切り抜きは可能なのだが、それではあまりに時間がかかりすぎる。幸いもともとの背景が黒い布だったから、色選択機能というのを使って、黒を選択すると、見事に背景が全部選択された。しかし、品物自身にも黒い部分があって、一緒に選択されてしまっている。これでは、駄目だ。
うーん、あれこれ考えた結果、選択の部分解除という機能があってもおかしくないだろうということに思い当たった。そこで、ネットで検索してみると、あった、あった。よーし、これで再トライだ。おおっ、外せる外せる。品物上の黒い部分が除外できる。これならOKだ。品物以外の黒い部分を一気に消去だ!成功。次だ。
今度は可視部分(品物)をコピーして、別の画像上に貼り付け・・・むむっ?あらら、ゴミがたくさんついている。透明になったとおもっていた背景の部分にたくさん不透明の部分が残っていたのだ。おそらく、品物と同じ色をした部分だったのだろう。これはやっかいだ。表示を1600%にして、画像を見直してみると確かにゴミがたくさん残っている。再度色選択をしてゴミを取り直すことを試みてみたが、どうにも効率が悪い。これでは切り抜きを手でやったほうが速いぐらいだ。一応、品物の周囲に枠らしきものがあるのだから、これでなんとかなりそうなものだけれども、うまい手(コマンド?)がみつからない。
こんなことをぐちゃぐちゃやっていたら、あっと言う間に数時間が過ぎてしまった。GIMPは面白いのだけれども、時間を食うのが難点である。なんとか楽に品物を切り抜ける方法をマスターしたいものだ。
6:45起床。
今朝はあまりグダグダすることもなく、マイクに餌をやるとすぐに運動にとりかかった。最初の2セットこそ辛いが、次の3、4セット目になるとさほどでもない。今日は思い切って完全6セットにトライしようとも考えたが、思いとどまった。現在の数にもう少し体が慣れてからにしよう。下手な増量は必ず手ひどい筋肉疲労を招くから、極力避けねばならない。ゆっくり、ゆっくりだ。
視力トレーニングは、順調に進んでいる。スコアを気にするのことなく、毎日やるということで、疲れたらすぐにやめる。ある程度やっていれば、自然とスコアが上がるから、とにかく続けることに重点をおいている。最近、目に見えてよくなったのが、瞬間記憶の項目だ。画面の上に1個から10個までのボールが一瞬に現れて消えるのを、瞬時に記憶して数を答えるトレーニングだ。たまにダミーのボールが入ることがあって、その分は引いて答えなければならない。画面に現れるのは一瞬だから、数えている暇はない。数えるのは、記憶の中に残った残像からになる。5,6個ぐらいまでなら難しくないのだけれども、それ以上になると相当に困難だ。
だから、最初のうちは、ボールのだいたいの位置で判断して適当に答えるしかなかった。画面の中に、ランダムに表示されるから、こちらは三個、こちらは四個、こちらはニ個だったよなーという感じである。うまいこと三角形みたいな配置であれば、頭に入るわけだが、そうでない場合には記憶に残らずだいだいで答えるしかなかった。ところが、ここ数日は、一瞬しかみることのできなかったボールの残像が頭の中にくっきりと残るようになってきたのだ。頭の中の画像にあるボールを数えられるようになってきたわけだ。
果たして、この瞬間記憶力はトレーニングを続けることでどのくらい伸びるのだろう。また、生活したり仕事をしていく上で実際に役立つのだろうか。効果は定かでないが、とりあえず続けていくとしよう。
7:00起床。
今日は起きた目覚めたときから、肩を中心にだるい感じが広がっているのがわかった。ベッドから出てマイクに餌をやり、足マッサージ器に足を差し込んでマッサージをする。・・・どうも気分が乗らない。体調が悪いわけではないから、運動をやらないわけにもいかないし、さてどうしたものか。とにかく2セットやってみるとしよう。とりかかってみたが、2セットを終えても、調子がのってこない。とうとう、そのまま中止にしてしまった。柔軟体操も、冷水摩擦もなしだ。明日には調子が戻っていることを祈ろう。
昨年末ぐらいから、週に1度か2度ぐらいの割合で、ケーキ(パン)屋にショートケーキやらロールケーキやらを買いに行っている。当初は私が好きな店とZが好きな店が別々だったのだけれども、中途から私もZが好きな店で買うようになった。私が好きだった店は、チーズケーキの出来がよくて好んでそちらにいっていたのだが、いつの間にかチーズケーキが店頭に並ばなくなったからだ。Zの好きな店の方が、品揃えが増えてゆき、味も向上していったということや、店の雰囲気が明るいということも影響したと思う。
ショートケーキが5-10RMB。ミニロールケーキが3-5RMBで売っている。最初の頃は、ケーキをメインで買いに行っていたが、最近はロールケーキばかり買っている。ショートケーキがミニロールケーキの2倍の値段だというのと同時に糖分も2倍以上ありそうだからだ。ショートケーキ1個で1日幸せな気分になるより、ミニロールケーキ2個で二日間幸せな気分になれたほうがいい。また、糖分も二日に分けてとったほうが身体にいいというわけだ。
ケーキ以外に、ミニシュークリームもよく買う。1個1.5RMB。ミニミニサイズで、ゴルフボールぐらいの大きさだが、カスタードクリームがたっぷりと入っている。このシュークリームの名称は日式シュークリームということになっている。中国語だと、「日式泡芙」だ。泡芙→PaoFu→パフといったところだろう。この日式シュークリームという名称はそこそこ普及していて、あちこちで見かける。しかし、なぜ、「日式」なのだ。シュークリームはもともと欧米のものではないのか。或いは、欧米で売っているシュークリームと日本で売っているシュークリームは別のものか。
そこでインターネットで、シュークリームの起源を調べてみた。すると、イタリアのメディチ家のカトリーヌがフランスに嫁いだ際に連れて行った菓子料理長ボフランが作ったのが始まりであるとの説が出ていた。ボフランが作ったのはオーブンが存在するようになってからで、オーブンができる以前には油であげる形のシュークリームもあったらしい。シュークリームの名前自体は和製で、英語ではクリームパフェというのだそうだ。日本には日露戦争以前から伝わっており、米津風月堂が販売していたとのこと。
しかし、これではなぜ中国に日式シュークリームが存在するのかがわからない。中国のネットで「日式泡芙」で検索をかけてみると、「貝尓多爸爸的泡芙工房」というのが出てきた。この「貝尓多爸爸的泡芙工房」はジャスコやらどこやらで何度か目にしたことがある。さらに調べると、日本に「ビアードパパの作りたて工房」というチェーン店があり、これは日本発のチェーン店で世界中に広がっていることがわかった。貝尓多爸爸→ビアードパパでトレードマークも同じだから、多分同じ会社だろう。このビーアドパパが中国で広がっているのが日式シュークリームという言葉の起源ではないかと思われる。ただし、このビアードパパの会社ができたのは1997年であり、比較的歴史が浅い。もし、それ以前に「日式泡芙」という名称が存在したとすると、別の起源も考えられるだろう。どこかの日本の製菓会社が出していたシュークリーム風のお菓子があったから、あれが起源だということもあるだろうか。
9:10起床。
昨晩は夜中におかしなことがあり、よく眠れなかった。夜中に突然、「ボヨヨ~ン」という奇妙な音が部屋に響いてきたのだ。
「ん・・・、なんだ?」。
寝ぼけながら、音のありかを確認しようとするが、音はそれっきり。再び眠りに着く。
「ボヨヨ~ン」
「んん・・・、なんだ?」
また音は消えた。再び眠りに・・・。
「ボヨヨ~ン」
何度これを繰り返しただろう。もはや許せん。この音は何だ。もしや、Zの携帯電話ではないか。そうだそうに違いない。きっと電池がなくなってきているのだ。「ボヨヨ~ン」を全く気にせず眠りにふけっているZを横目に、なんとか彼女の携帯電話を探し出した。ライトをオンにしてみると確かに電池がなくなりかけている。これが元凶だったのか、くそ~!スイッチ・オフ。
これで安心して眠りにつける。
しかし、またしばらくすると、「ボヨヨ~ン」の音が・・・。
「ボヨヨ~ン」の出所はZの携帯電話ではなかったらしい。もはや完全に目が覚めてしまった。時間を確認すると2時半である。私が起きたのに気づいてマイクが「クゥ~ン」と鳴いてビーフジャッキーをねだり始めた。やむなく、起き上がってリビングルームに行き、ビーフジャッキーを一本取り出してマイクに上げた。
その時、「ボヨヨ~ン」という音がすぐ脇で鳴った。
犯人見つけたり!リビングに置いてある固定電話が鳴ったのだ。この固定電話は、携帯電話カードを使った移動式のやや特殊な固定電話だから、電池が不足すると携帯電話のように鳴って知らせるのだ(というのは初めて知ったが)。モニター画面に「電池不足」と表示されている。しかし、電源は常時繋がっているのになぜ?コンセントに繋がっているACアダプターの接続を確認すると、カチッと音がした。接続が緩んでいたらしい。
ようやく「ボヨヨ~ン」の出所をみつたものの、すっかり目が覚めてしまって、ベッドに横になってもなかなか寝付かれない。朝方になってようやくうとうとし、目が覚めたのは9時だった次第である。もはや運動する気など全くなし。昨日に引き続き、さぼることになってしまった。明日はきちんと頑張るぞ!
6:10起床。
今朝は体調もいい。実際のところ、体調がよい日は運動がきついということはないのだ。とにかくやり始めるまでの気持ちの持っていきようが難しいのだ。とりかかってしまえばなんということはない。ガッッツ!そして、一気に完全6セットを達成した。これで、スクワット300回、腕立伏せ180回、腹筋300回、背筋300回、側筋左右各300回。とうとう、ここまできた。意外にはやく達成できた。200回までは2年ぐらいかかったが、200回から300回までは半年もかからなかったような気がする。
もちろん、達成しただけでは、筋肉が増えるということはない。ここが始まりで、安定してできるようになって身についたといえるのだ。とにかく一週間続けるのを目標としよう。それから一ヶ月だ。それができれば、次の目標に向かって進むことができる。次の目標は・・・完全10セットだ。すなわち、スクワット500回、腕立伏せ300回、腹筋500回、背筋500回、側筋左右各500回を目標とする。これを毎日できるようになれば、いい加減お腹もへっこんでくれることだろう。現在はあまり感じられないパワーアップも可能なはずだ。
目標が高いのはいいが、まずは足元を固めなくてはならない。とにかくせっかく達成した完全6セットを自分のものとすることだ。頑張るとしよう。
ここしばらく雨模様の天気が続いている。気温も下がり気味のようだが、私自身はあまり寒くは感じない。マイクは寒さが苦手だから、お腹が空いて餌をねだるとき以外はたいてい自分のクッションの上で体を丸めて寝ている。冬に入ってから、全くお散歩にいっていないけれども、マイクは散歩があまり好きではない犬だから、問題ないようだ。私が子供の頃に飼っていた犬は散歩に連れて行け、連れて行けとうるさかったものだけれども、この差はどこからくるのだろう。やはり、外犬と内犬の違いだろうか。
もっとも、外に連れて行けとはいわないものの、遊んでくれとの要求はある。あと、餌くれ要求だ。遊んでくれ要求はわかるのだが、餌くれ要求に応えるのはやや複雑な気持ちだ。餌は24時間いつもマイク用の皿にドッグフードが山と積まれているのである。だから、マイクは自分の好きなとき、好きなだけ食べられるのだ。それでも私を呼ぶのは、ドッグフードを投げて欲しいから。皿から直接食べるのをよしとせず、私の手から投げてもらったものだけを食べるのだ。それも、手に乗せてあるだけでは駄目で、床を勢いよく転がすか、空中に放りなげるかのどちらかでなければならない。いつの間にこんなルールができあがったのやら・・・。投げ続けて、通常は60個、お腹が特に空いているときは130個ぐらいまで食べる。お腹がいっぱいになると、一旦口にくわえたドッグフードをペッと吐き出す。それでも、投げ続けると、無視されるという具合だ。私と同じようなやり方で餌をやっている人は世界にどのくらいいるのだろう?時々不思議に思う。
7:00起床。
体調は悪くないが、昨日完全6セットを達成したばかりだから、筋肉に負荷がかかっているのを感じた。まだピークではなさそうだから、明日ぐらいにきついことになりそうだ。今日は昨日に続いて完全6セットをこなすことができたが、明日はどうだろう?なんとか頑張りたい。
今日のYahoo!Japanでは、チキンブームの拡大という内容の記事を読んだ。ここ数年チキンブームが続いていたところへ、東日本大震災時に鶏肉の主要生産地である岩手県が被災した。このときに商社が供給不足を懸念して、大量にブラジル産の鶏肉を仕入れたのだという。ところが、予想以上に出荷が早く回復したのに加えて、昨年末が暖冬だったためにブラジル産鶏肉の在庫が大量に残ったのだそうだ。必然的に価格が低下。外食各店は、この安くなった食材を利用してキャンペーンを打ってきているとのこと。
日本もどんどん変化していっているんだなとしみじみした気分になった。日本に最後に戻ったのは2006年10月だ。5年半ほどだ。その時だってたったの一週間だ。その前に日本に戻ったのは、さらに7年前のこと。とにかくほとんど日本に帰っていないから、日本の本当の姿が全くわからない。Yahoo!Japanのトピックスと数ある駄目ブログだけが私の情報源だ。これでは針先で開けた穴から隣の部屋の様子を伺っているようなもので、実際の変化はつかめない。日本に帰ってアルバイトでもしながら半年か1年ぐらい暮らしてみたい気がするのだが、生活(仕事してないけど)もあるし、そうもいかない。だいたい47歳(6?)にもなっては、なかなかアルバイト先も見つからないだろう。昔、中国に来る前に働いた旅館やホテルでは60歳ぐらいの人がバイトしてたりしたのだけれども、今はもうそんな仕事もないのだろうか。ちょっと寂しい気がする。
この記事の一番最初に紹介されていたのが、「チキンフィレダブル」という商品だ。パンの代わりにチキンで具を挟んでいるのだという。イメージした限りではあまり美味しそうには思えないけれど、珍しいものは大好きだ。とにかく食べてみたい。中国ケンタッキーは何をやっているのだ。ライスメニューをやめてさっさと「チキンフィレダブル」を出してくれ。改めて考えてみると、この「チキンフィレダブル」は、パンがないからローカボダイエットにもいい。なんとかならないものか。